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■オープニング本文 ●雨降る楠の木の下で 「雲行き、怪しくなってきたな」 「ああ。夜までに、町に着けばいいんだが」 二人連れの旅人は、道を急いでいた。 その日は朝から雲が多くて天気が良くなかったせいか、道を行き交う人の姿はまばらだ。 それでもあまり気にせず、行商人の二人は次の町へ向かう為に宿を出た。 薄い灰色だった雲は、夕暮れが近付くにつれて急に厚みを増してくる。 空はどんどん暗くなり、そのうちゴロゴロと遠雷が鳴り始めた。 「これはヤバいぜ」 「今すぐにでも、ひと雨くるか」 生暖かい風向きに足を急がせる二人だったが、雨の方が早かった。 ばらばらと雨が打ち始めた三度笠に手をかけ、深めに引き下ろす。 それでも雨足はすぐに強くなり、周囲の野っ原も雨にけぶってきた。 「うひゃあ、こりゃあダメだ」 「この勢いは、夕立ちかその辺だろう。あそこで少し、雨宿りしよう」 同行者が示す先をみやれば、道沿いに一本の楠が立っていた。 かなりの樹齢を重ねた大樹は、立派な枝を大きく広げている。 これ幸いと中年の男二人は木の陰に駆け込み、雨合羽にしたたる水を払った。 青々と葉を茂らせた木の下は雨も振り込まず、二人はほっと胸を撫で下ろす。 それから周囲を見回すと辺りは暗く、滝の様に降る雨の音しか聞こえなかった。 「これは、しばらく止みそうにないなぁ」 「日が落ちる前に、上がってほしいもんだが」 愚痴をこぼしても雨が止むわけでもなく、二人の行商人は嘆息して背中の荷物を木の根元に下ろす。 と、そのうちの一人が、木の反対側でぽつんと佇んでいる影に気がついた。 黒い外套を頭からすっぽりと被った小柄な影は、どこか照る照る坊主を思い出させる。 「よう。坊主も、雨宿りかい?」 声をかけた行商人に、相手は少しだけ顔を上げたように見えた。 身長からすると、年の頃は10歳を越えたあたりか。 何となく家で待つ子供の事を思い出し、捨て置けなくなった男は荷物はそのまま置いて、子供の隣へ歩み寄った。 「坊主、一人なのか。家はここから遠いのかい?」 おもむろに尋ねても、子供は顔を上げず。 男はひょいと、その傍らにしゃがみ込む。 「良かったら、飴があるんだ。食うか、坊主?」 言葉をかけながら自分の懐を探る男に、ようやく子供が顔を向けた。 その時ちょうど雷光が走り、フードに隠れていた顔がはっきりと男の目に飛び込む。 子供は、哂(わら)っていた。 薄く哂う、赤い口しかなかった。 顔は目も鼻も存在せず、闇のように暗く。 耳元まで裂けた口が、細い月のように笑いの形を作っている。 男が呆然とそれを見つめていられたのは、一瞬の事。 合わせた外套が開くと、肋骨に似た白く鋭い牙の様なモノが何本も現れ。 左右に開いたソレが、しゃがんだ男へ深々と突き立った。 叩き付けるような雨の音に悲鳴が混じり、尻すぼみに細くなって消える。 「う、あ‥‥うわあぁぁぁっ!!」 仲間の叫びに様子を窺った男が、声を上げて逃げ出す。 その足を蔓の様な何かが救い上げ、派手に行商人は顔から転んだ。 ぬかるんだ地面の上で、男は手足を振り回してもがき。 必死に立ち上がり、少しでも楠から離れようと、荷物もそのまま後ろも見ずに走り出す。 轟く雷鳴が、空気を震わせ。 閃く光に、一瞬だけ野っ原に立つ大きな楠の木の影を、浮かび上がらせていた。 ○ 「そりゃあきっと、『雨童』ですな」 命からがら逃げてきた行商人が飛び込んだ家の主人は、恐怖のあまりに動転した相手の話を聞いて、そう答えた。 「あま、わらし‥‥?」 「この辺りは、昔々にそういう化け物が出たって話があるんですよ。もっとも、おとぎ話や子供を怖がらせる類(たぐい)の話‥‥なんですが。おい、何か暖かいものを持ってきてあげなさい。早く」 壮年の主人は、声を上げて家の者に用を告げる。 「だが、あれはアヤカシだった。商売仲間が喰われたんだ、俺の目の前で‥‥っ!」 