【修羅】餓衣、翻る
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/02/23 21:52



■オープニング本文

●大妖現出
 ソレが現れた途端、貧民街では悲鳴と混乱の渦が巻き起こった。
 災禍の中心では、見る間に膨れ上がる質量に身を寄せ合うようなボロ家が次々と押し潰され。
 逃げる間もなく、住民達も崩壊の道連れとなる。
 やがて何の前触れもなく出現したソレは、膨張を止め。
 巨大な口が渦巻く苦痛や怨嗟の声、そして血と死の匂いに満ちた空気を飲み込み、瘴気を吐き出す。

 ――人ヨ。暫シ恐慌シ、狂躁セヨ。

 風もないのに、巨大な不定の肉塊が纏う衣は揺れて、翻り。
 狂乱の中で、静かにソレは身を横たえていた‥‥。

   ○

「御方様が、何故‥‥ここに‥‥」
「知らぬ、聞いておらぬわ」
 驚き、息を飲んで戸惑いを隠さぬ鬼のアヤカシは、呻いて答えた相手へ顔を歪ませる。
「では、どうする」
 苦々しげに、鬼は赤い布で顔を隠す『名代』へ目を向けた。
「御方様には、御方様のお考えがあり‥‥それを、我らに知される必要がなかっただけの事」
「確かに、我らを『偽修羅』として遣わされたのは御方様。ならば我らは、その様に動くのみ」
 幾らかの落ち着きを取り戻した鬼――偽修羅の頭目は、ぐいと顔を擦る。
「女を逃してしまった今、後にやる事は人を喰らうのみよ」
「ああ。せいぜい、騒がせろ‥‥『修羅』としてな」
 言い置いて『名代』が去るのを頭目は見届け、そして手下である偽修羅の鬼アヤカシ達を呼んだ。

●安州騒乱
「ナンだ‥‥ありゃあ‥‥」
 混乱する貧民街の光景に、眉根を寄せたゼロが何度も腕を擦る。
 粗末な家々の中から膨れ上がったソレは、何とも表現の難しい姿形をしていた。
 例えるなら、衣を纏った巨大で無造作な肉の塊。表面に目や鼻や耳といったモノはなく、巨大な口だけが存在する。
 距離を取っても腕だけでなく全身が粟立つ様な感覚や、ぞくりと背を駆け上る悪寒が治まらず。遠くからまじまじと正視する事にすら、強い嫌悪感を覚えた。
『とてつもなく嫌な感じ』からくる奇妙な身体の芯の震えは、例えるなら『恐れ』に近い。
 それも単純な恐怖ではなく、別種の‥‥近付くべきではない、関わるべきではないという本能的な警告に似ていた。
「ごめん‥‥気分、悪く‥‥」
 袖で口元を隠し、蒼白な顔の天見津々(あまみ・つつ)がしゃがみ込みながら訴える。
 浚われ、捕らわれていた所為もあるだろうが、志体のない者は志体持ちよりもずっと瘴気の影響を受けやすい。
 形容し難い物体より視線をはがし、無事ながら憔悴した妹をゼロが背負った。
「ひとまず、朱藩の開拓者ギルドへ行く。今夜の精霊門で、お前は元重と早々に数多ヶ原へ帰れ」
「だけど‥‥」
「下手に瘴気にあてられて、瘴気感染なんぞ起こしちゃあコトだからな」
 口唇を噛んだ津々は、ぎゅっと兄の衣を掴む。
「でも、兄さ‥‥開拓者方は‥‥」
「心配するな。こっから先は、てめぇらが案ずる事じゃあねぇ。それにここは朱藩の国で、武天じゃあねぇからな」
 天見とは関わりがない事だと津々へ繰り返しながら、足早にゼロは開拓者ギルドへ向かった。

