【踏破】空に帆を
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/07/26 17:08



■オープニング本文

●そして、さよなら
「じゃあ、達者で。文は安州の開拓者ギルド止めで送れば、少し遅れるかもしれないけど届くから。もし困った事とか相談事とか、別に何も変わりないって報告でも、送ってくれるかい」
 いつもの如くライナルト・フリューゲはへらりと緊張感皆無で笑い、『助手』である少年の頭をぐりぐり撫でた。
「盆と正月くらい帰ってこいよ、先生」
「いや、ソレなんて娘を嫁に出す父親」
 憮然と見上げる助手へ、困ったように笑い返し。
「あ、でも雉団子鍋は食べたいなぁ」
「‥‥やっぱ、帰ってこなくていーや」
 別方向で名残惜しそうな『先生』に、呆れ顔で俊太が訂正する。
 名残惜しいが、いつまでもこうしている訳にはいかず。
 僅かな手荷物だけを持って、ライナルトは作業小屋を出た。
 試作滑空機に関わる物は全て、この小さな村へ残す事になる。後は更なる滑空機の改良にあたるもよし、滑空機のメンテナンスだけを行っていくもよし‥‥そこは自分の後を継いでくれるかもしれない、信頼すべき助手に託した。
「それじゃあ、皆も元気でね」
 放牧地のもふらさま達や、すっかり覚えた村の馴染みの顔、一つ一つに足を運んで挨拶をする。
 それからライナルトは、長らく世話になった山間の小村を後にした。

●魔の森覆う島
 新たな儀への道筋が示され、それにあたり朱藩の興志王は積極的な姿勢を見せていた。
 航路の上に位置し、嵐の壁へ挑むに当たって重要な拠点となりうる島――鬼咲島。
 魔の森に覆われたそこへ、興志王は自らが超大型飛空船『赤光』に乗船し、朱藩所属・調査船団『朱』を率いて乗り出した。
 だが島のほとんどを魔の森に覆われた魔の島は、アヤカシの巣窟でもあり。
 後の道筋を確保する為に島内へ駐屯地を用意するにあたって、これらを排除しなければならなかった。
 それも見越して、興志王は多くの砲術士を同行させたが、一筋縄ではいかず。
 深い手傷を負った者や満足に動けぬ者達を中型飛空船『緋扇(ひおうぎ)』に乗せ、一足先に本国へ返す事にした。
 ‥‥だが。

   ○

「浮遊宝珠の出力が、上がらない?」
 怪訝な表情をしたライナルトに、作業員達が頷いた。
「当初の出力の、五割から七割程度しか。これでは、海面から離水できないですよ」
『緋扇』級の中型飛空船の場合、定員は25人前後だ。
 その25人のうち、重い傷を負った砲術士が10人程に、開拓者が数名。
 残りはライナルトを含む、飛行船を飛ばす為に欠かせない乗員達だ。
 それを七個の浮遊宝珠が宙へと持ち上げ、四個の風宝珠が推進力となる。
 作業員の話では、船を飛ばす要の一つである浮遊宝珠の幾つかが、上手く機能していないのだという。
「このまま、海の端っこまで行って、落っこちちまうのかな」
 急ぎ足で制御機関部へ歩く技師の後ろで、ふと作業員の一人が不安げな声をあげた。
「ああ。それに関しては、今のところ大丈夫だね。天儀本島もそうなんだけど、不思議なもので総じて島の縁に近付かない限り、海の流れは必ずしも端へは向かわない。ただし、ある一定の限界線のようなものがあって、ソレを超えると流れは急激に島の外側、縁から流れ落ちる滝に向かうって事が、分かってる」
 長々と説明しながら制御室へ到着すると、ライナルトはすぐに宝珠と船の状態を示す沢山の針を確認するとボタンを押し、レバーを引き、何事かをひと通りを試みる。
 だが結果は芳しくないのか眉間に眉を寄せ、ぽしぽしと頭を掻いた。
「宝珠自体の調子が悪いのか、機関部との連携が上手くいっていないのか‥‥すぐには直らないぞ、コレ」
「やっぱり、ですか」
 技師の見立てに、作業員達は不安げに顔を見合わせ、不安から重い溜め息を吐く。
 だがどうあがいても、『これ以上の上昇する力』は得られない。
 一方で風宝珠は問題なく順調で、出力は安定していた。
「船長、駐屯地には戻れるかな?」
『それは難しいな。いま物見から、海面にアヤカシらしき群れを発見せりという報告が上がった。島の方向、つまり船の後ろを追ってきている』
「転進している間に、まず襲われる‥‥か。確か、開拓者の人達が何人か乗ってたよね。協力を頼めるか、聞いてもらえるかな‥‥」
 それから、風変わりな技師は『用件』を頼む。
『後方から迫るアヤカシに船を壊させぬためのけん制』と、『船を軽くする方法と、船が飛ぶための方法を思いついたら何でも』とを。
 つるを摘まんで片眼鏡の位置を正すと、見えない相手へライナルトはにんまりと笑った。
「それから、このまま端を目指して直進して、一緒に心中してみる度胸はあるかい? ってね」

