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■オープニング本文 ●顛末書 嵐の壁を調査すべく、安州より発った『嵐の壁調査船団』。 それは昨年の十月、勇んだ一部の朱藩氏族によって構成された私設船団であり、その行動は氏族達の独断によるものであった。 その私設船団の三番艦『暁星』が、嵐の壁から再び天儀へ姿を現したのは、今年の二月半ばの事。 著しい損傷を受けながらも帰ってきた『暁星』を真っ先に出迎えたのは、巨大なアヤカシ雲水母と、それを囲む多数のアヤカシだった。 知らせを聞いた朱藩の興志王は、即座に開拓者ギルドへ協力を要請する。 要請を受けて、各所で動いた開拓者達は、のべ数にして86名。 直接『暁星』の助けに向かった者、海辺の村に波及したアヤカシ被害の対応にあたった者、海に生きる者達と協力して乗員の救助にあたった者など様々だが、それぞれの力をもって役目を果たし、依頼の全てを無事に成し遂げた。 第一の妨げとなる下級アヤカシの数を減らし、三班に手分けした者達によって第二の妨げである巨大アヤカシ雲水母も撃退。 また興志王自らも、超大型飛空船『赤光』にて陣頭指揮を取り。開拓者達に守られた砲術隊による援護によって、残るアヤカシの群れも多くが駆逐される。 一方、『暁星』船内でも、船を無事に着水させる為に、開拓者達が奔走していた。 宝珠と制御機関と技師達を守り、そして舵を取る艦橋を守り通す。 洋上では船を駆っての救助活動が進められ、傷ついた多くの乗員達を救い出した。 動機や望むところは違えど、差し伸べられた幾多の手。 彼ら彼女らが手繰り寄せた結果を、次の通り記す。 大型飛空船『暁星』は着水後も沈没する事なく、現在は安州の港に係留。 生還した船長や副長へは、事の経緯についての調べが行われている。 話によれば『暁星』ら『嵐の壁調査船団』は、長らくの時間に渡って嵐の壁の中をさ迷ったが、抜ける事が叶わず。 その途上で幾つかの僚船を失った末、天儀への帰還を選択したという。 また乗員50名のうち、救出された者は43名。 当初の見込みよりも多くの乗員が助け出されたが、これは船外に放り出されて生存を絶望視されていた者達が、開拓者らの働きにより幸運にも救助された事による。 戻らぬ7名と、嵐の壁よりの帰還が叶わなかった船団の他飛空船、全ての没者の冥福を祈る――。 ●感謝の席 「ふぅ‥‥これで終わり、と」 最後になった書類の束へ紐を通して結ぶと、まとめた終えた東湖は、肩の力を抜いて大きくひと息ついた。 「お疲れ様。東湖殿のお陰で、事後処理や報告書類の片付けが随分と早く片付いたよ。手際のコツがあれば、是非うちの者にも教えてほしいものだ」 「コツがある程の事では‥‥神楽でも、いつもやっている事ですから」 普段は神楽で開拓者ギルドの受付係を務める少女は、恐縮して中年の男へ軽く頭を下げる。 「いやいや。その手並み、なかなかのものだったよ。現に、非常事態と多忙にかまけて雑としていた書面が、実に見事に収まるところへ収まった」 東湖の手際に感心する男は、名を仙石守弘(せんごく・もりひろ)といい、朱藩にある開拓者ギルドの長を務めていた。 「一つ仕事が終わったところですまないが、これを神楽の開拓者ギルドへ伝えてもらえるか?」 受け取った達筆の文面を最後まで読んだ東湖は、大きな翡翠の瞳に疑問の色を浮かべて相手を見上げる。 