「落ち着きなさい。もし『雨童』なら、町まで追ってきたりはしません。ただ、本当にアヤカシならば、開拓者に頼んで退治してもらわなきゃあなりませんな。あの辺りはこの季節、夕暮れになると本当に雷雨が多いから」 家の奥から現れた妻から、お盆に乗せた椀を受け取ると、家の主人はずぶ濡れの男へ湯気の立つそれを勧めた。 「さぁ、これを飲んで身体を温めて。気を確かに持つのですよ」 震える手で椀を受け取った行商人は、温かい生姜湯を不器用に口へ運ぶ。 少し落ち着いた様子を見て、主人は見守っていた妻へ一つ頷き。 傘を手に外へ出ると、開拓者ギルドへ急を告げるため、風信術の機械を置く村長の家へ使いに走った。 |
■参加者一覧
香椎 梓(ia0253)
19歳・男・志
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
貴水・七瀬(ia0710)
18歳・女・志
蘭 志狼(ia0805)
29歳・男・サ
尾鷲 アスマ(ia0892)
25歳・男・サ
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
乃木亜(ia1245)
20歳・女・志
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ |
■リプレイ本文 ●ススキ野っ原、楠一つ 昼から垂れ込めていた灰色の雲は、夕方になると急に厚みを増して鉛色となる。 程なく、ごろごろと遠雷が鳴り始め。 やがて堰を切った様に、強い雨が降り出した。 だだっ広い野っ原を歩く人影は、慌てて雨がしのげる唯一の場所へ走る。 まず、小さな影が一つ。 幾らか遅れて、大柄な影がもう一つ。 「む‥‥失礼、邪魔をするが良いか?」 低く声をかけた男へ、先客の少女は僅かに頭を下げた。 「あ、はい‥‥すみません」 「こちらこそ、かたじけない。それにしても嫌な雨、だな」 短いやり取りは、それきりで。 互いに微妙な距離を置き、二人は時を待つ。 野っ原の真ん中に立つ楠の木は、生暖かい風に枝を騒がせていた――。 ●時は戻って 開拓者達が村に到着した時、既に空は低い雲で覆われていた。 「天気、やっぱり崩れそうですね」 「ま、雨の中に出るアヤカシって話だからなぁ。どうにも濡れ鼠になっちまいそうだな」 曇り空を見上げる志藤 久遠(ia0597)に、煙管を咥えていた鬼灯 仄(ia1257)が答えと一緒に宙へ煙を吐く。 村へ着いた開拓者の一行は、準備の為にまず村長の家を訪ねていた。 「皆さん、風邪などひかれない様にして下さいね。何でしたら、お戻りになられる頃合いに、湯を沸かしておきますので」 「いいねぇ。ついでに、冷えた身体に熱燗を。美人の酌で頼む」 煙管盆を持ってきた村長の妻へ、仄が更に注文をつける。 「お気遣い、ありがとうございます。ところで、伝承の『雨童』とやらは、人を食らうのでしょうか?」 久遠が問えば、懐から手帳を取り出しながら天河 ふしぎ(ia1037)も身を乗り出した。 「僕も聞きたいっ。『雨童』の言い伝え、詳しく教えてくれませんか」 「判りました。昔々、今日の様に雲が重く垂れ込め、すぐにでも空が泣き出しそうな日の事だったそうです‥‥」 居住まいを正し、一拍置いて、妻は村に伝わるという昔話を淡々と語り始める。 (「うっ。もしかして何か、本格的に恐そうな言い伝え‥‥!?」) その語り口にふしぎは激しく嫌な予感を覚えたが、中座しようにも時は既に遅かった。 三人が縁側で村長の妻から話を聞く間、残る者達は村人達が持ってきた蓑を受け取っていた。 「お身体に、合えばいいのですが」 「いいえ、助かります」 心配そうな村長へ、乃木亜(ia1245)は丁寧に頭を下げる。 親子ほど歳が離れた相手から丁重に扱われても、逆に乃木亜の方が恐縮してしまう。 「聞けば、童子は一人らしいな‥‥」 何事かを思案しながら、尾鷲 アスマ(ia0892)が呟いた。 