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■オープニング本文 ●実りの山深く 九月も半ばから十一月の頭まで、武天の首都である此隅では『野趣祭』が開かれる。 猪や鹿、野鳥など、秋に越えた野生の獣や鳥の肉が多く出回り、屋台が多く立つ広場からは、肉を焼く香ばしい香りが絶えないという。 この時期には、山で狩りを行う武天の猟師達も大忙しだ。 祭りで売るための肉を狩るのは勿論、冬に備えての備蓄も考えなければならなかった。 雪山へ狩りに出る事もあるが、総じて獲物は少ない。もっぱら秋の間に捕らえた獣の肉を、干したり燻製にしたりと保存が利くよう加工し、それで冬をしのぐのだ。 自身が生きる為、そして家族やひいては村を養う為、今日も猟師達は山へ入っていく。 山村に残る女子供は無事の帰りを祈り、その背中を見送った。 「大変だ、アヤカシが出たぁぁぁー!!」 転がるように、山から若い猟師が一人で戻ってきたのは、平凡なある夕暮れの事。 半狂乱の声と只ならぬ様子に、村はずれで遊んでいた子供達が驚いて大人へ知らせ、女や老人達が急いで集まってきた。 「何があった。他の者達は?」 女衆に支えられ、杖をついてやってきた長老に聞かれ、水を飲んでやっと落ち着いた猟師は首を横に振る。 「それが、よく分からんのだ。よくは分からんが、罠にかかった若鹿をしとめようとしたところ、脇から巨大な‥‥普通の鹿よりふた回りは大きい牡鹿が、突然に森の奥から襲ってきた」 「ふた回りも大きい牡鹿、とな?」 ざわと村人達がざわめき、互いに顔を見合わせた。 確かにそんな巨大な鹿の話は、ついぞ聞いた事なぞない。 「皆、慌てふためいて散り散りになり、俺は近くの木に登って難を逃れた。だが登り切れんだ一人が、角に跳ね上げられ‥‥それを助けた者が、近くの狭い岩穴に追い込められた。難を逃れたと思ったが、牡鹿は一向にそこから動かん。それどころか岩穴の縁を蹴り、突き崩さんばかりの猛り様だ。あれでは、中の者達は外に出れん」 「それで、どうした」 長老が先を促せば、恐ろしげに猟師は頭を振る。 「牡鹿が岩穴に気を取られている間に、俺は何とか木を降りて、こうして山を下ってきた。岩穴は小さいから牡鹿は入ってこれんだろうが、あのままでは怪我をした者はもちろん、岩穴に閉じ込められた者達の全てが、いずれ餓えて乾いて死んじまう」 全部を話し終えた猟師は、がくりと肩を落としてうな垂れ。 息を飲んで話を聞く女房衆が青ざめ、子供達は母親の着物を掴んだ。 「アヤカシとなると、急ぎ開拓者を頼んだ方が良いのでは?」 「ああ‥‥だが、気になるのう」 恐々と女衆が訊ねれば、長老は言葉を濁して唸る。 「なにが気になるのです?」 「襲ってきたのはアヤカシかもしれぬが、アヤカシではないかもしれぬ。開拓者へは伝える程でもない事かも知れぬが、この山々の奥深くには旧いケモノの類もおる故に‥‥若鹿を追うて来たのかもしれぬし、餌を求めて出たのやもしれぬ」 ともあれ、村の猟師達が無事であるようにと。 まだ色付かぬ初秋の山へ、畏敬の念を示すかの如く長老は頭を下げた。 「さて、どうしたものか」 不安げな表情をした村人達が三々五々と家へ戻っていく姿に、遠巻きにしていた崎倉 禅は腕を組むように袖へ入れていた両手を出し、小さく呟いた。 秋が近付けば、人も獣も春とは違った意味で気が騒ぐ。獣を狩る人が獣に逆襲される事もあるが、アヤカシとなればまた面倒な話だ。 「旅のお方、うかつに山へ近付かんよう。他のアヤカシなど、まだ潜んでいるかもしれませんからぁ」 「かたじけない。気をつけるとしよう」 今日、一夜の宿を借してくれる家の女房に声を掛けられ、軽く崎倉は頭を下げた。 「も〜ふ?」 「ああ。お前にも角があったら、さぞかし立派かもしれんがなぁ」 頭を左右に振り動かす仔もふらさまにからりと笑い、後ろに隠れた少女サラに振り返る。 「開拓者へ知らせるそうだから、ここは少しばかり様子を見るとするか」 じーっと見上げるサラの頭を軽く撫で、サムライの男はひとまず夕暮れの道を引き上げた。 |