「あの、ギルド長。これは‥‥」 「よければ、東湖殿も是非に。神楽の方では橘殿らにも、随分と迷惑をかけてしまったからな。ただ開拓者の者達は、しばらく魚を見たくもないかもしれぬが」 はっはと仙石は喉をそらして笑い、東湖も苦笑交じりの笑みを浮かべた。 ○ それより、しばらく後。 神楽の開拓者ギルドでも、朱藩の開拓者ギルドより伝えられた誘いが開拓者達の目に触れる事となった。 『先の『暁星』に関わる一連の案件にて、開拓者の目覚ましい働きに感謝し、朱藩開拓者ギルドより慰労をかねてのささやかな宴席を設ける事となった。 ジルベリアにて不穏の気配もあり、予断を許さない状況が続いているが、一夜限りは瑣末(さまつ)を忘れ、大いに楽しんでほしい。 諸々の費用などについては興志王より「心置きなく」との言葉を賜っている為、心配は無用の事。ただし、残念ながら興志王ご自身は多忙故、宴席に出席される予定はないので、そのように。 ――朱藩国 開拓者ギルド長 仙石守弘。 』 「‥‥つまり、興志王のオゴリで飲めるって事か」 「そうなるな」 ごく短く崎倉 禅が答えれば、がくりとうな垂れたゼロが心底残念そうにうめいた。 「ったく。行きてぇのに、間の悪ぃ‥‥」 「用があるのか」 「面倒くせぇ依頼が入って、しばらく動けねぇんだよ。崎倉、俺が飲む分の酒樽、土産に確保しといてくれ」 「無茶を言うな、無茶を」 日常茶飯事な他愛もない話を崎倉とひとしきりしたゼロだが、受けた仕事に備える為、早々に開拓者ギルドを後にする。 「相変わらずだな、あの無鉄砲者も」 後姿を見送る、どこか面白そうな声に振り返った崎倉は、自分よりずっと若いギルドの相談役へ丁寧に一礼した。 「これは、橘殿でしたか。騒々しくて申し訳ない」 「ああ、改まらずとも。しかし、朱藩のギルドも気前のいい事だ。神楽のギルドにも迷惑をかけたからと、同席の声をかけてきた」 「それは、何とも‥‥朱藩気質と言うべきでしょうか。ともあれ騒がしい者がおらぬ分、どちらのギルドの方々も、落ち着いて料理に舌鼓を打てましょう」 「こういう宴席なら、賑やかで騒がしいのもまた良いものだよ」 くつりと笑った橘 鉄州斎は辞去の言葉代わりに軽く手を振り、自分の仕事へ戻っていく。 「朱藩の王様のおごりで、ただで旨い飯が食えるそうだ。行くか、サラ」 相談役の背中が奥へ消えると、崎倉はじーっと自分の後ろに隠れていた少女へ言葉をかけ、ひょいと抱き上げた。 |
■参加者一覧 / 柚月(ia0063) / 櫻庭 貴臣(ia0077) / 神凪 蒼司(ia0122) / 水鏡 絵梨乃(ia0191) / 井伊 貴政(ia0213) / 高遠・竣嶽(ia0295) / 橘 琉璃(ia0472) / 鬼島貫徹(ia0694) / 鴇ノ宮 風葉(ia0799) / 蘭 志狼(ia0805) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 胡蝶(ia1199) / 鬼灯 仄(ia1257) / 巴 渓(ia1334) / 八十神 蔵人(ia1422) / 喪越(ia1670) / 劉 厳靖(ia2423) / 菊池 志郎(ia5584) / 鈴木 透子(ia5664) / ブラッディ・D(ia6200) / 雲母(ia6295) / 与五郎佐(ia7245) / 天ヶ瀬 焔騎(ia8250) / 一心(ia8409) / 春金(ia8595) |
