無数の道筋、答えの一つ
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/10/08 17:30



■オープニング本文

●燕去月、七夕遊びの夜
 夜もまだじぅじぅとうめく様な蝉の声を聞きながら、寝付けぬまま弓削乙矢は庭を歩いていた。
 今日一日中、何かと賑やかだった来客達も既に床へ入り、今頃はすっかり眠っているだろう。弓削屋敷にそんな活気が戻ったのは、十何年ぶりの事だろうと思いながら、外れに建つ目立たない小屋の前で彼女は足を止めた。
 鍵をかけている訳ではないが、小屋の戸は滅多に開かない。
 あの日、引っ張ってきた兄がこの小屋の一番奥へ彼女を隠し、お陰で賊から見つからずに済んだ。
 複雑な思いで、しばし戸の前から動けず佇んでいると。
「もう、そこから出てきてもいいんじゃねぇか?」
 不意にかけられた声に、振り返る。
 月明かりの下に立っていたゼロは、眠そうに大きな欠伸をした。
「えぇと‥‥?」
「何気なく、目が覚めちまっただけだ。んで、ソコなんだろ? てめぇが命拾いをした場所は」
 ひょいとゼロは歩み寄り、ためらう事もなく戸へ手をかける。だが、ずっと開けていなかったのか。彼は建て付けの悪い戸を相手に、ガタガタと格闘を始めた。
 止めもせず、手伝う事も出来ずに乙矢が見守る前で、ようやく戸は開き。長く風を通していない部屋の、埃っぽいようなカビっぽいような匂いが外へ流れ出してくる。
 置いてあった作業道具や材料は事件の後に持ち出して既になく、中はガランとしていた。小窓はあっても月明かりは入らず、奥へ行くほど闇が濃い。
「これで壁一面に竹とか立てかけてたら、確かに見つからねぇなぁ」
 感心した風にゼロが呟き、土間を二歩ほど入ったところでしゃがむ。
「心配せずに出てこいよ。外じゃあ、心配して待ってるのもいるんだ。てめぇを呼んでる声に、もう気付いてんだろ?」
 子供へするように小屋の奥へ呼びかける背中を見下ろしながら、神楽からわざわざ訪れた者達の事を乙矢は思う。
「‥‥さて、寝直すか。てめぇも、腫れぼったい顔してると連中がまた心配するぜ。ホント、心配性が多いからよ?」
 それで気が済んだのか、再び大きな欠伸をしながらゼロはぶらぶらと客間へ引き返していった。
 長躯の後姿が去った後、再び乙矢は小屋の奥をじっと見つめる。
 ふぅと深く息を吐き、それからガタゴトと音を立てながら小屋の戸を閉めた。

 来訪者達が帰って、数日後。
 乙矢は弓作りの師である壮年の弓師、矢萩(やはぎ)の元を訪れ、手をついた。
 師にも様々な迷惑をかけた事を詫び、今後は理穴にて弓術師としての修行を再び重ねるつもりである旨を告げる。その為に『開拓者』という身分の返上も考えたが、緑茂への恩を返したいという思いも遠因にある事。開拓者の身を頼ってきた顔見知りもいた事を鑑みて、一線から退くものの籍は残す事とした。
 比較的、白か黒かで身の振り方を決める性質である彼女にしては、随分と譲歩したものだ‥‥などと思いながら、矢萩はそれを聞く。
「残りの弓二張は、どうする?」
「追いませぬ」
 かけられた問いに迷いをおかず、即座にきっぱりと乙矢は返す。
「代わりに、弓削の技を継ぐ者としての精進を重ねたいと思います。出来ますれば今一度、しばし師の下で再び修行をさせて頂く事をお許しいただければと」
「そうか。家宝を諦めるか‥‥」
「もし弓が弓削の家へ戻るべきとするのなら、いずれ何らかの縁もありましょう。それが何年何十年先か、あるいは私の代では無理かもしれませぬが‥‥いつか弓削の末の者の前に現れる事を願い、弓矢師としての腕を磨きたく存じます」
「承知した。では、今後も修行に励むが良い。時に気を抜く事も、忘れぬようにしながらな」
 柔らかな言葉つきで矢萩が言い渡し、額を床へつけんばかりに乙矢は身を伏せた。

