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■オープニング本文 ●理(ことわり) 『へっへぇ。随分と手際よく、派手にやってくれたモンだな』 頭に二本の角を持つ一匹の小鬼は額に手をかざし、巻き込まれる心配のない程度に離れた樹上で焼かれる『魔の森』を見物していた。 『大アヤカシ様々がいなくなっちまうと、全く以って呆気ない‥‥とわっ!?』 一部始終を眺めていた小鬼だが、急に足場の木を揺らされ、盛大に枝から落っこちる。 『あいててて‥‥』 『様子見のまま高みの見物とは、いい身分だな』 したたかに打ち付けた腰をさする小鬼の頭の上より、野太い声がした。 顔を上げれば、二対四本の腕を持った身の丈五尺から六尺程の鬼が、木の幹に足をかけたまま睨み下ろしている。 『ああ、剛鬼様‥‥戻りが遅くなりまして。瘴海様亡き後の森で、人とケモノが何をしでかすのかを見届けてから、ご報告に上がろうかと」 平伏した小鬼が告げているところへ、ガサリと草を分ける音がして。 突如、黒い塊が飛び出した。 『ややっ、このケモノ!?』 気が昂っているのか、驚く小鬼をよそに頭を下げた大角鹿は地を蹴る。 一直線に多腕の鬼へ突進した大角鹿は、ドンッと鬼の胴へ激突した。 正面から渾身の体当たりに、踏ん張った鬼の足がずるずると土を滑り、後ろへ押し込まれる。 その動きが止まると、鬼はにたりと笑い。 『角がなくては、臓腑を抉る事もままならぬなぁ』 嘲笑う鬼に頭を両側をがっしりと手で挟まれた大角鹿が、何度も土を踏んで跳ねた。 だが蹄で蹴り殺すどころか、進む事や退く事すら出来ず。 足掻く様を面白がるように見ていた多腕の鬼は、掴んだ手を捻った。 噴き出し、ばたばたと落ちる血をその身に浴びて、小鬼がケタケタと笑う。 『ククッ、これはよい憤怒だ。では礼として、お前の怒りを憎きニンゲンへ撒いてやろう‥‥それが理というモノ、だろう?』 捻じ切ったケモノの首を鬼が掲げてみれば、流れ落ちた血の代わりに『魔の森』の濃密な瘴気がそれを蝕み。口角が裂けると同時に、歯も鋭く尖って牙の様に変化していった。 『小鬼。事の次第を見物していたのなら、ついでにニンゲン共の後を追って来い』 『やれやれ、剛の鬼様も鬼使いが荒い‥‥』 血を舐めていた小鬼は不承不承といった体で、ひょこひょこと『魔の森』の外へ向かう。 大角鹿の頭を掴んだ多腕の鬼は残る腕で足や胴を裂き、焼かれる『魔の森』を面白そうに眺めながら骨も残さず全てを喰らった。 ●意趣返し 「すっかり冬だなぁ」 ほぅと白い息を吐き、崎倉 禅(さきくら・ぜん)は積んだ薪山から割った薪を何本か抜き取った。 武天国の片田舎にある小さな農村、佐和野村。 今年は少し早めに薄い雪化粧をした村に、崎倉にとって剣の師であった小斉が庵を構えていた。連れ合いに先立たれ、独り隠居をする小斉老人の元には、常から天儀を旅歩いている崎倉が折をみては滞在している。 「今日は温まるよう、鍋でもするか」 「野菜なら、村の者達が分けてくれた物がある筈。後は適当に、見つくろえ」 夕食の献立を考える崎倉へ、サラや仔もふらさまと囲炉裏端に座る小斉老人が声をかけた。 何の変哲もない、穏やかな日常のやり取りだったが。 「ケケケーッ!」 庭先から、鋭く耳障りな笑い声が聞こえてきた。 何事かと小斉老人が立ち上がって縁側に出れば、飛び跳ねていた一匹の小鬼が抱えていたケモノの頭を座敷めがけて投げつける。 「何奴‥‥アヤカシか!」 