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■オープニング本文 ●兇刃騒ぐ 市場に、悲鳴が上がった。 屋台をひっくり返し、次々に人々が逃げ出す。 その後ろから、風に吹かれる柳の様に右へ左へ身体を揺らし、痩身長躯の青年が歩いてきた。 顔色は青白く、落ちくぼんだ目には覇気どころか生気の欠片もなく。 幽鬼の如くゆらりゆらりと歩く青年の手には、一振りの刀が握られていた。 刀身は赤く濡れ、鋼の上を流れたそれは切っ先へと伝い、赤い雫となって地面に落ちる。 逃げ惑う人々の波に押されて、家族とはぐれたのか。 青年の歩く道の先で、六歳ほどの子供が一人、泣いている。 愉悦も嫌悪も、何の感情の色も面に浮かべないまま。 ただ行く手の障害物を排除するように、青年は取り残された子供へ無造作に刀を振り上げ。 つられる様に刃を見上げた子供の表情が、凍りつく。 言葉にならない声を上げながら、青年を遠巻きにした群衆の中より一人の女が飛び出した。 もつれた足で転がる様に駆け寄ったのは母親なのか、全身で庇う様に子供を抱きかかえ。 それで気力の精一杯だったのか、そこから逃げる事は出来ずに凍りつく。 ドクロの眼窩の様な虚ろな目は、何の感慨もなく親子を見下ろし。 何のためらいもなく、刀を振り下ろす。 助けに出る事も出来ず、見守る群集の誰もが思わず目を閉じ、終わったと思った‥‥が。 ギィンッ! と鋭い音が、死の静寂を割った。 恐る恐る母親が目を開けば、無造作に振り下ろされた刃は別の刀に受け流され、払い退けられている。 「今の間に逃げて下さい。早くっ!」 一刀をしのいだ相手は、正眼に刀を構えたまま背後へ強く叱咤した。 動けずにいた母親は、子供を抱いて這う様にその場を離れる。 呼吸のひと息ごとに、まるで腐ったようなムカムカする息を吐き出し。 無言で両者が相対する間に、市場を警備する者達が次々にやってくる気配がした。 気配を察知したのか、刀を提げた青年はくるりと踵を返す。 そのまま、人のいない通りを、人とは思えぬ速さで駆け抜け。 「ま、待って‥‥!」 残された側は声を上げるが、足は動かない。 暑さで流れるものとは違う冷たい汗が、背中を滑り落ち。 急にガクガクと足が震え、刀は痺れた両手にずしりと重みを増し、追う事も出来ずに膝をついた。 「大丈夫ですか、姉様!」 まだ遠巻きに茫然としている群衆の中から、一人の少年が飛び出してくる。 傍らに寄り添い、手を貸して、少年は姉を助け起こした。 「さすがに、兄様の真似事をしていた程度の付け焼刃な腕では、かないませんね‥‥ですが、止めなければ。あれはもう、私達の知る兄様ではありません」 弟の助けを借り、刀を鞘に収めて立ち上がった若い娘は、肩で大きく息をする。 「あれは人斬り、成敗されるべきアヤカシ‥‥です」 刀を握る手が震え、それは鞘まで伝わってカタカタと音を立てた。 「参りましょう。開拓者ギルドへ、連絡を取らなければ」 「しかし、その身体では」 「こうしている間にも、アヤカシに斬られる人が出ます。急いで」 思いつめた表情の姉に頷き、少年は細い身体を支えて歩き始める。 「これは、私達の家から出た不始末。開拓者の力を借りてでも、何としても私達の手で片付け、責を負わなければ」 呟く姉の言葉は鋭く尖り、俯きがちに弟はただ足を進めた。 |
■参加者一覧
緋桜丸(ia0026)
25歳・男・砂
犬神・彼方(ia0218)
25歳・女・陰
高遠・竣嶽(ia0295)
26歳・女・志
シュラハトリア・M(ia0352)
10歳・女・陰
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
