佐和野村 田園泥遊厄払
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: やや易
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/06/30 16:18



■オープニング本文

●梅雨の合い間と泥遊び
 さぁさぁと、細かい雨が降りしきる。
 雨に打たれる長身の影がひとつ、田んぼのあぜ道で足を止めた。
「ここいら一帯も、もう田植えが終わったか」
 目深に被った傘を手で少し押し上げ、一面に広がる田んぼで雨を弾く青苗を眺めれば、傍らの小さな影が野袴をぎゅっと掴む。
「ん、庵まではもう少しだからな。そこまで、歩けるか?」
 気遣いに返事はないが、再び二つの影は歩き出した。
 その足元では、いっぱしに頭に傘を結んだ藍色の仔もふらさまが、もふもふと元気よく駆け回る。
 水溜りを見つけては跳ねに行く様子は、あまり傘の意味がなくも見えるが、『本人』ならぬ『本もふらさま』はお構いないらしく。
 鉛色の空からさぁさぁと降る細い雨は、まだ止みそうになかった。

「久しいな。遠いところを、よく来た」
 雨の中を訪れた来客に、庵の主である小斉老人は驚いた顔をした。
「理穴から、いつもの様に何気なく歩いてきたところ、通りがかっただけで」
 笑って一礼をした崎倉 禅は、サラの傍らにしゃがみ込むとまず雨に塗れた蓑傘の結び目を解いてやる。
「元気にしておったか?」
 板間に上がった幼い少女が尋ねる小斉老人に一つ頷くの見て、崎倉は自分の傘や旅合羽を外した。
「もふ〜!」
「お前は一度、丸ごと洗わなきゃあならんなぁ」
 足元で泥だらけな仔もふらさまを、笑いながら崎倉はひょいと掴んだ。

「奥方には、これを。理穴は『花紅庵』なる菓子房の一品で、『彩姫』なる花菓子という物だそうだ」
 師と共に庭に面した座敷へ落ち着くと、風呂敷の包みを解いた崎倉が中の箱をすぃと進めた。
「落雁のような物でなく、何でも花そのものを砂糖漬けにしたとか」
「ほぅ‥‥あれも喜ぶだろう、すまぬな。しかし‥‥」
 珍しげに手に取った箱をしげしげと眺めた老人は、次いで面白そうに向かいの相手を見やる。
「お前が、砂糖漬けをなぁ」
「あー、食ってはいない。が、まぁ、味の方は確からしい」
 隠さず明かす『弟子』に、『師匠』はからからと声を上げて笑った。
「こちらの方は、最近は?」
「まぁ、ぼちぼちとやっておる。この歳故に、老体も痛みかけたところはあるがな」
 言葉とは逆に老翁もまた、かくしゃくとして笑う。
「村の方は、近いうちに田の厄払いをするらしいが‥‥せっかくだ。お前達も遊んでいかぬか?」
「厄払いで、遊ぶのか?」
 興味深げに崎倉が聞き返せば、菓子の箱を脇へ置いた小斉老人は「うむ」と茶をすすった。
「ここいらの、厄払いの風習でな。田に悪さをする厄は、苗を植え始めるとまだ田植えの終わっていない田へ逃げるそうじゃ。そうしてどんどん田植えが進んでいくと、遂には最後に残った一枚の田に追い詰められる。そのまま最後の田へ苗を植えてしまうと、厄は田んぼ全体に広がってしまうのよ」
「ふぅむ‥‥?」
「そこでじゃ。厄の逃げ込んだ最後の田で思いっきり泥遊びをしてやる事で、厄を疲れさせて払うらしい。他に特別な何かをするでもなく、ただ、遊ぶのみよ」
「田植えの最初に豊作を願う普通の神事とは、また逆のやり方だな。ところで、その『遊び役』は村の者でなくてもいいのか?」
「うむ。この佐和野の村も、開拓者の者達とは何度か縁があるからの。呼んで遊ぶ事となれば、村長も験がよいと喜ぶじゃろうて」
 答えた老人は、まだしとしとと雨の降る庭へ目を向ける。
 梅雨の雨はまだ、しばらく止む気配もなく。
「神事は晴れた日に行うそうじゃから、村長に言って今のうちに神楽へ知らせを出しておけば、間に合うじゃろうて」
 楽しげに小斉老人がサラへ目をやれば、饅頭を食べていた少女はきょとんと青い目で見つめ返した。