■リプレイ本文 ●薄春宵の宴へ 薄ら寒い三月の宵。朱藩国首都の安州の港には、開拓者達の手によって帰港を果たした大型飛行船が静かに浮かんでいた。 船体に幾つも穴が開き、旋回翼も破損して嵐の壁より帰還した『暁星』。 夜の黒い海に佇む亡霊船が如き様を見上げ、ふ。と少女は息を吐く。 「風葉、遅れるよー!」 潮の香りを吸い込み、天河 ふしぎ(ia1037)が彼女を呼んだ。 「待たせれば? むしろアタシがいないのに、始まる訳ないでしょ」 「でも俺、ハラ減ったー」 自信満々な鴇ノ宮 風葉(ia0799)へ、ブラッディ・D(ia6200)が訴える。 「あんたのハラ具合まで、あたしに面倒見ろって?」 文句を言いつつ帽子の位置を直した風葉は、待つ者達へ控え目の歩幅で歩き。 風葉と並んで船を眺めていた鈴木 透子(ia5664)も踵を返し、ぱたぱたと草履を鳴らして彼女の後を追った。 夜も賑やかな盛り場の一角にある、こじんまりとした料理屋。 そこが朱藩の開拓者ギルド長が馴染みの店であり、『暁星』に関わった開拓者達をねぎらう為に設けられた宴席の場であった。 「もう、随分と集まってるな」 縄のれんをくぐった劉 厳靖(ia2423)が顔ぶれを見回せば、鬼灯 仄(ia1257)が片手を挙げた。 「そりゃあ、タダ酒が飲めると聞けば、なぁ。しかも、おごってくれる相手が相手だ」 「だよなぁ」 遠慮なく飲み食いができると、男二人はけらけら笑う。 「むしろ、おっちゃんは遠慮を知った方がいいと思うよ! 大きさ的にも!」 「よぅ。やっぱ、オメーも来てたか」 いつもの減らず口に見やれば、後ろの柚月(ia0063)は不機嫌顔だった。 入り口で厳靖が足を止めたため、入れなかったらしい。 「おっちゃんと違って、タダだから来たんじゃないカラね」 「はっは! 通りたければ、俺を倒して行くがいい」 「ぎゃにー!」 腰に手を当て、どーんと胸を張る厳靖へぽくぽくと果敢に柚月が挑んでみるが、力的にも体格的にもかなう筈はなく。 「‥‥えぃ」 どかっ。 「あぃた! すねを蹴るのは、反則だぞ」 「おっちゃん相手に、反則とかないカラ!」 ふんっとソッポを向く柚月に「分った分った」と厳靖は笑いながら、入り口を開けてやる。 「んなことよか、席がなくなるぞ?」 「にゃっ」 急いで友人のいる卓へ向かう柚月の背を厳靖は見送り、自分も適当に席を探した。 「相変わらず、仲がいいな」 笑いながら蘭 志狼(ia0805)が席を示せば、身振りで礼を告げた厳靖は腰を落ち着ける。 「そりゃあ、一日一回のユズいぢりが元気の秘訣だからな」 「む。柚月をいじると、元気が出るのか?」 「蘭も、やってみるか? 言っておくが、保障はしないからな」 真面目に考え始める志狼に、厳靖はけらけらと笑った。 そうして座敷も椅子も、程よく埋まっていき。 「思ったよりも、みな早いのじゃな」 「お。春金、こっち空いてるぞ」 先に来ていた天ヶ瀬 焔騎(ia8250)が席に迷う春金(ia8595)の姿を見つけて、ひょいと手招きをした。 「‥‥おや、崎倉さんとサラちゃんは、もう来ておったのじゃな」 「は、春金ぇ!?」 一拍おいて見なかった事にする春金に、愕然とする焔騎。 「これは‥‥もしや、反抗期とか言うヤツなのか!?」 「いいのか、アレ?」 打ちひしがれる様を見ながら崎倉 禅が聞けば、ちょんと春金はサラの隣に座る。 