袖をひと振りして、それを払い退けた小斉老人が、腰に帯びた刀へ手をやり。 どんっと庭へ落ちて跳ねた頭が、勢いのまま飛び上がった。 「むぅ‥‥っ」 子供を狙うように飛び掛る頭だけのケモノに、抜刀した老剣客が間へ入る。 歯を剥いた鹿頭は遮る刀へ噛り付き、志体のない老体はジリジリと力に押され。 「禅ッ!!」 元弟子に声を飛ばすと同時に、奥より薪が投げつけられた。 ガッと音をたてて、薪は額にぶつかり。 ひるんだケモノの頭は、刀からゆらりと離れる。 「使えっ」 小斉老人が寄越す刀を崎倉が受け取り、鹿頭はガチガチと牙を鳴らして再び飛来した。 一歩を踏み込んで、それを正面から崎倉は一刀を振り下ろし。 間髪おかず即座に刀を返し、切っ先を跳ね上げる。 飛びながら鹿の顔がぞむりと裂け、血を噴き出す代わりに塵を巻き上げ。 そのままぐずぐずと崩れ落ち、消え去った。 「あの、鹿の頭は‥‥もしや?」 「気を抜くでない。あれに、アヤカシがおる」 跡形もなく消えるソレに崎倉は訝しみ、注視していた小斉老人が庭の垣根を示す。 逃げるように垣根の向こうへ跳ねた小鬼の影に崎倉は庭へ飛び降り、草履を引っ掛けた。 「サラを、頼みます!」 言い置き、刀を手にしたまま薄く積もった雪を踏んで、子供ほどのアヤカシの後を追う。 「もふふ〜‥‥」 「ふむ、怖かったか? 大丈夫じゃ。あれでも彼奴は、弟子の中でも腕が立つ方だったからの」 不安げなサラと、少女の周りを転がる藍一色の仔もふらさまに、安堵されるように小斉老人は笑み。 「にしても、何故に何処から現れたのか‥‥」 気がかりを辿るように、乱れた足跡の先を目で追った。 「あの小鬼は、どうやら山へ逃げたようだ。だが‥‥ただの悪戯のようなもの、とは思えない」 深い追いはせず、白い息を吐いて戻ってきた崎倉に、小斉老人が温かい茶を淹れた。 「アヤカシであれば、捨て置く訳にもいかん。村長へ頼んで風信機を遣い、早急に開拓者を頼んだ方が良かろう‥‥だが、心当たりはあるのか?」 「かもしれない。あの、角のない雄鹿の頭は‥‥」 確かめる術などないが、かつて目にしたケモノを思い出した崎倉が嘆息する。 「ともあれ、村の者も不安だろう。足跡では、まだ小鬼も山奥へは逃げていないようだ。妙な事をせぬうちに見つけ出し、退治しよう」 小鬼が逃げ込んだと思しき里山は、紅葉した葉もすっかり落ち、薄く白い雪に包まれていた。 |
■参加者一覧
櫻庭 貴臣(ia0077)
18歳・男・巫
神凪 蒼司(ia0122)
19歳・男・志
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
斎 朧(ia3446)
18歳・女・巫
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
ソウェル ノイラート(ib5397)
24歳・女・砲
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
藤田 千歳(ib8121)
18歳・男・志 |
