|
■オープニング本文 ●陰は集いて 「して、あの者はアレを見たのか」 「それは分からぬ。見たやもしれぬ」 日の差さぬ、人気のない闇で、ひそひそと陰が囁いた。 「どうしたものか」 「どうしたものよ」 蠢いていた小さな声は、不意に途切れ。 空気は重く漂い、闇の色も濃く密度を増す。 そして、暫しの沈黙の後。 「では、御方様の仰せの通りに」 陰は一様に平伏し、そして散る。 日の届かぬ、そして人の知らぬ、人の闇の中で。 ●安州行き 「朱藩の安州まで‥‥出かける?」 武天国は数多ヶ原領の中心地、城町に近い天見屋敷。 天見津々(あまみ・つつ)は驚いた顔で、兄であり、天見家の当主でもある天見基時(あまみ・もととき)へ聞き返した。 「元重とね。アヤカシ討伐隊の装備にと、鉄砲を見に行きたいそうだ」 「それに、私も同行するんですか」 天見元重(あまみ・もとしげ)は基時の弟であり、津々にとっては兄だ。身体が弱く、外へ出ない基時に代わった領内を見回るなどして、積極的に執政を助けている。 アヤカシ討伐もその一つで、専門の隊を編成し、戦力の強化に力を注いでいた。 朱藩へ赴くのも、かの国の砲術に関する技術を取り入れるか、検討する為だという。 「お前には鉄砲を扱う際の危険や、不慮の事故に関して、助言をして欲しいそうだ。怪我や薬の知識は、ちょっとした薬師並だからね」 「ですがその間、誰が兄様を‥‥」 津々がその知識に長けたのは、他ならぬ基時の為だ。 病を患えば、彼女が体調に合わせて薬を調合する事もある。 その彼女がいなければ、兄の体調を崩した時に誰が薬を用意するのだろう。 「大丈夫、近頃はずっと体調もいいからね。それに同行は、元重からの頼みでもあるんだ。たまには息抜きをして、二人一緒に異国を楽しんでおいで」 あくまでも自分を気にかける妹に、天見家の当主は笑顔で安州行きを促した。 翌日、天見元重(あまみ・もとしげ)と津々は五人の供を連れ、朱藩国の首都安州へと発つ。 「気になるか?」 「当然です」 気もそぞろな妹に、馬の足並みを元重が揃えた。 「ならば手早く用件を済ませて、早く帰らねばならんな」 「うん。でも気がはやって忘れ事をし、二度も三度も行く羽目にならぬよう、お願いします」 前方を見たままだが、兄なりの気遣いだろう。 それに冗談めかして津々が返せば、元重は喉の奥でくつりと笑った。 ●由々しき依頼 神楽の都の開拓者ギルドには、今日も様々な依頼が持ち込まれてくる。 「よぅ。何か、面白い依頼でも出てねぇか?」 「あ、ゼロさん。こんにちは」 ひょっこりと顔を出したゼロに、ギルドの受付係が挨拶をした。 「面白いかどうかはともかく、新しい依頼なら何件かきてますよ〜」 普段と変わらぬ会話を交わし、開拓者を募る掲示をゼロは眺める。 しかしある一枚の依頼書を目にした途端、その表情が強張った。 拳を握り、噛み締めた歯をギリと鳴らして紙を睨みつけ。 一瞬の事だが、ただ事でない鬼気に周囲の開拓者達も何事かと距離を取る。 「この依頼、いつ持ち込まれた?」 「えっと、今日の早朝です‥‥安州の開拓者ギルドに出されたものを、こちらへ」 硬い声で問われた受付係が慌てて台帳を繰って答えれば、ゼロは大きく息を吐いた。 「朱藩か‥‥だが、ナンで朱藩なんだ。そもそも、あいつが付いていて何故‥‥ッ!」 自問の様な憤りを口にした末、ようやく幾らかの落ち着きを取り戻したゼロは大股で受付へ歩み寄る。 