「オトンの傍は、喧(やかま)しそうなのじゃよ」 あっさりとした答えに崎倉は苦笑し、サラはもふらさまをぎゅっと抱いていた。 「その子が年頃になれば、崎倉も反抗期だナンだと嘆くのかねぇ」 会話を小耳に挟んだ仄が、くつくつと笑いながら茶々を入れる。 「こればっかりは、その時にならないとな」 目を細めた崎倉は、サラの頭を撫でてやり。 「もう揃っていたか。遅くなって、さぞかし腹も減った事だろう」 気安げな太い声に見やれば、体躯のがっしりとした見慣れぬ壮年の男が、店の者と何やら身振りで話を交わしていた。 傍らには神楽の開拓者ギルドでよく見る男女が同行しており、あれが朱藩の開拓者ギルド長、仙石守弘なのだろうと誰もが見当をつける。 「橘殿も東湖殿も、今日は慰労の席だ。俺の事は気にせず、寛いでくれよ」 「あ、はいっ」 「では、遠慮なく」 緊張気味な東湖に続いて、ゆったりと構えた橘 鉄州斎も応じ、それぞれに席を選んだ。 「おっと、上座はギルド長だろ。それから仙石さん、ギルド長に乾杯の音頭を頼んでも‥‥」 俄かに場を仕切ろうとする巴 渓(ia1334)を手で制し、呵呵と仙石は笑い飛ばす。 「要らん要らん。この宴席に、仰々しい気遣いや挨拶なんぞ不要よ。大いに飲んで、喰う。それだけの場だ」 そうして空の杯を取れば、近くの与五郎佐(ia7245)へ「少しもらえるか」と尋ねた。 「少しで、いいのですか?」 言外に含めて注ぐ与五郎佐へまた大笑し、立ったまま朱藩のギルド長は酒の杯を掲げる。 「不肖ながら興志王に代わり、開拓者殿へ仙石守弘が感謝を申し上げる。礼や義を重んじる者もいようが、以後は無礼講。好きに飲んで、たらふく喰ってくれ!」 そしてぐぃとひと息に飲み干せば、集った者達も手にした杯を干し。 賑やかに、宴が始まった。 ●交わす酒杯 「追加で頼んでも、いいかしら。この品書きの、高いヤツから順番に‥‥」 「こ、胡蝶さん?」 店の者を呼んで、いきなり豪気な注文を飛ばす胡蝶(ia1199)に菊池 志郎(ia5584)がうろたえた。 「なに?」 「いいんですか? その‥‥値段が」 困ったような笑顔を向けて濁す志郎に、何を言いたいかの大よそを察する。 「ええ、そうね。興志王の『心置きなく』通り、心置きなく頼むだけだわ」 しれっとして胡蝶が答えれば、同席の鬼島貫徹(ia0694)はニヤリと笑んだ。 「相変わらず、面白い奴だ」 「残念だけど、酒の肴になる気はないわよ?」 飄々と言葉を交わしながら、胡蝶も焼き魚をつつく。 「相談役殿。依頼の成功、改めてお喜び申し上げます」 祝いの言葉と共に与五郎佐が酌をすれば、鉄州斎もまた相手の杯へ酌を返した。 「いや。実際に尽力したのは、現地へ赴いた与五郎佐達だからな。礼を言うのはこちらだぜ。そのお陰で、ああして無事に『暁星』が帰ってきた」 「僅かでも力になれたなら、僕も嬉しいかな。あ、遅くなったけど、お世話になってます、橘さん」 「無礼講だ。まぁ座って、飲め」 ぺこと会釈をする井伊 貴政(ia0213)の肩を軽く叩き、空いた席へ座るように促す。 「では、遠慮なくお邪魔を。与五郎佐さんも、何だかお久し振りですね」 「ええ、しばらく見かけませんでしたね。どうなさってたんです?」 同じ屋敷に住む顔見知りへさらりと与五郎佐が問うと、貴政は苦笑しながら腰を下ろした。 