■参加者一覧
/ 柚月(ia0063) / 葛葉・アキラ(ia0255) / 柚乃(ia0638) / 葛城雪那(ia0702) / 蘭 志狼(ia0805) / 有栖川 那由多(ia0923) / 福幸 喜寿(ia0924) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 胡蝶(ia1199) / 鬼灯 仄(ia1257) / 喪越(ia1670) / 劉 厳靖(ia2423) / 平野 譲治(ia5226) / 景倉 恭冶(ia6030) / からす(ia6525) / 只木 岑(ia6834) / 茉莉華(ia7988) / 春金(ia8595) / リーディア(ia9818) / 透歌(ib0847) / ケロリーナ(ib2037) / 久悠(ib2432) / 六道・せせり(ib3080) / 鹿角 結(ib3119


■リプレイ本文

●晴れ空の来訪者
「小斉のじーさん、まだくたばってなかったか?」
 庭先で鬼灯 仄が手桶を軽く掲げれば、庵の主である老人は笑いながら縁側へ出る。
「よく来たのう、小僧ども。元気そうじゃな」
「お久し振りです」
「再びの招き、感謝致す」
 深々と礼野 真夢紀は丁寧にお辞儀をし、蘭 志狼もまた一礼した。
 顔を知る者達が、挨拶を交わす一方で。
「小斉おじいさま、始めましてですの〜」
「お世話になります」
 ケロリーナやリーディアといった、始めて庵を訪れた面々も招きに礼を告げる。
「何分にも小さな田舎村、不便もあろうが田舎ならではの楽しみじゃ。仮の我が家と思うて、ゆっくりして行きなされ」
「ありがとうございます」
 かける言葉に鹿角 結が頭を下げれば、ふさりと銀狐の尾が揺れた。

「しかし、汀セニョリータがいないのが。あのノリの良さは、俺の弟子に相応しいと見込んでるんだが」
 揃いつつある顔ぶれを見て、残念そうに喪越が頭を振る。
「弟子、か。ま、面白い嬢ちゃんだってのは否定せんが」
 煙管片手に仄は喪越へ含み笑いをし、何やら企み事を思いついたらしい六道・せせりも、密かに楽しげな笑顔を浮かべた。
「それにしても、『厄』と遊ぶ事で払うとは面白い風習だ。本当は『厄』とやらも、寂しいのやもしれぬ」
 変わった厄払いに感心する久悠だが、名もなき沢の蛍への興味も尽きない。
「心置きなく、泥との戯れを楽しむがいいよ。喉が渇いたなら、冷茶くらいは用意しておこう」
 汚れてもいい服に着替えたからすが告げれば、真夢紀もぽむと手を打った。
「お八つにおはぎと、お夕飯の準備を持ってきましたけど‥‥また、台所をお借りしてよろしいでしょうか? 冬の折はお鍋でしたけれど、素麺はどうでしょう」
 冬場の雪遊びにも訪れた少女が提案すれば、小斉老人は目を細める。
「ほぅ、気の利くお嬢さんだ。頼んでも構わんじゃろうか?」
「はい、喜んで」
「おはぎ。おいしそう、です‥‥」
 その言葉が耳に届いた瞬間から、期待に満ちた瞳で茉莉華はじーっと真夢紀を見つめていた。
「あちらのお菓子も、美味しそうですけど」
 既に目をつけているのか、花菓子が供えられた簡素な仏壇へ物欲しそうな目をチラと向ける茉莉華に、目ざとさを感心した小斉老人が放笑する。
「そうじゃな。供えても、位牌は菓子を食わんからのう‥‥じゃが菓子も逃げんから、後でゆっくり食べなされ」
「お爺ちゃん‥‥いい人です‥‥」
 今すぐでないのは残念そうだが、ひとまずの『約束』を取り付けた茉莉華は、とてもとても嬉しそうに微笑んだ。