■リプレイ本文 ●苦み 「そんな事が‥‥あったんだね」 ふっと表情を曇らせた天河 ふしぎ(ia1037)が、正座した膝の上で拳を握った。 沈黙の中で囲炉裏で薪がぱちんと音をたて、自在カギに掛けられた鉄瓶が白い湯気をあげる。 「大角鹿が人を目の敵にする理由はわからないけど、悲しい事だよね。それに頭をあんな風にするなんて、許せないんだぞっ」 「ずっと心配していたんだが、こういう結果になるとは‥‥正直やり切れんな」 自分が知る限りの全てを話した玖雀(ib6816)は茶を口へ運び、揺れる炎をじっと見つめた。 「大角鹿としての武器もなく。魔の森へ入った時点で、予測はできなかったと言えば嘘となりますが‥‥考えないようにしていたのかもしれませんね。気づかぬうちに」 暖を取るように温かい湯飲みを手にしたまま、目を伏せた斎 朧(ia3446)がほぅと重い息を吐く。 「結局、命と尊厳を奪わぬつもりがアヤカシの玩具、ですか。済んだ事を言っても仕方ないとはいえ、ままならぬものです」 「確かに済んだ事だ。その時、その場で出来る最善を‥‥尽くしたと。関わった者がそう思ってやらねば遺恨は残り、あの鹿も浮かばれまい」 言いながら俯き気味に崎倉 禅は灰を火箸で掻き、囲炉裏の火勢を調節した。 「けど、妙な事するアヤカシもいるんだね。ケモノをアヤカシにして、人に仕向けるなんて‥‥いい趣味してるというか」 溜め息をつくソウェル ノイラート(ib5397)は、言ってから小首を傾げる。 「それにしても‥‥瘴気さえあれば、人もケモノもアヤカシになるのかな? 感情とかあると、よりアヤカシ化しやすいとか‥‥」 「悲嘆に暮れて死んだ者の骸が、瘴気に蝕まれてアヤカシとなる話もあれば。瘴気に感染した末に死に、骸がアヤカシになる時もある。大角鹿を見失ったのは、瘴気が濃い『魔の森』だ。あそこで死んだなら、骸が瘴気に蝕まれてアヤカシになっても不思議ではない」 崎倉の返事を聞きながら、囲炉裏の火へ細い手をかざすソウェル。 「ふぅん‥‥やっぱ分からない事が多いね、アヤカシは」 「でも、大角鹿の頭を庵に投げ込んだって‥‥何かの意図があって、やった事だよね。誰かアヤカシを操っている人が居るとか、そんな感じなのかな」 腕組みをした櫻庭 貴臣(ia0077)が思案し、茶をすすった神凪 蒼司(ia0122)が湯飲みを置いた。 「投げ込まれた大角鹿の頭も気になるが、武装した小鬼も気になるところだな。武器が使える知恵があるということか?」 「あの脇差ほどの刀、俺が追った時は抜いてくる様子はなかったが。単なる飾りという訳でも、ないだろうな」 「では、深追いはし過ぎない方が良いか」 「兎も角、難しい事にならなければ良いよね‥‥」 思案をめぐらせる蒼司に、貴臣もぽつと懸念を呟く。 「ともあれ、村の者が無事でよかった。が、こんな形になってしまってすまない」 改めて玖雀は膝に手を置き、崎倉へ向けて勢いよく頭を下げ。 「おいおい、面を上げてくれ。俺もあの場にいたし、誰の責でもない」 「そうじゃな。心掛けは殊勝じゃが、お主らが詫びる事でもなかろう」 サラや仔もふらさまの相手をしながら、小斉老人は穏やかに口を開いた。 「アヤカシと人の有り様が違うように、ケモノのそれもまた違う。無駄な殺生を避けようとも、身を守らねばならぬ時もある。そこに『此れ』という正しい答えなぞ、ないものよ」 「では、大角鹿の角を折るのも止む無し‥‥と?」 「もし人里近くにケモノが住み着けば、後に諍いを起こしたかもしれん。角を折った事で他の鹿どもが山へ帰ったのなら、一頭が命を落とすのみに止まったのかもしれん。そのどちらが最善と、一概に言えるものでもなかろうて」 「道理は分かる。だが‥‥」 「然り。せいぜい悩めばよい。若いのは、悩むもまた仕事よ」 暗い気を払うようには明るく笑い、無言の藤田 千歳(ib8121)は玖雀の横顔をじっと見る。 