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■オープニング本文 ●予期せぬ来客 「団扇やぁ〜、団扇ぁ」 「風鈴いらんか〜」 神楽の都のあちこちを、団扇売りや風鈴売りといった行商人達が声をあげて売り歩く。 「そういや、去年の今頃だったか‥‥伊之助が、俺を探して回ってたのは」 茶屋の店先に座ったゼロが、行商人の声を聞きながら茶をすすっていると。 「いたっ、二之若ー!」 「ぶふぁっ!?」 聞き覚えのある声と聞きたくない呼び名に、思わずゼロは茶を吹いた。 「あ、ごめん。つい‥‥えっと、久し振り。ゼロ」 「てめぇ、今のわざと間違っただろ!」 恨めしそうな視線を投げれば、数多ヶ原のサムライ三枝伊之助(さえぐさ・いのすけ)は悪戯がバレた子供のような顔をする。 約一年前、「父親の仇」として仇討ちの相手であるゼロを探し、果し合いをした少年だ。 「わざとじゃ、ないんだ。その、探してた勢い‥‥?」 「まぁ、いいけどよ‥‥どうした、何かの使いか?」 溜め息混じりに聞けば、少し真面目な顔をしてこくりと伊之助は頷き返す。 「俺、一年前に神楽に来てたから、詳しいだろうって。ゼロ‥‥に、用があって探してた。一緒に来て欲しいところがあるんだ」 由来は古いが、伊之助の故郷『数多ヶ原』は武天国の片田舎だ。武天の首都である此隅や神楽の都へは、どちらも片道だけで徒歩四日ほどの旅程。気軽に足を運べる距離ではなく、天見家に仕える家臣でも訪れた事がない者の方が多い。 何やら神妙な様子の伊之助に頼まれ、不承不承ゼロは重い腰をあげた。 「‥‥で。ナンで、ここにいる‥‥!」 案内された宿屋の一室で、隠しもせずにゼロは顔をしかめる。 「十分な静養が必要だと、医者に言われてね。元重や津々に追い出されてしまったよ」 「当主が追い出されてんじゃあねぇっ」 唸るゼロに、数多ヶ原を治める天見家の当主、天見基時(あまみ・もととき)が面白そうに笑った。立て続けで予想外な出来事の連続に、今日は何の厄日だとゼロは目眩を覚える。 基時の口調はまだしっかりしているが、日焼けしていない白い肌は血の気も薄い為、更に青白く見える。 先日、数多ヶ原で起きた城町騒乱の原因を挙げるなら、その一つは長く基時が病床に伏した事もあった。加えて、騒乱の最中にも幾度か倒れたらしい。 天見の家と基近(もとちか)の名を捨てたとはいえ、基時はゼロにとって実の兄。生まれつき病弱で、天見家当主となってもほとんど外へ出る事のない基時が目の前にいる事態に、不安を覚えずにはいられなかった。 「静養‥‥つっても、神楽は騒がしい場所だぜ。それに遠出をして、大丈夫なのか?」 「お前の住む家へ邪魔をする事も考えたのだけど、止められてね」 「頼むから、それはやめてくれ」 がくと、脱力気味に肩を落とすゼロ。 「まぁ、冗談はこのくらいにしようか。療養するにしても近くては気にかかるだろうし、数多ヶ原を離れた方がいいという話になってね。それで、元重や津々から放り出された訳だ」 付き添い役の伊之助と薬や身の回りの世話をする侍女が二人、そして護衛にサムライが二人、同行しているという。 「元重としては、元信をしっかりさせる狙いもあるのだろうけどね。理由はどうであれ、一度は叛意を抱いた身。跡目を継ぐのに、自分は相応しくないと思っているようだから」 人払いをした部屋で、表情を曇らせた基時が目を伏せた。 それとも二人は、元気な間にゼロと心置きなく話す時間を‥‥と、考えたのかもしれない。 「ともあれ、ここは数多ヶ原から遠く離れた地。迷惑でなければ、療養中の護衛を依頼したいのだが?」 「それは構わねぇが、今は神楽の近くが騒がしいから‥‥静養先が決まっていないなら、南志島にでも行くか? 泳ぎ客で賑やかかもしれねぇが、場所によっては静かな宿もある。毎日、飛空船の定期便が出てるしな」 何よりも島には『魔の森』がなく、アヤカシによる被害も少ない。また数多ヶ原には、海はもちろん広い湖すらなかった。 「そこは、お前に任せるよ。こちらよりも、よく知っているだろうからね」 にこりと笑んで、基時はゼロへ一任した。 ●海と月見と秋刀魚 「団体の、お客さん?」 くりっとした目をきょとんとさせて、重ねた膳を抱えた鈴子(すずこ)が聞き返した。 「うん。なんでも武天のお武家様が、環境が良くて静かなお宿を探してたみたいでね。それならって事で、うちに白羽の矢が立ったみたい」 急な予約を受けた宿、『猫屋』の女将である珠子(たまこ)が一人娘に頷く。 