 既に田植えが終わった田には、行儀よく青い苗が並んでいる。
「田んぼ! 久し振りだなぁ」
 力いっぱい懐かしい香りを吸い込んだ葛城雪那は、ふと故郷へ思いを馳せる。
「前は、近所の田植えを良く手伝ったな‥‥皆、元気にしてるかなぁ」
 呟きながら道を歩けば、弓削乙矢は小さく笑った。
「実は私、田に入った事がないのですが‥‥大丈夫でしょうか」
「うん、大丈夫だよ。楽しいから」
 何がどう大丈夫かは分からないが、不安げな乙矢へ雪那は明るく頷き返す。
「一番乗りは、譲らないなり!」
 丸い物体を抱えた平野 譲治が、脇を元気に駆け抜け。
「ここは、楽しまな損や! うちも負けてへんで〜!」
 背中の蝶の羽のような飾りを葛葉・アキラは揺らし、少年の後を追いかけた。
「‥‥大人気ないわね」
 泥遊び前からはしゃぐ背中を見送って、何故か目立たぬように歩きながら胡蝶が嘆息する。
「でも、嬉しいですよね。田植えの手伝いと思ってきたんだけど、泥遊びですか♪」
 一面を埋める苗を眺めながら、只木 岑の足取りは心なしか軽い。
「雨とか、濡れるのは、この季節気持ちいいですね」
「ああ、そうだな。濡れ鼠はさすがに風邪を引くが、多少降られても乾く程度なら」
 岑へ答えながら崎倉は晴れた空を仰ぎ、傍らにはサラと仔もふらさまが続いていた。

「ゼロおじさま〜っ!」
 ケロリーナが両手を広げて駆け寄り、ぴょんと長身の相手に抱きつく。
「ご挨拶にきたの〜!」
「おぅ、元気そうだな」
 ぶら下がったケロリーナをゼロが抱え上げれば、にっこりと少女は笑顔を返した。
「はい。皆さま、お久し振りなの〜」
「ケロリーナも、元気だった?」
「ジェレゾで遊んで以来かな? 今日は目いっぱい、遊んで厄払いさね〜っ!」
 天儀より少し遅いジルベリアの春を一緒に堪能した友達に、柚月や福幸 喜寿も手を振り、また一緒に遊べる機会を喜ぶ。
 見慣れた仰々しい格好ではなく、着流し姿のゼロの背中を有栖川 那由多は複雑な表情で眺めていた。
「那由多、さん? どうかしました?」
 やや心配そうに見上げる透歌に気付き、那由多は頭を振る。
「ううん。なんでもないよ」
「そうだな。はっちーの元気がないと、俺もからかい甲斐がない」
「か、からかうって何ですか、げんせーさんっ!」
 頬を膨らませて見やれば、袖に手を突っ込んだ劉 厳靖がからからと笑った。
「それにしても、飲みの席で約束したんで仕方なく来たが‥‥面倒だなぁ」
「だったら帰っていいよ、おっちゃん!」
 ぼやきが耳に入ったのか、先を歩く柚月がすかさず噛み付いてくる。
「はっは。だがここまで来て帰るのも、面倒だからな。はっちーでも、いじっておくか」
「別に、無理していじらなくていいですから。普通でっ」
 わいわいと賑やかな会話を、聞くでもなく聞いていた天河 ふしぎだが。
 ふっと、その表情を曇らせた。
「‥‥ふしぎ?」
 どこか沈んだ気配の友人を心配してか、ひょいと柚月がふしぎの顔を覗き込む。
「気分、よくないのカナ?」
「わわっ、大丈夫だよ!」
 慌てて顔と両手を同時に振ったふしぎは、にっこりと笑顔を作った。
「柚月に、喜寿も来てるんだし‥‥今日は、思いっきり楽しもうね!」
「うん、皆で楽しむさね♪ でも、無理は禁物さね」
「分かってる。厄を祓って嫌な事も、何もかもみんな忘れちゃうんだからなっ!」
 青空を仰ぎ、改めてふしぎは気合を入れる。
「あ、げんせーさん! ほら、たんぼたんぼ!」
「おい、珍しいモノでもねぇだろうが」
 ぐぃぐぃと袖を引く那由多に、厳靖が呆れ顔でついていった。

「それにしても、ゼロさんの周りは賑やかじゃの」
 ふと振り返る春金に、後ろを歩いていた景倉 恭冶が反射的に足を止める。
「どうかしたかの、恭冶さん?」
「いや‥‥確かに、後ろは賑やかやね」
 距離を取ったまま答え、それから後ろをちらと見た恭冶へ春金がにんまりと笑った。
「何だよ?」
「なんでもないのじゃよ」
 視線を戻した恭冶は、笑顔の友人に本能的な危機感を覚えたが、今は頭を左右に振って追い出す。
「その、後で、蛍の沢だっけ? 行くんやね」
「うむ、行きたいのぉ」
「どうせなら夕涼みを兼ねて、皆で見たいですよね」
 まだ厄払いも始まっていないのに、その後の蛍見物も楽しみにしている岑へ、「そうやね」と恭冶も頷いた。

