花柳、惑う
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/06/08 18:49



■オープニング本文

●花街の柳、揺らすは前触れの風
 昼も賑やかな神楽の街は、夜もまた別の華やぎを見せる。
 夜の神楽のその一角、中でもひときわ賑わうのは遊里だ。
 一夜の『夢』を求めてそぞろ歩く酔客を、妓楼(ぎろう:遊女屋)の見世より遊女が目で誘い、若い衆が口で誘う。
 昼の活気とはまた別で、独特の空気の中。
 あちらこちらからかかる誘いをあしらいながら、ふらりとゼロが歩いていると。
「やや、ゼロの旦那。お久し振りじゃあないですか」
 腰が低く愛想のよい男が、手を擦りながら声をかけてきた。
「‥‥遊ばねぇぞ、金もねぇから」
 渋い顔を返せば、男は自分の額をぺちりと叩く。
「そりゃあ、参った。旦那の財布が膨らんでる時に、捕まえたかったんですが‥‥いえね、ちぃと訳ありなのがいるんですけどね。えぇ、負けておきますんで旦那に可愛がっていただけりゃあ、その子の為にもこう、なると思うんですがね」
 聞かれてもいない事を、立て板に水の如く若い衆はまくし立てた。
「遊女の事は、てめぇらの仕事だろうが‥‥」
「いやいや、これが。武天の田舎から出て来たばかりのおぼこ娘なんでこう、酷くおっかながりでして」
「そりゃあ、てめぇらのツラがおっかねぇから、怖がりもするぜ」
 皮肉るゼロに、また中年男がけろりと笑う。
「あっしらを助けると思ってこう、会ってやって下さいよ。ささっ」
「いや、だから金はねぇと‥‥おい、コッチの話も聞けってんだっ」
 主張するゼロの話も聞かず、若い衆は手慣れた風に店の者へ『客』の来訪を伝えた。

 ‥‥かくして。
 並べられた膳を前に、ゼロはむっすりと胡坐をかいていた。
 不機嫌そうな表情を恐れてか、お座敷の下座ではゼロより少し下の少女が身を強張らせ、四角く座っている。
 どこかの村から、口減らしに出されたのか。
 それとも何か、身売りしなければならない事情でもあったのか。
 ソレを聞いても詮無い事で、肩を落としたゼロは溜め息を一つ落とした。
「取って喰ったりしねぇから、そう身構えるな。えっと、俺はゼロってモンだ‥‥そっちの名を聞いても、いいか?」
 気の弱そうな少女は、固まったまま一言返す。
「‥‥おゆう」
 周りから聞こてくる三味や太鼓、笑い声にかき消されそうな、かすれた声だった。
「そっか。じゃあおゆう、酌だけでもしてくれねぇ? 手酌でもいいんだが、ここでソレもちぃと寂しい」
 空の杯を手にゼロが頼めば、おずおずとおゆうは膝を進める。
 だが銚子(ちょうし)を取る手は小さく震えていて、ぽんとゼロは膳に杯を置いて手を引っこめた。
 ぎこちなく酒を注ぐ間も、カチカチと微かに陶器があたる音がする。
 杯いっぱいになる前に手を止め、銚子を置くと、おゆうはまた少し後ろへ下がった。
 それからゼロは手を伸ばし、ひょいと無造作に杯を取る。
「足、崩していいぜ。そんなガチガチじゃあ、痺れちまうだろ」
 緊張からか別の理由か、顔を真っ赤にしながら俯く遊女へ告げてから、杯を少し傾ければ。
 ‥‥ちりっと、舌先に微かで鈍い苦味を感じた。
 一瞬、眉根を寄せる。
 それからおゆうを見れば、相手はまだ俯いたままで。
 遊女から目を放さず、杯を戻しながら手の内で傾けて、残る中身を膳へ流す。
「ありがとよ。じゃあ、返杯だ」
 何事もない風を装い、おゆうが置いた銚子を手に取ると空の杯いっぱいに酒を注いだ。
「ほら」
「あの、はい‥‥」
 手にした杯をゼロが突き出せば、遠慮がちにおゆうはそれを受け取り。
 赤面したまま酒を見つめた末、意を決して、あおる。
 ‥‥くぃっと、ひと息に。
「あ、待て、馬鹿っ」
 慌てて手を伸ばすが、遅かった。
 空の杯が、ころりと手から落ち。
 白く細い喉が、ひくりと痙攣する。
「は、あ‥‥ぁ‥‥」
 腰が浮き上がって仰け反りながら、震える手が喉元を押さえ、目が見開かれ。
 倒れる前に、膳を飛び越えたゼロが支えた。
 瞬間、目眩に襲われるが頭を何度も振り、改めて痙攣する細い身体を支え直す。
「吐けっ。今の酒、すぐに吐き出せ!」
 口を開かせて、指を突っ込み。
「誰か! 誰か急いで、水を持ってくれッ!」
 切羽詰ったゼロの怒鳴り声が、遊女屋の外にまで響いた。