「いや〜、女の子が放してくれなくて」 「ほぅ、これは隅に置けませんねぇ」 杯を手にした与五郎佐は意味深に目を細め、嘘はつけぬと観念したのか貴政が髪を掻く。 「なんて、冗談ですよ。仕事が忙しかっただけで」 明かしながら、銚子をとって空いた相手の杯に酒を注いだ。 「忙しいのは、よい事です。『暁星』の件では、露払いを有難うございました」 「こちらこそ。近くには寄りませんでしたが、巨大なアヤカシでしたね」 「まったく。雲水母の大きさには、流石に驚きましたよ」 飾らぬ正直な感想を、与五郎佐も明かし。 「いくつもの行動が重なって、一つの結果になる‥‥なんだか感慨深いです」 振り返って、互いをねぎらい思い返す会話を、傍らで志郎が楽しげに聞く。 「菊池さんも、露払いではお世話になりました」 「こちらこそ。無事に役目が果たせたようで、良かったです」 「本当に。まぁ、一杯やりましょう」 今更ながらほっと安堵する志郎へ、頷きながら貴政は酒を勧めた。 「ああ、挨拶が遅れましたが。橘さんには、いつもお世話になっています」 「こちらこそ、だ。今日は、存分に飲んでくれ」 明るく「はい」と答えながら、志郎も鉄州斎の杯へ酌をする。 「それにしても‥‥『暁星』の皆さんの帰還は嬉しいですが、壁を抜ける事ができなかったとは。相当、厚いのですね」 「そうだな。船体が、あの様子では‥‥」 言いかけて、如実にがっかりしている志郎の様子に気付き、鉄州斎は苦笑した。 「確かに『向こう側』の話が聞けなかったのは残念だが、自分達へ『機会』が巡る可能性が残されたと考えれば、どうだ?」 「そうですね。再び、調査団が派遣される機会があるならば」 その時がくればと、目を輝かせる志郎を頼もしげに鉄州斎は眺めながら、また酒を干す。 「これは東湖殿、今回はお疲れ様でした」 「私はギルドでお手伝いをしていただけですし‥‥一心さんこそ、お疲れさまです」 会釈をする一心(ia8409)に、慌てて東湖も頭を下げる。 「いえ。色々と情報を頂いたのに、あまり有効に使えず‥‥申し訳ない。もっと、精進しないといけません‥‥」 淡々とした表情で話す一心だが、言葉には微かに自戒の色がにじみ。 それからふっと、一つ息を吐いて肩の力を抜いた。 「‥‥すみません。宴の席で、愚痴を言う物ではありませんね。ささ、東湖殿もどうぞ一杯」 改めて徳利を手にする一心に、あわあわと東湖はうろたえる。 「すみません。わたくし、お酒は‥‥」 「では、お茶にしますか?」 「それなら、いただきます」 恐縮しながら湯飲みを差し出す東湖へ、笑って一心は急須を手に取った。 「高遠殿もお疲れ様です。『暁星』、無事に助けられた様で良かったですね」 「はい。ああ、私もお茶で‥‥お酒は、あまり得意ではありませんので」 急須を置いて銚子へ手を伸ばす一心に、やんわりと高遠・竣嶽(ia0295)が酒杯を辞する。 「おや。それは残念」 「申し訳ありません。代わりといっては、何ですが」 逆に竣嶽が銚子を取れば、「では」と一心も杯を干し、酌を受けた。 「『暁星』の件は‥‥全て万全に‥‥という訳には、参りませんでしたが。それでも、戻す事が出来たのは幸いでございますね」 「はい。本来、助けの見込みがなかった者も、少なからず助かったと聞いています。それを思えば、予想以上の成果を上げられたという事になるのでしょうか」 「そう言っても、過言ではないと思います。