「気に入らん」 やや憮然とした表情で、蘭 志狼(ia0805)は嘆息する。 「その程度で後れを取るつもりは、毛頭ないが‥‥子供の姿とは」 「それが狙い、かもしれないな」 「む?」 腰に差した業物の柄に手を置いた志狼が、板の間に座って膝の上で頬杖をつくアスマを鋭く見下ろした。 「ああ、別に貴公の腕を疑う訳ではない。ただ童子の形というのは、色々と都合がいいのだろうと思っただけだ」 「子供の姿をして油断を誘い、子を持つ親を襲うアヤカシですか‥‥」 弁解するアスマの話を聞き、ぽつりと香椎 梓(ia0253)が言葉を口にする。 「う〜ん。親に限らず、小さい弟や妹がいる者も気を許してしまうかも。それが子供の姿で牙剥く姿見たら、そりゃ怖いだろーな」 腕組みをした貴水・七瀬(ia0710)は、眉をひそめた。 「‥‥斬ったら寝醒め悪そーだけど、そういうのも含めて開拓者だもんな。やるっきゃねーか‥‥」 「ああ。やり辛いのは確かだが、眼前の敵は斬るのみ」 ぽしぽしと髪を掻いて唸る七瀬と、表情を変えず静かに答える志狼の様子に、頬杖をついたアスマは口元の小さな笑みをさりげなく手で隠す。 「親を亡くした子の為にも、そのアヤカシ‥‥必ず、退治致しましょう。ところで助かった行商人の方、具合はどうです?」 尋ねる梓へ、村長は浮かぬ顔で首を左右に振った。 「世話をしている者の話では昨夜はよく眠れず、朝食にも手をつけなかったとか」 「やはり‥‥では、話を聞くのは気の毒ですね」 予想はしていたが、残念そうに梓が目を伏せたその時。 「うわあぁぁっ!」 突然、家の奥から叫び声が聞こえた。 黙って仲間の会話を聞いていた乃木亜が、驚いて身を強張らせる。 「な、何でしょう」 「さぁ?」 判りかねるという風にアスマが肩を竦めるが、答えは向こうからやって来た。 「べっ、別に僕、恐くなんかないんだからなっ」 「ほ〜ぅ」 「急に肩を叩かれて、ちょっと驚いただけだって!」 「へ〜ぇ」 ちょっぴり不機嫌そうなふしぎの後ろから、適当な相槌を打つ仄がついて来る。続く久遠の表情に変わりはなく、何があったか読み取れない。 「奥で、家の方から『雨童』の言い伝えを聞いていました」 物問いたげな者達の視線に気付いたか、久遠が手短に説明した。 「それなら、僕が後で説明するよ。ちゃんとメモを取ったから」 手帳を手にしたふしぎが、意味深な笑顔と共に胸を張る。 「説明‥‥」 ぽそりと呟いた仄は頬を膨らませたふしぎに気付き、あさっての方を見た。 ●方策 湿気を含んだ重い風に、ざわざわとススキが騒ぐ。 波のうねりの様に揺れる野っ原の真ん中に、話の通りぽつんと楠が立っていた。 「‥‥高い」 話には聞いていたが、ススキの高さにふしぎが改めて微妙に凹む。そんな心境を知ってか知らずか、悠々と梓が見通しの良い野っ原を見回した。 「互いを見失わないよう、気をつけないといけませんね‥‥」 (「そのうち、もっと大きくなるんだからなっ」) 心密かに、ふしぎは何やら闘志(?)を燃やす。 「それで、村長の奥さんに聞いた雨童の話は、あれで終わりなのか?」 「あ、うん。だいたい、そんな感じだったよ」 アスマに聞かれたふしぎは、急いで首を縦に振った。 「もっとも、奥さんの方が話しぶりは筋金入りだったがな」 「そりゃあ、元は子供を怖がらせる話なんだから」 にやにや笑う仄へ、つぃとふしぎは顎を上げてむくれる。 ここへ歩く道すがら、ふしぎは村長の妻から聞いた地元の言い伝えを仲間へ説明した。 内容は、今回起きた一件と大きな違いはない。 夕暮れ、野っ原を旅人が歩いていると急な雨に降られ、楠の木の下で雨宿りをする。ふと同じように雨宿りをする人影に気付き、子供だと思って近付いた旅人だが、雨童の正体を見ると驚いて逃げ出す‥‥というモノだ。 違いがあるとすれば旅人が二人で、そのうちの一人が食われてしまった事か。 「伝承も、元はアヤカシだったのかもしれませんね‥‥考えても、詮無いことではありますが。