■参加者一覧
小野 咬竜(ia0038
24歳・男・サ
有栖川 那由多(ia0923
23歳・男・陰
以心 伝助(ia9077
22歳・男・シ
アグネス・ユーリ(ib0058
23歳・女・吟
透歌(ib0847
10歳・女・巫
テーゼ・アーデンハイト(ib2078
21歳・男・弓


■リプレイ本文

●妓楼の騒ぎ
 花街の通りを歩けば客引きや格子越しの嬌声、喧嘩や怒声が三味や太鼓に混ざり、勝手に耳へと入ってくる。
「お仕事とはいえ、花街はどうも苦‥‥って」
 それらを適度に聞き流し、ひょいひょいと人を避けて以心 伝助(ia9077)が歩いていれば、突然その声が降ってきた。
「怒鳴り声?!」
 もめ事の類と違う尋常でない声に、人の流れから駆け出す影が一つ二つ。
 それを追うように、伝助の足も自然と動いた。
「‥‥ん? 何か、聞いたような声‥‥?」
 時を同じくして、アグネス・ユーリ(ib0058)も切羽詰った気配を耳にして。
 両手の鈴を鳴らし、駆け出す。
「一体、何の騒ぎだい? あ、俺はテーゼって者だけど、怪しい者じゃないぜ」
 次々と店に人が入る様を見て、通りの若い衆へテーゼ・アーデンハイト(ib2078)が声をかけた。
「さぁ。あっしにも、さっぱり‥‥」
 濁す若い衆は様子を見に戻り、とりあえずとテーゼも後へ続く。

 何事かと顔を出す者を避けて、廊下を駆け。
 騒ぎの中心へ辿り着けば、すえた匂いがした。
「ゼロ‥‥っ!」
 座敷へ飛び込んだ有栖川 那由多(ia0923)に、顔を上げたサムライは一瞬、驚いた顔をし。
 だが腕の中の遊女が嘔吐く気配に、さする手を止める。
「何があった?」
「俺が‥‥毒を飲ませちまった」
「毒、ですか?」
 息を飲む幼い声に視線をやれば、青ざめた透歌(ib0847)がそこにいた。
「確か、巫女の! いいところに‥‥って、ここは遊女屋なのに何で‥‥とか、言ってる場合じゃあなくっ!」
 宿場町の紺浪で見た少女に、いろんな意味で那由多は動揺するが。
「巫女さん、なの? じゃあよく解んないけど、まず解毒をッ」
「はいっ」
 やり取りを聞いたアグネスが頼めば、すぐに透歌は祈る所作をする。
 直後、遊女の細い身体が淡い光に包まれた。
「帯と着物を緩めて、休ませてやってくれるか?」
「ええ、彼女は任せて」
「俺が運ぼう」
 汚れた着物も気にせず、ゼロの腕からテーゼがひょいと遊女を抱えた。
 その間に、隣の座敷でアグネスと透歌は介抱の用意をする。
「お前は、大丈夫なのかっ?」
 息を詰めて気遣う那由多へ、ひらと手を振ってゼロが苦笑した。
「平気だぜ」
 だがやたら瞬きを繰り返し、時に固く目蓋を閉じる。
 それに気付いた伝助は、傍らへ膝をついた。
「水っす」
 竹筒を差し出す相手に、ゼロが目を向け。
「ただの、岩清水でやすから」
 問われる前に念を押せば、「飲めるか?」と那由多も心配そうに尋ねる。
「ああ、ありがとよ」
 苦笑混じりでゼロが礼をいい、受け取った竹筒を口にするのを見届けた那由多は立ち上がった。
「とりあえず、店の者と話をしてきます」
「それなら、俺も行こう」
 アグネスへ遊女を任せたテーゼが、那由多へ声をかける。
 二人は急いで部屋を出ていき、入れ替わりで透歌がゼロの傍にしゃがんだ。
「ゼロさんも、毒を‥‥」
「俺は大したモンじゃあねぇ。それより、おゆうの具合は?」
「駄目ですっ。毒、飲んだのなら‥‥解毒しないと」
 何故か黒い瞳に涙を浮かべた透歌は、少しも引く気配がなく。
 驚きながらも、やがてゼロは観念したように目を閉じた。
「分かった。じゃあ、頼む」
 頷いて、すぐに透歌が『解毒』の術を施し。
 淡い光が消えると相手は深く息を吐き、それから苦笑を返す。
「すまねぇな、お陰で楽になった」
 礼にふると頭を振れば、涙の雫が落ちた。
 志体持ちだって、毒は苦しいのだ。悪意のある毒なら、尚更。
「ご飯を食べるのがこわくなっちゃうなんて、とても悲しいですから」
 思い出して透歌は俯き、少女の頭を黙ってゼロは撫でた。
「毒を飲ませたと言ってやしたが、ドレが毒入りかは?」
 落ち着いたのを見計らって、伝助が注意深く聞く。
「銚子の酒だ。倒してねぇなら、残ってると思うが」
 膳の銚子を見つけた伝助は、手に取ると軽く匂いを嗅ぎ。
 直接口をつけて、中身を含んだ。
「あ‥‥っ」
「慌てるな」
 息を呑む透歌をゼロが止め、座敷では心配そうにアグネスが見守る。
 遠くにそれらを聞きながら、伝助は意識を凝らした。
 舌に感じる苦味が胃の腑に落ちて間もなく、息が苦しくなる。
 毒の作用とは別に、呼吸が早く大きくなり、どんどんと心臓が早鐘を打った。
 それも束の間、『死毒』の術で完全に毒が抜けたのか、伝助はゆっくり息を整える。
「普通の、てのも変っすけど、よくある毒だと思いやす」
 何事もない彼の様子に、透歌やアグネスは安堵の息を一つ。
 そこへ、店の者へ話を通した那由多とテーゼが戻ってきた。