●青女月、弓打に戻りて
「少しばかり、使いを頼まれてはくれんか」
 乙矢が矢萩の下で修業のおさらいを始めて、一月半と幾らか。
 一日の作業を終えた乙矢へ矢萩が声をかけた。
「使い、ですか」
「実は弓の弦の残りが心許なくてな。馴染みの弦師に頼んではいるのだが、少し厄介な事が起きているらしい」
「厄介な事?」
「うむ。どうやら、アヤカシの足斬草が作業小屋に入り込んだとかでな。退治しようにも小屋ごと燃す訳にもいかず、ましてや中に入って指などを切り落とされるなど論外。家人も怖がって、どうしたものかと難儀しているそうだ。そこでお前が開拓者らと赴いて、弦を受け取ってきてはくれないだろうか」
「承知致しました」
 用向きを告げると矢萩は席を立ち、師の背へ乙矢が頭を下げる。
 そして旅の仕度をするため、自身も作業場を後にした。


■参加者一覧
葛城雪那(ia0702
19歳・男・志
胡蝶(ia1199
19歳・女・陰
斎 朧(ia3446
18歳・女・巫
茉莉華(ia7988
16歳・女・巫
透歌(ib0847
10歳・女・巫
テーゼ・アーデンハイト(ib2078
21歳・男・弓


■リプレイ本文

●準備は万端に
「‥‥遅いわね」
 遠く時鐘を聞きながら、待ち合わせの場で胡蝶(ia1199)がぽそりと呟いた。
 とはいえ、まだ慌てるほど時が過ぎた訳ではない。少し気が張っているが故だろうと、こっそり胡蝶は嘆息する。
「物々しいアヤカシではない様子ですが‥‥皆さんに来ていただき、心強い限りです」
「私はたまたま、変わった特徴のアヤカシがいると聞いて参加しただけよ。それにしても、足斬草か‥‥相変わらず、何にでも化ける連中だけど」
 心なしか安堵する弓削乙矢へ胡蝶は人差し指をビシッと突きつけ、左右に振った。
「物々しい相手でなくても、油断大敵なんだから」
「はい」
 真剣な顔で乙矢は頷き返し、二人のやり取りに斎 朧(ia3446)がくすりと笑む。
「朧、さん‥‥?」
 小首を傾げた透歌(ib0847)から見ても、三人の間に流れる空気は以前と違って思えた。でも「どこが」と自問しても、分からず。
「透歌さん、何か?」
「いえ、何でもないですっ」
 尋ねる朧へ、ふるふると少女は頭を振り。
「乙矢さんが元気になれたのなら、なによりです」
 嬉しげにそう、付け加えた。
 そして、和む相手がもう一人。
「弓削さん、とも久し振りだな‥‥」
「な、何か変でした、か」
 しげしげと感慨にふける葛城雪那(ia0702)に、妙な事を言ったかと乙矢が狼狽した。
「ううん。久々の依頼だから、ちゃんとやらないとなって」
「それで‥‥葛城殿も、お元気そうで何よりです」
 雪那が首を横に振れば、合点がいった風な彼女は表情を引き締めて頭を下げる。
「ごめん、遅くなったー!」
 そこへ大きな声で詫びながら、テーゼ・アーデンハイト(ib2078)がやってきた。両手で籠を抱えている分、声を張り上げたらしい。後ろには、やはり籠を提げた茉莉華(ia7988)がぽてぽてと続く。
「‥‥よろしく、なのです」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。茉莉華さんとも、お久し振りですね」
 じーっと見上げる茉莉華へ乙矢が頭を下げれば、彼女の表情は「はわっ」と笑顔に変わり。
「‥‥はい、です」
 青い瞳をきらきらさせながら、にっこりと頷いた。
「で、コレは?」
 テーゼが抱えた籠を確かめた胡蝶は 網目越しの視線に眉根を寄せる。
「え‥‥アヤカシ退治して弦を受け取ってくる為の準備、デスヨ?」
 籠の中では二羽の雄鶏が不安げに、かくかくと首を前後へ揺らしていた。
「囮を用意するとは聞いたけど、どうして二羽もいるのよ」
「日々、弓の世話になってる者として、弦師さんが困ってるのは見過ごせねぇ。アヤカシ退治して安心して弦を作れるようになって貰わないとなっ。だから、少し多めに買い足したんだ」
 いろいろ端折ったテーゼの説明に、がくりと胡蝶が頭を垂れる。その様子を見て、胸を張っていたテーゼは急いで経緯を付け加えた。
「ほら、上手くいかなくても晩飯にすればバチもあたるめぇ。あと、食べるのを楽しみにしてる人も居るから、卵や野菜も加えて‥‥それに弦師さん一家の分も入れれば、一羽じゃ足りなそうだろ。気温も下がってくる時期だから、鍋がいいと思って!」
「鍋‥‥いいですよね。後は香草焼きも、美味しそうです」
 重々しくもほんわりと、彼の説明に茉莉華が首肯する。提げた籠から青々とした菜っ葉や香草が覗いているのは、そのせいだろう。
「命をいただいたものは、後で美味しくいただくのが御礼になりますよね」
 生きた鶏に少し申し訳なさげな透歌も、それを無駄にしまいと神妙な顔で同意した。
「ま、無事に依頼を済ませられればそれでいいわ」
 ほのかに脱力した胡蝶だが、改めて気を引き締める。新たに乙矢が道を選んだ今、以前の付喪弓の時のような失態は重ねられないという決意が彼女の内にあった。
「乙矢さん、弓作りの修業がんばってください。でももし、形見の弓のお話とか縁があるようでしたら‥‥また呼んでくださいね。少しでも、お手伝いさせてほしいですから」
 弦師の家へ案内をする乙矢の隣で、透歌が熱心に話しかけている。
「もう宝珠弓は追わない、ですか」
 朧の呟きが耳に届いたのか、ちらと胡蝶が彼女へ目をやる。
「‥‥折角決められたのですから、口を挟む事ではありませんね」
 陰陽師に視線を返し、再び朧は静かに笑んだ。
 追って欲しいと思うのは、きっと自分の個人的な望みだ。ただ、そうやって「誰かの生き方に望みを抱く」という事自体が朧自身にも意外で‥‥正直に言えば、驚いている。
「以前の私なら、きっと‥‥」
 小さな言葉を行き違う荷車のガラガラと騒がしい音がかき消し、弓矢師の先を思う意識を引き戻した。
「今は、まず仕事をこなさねばなりませんね」
 乙矢を囲む者達の様子に、雪那は少し目を伏せて思いを巡らせる。
「知らない間に、何か色々あったみたい‥‥だな」
 自分が出来る事は少ない気はするが、力になりたかった。そして以前の様に皆と遊んだり、他愛もない話をして過ごす時間を取り戻す事が出来れば‥‥。
(俺に何が出来るか分からないけど、まずは強くならんとな!)
 この顔ぶれの中でも、積極的に前へ出て戦うのは自分の役目だ。皆の盾となり、矛にならねばと。
 気合いを入れるように、ぐっと彼は腹へ力を込めて前を見据えた。