●いざ、尋常に
 唯一苗が植わっていない田を前に、仰々しい祝詞を神司が上げる。
 それが終われば、いよいよ厄払い神事で最も重要な『本題』、泥遊びだ。
「そういえば、紅白戦とかどうするさね?」
 ふと思い出して喜寿が疑問を口にすれば、彼女と揃いの甚平に袖を通した柚月も小首を傾げた。
「どうしよ? もし分かれるなら、キッカには負けナイんだカラね」
「ふふ。それを言うなら、うちもゆずにゃんには負けないんさね♪」
「勝負仕立てにするというのなら、俺も乗るがな。ただ漠然とぶつけ合いをするのもいいが、分かれてやり合うのもまた一興だ」
 志狼もまた面白そうに同行者達へ視線を投げるが、反応はいまいち鈍い。
「いっそ組み分けはせず、『誰が一番、人を泥だらけにしたか』でもいいと思いますが」
 考え込んでいた結が、代わりの『勝負』を提案した。
「面白そうですよね‥‥それも」
 リーディアが目を輝かせれば、こくりと結は頷き。
「審判なら、僕がやりますよ?」
「そういうのも、面白そうだぜ。やるってんなら乗っかるが、どうするよ崎倉?」
 尋ねるゼロに、腕組みをした崎倉はやや思案を巡らせる。
「その辺りの心構えや、準備をしていない者もいるだろうしな。今回は残念だが、勝負は気にせず遊び騒ぐという事で、どうだ?」
 やや困ったような表情で髪を掻くと、崎倉は勝負に意欲を見せていた者達へ聞く。
「無理に組み分けをするのも、悪いですしね」
「そっか、またの機会だな。結や他の連中はありがとな」
 やや残念そうな結の頭を、わしゃわしゃとゼロが撫でながら笑った。

「よっしゃ、エエ泥遊び日和やっ!」
 ドーンと仁王立ちなアキラが、泥田の真ん中をびしっと指差した。
「行くでぇ〜!」
「泥遊び、こやつの使い時なりっ!」
 抱えた球「友だち」を両手で持って、譲治は力いっぱい仰け反る。
「鞠もどきっ、とぅ‥‥をぉ!?」
 思いっきり投げる途中で、球は譲治の手からすっぽ抜け。
「のがっ!」
 べぃんとゼロの顔面に激突してから、ぽーんと泥の真ん中へ飛んで行った。
「のうぁ、ごめんなりっ!? でもゼロ、ないすぷれーぜよっ!」
「知るかっ!」
 健闘(?)を称える譲治へ、ゼロは顔を抑える。
「うっしっ! おいらもはいるっ!」
 笑いながら譲治は草履を脱ぎ、思いっきり田んぼへ飛び降り。
 次々と開拓者達は田へ入り、賑々しく『厄払いの神事』が始まった。

「ゼロさん、遊‥‥厄払いしましょ〜?」
 にぎゅにぎゅと両手で泥をこねながら、ニッコリと微笑んだリーディアがゼロへにじり寄る。
「待ちやがれっ。そんな、いい顔で迫られても‥‥ってぇ!」
 べちっ、と。
 別方向から飛んできた泥の塊に、とっさにゼロは手で頭を庇った。
「てめぇ、喜寿っ!?」
「日頃の感謝と、これからの厄祓いさね♪」
 嬉しそうにぽいぽいと、喜寿が次々に泥玉を投げ。
「厄払いって、なゆたんゆってた! ゼロの厄も出ていっちゃえ!」
 喜寿と一緒になって柚月もはしゃぎ、容赦なく泥をぶつけにかかる。
「待てよっ。こっちは、まだ何も‥‥」
 べちっ。
 訴えるゼロの後ろで、思いっきりすっ転ぶ音がした。
「‥‥大丈夫か?」
「くっ‥‥めげませんよっ」
 振り返れば、前のめりに泥へ転倒したリーディアは俯いたまま、もそもそと身を起こし。
「ていっ」
 泥まみれの両手で、身を屈めて様子を窺うゼロの頬をぺちりと挟む。
「えへへ。ゼロさん、泥だらけ〜」
 顔を上げたリーディアは喜色満面で、そのまま嬉しそうに泥の手でぺたぺたと相手のアチコチを触った。
「てめぇ‥‥!」
「キャ〜♪」
 まんまといっぱい食わされた形のゼロが泥を掴むより先に、きゃっきゃとリーディアは立ち上がって逃げ出す。
「待ちやがれ、このっ」
「最近、厄年かってくらいツイてないよね、ゼロ。俺が厄払いの手伝い、してあげよっかー?」
 更にはにっと笑った那由多が、全身泥にまみれたまま思いっきりゼロへ体当たりする。
「げっ、那由多まで‥‥ぎゃあぁーーっ!?」
「えっと、こ、こうかなっ?」
「投げるの、上手なの〜。ケロリーナも、負けられないの〜っ」
 泥に馴染み始めた透歌やケロリーナも一緒になって泥を投げ、あっという間にゼロは泥へ埋もれんばかりになっていた。