●奇縁の依頼
「で。何で、ここにいるんだ」
 駆けつけた者達が揃うと、まずゼロが尋ねた。
「それを、いま聞くのか」
「気になるじゃあねぇか。場所が場所だしよ?」
 苦笑する那由多にゼロが明後日の方を見、思わずアグネスはくすと笑う。
「花街の夜は、踊り子の稼ぎ時♪ てね」
 軽くウィンクするアグネスに、伝助もまた頷いた。
「こういう界隈には、色々なモノが転がってやすから」
「俺は見世の姐さんと、他愛もない話を少しな」
 言葉を選んだテーゼに、ぽしと那由多も髪を掻く。
「俺も特に‥‥何となく、ぶらついてただけで。そこに、ゼロの声が聞こえたんだ」
 そうして自然に、10歳ほどの少女へ視線が集まった。
 濁した気配に気付かず、透歌はきょとんと笑顔を返し。
「この前のお礼でもと、ゼロさんを追いかけてたら、迷いこんじゃいました。でも、知ってますよ。こういう所って、男の人が女の人とお酒を飲んだりするところですよね」
 どこか奇妙に緊迫した空気が、ほっと緩む。
「俺も遊ぶ気はなかったんだぜ。ただ知ったの店で、訳ありの遊女を頼むって言われてな」
 抑えた声で、ごにょりとゼロは濁した。
「この件、店も遊女もハメられたと俺は思ってる。毒殺騒ぎが起きたんじゃあ、評判も落ちる‥‥何かの縁だ。これが店や遊女が仕組んだ事じゃあねぇって証、立ててやってくれねぇか?」
「つまり、犯人を捜すのね?」
「いや、違う」
 確かめるアグネスへ、即座にゼロは首を横に振る。
「関係ねぇと分かれば、それで十分だ」
「ゼロだっけ? そっちは、それでいいのか」
 テーゼが確認すれば、相手は「ああ」と即答した。
「構わねぇ。俺が動くと、目立つんでな」
「分かりやした。それが『依頼』なら、受けやしょう」
 じっと聞いていた伝助がまず応じ、那由多や透歌は無論といった風に了解する。
「店には人の出入りをさせないよう、彼と手分けして頼みました。ただ、コトは手早く運んだ方がいいと思います」
 奇妙な縁に集った者へ那由多が説明し、テーゼもそれに頷いた。