 飛べぬ船を狙うかの如く、海からは魚の姿に似たアヤカシ達が姿を見せ始めていた。


■参加者一覧
川那辺 由愛(ia0068
24歳・女・陰
相川・勝一(ia0675
12歳・男・サ
乃木亜(ia1245
20歳・女・志
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
キァンシ・フォン(ia9060
26歳・女・泰
煌夜(ia9065
24歳・女・志


■リプレイ本文

●緊急事態
 狭い船内に何事かと訝しむ開拓者達へ、伝声管を介して船長から『現状』が伝えられた。
 船の浮遊宝珠が不調であり、容易に直せない事。
 後ろからはアヤカシの群れが迫り、駐屯地へ引き返せない事。
 故に宝珠の技師から『何らかの対処法の提案』や、協力を求められている事。
「ようやく帰り道かと思ったら、ここにきて大仕事ね」
 銀髪をかき上げて、ふうっと煌夜(ia9065)は大きな息を一つ吐く。
「よりによって、こんな時に襲われるなんて‥‥」
 不安げに乃木亜(ia1245)は細い腕をさすり、ちょうど部屋から出ていた鬼灯 仄(ia1257)が無造作にがしがしと頭を掻きながら戻ってきた。
「んぁ? 何がいったい、どうなったって?」
「宝珠の調子が悪いらしいわ。船の中、何か騒がしくなかった?」
 簡単に説明した川那辺 由愛(ia0068)が聞き返せば、仄は首を横に振る。
「いや、別に‥‥気にしなかったがな」
 気付かなかったというより、本当に気にしなかった。この中型飛行船『緋扇』に乗っている者達の心境は、同じだろう。
 誰もが、鬼咲島でひと仕事を終えたばかりだ。あとは怪我をした砲術士達に同行し、のんびりと神楽へ戻る‥‥はずだったのだが。
「じゃあ引き返して、修理とかするのか?」
「それも、その‥‥難しいそうです。船の後ろに、アヤカシの群れがいるとかで」
 ごにょりと言い辛そうにしながら、脇から相川・勝一(ia0675)が由愛の話を補足する。
「つまり、戻れねぇ?」
「あの、はい」
「そういう事になるのう」
 遠慮がちに頷いた勝一の傍から、流暢な口振りで答える小さな影が一つ。
「如何にも、嫌な予感はしてたけど‥‥」
 ぴらりと呪殺符「深愛」の一枚を取り出した由愛は、口元に不敵な笑みを浮かべる。
「やっぱりそう簡単には帰してくれないわね。どれどれ。受けた仕事は万事無事に、皆で解決してやろうじゃないの!」
「はい。全員が帰還しなければ‥‥ですね。皆さん、疲れているでしょうけれど」
 状況は厳しいが、それでもほんわりとした笑顔でキァンシ・フォン(ia9060)は仲間を気遣った。
「神楽へ帰るまでが、依頼ですから」
「ピィ‥‥」
「ええ。何とか頑張りましょう、藍玉」
 不安げなミヅチ 藍玉へ、乃木亜がこくりと頷く。
「傷を癒すなら、僕も手伝いますよ。いえ、僕が癒す訳ではないのですが」
 期待する視線にたじろいだ勝一は、傍らの人妖 桔梗へ目を向けた。
 だが当の人妖は素知らぬ顔で、彼女にとって少し大きな杯を悠々と傾けている。
「えっと、まずは急いで状況を把握して、出来る事を分担しないと、ですね」
「時間もない事だし、船長と直接話した方がよさそうね」
 乃木亜へ頷いた煌夜が立ち上がり、他の者達もそれに続いた。

