野火、迫る
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 1人
リプレイ完成日時: 2011/05/10 22:26



■オープニング本文

●依頼、二つ
 切っ掛けは、ゼロ本人にもよく分からない。
 気がつけばソレは、ふよふよと彼にまとわりついていた。
「どっから来た。迷子か、持ち主から逃げてきたのか?」
「またそんな些細な事、聞くの?」
 何度目かの問いに、一回り以上も小柄で少女の姿をした相手は素っ気なく。
「ナンで、俺に付きまとう」
「必要だから」
「何がどう、必要なんだ」
「知らない」
 実りのない問答にゼロは嘆息し、髪を掻いた。
「分からねぇ。何度聞いてもこの調子だ」
「人妖、ですかい。いつから懐かれて?」
 馴染みの仲介屋が、興味深げに聞く。
「二、三日前ほど前だな。家の中まではこねぇが、外に出る間はずっと付いてきやがる」
「お困りで? 逃げた人妖なら、話が回ってるかもしれませんや」
「ソコまでする程でもねぇし、てめぇの事だ。しっかり金を取る気だろ」
「へっへ、さすがはゼロの旦那」
「さすがもへったくれもあるか。うっかり首を縦に振って、何度ムシられたか」
 脱力するゼロへ中年男はニヤニヤと笑い、それを渦中の存在はじっと眺めていた。
「ま、野良人妖の話は置いてだ。飯の種はあるか?」
「それなら、旦那のお耳に入れておきたい話が」
 急に声を落とた仲介屋に、自然とゼロも背を丸める。
「二日ほど前に入ってきたんですが。喧嘩の末、相手側の『人質』になった仲間を助けろって依頼があるんですよ」
「珍しくもない話だぜ」
「いえ、それが二つ。どちらの依頼も、数多ヶ原のサムライからでさぁ」
 その名を耳にした途端、ゼロの表情は俄かに険しくなった。

 それぞれ『山上組』と『沢下組』を名乗って連れ立つ、若いサムライ達がいた。
 両者は、常からそりが合わず。
 その日も山上組四人が酒を飲む店に、沢下組一人が居合わせたのが始まりだった。
 口論の末、沢下組一人は山上組一人を斬り殺し。激怒した山上組三人は、その場で相手を斬って捨てた。そこへ沢下組の残る三人が駆けつけ、騒ぎは大きくなる。
 だが同心や岡っ引きが現れる前に、双方は負傷した相手方のサムライを『人質』に取って逃げ、城町から離れた古庵や廃屋へ立て篭もった。
 歳も近く血の気の多い両者、おそらく考えも似ているのだろう。
 二つの依頼はいずれも、「表沙汰にせず、人質を助ける事。相手方が抗えば、死人を出しても構わぬ」という内容だった。

「馬鹿馬鹿しい」
 苦々しさを隠さず、ゼロが吐き捨てる。
「捨て置けば頭同士で決闘を始めるか、なりふり構わず相手方へ踏み込むか、だな」
「でしょうねぇ。どうするんで、ゼロの旦那」
「どうもこうも、面倒くせぇ事に関わる気はないぜ。動きは教えてくれると有難てぇが」
「そこは、お足次第でさぁ」
 したり顔の仲介屋に、渋々ゼロは金を出した。

「にしても、気にはなるな」
 仲介屋と別れた帰りの道、ゼロはぽつと懸念を口にする。
「そも、斬り合いに到る原因は何だ?」
「当主の長患いだよ」
「何?」
「それで元重派の沢下組が、基時派の山上組を煽ったから」
 思わぬ答えに足を止めたゼロは、傍らの人妖を睨んだ。
「野良、数多ヶ原から来たのか? さっきの依頼話も、元はてめぇが持ってきたのか?」
 問いを重ねても、相手は意図を理解しかねるといった顔で。
「何を知ってやがる。何のつもりで‥‥」
「必要だから。と、既に言った」
「本当に‥‥てめぇの作り主は、どういう物の教え方をしたんだ」
 がくりとゼロは肩を落とし、嘆息した。
「で、天見の当主が伏せって何日になる?」
「ひと月以上、かな」
「この時期‥‥にしても、長いな」
 依頼は受けないが、気になるのは確かで。
 浮かぬ顔のまま大股で歩き出したゼロの後を、再び人妖は付いて行く。

