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■オープニング本文 ●瘴気の森を滅するために 「『魔の森』の焼き払いか。随分と急いだモンだぜ」 腕組みをしたゼロの前には、異形の森が染みの如く緑の野に張り付いていた。 武州の『魔の森』、先日にあった合戦で討ち果たされた大アヤカシ「瘴海」が現われた場所である。 見回せば『魔の森』周辺の土地は瘴気の影響によって枯れ、草木も生えていなければ獣や鳥も住んでいない。皮肉な事だが、それが『魔の森』を焼くにはちょうどいい緩衝地帯となっている。 「理穴での緑茂の里の様に、大アヤカシがいなくなったのなら『魔の森』も徐々に縮小していくだろうがな。ここは神楽の都にも近いから、焼き払いをする事で早々に瘴気を散らし、ひいては『魔の森』を消滅させたいといったところか」 同様に、森を眺めるのは崎倉 禅(さきくら・ぜん)。ゼロと同じ長屋に住むサムライだ。 歳は十歳前後に思える金髪碧眼の少女サラと、藍一色の仔もふらさまもまた、いつもの様に中年男の後ろにくっついていた。 「とはいえ、事を急いて大きな火を放っても火の粉などが飛んで、真っ当な土地まで燃える事になるがな」 「一気に焼き尽くせないのは面倒だが、仕方ねぇか。急いては事を仕損じる、とか言うしな。森の焼き手も、開拓者頼みだろうしな」 釘を刺す崎倉に、面倒くさそうなゼロはぼしぼしと髪を掻く。 合戦が終わり、瘴海が残した水も引いてしばらくが経った今、武天と朱藩両国の後援によって『魔の森』の焼き払いが進められる事となった。 大アヤカシがいなくなったとはいえ、『魔の森』が瘴気に満ちた場所である事に変わりはない。森の奥にはまだアヤカシが巣食っている可能性もあり、そもそも瘴気自体が志体を持たない者には著しい害を成す。 よって戦える腕があり、志体のない者よりずっと瘴気に耐性のある開拓者へ声がかかるのは、必然だった。 「でもよ。『魔の森』を焼いて、それで本当に消えるのか? 大抵の『魔の森』は、一ヶ月か二ヶ月そこらで元に戻っちまうのが常だが」 怪訝そうなゼロの疑問は、もっともだ。 瘴気の森を焼く事自体は、特に珍しくもない。徐々に広がる『魔の森』の活動を抑えようと、各国でも森の焼き払いはしばしば行われている。 問題はいくら焼き払っても、短期間で瘴気の森が再生してしまう事だった。 「『魔の森』はいわば、大アヤカシの『ねぐら』なんだろうな。ねぐらの主がいなくなれば、瘴気は『魔の森』に留まらなくなる。理穴で大アヤカシ「炎羅」を倒した後、近辺の『魔の森』が焼かずとも自然に後退した例を考えれば、明白だろう。回復する早さ自体は遅いが」 「つまり根源が失せれば、土地は自ら元に戻ろうとする、と‥‥大したもんだよな」 崎倉の推測に、どこか感慨深げな様子のゼロが改めて『魔の森』へ視線を向ける。 「そのせいか。ケモノを見たって話があるのは」 「ケモノ?」 その話は初耳だったのか、今度は崎倉が眉根を寄せた。 「森の周囲を調べた連中の話だと、ちらほらとケモノの姿が目撃されてるらしいぜ。最近だとバカでかい角を持った大鹿のケモノが、いきなり襲ってきたとか、ナンとか‥‥それもどうにかしなきゃあならねぇって、地元の百姓衆が頭を抱えてたな」 人好きされるゼロらしく、色々と土地の領民達から話を聞いているらしい。 「詳しい特徴は、聞いたのか?」 