   ○

「この混乱の最中、貴殿の滞在は幸いだったと言うべきか」
 貧民街での騒ぎで何かと人の出入りも慌ただしい朱藩国開拓者ギルドでは、訪れたゼロをギルド長の仙石守弘(せんごく・もりひろ)が呼び止めた。
「一つ、頼まれ事をして貰えないだろうか」
「頼まれ事? 貧民街に出たアレをブッた斬ってこいとか、言うんじゃあねぇだろうな」
 怪訝そうな表情を返すゼロに、苦笑いを返しながら仙石は腕組みをする。
「あの、巨大なアヤカシか‥‥アレは流石の貴殿でも、一刀で屠る事は出来まい。それよりも今は先に、貧民街に徘徊する『修羅』を名乗る者達から避難する人々を助けて欲しいのだ」
「それなら、貧民街の『修羅』は偽の修羅だぜ。鬼のアヤカシが化けてやがる‥‥何のつもりかは、分からねぇがな」
「ならば、尚の事。偽の修羅たるアヤカシを討ち、人々が逃げる手助けをしてやってくれまいか。依頼を出して人は募っているが、貴殿がいれば心強い‥‥偽の修羅に関する事情も、幾らか知っているようだしな」
 仙石の頼みに、背中より津々を降ろしたゼロは朱刀の柄へ手を置いた。
「承知した。代わりと言っちゃあナンだが、この娘を保護してくれねぇか。修羅に浚われていた武天の氏族の娘で、兄と安州に来ていたそうだ‥‥その兄から、依頼を受けたもんでな」
「ふむ‥‥その依頼なら、覚えがある。依頼人には、ギルドより連絡をつけておこう」
「よろしく頼んだ。じゃあ俺は、顔ぶれが揃うまでちぃと休むぜ」
 後が気になる者とそうでない者がいる中で、ここまでが依頼のひと区切りと言わんばかりにゼロは踵を返し、ギルドを出て行く。
 置いていかれた形の津々は複雑な表情で兄が去った扉を見つめ、それから仙石を見上げた。
「あの‥‥騒ぎが治まるのを見届けたいのですが、駄目ですか‥‥?」
「それは、兄御と相談された方がよかろう。今はしばし、休まれた方が良い‥‥俺はこれにて失礼するが、後の事は係の者に伝えておく故。不自由があれば何なりと」
 一礼し、慌ただしく奥へ向かう仙石と入れ替わりで、ギルドの職員が茶を持ってくる。
 それを受け取った津々は、ほぅと深い溜め息をついた。

●討ち手と救い手
「貧民街との境は、一時的ですが安州警護の者達で封鎖しています。集まった皆さんへお願いするのは、貧民街に残る住民の避難を助け、偽の修羅たる鬼のアヤカシを退治する事。
 ただ残された住民の正確な数は分かりませんので、救助するのは『出来る限り』『見つけ次第』となります。
 一方、貧民街に現れた巨大なアヤカシですが‥‥今は動く気配もなく、その目的は不明です。刺激はしたくありませんので、偽修羅を追って不用意に近付かぬよう気をつけて下さい。またあの巨大アヤカシの近辺は、異様に瘴気が濃いようです。難を逃れた住民の話によると、逃げる途中で瘴気にやられて倒れ、事切れる人もいたとか」
 偽修羅達を見つけても、巨大アヤカシの近くへ逃げられると開拓者でも手を出し辛くなる。
 そうなる前に一体でも多く偽修羅を討伐し、逃げ遅れた住民を助けて欲しい‥‥それが、ギルドの係の告げた依頼の主旨だった。
「状況は面倒だが、やる事はハッキリしてるな」
 呟きながら欠伸を噛み殺すゼロの様子は、一見のん気なものだったが。
 その内に引っかかった『とてつもなく嫌な感じ』はチリチリと疼き、消えなかった。


■参加者一覧
胡蝶(ia1199
19歳・女・陰
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
鬼灯 恵那(ia6686
15歳・女・泰
浅井 灰音(ia7439
20歳・女・志
趙 彩虹(ia8292
21歳・女・泰
守紗 刄久郎(ia9521
25歳・男・サ
シア(ib1085
17歳・女・ジ
禾室(ib3232
13歳・女・シ