「それ、寂れてるって言わない‥‥?」 「環境が、いいの!」 うにゃりと尻尾を揺らす娘に、耳をピンと立てた女将は指を振って訂正した。 南志島の宿『猫屋』は、猫族の三毛屋(みけや)一家で切り盛りする小さな宿だ。 主人が魚を釣って料理をし、女将は表に立つ一切を担当し、娘が掃除や給仕を手伝う。 猫屋の位置は、島を流れる東川や飛空船の発着場所には程近い。ただ人で賑わう砂浜から少し離れ、そのせいで稼ぎ時の夏でも部屋はそこそこ空いていたりする。 だが今回は、それが幸いした。 お武家一行はお忍びで療養に来るとかで、宿を気に入れば一週間ばかりの滞在を延ばす予定もあるらしい。 それにお殿様は気さくな人物らしく、肩肘の張った仰々しい持て成しは無用。普段の客と変わらぬように接してほしいと逆に頼まれた。 「それもこれも、お月さまのお陰かぁ」 釣竿を担いだ主人、三毛屋がからりと笑う。 ちょうど今は、猫族のお月見の時期。三毛屋一家も毎日新鮮な秋刀魚をお供えし、月への祈りを欠かさない。 「身体を休ませにいらっしゃるのだから、我が家の様に寛いでもらえるといいわね」 「うん。秋刀魚とかお魚、お嫌いじゃなきゃいいなぁ」 期待というか、好奇心に尻尾をうずかせながら、鈴子は洗い場へ向かった。 「お鈴。よそ事考えて、転ぶんじゃないぞ〜!」 「はぁい‥‥きゃあっ!?」 背中に声をかけた父に返事をした矢先、悲鳴と慌しい足音がする。 ‥‥物を落とす音はしなかったので、食器や膳は無事だったようだ。 主人と顔を見合わせた女将はやれやれと笑い、「あんたも気をつけて」と漁に出る夫を送り出す。 玄関先へ並べた朝顔の鉢に水をやってから珠子は額に手をかざし、よく晴れた空を見上げた。 部屋から見える海は今日も静かに寄せては返し、真っ青な空には白の濃い夏雲が沸き立っている。 入り込んだ風に、窓辺につるされた風鈴がちりりんと涼しげな音を立てた。 |
■参加者一覧
鳳・月夜(ia0919)
16歳・女・志
有栖川 那由多(ia0923)
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
水波(ia1360)
18歳・女・巫
七神蒼牙(ia1430)
28歳・男・サ
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
リーディア(ia9818)
21歳・女・巫
アグネス・ユーリ(ib0058)
23歳・女・吟
シア(ib1085)
17歳・女・ジ |
■リプレイ本文 ●顔揃え 「此度の事、感謝する。でも堅苦しい物言いは、控えるとしようか」 まず自らが砕けた調子で、天見家当主の天見基時が一同を労う。 「じゃあ遠慮なく‥‥久しぶり、よろしくね」 にっこりとアグネス・ユーリ(ib0058)が笑み、真剣な表情で御凪 祥(ia5285)も頷いた。 「今回の事は、養生の為にと聞いている。具合が悪くなったり、些細な事でも何かあれば言って欲しい」 「そうね。慣れない環境で体調を崩す可能性もあるから」 「まだ大丈夫だとか考えず、ですよっ? 貴方も、無理しいなようですから‥‥」 釘を刺すアグネスの隣で、むぅ〜っと眉根を寄せたリーディア(ia9818)が唸る。 「どうやら皆、当家の薬係より手厳しいな」 控える侍女らに、冗談めかした視線を基時は投げた。 「というか、『も』って言うな。『も』って」 リーディアの隣でゼロは脱力し、思わず有栖川 那由多(ia0923)が忍び笑う。 「てめぇまで、ナンだよっ」 「何でもない」 ゼロが口をへの字に曲げても、にやにや顔で那由多は誤魔化す。 「今日のところはまず、宿で身体を休めて下さい」 畳へ手をついたシア(ib1085)が、重ねて基時へ言い含めた。 「そうでなくとも、身体が弱いのだから‥‥」 「そう、なの?」 隣のアグネスへ、鳳・月夜(ia0919)は小声で尋ねる。 「そちらのお嬢さん方は、始めて見る顔だね」 揃った顔ぶれを確かめていた基時が、月夜と水波(ia1360)へ首を傾げた。 「水波と申します。基時様には南志島で静養を楽しんで頂けるよう何かお手伝いが出来ればと思い、此度の護衛に付かせていただきました」 緩やかに水波が一礼し、続いて月夜もぺこりと頭を下げた。 「護衛と聞いて来た‥‥志士の、鳳・月夜です。よろしく」 「でも月夜が居たのには、ちとびっくりだぜ」 月夜と面識がある七神蒼牙(ia1430)は、髪を掻いて苦笑した。 