「すまねぇが‥‥この依頼、受けるぜ」 有無を言わさぬ口調で睨み降ろされた受付係は、急いでこくこくと首を縦に振った。 ――朱藩の安州にて、武天の氏族 天見元重殿に同行していた天見津々殿が誘拐された。 浚ったのは、自らを『修羅』だと名乗る者、数名。 額に角を持ち、安須大祭にて騒ぎを起こした『修羅』と関わりのある者達と思われる。 金銭など、何らかの要求などは今のところなく、相手の目的も明確ではない。 同じ頃、安州の外れで何名かの修羅が目撃された情報があり、おそらく誘拐と関わりのある者達である可能性が高い。 急ぎ津々殿を探し出し、修羅達を排して無事の救出を願いたい――。 ○ 「何故、このような依頼を出した!」 怒りの声に、供の五人は一斉に頭を低く垂れた。 そのうちの一人が顔を上げ、強張った声で口を開く。 「恐れながら、元重様。確かに狼藉者により津々様が浚われたのは、我らの責にございます。ですが、安州の地理に明るい者はなく。一刻も早く津々様を助け出す為に開拓者ギルドの力を借りる事は、やぶさかではないかと」 歯噛みをする元重は、開拓者ギルドへ頼んだという依頼を移した紙をぐしゃと握り締めた。 「くそっ‥‥修羅とやらは一体、何者だ。何の為に‥‥」 修羅という者達の事は、元重もよく知らない。誘拐した者達からは何の連絡もなく、金がほしいのか、津々自身が目的だったのかすらも分からないのが現状だ。 「我らも狼藉者を探すぞ。連中を見つけ次第、一人残らず斬り捨ててくれる‥‥ッ」 刀の柄に手を置いて、元重は宿より安州の街並みを睨み付けた。 ●囚われの身 「うっ‥‥」 ガンガンする頭を振って、津々はうめいた。 (‥‥ここは?) ぼんやりする頭で身体を起こそうとしても、身動きが取れない。 見れば手足は何重にも縛られ、猿轡を噛まされて、ムシロの上に寝転がされていた。 何があったかは、わからない。よく覚えていない。 確か安州の街で、供の一人と薬の店などを見て回っていた最中‥‥何者かに、殴られたような気がする。 頭が痛いのと、よく思い出せないのはおそらく殴られた為だろう。 薄闇の中、壁や屋根の隙間から差す日の光を頼りに周囲を見回せば、自分がいるのはボロい小屋か納屋らしい。 (何とかして、ここから逃げなければ‥‥でもどうやって?) 話し声など、人の気配はなく。 出来る限りの声を上げても、誰かが聞きつける前に、どこかにいる自分を浚った者達に気付かれるかもしれない。 今は出来る事も思いつかず、打開の機会を窺うべく津々はじっと息を潜めた。 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
リーディア(ia9818)
21歳・女・巫
禾室(ib3232)
13歳・女・シ |
■リプレイ本文 ●義憤 「か弱き婦女子を誘拐するなど、なんたる不届き者かー!」 理不尽に対する怒りに、小柄な身体を震わせて禾室(ib3232)が吼えた。 それでもまだ収まらぬのか、ぶんぶんと狸尻尾も左右に揺れる。 「しかも、それが恩あるゼロ殿の妹君と聞いては黙っておれぬ。及ばずながら、わしも助力致すのじゃ!」 ドンと頼もしく小さな胸を叩いてみせる禾室に、気勢を削がれたゼロは目を瞬かせてから、くつりと小さく笑った。 「わ、笑っておる場合かっ!」 「そういう意味じゃあねぇよ‥‥怒ってくれて、ありがとな」 逆にうろたえた禾室の頭へ手をやるゼロをリーディア(ia9818)は眺め、こっそりと自分の頬をぺちぺち叩く。 