●アヤカシ草刈り
 案内された弦師の家は、幸いともいうべきか町外れに建っていた。
「アヤカシがいるために道具の類はそのままですが、出来ればあまり‥‥」
「荒らさないように、だね。注意するよ」
 心配顔の年配の相手に、作業小屋を眺めていた雪那が振り返る。
「でも床下に逃げられたり、そこで手に負えない状況になったら、床板を剥がすわよ。いいかしら」
 許可を求める胡蝶に、表情の浮かないまま弦師も首を縦に振った。
「そうなれば、致し方ありませんな‥‥アヤカシが野放しになるよりは、まだいい」
「思ったより母屋が近いから、逃げないよう注意しとかないとなぁ」
 抱えていた籠をテーゼは下ろし、二つの建物の距離を確かめる。相手が草なら移動も早くはないだろうが、木の姿をして歩くアヤカシもいるのだ。
「あの‥‥不用の桶があれば、借りていいです?」
 茉莉華の頼みに弦師は家の中へ声をかけ、恐る恐る妻が古い桶を持ってきた。
「今の間に、アヤカシの位置を調べておきますね」
「あ、はいっ。私も‥‥」
 水晶と宝石でできている杖フロストクィーンを朧が手にし、清杖「白兎」を握った透歌も『瘴索結界』を使うべく集中する。
「はわ‥‥床下、うちも潜っていいです?」
「いいわよ。アヤカシも、まさか巫女三人が出張ってくるとは思わないでしょうね」
 胡蝶も金の髪を揺らせば、心配そうだった茉莉華はきらきらと目を輝かせた。
 ただ、作業小屋の床下は狭く。小柄な少女達なら問題ないだろうが、雪那やテーゼらが潜れば窮屈さで身動きが取れなくなるだろう。
「小さな女の子を床下に潜らせるのも、忍びないからな」
「ん。刀が突き抜けないように、気をつけないと」
 気がかりっぽいテーゼに、雪那も腰の太刀「岩透」を確かめる。
「お気をつけて」
 乙矢の気遣いに、胡蝶は肩の金髪へ指を通して払った。
「心配してくれるなら、蜘蛛の巣がない事を祈っていて」
「蜘蛛‥‥苦手、でした?」
「蜘蛛の巣が嫌いなのよ」
 髪を気にする胡蝶の仕草に乙矢は納得顔をし、母屋へ入ると安全のために全ての窓と戸を閉じる。
「匂いで誘うとしても、準備は少し拓けた場がよい‥‥と、思うのです」
「そうだな。女の子にさせるのも悪いから、俺がやるか」
 茉莉華の提案に、テーゼは作業小屋と母屋から離れた場所まで鶏の籠を持っていった。
「往生しろよ、鶏」
 静かに両手を合わせてから首を落とし、桶の上で逆さに吊るす。
 三人の巫女が『瘴索結界』で感じ取った瘴気の場所は、いずれも作業小屋の床付近。
 準備が整うと、六人は小屋を囲んだ。

