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■オープニング本文 ●泰国の春は 「もうじき、花見の季節か」 めっきり春めいた空気に、ぽつとゼロが呟いた。 気付けば気の早い蝶がひらひらと舞い、桜もつぼみをつけ始めている。 市場に並ぶ野菜や魚にも春の香を運ぶものが多くなり、小物や着物も春めいた柄が並び始めていた。 「そういえば去年は、ジルベリアまで花を見に行ったんだっけか」 ジルベリアの開拓者ギルドマスター、ジノヴィ・ヤシンの招待で、その邸宅へ足を運んだのは去年の五月の事。ジルベリアの春は遅く、今はまだ雪に閉ざされているだろう。 何気なくそんな事を思い返しながら歩けば、『旅泰』と呼ばれる泰国商人の露天が目に入った。 空腹を誘う香りにつられて覗けば、湯気を立てるセイロの傍らで胡麻団子や肉まん、ちまきなどが並んでいる。 そのなかで、ふと目に付いた菓子をゼロは指差した。 「コレ、桃の菓子とかあるのか」 「それは寿桃(ショウタオ)、桃饅頭だ。泰じゃあ、祝い事や誕生日には欠かせないよ」 「へぇ、誕生日に‥‥」 店の男の説明を聞きながら、そういえばあいつもこないだ誕生日だったな、などと思い出す。思い出しながら試しに桃饅頭を一つ買って、湯気の立つのをその場で齧り付いた。途端、熱そうに口をぱくぱくさせるゼロを見て、男は大らかに笑う。 「どうだ、旨いだろ」 「んめぇが、あふい‥‥饅頭の中身は餡なのか」 「ああ。そういえば、天儀の花見は桜なんだってねぇ」 「泰国は違うのか?」 「あっちじゃあ、桃が多いねぇ。そろそろ、『劉の桃園』も賑わい始める頃だ」 「桃園、か」 思えば、泰国出身の知り合いがいても、ゼロ自身は泰国なぞ行った事がない。 ジルベリアにしても、去年の反乱騒ぎがなければ彼にとって遠い異国だった。それも今ではジルベリア人の友人が増え、娶った妻はジルベリア出身だったり、花見に行ったヤシン夫妻からは彼女との結婚を祝われたり‥‥と、気付けば何かと身近な存在になっている。 思えば、実に数奇な縁だ。 「あいつも泰国は行った事ねぇし、桃の花見をしに足を伸ばすのも一興か」 「お薦めするよ。旅をするにも良い時期だ」 「じゃあ人を誘って賑やかにやるのも、いいかもしれねぇな」 花を愛でて歩くもいいだろうし、その下でゆるりと酒を飲んで飯を食い、楽や舞をして春を楽しむのもいいだろう。 「ナンにせよ善は急げだな、面白い話を感謝するぜ。あ、ついでに桃の饅頭、もう三つ四つほど貰っていいか? 旨かったしな」 手土産にと更に桃饅頭を買い求めてから、ゼロは誘いの依頼を出すべく開拓者ギルドへと向かった。 |
■参加者一覧 / 天津疾也(ia0019) / 柚乃(ia0638) / 酒々井 統真(ia0893) / 有栖川 那由多(ia0923) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 胡蝶(ia1199) / 大蔵南洋(ia1246) / 喪越(ia1670) / 周太郎(ia2935) / フェルル=グライフ(ia4572) / からす(ia6525) / 霧咲 水奏(ia9145) / 劫光(ia9510) / リーディア(ia9818) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 十野間 月与(ib0343) / 不破 颯(ib0495) / グリムバルド(ib0608) / 琉宇(ib1119) / ケロリーナ(ib2037) / リリア(ib3552) / 八十島・千景(ib5000) / 緋那岐(ib5664) |