■参加者一覧
天津疾也(ia0019)
20歳・男・志
梢・飛鈴(ia0034)
21歳・女・泰
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
有栖川 那由多(ia0923)
23歳・男・陰
春金(ia8595)
18歳・女・陰
ウルグ・シュバルツ(ib5700)
29歳・男・砲
匂坂 尚哉(ib5766)
18歳・男・サ
スレダ(ib6629)
14歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ●故事 「ふーむ」 村の外れ、山への道の傍らで梢・飛鈴(ia0034)が唸った。 「件の大鹿がケモノかアヤカシなのか、どーもハッキリせんナ。話に聞く大きさなら、アヤカシの可能性の方が高いガ」 どうしたものかと、三つ編を右へ左へ揺らす。 「ただ時間もそんなにないようやから、さっさといって救助せんとなあ」 村を眺める天津疾也(ia0019)は、訊ねる視線を案内役の猟師へ向けた。 「あんたは何か、聞いてへんか? 「さぁ‥‥ここしばらく、お山にアヤカシやケモノが出たって話はとんと聞かないからな。ただ、アヤカシみたいにおっかなかったのは確かだが」 一人、逃げ帰ってきた猟師は仲間の安否が気がかりなのか。山の案内を求めた開拓者達に、率先して案内役を買って出ていた。 「無理を頼んで、すまないな。岩穴の場所を教えてくれるだけでも良かったんだが」 軽く頭を下げるウルグ・シュバルツ(ib5700)に、慌てて若い猟師が首を横に振る。 「礼を言うのはこちらで。でも危なくなったら、その‥‥」 「無事に帰れたのだから、無理をして怪我などする事もない。相手がアヤカシなら却って危険だし、途中でも案内は有難い」 不安げな相手に、重ねてウルグは礼を告げた。 「あと、心配なのは村人の傷と疲労じゃな。間に合うと良いが‥‥」 何度も春金(ia8595)は手持ちの包帯や水を確かめ、時を気にする。 案内役の猟師と共に、四人は山の入り口で仲間を待っていた。 村に来た際に、「深く古い山にはケモノの類もいるらしい」との話を小耳に挟み。猟師を襲った牡鹿がそれではないか、念のため長老へ聞きに行った。 だが大勢で押しかけても騒がしく、半分が残って山へ入る準備を進めていた。 「あれ、崎倉先生? サラちゃんも‥‥」 見覚えのある長躯に、気付いた有栖川 那由多(ia0923)が足を止めた。 那由多と共に開拓者長屋の『ご近所』である六条 雪巳(ia0179)もまた、馴染みの顔に会釈をする。 「お久しぶりです。この村に立ち寄られていたんですか」 「ああ、元気そうだな。コッチの空気はすっかり慣れたか?」 次いで声をかけられたスレダ(ib6629)が、少しだけ意外そうな顔をした。 「その辺り、積もる話は後回しですね」 「大鹿退治か。お前さん達が来てくれたなら百人力、心強い限りだ」 気さくに笑った崎倉 禅の後ろには、相変わらず少女と藍色の仔もふらさまがくっ付いている。 「あのサムライの人、知り合いか」 取り残された匂坂 尚哉(ib5766)がこそりと聞き、スレダが頷き返した。 「以前の依頼で、縁があったです」 「那由多さんと私は、同じ長屋ですし」 「だったら、ちょうどいいか。よければ、手ぇ貸して欲しいんだけど」 「ふむ。怪我人を運ぶ人足役か?」 顔ぶれに冗談めかした崎倉だが、すぐ四人を促す。 「何か、話を聞きに行く途上のようだしな。手伝いの件は後で聞こう」 「すみません。早く、向かわなくちゃならないけど‥‥訊いておかなきゃならない事があるので」 ぺこりと那由多が頭を下げ、いったん崎倉と別れて長老の家へ急いだ。 