●帰路、遠く
「ざっと、状況はこんな感じなんだけどね」
 飛空船の宝珠技師というライナルト・フリューゲが、艦橋へ集った者達へ現状を説明する。
 浮遊宝珠の力が足りず、浮き上がって離水する事が難しい。
 海の中、船の後方からアヤカシの群れが迫っているため、引き返す事もまた難しい。
 かくなる上は、このまま真っ直ぐ船を進ませて、島の縁から雲海へ飛び出すしかなく。
 今は海上にあるため、船としての浮力に助けられている部分もあるが、縁から飛び出せば船自体がどうなるかが分からない‥‥という。
「だからまぁ、船を軽くして浮遊宝珠に負担をかけないのはもちろんなんだけど、それ以外に船が飛ぶための方法を思いついたら、教えて欲しいんだ。何でも」
「風宝珠の方は、大丈夫なんですか?」
 気になったのか、乃木亜が尋ねれば青年技師は首肯した。
「それは大丈夫。最大出力なら後ろのアヤカシを振り切れるかもだけど、それだと手を打つ前に滝へ流されちゃうからね」
「船を壊されないよう、アヤカシを退けながら、船を軽く‥‥か。砲術士の連中のうち、怪我が軽そうな奴を叩き起こしてやるか」
「け、怪我をしているのに、ですか?」
 ぼやく仄へオロオロと乃木亜が問えば、相手はひらりと手を振る。
「あー、さすがにソコまではしないぜ。『神風恩寵』で、動ける程度に治してやるさ」
「なるほど。で、巫女の方は‥‥」
 きょろと仲間や船長、技師の顔をひと通り見回す少女に、仄は帯へ突っ込んだ神威の木刀をトントンと軽く叩いた。
「‥‥お久し振りだと思ったら‥‥鬼灯さんは、巫女さんだったん‥‥ですね」
「いや、こっちの技も覚えておけば、何かとこう‥‥怪我した時なんか楽だろ。主に、財布の重さ的な意味で」
 微妙にズレた勘違いに元志士が説明し、思わずくすりと煌夜が笑う。
「まぁ、一人でも癒し手が多いと、助かるから。期待しているわよ」
 軽く煌夜は片目を瞑ってから、仲間を見やった。
 魔の島とも呼ばれる、鬼咲島からの帰り。身体はそれなりに傷を負い、疲れて術や技を使う集中力も落ちているが。
「こっちでも、傷の手当て程度は何とかするわ」
 瞳を隠す前髪越しに、由愛は視線を返す。
 飛空船はまだ魔の森がある島から遠くなく、陰陽師にとって不幸中の幸いと言えた。
「ともあれ、やるべき事は決まったようですね。まず急がなければならない事から始めて、後の手は動きながら考えて、進めましょう」
 勝一の言葉に、キァンシもこくりと首を縦に振る。
「手当ては、出来る方にお任せして。アヤカシと、船を軽く‥‥ですか。宝珠の方は、技師さんにお任せして」
「ああ、けれど調子の悪い浮遊宝珠を何とかすれば‥‥例えば、風宝珠と、その制御装置を入れ替えたり‥‥」
 遠慮がちに乃木亜は提案してみるが、キァンシは困ったような笑顔を返した。
「宝珠に関してはライナルトさんの考えがあるでしょうし、お手間をとらせるのはどうかと思うのですけど」
「いや、必ずしも専門家の意見以外、ダメって事でもないんだけどね。むしろ妙案があればと思って、こうして聞いている訳だから」
 苦笑しながらライナルトは間に入るが、微妙なすれ違いの空気は埋まらず。
「ま、今はもめている暇も惜しい。砲術士の連中の怪我、手当てしてくるぜ」
「それなら、私も行きます。怪我が酷い人もいると思いますし、寝台に固定すれば多少船が揺れても、傷が広がったりしないでしょうから」
 艦橋を出る仄に、急いで乃木亜が続き。
「じゃあ、ついでに砲術士達へ伝えてくれる? 命の方が大事だから、弾薬は全て使うか、捨ててしまえって」
 声をかけた由愛へ背中越しに乃木亜が首肯し、不安そうなミヅチは集った者達をちらと振り返ってから主人の後を追った。
「じゃあ、アヤカシの様子を見るわね。それから、船員にも協力を頼んでいいかしら。余計な荷物や、壊しても問題なさそうな壁や床を壊して、その部分を海へ捨てて欲しいの」
「わかった。回せる手は、出来る限り回そう」
 尋ねる煌夜へ船長が答え、伝声管で各所へ開拓者に協力するよう通達を出す。
「私は、アヤカシの様子を見てきます。装置や宝珠の方は、お任せしますので」
 笑顔でライナルトへ念を押したキァンシは、忍犬 簡福と共に船尾へ向かった。
「動向を見ながら、出来るだけ力を回復して‥‥アヤカシへ仕掛ける前に、手当てするのがよさそうね」
「はい。とりあえず、僕もアヤカシの監視をしますね!」
 由愛と勝一もまた、次の手を考えながら艦橋を去る。
「さて。上手く、事が運ぶのやら」
 やや心配そうに開拓者達の背を見送った船長が、技師へ目を向けた。
「運ばないと、困るんだけどね‥‥まいったな。時間は限られているのに、この分だと有用な案が出ても、大掛かりなものは間に合わない」
 肩を落としてライナルトは嘆息し、ぽしぽしと髪を掻いて考え込む。
「手は尽くすけど‥‥最悪の事態とか、軽く想定しててくれるかな。宝珠の出力が回復しないか、手は尽くしてみるけどさ」
 軽い口調で、重い心の準備を船の責任者へ要求した技師は、己の最善を尽くすために船の心臓部へと向かった。