■リプレイ本文 ●劉の桃園 「わぁ、綺麗です‥‥!」 華やかな色合いの門をくぐった礼野 真夢紀(ia1144)は、一面の光景に表情を輝かせた。 泰国にある劉の桃園はちょうど花も盛り、穏やかな陽光の中で匂い立つ淡い薄桃の花が咲き誇る。 「桃源郷。文字に偽りなし、と」 眺蓮亭から臥竜橋をゆっくり廻りながら、からす(ia6525)が桃の霞に重々しく首肯した。 「泰国のとある書籍によると、不老の存在である天人が住むという天界はこのような景色であるというが‥‥美しい」 桜の様な儚さはないが、また別の風情があり。 「見事なものだな」 一人、足を運んだ大蔵南洋(ia1246)もまた、感嘆の言葉を口にする。 「出来れば、あの二人にも見せたかったが」 急な用件で同道できなかった者達の顔を、ふと思い浮かべつつ。 散策する者に混じり、ゆるゆると南洋は歩き出した。 「衣装の貸し出しとかも、やってるんだな」 「せっかくですし、着て行きませぬか?」 案内を見る周太郎(ia2935)と肩を並べた霧咲 水奏(ia9145)は、どこか楽しげに恋人の表情を窺う。 「そうだな。向こうの格好も、してみるか‥‥」 「これを機会に、一着ばかり買ってみるのもいいかもしれませぬな」 園内を散策する地元の人々を見ながら、水奏は思案し。 「藍か緑の旗袍でも、探してみましょうか」 「気に入りそうなのが、あるといいな」 そんな話をしながら、二人は衣装を借りに行った。 「旗袍、着てみようかな‥‥?」 「借りてくればいいんじゃないか。着替えるの、待っててやるから」 興味はあるが、迷う様子のフェルル=グライフ(ia4572)を酒々井 統真(ia0893)が促す。 「統真さんは、借りないんです?」 「俺は別に。自前の江湖が、泰服だからな」 「そう言われると、そうでしたね」 羽織の下の泰服を彼が示せば、改めてフェルルも気がついたらしい。 「それなら‥‥私も、借りてみます。急いで着替えてきますから、待ってて下さいねっ」 「慌てなくていいからな」 揃って泰国衣装で過ごせるなら尚更と、ぱたぱた駆け出すフェルルの後ろ姿を苦笑しながら統真は見送った。 「そういえば‥‥あいつらもそうだっけか」 「何が、です?」 何気なくやり取りを耳にしたゼロへ、リーディア(ia9818)が小首を傾げる。 「ん。三月の生まれだったなぁってな」 「誕生日ですか。ふしぎさんや千景さんも、私と同じ三月だったのです」 嬉しそうなリーディアが、衣装を選ぶ八十島・千景(ib5000)と天河 ふしぎ(ia1037)へ手を振った。 「そりゃあ、奇遇だな。俺や那由多の時も驚いたが」 ゼロが目をやる先では、有栖川 那由多(ia0923)が長屋馴染みの桂木 汀やサラに構っている。勿論、保護者な崎倉 禅と藍一色の仔もふら様も一緒だ。 そして、いち早く苦手な存在を発見した緋那岐(ib5664)は、密かに慌てていた。 「こんなところにまで、もふらが‥‥っ」 「どうかしました、兄様?」 「い、いや、何でも。ほら、望桃堂はあっちから行くみたいだっ」 妹の柚乃(ia0638)が気付かぬよう、もふらが目に入らぬようにと、それとなく緋那岐は視界を遮り。 「義兄弟の契りってこんな感じ‥‥?」 おもむろに、泰剣「流星剣」をしゅたっと掲げてみる柚乃。 