化け物にせよ、アヤカシにせよ、人を害するモノを放ってはおけません、確実に討ち取りましょう」 静かに久遠が腰の太刀を確かめ、七瀬は空を仰いだ。 「じき、降り出しそうだ。そろそろ行動した方がいいと思うが‥‥二人が来る頃合いだと思うし」 「ああ。警戒されぬよう、そろそろ動くとしよう。後詰めの二人も気をつけてな」 言葉をかけるアスマに緊張気味でふしぎは頷き、仄は心得たという風にひらと片手を振る。 八人が相談した手順は、こうだ。 囮役の二人が怪しまれぬようタイミングをずらし、楠の木で雨宿りをする。 雨童が出れば、楠のある側の野っ原へ潜んだ囲み役の四人が取り囲み。 道を隔てた側に潜む後詰め役二人が、囮役の援護とアヤカシの逃亡阻止を担う。 ただし、策をアヤカシに悟られては元も子もなかった。 囲み役と後詰め役は身を屈め、ススキの動きに合わせて用心深く『持ち場』へ移動する。 頭上では既に鉛色の雲が垂れ込め、ひしめき始めていた。 それより一刻、あるいはもう少し経っていたか。 遠くに雷の音を聞けば、雨がぽつぽつとススキの葉を叩く。 雨足はあっという間に強くなり、激しい雨が潜む者達を容赦なく濡らし始めた。 雨は弱まる気配を見せず、ごうごうと音を立てて降りしきる。 一方で風はさほど強くなく、木陰まで雨が降り込まないだけマシだった。 楠の下で雨を避ける二人は、どちらも濡れた傘や蓑は外さず、距離を置いて立ち。 時おり、何気ない素振りで幹の陰を窺う。 「‥‥むぅ」 違和感を感じ、志狼は喉の奥で唸った。 大樹の根元には、何の痕跡もない。 雨に打たれて寒いのか、乃木亜は腕をもう片方の手で擦っていた。 微妙に俯いている為、傘に隠れて表情は判らないが、彼女も志狼と同じ違和感を感じたらしい。 否、それは違和感というより、もっと決定的な事だ。 ――楠の木の下には、何もなかった。 争ったような様子も流血の痕跡も、そして行商人達が置いて行った荷物も。 「荷物も、丸ごと食べたりするんでしょうか。誰もいなくて荷物だけ残っていたら、不自然ですし‥‥」 注意しなければ雨の音に消えそうな細い声で、乃木亜が呟く。 「単に、盗まれたのかもしれん。油断は出来んがな」 何も知らずに誰かが通りがかったなら、その可能性も否定できない。 だが、胸の底には何ともいえない口惜しさが沈殿する。 アヤカシの犠牲となった者の遺品があるなら、せめてそれだけでも家族の元へ返してやりたい‥‥それは、この一件に関わった者の多くが思うところでもあった。 蓑の下で、再び乃木亜は無意識に腕をさする。 冷えて寒いのではなく、彼女は怖れて震えていた。 この状況で単独の囮なら、恐怖に負けて動けなかったかもしれない。 だが見目にも頼もしい志狼が一緒で、彼女の恐怖心を知ってか知らずか、何も聞かずにいてくれる。 それが、今は有難かった‥‥だが、ここで二人こうしていても、埒が明かない。 「周囲を、探ってみますか?」 「頼めるか」 思い切って提案した乃木亜は短い即答に首肯し、精神統一を図った。 しばし、雨の音だけがやけに大きく聞こえ。 「上、に‥‥っ」 息を飲んだかすれた声と同時に、雷光が閃く。 そして楠の木の枝の一つが、大きく葉ずれの音を立てて揺らいだ。 ●弔いの雨 閃光の中、蔓で枝にぶら下がる黒い塊が、樹上からぶらんと乃木亜の目の前に落ちる。 つんざく雷鳴が、一瞬だけ他の音を掻き消した。 真っ黒な照る照る坊主の様なソレに、蓑の下の刀を抜く間も惜しく。 踏み込んだ志狼が、鞘のまま業物で突きを繰り出す。 固い手ごたえがして、黒い衣は木陰に弾き飛ばされた。 と同時に、後詰め役二人の放った矢が楠の幹へ突き立つ。 「怪我は!?」 泰弓に次の矢を番えながらふしぎが声をかければ、とっさにガードで最低限身を守っていた乃木亜は、頷きながら白鞘を抜く。 「大丈夫です。驚いただけで」 先に乃木亜の無事を確認した志狼は、フッ飛ばした相手を追っていた。 「どんな姿であれ容赦はせん‥‥蘭 志狼、参るッ!」 業物を鞘走らせて、志狼が哮り(たけり)。 