「なんだか手持ち無沙汰で、依頼を受けようかとギルドをうろうろしていたら‥‥ちょうど、アグネスが」 「気分転換に誘ったのよね。何だか、迷ってる風だったから」 説明する月夜とアグネスは笑みを交わし、煙管片手に鬼灯 仄(ia1257)がカラカラと笑う。 「華があっていい。宿は静かで寛げそうだが、色気の方がなぁ」 その辺り、すこぶる残念といった体だ。 「気が休まらないと困りやすしね。何かあれば気兼ねなく、あっしらに言いつけて下さい」 「頼りにしているよ。領外で過ごす事自体、始めてでね」 以心 伝助(ia9077)が念を押し、珍しげに基時は部屋を見回した。風鈴が揺れる窓からは、水平線を遠く眺める事が出来る。 「旅の疲れが取れたら、明日は海へ行きましょう」 わくわくとリーディアは予定を告げ、複雑な表情を祥が浮かべた。 「海、か‥‥」 「失礼致します。宿の主人らが、挨拶をしたいと」 頃合いを見て、三枝伊之助が断りを入れる。 「そうだね。世話になるのだから」 伊之助は伏して応じ、護衛の一人が一家を連れて現われた。 「ご滞在、ありがとうございます。お恥ずかしながら手前ども、御武家様にご滞在頂いた機会など、ついぞなく。御不自由がありましても、平にご容赦頂ければと‥‥」 畳へ額をつける三毛屋に続き、珠子と鈴子も深々と頭を下げる。耳を伏せ、尻尾も神妙に垂れ下がった猫族の一家に、基時は面を上げるよう促した。 「普段の客と同様に扱ってくれた方が、気兼ねなくて良いのでね」 「承知致しました。護衛の皆様も、御用があれば何なりとお申し付け下さい」 また深々とお辞儀をして、三人は部屋から下がる。 煙管を手入れしつつ、それとなく一家を窺う仄の前をシアが通り過ぎた。 「失礼だけど、宿の構造を把握させてもらっていいかしら。裏口があれば位置とか、他に天井裏も改めて‥‥」 廊下でシアに呼び止められた三毛家一家は、不安げな視線を返す。 「護衛の方も手前どもを訝しんでおられたようですが、何か事情が‥‥?」 「いえ。形式的というか‥‥少し、心配性が過ぎたみたい」 急いで彼女は主人の心配を否定し、丁寧に一礼して下がる一家を見送った。 「そこは『仕事だ』と、誤魔化せばいいだろうに」 笑い飛ばせす仄に、経緯を明かしたシアが頭痛を覚える。顔合わせを終えた開拓者達は、部屋で車座になっていた。 「真面目に心配されるとね‥‥基時さんに悟られてないといいんだけど。こっちの緊張が伝わったら、ゆっくりしていられないでしょうから」 「常時の警戒は当然だし、不穏な気配はすぐ仲間に伝達。これは絶対だけど、でも周りがピリピリしてちゃ楽しめないわ。出来る限りさりげなく、まずは笑顔からっ。ほら!」 くすりと笑むアグネスに肩をぽんと叩かれ、伊之助がうろたえる。 「お、俺っ!?」 「折角だもの、あんたも楽しんで、ね」 「あはは‥‥ありがとう、ございます」 恐縮して礼を言う伊之助に、かつてを知る者達は小さく笑った。 「ところでさ。ゼロ、身体の方はもうすっかりいいのか?」 那由多が聞けば、未だ心配そうなゼロが視線を返し。 「まぁな。てめぇこそ、あれから痛んだりしてねぇか?」 気遣う友人の頭に那由多は拳骨を当て、ぐりぐりと軽く小突いた。 「てめっ、何しやがる!?」 「何ともないから、そんな顔するな。それにしても一年ぶりの南志島、か。あれから色々、あったよな」 笑って呟きながら、何気なく那由多は胸に手を当てる。着物の下、懐には彼にとっての『お守り』を忍ばせて。 「こうしてお前と居られる今を、俺はこの上なく嬉しく思うよ。なぁ、無事また歳を重ねた訳だけど‥‥親友、お前は今年一年、何を願う?」 「別に、な。てめぇらが楽しくやってりゃ、俺は十分‥‥だから、小突くなってっ」 また抗議するゼロに笑いながら、那由多は手を引いた。 「その辺、ホントお前らしいっていうか‥‥」 そんな相手だから、代わりに那由多は親友の幸せを密かに願い。 「せっかく嫁さんや基時さん一緒なんだし、家族でのんびりしろよ?」 「天見との縁は、切れてんだって」 「ちょっ! お前の方が力あるんだから、手加減しろよなっ」 仕返しとばかりにゼロが小突き返し、今度は那由多が抵抗する。 「ゼロとは依頼で一緒になるのは随分久しぶりだが、相変わらず無茶してる様だな」 子供の喧嘩を思わせる光景に、呆れながらも祥が声をかけた。 「無茶って程でも‥‥迷惑は、随分とかけちまったが」 ちらと那由多を見たゼロがバツの悪そうな顔をし、祥は苦笑する。自身も最近無茶をしたため、強くは言えず。腕の古傷を片方の手で‥‥気取られぬよう、僅かに押さえた。 