桜吹雪に鬼隠し
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/04/14 22:24



■オープニング本文

●ジルベリアを離れ
『ヴァイツァウの乱』と呼ばれた合戦は、ひとまずの幕を引いた。
 巨神機は倒され、反乱軍総大将コンラート・ヴァイツァウは行方知れずとなり、その相談役ロンバルールは討ち取られ、反乱の火の手は下火になろうとしていた。
 起きた全てに片がついた訳ではないが、残り火が消えるのも時間の問題だろう。
 そしてジルベリア帝国の首都ジェレゾは、残って仕事を請ける開拓者と、早々に天儀へ戻る開拓者で賑わっていた。

「乙矢、一つ尋ねるが。急いで神楽に戻る用など、あるか?」
 荷をまとめていた弓削乙矢は、部屋へ訪れた崎倉 禅に問われ、きょとんとした表情で目を瞬かせた。
「いえ、特に急用などはありませんが」
「そうか。俺は神楽へ戻らずに理穴へ行くつもりだが、予定がないなら来るか?」
 不意の誘いに訳が分からず、乙矢は小首を傾げる。
「理穴の、どちらへ?」
「ん。緑茂の里だ」
 崎倉から目的地を聞けば理解して、彼女は「ああ」と小さく呟いた。
 緑茂の里とは、以前の合戦『緑茂の戦い』で戦場となった場所だ。
 そして彼女が開拓者となったきっかけの、一つでもあった。
「合戦が終われば気が抜けたというか、なんとなく緑茂を見たくなっただけなんだが。今夜の精霊門で、理穴へ向かうつもりだ」
「そうですね。久し振りに足を運ぶのも、良いかもしれません‥‥お邪魔でなければ、お供をさせていただきます」
 改まった乙矢の口調に、「構うな」と崎倉は手をひらひら振る。
「供というよりも、単なる旅の道連れで誘ってみただけだから、気を遣うな。じゃあ、後でな」
 言葉を残し、自分の部屋へ戻る崎倉の背へ、乙矢は静かに頭を下げた。

●理穴、緑茂の里
 久し振りに吸った天儀の空気は、ジルベリアのそれよりずっと柔らかく、春の香りを含んでいた。
 迫っていた魔の森や強大なアヤカシの脅威が去って数ヶ月が経った緑茂の里は、穏やかそうに見えたのだが。
「近くの山桜の森に、アヤカシが出る?」
 まだ木の香りも新しい『宿』で、到着早々に二人は宿の主から不穏な話を聞かされた。
「はい。隠し鬼が出たらしいと、噂になっています。あの付近へ行った者達、二人か三人ほど戻ってきておりませぬ故」
 神妙な表情で、主の里人が明かす。
『隠し鬼』は森の中に住み、一匹で行動する事が多い鬼だ。
 自分の気配を消して人へ忍び寄り、あっという間に『隠して』しまう。
 大人数で歩いていても、気付けば一人いなくなっていた‥‥という事もあり、それらはおそらく『隠し鬼の仕業』とされていた。
 だが「隠し鬼が出たのだろう」という憶測の程度では、開拓者を頼むのには根拠が薄く。
 ちょうど訪れた二人へ、相談したのだという。
「どうしたものでしょう?」
 尋ねる乙矢に、腕組みをして崎倉が考え込む。
「姿を隠された里人に、いなくなる理由がないのなら‥‥ほぼ、アヤカシなのだろうがな」
 考え込んだ男の着物を、無言で俯くサラがぎゅっと強く握った。傍らでは藍色の仔もふらさまが、旅の疲れかのん気に寝ている。
 その仕草を見て苦笑した崎倉は、改めて同行者を見やった。
「ただし、『外れ』の可能性もある。アヤカシの姿を見た者はなく、隠された者がどうなったか分からないからな。隠し鬼ならは一匹で行動している例が多いから、手数は多くなくても大丈夫だろうが‥‥この件、頼んでもいいか乙矢?」
 ジルベリアの合戦後から、あまりサラは崎倉から離れようとしない。
 少女の身の安全を考えれば、同行せず崎倉は宿へ残るという考えに、乙矢も異論はなく。
「承知致しました。元より理穴の民の難儀ならば、捨てては置けませんから」
 居住まいを正して答えた弓術師は、自分の弓をじっと見つめた。