●飛び立つ準備
 その場へ腰を落とした由愛は、ぴたりと甲板に手の平を当てた。
 触れる場所が甲板である事自体には、大きな意味はない。
 地の上ならば地へ手をつき、水に囲まれた場所ならば水へ手を突っ込む。
「あたしにとっては、心地良い場所だわ‥‥さぁ、糧となりなさい!」
 意識を集中し、小さく由愛は真言を唱える。
 最後まで唱え終えれば、周囲に漂う瘴気は新しい式を練る力となった。
 船内に散っている者達が集まってくるまでに、何度か『瘴気回収』を重ね、僅かでも力を回復して準備を整える。
「由愛さん、お待たせしました」
 そうこうしているうちに、乃木亜が甲板に現れた。
「ああ、ちょうどよかったわ。煌夜、レグルスも手当てしたいけど、いいかしら」
「もちろんよ、助かるわ」
 煌夜はすぐさま、船の上部甲板にある発着場所から、龍の元へと向かう。
 待つ間に乃木亜へ向き直った由愛の手には、符が一枚。
 それは見る間に、気味の悪い多足の虫と化した。
 思わず表情を引きつらせ、青ざめた顔で自分を見る乃木亜へ、けろりと由愛が笑う。
「悪いわね〜、これがあたしの趣味だから。あははは」
「これって、式、ですよね」
「そう。『治癒符』だから、安心して」
 腕を這うかに見えた虫は、怪我をした箇所に触れると溶けるように消え、見る間に傷を塞いだ。
「あの、ありがとうございます」
「礼なら神楽で聞くわ。さ、藍玉も手当てするわよ」
 乃木亜の様子に安心したのか、恐る恐るだがミヅチも『治癒符』による手当てを受ける。
 その間に煌夜は炎龍 レグルスを連れて戻り、同様に手当てを施す。
「戦闘になれば、頼んだから」
「ええ、任せて」
 軽く片目を瞑ってみせた煌夜は炎龍の背に乗り、船から飛び立った。
「勝一は、いいのよね」
「はい、桔梗に頼みますから。桔梗、お酒飲んでないで回復を‥‥」
 だが人妖はまだ大きな杯を傾けて悠々と酒を飲み、チラと勝一を一瞥(いちべつ)した。
「‥‥人に物を頼む態度では、ないのぉ?」
「う‥‥」
 あくまで人妖は不遜な態度を取り、勝一は言葉に詰まる‥‥が、ここで意地を張っていても埒が明かない。
「桔梗様、回復をよろしくお願いします」
「うむ、最初からそう言えばいいのじゃ」
 肩を落として折れた勝一へ大仰に、だが満足そうに、人妖が一つ頷いた。
 傷の痛みが軽くなれば、彼は目の周囲を隠す仮面をつけて、甲板の端へ移動する。
 船が分ける波へ目を凝らし、アヤカシが船へ近寄ればいつでも牽制が出来るよう、ショートボウの弦に矢をかけた。