「とは言うものの、店が無実だっていうのは、ゼロの予想でしかないのよね」
 廊下へ出た仲間達に、ふっとアグネスが表情を曇らせる。
「もちろん無実を裏付ける方向で動くけど、それにこだわり過ぎないよう、注意しなきゃね。思い込みは、目を曇らせるもの」
 この状況で、店の人が誰も絡んでない‥‥そう考える事は難しい、と。
 口には出さないが、そこは伝助も同じ考えだった。
「アヤカシが絡んでりゃ、話は別っすけども‥‥」
「ん。ともあれ、店と姐さん達の無実証明ね。犯人アゲるのが、一番近道かな?」
「誰が狙われたかが分かれば、目星はつけやすいでしょう」
 アグネスと伝助は幾つかの可能性を頭に描き、透歌が浮かぬ顔で俯いた。
「ゼロさんが、狙われたのかも。場所はたまたまこのお店になったけど、機会があれば、どこでもよかったんじゃないでしょうか」
「あるいは、おゆうか。別の客って線も、ありやす」
「店は兎も角、おゆうって子が巻き込まれたのは、間違いなさそうだな‥‥可哀想に」
 何気なくテーゼは座敷を振り返り、アグネスも目を伏せる。
「嫌な事件よね‥‥早いとこ、終わらせましょ」
「そういえば毒の特徴と症状‥‥トリカブトか何か、でしょうか? 都じゃ、その手の類を容易に入手できたりは?」
「しやすよ。伝手さえあれば」
 那由多の疑問に、あっさりと伝助が答えた。
「取引てのは、見えないところで色々あるモンで」
「そう、ですか」
 シノビの彼が言うなら尤もだろうと、那由多は納得する。
「ともあれ、俺は毒がいつ混ぜられたかを調べてみます」
「じゃあ、他の客を回ってみるか」
 調べる事を決めた那由多に、テーゼもあたる線を考え。
「あたしは店の中の動きね。おゆうが落ち着いたら、何か聞けるかもしれないけど」
「お願いしやす。あっしは、怪しい話を拾ってきましょう」
 思案するアグネスに託して、伝助は自分の役向きを決めた。
「あ、毒の事は、内緒にして下さいね。入れた人が、すぐ逃げ出さないよう」
 はっと気付いた透歌が、声を落として頼む。
 心配そうな少女に皆頷き返し、一同はそれぞれに散った。

●探り
「少し、お話を聞かせてもらっていいですか?」
『裏方』へ顔を出した那由多は、不安げな料理人や配膳役の女達に声をかけた。
「この店と、店の人のシロを証明する為です‥‥些細な事でも、気になった事があれば」
 酒の場所や用意する手順、触れる人物など、気になる事を一人一人に確認していく。
 厨房は店の者なら誰でも入れるが、常に誰かがいて、一人を狙って何かを混ぜる事は難しいように思えた。
 となれば、膳を運ぶ間に混ぜた方が、確実な気がする。
 だが騒ぎを聞いた女は二人とも動揺し、不安げに店の先行きや互いの身の振り方を案じたりと、見てる限り怪しい気配はない。
 互いの働きにも変わった様子や疑問もなく、遊女らに不審な点もないと言う。
「出来れば、客や遊女からも話が聞ければいいんだけど」
 厨房を出た那由多は頭の中で話を整理しながら、ぽしぽしと髪を掻いた。

「遊びにきたら騒ぎだなんて、お互い災難スねぇ」
 客を装って話しかけるテーゼへの返事もそこそこに、商人風の客は何故かそわそわしていた。
「厠(かわや)スか」
「戻りが遅くなって、店の旦那さんに見つかるのが嫌なのよ。この兄さん」
「お前‥‥ッ」
 遊女が代わりに説明すれば、更に商人は落ち着かなくなる。
 馴染みの客らしい様子と慌てっぷりから、遊女の話も嘘とは思えなかった。
「そうか。邪魔したねぇ」
 この部屋の酒や料理に、毒が入っていないのだろう。
 特に異常もなく、毒を混ぜる暇もなさげな二人を残し、テーぜは部屋を出る。
「次は‥‥と」
 別の部屋の前へ立てば、中からきゃあきゃあと女がふざける笑い声がした。
「‥‥まぁ、何が起きたか知らなけりゃあ、当然か」
 察したテーゼは苦笑し、どうやら『遊び』の最中らしい部屋から離れる。
「客と相手の遊女は、問題ねぇみたいだな」
 それでも念のためと、最後の部屋へ足を向けた。