「杯を掲げたのかもしれないけどな」 そんな話をしながら、双子の兄妹は臥竜橋へ移動する。 「ところでゼロさん、どちらを着るか選んで下さい♪」 不意に質問されたゼロは、リーディアが選んだ二着に目眩を覚えた。 手にした片方は普通の泰服だが、もう一着は生足チラリな旗袍で。 「こっちでいいぜ」 泰服をゼロが指差すと、すこぶる残念そうな反応が返ってきたのは言うまでもない。 「あと私の旗袍は‥‥生足を見せるか、下に何か穿くか、どちらがいいです?」 「なっ、ば‥‥ッ!」 更にうろたえるゼロに、ころころとリーディアは笑い。 「桃、ですか‥‥ふふ、楽しみですっ」 銀の指輪に彫られた『剣に三つの桃の実』の模様を、そっと彼女は指でなぞった。 「風邪、よくなったか?」 ぽふぽふと那由多に頭を撫でられたサラは、崎倉の後ろに隠れながら首を竦める。 「今日はサラの『快気祝い』だからな。折角だし、汀ちゃんも泰国衣装一緒に着てみる?」 相変わらずな様子に笑いながら那由多が誘えば、はしゃぐ汀は目を輝かせた。 「え、いいの?」 「ま、俺なんかが着てもしょーがないけどさ。女の子は着飾ると華やかでいいだろ。あ、サラも着るか?」 じーっと那由多を見上げたサラは、おもむろに手を伸ばし。 「ちょっ‥‥何よ。私も一緒に着ろって言うの?」 ぎゅっと服を掴まれた胡蝶(ia1199)は旗袍を見、自分が着た姿を想像して頭をふるふると振る。 「俺も、着替えまではな‥‥頼まれてくれるか?」 「し、仕方ないわね。でも泰国衣装、私はちょっと‥‥遠慮しておくわよ」 苦笑する崎倉に胡蝶は念を押しながら、サラの手を取った。 「じゃあ好きなの選んで、着せてもらっといで。崎倉センセも着ればいいのに」 「いいから、行ってこい」 ひらと手を振る崎倉に笑いながら、少女達を送り出した那由多も着替えに向かう。 「ふぁぁ‥‥おひとがいっぱいで、迷いそうですの〜」 おろおろとするケロリーナ(ib2037)は、カエルのぬいぐるみを抱えたまま辺りを見回し。 「あっ、おじさま〜!」 「おじ‥‥ケロリーナか」 縦ロールなツーテールを揺らして駆け寄る少女に、劫光(ia9510)が足を止めた。 「人が多いから、迷子になるなよ」 「はいですの。けろりーなも、ちーぱお着るですの。それでねそれでね」 「それで、何だ?」 続きを劫光が尋ねれば、ケロリーナは目を輝かせる。 「ゼロおじさまも劫光おじさまも、魅惑のすりっとですの☆」 「みわ、く‥‥?」 「そういえば、ゼロおじさまは? 劫光おじさま?」 くぃくぃと袖引くケロリーナの言葉を、とりあえず劫光は聞かなかった事にした。 「すみません、待ちました?」 詫びる声に振り返ったグリムバルド(ib0608)は、恋人の姿に目を細めた。 アルーシュ・リトナ(ib0119)が纏っているのは、淡い水浅葱の生地にひなげしの花刺繍が入ったワンピース型の旗袍。恥ずかしいのか、膝の少し上くらいまで入ったスリットを気にしている。 「いや。よく似合っているよ、ルゥ」 愛称で呼ばれたアルーシュは、咲く花に負けぬ微笑をグリムバルドへほころばせた。 「グリムも良く似合いますよ。刺繍が綺麗に締まって、映えていて‥‥」 彼の長袍は、黒地に金糸で刺繍が施された物だ。やや困惑気味に、グリムバルドは改めて自分の服装を確かめる。 「そうかな」 「ふふっ。何時も以上に、馴染んでいる気がします」 褒められて戸惑う、そんな様子も愛しくて。嬉しそうにアルーシュは、グリムバルドへ寄り添った。 