「標的にされると思ったが‥‥見事に捕まったな。さぁて、こっちも楽しむか」
 田んぼの端っこで眺めていた仄が、おもむろに泥を固め始める。
 一方、岑はのどかに水気の少ない粘土質な部分を固め、形を作っていた。
 田んぼは慣れてないので、泥を触る手もおそるおそるだ。
 蛙を作ってみたり、雪だるまの様に泥だるまを作り、並べてみたり‥‥それを何故か、派手に壊してみたりする。
 泥の感触に夢中な背中へ、そ〜っと忍び寄る影が一つ。
 にゅるんっ。
「うひゃあっ!?」
 不意に背中を這うぬめりとした感触に、驚いて岑は立ち上がった。
 嫌な感触を取ろうと、身を捩(よじ)って背中へ手を回すが届かず。
 そのうち、後ろで笑う『犯人』に気付く。
「春金さん!」
「油断大敵なのじゃよ」
「なに入れたんですか、」
「そこで捕まえた、おたまじゃくしを‥‥」
「ちょ‥‥取って下さいっ、早く!」
 にわかに焦り始めた岑の様子に、春金はころころ笑った。
「嘘じゃよ。ただの泥なのじゃ」
「え‥‥っ」
 騙された側は、しばし固まって。
 むっすりと岑は手についた泥をピッピっと弾き、仕掛けた相手へ跳ね飛ばす。
「まんまと、引っかかったのぅ」
 やり取りに忍び笑う崎倉の傍らで、きょとんとサラは満足げな春金を見上げた。
「災難やったね、岑は。で、ゼロさんも、やっぱ標的にされるんやね」
 あぜ道に腰掛けた恭冶もまた、笑いながら騒ぎを『観戦』している。
「でもさすがに、ちょーっと危なそうなのじゃよ」
「そやね、相手が相手やし」
 春金の言葉に恭冶が頷けば、二人の間にしばしの沈黙が降りて。
「そういえば‥‥いたんじゃな、恭冶さん。すっかり、忘れておったのぉ」
「いやっ、さっきからいたから! ずっといたからっ!」
 今更、思い出したような春金の反応に、恭冶が訴える。
「いたのなら、わしも恭冶さんの厄払いに協力するのじゃよ」
 泥をすくい、団子にし始めるの春金の仕草に恭冶は焦って立ち上がった。
「ちょ、ちょっと、見物に回ってこようかな」
「遠慮しなくてもいいのじゃ、よっ!」
 勢いをつけて投げた泥玉は、危うく恭冶の頭をかすめて向こうへ飛んでいく。
「春金‥‥もしかして、顔狙ってる!?」
「顔面、泥だらけにしてやるからの」
「それは待っ‥‥ぅえぇぇっ!?」
 逃げようとした恭冶だが、何かに足が引っかかって。
 べしゃり。
 結んだ草に足を取られ、恭冶は盛大に力いっぱいコケていた。
「‥‥掛かったな、阿呆め」
 密かに『罠』を仕掛けておいたせせりが、こっそりニヤニヤと笑う。
「くっ、こうなれば‥‥!」
 身を起こした恭冶は密かに用意した手桶を取り出し、ざかざかと泥を詰めた。
「覚悟っ!」
「なんの!」
 手桶の泥をぶちまけようとする相手へ、とっさに春金は手近な『蓋』を捕まえて。
「もふっ!?」
 がぽ、と。
 綺麗に、詰まった‥‥仔もふらさまが。
「も、ももふ〜ぅっ」
「えぇぇーっ!?」
「じゃすとふぃっと、じゃな」
 尻から桶にはまった仔もふらさまは、鳴きながら前足をじたじたさせていた。