真田空也(ia0777)
18歳・男・泰
氷(ia1083)
29歳・男・陰
ルオウ(ia2445)
14歳・男・サ |
■リプレイ本文 ●朝まだき 陽の登らぬ夜明け前の空は、青紫から赤紫へと次第に色を変えていく。 「ふあ〜ぁ」 両手を天に突き上げ、朝の涼しい空気に氷(ia1083)が大きく欠伸をした。 「眠ぃ‥‥」 「まだ目が開かぬなら、大口へ拳を突っ込んでやるぞ」 じろりと睨んだ鬼島貫徹(ia0694)が握った拳へ息を吐き、慌てて氷は頭を振る。 「眠そうな顔は、生まれつきだから。ほらっ」 「‥‥ふん」 適当に誤魔化す氷と睨みを利かせる貫徹に、思わずくつりと犬神・彼方(ia0218)が笑った。 「これから厄介なぁ仕事だってのに、余裕だぁね」 「アヤカシに、心も身体も奪われた男‥‥か。確かに、厄介だ」 微妙な苦笑と共に呟いた緋桜丸(ia0026)だが、言葉尻は僅かに苦みが増す。 アヤカシに憑かれたとはいえ、元は人。となれば、同じ開拓者でなくても心情的にやりにくさの方が先に立つ。 市女笠の虫垂衣越しに周囲へ注意を払う高遠・竣嶽(ia0295)は、黒い瞳を細めた。 「人の身まで利用する、アヤカシ‥‥やはり、捨て置く事の出来ぬ存在です」 「でも、なんでそんなコトになっちゃったんだろぉねぇ‥‥」 誰もが抱く疑問をシュラハトリア・M(ia0352)が口にするが、今この場に答えられる者はなく。 「経緯までは、俺も判らん‥‥依頼者に聞く他ないだろうな。だが兎に角、一刻も早くその魂を解放してやらないと」 大きく息を吐いた緋桜丸は、固い口調で呟く。 「やっぱ、討つしかないか。今のところ、アヤカシを祓う方法はないって話だからな」 「これ以上の被害を増やさない為にも、早々に蹴りをつけましょう」 嘆息し、やりきれなさを隠さない真田空也(ia0777)に、竣嶽が凛と告げた。 無論、彼女にも思うところはあるのだが、今は明かす時ではない。 「お、あれが依頼者かな?」 落ち合う目印である町外れの道標の傍で周囲を見回す少年に、ルオウ(ia2445)が声をかける。 「依頼者の人かい? サムライのルオウだ、よろしくなー」 「あ‥‥はい、よろしくお願いします」 ルオウと歳の変わらぬ少年は、声をかけられて深々とお辞儀をした。 ●覚悟 少年に案内された先は、一軒の納屋だった。 農具を保管を兼ねた休憩小屋を姉弟は近くの農家から借り、一時の宿にしているという。 「名を明かせぬ身では、宿に泊まる事も出来ぬか」 隠しもせず眉間に皺を寄せた貫徹へ、姉の方が床に手をついて頭を下げる。 「本来なら、宿の一つでもご用意せねばならぬ所‥‥どうか、ご容赦を」 「気にするな。それより、本題に入りたいのだが」 堅苦しい前置きを飛ばして、緋桜丸が先を促した。 話の間にも誰かが人斬りに襲われている可能性を考えると、さすがに気が焦る。 「判りました」 「では‥‥」 姉弟が了解するのをみて、手短に開拓者達は手筈を説明した。 八人は二班に分かれ、姉弟も一人づつ各班と共に行動し、手分けして『人斬り』を探す。 発見すれば呼子を吹くなどして合図をした後、合流するまで足を止め、逃げ場を封じて討ち取るという寸法だ。 「お二人は分かれて、各班と同行して下さい。よろしいですか?」 疲れがみえる姉弟はあまり休んでいないのだろうが、即座に竣嶽の問いへ首肯した。 「あとぉ、お願いがあるんだけどぉ。シュラハ達も顔を知っておいた方がぁ、効率よく探せるしねぇ♪」 「顔、ですか」 戸惑うような弟に、紙と筆を手にしたシュラハトリアがにじにじ近寄る。 「うん。