嫌な予感を覚えた崎倉が問いを重ねれば、記憶をたぐりよせるように空を指で辿った。 「こう、角が立派な‥‥大きな鹿のケモノが数頭、『魔の森』の近くを徘徊してるそうだ。で、ケモノ達を率いている長っぽいのが、一本角の片角なんだとよ」 「本当か?」 「過去にアヤカシにでも襲われたのか、それともケモノ同士での戦いとかで折られたんだと思うけどよ。とにかく気性が荒く、安心して調べが出来ないってんで、退治話も出るみてぇだぜ」 「それで、お前はどうする」 「まぁ、『魔の森』を焼くよりは面白そうな話だとは思うが‥‥」 「良ければその依頼、譲ってはくれまいか?」 思案する相手に、間髪おかず崎倉が切り出した。 意表を突かれたゼロは驚き顔で目を瞬かせ、面白そうな表情を浮かべる。 「ふぅん‥‥珍しいな。てめぇが、そういう執着を見せるのは」 「少し、気がかりがあってな。その大鹿の角を折ったのは、開拓者かもしれんのだ」 何やら考えた風のゼロだったが、やがて崎倉に一つ頷いた。 「いいぜ。近くに住む村や町の連中に取っちゃ、おっかねぇだろうし。『魔の森』を焼いてアヤカシが飛び出してくるかもしれねぇ。そこら辺のカタをつけるのも、開拓者の仕事だ」 「すまんな」 短く礼を告げた崎倉は、複雑な表情で『魔の森』を見つめた。 ●放逐されしモノ 空気が運ぶ瘴気の流れに、牡鹿は不機嫌そうに頭を振った。 後ろで不安そうに頭を上下させている他の大鹿達は、共に群れと縄張りを出て、彼についてきた仲間だ。大鹿達を振り返ってから、一頭のみで『魔の森』へ踏み込む。 森の端から数歩を進むと牡鹿は大きく前足を上げ、ためらう事なく瘴気の木を踏み砕いた。 彼らの郷里であった深い山とは違うが、かつては肥沃であっただろう土地。瘴気がなくなれば、自ずとこの地も緑を取り戻し、いずれは精霊力に満ちるだろう。 ‥‥この禍々しい瘴気とアヤカシが、ここより失せれば。そして、更に忌々しい人さえいなければ。 頭を振り上げ、牡鹿は巨体を躍らせて、瘴気の木へ体当たりをする。 その頭部から延びる立派な角は、二本のうち一本が根元近くよりポッキリと折れていた。 |
■参加者一覧
天津疾也(ia0019)
20歳・男・志
梢・飛鈴(ia0034)
21歳・女・泰
斎 朧(ia3446)
18歳・女・巫
琥龍 蒼羅(ib0214)
18歳・男・シ
愛鈴(ib3564)
17歳・女・泰
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●縁と因縁 「ああ‥‥あの鹿、山の奥に帰ったかと思ったらこンなトコロまで来てたンかいナ。困ったもんだナァ」 問題のケモノの特徴を聞いた梢・飛鈴(ia0034)は、複雑な表情でぽつりとこぼした。 「なんや。やっぱこれ、あん時の鹿かいな」 飛鈴の様子に天津疾也(ia0019)も確信を持ったのか、やれやれと面倒そうに髪を掻く。 「まぁ、これも縁ちゅうことやろうが。またやりすぎんように手心加えるのは、骨が折れるなあ」 嘆息しながらぼやくのは、せっかく穏便に見逃したにもかかわらず、山奥から出てきた事に対する呆れか。それとも、また殺さずに手加減するのが面倒なのか。 「殺したくは無いから、角へし折っただけで済ませたガ‥‥もう一本も、へし折らんといかんかナァ」 「ふぅ‥‥ん。あんまり楽しそうな依頼じゃない、みたい?」 