 笑いが起きる田の端で、喪越はじーっと人々の様子を観察していた。
「あのクールな顔を見ていると、意地でも爆笑させてみたくなるな」
 姿だけはよく見てるけど、話した事の無いガキンチョ‥‥名前はそう、サラとかいった。
 周りがどれだけ笑っていても、一人きょとんとして滅多に笑わない。
 ――ここは手品か‥‥いや、もっとシンプルに顔芸か?
 一人、いつになく真剣に思案しながら、賑やかな田へ喪越は目をやる。
 ‥‥これはやっぱり、アレか。芸のマンネリ化は怖ぇけど、古典の様式美も大事だ。
 よしと腹を据えた喪越は、危なっかしくあぜ道の縁に立ち。
「厄払いとはいえ、落ちれば泥まみれ、かぁっ?」
 お約束なフリに、乗っかるのが約一名。
 危なっかしい喪越の後ろに、せせりが回り込み。
「もっさん、隙ありやー!」
「ちょ、押すな、押すなYoー!?」
 どべちゃ!
 よし、綺麗に決まったと、泥に突っ伏しながらも心の内側で喪越サムズアップ。
 ‥‥だが。
「お、いいところに来た。盾になれ!」
 首根っこを仄にぐいと捕まれ、そこへ着物を諸肌脱ぎした志狼が、迫る。
「器用さと狙いの正確さでは敵わんが、膂力なら負けんぞ。一発の泥の量なら、こちらが上だ‥‥!」
 気迫と共に、ぐっと泥の塊を握れば。
 ぐしゃり。
「‥‥むむっ!?」
 予想外の潰れた感触に、志狼は眉根を寄せる。
 見れば力を込め過ぎたのか、手の内で泥玉が握り潰されていた。
「ふ、固形でない事を失念したのは此方の不覚、だがまだ‥‥む?」
 気を取り直した瞬間、視界に入る、物体一つ。
 同時にごすっと、鈍い激突音がして。
「ぬおぉぉっ!」
「のはぁぁーっ?」
 志狼は仄にブン投げられた喪越を巻き込んで、盛大に泥の上を転がっていた。
「あぁっ、うちまで泥がかかってしもたやん。ま、えっか!」
 起き上がろうとした喪越の背に、どんっと乗っかる何かが一つ。
 続いて、何やらぐにぐにと髪をいぢられ。
「もっさんの頭、泥で固めて色々な髪型にしたろ」
「も、もがーっ!?」
 無邪気なせせりの戯れに、ばしばしと喪越は地面を叩いて主張した。

「シロー、隙あり!」
 好機と見るや、ていていと柚月がコケた志狼へ泥をぶつける。
「ふしぎも雪那も、なゆたんも、みーんな勝負だよ! てやーっ!」
「わわっ、ゆずにゃん!?」
「やったなーっ、僕、絶対負けないんだぞっ!」
 慌てた雪那は避けようとしながらすっ転び、ぶつけられたふしぎは反撃に出た。
「大丈夫ですか、葛城殿?」
「平気だよっ。よしっ、お返しでゆずにゃんに当てるぞー!」
 立ち上がりながらぶんぶんと腕を回す雪那に、気遣った乙矢はくすと笑い。
「おうおう、やってるねぇ。はっちー、お前も行ってこい!」
 すっかり見物気分の厳靖は、那由多を蹴っ飛ばす。
「わーっ! げんせーさんの阿呆ーーっ!」
 ずべしゃーっ。
 訴え虚しく、飛び交う泥玉の真ん中へ、放り出される那由多。
 その様子に「はっは」とのん気に厳靖が笑っていれば、べちっと別方向から激突する泥玉一つ。
「おっちゃんは、泥で埋まって窒息すればイイんじゃナイ!」
 べっと舌を出す柚月に、避け損ねた厳靖は泥を払い。
「はっちー、盾が勝手にどっか行くなっ」
「げんせーさんが蹴っ飛ばしたくせに!?」
 理不尽な文句に、那由多が抗議した。