■参加者一覧
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
胡蝶(ia1199
19歳・女・陰
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
劉 厳靖(ia2423
33歳・男・志
千見寺 葎(ia5851
20歳・女・シ
風和 律(ib0749
21歳・女・騎


■リプレイ本文

●春迎えし緑の里
「うわぁ‥‥なんだか、随分と雰囲気が変わったね」
 驚きが半分と、嬉しさが半分と。
 里の光景に、天河 ふしぎ(ia1037)が目を丸くした。
 季節が変われば風景も変わり、風景が変われば抱いていた印象も記憶も変わる。
 かつて重苦しい空気に包まれていた緑茂の里も、春を迎えて焼け跡から青く幼い芽が出始め、草木が花を開き、再び訪れた者達の記憶にある風景を塗り変えようとしていた。
 再建の進む様子に胡蝶(ia1199)も足を止めたが、ふしぎの反応を耳にすると自身の驚きを引っ込め、髪をかき上げる。
「一面の焼け跡だった場所に、これだけ家だの何だのが立っていたりするんだもの。見違えて、当然でしょ」
「そうですね。以前に訪れた時は‥‥瓦礫や、燃え残った廃材を片付けていた状態でしたから」
 合戦の後、一度だけ依頼でこの地を訪れた千見寺 葎(ia5851)も、驚きと懐かしさが入り混じった口調で里を眺める。
 それでも『指』が残っていた辺りは、何かを立てる事すらもはばかられるのか。
 手付かずでぽっかりと残された空き地が、『大アヤカシ』という存在に対する拭いきれない不安を窺わせた。
「こればかりは、難しいのかもしれませんね」
 ポツリと葎が呟き、風和 律(ib0749)は肩を竦める。
「自分には、ただの空き地に見えるがな」
 律の言う通り、ソコはかつての黒く焼け焦げた跡も分からぬ程になっており、「ふむ」と劉 厳靖(ia2423)は腕を組む。
「確かにそうだな。だが『もし何かあったら』って思っちまうのもまた、人情ってヤツだからなぁ」
「はい。それでもこの土地で里を再建しようとするのは、里の人達なりの『抵抗』なのかもしれません」
 ひとつ深い息を吐いた皇 りょう(ia1673)は、気持ちを切り替えるように踵を返した。
「ともあれ、宿へ向かいましょう。待ち合わせがありますし、この間にも里の方々は不安をつのらせているのですから」
 ここへ赴いたのは、やらねばならぬ事があるからだ。感傷に浸るのは、それを終わらせてからでも十分だろう、と。
 そして六人は大アヤカシ炎羅を討ち果たした場所に背を向け、宿へ歩き始めた。