ただ、失われたものがある事にもまた、変わりはありませんが」 それを思えば、胸中は複雑で。 故に今は酒を飲み、上手い料理に舌鼓を打つ。 「そうか、鯛を見るのは初めてやったか。うん、なんか‥‥ごめん」 「‥‥一人腹話術、ですか?」 宴席の片隅でぼそぼそと喋る八十神 蔵人(ia1422)に、橘 琉璃(ia0472)が小首を傾げた。 そもそも腹話術は本来一人でやる芸ではあるが、それは置いといて。 「あ、いや、そんなトコロや。ほら、貧乏暮らしやと、あんまお目にかかれんしなぁ。うん、貧乏‥‥暮らしやと‥‥」 慌てて着物の襟元を合わせて押さえつつ、琉璃へ答えてから何故か自分の言葉で微妙に凹む蔵人。 「何を、自爆してるんだか」 ぷかりと紫煙を吐きながら、雲母(ia6295)が呆れたように呟いた。 「それにしても、相変わらずドンちゃん騒ぎが好きなギルドだ。まぁ、タダより安いものはないからな」 「ま、駄目な大人は美味い酒さえ飲めれば、色んな事を水に流して今日も生きていくって事だわな」 カラカラ笑う喪越(ia1670)は、食いだめ飲みだめとばかりに話す間も箸を休めず。 「良い子は、真似しちゃいけないぞ☆」 「なに、壁と話をしているんですか」 びしっと指を立てる喪越の背中へ、いい笑顔の琉璃がぽそりと一言かける。 「‥‥突っ込むなら、もっとアグレッシブにだ、ブラザー!」 「残念ですが、兄弟になった覚えもありませんから」 「やれやれ‥‥ん?」 呆れながらも杯を手にする雲母は、宴席を楽しむ者達へ何気なく視線を流し‥‥やたらに食べっぷりの良い青年の後ろ姿に、ふと目を止めた。 宴が始まった時、その青年がいたかどうかまでは、思い出せない。 見覚えがあるような、ないような気がしたが。その程度なら瑣末事だろうと、引っ掛かりを流すように雲母は杯をあおった。 「あれ、あそこの人は‥‥」 会話の合間にふと気付き、東湖が小首を傾げる。 飲み食いに熱心だった青年は、不意に飯を食う手を止め。 紫眼を数回瞬かせてから、ニッと歯を見せて笑った。 それが自分ではなく他者へ向けたものと気付いて視線を辿れば、仙石がそっと目礼を返す。 鉄州斎も気配を察知したのか、やはり密かに青年とギルド長を見比べ。 二人の視線に気付いた仙石は、隠して人差し指を立てた。 「さて。俺は所用があるので、先に失礼するよ」 席を立つ仙石へ視線が集まる中、再び青年を窺えば、相手は目配せをしてから素知らぬ顔で再び飲食に勤しむ。 「では。各々方は、存分に楽しんでくれ」 そう言い残した仙石は一人、宴席を後にした。 冷たい空気に首を竦めれば、足元へ提灯が差し出される。 「良ければ、お供を。ギルドへお戻りですか?」 提灯を持つ竣嶽が尋ねれば、袖に手を入れながら仙石は頷いた。 「ああ。だが慣れた道、気を遣わず酒席を楽しんで良いのだぞ」 「ほんの酔い覚ましも、兼ねておりますから」 「そこまで言うなら、断るのも無粋か。ならば、お願いするとしよう」 そうして、ぶらりと二人は歩き始める。 「で。貴殿は俺に、何を聞きたい?」 幾らか進んだところで、世間話でもするように仙石が問うた。 「気付いておられましたか。今後、再び嵐の壁に挑むような事があるのか‥‥ギルド長へ、直接お伺いしたく」 回りくどい話は無意味と察し、単刀直入に竣嶽が聞き返す。 「『暁星』を含む調査船団の件は、朝廷の開拓計画とは別‥‥我が朱藩のうちでも、一部の氏族がしでかした勝手だからな」 重々しく嘆息し、遠い目で道の先を見るギルド長に、竣嶽も目を伏せた。 