「奴の意図はわからないけど、その鹿を冒涜するような挑発するなんて、絶対許せない‥‥更なる悲劇が起きないよう、きっちりと方を付けてやるんだからなっ!」 むっとふしぎが口をへの字に結び、笑んだまま好々爺は何度も頷いた。 「アヤカシ‥‥か」 傍らへ置いた刀「虎徹」へ視線を落とし、小さく千歳は呟く。冥越の隠れ里近くで見かけた覚えはあっても、自身は未だ刃を交えた事が無い。相手は小物らしいが油断は禁物と、今一度千歳は腹を据えた。 「では。崎倉殿に助力を頼んでも、良いだろうか?」 「勿論だ。山の案内は必要だろうし、俺もアヤカシを捨て置く気はない」 千歳の問いに崎倉は快諾し、経緯とひと通りの策を確認した者達はアヤカシ退治の身支度を始めるが。 「私は、村に残ります」 唯一人、ジークリンデ(ib0258)は囲炉裏端に座ったまま告げた。 「一本角が現れたのは、ここより遠く離れた瘴海の『魔の森』。一本角の首を小鬼が持って来たという事は‥‥彼の小鬼もまた、同じ『魔の森』から来たと考えるのが妥当でしょう。それ故に、小鬼が単独で行動しているとは考え難く」 「確かに首をわざわざ持ち、ここへ投げ入れた意図は定かではないな」 崎倉が頷くのを見て、先をジークリンデは続ける。 「この『誘い』の狙いは、分かりません。山に開拓者を誘い込んでの罠なのか、はたまた『魔の森』を焼き払った事への報復に佐和野村を狙っているのか。もし後者ならば、無防備に村を開けてしまうのはあまりにも危険である為‥‥私は佐和野村に残り、万一に備えさせて頂きます」 「ふむ。お主らに異論なければ、願ってもない事じゃな。アヤカシが出たのは、既に村の者も周知の事。誰ぞ開拓者がいれば、幾らか安心も出来るじゃろうて」 「もふ〜」 小斉老人に撫でられた仔もふらさまは、のん気にもっふりした尾を振った。 庵を出た八人の開拓者は寒風に身を竦め、雪化粧をした山へ向かう。 「‥‥玖雀殿?」 「いや、詮無い事と分かってはいる。それでも、出来る事なら守りたかったのだ‥‥角も、棲みかも命も。だが直に手を下さなかったとはいえ、大角鹿の命を奪う一端を俺は担った」 千歳に気遣われ、浮かぬ表情の玖雀はぎりと歯噛みをした。 ただ不器用に身体を張る術しか持てなかった自身に苛立ち、骸を弄んだアヤカシに言い切れぬ怒りを抱き。 「玖雀殿、今回もよろしく頼む。頼りにしている」 ‥‥堅実に、確実に。尽忠報国の志を胸に、天下万民の為に。 その志を胸に千歳が僅かに頭を下げ、知らずと強く握っていた拳を玖雀は解く。 「ああ。こちらこそな」 応じた玖雀は前を見据え、山より吹き降ろす寒風を真っ向から受けながら歩を進めた。 ●鬼と戯れ 色づいた木々で賑やかだった山は冬枯れ、鳥や獣の気配もなかった。 「俺が小鬼を追ったのは、この辺りまでだな」 山中で案内役の崎倉が足を止め、引き返した場所で白い息で告げる。 「では注意を怠らず、探してみるか。何を仕掛けてくるか分からないからな。村も‥‥気にはなるが。俺達をおびき出そうとしているとも、考えられるし‥‥」 寂しい山の風景に蒼司が村の方向へ振り返り、冷たい指先へ貴臣は息を吹いて温めた。 「瘴気に侵されていたとはいえ。わざわざ一本角の頭を投げ入れてきたのが、ただの悪戯だけで済むかどうかは怪しいですね‥‥私達に追わせたいとして、山へ誘い込みたいのか、村から離れさせたいのか」 隠神刑部の外套の襟を、きゅっと朧は合わせる。薄い雪は足を取られる深さではなく、寒さも体力を奪う程ではないが、寒いものは寒かった。 「踏み込みすぎたら、何があるかわからないしね。