   ○

「よう、弓削。なんだかまた、面倒な事になってるみてぇだなぁ」
「すみません。北の合戦もひと段落がついて、皆さん落ち着かれていたところを‥‥」
 見知った顔へ厳靖が声をかければ、茶を淹れる弓削乙矢が申し訳なさげに詫びる。
「気にするな。んま、ご近所さんのお手伝いってな。最近、そんなんばっかだが」
 袖に手を入れた厳靖が、「はっは!」と、明るく笑い飛ばした。
「気分を晴らしに寄り道をすれば、アヤカシの影とはね」
 胡蝶にとっては故国ながらも、やはりジルベリアにはどこか居心地の悪さを感じ。早々に天儀へ戻る事を決めた矢先の、依頼だったのだが。
「うん。炎羅との戦い、怪我しちゃったし苦しい時もあったけど、里の皆の様子を見ていると、頑張って良かったなって思う‥‥でも僕、今回のジルベリアの戦いみたいなのはもう嫌だよ。人同士で、戦うなんて」
 やはり苦い思いでかの国を後にしたふしぎも、しゅんとしょげてうな垂れる。
「とはいえ、自らの欲や主張を押し通し、結果として関係のない人を巻き込み、傷つけるのは‥‥残念ながら、人の間ではままある事ですから」
 どこか感情の薄い声で、乙矢は目を伏せるが。
「ジルベリアはまだ雪ばかりだけど‥‥あの雪の下には、次の季節のための芽が顔を出してる‥‥見た目は寒々しくても、春はあるのよ」
 窓の外を見やる胡蝶に、緩やかに髪を揺らしてから顔を上げた。
「そうですね‥‥ともあれ、ご足労ありがとうございます。今日は、よろしくお願い致します」
「こちらこそ‥‥お初にお目にかかります、乙矢さん」
 手をつき、頭を下げる乙矢へ、改めて葎も一礼を返す。
「今は復興、里の方々の表情も明るいようで、何より‥‥ならばこそ、僕も一つの曇りを晴らす手伝いに励ませて頂きます」
「理穴の者の一人として、重ねて御礼申し上げます、千見寺殿」
「相変わらず硬てぇなぁ、弓削は」
 かしこまる者達にカラカラと厳靖が笑えば、微妙に乙矢は迷う表情を返した。
「すみません‥‥かといって、どう申せば良いものかも、ちょっと」
「考え過ぎなんだよ。しかし、気配を消す事に長けてる、鬼か‥‥森の中でかくれんぼだなぁ」
 真剣な気配を払うようにひらと厳靖は手を振り、懐かしい遊びの名を呟く。
「ま、がんばるとしようかね」
「うん。隠し鬼の探索、全力で頑張るよ!」
 胸に漂うモヤモヤしたモノを払うように、ふしぎが気合を入れた。
「こうして里を建て直す人達を見てたら、頑張って良かったなって、思えるし。行方不明の人が出て、せっかく復興を頑張ってる里の人達も凄く不安だろうから‥‥」
 力説する少年は、何度もこくこくと首を立てに振り。
「それに、せっかく綺麗な桜が咲いてるのに、アヤカシがいるなんて台無しだもん!」
「全くだ。その一言に、尽きるわな」
 からからと厳靖が大笑いし、つられて他の者達の表情にも笑みが浮かぶ。
「桜、か‥‥」
 ぽつりと言葉を落とした律は、外に広がる春の緑へ目を向けた。

●隠れんぼの鬼探し
 森の中を抜ける道を西へ一時も歩けば、辺りの風景に薄紅が混じり始める。
「‥‥見慣れはしたけど、たいしたものね」
 八分咲き程に咲き誇る山桜の木々を見上げ、胡蝶がしみじみと呟いた。
 都や大きな街で見られる桜ほど、華々しく咲き誇っている訳ではない。だがいずれも、それぞれに見事な花を咲かせていた。
「せっかくだから、この辺りで少し休むわよ」
「はいはい」
 市女笠の垂布越しに視線を上げれば、同行する厳靖が軽い調子で返事をする。
 見頃となった桜の木々の下では、あちらこちらに五人ほどの『先客』が散らばり、花見に興じていた。
 それが示し合わせた開拓者達である事は、言うまでもない。
 だが二人は『先客』とは合流せず、さりげなく互いが見える位置で少ない荷を肩から降ろす。
「鬼がどの程度、知恵が働くかによるけど‥‥延々と探し回るよりは」
 そんな言葉と共に、胡蝶はどこから襲ってくるか分からぬ『隠し鬼』への囮を使った案を申し出、開拓者達はアヤカシを誘い出す策を立てた。
 その結果が「胡蝶と厳靖が旅の楽師とその付き添いに扮し、他の者達は花見の散策者となって、二人の周りを囲む」という布陣だ。
 人の手が入っていない自然の森であるが故に、木々の距離は一定でなく、見通しは決してよいと言えない。
 それでも胡蝶の位置からは、何とか全員の姿を確認する事が出来た。
 緊張気味に、ダブルショートの位置をこっそり確認するふしぎ。
 桜の幹にもたれ、何気なく目を閉じている葎は、シノビの技である『超越聴覚』で耳をすませているのだろう。
 風に散る花を見やって律が傾ける徳利には、酒ではなく岩清水が入っていた。
 適当な岩に腰を下ろしたりょうは、緑茂の里で買ってきた花見団子を、はくりと一口、食べている。
 団子を買い求める姿に「食べるの?」と何気なく聞けば、真剣な表情の女志士はこくと頷いた。
「勿論。ただこれは食べ物を粗末にしてはいけないからであり、私の食い意地が張っているからではない。断じて」
 どことなく自分に言い聞かせている風にも聞こえた答えだが、豊かな森で得られる素材を生かした理穴の菓子は、実際のところ美味い。
 美味そうに食べる様子を見れば、尚更それが思い出されて。
 少し、買っておけばよかったかも‥‥などと、頭の隅で少しだけ悔いてみたりもするが。
 だが誘惑を払う様に胡蝶はふぃと頭を振り、帯に差した横笛を取り出した。
 そうして桜に誘われた感を装い、緩やかに笛を吹き始める。
 何気なく視線を廻らせれば、一番遠い位置に乙矢がいた。
 遠くはあるが、理穴弓ならば十分に届く距離だ
(ある意味、貴方の弓が明暗を分けるんだから。頼むわよ、乙矢)
 桜の幹に半身を隠すようにしている姿へ、心の内で託す。
「ん。んじゃ俺は、その辺で一服させてもらうかねぇ」
 笛の邪魔せぬように小さく、だがはっきりと厳靖が『合図』の言葉を伝えた。
 徳利を手に、土を踏む足音がふらりと遠ざかる。
 わざと胡蝶から距離を置き、適当な岩へ厳靖は腰をおろした。
 それから腰に帯びた刀を抜き、傍らへ置く。
「さーて、上手い事釣れるかねぇ‥‥」
 笛の音へ耳を傾けながら、懐から取り出たサイコロを手の内で遊び、低く厳靖は独り言ちた。
 ざわりと風が森を揺らせば、はらはらと音もなく桜の花びらが舞い落ちる。