●諍い
 締め切った廃屋の雨戸を、がたがたと風が揺らした。
「なぁ、山上。これで良かったのだろうか」
「致し方あるまい。こちらが水原を捕らえている以上、向こうも長塚を下手に斬れぬし、こちらへ押し込むのも二の足を踏む筈。そこまでの義が沢下らにあれば‥‥の話だが」
 じろりと山上が見やれば、柱に括られた水原が彼らへ唾を吐く。
「臆病者の日和見どもが。貴様らが軟弱だから、お屋形様が政(まつりごと)を執る事が出来ぬまで見過ごしたのだ。もっと早くにお諌めし、家督を元重様に譲っていれば‥‥!」
「それが貴様らの腹か、水原っ!」
「よせ、森田。今は堪えろ」
 片方の膝を立て、刀の柄へ手をかける森田を山上が制した。
「所詮、友すら自力で取り戻せぬ臆病者よ」
 げらげらと嘲る水原に悔しげな森田が唇を噛み、山上はじっと外の気配を窺う。
 廃屋の周りには他に家もなく、ただ荒れた野っ原が広がっていた。

「水原は、無事であろうか」
「山上どもの事だ。酒の勢いでもなくば、臆病風に吹かれて刀も抜けまい」
 身を案じる波村へ、胡坐をかいた沢下が応じた。
「ふん‥‥刀を振り回していれば全て収まると信じる貴殿らの方が、よほど臆病ではないのか?」
 手足を縄で縛られ、床に転がされた長塚の言葉に、沢下が身を乗り出す。
「ならば聞くが。真に数多ヶ原を憂いているのは、誰だ? 当主となっても屋敷より出ぬ身で、如何に民草の声を聞くのやら。未だ奥方の一人も娶らず、世継ぎもなく。当主の役目も、多くは既に元重様がこなしておられる。アヤカシと戦う為の力も、だ」
「違う。憂いているからこそ、お屋形様は元重様に任せておられるのだ」
「だから、浅ましいと言う。名ばかりの当主と成り果てている事に、御身自ら気付いていないと? 否。気付いて尚、元重様の働きの上に胡坐をかいているのだ!」
 声を荒げた沢下は、腹立たしげに刀の鞘尻でどんっと床板を打った。
 やり取りを聞く波村は、黙って戸の隙間から外を見る。
 古庵を囲む木立は、ざわざわと風に揺れていた。

 天見屋敷の奥からは、ひっきりなしに咳が聞こえる。
「兄上の具合は?」
 天見家当主である天見基時の容態を尋ねた兄の元重に、看病をする妹の津々は頭を振った。
「咳も熱も治まらなくて。食事もほとんど、喉を通らないみたい」
「そうか‥‥表の事は案ずるな、お前は兄上を頼む。行くぞ、鷹取」
 重い口調で託した元重が、同行した供の青年を連れて踵を返す。
「元重様、朱藩より荷が届いておりますが」
「先に、鷹取の方で確かめてくれ。俺は後で改める」
 廊下の先に消えるまで、津々は兄を見送り。
「今年の春は、冷えるね‥‥」
 未だ寒さの名残りが残る風に、呟いた。



※参考資料/天見家直系一覧(天儀暦1011年5月現在)
 父:天見基将(あまみ・もとまさ)‥前当主・死去
 母:初(はつ)‥本妻・死去
  長男:基時(もととき・26歳)‥現在の当主
 【長女:佐保(さほ)‥他家へ嫁いだ後、死去。享年22歳】
 【次男:基近(もとちか・22歳)‥現在のゼロ】
  次女:津々(つつ・17歳)

 母:千代(ちよ)‥後妻・存命
  三男:元重(もとしげ・19歳)
  四男:元信(もとのぶ・14歳)
  三女:竜田(たつた・11歳)
  五男:元定(もとさだ・11歳)
  四女:白(しら・9歳)
  六男:元盛(もともり・6歳)


■参加者一覧
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
七神蒼牙(ia1430
28歳・男・サ
嵩山 薫(ia1747
33歳・女・泰
景倉 恭冶(ia6030
20歳・男・サ
シア(ib1085
17歳・女・ジ
ヴァスクリセーニエ(ib6623
19歳・男・ジ