■リプレイ本文

●渦中へ
「うわぁー!」
 叫び声を辿る様に、狭い路地を走る。
 血相を変えて惑う人々へ、道すがら逃げる方向を教え。
「いた、偽修羅だよ!」
 人の波が切れた先に、鬼灯 恵那(ia6686)が『標的』を見つけた。
 足を止めた浅井 灰音(ia7439)は、すらりと左手を伸ばし。
「やらせる訳にはいかない‥‥!」
 宝珠銃「皇帝」の銃声が、通りに響く。
「わ、わわっ!」
 放たれた弾丸はアヤカシをかすめ、偽修羅に放り出された住人は這う様に逃げた。
「偽修羅‥‥弱いらしいけど、まあいっか♪」
 刀を振りかざす偽修羅へ恵那はちらと口唇を舐め、帯びた殲刀「秋水清光」を抜く。
 銃を構えた灰音の後方では、じゃりと土を踏む音がして。
 青い髪を翻し、振り向きざまにヴィーナスソードを薙ぎ払った。
 一方、恵那は一合二合と斬り結び。
「ハ‥‥ッ!」
 大きく刀を振りかぶった相手の懐へ間合いを踏め、一閃を放つ。
「ぐ、がァッ」
 致命の一刀に、相手は崩れ落ち。
「これで終わりだ!」
 腰貯めに突進する刀をかわした灰音は、深々と偽修羅へ剣を突き立てた。

「ふん‥‥人の家に土足で上がりこんで、図々しい連中ね」
 吹き消える塵に、肩にかかった金髪を胡蝶(ia1199)が背中へ払う。
「草履脱ぐアヤカシってのも、面白いかもしれねぇが」
 けらけらと笑う鬼灯 仄(ia1257)に胡蝶はつぃと顎を上げ、赤子を抱えて怯える母親へ視線を向けた。
「しっかりしなさい、ここは封鎖されるわ。避難するのよ」
「はい、ありがとうございます‥‥」
 細い声で頭を下げ、急ぐ後ろ姿を見送り。
「ゼロ、依頼続きらしいけど平気? あまり、楽な依頼じゃないわよ」
「これ位、ナンでもねぇよ」
 気遣う胡蝶へぶっきらぼうにゼロが返し、恵那は小首を傾げる。
「ゼロさん、機嫌悪い?」
「気になるのよね、アレが」
 本人より先に胡蝶が示すのは、件の大妖。目にするだけで胸が悪くなる存在を、険しい表情で灰音が見据えた。
「アレのせいで‥‥朱藩が、瘴気に飲まれてる‥‥」
「うん‥‥あの大きいの。アレ、何‥‥?」
「アヤカシ、ではあるわね。それ以上は、私に聞いても分からないから」
 先に釘を差しつつ、胡蝶が恵那の疑問へ答える。
「残念。あれが無貌餓衣とかいうのかなぁ‥‥斬れる機会なら、斬るけど‥‥」
「今は、偽修羅が先だね」
 深く息を吐く灰音は、自分へ言い聞かせるように呟いた。
「だがな。被害の少ない処から始めるのは違いねぇが、この間にも‥‥」
 ゼロの懸念に、銃へ弾丸を込めながら灰音は首を横に振る。
「だから早く終わらせて、瘴気の濃い場所に取り掛かろう。これ以上、アヤカシの好きには‥‥!」
 言葉を切り、怒りを胸の内へ押し留める‥‥今はまだ、その時ではないと。