「そうでしたか。ただ、もしも『次』があれば‥‥やはり開拓者となったこの身、何かしらお役に立てたいところでございます」 「『新しき儀への開拓せずして、何が開拓者だ』といったところか?」 冗談めかすように、一転してカラリと仙石は笑う。 「ただ嵐の壁を抜けるのは、やはり険しく難しい道なのだろうと思うよ。泰国もジルベリアも、朝廷より開拓計画が発令されてから、発見されるまでの年月と作戦回数を考えれば‥‥な」 「確かに。朝廷の計画によるものとしても、此度のようにアヤカシに襲われるやもしれませんが‥‥協力できる事ならば、何であれ」 「ああ。それでも正直、良い人材を失くす危険は冒したくないものだ。俺個人、そして一国のギルドを預かる者としてもな」 話をする間に、やがて二人は明かりの灯る開拓者ギルドへ着いた。ギルドは昼夜を問わず扉が開かれており、常に誰かが詰めている。 「感謝する。実に、頼もしい護衛だったよ」 礼を告げる仙石に竣嶽は頭を下げ、扉の先へ消える背を見送った。 ●宴舞盛況 その頃、料理屋からは楽の音が響いていた。 柚月の笛に合わせ、「拙いながらも」と断りながら、扇を手にした志狼が舞う。 本来の演舞ならば刀といきたいところだが、場所柄もあって扇子を刀に見立て。 居合いの型から逆袈裟へ繋ぎ、息を詰めて三合を打った後、刀を納める型を取る。 最後に一礼をすれば、見る者達は手を打った。 笛の音に誘われたか、「では自分も」と薄衣を取った琉璃が続いて進み出た。 扇を広げて緩やかにひらりと舞い、見る者達はまた一献を酌み交わす。 「全く。船員全員、身柄預かりってどういう事よ。さてはアタシに勧誘させないための、ギルドの策略とか!?」 根菜の煮物や海草の椀物を口へ運びながら、風世花団の団長は憤慨していた。 「仕方ないよ。まだ『お調べ』の途中だし、傷が深い人もいるんだから」 湯気を立てる魚ちりをつつきながら、ふしぎが風葉をなだめる。 宴席へ来る前に、風葉は団員や顔見知りと連れ立って、乗員の勧誘もとい見舞いへ赴いた。 軽傷の数人と会えはしたが、彼らは『朱藩国王預かり』となっている。調べと心身の傷の静養を兼ね、身柄を預かった氏族の屋敷から出られぬ。だが扱い自体は良く、おそらく詮索好きから彼らを守る為の『処分』なのだろう。 「それでもまぁ、誘ってはきたけどね!」 「抜け目がないなぁ」 元々、朱藩氏族に身を置く者なら難しかろうが、特に風葉は気にもせず。 来れば歓迎、無理ならそれでよしといった感だ。 「だけど団長殿が船に残ると言い出した時は、肝を冷やしましたよ。全く‥‥」 綺麗に剃った頭をつるりと撫で、思い出した与五郎佐が苦笑した。 「うん、まぁ、それはね。結果的に大丈夫だったから、問題ないでしょ」 謝罪は口にしないが、言葉には僅かにちょっとだけ気遣いの色。 「はい。ご無事でよかったです」 それを承知してか与五郎佐はこくりと頷き、それから透子へ笑みを向けた。 「ただ、貴女まであんな無茶をするとは驚きましたけれど‥‥ともあれ、依頼は上手くいって良かったです。見舞いでは、よい話は聞けましたか?」 「いいえ、あまり‥‥もっとこう、学術的なお話を窺えればよかったのですが」 やや残念そうに、透子も鍋からタラを取る。 陰陽師としての好奇心と、飛空船への興味もあって、もっと飛空船の構造や飛ぶ技術についての話も聞きたかったのだが。 