なにか、罠とか考えての行動かもだし」 『超越聴覚』で動く相手に注意するふしぎは、気になる音を捉えれば足を止め、伸びをするように木々の先を窺う。 「ひょっとすると‥‥小鬼の狙いは僕達を森に誘い込んで、群れの長を殺されたと思っている大角鹿達に襲わせる事かもしれないね」 「大角鹿の群れ、か。出来れば、戦いは避けたいところだな」 握った拳よりやや小さい『明山の拳石』を握り、沈痛な面持ちで玖雀は紫の瞳を陰らせた。 そんな友人の様子を案じるように見ていた千歳が、崎倉へ視線を向けた。 「この付近に、大角鹿は出るのか?」 「普通に鹿や猪、兎といった類の獣はいるが、ケモノの類と出くわした話は聞いた覚えがないな‥‥大角鹿は勿論だが、鬼火玉や迅鷹のようなものも。野生のモノは、いなかったと思う」 「そうか」 短く答えた千歳はそれきり口を結び、じっと自分の内で思案する。 「大角鹿とは争いたくないから、いないなら有難いけど。でもそれなら、何の為に小鬼は山へ逃げたのかな?」 寂寥とした光景を見回すふしぎの耳には、今のところ鹿の鳴く声も雪や土を踏む蹄の音も届いてこない。せいぜい吹く風に枝が震える音と、遠くで流れている川のせせらぎのみだ。 「鹿を撃つのは、確かに気が進まないけど‥‥とにかく、肝心のアヤカシを見つけない事にはね。相手が何を考えているか、分からないし」 ソウェルが踏み出した一歩の下で、落ちた細枝がぱきりと折れる。歩く道は山をぬう猟師道で、一里塚も道標もない。 「そっちはどう?」 「何度か調べてはいますが、今のところ近くにアヤカシの気配は感じませんでしたね」 訊ねるふしぎに、折を見て『瘴索結界「念」』を使う朧が首を横に振った。来た道をソウェルは振り返えるが、傾斜や木々に遮られて村は見渡せない。 「山へ逃げたのは、村から引き離すのが目的だったのか‥‥」 「一度、戻ってみますか? この山に大角鹿がいなくても、もしかすると一本角が率いていた群れを村へ誘い込む可能性も考えられますし」 「どうやって?」 足を止めた朧へ、ソウェルが小首を傾げる。 「そうですね。例えば、一本角を辱める‥‥とか?」 「でも誰がどう知らせて、群れに人がやったと思わせるんだろう」 腕組みをしたソウェルは、答えを求めるように風景を見回した。ケモノにとってもアヤカシは人と同じ。棲家を荒らし、彼らを喰らう存在だ。 「あの時『魔の森』の外にいた他の大角鹿は、おそらく角を折られた一本角のいななきを聞き‥‥助けずに、去った」 いま一度、玖雀も足を止め、妙な胸騒ぎに千歳が眉をひそめた。 「玖雀殿。ここは一度、戻った方がいい気がする」 「あてもなく山を歩くより、いいか」 埒が明かないと踵を返す蒼司に、貴臣が崎倉へ目をやる。 「崎倉さんは、それで?」 「ああ、異論ない」 道を引き返し始めて程なく、ぱらぱらと小石が坂を落ちる音をふしぎが聞きつけ。 「皆、上に気をつけて!」 警告した直後、人の頭ほどの大きさの石が斜面の上から幾つも転がり落ちてきた。 「貴臣!」 即座に蒼司が背に庇い、その間に貴臣は意識を凝らす。 「あっちに、瘴気の気配が」 「ああ。こちらの『心眼』でも、何者かを捉えた」 千歳が応じ、崎倉らと視線を交わす。 「小細工してんじゃあねぇっ。腰のお粗末な竹光抜いて、かかってきやがれ!!」 「ケッ、ケケケーッ!」 大音声での崎倉の一喝に、嘲笑っているのか、挑発に乗ったのか。 木々の向こうで飛び跳ねる小鬼の影に、棍の如くソウェルがロングマスケットを扱い、構える。 