「あっしが聞きたいのは何が起こったのか、事件の前後は何処にいたのか、事件への心当たり‥‥こんなところでやすね」
 おもむろに伝助が尋ねれば、若い衆は顔を見合わせた。
「どこって、ここにいたが」
「外にいた連中も、中に入ってきて‥‥出て行った奴は、見てないな」
「こういう店だ。恨みのある奴がいないとは言わんが」
 彼が開拓者と見てか、若い衆は協力的に話をする。
「ともあれ野次馬も出てるし、騒ぎが少し収まるまで店からは出ない方が良いでしょう」
「ああ、逃げようとする者がいれば、とっちめてやんぜ」
「頼りにしてやす」
 ひょこと頭を下げて、伝助は若い衆達から離れた。
 後は『抜足』で気配を殺し、『超越聴覚』でこっそり話を聞くつもりだが。
「どうも‥‥手掛かりが乏しいでやすね」
 喉の奥で、低く伝助は唸った。

「おゆうが訳あり? そりゃあこう、客の相手一つ出来ねぇから商売にならないんで。飯を食わせて、いい着物を着せて‥‥かけた金の分、稼いでもらわねぇと」
 若い衆の一人に『訳あり』の理由を尋ねたアグネスは、本人に聞かなくてよかったと思うと同時に、少し後悔した。
 もっと身の上に関わる深刻な理由と思いきや、ほぼ店側の事情で。
 ただ身を売る理由はあったのだろうが、そこまでは知らないという。
「じゃあ、ゼロの後に入ってきた客は?」
 長く話を引っ張る気もなく、アグネスは話題を変える。
 だがゼロの後から来た者はなく、客も馴染みとそうでないのが混ざっていた。
 また騒ぎの直後に店から出て行った者もおらず、話に不審な点はない。
「‥‥先に、外の様子を聞いてから戻ろうかな」
 ぽつと、アグネスは呟く。
『訳あり』の理由を聞いた今すぐでは、気持ちも落ち着かず。
 店の評判を聞く為に、彼女は外へ出た。

 やがてゼロのいる座敷へ戻った者達は、各々が得た情報を明かした。
 毒を入れた者を絞り込めるような、有力な情報はない。
 それを聞いたゼロは何も言わず苦笑し、頷いた。
「あんまよくねえのは分かるけど、おゆうには同情するな。力になってやりたいけど‥‥」
 ぽつりとテーゼがこぼし、床の遊女を振り返る。
「‥‥那由多、ひとつ頼まれてくれ」
 急にゼロは鞘に収めた朱刀を取り、無造作に那由多へ放った。
「ちょ、ぉっ!?」
 ずしりと重いそれをとっさに両手で掴んだ那由多は、驚いて顔を上げる。
「ゼロ、これ‥‥ッ」
「伝助、那由多を今から言う店へ『案内』してくれ。その店の主に刀を見せりゃあ、後の話は通る」
 店の名と場所を聞いた伝助は、妙に温い視線を投げた。
「‥‥ホントに金、なかったんでやすか」
「うっせ。俺はちぃと、主人と話をしてくるぜ」
 からからと笑ってゼロは座敷を後にし、柄袋に包んだ宝珠刀をしっかりと抱えた那由多も伝助と店を出た。
 間もなく二人が戻れば、抱えた大きな包みと質札をゼロは受け取り、店の奥へ消え。
 再び姿を見せると、『依頼』を受けた者達に「礼だ」と金子を渡す。
「ゼロさん、お酒は飲めませんけど、美味しいものでも今度いっしょに食べに行きましょうね♪」
「おぅ、そうだな」
 透歌の誘いに答えたゼロは、遊女屋を出ても後ろを気にする者達に告げた。
 ――四日後の朝、神楽に出入りする門まで来るといいぜ‥‥と。

●神楽発つ
 初夏の緑を、風が揺らす。
 神楽に出入りする門の傍にある小さな地蔵の前で、見覚えのある一人の少女が両手を合わせていた。
「おゆう、さん?」
 驚いてアグネスが声をかければ、旅装束の元遊女は立ち上がり、神妙な表情で深々と頭を下げる。
「皆様のお陰で、村へ帰る事となりました。その、なんとお礼を言えばいいか‥‥」
「そうか、よかったな」
 密かに案じていたテーぜは、ほっと肩の力を抜いた。
「お里へ戻って、その、大丈夫でやすか?」
「お店から、餞別までいただいたので‥‥家族で何とか、頑張ります」
 先を案ずる伝助に、幾らか血色のよくなった笑みを少女は返す。
「どうか、お達者で」
「道中、気をつけて下さいね」
 口々に告げる那由多や透歌へおゆうは深々と頭を下げると、神楽に背を向け。
 その姿が見えなくなるまで、五人はずっとおゆうの後姿を見送っていた。