「ま、それだけ踏ん張りどころってことだし、レグルスもあと少しだけ頑張って。終わったら、ゆっくり休ませてあげるから」
 風の唸りを聞きながら煌夜は炎龍へ声をかけ、海へ目を向ければ波間に浮かぶ船と、海中から迫る黒い影がいくつも見える。
 それを一つ一つ数を数える気力は、なかった。
 数そのものより、アヤカシどもが仕掛けてくるか否かが重要で。
 慌ただしく『緋扇』から投棄される荷物と、船の両脇に上がる水柱を確認しながら、炎龍は大きく羽ばたいて空を舞う。

「すみません。窮屈かもしれませんけれど、我慢をお願いします」
 断ってから、乃木亜は怪我をした砲術士達を寝台に固定していた。
 その寝台自体も固定が必要ならば、適当な柱へくくりつける。
「寝っ転がった役立たずのまま終わっちゃあ、興志王に顔向けも出来んだろ。きっちり働いてもらうぜ。銃が持てそうなら援護射撃、無理なら荷物捨ての役にでも立てば、こっちは御の字だからな」
 仄は声をかけながら、怪我の程度が比較的軽い者から癒していく。
「要らない荷物は、じゃんじゃん捨てろ。船の装甲とかも、元気な奴と協力して出来る限り取っ払え。少しでも軽くするんだ」
 軽くなった怪我の程度に、何とか起き出した砲術士達の背を叩き。
 そうして、小型飛空船の中は各所で起きる『破壊音』で、にわかに騒々しくなった。