ササッとでもぉ、いいんだけどぉ」 くすぐる様に筆先をちらちらさせながら彼女が接近すると、赤くなりながら相手はますますうろたえた。 「すみません! 何分、絵心はないものでっ」 「え〜ぇ」 距離を取りながら謝罪する相手に、残念そうなシュラハトリア。 「ならぁ、大まかな特徴を書き出すだけでも十分さぁ」 からから笑いながら彼方が間に入ると、少年は安堵の表情を浮かべる。 「あと一つ、酷な事を聞くけどさ」 がしがしと乱暴に髪を掻きながら空也は言葉を探すが、ずいと膝を前に進めた。 「兄貴、討っていいんだな?」 単刀直入な問いに周りの笑みは一瞬で消え、ピンと空気が張る。 「はい」 意を決した顔つきで、短く姉が応じた。 「アヤカシを倒すっつー事は、兄さんがどぉなるか‥‥分かった上で依頼してぇると思うし、覚悟はあるだろうが一応聞いてぇおきたい。倒してしまって‥‥良いんだぁよな?」 重ねて再度、彼方が確認すれば、弟の表情は沈み、やつれた顔の姉は銀の瞳を見返す。 「覚悟なら、既に。本来なら、私どもがやらねばならぬ事です」 口惜しそうに口唇を噛む姉の肩を、ぽんと彼方は軽く叩いた。 「判った。俺ぇは今からあなた様方の牙と為る。犬は人に従い守るモノ、主人の意志で俺ぇは牙を振るおう」 「有難う御座います。唯一つ、事が終わった暁にお願いしたい儀があるのですが」 「何だ、申せ」 おもむろに切り出す姉を、鷹揚に貫徹が促す。 「非礼とは存じますが、『人斬り』を討ち果たした後は一切口出し無用をお願い致します。我らも、仕出かした不始末のけじめをつけねばなりませぬ故」 姉は神妙に次第を語り、隣の弟は沈痛な表情で項垂れた。 開拓者達は互いに顔を見合わせ、返答を迷うように口を噤むが。 「委細、承知した。仮に悪鬼を見逃す話なら別であったが、ケジメの付け方ならば氏族ならではの作法、しきたりもあろう」 腕組みをして聞いていた貫徹が、立ち上がる。 「そうだな。後は任せるとして、今は時間が惜しい」 黙って一部始終を聞く緋桜丸も腰を上げ、ルオウは氷の肩を揺すった。 「もう行くってさ。起きろよ」 「んぁ、鬼が島の旦那の話は終わったのか? って、あででで!?」 眠そうに目をこする氷の頭を、ぐりぐりと貫徹の拳骨が抉った。 ●人と人斬り 誰もが人斬りを恐れてか、太陽が登ってしばらく経っても店は開く気配がなく。 店前の掃除や打ち水の一つもせず、小さな町は息を殺していた。 「今のうちに、発見できればいいんだが‥‥話を聞く相手がいないのも、困ったもんだな」 町の路地に至るまで緋桜丸は見回し、竣嶽も辺りの気配へ注意を払う。 先を歩くサムライと志士の後に、依頼者の姉を挟んで対照的な陰陽師二人が続いた。 「オレは『符術士』の氷ってもんだ。今までの出没経緯なんかあれば、教えてもらえるか? それを元に、大体の時間や場所を予想できると思うんだが」 「私どもが、知る限りでよければ」 「よろしく‥‥まぁ、アヤカシがなに考えてるかなんて、さっぱりだけどな。ふぁあ」 姉の話を聞きながら、眠そうな氷は欠伸を一つ。 「ところでぇ。お兄さんがアヤカシに憑かれるまでの経緯ってぇ、聞いてもいいかなぁ?」 小首を傾げたシュラハトリアが尋ねると、浮かぬ顔ながら姉は首を縦に振った。 「お恥ずかしい話です。武天内にある魔の森の一つへ調査へ赴き、戻った少し後から急に変わってしまわれました。いま思えば魔の森か、帰路のどこかでアヤカシに憑かれたのでしょう」 「魔の森に、人に取り憑くアヤカシ‥‥かぁ」 自分の腕をぎゅっと掴む姿に、シュラハトリアは大きな瞳をくるくると動かして考え事にふける。 「じゃあ、どこぞの妖刀伝説のように、武器を手放せばいいって訳でもないんだな」 シュラハトリア達と同様に、弟の方から事情を聞いた空也が腕組みをして唸った。 