何やらケモノに覚えのある者達の間に流れる複雑な空気に、話を聞いていた愛鈴(ib3564)が金髪の間からのぞく金色の短い獣耳をぴこぴこと動かした。 「気乗りしないか?」 苦笑う崎倉 禅が訊ねれば、思案するように愛鈴は小さく首を傾げる。 「でも、ケモノの問題だしね」 「ケモノに興味があるのか」 琥龍 蒼羅(ib0214)の問いに、獣人で泰拳士の少女は獣耳を指で軽くつまんだ。 「私って、ケモノとも人とも縁があるから」 「魔の森がただの森となるならば、当然そこにはケモノの居場所もあってしかるべき‥‥ですがそれが人を襲うとなれば、人の立場に立って戦うが務めの開拓者としては何もしないという訳にもいきません」 複雑な表情で、斎 朧(ia3446)が目を伏せる。 「その考えが『人を敵視するケモノを生んだ』と言われれば、それまでですが‥‥」 「敵視、か。朧の言う通り、例え人間側に非があるのだとしても‥‥人を襲うのであれば、見過ごす訳にはいかん。ただ一本角が人間を嫌っている理由は、調べられると良いのだが。今は何とか出来ても、根本的には解決にはならんからな」 考え込む蒼羅に、『お手上げ』といった感で飛鈴が天井を仰いだ。 「既に一度、角を折って追い払ったからナァ。何で、あそこまで敵意むき出しだったのか解からんのが問題だケド」 相手が語ぬ口を持たぬ以上、知る術がないと飛鈴は胸の下で腕組みをする。愛鈴としても人とケモノが不仲になるような騒動は、出来れば避けたいところだが。 「住んでた山奥で、何かあったのかなぁ‥‥?」 「よくある話だと人間に住処を荒らされたり、追われたりと言った所か」 愛鈴の疑問に、考えられる理由を蒼羅が口にする。 「いずれにしてもケモノから見れば、アヤカシも人も自分たちの生活を壊した忌むべき存在なのかもしれんな」 表情を曇らせる玖雀(ib6816)もまた、山から出てきた原因に関心を持っていた。しかし『魔の森』近辺の村人は、ケモノ達がどこから来たか心当たりがないという。 過去に一本角の相手をした仲間達の話でも、山村と『魔の森』がある武州に関連性は見出せず。 「一本角らを追いやるのは、我らの勝手な都合。だが‥‥」 ケモノ達が生きていく上で必要な角も、出来れば守ってやりたい‥‥それを皆まで口にせず、玖雀は胸の内で留めた。 一度、角を折ってまで退かせた相手なら、二度目も角を折らずに追い散らす事は困難だろう。他に手がなければ、その判断も止む無し。ただ己の思いを口にする事で、仲間の手が鈍る事は避けたかった。 「『魔の森』からアヤカシが出ても面倒やし、はよ片付けよか。前みたいに角を折って、それで引いてくれるんなら楽やしな」 ひらと手を振って疾也が促し、蒼羅も腰に差した魔刀「ズル・ハヤト」の柄へ手をかける。 「アヤカシに嗅ぎ付けられては、面倒だ。先ずは大角鹿の群れを、『魔の森』から引き離さなければな。その上で一本角さえ何とかできれば、従う大角鹿は何とかなるだろう」 まずケモノの群れを見つけるのが先決。後は出方を窺ってからという話になり、準備を整えた一行は『魔の森』へ向かった。 ●山下りしケモノ達 「問題の、群れっていうのは‥‥アレね」 額に手をかざして、愛鈴が様子を窺う。 目撃話を元に大角鹿を追ってみれば、果たして『魔の森』の傍にある見晴らしのよい場所で数頭のケモノが佇んでいた。近付く開拓者達の気配に気付いたのか、草を食む事も止め、揃って顔をこちらへ向けている。 