■リプレイ本文

●宿の一室
「えぇと‥‥つまり仲介屋からの依頼って、この数多ヶ原で起こった二つのサムライ集団の騒動を、出来るだけ表沙汰にしないで取り合えず収めるってトコか? 根本的な所は、直には無理だが」
「そういう事になるな」
 開拓者ギルドを通していない『裏依頼』の中身を七神蒼牙(ia1430)が確認し、煙管を咥えたままで鬼灯 仄(ia1257)は頷く。
「喧嘩けっこう。政を憂うのも‥‥口先だけみてえだが、まあ良し。だが、加減は知らねえ、人質は取る、自分の尻も拭く気概もねえってんじゃなあ」
 やれやれと、溜め息混じりに仄が紫煙を吐いた。
「喧嘩、で済むような話ならばまだマシね。人死にに、人質。更に抗うなら生き死には問わず‥‥か」
 ゆるりと青い髪を左右に揺らし、シア(ib1085)は窓の外へ目をやる。
「政治で、『どちらが正しいか』を偉そうに説く気はないけど」
 話を聞く限り、基時も元重もどちらもそんな諍いは目指してないと‥‥彼女には、そう思えた。
「それにしても、まさか私がサムライの国のお家事情に関わるなんて。思ってもみなかったわね。ゼロさんとのお付き合いもあるし、協力するのは吝かではないわ」
 ちらと嵩山 薫(ia1747)が窺えば、複雑な表情でゼロは苦笑を返す。
「ついてきちまって、すまねぇな。依頼の邪魔はしねぇから」
「気になるんなら、仕方ないやね。故郷での事やし」
 けろりと景倉 恭冶(ia6030)が笑い返し、それからシアを倣うように外を見た。
「ちらちらと噂にゃ聞いてたが‥‥ゼロの故郷か。いい土地やけど、随分ややこしい事になってんなー」
「お家騒動と言えば‥‥私も、昔の事を思い出すわ。まぁ、殴り合って最後まで立っていられれば、それで済んだ話なんだけど。サムライの国って、意外と単純明快じゃないのね」
「そやね。互いに譲らず、にらめっこ‥‥見事に、状況は固まっちまってんねぇ‥‥」
 茶を取る薫に、恭冶はぽしぽしと髪を掻く。
「ここまで膠着してるとは‥‥何やってんやろね」
「どっちにしても喧嘩両成敗、ってね‥‥それで済んでくれたらいいけど」
 胡坐をかくようにして壁際に座ったヴァスクリセーニエ(ib6623)が、膝の上で頬杖をついた。
「そこはそれ。嵩山達なら上手くやってくれるだろ。ぴーぴー喚くようなら、全員シメちまえ」
「志体はないから、手間取る相手ではなさそうね」
 期待に満ちた仄の視線に、ふっと薫は小さく息をつく。
「さて。俺は沢下組に乗り込んで、長塚を助けてこようかね」
 ひと段落した話に恭冶が胡坐を解くが、他の者達は動かずに顔を見合わせていた。
「あ、あれ? 三人は山下組に?」
「偏るのも、不味いわね。私が行くわ」
 おろおろする恭冶に、薫が立ち上がる。
「何か、申し訳ないやね」
「気にしないで。準備不足だったわね」
「‥‥大丈夫なのか?」
「何とかなるでしょ。志体のない相手だし」
 不安げに依頼を受けた者達を見るゼロへ答え、薫は恭冶と部屋を出た。
「‥‥と、その前に。俺、先行して調べた人の話を聞いておきたいんだけど」
 座を立つ前に、ヴァスクリセーニエがシアに頼む。
「騒動の話が聞こえているなら‥‥人払いぐらいには、なってるかもしれない。逆に他の派閥の奴らが介入を考えてるなら、そっちにも控えないとだしな」
「そうね」
 少し思案してから、シアはジプシーへ首肯した。
「何か、手間取ってなきゃいいけどな」
 やはり人を待つ蒼牙が、やや心配そうに襖へ目をやると。
「すみません、お待たせしましたっ」
 襖はスッと開き、リーディアが顔を出した。

