山駆ける雄
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
EX :危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/10/04 20:28



■オープニング本文

●実りの山深く
 九月も半ばから十一月の頭まで、武天の首都である此隅では『野趣祭』が開かれる。
 猪や鹿、野鳥など、秋に越えた野生の獣や鳥の肉が多く出回り、屋台が多く立つ広場からは、肉を焼く香ばしい香りが絶えないという。
 この時期には、山で狩りを行う武天の猟師達も大忙しだ。
 祭りで売るための肉を狩るのは勿論、冬に備えての備蓄も考えなければならなかった。
 雪山へ狩りに出る事もあるが、総じて獲物は少ない。もっぱら秋の間に捕らえた獣の肉を、干したり燻製にしたりと保存が利くよう加工し、それで冬をしのぐのだ。
 自身が生きる為、そして家族やひいては村を養う為、今日も猟師達は山へ入っていく。
 山村に残る女子供は無事の帰りを祈り、その背中を見送った。

「大変だ、アヤカシが出たぁぁぁー!!」
 転がるように、山から若い猟師が一人で戻ってきたのは、平凡なある夕暮れの事。
 半狂乱の声と只ならぬ様子に、村はずれで遊んでいた子供達が驚いて大人へ知らせ、女や老人達が急いで集まってきた。
「何があった。他の者達は?」
 女衆に支えられ、杖をついてやってきた長老に聞かれ、水を飲んでやっと落ち着いた猟師は首を横に振る。
「それが、よく分からんのだ。よくは分からんが、罠にかかった若鹿をしとめようとしたところ、脇から巨大な‥‥普通の鹿よりふた回りは大きい牡鹿が、突然に森の奥から襲ってきた」
「ふた回りも大きい牡鹿、とな?」
 ざわと村人達がざわめき、互いに顔を見合わせた。
 確かにそんな巨大な鹿の話は、ついぞ聞いた事なぞない。
「皆、慌てふためいて散り散りになり、俺は近くの木に登って難を逃れた。だが登り切れんだ一人が、角に跳ね上げられ‥‥それを助けた者が、近くの狭い岩穴に追い込められた。難を逃れたと思ったが、牡鹿は一向にそこから動かん。それどころか岩穴の縁を蹴り、突き崩さんばかりの猛り様だ。あれでは、中の者達は外に出れん」
「それで、どうした」
 長老が先を促せば、恐ろしげに猟師は頭を振る。
「牡鹿が岩穴に気を取られている間に、俺は何とか木を降りて、こうして山を下ってきた。岩穴は小さいから牡鹿は入ってこれんだろうが、あのままでは怪我をした者はもちろん、岩穴に閉じ込められた者達の全てが、いずれ餓えて乾いて死んじまう」
 全部を話し終えた猟師は、がくりと肩を落としてうな垂れ。
 息を飲んで話を聞く女房衆が青ざめ、子供達は母親の着物を掴んだ。
「アヤカシとなると、急ぎ開拓者を頼んだ方が良いのでは?」
「ああ‥‥だが、気になるのう」
 恐々と女衆が訊ねれば、長老は言葉を濁して唸る。
「なにが気になるのです?」
「襲ってきたのはアヤカシかもしれぬが、アヤカシではないかもしれぬ。開拓者へは伝える程でもない事かも知れぬが、この山々の奥深くには旧いケモノの類もおる故に‥‥若鹿を追うて来たのかもしれぬし、餌を求めて出たのやもしれぬ」
 ともあれ、村の猟師達が無事であるようにと。
 まだ色付かぬ初秋の山へ、畏敬の念を示すかの如く長老は頭を下げた。

「さて、どうしたものか」
 不安げな表情をした村人達が三々五々と家へ戻っていく姿に、遠巻きにしていた崎倉 禅は腕を組むように袖へ入れていた両手を出し、小さく呟いた。
 秋が近付けば、人も獣も春とは違った意味で気が騒ぐ。獣を狩る人が獣に逆襲される事もあるが、アヤカシとなればまた面倒な話だ。
「旅のお方、うかつに山へ近付かんよう。他のアヤカシなど、まだ潜んでいるかもしれませんからぁ」
「かたじけない。気をつけるとしよう」
 今日、一夜の宿を借してくれる家の女房に声を掛けられ、軽く崎倉は頭を下げた。
「も〜ふ?」
「ああ。お前にも角があったら、さぞかし立派かもしれんがなぁ」
 頭を左右に振り動かす仔もふらさまにからりと笑い、後ろに隠れた少女サラに振り返る。
「開拓者へ知らせるそうだから、ここは少しばかり様子を見るとするか」
 じーっと見上げるサラの頭を軽く撫で、サムライの男はひとまず夕暮れの道を引き上げた。