「‥‥えぇい、こういう時こそ冷静にならねば」 「何してんだ」 不思議そうに聞くゼロへ、振り返ったリーディアはビシと指を突きつけた。 「ゼロさんも深追い厳禁。一人で突っ走らない事、ですよっ」 「‥‥善処する」 視線を泳がせたゼロが応じ、ぷかりと鬼灯 仄(ia1257)は紫煙を吐く。 「ま、気持ちは判らんでもねえが、あんまし熱くなるなよ‥‥と、言っても無駄かと思ったが」 そうでもなさそうだなと、集った者達へ仄はちらと目をやった。 「手綱を握る相手も居るようだし、大丈夫かね」 「手綱、ね」 僅かに、苦笑混じりで繰り返す御凪 祥(ia5285)。 「ただ、元重と顔を会わせた場合は‥‥予想がつかないからな」 時おり現れる、ゼロの気性の激しさは言わずもがな。異母兄弟である天見元重には一度会ったキリながら、どこか似た印象を抱いている。 「それに俺も、元重に会わない方がいいな。いい印象は持たれていないだろうし、色々と誤解が生じそうだ」 「覚えていれば、そうかもなぁ。ま、男にモテる気なんぞないが」 けろりと笑って、仄は煙管をふかした。 「にしても、騒動が絶えねえなぁ」 「ああ、一大事だ。早く、津々を見つけてやらねえと‥‥」 自分にも大事な妹がいる身ならばと、劫光(ia9510)は重い息をつき。 「だが、解せない。わざわざ修羅と名乗り、誘拐までしたのに何も要求しない。おかしな話だ」 じっと羅喉丸(ia0347)は腕組みをし、唸る様に呟いた。 「言わなくていいのに、何故『修羅』とわざわざ名乗ったのか。修羅の仕業と思わせる為に、偽者が名を騙ったのか。人と修羅が争えば利する者‥‥例えばアヤカシなどの暗躍が、あるかもしれない。頭から犯人が『修羅』だと、思い込まないようにしなければな」 「ただ、修羅が全く無関係かも不明な状況だ。頭から疑わないっていうのも不味いんだろうが、最も控えるべきは修羅だからとすぐに手出しをしないという点か。目撃された修羅に関しては、俺も目晦ましだと思ってるが‥‥」 言葉を切ると、祥は湯呑みを取って口元へ運び。 「また‥‥天見家のお家騒動じゃない事を、祈るのみだ」 ぽつと零した懸念を飲み込むように、良い香りのする茶を干す。 「そうだな。津々が浚われたのは偶然なのか、必然か。そもそも、二人が安州へ来た事自体も‥‥」 前髪をかき上げて、ふっと劫光は天を仰いだ。疑い、考え始めればキリはないが、時は刻一刻と過ぎていく。 「ともあれ、理由とか関係なく女を殴って連れてくような奴はゆるせねえ。ブン殴ってやんねえとな」 「では早速、ブン殴る相手探しへ向かうか」 トンと十字槍「人間無骨」の石突を床に落とし、祥は長椅子より立ち上がった。 「まず時間を区切って分かれて探索を行い、後に集合場所へ集まって情報交換を行う。その情報を元に津々さんがいそうな場所を絞りこんだ上で、全員で救出に向かう‥‥これで、間違いないかな?」 念を入れて羅喉丸が確認すれば、仄はポンと煙管を煙草盆へ打つ。 「関係があるかは判らんが、他の都でも大規模な襲撃も起きていると聞く。キナ臭いようなら、馬や街道の情報など脱出の手はずを整えねぇとな。無理な時はギルドにでも逃げ込むかね」 「確かに一番手近で安全な場所は、ギルドになるか。皆も、それでいいか?」 尋ねる羅喉丸へ、一同は首肯し。 依頼人である天見元重の供より情報を得た者達は、開拓者ギルドから安州の三方へ散った。 ●手掛かり探し 「そうか、元重は不在か」 ふむと仄が唸り、着物の袖に手を入れた。 