「う、りゃあぁぁぁーーッ!」
『強力』により力を増した腕で守紗 刄久郎(ia9521)は大八車の枠を掴み、力任せに振り回した。
 ガリガリと車輪が道を擦り、荷台は囲む偽修羅を弾き飛ばす。
「これが本当の、大車輪!!」
 大八車をブン回し、いい笑顔でやり遂げた感たっぷりな刄久郎へ、わたわたと趙 彩虹(ia8292)が慌てた。
「守紗様、車が壊れますから、ソレ!」
「壊すのは、避難が終わってからにして下さい」
 呆れたシア(ib1085)も淡々と突っ込むが、禾室(ib3232)は目をキラキラさせている。
「今の、荷台に乗ったら楽しそうじゃな!」
「確かにそうかもな」
 唯一の理解者(?)に、刄久郎は嬉しそうな顔をしたものの。
「でも、ちゃんとギルドへ返さないと‥‥不測の事態でもない限り」
「そうじゃった」
 ちょっぴり残念そうに、禾室も苦笑する。武器代わりにぶん回すのは、既に『不測の事態』な気がしないでもないが。
「じゃが‥‥なんじゃ、あのでっかいのは‥‥」
 ソレが目に入れば禾室は狸尻尾を逆立たせ、ぶると身を震わせた。
「ええ、何という禍々しい‥‥ゼロ様が言っていた嫌な予感、何となく解る気がします‥‥」
 改めて息を飲む彩虹に、ぎゅっとシアも拳を強く握る。
「あんなモノが、もし自由に他の人里にも出てこれるのだとすれば、どんな場所も潜在的に魔の森並みの瘴気に襲われる可能性がある、っていう事?」
「そう、なりますよね」
「正直、面倒な事になったよな‥‥」
 表情を曇らせた彩虹に刄久郎も頭を掻くが、禾室はぷるぷると頭を振った。
「わしもちょっぴし怖かったりしなくもないが、街の人がまだ残されてるならば、助けぬわけにはいかぬ!」
「そうですね‥‥嫌な事を考える前に、助けられるだけ助け出しましょう」
 気合いを入れる禾室へシアが頷き、閑散とした貧民街を油断なく窺った。
「瘴気の薄い地域なら生きてる人達も多いでしょうし、偽修羅もそこまで厄介な相手にはならない筈ですから」
 貧民街を徘徊する偽修羅を退治し、残った住民の避難を行うべく、一行は二手に分かれて瘴気の薄い地区を回っている。大抵の住人は避難の道筋を教えれば自力で逃げ、怪我をして動けぬ者がいれば、大八車に乗せて避難場所まで運んだ。
 探索は目に頼るだけでなく、時に禾室が『超越聴覚』で住人や偽修羅の所在を探る。
「この辺りには、もう誰もおらんようじゃ」
「思ったより、怪我人は少なくてよかった。そろそろ合流するか」
 少しだけ安堵しながら、刄久郎は大八車を引く。
 粗方の調べを終えた四人は全員で瘴気の濃い地区へ向かう為に、合流地点へ急いだ。

●瘴気の災禍
 瘴気のせいか、それとも歪な存在に近付いたせいか。
 じっとりと重く澱んで感じられる空気の中で、路傍や家で倒れている住民達の姿があった。
 意識を失っただけの者もいれば、既に死んでいる者もいる。
 偽修羅に喰われた者もいれば、今まさに襲われん者も。
「街の者達は、やらせはせぬ!」
 庇うように『早駆』で禾室が立ち塞がり、振り下ろされる棍棒を神威の木刀で弾く。
 ジンと、手が痺れた。見た目は先の偽修羅と変わらぬが、一撃はずっと重い。
 蝶の形をした『斬撃符』の式を放っていた胡蝶が、脳裏に描くイメージを変える。
「瘴気の中で活性化するのは、アヤカシだけじゃないわよ!」
 偽修羅を睨み据え、召喚するのは巨大な金の大蛇。
『蛇神』は素早く偽修羅の一匹へ巻き付き、牙を突き立てた。
 殲刀「朱天」を手に別の偽修羅を相手する仄の上へ、影が落ちる。
「させない!」
 乱戦に乗じ、屋根の上から飛びかかる一体へ灰音が銃口を向け、弾丸を叩き込んだ。
「この朱藩を‥‥私の生まれた国を、あんた達アヤカシ如きの好きになど‥‥!」
 体を崩した偽修羅は地へ落ち、土埃が舞い上がる。
 それを散らし、低い姿勢で彩虹が飛び。
 起き上がる偽修羅へ八尺棍「雷同烈虎」で突き入れ、即座に拳を叩きつけた。
「大きな戦も控えてます、皆さん無事に帰りましょう!」
「そうだよな。邪魔だっ!」
 怪我人を庇いながら、刄久郎は刀「水岸」を大きく薙ぐ。
「させません!」
 脚絆「瞬風」を付けた足をシアが振り上げ、跳躍の勢いも加えて振り落し。
 ぐぇっと奇声を上げた首を、すかさず恵那が刎ねた。
 大妖の方へ逃げる偽修羅もいるが、深追いせず。
 一行は、住人‥‥ほとんどが意識を失い、時に高熱に苦しむ者達の救助を優先して動いていた。
 苦しげな住民達を刄久郎が大八車に乗せ、ひとまずとシアは縄で身体を固定する。
「数が多いな‥‥瘴気の薄い辺りに一時の避難場所を置いて、そこで休ませた方がいいかもしれない」
「今なら、どの家も空いてるからな」
 刀を納めたゼロが思案を巡らせ、刄久郎もまた頷いた。
「でも偽修羅っていうから、どれだけ修羅に近いのかと思えば‥‥ただの、鬼アヤカシだよねぇ。偽物じゃなくて、本物の修羅も斬ってみたいんだけどなー」
「相変わらずだぜ、てめぇは」
 残念そうな恵那に、苦笑したゼロが冗談めかし。
「でも、強くなったよなぁ」
 不意の言葉に、きょとんと恵那は目を丸くする。
「あれから一年だよ。だけどゼロさんとやり合わないと、ホントにどれだけ強くなったか分からないけどね」
「言ってくれるぜ」
 意味深に笑う恵那へ、面倒そうにゼロが頭を掻いた。
「自分一人でできる事なんざたかが知れてるんだ。あまり一人で突っ走るなよ?」
 刄久郎はゼロの背中バシバシ叩いて、がっしと肩を抱き。
「まあ、それでも暴走するようだったら‥‥」
「だったら?
 問うゼロへ、ニヤリと凄んだ笑みを返す。
「もふり尽くす」
 ククク‥‥と喉の奥で刄久郎が低く笑い、「知るか」とゼロは口を尖らせ。
「しかし志体持ちなら耐えられようが、ない者にこの瘴気は‥‥」
「確かに、かなり濃いから‥‥あまり長居は出来ないわね。それから、一般人への憑依も気をつけた方が良いわ」
 また表情を曇らせるゼロへ、胡蝶が助言する。
「引き時は見誤らない‥‥特に遅くならないようにね。ここで斬れるならともかく、なんか無理でしょ‥‥アレは」
「全く。厄介なのは、アレだけで十分だ」
 恵那に刄久郎が同意し、ともあれと先を急ぐ。