「どれも、角が二本あるけど」 「一本角だけが、『魔の森』へ入ったのかもな」 小首を傾げた愛鈴に、『魔の森』へ玖雀が目をやった。森を燃やす者達も今頃はあの森へ入り、木々を燃やす為の段取りを進めているだろう。 「一本角と出くわしていなければいいが」 「それなら大丈夫だ。ゼロは積極的に手を出さないだろうし、仕事が遅れるなら『どうにかしろ』と言ってくる」 崎倉の見方に納得し、「そうか」と玖雀は頷いた。 「それにしても、何故わざわざ一本角が群れごと出てきたのでしょうね」 ずっと疑問だったのか、群れの様子を窺っていた朧がふと口にする。 「例え嫌う人が登っていても、木を攻撃する事はない‥‥『魔の森』であれ木が焼かれ、森が拓かれるのは忍びなかった、とか?」 「話も出来んし、ケモノの都合は分からんからな。それより、仕事や」 『魔の森』と群れの距離を見比べていた疾也が、ひらひらと手を振った。 「とりあえずシカ達を『魔の森』の近くから引き離して、横からアヤカシが襲ってこない場所まで誘き寄せよか。囮の飛鈴がシカ達を挑発して連れてくるのを、先に決めといた場所で待って、いつでも迎え撃てるようにしておくとか」 疾也の案に飛鈴が回すように頭を動かせば、ぽきぽきと首が鳴る。 「囮役は別にそれで構わないガ‥‥他の大鹿は、基本的に無視でいいんじゃないカ?」 「そうか? 誘き寄せたシカ達を、一本角とそれ以外に分けて相手するのもアリやと思うが。何やったら、一本角以外のシカは俺が相手しとくで」 「ン〜‥‥一本角だけを狙った方が、面倒もなくていい気もするけどナァ。大鹿達が一本角の周りを固めに入っても、あくまで一本角だけに絞る感じカ?」 ぽしぽしと飛鈴が髪を掻き、疾也はふむと思案した。 「ほな牽制も止めて、見張っとく程度がええって? 元の縄張りに帰るよう、倒さん程度にでも痛めつけた方がええと思うけどな」 「手を出すのは、余程の事態になってからでいいだろう。下手に、戦う相手が増えても困る‥‥森からアヤカシが出る危険もあるから、群れは『魔の森』から引き離した方がいいだろうが」 「手は足りそうだが、俺も群れの警戒に回るとしよう」 出来るだけ戦う事は控えたい玖雀に、黙って話の流れを眺めていた崎倉が申し出る。 「不測の事態があれば、伝令役も必要だからな」 「一本角は良いのですか?」 それが依頼を受けた理由ではないのかと、朧は小首を傾げた。 「あのケモノの事は気になるが、俺も妙案はないからな。一本角との関わりがある者、そして先の一件を知らぬ者でも行く末を気にかけるなら、コトは悪い方に転ぶまい」 「随分と信頼されたもんだナァ」 もふらの面へ飛鈴は手をかけ、表情を隠すように引き下げる。 「では、群れは頼んだ」 群れは静観していた蒼羅は、『魔の森』へ足を向けた。 「心配した一本角が戻る可能性もあるし、気をつけてねっ」 飛び跳ねるように愛鈴が手をぶんぶん振ってから、森へ分け入る者達の後を追う。 「それでは、あちらが始める前に取り掛かるか」 玖雀は仲間達の背を見送ると、警戒する大角鹿達を用心深く窺った。 焼き払いが行われる『魔の森』西側の一角は、開拓者達が足を踏み入れる前から何者かによって木々が折られ、踏み砕かれるなどして荒らされていた。 「これは‥‥どう考えても近くに住む者達どころか、人の所業ですらないな」 痕跡を一目見た蒼羅が、用心深く周囲を見回す。力で折られた木の株や、砕かれて散乱した木片と地面に残された蹄の跡。