「無茶は、取返しの付く程度にしておけよ」 「承知してる。あんな肝を冷やすのは、もう沢山だぜ」 うな垂れたゼロの背を、少し心配そうなリーディアがぽふぽふと撫でる。 「ところで、ゼロ様は基時様と同じ部屋でなくてよろしいのですか? ご兄弟、積もる話もあると思いますが」 尋ねる水波にゼロは低く唸り、頭を掻いた。 「俺と天見家当主は、赤の他人だ。表立って下手な関わりを持つ気はなく、詮索も断る」 詳しい事情を明かす気はないとばかりに、後は口をつぐむ。誰よりも天見を気にかけながら、無関係を主張するのは毎度の事で。 「こんな時くらい昔に戻ったって良いんじゃね? と、思うんだがな」 捻くれ具合が蒼牙にはもどかしく、何ともいえず伝助は苦笑う。公と私の心情が合致しない事が、この世には多々あると知る身なら。 「けど依頼である護衛は、しっかりと務めてもらいやすから」 「そりゃ、仕方ねぇからな」 むっすりとした返事にリーディアとアグネスは忍び笑い、月夜がきょとりと見上げた。 ●海遊び 「夏は海よね、青い空よね。めいっぱい、楽しむわよー!」 よく晴れて波も穏やかな海へ、真っ先にアグネスが駆け出した。その後をリーディアも追いかけ、波打ち際できゃっきゃと騒ぐ。 「海です、海なのですーっ」 「気楽でいいモンだなぁ」 女性陣の荷物持ちを申し出た仄が水桶や西瓜などを下ろし、額の汗を拭った。 茣蓙(ござ)を伝助が砂浜の上に広げ、蒼牙と祥、そしてゼロが従者らと協力して天幕を張る。そして手伝っていた那由多は、暑さと体力切れで一足先にノビていた。 「‥‥大丈夫?」 「大丈夫、です‥‥すみません」 様子を窺う月夜に、岩清水で濡らした手拭いを額に当てながら那由多が呻く。 「皆の心遣いに感謝するよ」 「いえ。夏の日差しは、きついものですから」 日除けの傘を差し掛けるシアに基時が礼を告げ、間もなく簡易の『休憩所』が出来上がった。 南志島といえば、やはり海遊び。 滞在二日目。基時の体調が良好な事を確認した一行は、宿から少し離れた海まで足を伸ばしていた。 「知識としては知っていたけど、実際に見ると圧倒的だね。出来れば他の者達にも、見せたいものだ」 見渡す限りの砂浜と海に、基時は感嘆を隠さず。 「せっかくの機会だ、皆も楽しむが良い。いい土産話になるだろう」 海へ興味を引かれる侍女や護衛の者達を促し、自身は天幕の茣蓙に落ち着く。 「それじゃあ、目の保養‥‥もとい、海からアヤカシでも現れないか見てくるか」 「美人のアヤカシに、かどわかされるなよ」 それなりに賑わう砂浜へぶらりと向かう仄の背に、冷やかしを蒼牙が投げた。 「ここは見ているから、海で遊びたい奴は遊ぶといい」 暑さにも祥は表情を変えず。『舞靭槍』を天幕の影へ置いて控える志士へ、アグネスは小首を傾げた。 「それなら、お言葉に甘えちゃうけど。でも、祥はいいの?」 「海は、余り好きではないからな」 「そうなんすかっ?」 何やら伝助が不安げな顔で、微妙に衝撃を受ける。 「どうかしました‥‥?」 動揺の理由を尋ねる那由多に、何故か伝助は声を落とし。 「実は水着なるものも一応、持って来たんでやすが‥‥これで女性陣の前に出て、良いものやら」 「水着なんだから、いいんじゃないの?」 「そういうモノなんすかっ!?」 あっさりとシアが認めれば、何故か余計に伝助はうろたえる。 「だって泳ぐための服、みたいな物なんだから‥‥」 「ああ、そういう事っすね。あっしはどうにも、褌一丁と変わらない気がして」 陰穀の山育ちには、水着のみの字すら馴染みがなかったらしい。 「俺も、基時さんと涼んどく。ゼロは遊んできていいからなっ」 「もやしだから、か」 「ゼロまで、もやしゆーなっ!」 けらけら笑うゼロに抗議してから、忍ばせた符「幻影」を那由多が見せる。 「‥‥あの時の人妖もどき、まだひっ捕まえてねぇからな。何かあったら、呼ぶから」 むすりとする那由多の肩を、俯いたゼロはぽんと叩き。 「応よ。頼りにしてんぜ」 そして、遊びの輪へ加わりに行った。 「あの、療養って聞いたけど‥‥どこが悪いの?」 はしゃぐ者達を見る基時の横顔へ、不意に月夜が尋ねる。 「身体の出来が、丈夫ではなくてね。風邪ひとつでも長引くから、根を詰める事や無理が出来ないのだよ。情けない話だが」 苦笑う相手に病弱な家族を思い、ふるふると月夜は髪を揺らす。 「何でも言って。私、身体の弱い姉さんがいるから、こういうの慣れてるから‥‥」 「優しいお嬢さんだね。