数多ヶ原から来た者達が滞在している宿には、二人の繋ぎ役が残っていた。 「元重様は他の数名と、安州の街を回られています」 「やれやれ、じっとしてねぇ性分だな。下手をすると‥‥顔を合わせるかもしれんが」 意味ありげな仄の視線に、劫光は同行した二人の顔を思い浮かべる。 「まぁ、向こうは向こうで上手くやるだろう」 「そうだな」 二人はぼそぼそ話を交わし、それから劫光が供の二人を見やった。 「ところで、天見家の二人は何用で安州まで? 数多ヶ原からは遠いだろうに」 「鉄砲を知る為です。アヤカシへ対抗するには、常からの創意工夫を怠らず‥‥と、元重様が提案されたようで」 「なるほどな」 思ったよりも気さくな受け答えに、ひとまず頷く劫光。それだけで、謀策の存在は判断できないが。 (万一、天見の者の中に犯人と通じている者がいるかもしれんからな) そんな疑念を持つのは、彼だけではなかった。 「俺達もここで待つか。ああ、気にしなくていいからな」 どっかと胡坐をかいた仄が、かますから煙管を取り出す。 「一応は話を聞いているが、念の為に津々が浚われた時の状況と、修羅と思しきモノの人相や特徴を教えてくれないか。何か、見落としがあると不味いからな」 「残念ながら居合わせた者は、ギルドで説明した後に元重様と‥‥もし我らの伝え聞きでも、よろしければ」 「ああ、頼む」 促す劫光に、供の一人が説明を始めた。 「津々さんはこの薬問屋を出た後に、別の薬屋へ行こうとして‥‥」 ぱたぱたと通りを横切ったリーディアは路地の『襲撃現場』で足を止め、後からついてくる青年二人へ振り返った。 「この辺り、ですかね。襲われたのは」 「同行していた者の話では、そのようだな」 じーっと自分を見る祥の視線に、意図を理解したゼロは面倒そうに髪を掻く。 「供は津々の後を追う、と。その後ろから」 槍を携えた祥は空いた手でゼロを打つ仕草をし、脇を抜けてリーディアへ進んだ。 「その間に津々が別のモノに殴られ、自分達は修羅だと言い残して去った‥‥と」 「この立ち位置なら、路地の向こう側へ逃げたんでしょうか。津々さん連れだと、目立ちますよね」 「では、俺は向こうを聞いて‥‥どうした?」 聞き込む場所の目星をつける二人の後ろでは、腰を落としたゼロが周囲を窺う。 「いや。機会を狙って、後をつけてたのかと思ってな」 苛立たしさを隠さぬ様子に、見下ろす祥はふっと嘆息した。 「人の多い場所では、邪魔が入るからな」 津々がいなくなれば、天見の当主が何かあった場合に助ける者がいなくなる。そうなった時、当主に万が一何かあったら誰が得をするのか‥‥思案を巡らせる祥だったが。 「大丈夫ですよ。誘拐したという事は、今すぐに津々さんの身が危ない訳ではないと思います」 ふと、気になる言葉が耳に入った。 「むしろ、ゼロさんが目的という線も考えられますからね」 しゃがんだ夫の頭を、ぽふとリーディアが撫で。 「そうかもしれねぇけどよ‥‥伊之助の時といい、その前といい」 盛大な溜め息をつき、膝に手を置いてゼロは立ち上がる。 「俺も大概だが、てめぇも大丈夫か?」 不意に尋ねられた祥が、怪訝そうに眉根を寄せた。 「心が揺らぐと、剣先も揺らぐ‥‥つっても槍か。あ、わざわざ突っつくなよ?」 「誰が。俺は津々の人相を元に、足取りを調べてくる」 呆れた風に祥は頭を振り、路地の先へと姿を消す。 「じゃあ、修羅っぽい人を追いかけましょうか」 リーディアに促され、人々が行き交う通りを歩くゼロの表情が。 