 笛を聞くりょうは、時おり木々の間に視線を走らせた。
 隠し鬼の警戒役である五人は、囮の二人を囲むように散らばっている。
 ‥‥上手く、隠し鬼が囮に引っ掛かれば良いが。
 どうやってアヤカシが『隠す相手』を選ぶかは分からないが、警戒役の彼女らに仕掛けてくる可能性もあるのだ。
 できれば警戒役も、事前に互いが注意する人物を決め、漏れがないようにしておきたかったのだが‥‥残念ながら、それをまとめるまでに話が至らなかった。
 小柄で腕が長いという風貌を聞くだに、長い腕で木の上から獲物を吊り上げたり、茂みの中から引きずり込もうとしたりする様が‥‥比較的容易に、想像出来る。
 そのため、万が一に備えて頭上の注意を乙矢に頼みはした。あくまで余裕があればという前提での話で、手が回らなければ無理をしないようにとも、言い含めたが。
 ‥‥後は、アヤカシがいつ出るか。
 注意を払いながら、りょうの手は自然と二本目の花見団子を口へ運ぶ。

「さて、どこから来るか‥‥」
 鞘へ収めていないシザーフィンを律は無造作に脇へ置き、岩清水の徳利を片手に注意を払っていた。
 立ち居振る舞いから察するに、囮の二人も警戒する者達も腕の程は信用できるだろう。
 だが問題のアヤカシは、小柄ですばしこいという話だ。
 そんな相手と追いかけっこを繰り広げるのは、いつもは重い鎧兜で身を固めている律にとって、少々荷が重い。
 無論、後れを取らぬよう律とて最低限の軽装で備えては来たが、心積もりとしてはアヤカシの逃げ道を塞ぐ役目のつもりだ。
 どこから現れ、誰を狙い、逃げるとすればどこへ向かうか。
 そんな事を律は考えながら、仲間達のいる位置をそれとなく確認した。

 風が吹けば木々の枝葉がこすれる音がして、山桜の木々から次々と桜の花びらが舞い落ちる。
「隠し鬼‥‥さらうのか、食らうのか、桜の贄(にえ)か‥‥僕に判別は尽きませんけれど‥‥叶うなら隠したものを、どのような形でも返して貰いたいものですね」
 散る桜を見つめながら、ごくごく小さく葎が言葉を口にした。
 さりげなく囮の二人を包囲する形を維持する為、五人は距離を取り、山桜の森に散らばっている。
 気軽に話が出来る距離でもなく、じっと葎は笛と葉擦れの音を注意して聞いていた。
 何の変化もないまま、やがて胡蝶は笛の演奏を終える。
 相手に動きはなく、ざぁっと風が吹き、波を打つように木々が揺れた。