「魔の森から、何かを持ち帰った様子はなかったです。人にアヤカシが憑くという話は、兄からも聞いた事がありましたが‥‥」 「よもやぁ本人が憑かれる事になるとは、ってとこかねぇ」 隣を歩く彼方の言葉に、沈んだ表情の弟が頷いた。 「アヤカシ憑きは死人も同然、行動そのものが人のそれと異なると聞く。獲物を探して徘徊するなら、発見自体は容易かろう。問題があるとすれば、最低限の生存本能は備えている事か」 「相手が多かったら逃げるとか、ズルいよな」 憤慨するルオウに、困ったような顔で弟は苦笑する。 「本来の兄なら‥‥いえ、皆様の仰る通り、兄はもう死んでいるのですね」 認めたくなかったのだろうが、再確認した弟は重い溜め息をついた。 「あのアヤカシは力が強く、足も速いです。気をつけて下さい」 「判った。それから、戦えねぇんならそれに代わる何かをしてみせろよ。これ以上、兄貴に人を斬らせたくなかったらな」 言い方を改めた弟へ、空也が言い含める。 その時、細く鋭い笛の音が、まだ人通りの少ない町へ響いた。 突然、飛び降りざまに斬りかかった兇刃が、一番幼く弱そうに見える相手を襲った。 黒い艶髪が、流れ。 金属がぶつかり合う音と共に、急襲する刃を薄い刀身が受け流す。 「竣嶽おねぇちゃん!」 「ここでは、人を巻き込む可能性があります。別班に知らせながら、移動しましょう」 宝珠の輝く珠刀「阿見」を抜いた竣嶽が、相手を見据えたまま仲間へ促した。 軒を連ねた民家へ踏み込まれれば、町の者へも被害が及ぶ。 無造作に片手で刀を握る人斬りに、緋桜丸も業物の柄へ手をかけた。 「余所見すんなよ? あんたの相手は俺達だ」 じりじりと、五人は町外れの方角へ移動する。 「間違いないか?」 確認する氷に、依頼人は兄を見据えたまま頷いた。 「笛は?」 「持ってるよぉ」 尋ねる竣嶽へ、シュラハトリアは呼子を握る。 「では、全力で走れ!」 緋桜丸の合図で五人は一斉に身を翻し、駆け出した。 背を見せて逃げる者達を、人斬りはひたひたと足音を立てて追い。 音の間隔は、次第に短くなる。 走りながら、シュラハトリアは呼子を吹き。 直後、追う影は跳躍して屋根を駆け、五人の行く手へ着地した。 「うん、ありゃ完全にアヤカシに憑かれてるなぁ‥‥他の人に憑く可能性も無きにしも非ずだし、気ぃつけないと」 「逃がす気もなさそうだ。仕掛けるか」 慌てて足を止めた氷が警告し、業物を抜き放った緋桜丸は刀の峰を返す。 別班が駆けつけた時、既に仲間は人斬りと斬り結んでいた。 空也が弟へ人払いを頼み、相手を逃がさぬよう囲んで散る。 だが、相手も加勢の気配に気付いたのか。 一気に後ろへ跳んで間合いを外すと、素早く左右へ視線を走らせた。 「おっと、逃げる気か?」 「おにぃちゃん、どこか行っちゃ嫌だよぅ」 その隙を見逃さず、氷とシュラハトリアが呪縛符を放ち。 「犬の神の名に従い、制せぇよ‥‥呪縛符!」 更に彼方の式が、戒めを強固にする。 「あっ、彼方おねぇちゃんだぁ!」 成長要素が一点集中したような豊かな胸を弾ませ、嬉しそうにシュラハトリアが跳ねた。 「怪我はぁないかぁ?」 「うん、大丈夫だよぉ」 尋ねる彼方へ、少女は手を振って答え。 邪魔にならぬよう出来るだけ道の端に控える姉を庇うように、ルオウが立つ。 「弟さん、すぐ戻ってくるから」 「はい。お世話をかけます」 動きが鈍りながら振り回す刀を受ける緋桜丸に合わせ、貫徹が長槍「羅漢」の石突で相手を突き倒す。 「遅い。お陰で、先に始めちまったぞ」 「ふん、待たせたな。人が集まらぬうちに仕留めるぞ」 「気をつけて。