 誰もがすっかり泥に馴染み、互いに泥をぶつけ合う一方で。
 胡蝶は何となく、出遅れていた。
「‥‥冷たくは‥‥ない、のね」
 着物の裾をつまみ、おっかなびっくりで歩いてみるが、ぬるっとした感触がどうも慣れない。
(男連中はともかく‥‥アキラも、春金も‥‥)
 どうして泥だらけではしゃげるのやらと、友人を横目で追ってみるが。
「‥‥いない?」
「胡蝶ちゃん、見〜っけ!」
「ひぁっ‥!?」
 急に後ろから抱きつかれて、思わず胡蝶は身を竦めた。
「あ、アキラっ?」
 見失っていたアキラに後ろから抱きつかれ、驚いた胡蝶だが。
「泥だらけじゃない!」
 べたべたぬるぬるする腕と汚れた服に、思わず声をあげる。
「うんっ。胡蝶ちゃん、ええドッキリやったでェ!」
 屈託なく笑うアキラの顔にも、あちこちに泥に汚れ。
 その様子に、ほぅと胡蝶は大きく嘆息した。
 何だか、泥に汚れる事を気にしていた自分が、急に奇妙に思えてくる。
「ああ、もう‥‥やめやめ! 気にしてられないわ!」
「当てられ損は、嫌やもんな! 当てられたら当て返す、これ正義や」
 そうして陰陽師の少女は二人、顔を見合わせて笑い出した。
「分かったわ、アキラ‥‥行くわよ!」
「ん、無礼講や! 皆、覚悟しぃや〜☆」
「おおっ! 一緒に遊ぶなりっ!」
 新たに泥遊びへ加わった二人を迎えるように、嬉々として譲治が泥を投げる。
「来たか。泥化粧でも、してやろうと思ったが」
「大口開けて笑ってたら、泥を突っ込むわよっ」
「胡蝶ちゃん、加勢するでェ!」
 冷やかす仄へ、胡蝶はアキラと一緒に泥玉をぶつけた。

「賑やかなものだな」
 本気で遊ぶ面子に、笑いながら久悠は泥遊びを見物する。
 ただ引っ込み思案なのか、人見知りが激しいのか、常に崎倉の陰へ隠れているサラが気にはなるが。
 同じ世代らしき少女らが誘っても加わらず、無理やり引っ張り出されれば、泥田の中で棒立ちのまま、誰かが手を引いてあぜ道へ上げてやるまで一方的に泥だらけにされている。
「あの気性は、難しそうだ」
 ぽつりと呟いた久悠は、それから同じようにあぜ道で『作業』に精を出している者達へ視線を移した。
「ソレも、泥なのか?」
「ん。綺麗な泥団子を作るのは、難しい」
 答えたからすは、雑巾の上で乾燥させている玉を前に冷茶を飲む。
 水気の少ない場所から取った泥を、丸くして。こうして乾燥させた後、固くなった物をまた整形するのだという。
「時間かければ、磨いて光る球も作れるのだよ‥‥千日球という、とても綺麗な球になる」
 幼い外見にそぐわぬ落ち着いた口調の少女は、楽しそうに目を細めた。
「懐かしいよな。弟達と一緒に泥団子を研磨して、最上で最強の泥玉を作ったあの日‥‥昔の杵柄が唸るぜ」
 泥遊びをひと段落した雪那は、泥団子に砂をかけ、研磨して綺麗な球体を作っている。
「最強の泥団子、『金剛』を目指すんだ!」
 からすとはまた別の方向で、すっかり楽しんでいる。
 そして第三の泥団子製作人は、単に丸めて捏ねてが楽しいのか。
 茉莉華は遊ぶ様子を傍目に見ては団子を作って並べ、ぶつけ合いしている人に渡していた。
「泥団子作りは、楽しい、です。食べられれば、もっと楽しいですけど」
 言いながら、結の頭で時おり動く狐耳が気になるのか、捏ねながらじっと見つめていたりもするが。
「しかし、何年ぶりでしょうね、こういうのは‥‥泥遊びで厄払い、というのも変わった風習の気はしますが」
 視線に気付かぬ素振りの結に、一足早く泥田から上がった真夢紀は感心して指を組む。
「何だか、私の知っている『厄落とし』とは違っていて‥‥世界の広さを、また実感しました」
「もう少ししたら、皆の着替え準備と料理の手伝いをしようか」
「私も、お手伝いします」
 からすの言葉に、こくと真夢紀が頷いた。