「えぇと、ですね。今回の騒動、町の人達の間ではかなりの噂になっているようです」
 一足先に城町に入っていたリーディアは、聞き集めた話をまとめる。
 人斬り騒ぎは噂の規模から、他の基時派や元重派の耳に入ってもおかしくないと推測出来た。だが双方動く気配はなく、同心達が『下手人』を捜している。
 また山上組と沢下組の両者は大きなお役目こそ担っていないが、天見屋敷に出入りする身である事。
「こっそり『瘴索結界』もかけてみましたが、分かる限りでアヤカシの気配はなかったです」
「成程‥‥ん、有難うな。助かる」
 もし気配があれば‥‥と懸念していたヴァスクリセーニエは、少し安堵した。
「手間、かけさせたな」
「いいのですよ。少しでも、皆さんの力になりたかったですし」
 労う夫へ妻はにこりと笑み、二人のやり取りをどこかほのぼのと蒼牙が見守る。
 一方、仄は視界の隅にいる小さな姿‥‥淡々と一部始終を眺める人妖に目を留めた。
「随分と小さな女連れだな」
「勝手についてくる、野良だ」
「ふぅん? ああ、もし天見の連中に言伝でもあれば預かるが。直接会う気なら俺も連れてけ」
「ねぇよ。伝言なんぞ」
「そうか。じゃあ、ぶらりと歩いてくるかね」
 灰吹きへ灰を落とした仄は煙管を仕舞い、シアとヴァスクリセーニエもまた立ち上がる。
「てめぇは?」
「俺はゼロが何を思って、何の為に赴くのかが気になってな」
「好きにしやがれ」
 蒼牙の返事にゼロは素っ気なく、深編笠を取るとすれ違いざま妻の頭をぽんと撫で。
「行ってらっしゃい、ですよ〜」
 残るリーディアは手を振って、部屋を出る者達を見送った。

●城町
「偶然に期待し過ぎるのも、不味かったか」
 通りの路肩で壁にもたれた仄は、がしがしと乱暴に紙を掻いた。
 視線の先には薬屋がある。以前に天見津々を探していた際、彼女が立ち寄っていた店だが、現れる気配は微塵もない。
「考えてみりゃあ。当主が伏せってるんなら、つきっきりかもな」
 腕組みをして、唸る仄。
 ならば顔を知る三枝伊之助を頼ってみるかと、思いついたものの。
 ゼロに託された少年を送り届けたのも城町までで、彼の家など到底知らない。
 記憶を辿れば、家へ戻る時間も惜しんだ伊之助の助けで津々を見つけ。その後は伊之助を一人で家へ帰し、基時に目通りを願おうと天見屋敷へ向かったのだった。
「やれやれ‥‥しくじった、な」
 行雲流水の如く、成り行き任せの行き当たりばったりで歩いても、目当ての顔に出会える訳がなく。得られたのは「基時の長患いを案じつつ、元重が仕切れば自分達の暮らしぶりに影響はない」と見立てる町民達の声。
「居酒屋で一杯引っかけるか、遊郭で放蕩にでもふけるとするか」
 時間ばかりが無為に過ぎる中、仕方なしに仄は変わらぬ賑わいの城町をぶらりと歩いた。

「遠慮なんかすんなよ? 手は多い方が良いだろうしな」
 笠で顔を隠していれば満足に話もできないだろうと、蒼牙が声をかける。
「何を探すって訳でもねぇんだけどな。前に来た時は、ほとんど城町も見る事が出来なかったってだけで」
 顔を隠さねば足を踏み入れられない故郷と、顔を隠してでも足を踏み入れたい思い。
 だが深編笠の下で答える、ゼロの表情はわからない。
 じれったげに蒼牙は相手の腕をぐいと掴み、ずんずんと歩き始めた。
 目に付いた茶屋へ声をかけ、無理を頼んで二階の座敷へ上がらせてもらい、人払いを頼む。
「ったく、気になる事を放っておくのは性に合わねぇや。ゼロ、お前なんで依頼を受けてもいないのに、この件に関わる?」
 菓子と茶と酒を置いて店の者が引っ込んだところで、単刀直入に蒼牙は切り出した。
「開拓者としてのお前の事を、俺は多少は知ってるつもりだ。けど昔の事は風の噂に実家の面倒事を嫌って飛び出してきたって程度しか知らん。
 もし話したくないってんなら、それはもう割り切ってこれ以上は聞かねぇ。けど、話せる事なら話してくれると友人として嬉しいし、俺に出来る事なら出来る限り、力になってやる」
 言葉を切ると胡坐をかいた両膝へ手を置き、蒼牙は笠の向こうを覗き込んだ。
「だから思ってる事、ぶちまけてみろや。な?」
「以前は‥‥独り我武者羅にぶち当たれば、大抵の事は片付いたが。今は捨て置けず、かといって手も出せずの立ち往生、だな」
 笠を取ったゼロは、小さく苦笑った。
「誰も彼も手を貸すと言うのは有難いが。その手を俺は‥‥どう、借りればいい? てめぇら皆、俺には大事で、誰も危険に晒したくねぇんだぜ」
 うな垂れる相手へ、酒を注いだ器を蒼牙がぐぃと突き出し。
 しばしゼロは器を見つめ、静かに受け取る。
 そして約一年前の毒盛り騒動や天見家の一連をぽつりぽつりと話しながら、酒杯を傾けた。