でも、こんな頼もしい顔ぶれが傍に揃っているのだから、遠慮せずに息抜きもするといい」 「ん、大丈夫‥‥こうしてまったりしてるのも、好きだから‥‥」 少女は笑顔で答え、友人達が遊ぶ海をじぃっと見つめた。 何やら狼狽するゼロへ、水着姿のアグネスとリーディアが水を跳ね上げて笑い。水着を気にしていた伝助は腰ほどの深さまで進み、寄せる波を手の平で押し戻したりしている。 楽しげな光景に、うずうずと月夜も落ち着かず。 「どうにも、心が騒いでしまうね。波打ち際に行く程度なら問題ないか、代わりに確かめてもらえるかな?」 「‥‥うん」 顔を紅く染めた月夜は、せっかくと用意した水着姿で海遊びへ加わりに行った。 少し離れた位置から身を屈めて、友人達へそっと近付き。 「えいっ!」 「きゃっ‥‥月夜!?」 後ろからいきなり抱きつかれたアグネスが、吃驚して振り返る。 「えへへ‥‥驚かせたなら、ごめんなさい」 「もう‥‥よくも、やってくれたわね!」 そして笑い声と共に、水かけ合戦が始まった。 「あの、基時さん」 何気ない遊びすら楽しげに見守る基時へ、恐る恐る那由多が声をかける。 「その節は屋敷でご厄介になってしまい、申し訳ありませんでした。それと‥‥有難う御座いました。怪我してから屋敷を出るまで、ちゃんと御礼が言えなかった事が気がかりで‥‥俺、最初にお会いした時から無礼ばっかりで」 ぽしぽしと頬を掻く那由多へ、緩やかに基時が首を振って否定した。 「気にする事もあるまい。こちらこそ、いろいろと迷惑をかけてしまったのだから」 その時、海で派手に水飛沫があがった。 後ろから蒼牙に蹴飛ばされ、沈めらたゼロがジタバタともがく。むせる背へ蒼牙は声をかけ、振り向きざまに今度は水をぶっ掛ける。再びゼロは咳き込み、からかう相手に文句を言いながらもやり返さず。 海辺の光景を、複雑な表情で基時は眺めていた。 「せっかく仄さんが運んでくれましたし、一休みして西瓜を食べませんか?」 ひとしきり海と戯れた後、桶の氷水に浮かべたスイカをリーディアが手にする。 「じゃあ、スイカ割りでもするか?」 「よし、それなら俺がやるぞ。いいか?」 蒼牙の提案に仄が嬉々として袖をまくり、神威の木刀をぶんぶん振った。見回しても、他に挑む者はなく。周りの顔ぶれを仄は確かめ、手拭いで目隠しをする。 「そこで右よ、ちょっと右!」 「左だ、左っ」 「そのまま真っ直ぐーっ」 木刀を上段に構え、探るようにすり足で進めば、囲む者達が口々にわいわいと囃し。 「全部、バラバラじゃねぇかっ」 笑って助言に惑う振りをしながら、狙う相手の位置と距離を『心眼』で確かめた。 とつと一気に踏み込み、木刀を振り下ろせば。 ガツンッ! 「お!?」 予想外の硬い音と衝撃に、仄が目隠しをずらす。 振り下ろした木刀は、緋色の槍に遮られていた。 邪魔をした槍の先ではゼロが傍らのリーディアを右手で抱き、庇うように左腕をかざしている。 「もう少しで当たるところだったな‥‥西瓜なら、向こうだぞ」 間に割って入った祥が、木刀を押し戻すように舞靭槍を引いた。 「なぁに。ちょっとした『おふざけ』だ」 悪びれもせず、けろりと笑って仄は誤魔化す。 「俺の頭ぁカチ割っても、仕様がねぇだろうが。他の連中、待ってんぜ」 「あぁ〜、そうだな。そういえば、体調も全快したようで何よりだ。どうだ、気が向いたら後で手合わせでも」 物騒な冗談まじりでゼロから催促をされ、それとなく仄は水を向けるが。 「悪いが気が向かねぇ。つか、てめぇは最近、ソレばっかじゃあねぇか」 憮然として睨め付けられ、肩を竦めて目隠しをする。 「すまねぇな、助かった」 低く礼を言う相手をちらと見て、肩にかかった髪を祥が背中へ払った。 「律儀に付き合う事もなかろうに」 軽く槍を振って納め、天幕へ戻るすれ違いざまに呟きを残し。 友人の背を見送ったゼロは、心配そうに見上げる妻の頭をぽんと撫でる。 「どうぞ。よく冷えてますよ」 「塩も借りてきましたから、使って下さいね」 無事に割れた西瓜を、水波やリーディアが護衛や侍女にも振る舞う。 「基時さんの分も‥‥」 「ありがとう」 西瓜を基時へ手渡した月夜はその傍に座り、自分の西瓜に噛り付いた。 「ところで‥‥せっかく基時殿も海に来たんだから、ちっとは体験してみねぇ? 海の楽しさって奴をさ。泳ぐのは無理でも、裸足で波打ち際を歩く程度なら障りもないだろ」 「興味深い誘いだが、皆には問題ないだろうか?」 蒼牙から勧められた基時は、傍を守る者達へ伺う視線を向ける。 「そうねぇ。日焼けに気をつければ、問題ないんじゃないかしら」 「確かに。