「‥‥逃がさないよ」 乾いた唇をちらと舐め、狙いを定めた砲術士は引き金を引いた。 山に銃声が響き渡り、鋭利な刀を掲げた小鬼はもんどりうって転げる。 その間に蒼司が「阿見」と「青嵐」、二刀の珠刀を抜いて駆け。ふしぎと玖雀も素早く回り込み、小鬼の逃げ道を塞いだ。 「後ろへ抜かせるものか」 背に二人の巫女を庇うように千歳は斜面を踏みしめ、刀「虎徹」がいつでも抜刀できるよう身構える。 「フン、どこを見ている!」 「僕の目からは、逃れられないんだぞっ」 両脇から詰めるシノビ二人に逃げ惑う小鬼は翻弄され、刀を掲げて飛び跳ねるも。 蒼司の流れるような一刀を受けて、小柄な身体がもんどりうち。 瞬きの間に抜き払われた紅い炎を纏う刃が、叫ぶ間もなく小鬼の首を刎ね飛ばした。 ●痛み分け 「足跡から、何かを探すといっても‥‥これでは、分かりませんね」 村の周囲に広がる田畑を歩いていたジークリンデが、今更ながら嘆息した。 収穫が終わった田や畑は雪が薄く積もっているが、そうでない畑やあぜ道は村人達が作物を見回り、アヤカシが残した足跡かどうか見分けがつかない。田舎の小村とはいえ、村や田畑の全てを一人で調べるには広過ぎて手が回らず。 「たっ、大変だ。アヤカシが‥‥!」 転がるように駆けて来た男が、村の家々を指差した。 「村の皆さんは、家に入っていますか? そうでない方はすぐ家へ逃げて、立て篭もって‥‥」 「皆、そうしてるさ。だがアヤカシは、村の真ん中に出たんだ!」 「どこから、いつの間に‥‥」 言葉を失いながら、彼女は「でも」と思う。自分一人の眼が届く範囲など、土地全体からすれば怖ろしく限られている事を。 他の開拓者達は、未だ山より戻らず。届くかどうかも分からない長い笛をジークリンデは吹いてから、村へ取って返そうとするも。 「待ってくれ! 小斉翁からの伝言だ、あんたは村人達と神社へ逃げてくれと」 「神、社? しかしアヤカシは‥‥」 「あんたの言うとおりアヤカシが一体とは限らんなら、他にもまだ潜んでいるかもしれん。だから神社へ村人達を逃がし、守ってほしい。自分は村へ留まり、アヤカシの足止めをする‥‥と」 村人が伝えた小斉老人の言は、もっともだった。 老翁が取った選択の結果は、見えている。それでもより多くの命を確実に守るなら、開拓者が村人の護衛についた方が安全であり‥‥そうしてジークリンデは老翁の伝言を、守った。 無事に小鬼を討ち取り、山から戻った開拓者達は、怯えながら庵で待っていた村人から事の次第を聞いた。 人々が家に籠もった村の真ん中近くにある村長の家に、二対四腕の鬼が現れた事。それによって家にいた幾人かは犠牲になったが、小斉老人が身を挺して鬼の足止めをし。その間に、村人の大半が村外れの神社へ逃げ延びた事を。 「ニげたエモノを、カり取ルは容易いが‥‥」 誰もが言葉を失う中で、庭先から濁った声がした。 見れば梢に止まっていた一本足の烏が、オウムの如く奇妙な抑揚で声を発している。 「老いぼれの意気に免ジ、三日をクれてやル。抗えよ、ニンゲン」 「こ、の、アヤカシが‥‥ッ!」 霊剣の柄に手を置いたふしぎがどんっと膝を立て、素早くソウェルが傍らのロングマスケットを取る。 直後、朱の一閃が庭を裂いた。 「はっ、逃げる暇なんて与えねぇ。俺は今、最高に機嫌が悪ぃんだ!」 誰よりも早く、玖雀が投じた渾身の朱苦無は飛び立つより早く烏の胸を貫いていた。 それが塵となって飛散しても、重い空気は晴れず。 冬の空高くを、一本足の烏どもがギャアギャアと鳴きながら飛んでいった。 |