●限界線
 船体がぎしぎしと、軋む音を立てる。
「海中のアヤカシが、船を攻撃し始めたわ!」
 甲板に接近した炎龍の背より、煌夜はその原因を伝えた。
「と、ともかく、奴等を近づかせないようにしないとな。もし近づいて来たら、斬る!」
「ふ、特別にアヤカシの相手をしてやるかの‥‥美味い酒で、気分が良いのじゃ」
 ショートボウを引く勝一の頭の上で、悠然と人妖は構える。
 キァンシもまた、甲板から徒歩弓で次々と矢を放っていた。
 荷を捨て、身を削って船が軽くなっても、飛ぶ前に沈めば意味がない。
「無理すんじゃあないぞ。海中から出てきた奴を、狙え」
 甲龍 シロを駆り、煌夜より遅れて飛び立った仄もまた、船を守るための迎撃に加わっていた。
 乃木亜は心眼でアヤカシの位置を確認し、いつでも投げ込めるように炮烙玉を準備する。
「この間に、こっちも出来る事をしておくわ」
 幾らかの練力を回復した由愛は一枚の符へ意識を凝らし、甲板へ投げ打てば、のたりとして現れた巨大なガマの朋友へと形を取る。
 召喚されたジライヤ 神薙を、由愛は見上げ。
「やりなさい神薙っ! 但し、加減間違えると承知しないわよ!」
「たまには優しい言葉をかけて下さいよ、由愛様ぁ!」
 召喚するなり命ずる主人へ、ジライヤは訴えかける。
「口を動かす暇があったら、手を動かしなさい。その舌でもいいけど?」
 心なしか背中を丸め(?)、あわあわとジライヤは甲板の『破壊』に取り掛かった。
 船の装甲を引き剥がし、それを泳ぐアヤカシ目掛けて投げつける。
 波に浮かんだ木片などを足場にして、ヒレを広げたアヤカシが船に飛び移ろうとすれば。
「させません!」
 おっとりした言動から予想させない素早さで、『泰練気法・壱』で赤い気を帯びたキァンシが、すかさずそれを射落とした。
 他の場所では動ける砲術士達も応戦しているのか、散発的に銃の発砲音が聞こえてくる。
 アヤカシの群れが集まってくると、乃木亜は導火線に火を点けて。
「藍玉。逃げるアヤカシは、お願い‥‥!」
「ピィ!」
 鳴き声を聞いてから、浮かぶ船の破片を狙って炮烙玉を投げた。
 ごんっと木片の上で弾んだ炮烙玉の周囲で、逃げ道を塞ぐように水柱が立ち。
 次の瞬間、どんっと船の横で衝撃が起きる。
 波が立ち、大きく船が揺れて、船上の者達は慌ててバランスを取り。
 その隙を狙おうとするアヤカシを、海面近くまで飛んだ炎龍と甲龍が、鋭い爪で切り裂き。
『雷鳴剣』で刀「蒼天花」に雷をまとわせた煌夜が、それを刃として放った。
「あまり、持ちそうにないですね」
 大きく揺れる船の縁に掴まって呟いた乃木亜は、武器を白弓に持ち替える。
「それでも、何とか‥‥アヤカシを、船に入れないようにしないと」
「もう一つ、炮烙玉を落とすわよ!」
 大声で、煌夜は仲間へ注意を呼びかけて。
 今度は船よりも少し離れた位置で、火薬と鉄菱の詰まった玉が炸裂した。

 疲弊した身体を奮い起こし、持てる技を尽くし、どのくらいアヤカシを散らしていたか。
 だが不意に、アヤカシ達の動きが変化した。
 あれだけ執拗に船へ攻撃を加えていたアヤカシが、急に向きを変え始める。
「‥‥何が?」
「あれだな」
 怪訝そうに炎龍を旋回させる煌夜に、仄が船の向かう先を示した。
 青く続く海のずっと先が、そこで切れている。
 それは水平線ではなく、切れた先からは白い水煙がもうもうと立っていた。
「あれが‥‥島の終わり、ね」
 呟いて、煌夜は端正な眉をひそめる。
 限界が近いというのに、まだ『緋扇』に離水する気配はない。
「とりあえず一度、船に戻るか。厄介な仕事が増えそうだ」
 二体の龍は向きを変え、アヤカシの影は遠くなった。