「確かに山々の奥深くに旧いケモノがおるという話は、昔っから伝わっておる」 囲炉裏端に座した長老は、訪れた者達の問いに深く頷いた。 「じゃあ、以前にもこういった事はあったんですね?」 那由多が身を乗り出すように聞くと、老人は「いや」と白い髭に手をやる。 「人前へは滅多に出んらしい。それ故、実在するかどうかも定かでなく、儂ら猟師の間の伝え事のようなものでのう」 「つまり、今回みたいな事は始めてって訳だ」 噛み砕いた尚哉の言葉に、スレダは青い瞳をくるりと動かした。 「もし牡鹿がケモノだった時は、どう対処すればいいですか。殺してしまうのか、それとも山の奥へ追い返すだけで良いのかですが」 「出来れば、穏便にお戻り願いたいが。あんたらや若い衆の身が危ういなら、退治も致し方あるまい」 「人は山の奥に踏み込まず、ケモノは人里に出ず‥‥ですか」 ぽつと雪巳が呟き、膝に置いた拳を那由多は握り込む。 「でも自然は、時に牙を剥く事もあるから。山の恵みをもらって生活している人達だからこそ、この山で育まれる命のこと大事にしてるだろうし」 土地の習わしとしての『境界線』が、暗黙にあったのだろう。だが猟師が不注意で越えた様子はなく、牡鹿の方が突然に現われた感が強い。 故に、アヤカシだという見方も先に立つが。 「実際に見ないと、判断がつかねーですね」 スレダの視線に尚哉も首肯する。 「百聞は一見に如かずって奴か」 老人に礼を告げて外に出れば、崎倉が待っていた。少し離れた道端に、仔もふらさまを抱いたサラが中年女といる。 「宿を借りた家の者に世話を頼んできた」 「そっか。ごめんな、すぐ戻ってこれる様にするから」 謝った尚哉は取り出したチョコレートを差し出すが、ぎゅっと少女は身を硬くした。 「すまん。どうにも、初対面が苦手でな」 「サラちゃん、少し崎倉さんをお借りしますけれど‥‥いい子で待っていて下さいね?」 しゃがんで声をかけた雪巳が立ち上がり、那由多も小さく手を振ってやる。それでもニコリとせぬ辺り、さすがに尚哉も気性を察する。 「精霊が宿る所にはヌシとなるケモノもいるですからね。敬意を払わねーとです。アヤカシがそういった場所を荒らしているなら、容赦はしねーですが」 「怪我人がいるとあっては、のんびりしていられませんしね」 スレダに雪巳も同意し、一行は待つ仲間の元へ急いだ。 ●雄角鋼蹄の主 「瘴気とか‥‥ねぇ、よな」 見て分かるものではないが、時おり那由多は飛ばした式‥‥ハチドリの目を借りつつ、じーっと先を窺う。 「大鹿が現われたのは、この道を登った先だ」 山道の途中までくると、案内役の猟師が足を止めた。 「助かったよ。そういや、登った木って何か特徴とかあったのかな? ご神木とかさ」 ついでと尚哉が確認すると、猟師は勢いよく頭を振った。 「滅相もない。そんな事をしたら、それこそバチが当たっちまう」 「確かに。そういうのがありそうな雰囲気でもないか」 ウルグはぐるりと首を巡らせ、何の変哲もない森の空気を確かめる。 「じゃあ片付くまで、そこで待ってる事だナ。普通の獣なら、身も守れるダロ?」 猟師へ言い含めた飛鈴がぱきりと指を鳴らし、首を回す。 「確かめるのは、頼んだで」 雪巳とスレダへ、疾也はひらひらと手を振った。 「相手がケモノかアヤカシの何れにせよ、まずは『咆哮』で相手の気を引く。俺のだけじゃ釣れないかもしんねぇから、崎倉にも使ってもらいてぇ」 「承知した」 尚哉から段取りを聞く崎倉を、春金はしげしげと眺め。 「しかし、禅さんは良く騒動に巻き込まれるのぉ。サラちゃんも居るんじゃ、あまり無理せんようにの」 とはいえ、開拓者だと明かさないのは、そういう事を考えておるんじゃろう‥‥とは、彼女自身も思うが。 「余計な心配だったかもしれんがの」 「いや、気遣いには感謝する。