■参加者一覧
天津疾也(ia0019
20歳・男・志
梢・飛鈴(ia0034
21歳・女・泰
六条 雪巳(ia0179
20歳・男・巫
有栖川 那由多(ia0923
23歳・男・陰
春金(ia8595
18歳・女・陰
ウルグ・シュバルツ(ib5700
29歳・男・砲
匂坂 尚哉(ib5766
18歳・男・サ
スレダ(ib6629
14歳・女・魔


■リプレイ本文

●故事
「ふーむ」
 村の外れ、山への道の傍らで梢・飛鈴(ia0034)が唸った。
「件の大鹿がケモノかアヤカシなのか、どーもハッキリせんナ。話に聞く大きさなら、アヤカシの可能性の方が高いガ」
 どうしたものかと、三つ編を右へ左へ揺らす。
「ただ時間もそんなにないようやから、さっさといって救助せんとなあ」
 村を眺める天津疾也(ia0019)は、訊ねる視線を案内役の猟師へ向けた。
「あんたは何か、聞いてへんか?
「さぁ‥‥ここしばらく、お山にアヤカシやケモノが出たって話はとんと聞かないからな。ただ、アヤカシみたいにおっかなかったのは確かだが」
 一人、逃げ帰ってきた猟師は仲間の安否が気がかりなのか。山の案内を求めた開拓者達に、率先して案内役を買って出ていた。
「無理を頼んで、すまないな。岩穴の場所を教えてくれるだけでも良かったんだが」
 軽く頭を下げるウルグ・シュバルツ(ib5700)に、慌てて若い猟師が首を横に振る。
「礼を言うのはこちらで。でも危なくなったら、その‥‥」
「無事に帰れたのだから、無理をして怪我などする事もない。相手がアヤカシなら却って危険だし、途中でも案内は有難い」
 不安げな相手に、重ねてウルグは礼を告げた。
「あと、心配なのは村人の傷と疲労じゃな。間に合うと良いが‥‥」
 何度も春金(ia8595)は手持ちの包帯や水を確かめ、時を気にする。
 案内役の猟師と共に、四人は山の入り口で仲間を待っていた。
 村に来た際に、「深く古い山にはケモノの類もいるらしい」との話を小耳に挟み。猟師を襲った牡鹿がそれではないか、念のため長老へ聞きに行った。
 だが大勢で押しかけても騒がしく、半分が残って山へ入る準備を進めていた。

「あれ、崎倉先生? サラちゃんも‥‥」
 見覚えのある長躯に、気付いた有栖川 那由多(ia0923)が足を止めた。
 那由多と共に開拓者長屋の『ご近所』である六条 雪巳(ia0179)もまた、馴染みの顔に会釈をする。
「お久しぶりです。この村に立ち寄られていたんですか」
「ああ、元気そうだな。コッチの空気はすっかり慣れたか?」
 次いで声をかけられたスレダ(ib6629)が、少しだけ意外そうな顔をした。
「その辺り、積もる話は後回しですね」
「大鹿退治か。お前さん達が来てくれたなら百人力、心強い限りだ」
 気さくに笑った崎倉 禅の後ろには、相変わらず少女と藍色の仔もふらさまがくっ付いている。
「あのサムライの人、知り合いか」
 取り残された匂坂 尚哉(ib5766)がこそりと聞き、スレダが頷き返した。
「以前の依頼で、縁があったです」
「那由多さんと私は、同じ長屋ですし」
「だったら、ちょうどいいか。よければ、手ぇ貸して欲しいんだけど」
「ふむ。怪我人を運ぶ人足役か?」
 顔ぶれに冗談めかした崎倉だが、すぐ四人を促す。
「何か、話を聞きに行く途上のようだしな。手伝いの件は後で聞こう」
「すみません。早く、向かわなくちゃならないけど‥‥訊いておかなきゃならない事があるので」
 ぺこりと那由多が頭を下げ、いったん崎倉と別れて長老の家へ急いだ。