そんな和やかな恋人達の様子に、天津疾也(ia0019)は大きく溜め息をつき。 「リリアも、着替えたらええのに」 泰服姿の疾也は、いつも通りな服装のリリア(ib3552)へ残念そうな視線を向ける。 「な‥‥何よ、急に」 視線に戸惑いながら、平静を装ったリリアが疾也へ返した。 「見たかったなぁ、旗袍のスリッドから見える、リリアの生足」 「生足、とか‥‥っ」 言葉に詰まった代わりに、顔が熱くなる感覚をリリアは覚え。そんな彼女の内心を知ってか知らずか、更に疾也が『野望』を語る。 「今日はリリアと、いちゃいちゃするんやからな」 「そ、その、やり過ぎない程度に、だからね!」 頬を赤くしつつもあしらうリリアは、念の為に釘を刺した。効果の有無は不明だが。 「やれやれ‥‥春来たりて、何処も花は満開、だねぇ」 一足早く新緑の色の泰服を纏った不破 颯(ib0495)が、咲く花々を見上げる。 「今までは花見と言えば桜だったが、これも悪くない」 近くで同様に花を見ていた琥龍 蒼羅(ib0214)もまた呟いて、「だなぁ」と颯も同意した。 「さて、どこから散策したものか」 「俺は先ず、臥竜橋から眺蓮亭まで歩いてみるか‥‥これだけの良い眺め、天儀にいては見られない物だからな」 長廊を指し示す蒼羅に、「それは奇遇」と颯がからりと笑い。 「蓮の花には早いが、春の緑に茶を楽しむのもいいよなぁ」 柔らかな春の日差しの中、たまたま会った男二人は気の向くままにぶらりと行く。 「じゃあ、すまねぇが頼んだぜ。汀」 「うん、いいよ」 着替え終えた那由多は、ゼロと分かれる汀の姿に目を留めた。 「あいつ、どうかしたのか?」 「えっと、頼まれ事をね」 ごにょと汀から耳打ちされ、那由多は苦笑を浮かべる。 「しょうがないよなぁ、ゼロは」 憎めぬ口調で呆れつつ、遠ざかる背を見送ってから。 「汀ちゃん、よく似合ってるじゃん。可愛い」 「えへへ。ありがと、那由多さんっ」 ぽふぽふと那由多に頭を撫でられ、照れる汀。 「待たせたわね」 「そんな事ないよ、胡蝶さん!」 胡蝶と手を繋ぐサラの空いた方の手と、汀の手を那由多が掴んだ。 「崎倉センセも胡蝶さんも皆で、何か食いに行こう。ほら、そこのちっせえもふらも行くぞ!」 「もふふ〜」 賑やかに望桃堂へ向かう四人と仔もふら様の後を、面白そうに崎倉が付いていった。 ●桃花の下で 桃園が一望できる望桃堂では、麗しい風景と桃の香りに酔いながら、人々が春の宴を楽しんでいる。 「今度は泰国で桃割りをすると聞いて、遊びに来たよ。割るほど大きい桃なんだよね、きっと」 「ああ、アレならあるな」 何やら楽しみにしている琉宇(ib1119)へ、意味ありげな笑みと共にからすが答えた。ざっくりと見えそうで見えない大胆なスリットが入った旗袍に、白い前掛けをかけている‥‥早い話が、給仕役だ。 「え、あるの?」 「あるとも。なぁ、明王院殿」 「ええ、アレね。少し、時間がかかるけども」 目を丸くする琉宇にからすが振り返れば、同じように給仕を手伝う明王院 月与(ib0343)も意味深にニッコリと微笑んだ。 「んー、泰へは初めてだな。まぁ、のんびりすっか」 「泰国には何度か来た事があるけど、桃園は初めてかな」 そんな話をしながら、緋那岐と柚乃、双子の兄妹は桃の花を望む席に座る。旗袍を着てみた柚乃は楽しげに、仲良く緋那岐と並んで品書きへ目を通していた。 「じゃあ、何かコレってのはあるか?」 「ん〜と。泰のお友達は、『茉莉花茶がオススメ』って言ってたよ」 ちょこちょこと顔を合わせる泰の少年を思い出しながら、無邪気に柚乃が助言する。 