私も、海ってほとんど経験が‥‥その、自分が楽しみたいからという訳ではないけど」 アグネスが思案し、心惹かれる誘いにシアも答えてから少し慌てた。 「ならば皆、共に歩くか。それなら心配もあるまい」 「では、今度は私が日除けの傘を」 基時の誘いに、水波が舞傘「梅」を手に取る。 「外側からの危険はあたし達ががっつり気をつけとくから、基時自身の体調とか、様子をよく見ておいて欲しいな。それは、一番『知ってる』ゼロが一番適任だと思うの」 基時らに気付かれぬよう、こそりとアグネスの解いた道理は至極もっともで。 「‥‥ってことで、出来るだけ依頼人の傍に居てね。暑いから扇いだりとかね」 にっこりと差し出す扇子「清凛」を致し方なくゼロが受け取れば、アグネスは満足そうな顔をした。 「誰が先に濡れるか、競争っす!」 「けど、背中とか押すのは‥‥うわわぁ!?」 「お、危ない危ないっ」 引く波を追い、寄せる波には退き。伊之助をからかいながら、伝助や蒼牙が波と戯れていた。一方で月夜とリーディア、アグネスの三人は砂を分け、打ち寄せられた貝殻を拾う。 「なんだか、不思議な感触ね」 足首の辺りまで何度も寄せて返す波と足裏のくすぐったい感覚に、シアが浴衣ドレスのスカートを少しつまんだ。 「はしゃぐのは苦手ですが‥‥こうしていると、水や風の精霊の存在を間近に感じられる気がするのです」 潮風に黒髪を遊ばせながら、水波も静かに目を閉じる。一行の頭上を高く飛ぶトビは、ゆっくりと基時やゼロの後を歩く那由多の式だろう。 「この海が、儀の端では空へ流れ落ちるというのだから‥‥凄いね」 その光景を目にした開拓者は多いが、海すら始めての者には想像を絶するのか。 思いを馳せるように基時は波打ち際で佇み、水平線を眺めていた。 ●小休止 滞在三日目は、誰もが宿でのんびりと過ごしていた。 夕方には夏空が俄かに掻き曇り、夕立が降り出す。 外から聞こえていた威勢のいい掛け声も失せ、足音が宿へ駆け込んだ。 「お客さん、降られませんでした?」 「いや、残念だが」 額に張り付いた濡れ髪を祥がかき上げれば、鈴子は急いで拭く物を取りに行く。 伊之助は着物の裾を絞り、そこへ蒼牙が顔を覗かせた。 「風邪をひく前に風呂を頼むか?」 「この暑さだ。すぐに乾くだろう」 言う間に鈴子が手拭いを抱え、戻ってくる。 「御凪殿。此度は稽古をつけて頂き、ありがとうございました」 「変に改まるな、むず痒い」 ぺこりと伊之助に頭を下げられ、殊勝な態度に祥が眉根を寄せた。 「稽古してたんでやす?」 鈴子を手伝って着替えを持ってきた伝助が、二人を見比べる。 「顔を合わせるのも久々だからな。剣の修行をしていると聞いて、少し」 「どれ、成果をみてやろう」 「え?」 脇からの声に、振り返った伊之助の額をコツンと煙管が打ち据え。 「ほっ、鬼灯殿‥‥!」 虚を突かれた少年は額を押さえ、煙管を手に仄が放笑した。 「当主の傍仕えなんだから、もうちっとしっかりしろ」 「ところで、基時は?」 「ゼロとリーディアが看てるわ。基時曰く、『いつもの事』らしいけどね」 からかわれる伊之助を横目に祥が問えば、階段を降りてきたアグネスが容態を伝えた。昼前から軽い倦怠感と目眩を覚えた基時だが、急激に天候が変わる日には良くあるという。 「この機会に、お兄さんとゆっくり話せると良いのでやすが」 「拒否られそうだから本人には言わないけど、大丈夫よ」 心配する伝助に、アグネスは片目を瞑る。 「お礼が遅くなってしまいましたけど‥‥祝いの品の朱盃、ありがとうございました」 天儀流にリーディアが手をつけば、床に座った基時は頭を振った。 「大した事も出来ず、相済まない。良い式だったと聞いているよ」 「はい、沢山の方のお陰で‥‥」 照れたリーディアは頬を染めるが、わたわたと話を戻す。 「えっと、失礼と承知の上ですが。無理せずもっと人を頼って下さい、お義兄さん」 兄弟して仕様がないとリーディアは嘆息してから、海遊びの間に見つけた巻貝と海砂を詰めた硝子の小瓶を基時へ手渡した。 「基時さん、旅のお土産にどうぞですっ♪ 侍女さん達と晩御飯の相談をしてきますから、ゼロさんは後をお願いしますね」 「お、おいぃ?」 止める間もなく妻は部屋を去り、残された側は所在無げに扇子で風を送った。 「後で皆に礼をしなくては‥‥彼女とは、仲良くやっているようだね」 「ん。だがあいつに子が出来ても、天見にはやらねぇからな」 「それは残念」 軽口と本気が混じったぶっきら棒な返事に基時は笑み、沈黙を雨音が埋める。 廊下では、兄弟水入らずで話ができるようにと離れたリーディアを、月夜とシアの心配顔が待っていた。 