●星望み、蛍誘われ
 陽が傾けば、げこげこと蛙の声が聞こえてくる。
「かえるさん、どこなの〜♪」
 庵の庭先で、声を頼りにケロリーナは蛙を探す。
「食後にかき氷は、如何ですか? お爺さんから理穴のお菓子の『彩姫』を、少し分けてもらいました」
 真夢紀が『氷霊結』で作った氷を削って作った氷菓を、盆に並べて持ってくる。
 その上には、小さな砂糖漬けの花びらがあしらわれていた。
「それって‥‥べ、別に。大層な名前だと思っただけよ」
 驚いた胡蝶は、不思議そうな顔をするアキラにこほんと咳払いを一つ。
「『彩姫』って名前になったんですね」
 そんな胡蝶に、透歌もまた嬉しそうな顔をする。
「美味しい‥‥真夢紀さんもいい人、です」
 嬉しそうにかき氷を食べた茉莉華は満腹になったのか、ころんと床へ寝転んで、すっかり夢心地だった。
「ふっはー! 楽しかったなりねぇー!」
 満足げに大の字に転がった譲治も、眠たげな目をこすり。
「木陰でうたた寝が、気持ちいいんだろうけどね」
 そう言う雪那もまた、今は腕を枕に寝息を立てている。
「皆、お疲れさまさね〜」
 小斉老人へ頼み込み、老侍相手ながら軽く木刀で稽古をつけてもらった喜寿は、縁側に腰掛けて汗を拭いた。
 厳靖は那由多を肴に‥‥もとい酌の相手に、酒を飲み。
「んまぁ、厄も落とせたようで、よかったじゃねーか」
「おれのひゃらーいっ!」
 笑って背を叩く厳靖に、呂律の回らない那由多が訴えている。
「天儀のかえるさん〜!」
 見つけた雨蛙に喜ぶケロリーナは、ぱたぱたと縁側へ報告に駆けてきて。
「ゼロおじさま〜?」
 胡坐をかいて縁側の柱にもたれ、舟を漕ぐゼロに小首を傾げた。
「疲れたみたい、ですね」
 身体が冷えぬよう、掛けるものを持ってきたリーディアが答える
「じゃあ、アヲ汁あるよ〜?」
「はっ‥‥そ、それは、今は‥‥っ」
 にっこり笑顔で告げるケロリーナに、リーディアがカクカクと身を強張らせて辞退した。
「かえるさん、さよならしてくるの〜」
 両手に包んだ雨蛙を、律儀に庭へ戻しに行く少女を見送り。
 膝に掛け物をかけたリーディアは、すとんと傍らへ腰を下ろす。
「疲れた時は、寝るのが一番ですからね。なるべく、お傍にいます‥‥傍にいたいので‥‥」
 吹き抜ける夕暮れの涼しい風が、小さな呟きをさらっていった。

「わぁ‥‥!」
 その光景に、思わず岑は声をあげた。
 暗い山道、提灯を頼りに歩いてきた者達の前で、無数の蛍が乱舞する。
「これは、確かに綺麗やね」
「見惚れて、あらぬモノまで見てしまうというのも、分かる気がするのじゃ」
 感心する恭冶に、春金はしみじみと言葉を落とし。
 それから心配そうに、崎倉とサラを振り返る。
「大丈夫だ。サラにとっては、ただの蛍らしいからな。人によって、木目が顔に見えるのと同じようなモノだろう」
 漠然と蛍を目で追う少女に、崎倉は苦笑しながら答えた。
「ま、一杯やるか」
 のそりと仄が手近な場所へ座り、久悠も倣う様に少し離れた場所で腰を下ろす。
(でてこい‥‥責めるでもよい)
 心半分は願うように、乱舞する光を見つめ。
 じーっと凝視した末にやがて頭を振り、穏やかな顔で蛍火を見る。
「蛍の灯は生命の灯だ。霊気を帯び幻想へと至る‥‥儚く美しいものだよ」
 呟きと共に、からすも静かに水杯を傾け。
 笛へ口を寄せた柚月はそっと蛍を呼ぶかの如く、優しい音色を奏で続けていた。