「そうだな‥‥俺も、まだ酒は呑めないからな」 見た目には酒をたしなむ程の歳に見える二人だが、実は揃って十三で。飲めるとしても、甘酒がいいところだ。 「後は、泰国の甘味も食べたいなぁ」 「頼めばいいよ。しっかりと腹ごしらえをして、桃園の散策に行こう」 緋那岐は給仕を呼ぶと、まず二人分の茉莉花茶を頼み。それから胡麻団子やちまきなど、二人で分けられそうな物を少しずつ頼んだ。 「リリア、あーんや」 ひょいと疾也が差し出した饅頭を、ためらいながらリリアがかじる。 もくもくと食べていると、期待するような疾也の様子に気付いて。 「は、はい‥‥。あーん‥‥」 気恥ずかしそうに顔を若干赤くしながら、手にしていた饅頭を彼へ向けた。 「リリアと食べると、旨いなぁ」 「そう‥‥なら、よかった」 少しほっとしたところで、疾也がひょいと身を乗り出す。 「口元、ついてるで」 「え?」 リリアが指で払うより先に、ペロッと彼女の口の端を舐める疾也。 そのままついでにと、キスをして。 「ふむ、確かに饅頭は甘いわなあ‥‥もっとも、リリアの唇の方がもっと甘かった訳やが」 「や、やり過ぎない程度にって、言ったじゃない‥‥!」 「ご馳走様や」 真っ赤になりながら抗議するリリアにも、疾也はどこ吹く風だった。 「えぇと‥‥家の桃の花は、もう散ってしまいましたでしょうか? 八重桜の蕾が膨らんで、開花する頃なのでしょうか?」 うららかな日だまりでは、真夢紀が借りた筆を紙へ滑らせていた。 「本日は泰国の劉の桃園という所へ、桃の花見に行って参りました‥‥と」 「あら、手紙?」 「あ、はい」 微笑ましげに声をかけた月与へ、こくりと真夢紀は頷いた。 「家にいる姉様達に、旅での事を伝えようと思いまして‥‥」 「素敵ね。きっと、喜ぶと思うわ。そういえば、『辛味のある保存食』をお土産にくれるそうよ」 忘れずにもらってねと告げて月与は卓を離れ、筆を置いた真夢紀は持ってきたねりきりの和菓子や桜餅、そして手作りのちらし寿司を手に地元の観光客らしき相手へ勧めに行く。 おそらくは、手紙に書く旅の話の種にするのか。 そんな事を考えながら、風が運ぶ香に南洋はまた桃の花へ目をやった。 「花を持ち帰る訳には参らぬ故、ここはやはり泰国の甘味であろうな」 耳にした話では何やら土産に持たせてくれるようだが、それとは別に甘い物もいいだろう。 「アヤカシとの戦いに終わりは見えぬが‥‥このひと時ぐらいは、心穏やかに総てを忘れていたいな」 薫る花を眺めながら、泰国の茶を南洋は静かに傾ける。 この後、甘味の土産物屋にて「オススメはどの品であろうか」と凄まじく真摯な面持ちで、店主に尋ねる彼の姿があったとか、なかったとか。 硝子の器に湯を注げば、小さな鞠のような花が水を吸ってゆらゆらと開いた。 「‥‥凄いですね」 広がる香りにアルーシュはほぅと息をつき、緑の瞳を輝かせる。 「お茶の中で、花が咲くのですって。桃の花もこの花も綺麗ですよね‥‥グリム?」 花茶に夢中だったアルーシュが視線を移せば、傍らのグリムバルドは様々な点心へ手を伸ばしていた。 「もう、グリムってば」 「ちゃんと見てたから。綺麗だよな」 言う反面、卓には桃饅頭や月餅、杏仁豆腐といった甘い点心が多い。 「桃饅頭とか、気に入ったな。ルゥもどうだ」 「グリムは本当に、甘い物が好きだから‥‥」 「ルゥの料理が一番好きだが‥‥たまには二人でこうやって食事すんのも、良いもんだよな」 屈託ない笑顔を向ける恋人の頬に、餡が付いているのにアルーシュは気付き。