●最後の手段
「これだけやっても、まだ浮かないの?」
『全く、事態が改善されていない訳じゃあないよ。ただ、あと少しが足らないんだ』
 手近な伝声管越しに由愛が現状を尋ねれば、状況がひっ迫しているのか、困った風にライナルトは答える。
「じゃあ‥‥いっそ、浮遊宝珠と風宝珠を入れ替えてみるってのは?」
 少し思案を巡らせて提案をすれば、相手はくぐもった声で唸った。
『それには制御装置から何から、一時的とはいえ全てを停止させる必要があるんだよね。今からだと、交換する宝珠の運搬も含めて間に合わないよ』
「という事は‥‥島の端から、ジャンプするんですか?」
 話の内容から察したのか、脇から勝一が恐る恐る由愛へ聞く。
「今のままだと、そうなるわね」
「それならこう、もっと船を軽くするとか! ジャンプしなきゃならなくなるまで、手を打ちましょう」
 それが僅かな足掻きだとしても、勝一としては最後の手段はあくまでも最後の手段として、避けたいものだった。
「えっと、力仕事でもなんでも手伝いますよっ」
「しっかり働くのじゃぞ? わしは酒を飲んでいるが」
「て、手伝って下さいよ。桔梗‥‥様! その、気分だけでも!」
 頭の上で悠々としている人妖へ、思わず訴えかける勝一。
 ‥‥まぁ、小さな人妖に力仕事を頼む事が、流石にちょっと無理なのは承知だ。
「なぁに。これ以上の上昇が出来ないなら、上昇しなけりゃいいだけの話だ」
 不安げな少年とは対照的に、煙管を咥えた仄はのん気に煙を宙へ吐く。
「淵から飛び出して高さを維持だけすりゃあ、なんとかなるだろ」
『おそらくは、ね。今は船としての浮力に助けられているところがあるから、それがなくなった時、どれだけ「沈む」かがネックかなぁ』
「浮く力‥‥ね。レグルスと、船の舳先側を荒縄で結んで、龍の翼を少しでも浮力の足しにしてみるのはどう?」
 口元に手を当て、思案していた煌夜がふと切り出した。
「勿論、それだけで浮くとは思ってはいないわ。でも舳先が少しでも上がってくれれば推進力の為の風宝珠の力も、少しは上向きの力になってくれないかしら」
『龍の一体の力だけで、舳先を上げられるかは‥‥分からないよ?』
 心配そうなライナルトに、あえて煌夜は語気を強くする。
「それでも、よ。それに飛んでいれば、少なくともレグルスと私の分は船にとっても軽くなるわ」
「ま、一体で無理なら、二体でやってみるとかな。上手くいったら、シロには後で旨いモンでも食わせてやるか」
「鬼灯さん‥‥」
「安心しろ。野郎と心中する気なんか、さらさらねえよ」
 驚き顔の乃木亜だったが何か思いついたのか、彼女も伝声管に近付いた。
「龍二体でも力が足りなければ、飛び出す直前に藍玉の水柱で押し上げてみてもいいですか? もちろん宝珠とか船は壊さないよう、気をつけますから!」
 それが、自分に出来る事なら‥‥と。
 訴える乃木亜へ、何やら考え込んでいた技師は口を開いた。
『ありがとう、助力に感謝するよ。出来るだけの事をやろう。こっちも海流に合わせて、船を加速する。振り落とされないよう、皆も気をつけてね』

 翼を打って、再び二体の龍が飛ぶ。
 乃木亜は舳先で身体を固定し、心配そうなミヅチのひんやりとした身体をそっと撫でた。
「これだけは、やらないですんで欲しかった‥‥」
「さて、わしは隠れるのじゃ」
 人妖は渋る勝一の懐に避難して、ジライヤを送還した由愛は縄で身体を船に固定する。
「此処が気張り所よ。しっかりと気合入れなさい‥‥!」
 キァンシも忍犬 簡福へ命縄をつけ、自身もしっかりと縄を結んだ。
「男も女も度胸だ、ビクビクすんな」
「始めるわよ!」
 茶化す仄に煌夜が合図し、『最後の手段』にかかる。
 落水の轟音と、塩辛い水煙。
 加速に軋む船に盛り上がる海面と、張り詰める縄。
 ‥‥そして。

 ぐんっと一瞬、身体が沈む。

 落ちるかと誰もが息を呑んだが、逆に少しずつ船は上昇を始めた。
 ふと振り返れば、後方では巨大な滝が遠ざかり、離れていく。
「やれやれ。命が幾つあっても足りる気がしないわね」
 言いながらも、由愛はやっと安堵の表情を浮かべ。
「開拓‥‥一筋縄じゃいかないわね、レグルス」
 煌夜は笑顔で炎龍の首を撫で、共に雲海の上を飛んだ。