直後うずくまったアヤカシから、白い牙が次々と伸びる。 手にした刀で、それを何とか捌いてしのぎ。 その間に、周囲のススキがざわりと一斉に騒いだ。 蓑を脱ぎ捨てた二つの影が、素早い足捌きで雨童へ距離を詰め。 相手が振り返るより先に、白刃が閃く。 不意を討つ形で一刀を加えた梓と久遠は、そのまま素早く間合いを取った。 背後から襲った者達へ、アヤカシが振り返る。 「口を開けば広げてやるぞ、童子! より早く、食事が済ませられるだろう?」 皮肉と共に、アスマが業物を下段から振るい。 「ガキが、危ねーもん持ってんじゃねーよッ!」 『炎魂縛武』の炎を纏った刀で、七瀬が斬り下ろす。 鋭い刃は振り上げた蔓の幾らかを断ち斬り、牙の幾らかを叩き折り。 一緒に切断されたススキが、ばらばらと散る。 悲鳴もあげず、血も流さず、アヤカシはススキをへし折って倒れ伏した。 「まぁ‥‥食事は急くものではないと、思うがな」 「それ以前に、この体格で人を食うとか、相当の大食漢だろ」 くつりと喉の奥で笑うアスマに、緊張を解かぬまま七瀬が呆れる。 「他に、アヤカシがいる気配は?」 まだ刀を納めず、警戒しながら志狼が志士達へ問う。 「心眼で判る範囲には、このアヤカシ一体だけのようです」 囮の二人が来る前に確認した梓が、野っ原をぐるりと見回す。 「てことは、コイツで終わりって事か」 ロングボウを手にした仄は、それでも退路を塞ぐように乃木亜やふしぎとの位置を取りながら近付き。 「それで‥‥やっつけた?」 ススキの中を走り回らずにすむ事に内心ほっとしながら、ふしぎが質問を重ねる。 「まだ油断できない、かな。心眼で確かめるか‥‥」 答えた七瀬は雨に打たれながら、少しずつ歩を進めた。 雨童の倒れた場所で、ざわざわとススキが大きく揺れ。 ススキの間から、長い牙が天へ向けて飛び出す。 「うわっ」 「危ない!」 注意していた七瀬は、とっさに後退してソレを避け。 間髪おかずに、仄とふしぎが矢を射る。 他の者達も、再び身構え。 「往生際の悪い‥‥!」 断ち落とすように、不気味な笑いを作った目も鼻もない口だけの頭部へ、志狼が業物を振り下ろした。 ●忘れず物 「こっち、ありましたっ」 ススキに隠れて姿は見えないが、乃木亜の声が近付いてくる。 「よかった。こちらも、見つけましたよ」 安堵した久遠も、大事そうに行李や振り分けを抱え、楠の木の下へ戻ってきた。 「増える事は危惧していたが、よもや減っていたとは」 野っ原へ打ち捨てられていた行商人の荷物を確かめ、アスマはぽしぽしと髪を掻く。 「確かに、誰もいないのに荷物だけあるのは奇妙‥‥ですから」 「そんな知恵、アヤカシにあるのかな?」 「さて。そこまでは判りませんが」 梓とふしぎの会話を聞きながら、仄は仲間が集めた『遺品』を担いだ。 「とりあえず、これは商売仲間の行商人へ渡してやるか。幾らかの金子や商い品が入ってるだろうし、家族に届けてやれるだろう」 「うん‥‥」 短く答えた七瀬は、楠の前に腰を下ろし、静かに両手を合わせて瞑目する。 幾人かは彼女に倣い、幾人かはただ空を眺めた。 「そういえば、村長の奥さんが風呂を沸かして待つって‥‥っくしゅん!」 思い出したふしぎだが、伝え終わらぬうちにくしゃみを一つ。 「大丈夫ですか? ずっと、雨の中でしたから‥‥」 「平気だよ、これくらいっ」 尋ねる乃木亜にすんと鼻を鳴らし、ふしぎは胸を張る。 「風呂は、有難いですね。折角ですから、一番風呂は天河殿がいただいては?」 久遠が気遣い、おもむろにアスマも頷いた。 「身体も冷えている事だ。風呂の順番待ちの間には、暖かいモノでも欲しいね」 「ふむ‥‥汁粉か、身体を暖めるなら甘酒か」 「うんうん。どちらも捨てがたい」 志狼の呟きに、アスマは腕組みをして同意し。 「‥‥って、ソコは普通、熱燗とかじゃあねぇのか!?」 理解しかねると言わんばかりに、仄が大げさに天を仰ぐ。 雷鳴と酷い雨はすっかり遠ざかり、薄く切れてきた雲間から僅かに月が覗いていた。 |