そっと指で取って、口に含んだ。 「甘い‥‥」 「付いてたか。ありがとう」 礼を告げる恋人に、にこりとアルーシュも微笑む。 「お茶、買って帰りましょうね。それから、蒸し器も」 「じゃあ、ルゥの手製を楽しみにしていよう」 そうしてグリムバルドも、嬉しそうに笑った。 緩やかなせせらぎが、傍らを流れていた。 「古き英雄が誓いを立てた園、か。英雄なんて立場に興味はないが、その武勇には興味は、正直ある‥‥かな。とはいえ」 その武勇への興味を今は置き、桃の花々を映す水面から統真は目を離す。 「桃の花がこんなに‥‥桃源郷って、こういう事を言うんですね‥‥♪」 一緒に臥竜橋を歩くフェルルは恥ずかしいのか、時おり旗袍のスリットを気にしていた。 「えと‥‥初めて着たんですけど、どうです‥‥? こんなに大胆な衣装で、びっくりですけど‥‥」 「え? ああ、似合う‥‥と、思う」 手を伸ばして統真が金の髪を撫でれば、フェルルはくすぐったげに微笑んだ。 「依頼では何回か来てますけど、こうして落ち着いて泰国に来るのは初めてかもっ」 「よかったな。桃で花見ってぇのも珍しいが、満開だと見応えがある‥‥」 「そうですね」 時に足を止め、欄干に手を置いて花樹を見上げる。 恋人の横顔を見るフェルルは不意に統真の肩へ手を置き、耳元へ顔を寄せて。 「ウォー・アイ・ニー‥‥♪」 「う、うぉ‥‥?」 囁かれた耳慣れぬ言葉に統真が聞き返すも、「泰の言葉です」と彼女は悪戯っぽく誤魔化した。来る前に、頑張って幾つか覚えたらしい。 「それで、今のは?」 「意味ですっ? ふふ‥‥じゃあわかるまで、一緒に泰をいっぱい楽しみましょうっ♪」 「フェルル?」 「この後は望桃堂で、泰の料理を食べたいんですよね。統真さん?」 「店の品書きに使えないかとか、フェルルが考えてたみたいだからな‥‥」 「ではお勧め、お願いしますねっ」 囁きは謎のまま、再び二人は臥竜橋を歩く。 川に沿って臥竜橋を散策すると、流れは眺蓮亭へと到る。 「懐かしいもんだな‥‥泰は一年しか居なかったせいか、むしろ新鮮だ」 「良い香りに御座いまするなぁ‥‥周殿と出会ってから、桃の花を愛でる事が多くなった気も致しまする」 くすと笑う水奏に、周太郎もぽしぽしと髪を掻いた。 「花‥‥花、か。どうしても水奏と二人で居る時は、花や月が欲しくなっちまうようになったな」 蓮はまだだが、山を賑わす桃の花へ周太郎が目をやる。 「あの誓いから一年。長くもあり短かくもあり‥‥不思議なものに御座いまするな。姿探し合っていたあの頃から、共に在る事がこんなにも自然に思えるようになるとは」 しみじみと思い返しているのか、青い瞳を水奏が伏せた。 「お互い、こうして居るのが自然になると‥‥もっと、先が見たくなるよ。次はもっと近くに、もっと自然に、ってな」 「ならば今一度、誓いましょう。例え何があるとも周殿と共に生き、比翼の鳥となりて連理の枝と為る事を」 「はは‥‥よし、決めた」 ひとつ大きく頷いて、微笑む水奏の細い肩を周太郎が抱く。 「周殿?」 「絶対にお前の側からは離れねぇよ、ずっと。あの親父が何を言おうと‥‥俺には苧環(おだまき)が咲いているさ。花言葉、知ってるか?」 視線で先を促す恋人へ、サングラス越しに周太郎は笑みを向けた。 「絶対手に入れる‥‥だってさ」 「それでは、拙者は周殿に杜鵑草(ほととぎす)をお送り致しましょう」 お返しとばかりに、今度は彼女が花へ意味をかける。 