「確かに山々の奥深くに旧いケモノがおるという話は、昔っから伝わっておる」
 囲炉裏端に座した長老は、訪れた者達の問いに深く頷いた。
「じゃあ、以前にもこういった事はあったんですね?」
 那由多が身を乗り出すように聞くと、老人は「いや」と白い髭に手をやる。
「人前へは滅多に出んらしい。それ故、実在するかどうかも定かでなく、儂ら猟師の間の伝え事のようなものでのう」
「つまり、今回みたいな事は始めてって訳だ」
 噛み砕いた尚哉の言葉に、スレダは青い瞳をくるりと動かした。
「もし牡鹿がケモノだった時は、どう対処すればいいですか。殺してしまうのか、それとも山の奥へ追い返すだけで良いのかですが」
「出来れば、穏便にお戻り願いたいが。あんたらや若い衆の身が危ういなら、退治も致し方あるまい」
「人は山の奥に踏み込まず、ケモノは人里に出ず‥‥ですか」
 ぽつと雪巳が呟き、膝に置いた拳を那由多は握り込む。
「でも自然は、時に牙を剥く事もあるから。山の恵みをもらって生活している人達だからこそ、この山で育まれる命のこと大事にしてるだろうし」
 土地の習わしとしての『境界線』が、暗黙にあったのだろう。だが猟師が不注意で越えた様子はなく、牡鹿の方が突然に現われた感が強い。
 故に、アヤカシだという見方も先に立つが。
「実際に見ないと、判断がつかねーですね」
 スレダの視線に尚哉も首肯する。
「百聞は一見に如かずって奴か」
 老人に礼を告げて外に出れば、崎倉が待っていた。少し離れた道端に、仔もふらさまを抱いたサラが中年女といる。
「宿を借りた家の者に世話を頼んできた」
「そっか。ごめんな、すぐ戻ってこれる様にするから」
 謝った尚哉は取り出したチョコレートを差し出すが、ぎゅっと少女は身を硬くした。
「すまん。どうにも、初対面が苦手でな」
「サラちゃん、少し崎倉さんをお借りしますけれど‥‥いい子で待っていて下さいね?」
 しゃがんで声をかけた雪巳が立ち上がり、那由多も小さく手を振ってやる。それでもニコリとせぬ辺り、さすがに尚哉も気性を察する。
「精霊が宿る所にはヌシとなるケモノもいるですからね。敬意を払わねーとです。アヤカシがそういった場所を荒らしているなら、容赦はしねーですが」
「怪我人がいるとあっては、のんびりしていられませんしね」
 スレダに雪巳も同意し、一行は待つ仲間の元へ急いだ。

●雄角鋼蹄の主
「瘴気とか‥‥ねぇ、よな」
 見て分かるものではないが、時おり那由多は飛ばした式‥‥ハチドリの目を借りつつ、じーっと先を窺う。
「大鹿が現われたのは、この道を登った先だ」
 山道の途中までくると、案内役の猟師が足を止めた。
「助かったよ。そういや、登った木って何か特徴とかあったのかな? ご神木とかさ」
 ついでと尚哉が確認すると、猟師は勢いよく頭を振った。
「滅相もない。そんな事をしたら、それこそバチが当たっちまう」
「確かに。そういうのがありそうな雰囲気でもないか」
 ウルグはぐるりと首を巡らせ、何の変哲もない森の空気を確かめる。
「じゃあ片付くまで、そこで待ってる事だナ。普通の獣なら、身も守れるダロ?」
 猟師へ言い含めた飛鈴がぱきりと指を鳴らし、首を回す。
「確かめるのは、頼んだで」
 雪巳とスレダへ、疾也はひらひらと手を振った。
「相手がケモノかアヤカシの何れにせよ、まずは『咆哮』で相手の気を引く。俺のだけじゃ釣れないかもしんねぇから、崎倉にも使ってもらいてぇ」
「承知した」
 尚哉から段取りを聞く崎倉を、春金はしげしげと眺め。
「しかし、禅さんは良く騒動に巻き込まれるのぉ。サラちゃんも居るんじゃ、あまり無理せんようにの」
 とはいえ、開拓者だと明かさないのは、そういう事を考えておるんじゃろう‥‥とは、彼女自身も思うが。
「余計な心配だったかもしれんがの」
「いや、気遣いには感謝する。後でサラと遊んでやってくれ。きっと喜ぶからな」
 やがて周囲の木々もまばらとなって、一行は件の場所へ出た。