「基時の具合は、どう?」 「顔色は、だいぶ良くなりましたよ」 「よかった。明日の川遊び、行けるといいわね」 シアもほっとするが、翌日の予定は基時の体調次第となった。 入道雲が去った夜、煌々とした月が空にかかる。 「今日はいい秋刀魚が入ったぞ」 「じゃあ、今夜のお月様にお供えしましょうか」 天秤棒を提げた三毛屋が戻れば、女将の珠子が準備にかかった。 笹を敷いたザルに三尾の秋刀魚を並べ、三宝にて月が見える窓辺へ供える。 「この時期に生の秋刀魚をお供えして、大丈夫なのでしょうか?」 猫族の習慣に心配そうな水波へ、珠子はころころ笑った。 「お祈りした後は、お下がりを焼いて頂きますから」 「ああ、それなら‥‥」 「お祈り、私がしても大丈夫でしょうか」 興味深げに聞くリーディアに、笑顔で女将は頷き返す。 「大丈夫ですよ。お祈りの文言も、月に感謝するなら何でも」 「では‥‥お月様、いつも夜に見守っていただき、ありがとうございます。どうか明日、基時さんが元気になりますように」 リーディアがにゃむにゃむと手を合わせ、三毛屋一家もそれぞれに祈る。 その後、猫屋から香ばしい匂いが漂い、少し遅い夕食の膳には秋刀魚が並んだ。 「伊之助。看病とか、ありがとな。どうか屋敷の皆にも、感謝を伝えてくれると嬉しい」 「うん。那由多もゼロも無事で、よかった‥‥です」 秋刀魚の骨にやや苦戦しながら那由多は礼を言い、隣で同じ膳をつつく伊之助がかしこまる。 「それで、ほんの気持ちだけど‥‥ここの土産、俺が屋敷の皆の分贈ろう。だから頑張って、全部持って帰ってくれよ?」 「気遣い、有難く‥‥え、屋敷の皆? 持って帰るって!?」 遅れて言葉の意味に気付き、狼狽する伊之助へ那由多がニッと笑った。 その夜更け、物音にゼロが階下へ降りれば、庭に面した廊下で伝助と出くわした。 「何かあったのか?」 「少し鍛錬を‥‥傷が治ったんで、早く勘を元に戻したいんす」 十字傷の頬を掻きながら、伝助が視線を泳がせる。 「俺が言うのもナンだが、あんま無理すんじゃあねぇぜ?」 渋い顔をするゼロに、小さくシノビは笑った。 「夕餉の後、伊之助さんに鷹取のその後を聞いたら‥‥どうにも」 「ふぅん?」 応じながらゼロが縁に腰掛け、倣う伝助は竹筒を口に運んだ。 伊之助の話では、牢の鷹取佐門は未だ口を閉ざしたままらしい。 「鷹取に、アヤカシに組する理由を聞いたんす。そうしたら、『何故、人は嵐の壁を越えようとするのか』と。あっしなら『その先にある物を見たいから』になりやすが‥‥アヤカシに組した先には、一体何があると言うのでしょうか」 「何も、ねぇだろうよ。あいつらは人も獣も全部、儀すら魔の森って形で喰らう輩だ」 しかめ面でゼロは庭の暗がりを見据え、伝助も首肯する。 「けど、敵には鷹取のような人間もいて。ゼロさんは優しい人だから、人を斬ったならば、それが敵でもきっと傷つく‥‥そうさせないように、あっしはもっと強くなりたい」 「やけに今夜は口が回るな。それ、酒じゃね?」 肩を竦めた伝助が、茶化す相手に竹筒を勧めた。 「岩清水っすよ。ゼロさんに『話せ』と言った手前、でやす」 渡された竹筒にゼロは一口飲んで返し、伝助も水を煽り。 ただ煌々と、月は照る。 ●日々を惜しみて 宿に近い沢では、何本もの釣竿が渓流に突き出ていた。 「釣れたお魚は、お夕飯に並べますね」 道案内した鈴子が応援し、尻尾をうずうずさせながら宿に戻っていく。 「基時殿もやってみるか?」 誘う蒼牙の他にも、仄と伝助が釣り糸を水面へ垂らしていた。 「誘いは有難いが、遠慮しておくよ」 「この暑さだ。身体に障らない様であれば、流れの緩い所で足を浸けて涼むのもいい」 川辺に敷いた茣蓙の隅へ蚊やり豚を置いた祥が、釣り場より少し下流を示す。 「波の感触とはまた違って、楽しいですよ。かき氷が出来たら、お持ち致しますから」 手回し式かき氷削り器を準備する水波の傍らには、糖蜜や抹茶蜜、小豆餡なども揃っていた。 せせらぎに入った祥は舞靭槍を構え、水面を見据えていた。 緩やかな澱みに揺らぐ影へ、素早く穂先を突き下ろし。 引き上げれば、腹を貫かれた岩魚が水を跳ねる。 捕らえた魚は魚籠へ入れ、岩に腰を下ろした基時が感心して手を打った。 「見事なものだね」 「アヤカシには、もっと速い奴もいるからな」 悠々と泳ぐ魚影は、まだあちこちに見える。武器に雷鳴剣をかけて放ってみたくなるが、水中では威力も散って弱まるのが落ちらしい。 汗を軽く拭った祥は、絶え間ない流れをしばし眺めた。 