「で、花言葉は?」 「――永遠に、あなたのもの」 明かした水奏は、そっと周太郎へ身を寄せた。 ●花見月の祝い 所戻って望桃堂では、大きな『桃』が卓を賑わせていた。細身の料理刀をからすが一閃すれば、その表面は綺麗に切り取られ。中からコロコロと転がり出る桃饅頭に、わいわいと琉宇が手を打った。 「でも、本物の桃じゃないんだ」 「この時期、桃の実は未だだ。それにこれは祝い菓子だからな。饅頭一つに茶を一杯、如何かな」 「俺も是非もらおう、からす。だが何故、給仕を?」 声をかけた蒼羅が、顔見知りの給仕姿へ素朴な疑問を投げる。 「何故? やりたいからやっているだけさ」 さして大した事でもないと答えながら、からすは桃饅頭を取り分けた。 「泰に来るのは初めてなので、何を見ても新鮮に映りますね」 「よかった。その服も、千景によく似合ってるね‥‥誕生日おめでとう、はい」 桃の花を一輪取ったふしぎが、千景の髪にそれを差す。 身体のラインにぴったりと沿った物や、短い丈に大胆なスリット入りの旗袍が多かったが、千景は彼女の御眼鏡に適う一着をまとっていた。 「ゆったりめの服があって、よかったです。それから天河さんも、おめでとうございます」 「大事な仲間と、一緒にお祝い出来てよかったよ。桃花の祝福も‥‥きっと」 「だと、いいですね」 そんな話をしながら、ふしぎと千景は並んで花の下をくぐる様に散策し。 やがて臥竜橋を通って、望桃堂へと出た。 「随分と風流な事を考えたな、ゼロ。旨い酒さえ呑めるなら、文句ねぇ」 「春に、花が咲いてんだ。それで酔わない手はねぇからな」 共に桃の花を眺め、空になった劫光の杯へゼロが酌をする。 「妙な縁だが、そろそろ長い割に差し向かいで呑んだ事は無かったなぁ」 「そう‥‥言えば、そうだったか」 友人と夫の会話を聞きながら、リーディアは料理を楽しんでいた。ちなみに旗袍「孔雀」の下には、長袍の様にズボンを穿いている。 「‥‥泰料理、私も作れるかしら? 料理本とか、どこかで売ってますかねぇ?」 「けろりーなも、作り方教えてもらいたいですの☆ あと、お酒〜」 「ほら、甘酒な」 呑みたがってるのを止めるのも何だからと、劫光はわくわくして目移りするケロリーナの前へ頼んだ杯を置いてやる。 「う〜。けろりーなも、おじさま達とお酒飲みたいですの〜」 「もう少し、大人になってからだ」 世話を焼きつつ、劫光は少女の抗議をかわした。後ろをひょこひょこ付いてきたものの、人ごみで迷いそうなケロリーナに手を繋がれて、現在に到る。 「あと泰国のお茶っ、花茶も見てみたくっ。湯を注ぐと花が開くとか‥‥っ」 「遠慮せず、好きなモン頼んでいいぜ」 きらきらと目を輝かせるリーディアに、笑ってゼロは小龍包を口へ放り込み。 そこへ、姿を見つけたふしぎが千景と合流した。 「リーディアもお誕生日なんだよね。三人が七日置きなんて、凄い偶然」 「そっか。じゃあ祝いに、やるぜ」 袂からゼロが桃鈴の髪飾りを取り出し、千景とリーディアの手に落とす。 その様子に、何やらじっとふしぎがゼロを見て。 「てめぇも、いるか? 揃いで三姉妹とか」 「さ、三姉妹って言うなっ!」 抗議するふしぎにゼロはけらけらと笑いながら、立ち上がった。 「ゼロさん?」 「ちと、知った顔がな。三人は折角だから」 ぽんとリーディアの頭を撫でてゼロは席を外し、入れ替わりで汀がやってくる。 「えっと、誕生日おめでとです。これ、泰に来た話の種だから後は好きにしやがれ、だって」 「え‥‥?」 