事情を知る者なら、それらが『何者』による仕業か簡単に予想がつく。 「何があったのでしょう‥‥以前は木々を傷付ける事など、しなかったのに」 「『魔の森』だからナァ。これを辿れば、一本角がいるカ」 表情を曇らせる朧に飛鈴が指摘し、進むべき方向を確かめた。 「難しいのであれば、角を追って負けを認めさせる‥‥という事でしたね」 「ああ。もう一本の角も折る事で、退くよう仕向ける形にする」 確かめる朧に蒼羅が頷き、ふっと飛鈴が嘆息する。 「‥‥もう一本へし折った程度で引いてくれりゃ、ラクでいいんだけどナァ」 慌てて愛鈴は、三人の前でパンッと両手を合わせた。 「その前に、話だけさせてね」 「相手は言葉が通じないらしいが?」 「知ってるけど、少しだけ!」 人の側も得物を抜いてしまえば、互いに退くのは難しい。その前に、どうしても愛鈴にはやりたい事があり‥‥彼女の熱心さに、三人は視線を交わした末に折れた。 「やっときたい事は、やるといい。結果は保障しないがナ」 「用心しろ。一本角もだが、アヤカシにもな」 蒼羅が声をかけ、囮役の飛鈴は彼女の補助を行う朧と一本角の痕跡を辿る。 程なく、鋭い呼子笛の音が『魔の森』の空気を震わせた。だが森の奥から二人が現れる気配はなく、打ち合わせにない二度目の笛が響く。 互いに確認するまでもなく、蒼羅と愛鈴は森の奥へ駆け出した。 ●退けぬ道 「相手はコッチだ、来いヨッ!」 怒鳴る飛鈴を威嚇するように、頭を振った大角鹿が蹄で土を蹴る。体躯は群れていた大角鹿より大きく、頭に二本ある筈の角は片方が欠けていた。 「あれが一本角かあ。うんうん、なかなかの益荒男じゃない♪ とか、言ってる場合じゃないよね!」 飛鈴へ向かう勢いや猛々しく、瞳を輝かせた愛鈴だが慌てて首を横に振る。 「何があった、飛鈴!?」 「あたしより朧を!」 蒼羅の呼びかけに、一本角を見据えたまま飛鈴が促す。周囲を見回せば、歪な木の陰で朧がうずくまっていた。 「大丈夫か?」 「手当ては何とか‥‥ただ、予定は狂ってしまいましたが」 「囮は上手くいかなかったのか」 「そうですね。『神楽舞「進」』を飛鈴さんへ舞った直後に、一本角がこちらへ‥‥」 『天火明命』で自らの傷は癒したものの、白を貴重とした狩衣「雪兎」は血の赤で酷く汚れている。飛鈴は動けぬ朧が安全に術を使えるよう、この場で一本角と対峙したのだろう。 「愛鈴さん。大角鹿は既に気が立っていると思いますが、語りかける機会は今しかないかと」 「うん、やってみるね」 拳を握った愛鈴はすっくと立ち上がり、行く手を塞ぐ形で一本角の前へ飛び出した。 「旦那旦那っ。私は愛鈴、お願いだから気を静めてちょうだいよっ!」 近付き過ぎないよう距離を取りながら、戦う意思はないと両手を広げて一本角に訴える。 「ここに居る人間に殺気を感じる? 貴方なら、わかるでしょっと」 人の言葉を解さないのは、承知の上。それでも人が飼う犬や猫へするように、無駄ではない筈と語りかける愛鈴だが。 人の姿を目にした時点で一本角は気が立っているのか、彼女へも真っ直ぐに突き進んだ。 「森へ帰ろうよ。傷つけたくないんだから!」 頭を下げての突進を愛鈴は一足飛びの『瞬脚』でかわし、懸命に呼びかける。 「聞いていないようだな」 「やっぱり無理カ。面倒だナァ」 蒼羅が魔刀に手をかけ、愛鈴の行動に一時は拳を引いた飛鈴も構えを取り直した。 