「弦師さんもハッキリ見てないけど、アヤカシはたぶん長い茎か蔓っぽい草に化けたんじゃないかって」
 弦師から聞いた話を手短にテーゼが説明した。弦の材料となる麻もカラムシも人の身長ほどの高さに真っ直ぐ伸びる草だが、小屋には繊維を剥ぎ、輪状に束ねられた物も置かれている。
 戸を開けて覗き込んだ雪那は、興味深げに作業場を見回した。
「弦師の作業小屋、初めてだけど‥‥面白いな」
 繊維の縮れを伸ばす道具に、切った麻やカラムシを張る飴色の竹が何本も壁際に並ぶ。張った弦を濡らしたタワシで何度もこすり、乾燥させる工程を繰り返すのだ。最後に天日で乾燥した後、弦に塗って練り込む薬練(くすね)が脇に置かれている。
「じいちゃんも弓できたけど、狩猟用で滅多に使わなかったし‥‥依頼じゃない時に来たかったな」
「雪那、朧、小屋の中は物陰が多いから気をつけて」
 覗き込む背へ胡蝶が声をかけ、それから弓「緋凰」を握るテーゼへ目を向けた。
「私達は草刈り役よ。逃がさないようにね」
「皆で気持ちよく、仕事終わりの鍋をつっつきたいもんな」
 集中して弦を鳴らした結果、『鏡弦』でもアヤカシの位置は小屋の中と出ている。『瘴索結界』と同じく一箇所のみの反応だったが、アヤカシが固まっていれば正確な数は掴めず。雪那の『心眼』でも、そこは明確には分からなかった。
「気配自体は、一つ‥‥だと思うんだけどね」
 外では透歌も髪を押さえて身体を傾げ、床下を覗き込んでいる。
「暗くてよく見えませんけども、根っことかは‥‥ない、みたいですね」
「いずれにしても、油断せずに参りましょう」
 朧が一つ、深呼吸をした。
 小屋の床下近くには落としたばかりの鶏が置かれ、あたりの空気にも鉄錆のような匂いが混じっている。
 足斬草は刃のような鋭い葉で獲物を傷つけ、その血を根から吸うという。ならば血の香に誘われて、小屋の中か床下から這い出してこないかという策だったが。
「動き、ないです‥‥」
 心なしか茉莉華がしょんもりとして、瘴気の位置を知らせる。
「自分で斬ったのじゃないと、嫌なのかな?」
「乗り込むか」
 唸ってテーゼが考え込み、意を決したように雪那は朧と視線を交わした。