「もしかして、ゼロから?」 不思議そうな千景と尋ねるふしぎに汀が頷き、泰の衣装を手渡した。 「周太郎さんと統真さんへも、頼まれて。お邪魔しました」 「わざわざ、ありがとう」 ぱたぱたと立ち去る汀を見送ったふしぎが何かを閃き、千景とリーディアへ杯を回す。 「じゃあ改めて、三人一緒にお祝いしよう」 そして杯を掲げながら、こほんと咳払いを一つ。 「この生まれの偶然と出会いに‥‥お誕生日おめでとう!」 「桃園の誓いならぬ、桃園の祝いですか」 「桃は三月の誕生花。その元でこうして祝うのも‥‥何だか、素敵ですね」 互いを祝って、三人は杯を合わせた。 「ゼロさん、遅いですし‥‥ちょっと見てきますね」 祝いの場がひとしきり賑わった頃、気になるのか折を見てリーディアが席を立つ。 探すまでもなく、望桃堂を出たところで夫は花を仰いでいた。近付く気配を察したのか、妻を見やるとひらひら手を振った。 「祝われるのもだが、ナンか祝うってのも存外にこっ恥ずかしいモンだな」 「そうですか?」 寄り添ったリーディアは、そっと腕を絡め。 「てめぇにも。おめでとうだぜ」 不意にゼロは、たたんだヴェールを彼女へ差し出す。 そこに包まれた固い感触に気付いて布をめくれば、桃の木より作った小剣が現れた。 「これは?」 「祝言に渡し損ねた、護り刀代わりだ」 顔を上げたリーディアへ、短くゼロが答える。 「自分で身を守らなきゃならねぇ時に少しでも、な。だが、見ての通り刃はない。殺める刀は、似合いそうになかったからな」 「ありがとうございます」 大事そうに、ぎゅっとリーディアはヴェールと木剣を胸に抱き。 「‥‥戻るか。旨い料理も、冷めちまう」 「折角ですし、桃花酒も飲みたいですね♪」 連れ立って戻ってきた二人へ、ひらと劫光が手を振った。 「ゼロ、なんだったら桃園の誓いと洒落こむか? 俺も‥‥色々、首突っ込んじまったしな」 「よし、じゃあ那由多もな」 近くで胡蝶や崎倉と卓を囲む那由多を見つけ、わっしと友人を捕獲するゼロ。 「ちょっ‥‥ゼロは、嫁さんと一緒に居たいんだろっ」 「うっせ。俺は欲張りなんだ」 じたばた抗議する那由多を否応なく巻き込むゼロに、やれやれと劫光が苦笑した。 「‥‥故郷で閉じこもっていたら、この桃園を見る事は無かった‥‥か。この光景も、だけど」 「宴は賑やかな方がいいからな」 騒々しいやり取りに胡蝶は嘆息し、笑いながら崎倉が彼女の酒杯へ紹興酒を注ぐ。 「泰国は貿易が盛んで、文化交流が活発って聞いてはいたけど。ここに来るまで見た、露店の数や品の種類‥‥大したものね」 用を済ませて戻った汀は、サラや仔もふら様と桃饅頭を食べていた。 やがて「余興に」とからすが扇を両手に、ひらひら蝶の如く舞う。 「闘う以外じゃあ唯一の芸だ」と、それに劫光が龍笛を合わせ。柚乃もまた、琵琶「丈宏」を手に取って奏でる。 陽気に誘われた緋那岐は、うつらうつらと居眠りを始め。 「桃の花見も風流だねぇ」 のんびりと颯は最近あった戦や先の大祭を思い返しながら、舞いと楽を楽しんだ。 望桃堂の賑やかさとはまた違い、眺蓮亭では穏やかな時が流れていた。 セイレーンハープの音が、静かに春の空気へ溶けていく。 「 君の笑顔に心染まる薄紅 治め難き桃花の想い‥ 桃の花言葉は‥ 本当に、困った人‥ 」 湖面を見つめて一曲を歌うアルーシュを、グリムバルドは腕に抱き。 愛しい温もりを感じながら、その歌を聴く。 芳しき春のひと時は、悠久より花樹の間をぬう絶え間ない川の流れの如く、緩やかに過ぎていった。 |