●顛末
「まず、正面から人質解放の交渉。決裂したら、少々手荒にしてでも取り戻す。これでいいかしら?」
 段取りを告げる薫に、恭冶も異論はないと首を縦に振る。
「話をして納得する奴らかと言われりゃ、怪しいけどなぁ‥‥」
 二人がいるのは、城町から少し離れた林の中。そこある古庵が、元重派の沢下組が基時派の長塚を人質として隠れる場所だった。
 応じないなら威嚇の『発気』でもと思案しながら、ふと恭冶は気付く。
「そういえば、相手が全員男でよかったやね。いざとなったら、人質抱えて逃げられる」
 心なしかほっとする彼に、薫が苦笑した。
「そんな事にならないと思うわよ。始めましょうか」
 相手から見えるよう、二人は並んで庵へ歩き始める。
 中の者は小窓から外を窺っていたのか、ある程度の距離で太い声が飛んだ。
「止まれ! お前達‥‥沢下の依頼を受けた開拓者か?」
 用心しながらも乱暴な問いに、薫は恭冶と視線を交わす。
「残念だけど、違うわよ。人質を返してもらいに来ただけ」
「何!?」
「同じ土地に住む者同士争うなんて、愚の骨頂だって。人質返してくれりゃ、俺達はそれに越した事はねぇやね」
 続いて恭冶が呼びかけるが、庵から反応はなかった。
「‥‥これで貴方達が不利になる事は無いから、安心していいわよ。そちらの人質も、貴方達が雇った開拓者がじきに連れ戻す筈だから」
 更に薫が後を続けても出方を窺っているのか、沢下と波村は沈黙を保つ。
 再び歩を進める二人だが、静かな庵へ近付く程に嫌な予感が胸を過ぎり。
 最後は恭冶が走り寄り、庵の扉を打ち破る。
「な‥‥!」
 踏み込んだ途端、鼻を突くのは血の匂い。
 部屋には縄で縛られた男‥‥人質の長塚が、転がっていた。急ぎ恭冶は薬草と包帯で手当てを試みるも、刃物で一突きされた胸からの激しい出血が絶命を伝える。
「裏よ!」
 雨戸を一蹴した薫が、外から呼んだ。
 志体のない者が開拓者と正面からやり合っても、勝機はない。人質も盾にならぬと沢下は判じたか、即座に斬って逃げたらしい。
「捕まえるわ!」
 沢下達が逃げる事も人質に手をかける可能性も危惧はしていた薫だが。
 今は木立の奥に見える二つの背を、追う。
「行け、波村。水原を頼む!」
 迫る草音に男がもう一人へ声をかけ、振り返った。
 先を行くのが波村なら、残るは沢下だろう。
『瞬脚』で追いつく薫と正対するや、片方の手を広げて行く手を阻み、残る手は刀の柄に置く。
「もし得物を抜くんなら‥‥覚悟は出来てるんやろね‥‥? 痛い目にあう覚悟をさ」
 遅れた恭冶の警告にも、沢下は引かず。
「去れ、開拓者。望み通り長塚の死体を担いで、臆病者の山上に不首尾を報告するがいい! それとも腑抜けどもから、俺の首を取れと言われたか? しくじりの言い訳、私怨晴らしに痛めつけていくか?」
 あざける沢下へ、薫は眉をひそめ。
「ここの主様とその弟で目立って喧嘩も争いもしとらんのに、お前等が諍い起こしてどうするんよ‥‥人同士で戦う暇なんぞ、なかろうに」
 うめく様に恭冶は訴え、ただ立ち竦んだ。