 ガツン、ガツンッと、ツルハシで岩を穿つような音が木々を震わせる。
 剥き出しになった岩場には、一頭の茶色い大鹿がいた。執拗に蹄を打ち付けた岩は欠けて亀裂が入り、岩の間に出来た穴――入る事の出来ぬ中の空洞では、複数の気配が息を潜めている。
 ふつふつと荒い息を吐き、隠れている岩を砕こうとガリガリ蹄で岩を引っかいた。
 彼の様子を窺うかの如く、二羽の小鳥が岩穴の近くを飛び回り。
「仕掛けるですよ、『ホーリーアロー』!」
 猟師達が放つ矢とは全く違う矢が、その身体を真っ直ぐに射抜いた。
 だが痛みどころか、血が流れる事もなく。
 それでも邪魔をする存在かと牡鹿は頭の角を振り立て、矢が放たれた方向へ振り返る。
 術を放ったスレダの傍らでは、ロングマスケットの狙いをつけながらウルグが銀の瞳を凝らし。
「ダメージは‥‥受けていないようだな」
「来るゾっ」
 飛鈴が警告と同時に、強靭な後ろ足で牡鹿が地を蹴った。
「手出しさせるかぁっ!」
 別方向から尚哉が『咆哮』をしかけ、腰の二刀「乞食清光」と「丁々発止」をぞろりと抜いた。
『咆哮』につられたか、陽光に閃く刀身が目に入ったか。木々の間でも難なく頭を振るった牡鹿が、突っ込む先を変える。
 胸に三角縁神獣鏡を抱いたスレダは詰めていた息を細く吐き、『瘴索結界』を使う雪巳を青い視線だけで見上げた。
「どうですかね」
「今のところ、近くに瘴気は感じられませんね‥‥大鹿の辺りからも」
 北斗七星の杖を手に雪巳が長い銀髪を揺らし、機会を見守っていた那由多や春金らも彼の所作を確認する。
「どうやら、アヤカシじゃない‥‥か。中の人達は、まだ無事みたいだな」
「そのようじゃ‥‥では、追い払うかの。岩穴の猟師さん達は任せたのじゃよ」
「そっちも気をつけて」
 中の様子を確認した陰陽師二人は、互いに頷き合い。陰陽符「乱れ桜」を手にした春金はその場に残り、那由多はウルグと視線を交わした。
「何故、人を襲ったのですか?」
 ケモノならばと試みに雪巳が呼びかけてみるが、牡鹿に応じる気配はない。
「我々、人も食べねば生きていけません。日々の糧を得る最低限の狩りは、どうかお許し願いたく!」
「あれは、言葉とか通じてへんで」
 疾也はなおも声を張る雪巳に、頭を振る。
 その間に岩穴の近くへ戻った牡鹿へ、再び尚哉が『咆哮』した。

●鹿威し
「ハァ‥‥ッ!」
 睨み据えて『剣気』を叩きつけるが、迫る相手に怯む様子はなく。
 見た目より軽やかな突進を、尚哉は横っ飛びでかわした。
「どっちを見ている!」
 猟師達を助けようとする者の動きに、崎倉も『咆哮』で更に注意を岩穴から引き離す。
「アヤカシでないなら、腕の立つのに任せたぞ」
「軽く言ってくれるナ」
「じゃあ、後は若い連中で」
 返す飛鈴へ崎倉が冗談を飛ばし、殲刀「秋水清光」を手に疾也が苦笑った。
「それもどうかと思うけどな」
「ま、殺しはせんテ。ケモノなら。ただ‥‥生かしておくにしても、角をへし折る位の事は覚悟して置いて欲しいとこだガ」
 呼びかける飛鈴の言葉も解せぬのか、角を振り立てた牡鹿は真っ直ぐ突っ込んでくる。
 木を間へ挟むように崎倉は立ち位置を変え、土を踏み込んだ牡鹿が回り込み。
 影から、突如として巨大な龍がケモノの鼻先へ現われた。
 弾き飛ばすように振るわれた角は、『大龍符』の幻影を突き抜ける。
「むぅ、あまり驚かんのう」
「ケモノなら、匂いとかで判るかもしれねぇぜ。後は、式の瘴気に攻撃したとか?」
 悔しげに唸る春金へ、牡鹿との距離をはかる尚哉が思いついた限りを口にした。
「なるほど。それもそうかもしれんのじゃ」
 相手がケモノならばこそ、目先のまやかしに惑わされない可能性もある。それにケモノも喰らうアヤカシは、彼らにとっても『敵』だ。身を守って逃げる事も多いが、勝てる相手なら倒そうとする事もあるだろう。
「ならば、足止めに回るのじゃよ」
 次の符を手にしながら、ちらと春金は岩穴を確かめれば。砕かれてヒビの入った岩と岩の間の狭い穴に、急いで駆け寄る四人の後姿が見えた。
 意識を凝らせば、飛ばしておいた『人魂』の式を通じて中にいる者の姿も確認できようが。
 今は春金も、尚哉や崎倉を追って跳ねる牡鹿に集中する。