相手は腕力も脚力も、相当です」 攻撃を受け流してきた竣嶽が、警告しながら刀を構え直した。 技量なく力任せで振るわれる刀を受け続けた腕は、微かに痺れを帯びている。 「元とはいえ、お仲間が人斬りなんてしてるなんざ見るのも忍びねぇ。とっとと眠ってもらおうぜ」 ちらと依頼者へ目をやった空也は、指の関節をパキパキ鳴らした。 身を起こした人斬りは、喉の奥で唸り声を発し。 奇声を上げて飛び掛る相手へ、開拓者達は一斉に刃を向けた。 ●幕引き 「では、後の事は頼みます。頑張るのですよ」 「‥‥はい」 人気のない川の岸辺で、姉の言葉に弟は深々と頭を下げる。 弟へ背を向けた姉は背後で立ち去る気配を感じながら、開拓者達が運んだ遺骸の傍らへ静かに座した。 黙して座っていると、穏やかな水の流れだけが絶える事なく聞こえ。 そっと、小柄を抜き取る。 「では兄様、共に参りましょうか。不始末は一緒に謝って差し上げます‥‥なぁに、二人揃って手をつけば、きっと祖霊のお歴々にも許しをただけましょう」 最後に着物の襟を正すと、静かに彼女は首筋へ小さな刃を当てた。 「報酬ですが、お礼を兼ねて幾ばくかの金子の追加を、ギルドへ伝えました。神楽へ戻りましたら、お受け取り下さい」 「心遣いは有難いが、そんなに気を遣わずとも‥‥」 一礼する弟に、緋桜丸は複雑な表情を返す。 「では、此度の不始末の口止め料‥‥とでも、お考えいただければ」 その時、ざわりと風が騒いだ。 風に含まれた微かな香りに、彼方が眉をひそめる。 「ところでぇ、姉さんは?」 「はい、兄についております。一人で寂しくない様に、と」 強張った笑みと答えに、思うところがあったのか。 突然、彼方は弟の脇を抜けて駆け出した。 微かな異常を感じていた者達も、次々に彼女の後へ続く。 「お待ちを‥‥待って下さい! 一切、口出し無用と姉も申した筈。どうか、お止め下さい!」 すがる弟にルオウや空也は戸惑って顔を見合わせ、仲間の後を追った。 制止の声を無視して駆ける程に、僅かだった錆びた鉄の様な香はどんどん強くなる。 草を分け、川のせせらぎが近付き、やがて視界が開けた。 「これ、は‥‥」 急に足を止めた彼方の後ろで、緋桜丸が呻く。 一歩踏み出そうとした川原の石は、一面赤く濡れていた。 濃密な血の匂いの真ん中で、動かぬ兄妹が横たわっている。 「姉、様‥‥」 かすれた声に振り返り、猛然と貫徹は相手の襟首を掴んだ。 「どういう事だ、これは!」 「これが‥‥我らの、ケジメで御座います‥‥」 苦しげな息の下から、残された弟が声を絞り。 それ以上は答えぬ相手に、貫徹は突き飛ばす様に襟首を放す。 「この、大たわけめがっ!」 一喝され、ひょろけた弟はその場へ座り込んだ。 「けじめ‥‥これが、ですか‥‥」 「なんで‥‥」 竣嶽が目を伏せ、ギリと爪が喰い込む程に氷は強く拳を握る。 「‥‥アヤカシ憑きどころか、人の一人も救えねえで何が陰陽師だ‥‥っ」 その時、行き場のない憤りを吐く者達の耳へ、幼さを残す声が届いた。 「でもぉ‥‥お姉さん、笑ってるよぉ?」 遺骸の傍らにしゃがんでいたシュラハトリアは、顔を上げて皆へ告げる。 「ほぉら、笑ってる」 見れば、兄へ寄り添った妹の表情は、確かに微笑んでいるようだった。 ○ しばらくして、一つの噂が人々の口に上った。 ――何でもアヤカシに憑かれた妹を、開拓者の兄が仲間と共に、涙ながらに討ち取ったそうな。 しかし兄貴も深手を受け、討ったと同時に死んでしもうたとか。 兄妹で相打ちとは、気の毒に。 ほんに、可哀相になぁ――。 だが悲劇めいた噂も無数の噂話に飲み込まれ、押し流され。 かくて、人々の記憶より忘れ去られる。 真実を知る者達の心の内に、複雑な感情だけを残し。 |