後でサラと遊んでやってくれ。きっと喜ぶからな」 やがて周囲の木々もまばらとなって、一行は件の場所へ出た。 ガツン、ガツンッと、ツルハシで岩を穿つような音が木々を震わせる。 剥き出しになった岩場には、一頭の茶色い大鹿がいた。執拗に蹄を打ち付けた岩は欠けて亀裂が入り、岩の間に出来た穴――入る事の出来ぬ中の空洞では、複数の気配が息を潜めている。 ふつふつと荒い息を吐き、隠れている岩を砕こうとガリガリ蹄で岩を引っかいた。 彼の様子を窺うかの如く、二羽の小鳥が岩穴の近くを飛び回り。 「仕掛けるですよ、『ホーリーアロー』!」 猟師達が放つ矢とは全く違う矢が、その身体を真っ直ぐに射抜いた。 だが痛みどころか、血が流れる事もなく。 それでも邪魔をする存在かと牡鹿は頭の角を振り立て、矢が放たれた方向へ振り返る。 術を放ったスレダの傍らでは、ロングマスケットの狙いをつけながらウルグが銀の瞳を凝らし。 「ダメージは‥‥受けていないようだな」 「来るゾっ」 飛鈴が警告と同時に、強靭な後ろ足で牡鹿が地を蹴った。 「手出しさせるかぁっ!」 別方向から尚哉が『咆哮』をしかけ、腰の二刀「乞食清光」と「丁々発止」をぞろりと抜いた。 『咆哮』につられたか、陽光に閃く刀身が目に入ったか。木々の間でも難なく頭を振るった牡鹿が、突っ込む先を変える。 胸に三角縁神獣鏡を抱いたスレダは詰めていた息を細く吐き、『瘴索結界』を使う雪巳を青い視線だけで見上げた。 「どうですかね」 「今のところ、近くに瘴気は感じられませんね‥‥大鹿の辺りからも」 北斗七星の杖を手に雪巳が長い銀髪を揺らし、機会を見守っていた那由多や春金らも彼の所作を確認する。 「どうやら、アヤカシじゃない‥‥か。中の人達は、まだ無事みたいだな」 「そのようじゃ‥‥では、追い払うかの。岩穴の猟師さん達は任せたのじゃよ」 「そっちも気をつけて」 中の様子を確認した陰陽師二人は、互いに頷き合い。陰陽符「乱れ桜」を手にした春金はその場に残り、那由多はウルグと視線を交わした。 「何故、人を襲ったのですか?」 ケモノならばと試みに雪巳が呼びかけてみるが、牡鹿に応じる気配はない。 「我々、人も食べねば生きていけません。日々の糧を得る最低限の狩りは、どうかお許し願いたく!」 「あれは、言葉とか通じてへんで」 疾也はなおも声を張る雪巳に、頭を振る。 その間に岩穴の近くへ戻った牡鹿へ、再び尚哉が『咆哮』した。 ●鹿威し 「ハァ‥‥ッ!」 睨み据えて『剣気』を叩きつけるが、迫る相手に怯む様子はなく。 見た目より軽やかな突進を、尚哉は横っ飛びでかわした。 「どっちを見ている!」 猟師達を助けようとする者の動きに、崎倉も『咆哮』で更に注意を岩穴から引き離す。 「アヤカシでないなら、腕の立つのに任せたぞ」 「軽く言ってくれるナ」 「じゃあ、後は若い連中で」 返す飛鈴へ崎倉が冗談を飛ばし、殲刀「秋水清光」を手に疾也が苦笑った。 「それもどうかと思うけどな」 「ま、殺しはせんテ。ケモノなら。ただ‥‥生かしておくにしても、角をへし折る位の事は覚悟して置いて欲しいとこだガ」 呼びかける飛鈴の言葉も解せぬのか、角を振り立てた牡鹿は真っ直ぐ突っ込んでくる。 木を間へ挟むように崎倉は立ち位置を変え、土を踏み込んだ牡鹿が回り込み。 影から、突如として巨大な龍がケモノの鼻先へ現われた。 弾き飛ばすように振るわれた角は、『大龍符』の幻影を突き抜ける。 「むぅ、あまり驚かんのう」 「ケモノなら、匂いとかで判るかもしれねぇぜ。後は、式の瘴気に攻撃したとか?」 悔しげに唸る春金へ、牡鹿との距離をはかる尚哉が思いついた限りを口にした。 「なるほど。それもそうかもしれんのじゃ」 相手がケモノならばこそ、目先のまやかしに惑わされない可能性もある。それにケモノも喰らうアヤカシは、彼らにとっても『敵』だ。