瞬間、強張った。 足を止めると顔を上げ、刀へ手を置き、警戒する様に左右を見回す。 気付いたリーディアも視線を追うが、人の流れや風景に変わりはなく。 「ゼロさん、どうかしました?」 「ナンかこう、『とてつもなく嫌な感じ』がしたんだが‥‥一瞬で失せた。気の張り過ぎ、かねぇ?」 呻くゼロの顔色は冴えず、宥める様にリーディアはぽんぽんと背を叩いた。 「羅喉丸殿の協力、感謝するのじゃよ」 「いや、ここでの下手な格好は、確かに目立つからな」 頬被りをした禾室へ羅喉丸は首を横に振り、修羅が潜むという貧民街を改めて眺めた。 氏族同士が争う朱藩の国内実情を示してか、安州郊外にある安普請に住む人々は薄汚れた着物姿で、表情もどこか疲れている。 そんな住民に声をかけ、二人は修羅の所在を絞っていた。 「今日は、節分の鬼役探しでもあるのか?」 「鬼役?」 冗談混じりで返す住民の男に、羅喉丸は首を傾げる。 「少し前、頭に角のある連中が近くにいないかと、お侍に聞かれてね」 「サムライに?」 羅喉丸が繰り返せば、聞こえてきた会話に禾室もハテと考え込んだ。 「一人か?」 「二人連れ、かねぇ。話してきたのは中年くらいで、他に兄さんより少し若いくらいのがおったよ」 そっと禾室が袖を引き、男へ礼を告げた羅喉丸はその場を離れる。 「わしに聞こえる範囲に、そのサムライ達はいないようじゃ‥‥ゼロ殿は薬屋のはずじゃし、もしや元重殿か?」 「ここへ来る可能性は失念していたな。だが貧民街で修羅を見た話、知っていてもおかしくはない」 「じゃが、わしらは顔を知らん。下手に修羅と鉢合わせぬよう、祈るのみじゃ」 困り顔な禾室の尻尾がゆらりと揺れ、羅喉丸も天を仰いで陽の位置を確かめた。 「そろそろ時間か。場所を確認したら、戻った方がいいな‥‥サムライの件も合わせて」 聞き込みを行った結果、近くに洞窟などの隠れ場所はないが、数日前より見慣れぬ『角付き』達がたむろする一画があるという。 行ってみれば、遠目にも角のある人影がちらほらと窺える。 「どうだ?」 「静かなのじゃ‥‥人がおるのに、奇妙なほど」 「そうか。無事であれば良いが」 「きっと無事なのじゃよ。何せ、ゼロ殿の妹君じゃからな!」 根拠のない無邪気な自信だが、羅喉丸は笑んで禾室に頷いた。 ●貧民街 「そうか、元重もこの界隈にいる可能性があるな」 参ったと唸りつつも、飄々と仄は頭を掻いた。 「修羅がいるという場所には、まだ現れていないようだ。残念ながら、津々さんの所在までは、分かっていないが」 「こちらは津々らしき者を背負い、貧民街へ向かう修羅達を見たという話を聞いた。潜伏場所は、あそこでほぼ間違いないと思う」 羅喉丸の話に、得た情報を祥が付け加える。 「では、行こう。どうにも嫌な予感がする」 印を切って劫光が『九字護法陣』をかけ、リーディアはゼロの表情をそっと見た。 あの奇妙な緊迫の後、別の意味でゼロは落ち着かない。理由を聞いても本人はよく分からないと、首を振るばかりだった。 急ぎ立ち戻った貧民街では、既に騒ぎが起きていた。 「不味いのじゃ。誰かが、隠した津々殿を出せと騒いでおる!」 『超越聴覚』で騒ぎに紛れる声を聞き取った禾室が、焦った顔で仲間を振り仰ぐ。 「あの、馬鹿が‥‥!」 歯噛みをするゼロに、羅喉丸は禾室と視線を交わす。 「俺と禾室さんで津々さんを探し、保護しよう。その間、騒ぎの方を頼む」 「見つけたら、すぐに大声で知らせるのじゃ!」 