●花散りて
 舞い落ちる桜の花びらに、厳靖は意識を凝らす。
 仲間の気配に混じって、自分の後方に何者かの気配が一つ。
 仕掛けてくるかと、全身へ静かに緊張を行き渡らせるが、何事もなく風は吹き過ぎて。
 再度『心眼』で周囲を探れば、後ろの気配は消え失せ、代わりに離れた場所に別の気配があった。
「‥‥移動、しやがったか」
 元より、鳥や獣の様な気配は近くにない。
 そして気配が移動した先を予想して、目で辿れば。
 重なる木々の向こう側で、音もなく長い理穴弓が地面へ倒れるのが、見えた。
 否、音がなかった訳ではない。
 小さく乾いたカランという音を、しかと葎が聞きとめていた。
 ガビシを構え、幹に遮られた陰へ回り込めば。
 樹上から伸びた長い腕が昏倒した弓術師の首を掴み、引きずり上げようとしている。
 その腕へ、流れるような所作で葎がガビシを投じた。
 狙い違わず矢尻の様な先端を持つ金属棒は、ひと息に腕を貫き。
 緩んだ指の間から、『獲物』が落ちる。
 手は引っ込もうとするものの、刺さったガビシが張った桜の枝にひっかかった。
「葎!」
「ここです!」
 鬼から目を離さぬまま、葎は奇しくも同じ音の名を持つ律へ答える。
 木々の間を抜けて、次々と仲間達が駆け寄り。
「動けない、今が好機だね!」
 アヤカシを見たふしぎが、すかさずダブルソードを抜いた。
 だが珠刀「阿見」の柄に手をかけ、りょうは一瞬迷う。
 ガビシが引っかかっている枝には、今が盛りと咲く花に並び、まだ開かぬ桜の蕾も残されていた。
「‥‥すまない」
 僅かな逡巡の末に、彼女は小さく詫び。
 描かれる幾条もの銀弧に続き、桜の枝の避ける音が、森に響いた。

 震えた桜の木から、花弁の雨が降ってくる。
 その雨の下、枝ごと落とされた隠し鬼へ技を叩き込めば、ギャァッと耳障りな悲鳴を上げ、アヤカシは散った。
「乙矢っ。起きなさいよ、乙矢!」
 意識のない乙矢を助け起こした胡蝶は名を呼び、頬を打つが、うめく声一つなく。
「こりゃあ、アヤカシの毒か何かだろうな」
 横から様子を見た厳靖が、眉をひそめた。
「眠りの毒で動けぬ間に樹上へ『隠し』、首を絞めるか‥‥折るか。それが手口か」
 乙矢の首へ残された濃い鬼の手形に、落ちた枝の間からガビシを拾い上げた律が表情を曇らせる。
「この様子では、『隠された』者達は‥‥」
「そうですね。残念ながら」
 律が差し出す武器を葎は頭を下げて受け取り、金の瞳を伏せた。
「どの木の根元も、掘り返したか埋め戻した様な痕跡がなかったからな」
 そんな会話の間に、厳靖が背に乙矢を負ぶって立ち上がる。
「ともあれ里へ戻って、誰かに診てもらわねぇとな。毒が抜ければ自然に目を覚ますだろうが、里人なら解毒の薬草を持ち合わせているかもしれない」
「そうね」
 落ちた理穴弓を胡蝶が拾い上げ、ぎゅっと握った。
「乙矢さんが目を覚ましたら、皆で改めてお花見に来たいな」
「ああ。父上から話には聞いていたが、確かに良いものだ」
 ふしぎの言葉に、律も頭上を埋める桜の霞を仰ぐ。
「桜の樹皮は、良い染料にもなるとか。散った花は栞に仕立てて‥‥と、いけない」
 緊張が解けたせいか、何気なくふっとそれを使った小間物を作る事を考えている自分に、葎が苦笑した。
 その様子を見て、りょうもまた微かな苦笑を表情に浮かべる。
「人の心とは‥‥難儀なものよな」
 炎羅を相手取って修羅の如く刀を振るった心と、花を愛でる心と。
 どちらも自分であると分かってはいるが、同時に自らの事ながら理解し難い。
 ただ、斯様(かよう)に揺れる想いのもまた、人の身であるが故か‥‥と、りょうは静かに散る花を仰ぐ。

 そうして今は一度、開拓者達は山桜の森へ背を向けた。