 野っ原に佇む廃屋を前に、シアとヴァスクリセーニエは策を話し合っていた。
 廃屋へ忍び込むシアの案に対し、彼らを説得するとヴァスクリセーニエが主張する。
「乗り込んで、厄介事になったら困るし。武器は出さず、話し合い優先でさ。互いに、思う所はあるんだと思うし‥‥少し理解できるだけでも、違うんじゃないかな」
「ならあなたが山上組の注意を引いてる隙に、『猫足』で忍び込むわ」
 願わくばと廃屋を見る相手に、シアは妥協し。
 彼女が裏手へ回り込むのを待って、彼は廃屋へと進み出た。
「あんたらと、話があるんだ!」
 武器を持っていないとヴァスクリセーニエは両手を広げ、紫の髪を揺らして訴える。
 自分は事情をよく知らない身だが、互いに天見を憂いてるなら此処で争ってる場合でもない、と。
「それに‥‥こういう事、あんたらが信じてる人が望んでると思うか?」
 呼びかけは、シアの耳にも届いた。そして、廃屋の中のやり取りも。
「どうする、山上?」
「俺達としても、無用な争いは避けたい。このままの膠着状態は沢下側も望まぬ筈」
「そう、だな」
「縄を解いてやれ、森田」
 山上の促された森田は悔しげに応じ、刀を抜く気配にバラバラと縄が落ちる音がした。
 穏便な話の流れに、ほっとシアは胸を撫で下ろすが。
「所詮、貴様らはその程度よ。括れぬ腹なら、斬ってしまえ!」
 自由の身となった水原が、言葉を吐く。
「とっとと行け、水原!」
「ハッ、無様で滑稽な日和見ども。腰の物も、どうせ竹光だろうが!」
「貴様ぁ!」
 水原の追い討ちに、森田が声を荒げ。
 どすんと床に倒れる音にシアが飛び出せば、袈裟懸けに斬られた森田が倒れていた。
「森田、しっかりしろ!」
 廃屋内の騒ぎに気付いたのか、ヴァスクリセーニエも駆け込むが。
 森田を助けようとする山上を尻目に、刀を捨てた水原が意気揚々と外へ出る。
「お前達は、沢下から頼まれたのか? へへっ、じゃあサッサと戻るぜ‥‥いや、その前に医者か‥‥」
 戸惑う二人にも構わず。脂汗を滲ませ、脇腹を抑えて先を歩く水原は途中でばったり倒れた。
「どうした!?」
 慌ててヴァスクリセーニエが助け起こすも、水原の目は既に虚ろで。
 抑える手の下から覗く刀傷に、シアはようやく人質が負傷していたらしい事を思い出した。

「聞いたか。例の噂の四人組同士の諍い、えれぇ事になったってよ!」
 階下から声に、ハッと蒼牙はそちらを見やる。
 がやがやと煩くなる茶屋の騒ぎに詳細は判らないが、只ならぬ気配で。
「失敗したのか?」
 蒼牙は呻き、ゼロは目を伏せた。
「神楽に戻ったら、仲介屋の奴に繋ぎを取らねぇと」
 ギルドを通していない裏依頼では、最悪の形で依頼が失敗すれば報酬がふいになるどころか、逆に『迷惑料』を請求される場合もある。
「もしかして、肩代わりする気か?」
「元は、天見家の不始末。それに俺も‥‥動かなかったからな」
 蒼牙の問いに、口惜しげなゼロがギリと唇を噛む。
 人妖はただ、面白そうにそれを見ていた。

   ○

 関わった者の意思と関係なく、人の口に噂は立つ。
 人斬り騒動の解決に尽力した開拓者達がいた話は、城町はもとより天見屋敷でも持ちきりとなった。
 基時を支持する者達は、長塚を助けようとした者を「炯眼持つ者だ」と称え。
 元重寄りの一派も助力者を、「武勇を知る者だ」と褒めそやし。
 乾いた原へ放たれた火種は、瞬く間に炎と成る――。