「大丈夫ですか!」
 暗い穴の奥へ声をかけた那由多の耳に、低いうめき声が聞こえた。
「何とか、大丈夫だ!」
「しっかりしろ、助けが来たぞっ」
 応じる声や励ます声に那由多は振り返り、ウルグが頷く。
「間に合ったようだな」
「とりあえず、私が中に入るです」
 大人の男一人が通れる程度の岩を、一番小柄なスレダが難なく通り抜けた。
 少し入った空間はやや広く、窮屈そうに猟師達が詰まっている。暗がりに目が慣れると、横になった一人が脂汗をかいていた。
「動けるですか?」
「激しくは無理だ。大鹿は?」
 スレダが具合を訊ねれば、逆に猟師が聞き返す。
「仲間が今、引き付けてるです。相手はケモノらしいので、山奥へ返せればと」
「そうか」
「ほら、おっかぁの元へ帰れるぞ!」
 励ます様子にスレダが外を見れば、覗き込んでいた那由多も頷いた。
「二人も入ったら一杯っぽいから、外から手伝うよ」
「ひとまず、先に‥‥」
 集中する雪巳の身体が淡く光をまとい、『閃癒』を施された猟師の間に安堵の空気が流れる。
「後は、お願いします」
 二人に託した雪巳は、牡鹿と戦う者の元へ急ぎ。
「傷の深い人も、引きずり出すしかないですね」
「そうだな。細心の注意を払おう」
 這うようにして、狭まった穴から出てくる猟師を那由多が助け、ウルグも肩を貸した。

 振り回す角が、ギリギリまで避けずにいた疾也の身を浅く裂く。
「ちっ。人間に警戒させる程の怪我いうても、あんま深い傷は負わされへんし‥‥難しいなぁ」
「角を折るしかあるマイ。迷い込んだのが運のツキって奴かもナ」
「春金が多少は動きを鈍らせてくれるが、いけるのか?」
 怪訝そうに、尚哉が眉根を寄せる。相手がケモノなら傷つけたくないという思いは、彼もまた同じだった。
「一気に仕掛けるか」
 仕掛ける者達は、視線をかわし。
 再び崎倉が囮になる間に、飛鈴が足を狙って空気撃を打ち込んだ。
 つんのめるように前足を折り、どぅと体を崩す牡鹿へ秋水清光が閃く。
 しかし『秋水』の技の一刀でも、即座に角は折れず。
「気は進まないが‥‥これで、引いてくれ!」
 一刀と同じ位置を尚哉が狙い、技を使わず二刀を繰り出した。
 ガッキと鈍い手応えが、柄へ伝わり。
「セヤァッ!」
 気合いと共に、真っ赤な炎に包まれた腕を飛鈴が叩き込んだ。
 角に拳を打ち据えた瞬間、『天呼鳳凰拳』の炎が広がり、鋭い鳴き声が木立に響き渡る。
 助け出された猟師達が何事かと見守る前で、幻の炎は散り去り。
 よろと立ち上がった牡鹿の角の片方が、ごとりと地に落ちた。
 それでも残った角を威嚇するように振りながら、じわじわと牡鹿は後退し。
 前足を僅かに引き摺りながら、ぽんと身を翻して山の奥へ姿を消す。
 その姿を見届けて、一同はほっと胸を撫で下ろした。

「本当に何処も緑が深いですね。この山が精霊を宿し、多くの生命を育み、また豊饒の大地となる事を祈るですよ」
 牡鹿が消えた方角へスレダは瞑目し、疲弊した猟師へ尚哉が背中を貸す。
「皆が無事で、村の連中も喜ぶぜ」
「ええ。助かりました、ありがとう」
「今から山を降りれば日も暮れる事だし、遠慮なく村で休んでいってもらえるだろうか」
 共に猟師へ肩を貸した那由多とウルグも、彼らの申し出に頷き。
「有難いです」
「他に出来る事があれば手伝おう。心配なら、狩りの護衛をするのもいい‥‥野趣祭が近いんだろ?」
「ところで。この角は、村へ持って帰るんか?」
 目ざとく見事な角を拾い上げた疾也が、誰へともなく訊ねた。