 どんっと、大きく一歩を踏み込んで小屋の中へ乗り込む。
 無言の朧が視線で示したのは、床の上に転がった長いカラムシの束。
「弦師さん、御免‥‥!」
 短く詫びた雪那は脇差を抜き、ひと息で茶色い束の一つへ振り下ろす。
 瘴気の気配が感じられる草の束は、ザンッと小気味のいい音を立てて断ち切られ。
 瞬間、飛び散った茎に混じって、蔓のようなモノが伸びた。
 すぐさま身を引いた雪那だが、刃のような薄い葉が浅く皮膚を裂く。
「痛‥‥っ」
「炎に触れぬよう、気をつけて下さい!」
 朧が注意を飛ばし、草の束へ『浄炎』を放った。
 人とアヤカシのみを焼く炎は、束に紛れ込んだ足斬草の身を焦がす。
 それでも不意を打った蔓の攻撃が及ばぬよう、朧を背に庇う位置で雪那は脇差を構えた。
 蛇の様にのたうっていた足斬草だが、それもじりじりと焼ける一方。
 視界の隅で、サッと小さな影が過ぎった。
 その影へテーゼが矢継ぎ早に矢を射掛けるが、動きの取れぬ蔓のような一部を柱に残して千切れ、半分が板間の隙間から下へ潜り込む。
「床下に潜り込んだのかもしれない。気をつけて!」
 薄っぺらい気配に、外へも聞こえるよう雪那が声を張る。
「聞こえた? 二人とも」
「あ、はい。いますっ」
「聞こえ、ました‥‥そっちにっ」
 移動する瘴気の気配に、透歌と茉莉華がアヤカシの位置を示した。
 符「幻影」より姿を変えた蝶々が、淡い光を纏いながら胡蝶の思う方へ飛ぶ。
 淡い光で見えるそこには、地面ではなく床下の板へ張り付くようにして、尺取虫を思わせる動きの何かが暗がりより逃れようとしていた。
「下手に断つと、分かれて逃げるかもしれないわね‥‥私の前に出ないで、新しい術を出すわ」
 刻んだばかりのイメージを胡蝶が描けば、伸ばす手の先で式は龍の頭部へと姿を成し。
 カッと開いた口より、凍てつく息を床板に向けて吐く。
 見る間に足斬草は霜がついたように白くなり、動きが鈍ったところへ透歌が『浄炎』で残りを焼き尽くす。
「‥‥残りは?」
「大丈夫で‥‥わわっ?」
 ごんっ、と鈍い音が響く。
 息を飲んで見守る茉莉華は、自分がいる場所も忘れていたのか。
 身を起こしかけた拍子に床板で後頭部を打ち、はぅはぅと頭を抱えた。

●清めの宴を
「大丈夫です?」
「痛かったけど‥‥暗いの、楽しいかったです」
 気遣う透歌に、ほんにゃりと茉莉華が笑みを返す。ソレより何よりも。
「謡で清めを‥‥宴なのです」
 ぐっと拳を握った茉莉華は、むしろアヤカシ退治より気合が入っているかもしれない。
「自慢じゃないけど、包丁は刀よりも長く握ってきたからね」
 慣れた手つきの雪那が、包丁を振るって下ごしらえをし。
「灰汁を取るなら、任せろー!」
 おたま片手のテーゼは鶏ガラと根菜を水から炊き、出汁を取っていた。
「‥‥どうして、こうなったのでしょう」
「茉莉華さん曰くは、『職人にとって作業場は神聖な場』だからって。小屋に、再びアヤカシが来ないように祓うそうだよ」
 呆気に取られたような乙矢に、笑って雪那が説明をする。
 その為にと茉莉華は清めの塩を盛り、掃除をし、空気を入れ替えて準備を整えた。
「同じ職人さんなら、一緒に‥‥祓ってあげません?」
 そんな茉莉華の誘いで乙矢も一緒に、小屋で鍋を囲んでいる。囲みながら、小さな声で茉莉華は祓いの歌を謡った‥‥乙矢の心の闇も、少し祓えるようにと願いながら。
「みんなで一緒においしい鍋が食べられるなんて、嬉しいです」
 出来上がった鳥鍋へ、遠慮なく透歌が箸を伸ばす。
「乙矢さん、弓師を継ぐんだってな。親御さんも喜んでると思うぜ」
 鍋から具を分ける乙矢からテーゼは皿を受け取り、ふーふーと息を吹いた。
「そうだと、いいのですが」
「そうだって。自分やご先祖さんが修めた技術を、子供が継いでくれるってのは嬉しいって言うし」
 答えながら、テーゼも彼が弓を選んだ時の嬉しそうな母の顔を思い出す。その後ろで父親は寂しげに剣を抱え、肩を落としていたが。
「俺も、これから強くなりないな。力比べじゃなくて、人を護れるようになりたい」
「葛城殿なら、きっと」
 躊躇いなく首肯する乙矢に、照れ笑いをしながら雪那も鍋をつついた。
「弓術師としての修行を再会し、修行を終え、弓削の技を継ぐ先に何を求められるのか‥‥」
「ま、自分で選んだ答えなのだから、後は乙矢次第よ」
 和やかな光景に朧がふと箸を止め、ぱくりと胡蝶は水菜を口へ運ぶ。素っ気ないのは、助力を求められれば応じる心構えを既に決めている為か。
 やがて腹が落ち着けば、一番張り切っていた茉莉華は乙矢の近くで丸くなり、くぅくぅと寝息を立て始める。
「乙矢‥‥このまま一泊しても、問題ないかしら」
「はい。弦師の方には、伝えてありますから」
 仕方ないといった風に胡蝶が訊ねれば、乙矢は笑顔で応じた。