身を守って逃げる事も多いが、勝てる相手なら倒そうとする事もあるだろう。 「ならば、足止めに回るのじゃよ」 次の符を手にしながら、ちらと春金は岩穴を確かめれば。砕かれてヒビの入った岩と岩の間の狭い穴に、急いで駆け寄る四人の後姿が見えた。 意識を凝らせば、飛ばしておいた『人魂』の式を通じて中にいる者の姿も確認できようが。 今は春金も、尚哉や崎倉を追って跳ねる牡鹿に集中する。 「大丈夫ですか!」 暗い穴の奥へ声をかけた那由多の耳に、低いうめき声が聞こえた。 「何とか、大丈夫だ!」 「しっかりしろ、助けが来たぞっ」 応じる声や励ます声に那由多は振り返り、ウルグが頷く。 「間に合ったようだな」 「とりあえず、私が中に入るです」 大人の男一人が通れる程度の岩を、一番小柄なスレダが難なく通り抜けた。 少し入った空間はやや広く、窮屈そうに猟師達が詰まっている。暗がりに目が慣れると、横になった一人が脂汗をかいていた。 「動けるですか?」 「激しくは無理だ。大鹿は?」 スレダが具合を訊ねれば、逆に猟師が聞き返す。 「仲間が今、引き付けてるです。相手はケモノらしいので、山奥へ返せればと」 「そうか」 「ほら、おっかぁの元へ帰れるぞ!」 励ます様子にスレダが外を見れば、覗き込んでいた那由多も頷いた。 「二人も入ったら一杯っぽいから、外から手伝うよ」 「ひとまず、先に‥‥」 集中する雪巳の身体が淡く光をまとい、『閃癒』を施された猟師の間に安堵の空気が流れる。 「後は、お願いします」 二人に託した雪巳は、牡鹿と戦う者の元へ急ぎ。 「傷の深い人も、引きずり出すしかないですね」 「そうだな。細心の注意を払おう」 這うようにして、狭まった穴から出てくる猟師を那由多が助け、ウルグも肩を貸した。 振り回す角が、ギリギリまで避けずにいた疾也の身を浅く裂く。 「ちっ。人間に警戒させる程の怪我いうても、あんま深い傷は負わされへんし‥‥難しいなぁ」 「角を折るしかあるマイ。迷い込んだのが運のツキって奴かもナ」 「春金が多少は動きを鈍らせてくれるが、いけるのか?」 怪訝そうに、尚哉が眉根を寄せる。相手がケモノなら傷つけたくないという思いは、彼もまた同じだった。 「一気に仕掛けるか」 仕掛ける者達は、視線をかわし。 再び崎倉が囮になる間に、飛鈴が足を狙って空気撃を打ち込んだ。 つんのめるように前足を折り、どぅと体を崩す牡鹿へ秋水清光が閃く。 しかし『秋水』の技の一刀でも、即座に角は折れず。 「気は進まないが‥‥これで、引いてくれ!」 一刀と同じ位置を尚哉が狙い、技を使わず二刀を繰り出した。 ガッキと鈍い手応えが、柄へ伝わり。 「セヤァッ!」 気合いと共に、真っ赤な炎に包まれた腕を飛鈴が叩き込んだ。 角に拳を打ち据えた瞬間、『天呼鳳凰拳』の炎が広がり、鋭い鳴き声が木立に響き渡る。 助け出された猟師達が何事かと見守る前で、幻の炎は散り去り。 よろと立ち上がった牡鹿の角の片方が、ごとりと地に落ちた。 それでも残った角を威嚇するように振りながら、じわじわと牡鹿は後退し。 前足を僅かに引き摺りながら、ぽんと身を翻して山の奥へ姿を消す。 その姿を見届けて、一同はほっと胸を撫で下ろした。 「本当に何処も緑が深いですね。この山が精霊を宿し、多くの生命を育み、また豊饒の大地となる事を祈るですよ」 牡鹿が消えた方角へスレダは瞑目し、疲弊した猟師へ尚哉が背中を貸す。 「皆が無事で、村の連中も喜ぶぜ」 「ええ。助かりました、ありがとう」 「今から山を降りれば日も暮れる事だし、遠慮なく村で休んでいってもらえるだろうか」 共に猟師へ肩を貸した那由多とウルグも、彼らの申し出に頷き。 「有難いです」 「他に出来る事があれば手伝おう。心配なら、狩りの護衛をするのもいい‥‥野趣祭が近いんだろ?」 「ところで。この角は、村へ持って帰るんか?」 目ざとく見事な角を拾い上げた疾也が、誰へともなく訊ねた。 |