「じゃあ、この人達を寝かせてきます」
 一人一人に肩を貸し、シアや彩虹が顔色の悪い住人を救護小屋で休ませる。
「そういえば、偽修羅は顔を隠しておらんのじゃな?」
 気にかけていた禾室が、ふと思い出して呟いた。
「そういえば、ゼロってこれまで正体不明の相手に狙われた事が多いのよね?」
 それに何故、この局面であんな大物が姿を現したのか‥‥それがシアには引っかかて思える。
「ま、アヤカシは大抵、正体不明だがな。それよりも今は、こいつらの安静が先だろ」
 適当にゼロが濁しながら、手の塞がった者の為に戸を開けた。
 女や子供はまだ手助けできるが、重い男は刄久郎や仄、そしてゼロが担ぐ。
「どうせなら、いい女を介抱したいもんだ」
「はは‥‥愚痴るなぁ」
 嘆息する仄へ、刄久郎が苦笑い。
「そりゃあ、お前らはもう『嫁持ち』だから‥‥おい、そいつ?」
 振り返った仄は、突然に刄久郎の背で苦しみ始めた男に眉をひそめる。
「大丈夫か?」
 背中から降ろした男は吐血した直後に痙攣し、動かなくなる。
「くそ、不味い!」
 息でも詰まったかと、急いで刄久郎が助け起こせば。
 鈍く鋭い痛みが深々と身を抉り、引き裂いた。