一本角は高くいななくと敵対者へ蹄を振り上げ、地を蹴った。 「なんや、鹿の様子がおかしいで」 急に落ち着きなく頭を振り始めた大角鹿の群れに、疾也が眉をひそめる。 攻撃的な大角鹿の性質を利用し、『魔の森』とは反対の方向から近付いたり、距離を取ったりして彼らは群れを森から引き離そうとしていた。それも出来るだけ相手を刺激したくないという玖雀の希望で、武器は手にしていない。 「囮役も一本角も、現れる気配はないが‥‥」 「‥‥何かあったのか」 崎倉の呟きに玖雀も怪訝な表情をして、群れ越しに禍々しい森へ目をやった。そして動揺したように思えた大角鹿達が『魔の森』を見る姿に、急ぎ駆けて森の側へ回り込む。 「全ては我らの勝手な行いだ、理解しろとは言わぬ。だが、ここはどうか引いてくれ!」 じっと目をそらさず玖雀が訴える一方、問答無用で疾也は大角鹿に神槍「グングニル」の穂先を向けた。 「言うても無駄や。一本角の方に行くんなら、『雷鳴剣』当ててでも止めるからな」 「それでは尚更、一本角は引かぬのではないか? 強さの象徴である角を折られても‥‥きっと、仲間を守らねばならぬという思いは強いだろう」 何故に一頭のみで一本角は『魔の森』へ入り、群れがこの場から動かないのか。言葉は通じずとも、語られずとも意味を察する事は出来る‥‥ただ不器用に身体を張る術しか、玖雀には思いつかない。 「俺は血で血を洗う為の力が欲しくて、開拓者になったわけじゃねえ」 呟いて、ギリと玖雀は歯噛みをした。 「単なる足止めなら、まだ幾つか手はあるさ。それでも止まらぬようなら、実力行使に及べばいい」 様子を見ていた崎倉が、両者の主張を折衷する。だがそれを通す前に、森から鋭い鹿のいななきがした。森を窺っていた大角鹿達は耳を盛んに動かして頭を振った末、一頭がパッとその場から身を翻す。魔の森』を離れるように一頭が駆け出せば、残りの鹿達もその後に続いた。 「‥‥まさか」 例え生え変わるといえど、角を折る事自体は山で生きる奴らにとって命を奪われると同義。仲間の意思と判断は尊重するが、出来るなら角折るその場を目にしたくはない‥‥そう、思っていたが。 去っていく大角鹿達の後姿に玖雀は髪を束ねた赤い組紐を解き、強く強く握り締めた。 振るう角を『裏一重』で避けた飛鈴は、素早く角のない側に回り込み。高々と振り上げた足で残った角へ蹴りを放つ。間髪おかず、愛鈴が『旋蹴落』を蹴り出した。 角を狙って続けざまに繰り返される攻撃で、何度も一本角は頭を振り、その動きが鈍くなる。それを機会と断ち落とす意志をもって、迷いなく蒼羅が魔刀を一閃した。 硬質な手ごたえの後に、切り飛ばされた角が離れた場所に落ちる。 軽くなった頭を大角鹿は振るが、憎々しげに開拓者達を睨んだ末、さっきのそれより鋭く大きな声でいななき、地を蹴って身を翻した。 「とっても立派な角だけど‥‥ゴメンね」 「切り落とさずとも、負けを認めて退くのであれば、それに越した事は無かったのだが」 ぽつりと愛鈴が切り落とされた角へ謝り、蒼羅は魔刀を鞘へ納める。 「殺さずには済んだナァ‥‥後は、人里離れた所に行ってくれりゃいいガ」 「角を折り、追いやったとして、大角鹿としての武器を失った一本角が今後も群れを率いる事が出来るものかどうか‥‥さて、難しい、でしょうね」 ほっと肩の力を抜く飛鈴の傷を朧は癒しながら、角を失った大角鹿が消えた『魔の森』の奥へ目をやった。 |