「合流が無理そうなら、先にギルドへ行け!」 行動する泰拳士とシノビの背へ、劫光が声をかけ。 「こっちも急ぐか。元重だとして、誘拐犯を皆斬っちまわれたら困る」 ひょいと単衣の裾をまくった仄に続き、残る者達も騒ぎへ走った。 「狼藉者のねぐらはここか! 金が欲しくばくれてやる、我が妹を返してもらおう!」 ボロ家の群れを前に怒鳴る元重の後ろには、三人の供がついている。いずれも、ここまで来れば致し方ナシと腹を括った感があった。 周りを囲むのは、角のある者達。 だが『本物の修羅』を見た者ならば、気付いただろう。帽子で角さえ隠せば人と変わらぬ修羅とは違い、むしろ鬼の風体に近い。 否、それは『人の姿に似た鬼』で‥‥。 「アヤカシ、です」 声を落とし、『瘴索結界』で確かめたリーディアが緊張気味に知らせた。 通りの陰や建物の奥で見え隠れする、棍棒や刀を持った姿。仄らが『心眼』で見出した者達の位置は、いずれも瘴気の位置と重なる。 「まずいな」 舌打ちをして、劫光は呪殺符「深愛」の一枚を抜き取った。 「あれを、彼らが『修羅』と信じているなら‥‥」 「アヤカシ相手に、志体ナシじゃあ分が悪ぃッ」 「待て!」 真っ先にゼロが駆け出し、その後を祥が追う。 「何してんだ元重、下がれ!」 「なに‥‥ッ」 声に振り返った元重は、当然ながらギョッとした表情をし。 「それはこっちの台詞だ。先走るな、ゼロ!」 「元重、てめぇらは宿へ戻ってろ!」 「お前‥‥」 突然の事で呆気に取られた元重の腕をゼロが掴み、ぐいと押し戻す。 その間にも潜んでいた『修羅』が、獲物を手に次々と現われた。 「こんなに騒いで、津々に何かあったらどうする!」 咎める祥へ、ニッとゼロは口の端を上げる。 「津々をどうこう出来ねぇくらい、騒ぎゃあいい話だ。てめぇが手間取るような相手じゃあねぇだろ、こいつら」 「全く、段取りをぶち壊しに‥‥こちらへ注意を引くしか、手がないだろう」 呆れながら、祥も携えた槍をブンと一振りして唸らせた。 「久しぶりだな。と、言っても開拓者風情の顔なんざ覚えちゃいねえか? ま、そりゃあどうでもいいが、こいつらが暴れ出したら巻き込まれるぜ。宿で朗報でも待っとけ」 けらけらと仄は元重に笑いながら、供へ逃げるよう促す。 「元重様。ここは開拓者達の言う通り、引かれるべきです‥‥!」 「くっ‥‥」 口惜しげに、元重は供とその場を離れた。 修羅の出方を警戒しながら、劫光はリーディアを庇う様に傍らへ立ち。時おり空を飛ぶ鳥‥‥『人魂』の式の目を借りて、去る元重らを見送る。 その時、一軒の安普請から禾室が飛び出し、女を背負った羅喉丸が続いた。 「‥‥どうやら、津々は無事のようだ」 「よかったのです」 その言葉に、ほっとリーディアは胸を撫で下ろし。 だが友人の表情の変化に気付き、首を傾げる。 「劫光さん。どうか、しました‥‥?」 冬だというのに、額に汗が浮かんで流れ落ち。 「ナンだ‥‥アレは‥‥」 搾り出した声を掻き消す様に、突然の崩壊音が貧民街を震わせた。 「なん‥‥?」 その時、その場にいた者達は、皆一様に茫然とした。 開拓者も――何故か、アヤカシ達も。 咄嗟にリーディアは武天の呼子笛を吹き、甲高い音にはっと仲間達が我に返る。 「津々さんは無事です。ここから‥‥早く、離れなければ!」 気丈ながらも只ならぬ声色に、理由を問う者はなく。 身を翻し、駆け出す者達の後ろでは、おぞましく形容し難い肉塊が膨張を続けていた――。 |