「先の一件‥‥肝心な時に力添え出来なかった事、申し訳なく思う」 基時へ背を向けたまま、流れへ浮かべるようにふと口を開き。 「それと元重さんに済まなかったと伝えて欲しい。俺は随分、あの人の事を誤解してたから‥‥そして今後も基時さんの力になってくれる様、僭越ながら願うと」 「伝言、確と承った。気遣いも有難く思うよ」 短い返事だが、向き直った祥は黙して一礼する。 「ならば俺は、貴殿らの武運を祈ろうか。刃が折れ、力尽きては助力も頼めないからね」 静かに瞑目する姿に、己の兄に重ねて思う祥も目を伏せ。やがて水波が、かき氷を持ってやって来きた。 「夏を惜しみ送るのに、どうかな」 岩魚や山女魚の塩焼きが膳に上った夕餉の後、おもむろにアグネスが線香花火セットを取り出した。 「誰が一番火が保つか、競ってみる?」 「ふふ、どれだけ続くか皆で競争しましょう♪」 うきうきとしたリーディアが、誘いに受けて立つ。 「数、足りるかな?」 「それなら、あっしも持ってきやした」 伝助も花火を持ち寄れば、伊之助が「使って下さい」とカンテラを手渡した。 珠子の薦めで一行は宿の裏手、月が良く見える場所で長椅子に腰を落ち着き、花火に興じる。 「こんな酒も良いだろ。飲むか?」 持ってきた『もふ殺し』を蒼牙が掲げれば、他の者も次々に天儀酒や古酒、極辛の純米酒などを並べた。 「飲めない人は西瓜でも‥‥実は西瓜食べたの、先日の『座敷童』の時が初めてなんすよね」 陰穀の国にとって、西瓜は数少ない交易品だ。陰穀育ちとはいえ、伝助は口にする機会がなかったという。 「よほど、気に入ったんだな」 「こんなに美味しかったとは知らなかったっす」 ゼロが笑い、酒を控える代わりにと伝助は西瓜を齧った。 「良ければ一献、如何かしら」 「有難いね。肴になるものはないが」 誘うアグネスが差し出す杯を、基時が受け取る。 「話でもいいわよ。そうね‥‥日々の徒然や里の様子とか、ちまい『二之若』の事とか」 「げふんっ」 くすりとアグネスが笑み、ゼロが西瓜にむせた。 「てめぇ、何を‥‥のあっ!?」 「いいな。ぜひ聞かせてもらおう」 興味津々の蒼牙が、止めようとするゼロを逆に押さえ込む。 「だぁっ! 俺は先に、部屋へ戻るからなっ」 押さえる腕を振り払ったゼロは不機嫌そうに来た道を戻り、遠ざかる背を基時が困り顔で見送った。 「そうだね‥‥上の二人が病弱だったから、五つまでは病魔避けに女児の巫女袴を着させられたり。といった話で、いいのかい?」 「他には?」 尋ねる基時に、隣へ座った月夜がせがむ。穏やかな雰囲気に、自分にはもういない親を‥‥ちょっと重ねちゃっているかもしれない、と。そんな事を思いつつ。 「他は‥‥気性は激しいが、心根は優しくてね。ある雪の日には、外に出られない私から見える廊下に、手の平ほどの雪だるまが並んでいた事もあった。大きめの二つと、小さいのが三つ」 「家族、ですね」 リーディアの呟きに基時が首肯し、先を期待する視線に少し悩む。 「あと印象にあるのは、彼が十歳の冬の事だね。何を思ったか、凍った庭の池に落ちていた鞠を一人で取り、戻る途中で氷が割れて池に落ちたそうだ。供はおらず、人も呼ばず。ずぶ濡れで庭にいたのを、屋敷へ帰った父が見つけてね」 ひと息置いて、酒杯を傾ける基時にシアが首を傾げた。 「何故‥‥?」 「父の話では、鞠は千代殿の物だったそうだ。でも、彼は誰にも言わなかった。結局、夜には高い熱を出し‥‥あの時くらいだろうか。熱にうなされ、亡き母を呼んで、独り泣いていたのは」 思い返せば、元重に志体がないと判った日だったと基時は付け加え、しんみりとした空気に気付く。 「面白い話ではなかったね。普段はあの通りで、滅多にない事だったから‥‥」 詫びる基時に、ふるりと那由多が頭を振った。 「いえ。聞けて、良かったです」 「そうか。とにかく幼い頃から型破りで、剣術指南役や行儀作法の教育係を何かと困らせていたよ」 明るくまとめた基時にアグネスはくすくすと笑い、ウインクをする。 「ゼロと行儀作法は合わないわよね‥‥お返しに、希望があればこっちも話すわよ。依頼の事でも、ゼロの事でも」 「そうだね。じゃあ、聞かせてもらおうかな」 その後は他愛もない話を交え、時に線香花火を楽しみながら、残り僅かな滞在を惜しむ酒宴となった。 静かな暗い座敷でゼロは独り寝転び、逆しまな月を眺めていた。 風に混じって微かに聞こえる笑い声に嘆息し、それでも穏やかな時を願って目を閉じる。 遠くでは、秋の虫が鳴き始めていた。 |