●爪痕
「あ、あぁぁが‥‥ッ!!」
 喉元を掻きむしりながら痙攣し、身をよじり、ごぼごぼと口から血泡を吹く。
「しっかり、しっかりして下さい! いま手当てを‥‥!」
 懸命に彩虹は呼びかけるが、どう手を尽くしていいのか判らず。
 だが苦悶は、長く続かなかった。
 のた打ち回った末に、ごぼりと血の塊を吐き出し。
 目玉はくるりと裏返り、手足を引きつらせた姿勢のまま、動かなくなる。
 改めて脈や呼吸を確かめるまでもなく、運んだばかりの女は事切れていた。
「死んで‥‥しもうた、のか?」
 身を竦める禾室の声で、目の前の死に呆然としていた彩虹は我に返る。
「わしらが遅かった‥‥?」
「そんな事、ない。そんな事はないです」
 左右に首を振ってシアは禾室へ慰めの言葉をかけるが、緑の瞳に溢れた涙はぽろぽろとこぼれ落ちた。
 しゃくり上げる禾室は、ぴくりと動いた指に気付く。
「いま、動いたぞ‥‥まだ生きておるのじゃ!」
 僅かな希望を見出して、痙攣していた女の傍へ駆け寄った‥‥その直後。
 小柄な身体が、吹き飛ばされる。
 ドンッ!
 壁へ叩きつけられる音に、粗末な小屋が軋み。
「禾室様!」
 追って跳ねた影に、瞬時に距離を詰めた彩虹が禾室を庇った。
 ざりっ、と。
 背へ走った嫌な衝撃と熱い感覚に、青い瞳を見開く。
「あ‥‥っ」
 彩虹と同時に身を躍らせていたシアが、湾曲した鋭い爪を持つ相手を蹴り飛ばした。
「彩ッ!」
「ハイネ‥‥」
 小屋の騒ぎに踏み込んだ大親友へ、彩虹は弱々しく表情を歪めた。
「彩、しっかり!」
「瘴気で、人が、アヤカシに‥‥」
 彩虹を支えた灰音は、背に回した手のぬるりとした感触に息を飲む。
「喋らないで。今は、皆のところへ」
 その間にも、息を引き取った筈の女がゆらと身を起こした。
「ソレは生きている? それとも、死んで‥‥?」
「死んでいます。死んで‥‥瘴気の影響が強いせいで、アヤカシに‥‥」
 憑いたアヤカシに、内から喰われて死んだのではなく。瘴気に蝕まれ、死してアヤカシを生み出す――それが瘴気感染者の『最期』であり、いま目の前にいる『アヤカシと成った存在』だった。
 こちらが動転しなければ、強い相手ではない‥‥そう、シアは呼吸を整え。
「せめて、速やかに‥‥終わらせます」
 鋭い爪を伸ばして飛び掛るアヤカシへ、深々と重い一蹴を叩き込む。
 蝕む瘴気がよほど濃かったのか、肉体は残らず塵となって朽ちた。
 しかし苦痛の声は消えるどころか、徐々に増える。
 意識を失い、高熱を発していた住民達が次々と苦しみ始めていた。
 男も、女も、老人も、子供も。
「状況が悪化する前に、出ましょう」
 幸か不幸か、ぐったりと意識のない禾室をシアが抱え上げ。
「駄目、です。助けたのに、まだ死んでは‥‥!」
 苦しげに訴える彩虹へ、灰音は肩を貸す。
「く‥‥ッ。私は‥‥ただ、見ているだけしか出来ないのか‥‥?」
 血を吐き、苦悶しながら失われていく命を前に、彼女達は成す術もなく救護小屋を出た。

「刄久郎!」
「こりゃあ、深いな」
 傷を押さえたゼロの手の間から流れる血に、急いで仄が『神風恩寵』を施す。
「ぅ、れ‥‥」
「しっかりしろ。ブッ倒れんのはまだ早いぜ!」
 苦痛混じりで呻く声に、ようやく血の止まった傷をゼロは裂いた衣で縛った。
「俺が無茶やったら、もふり尽くすんだろうが」
「‥‥へっ」
 気を取り戻したのか、軽口に小さく刄久郎が笑う。
 手当ての間にも、恵那と胡蝶は刄久郎から引き剥がした死人を――ついさっきまで人だったアヤカシを、屠っていた。
 その最中、ふと恵那は『異変』に気がつく。
「動いてるよ‥‥アレ」

 大妖は醜怪な巨体を蠢かせ、西へと動き始めていた。
 西を流れる大川へ到ると、水の流れに身を沈め、忽然と姿を消す。
 元凶が去ったなら、貧民街に漂う瘴気もじきに晴れるだろうが。

「急ぎ、怪我人を連れて戻り、ギルドへ現状を報告してくれ。俺は‥‥しばらく、ここに残る」
 刀の柄を握り、血で汚れた身も拭わずにゼロはぽつと促した。
 ここにいる者達の幾らかは、既に治療が出来る者を待つ時間も残されていない、と。
「そうだね。報告したら、すぐに戻るよ」
 結果、間違いなく起こる事態を思い、灰音が口唇を噛む。
「好きにしやがれ。彩虹の事もあるからな」
 瘴気感染による『混乱』は、2〜3日もあれば収束するだろう‥‥それが、どんな形であれ。
 開拓者達を囲む苦痛の声は、絶えず。
 数を増し、ただただ大きくなるばかりだった――。