「まーまー、とりあえず! 飲むぞー騒ぐぞーしこたま食うぞー!」 杯では間に合わないのか椀へ持ち替えて、ブラッディは意気揚々。 もし彼女に犬の尻尾があったなら、ぱたぱたとご機嫌っぽく振られていたに違いない。 「はいはい、アタシの分まで食べていいわよ」 好き嫌いナシっぽいわんこに風葉は酒を注ぎ、他の者にも杯を配った。 「さーて、それじゃ改めて。アタシ達の無事を祝って‥‥かーんぱーいっ!」 「かんぱーい!」 「お世話になりました」 「乾杯ー!」 風葉が音頭を取れば、団員と友人が一斉に酒杯(透子の杯は茶だが)を掲げ。 掲げた杯を、風葉は先陣を切って一気に干した。 「ふぅ‥‥わ」 胃の腑へ落ちる熱い感覚に、間をおかずくらりと視界が揺れて。 「わわっ、風葉? 全部飲んだの!?」 慌てたふしぎが声をかけるが、誰よりも先に杯を開けた風葉は、誰よりも先に潰れた。 「風葉は俺が看てるから、ふしぎも挨拶とかしてくれば?」 こうなると察していたか、この間に店の者から毛布を借りてきたブラッディが、風葉を支えたふしぎを促す。 ふしぎとしては離れ難いが、それを風葉はあまり良しとしない気配があった。 「う、うん‥‥じゃあ、お願いするね」 ブラッディがかけた毛布を肩まで引き上げてから、そっとふしぎは恋人を寝かせ、席を離れた。 それでも、風葉が起きる様子はない。 「うん、まぁ‥‥なんというか‥‥ほんと、困ったご主人様だな」 人の気も知らないで、あまりに無防備なのはどうかと思いつつ、小さくブラッディは呟きを落とす。 まぁ、彼女としては、そう言う所も好きな訳なのだが‥‥だが。 「これくらいは、いっかな‥‥色々とお疲れ様、ゆっくり休んで、な」 呟いたブラッディは、膝枕をした『ご主人様』の頭をそっと優しく撫でた。 「みんな、お疲れさまっ」 「柚月も、お疲れさま」 賑やかに乾杯を繰り返し、菓子を頬張ってはしゃぐ柚月へ、ふしぎが声をかけた。 「あの時‥‥励ましてくれたの、凄く力になった。ありがとう」 こっそりと礼を言えば、柚月は笑顔を返す。 「無事で、よかったね?」 語彙を濁す柚月だが、顔を赤らめたふしぎは恥ずかしげ笑って頷き、膝枕された恋人をちらと見た。 「暁星の艦橋を守る戦いができた。今一度、この喜びを分かち合いたい」 惜しむらくは、隣を任せる友の不在が残念ではあるが、それは言わず。 「じゃあ、乾杯しよ?」 目を輝かせて柚月が差し出す杯を、「いや」と志狼は断り。 「む。俺はこちらの水でいい。今度は、大丈夫だろうな?」 「はっは。俺とユズを一緒にするな!」 笑い飛ばす厳靖に、志狼は傍らの猪口を取る。 「ともあれ、俺は盾になる事しか出来んからな。全員の勝利だ」 「かんぱーいっ!」 「はいはい、乾杯」 杯を掲げる志狼に、依頼を共にした者達も倣い。 ひと息に飲み干した志狼は‥‥その格好のまま、ひっくり返った。 「ああ。蘭は、飲めなかったな。すまん、忘れてた」 わざとらしく聞こえぬ相手に厳靖が弁解し、眺める仄や崎倉らが笑う。 「やはり安州も港街。魚の鮮度が違いますね、井伊殿」 理穴育ちの一心に、武天育ちの貴政が頷いた。 「武天ならば料理は肉が主流ですが、さすが朱藩。魚の種類も豊富です」 料理に心得がある者同士、二人は店が出す魚料理の手法や調理法の話に、あれやこれやと花を咲かせている。 「だが料理が旨くとも、盛る皿が貧相では真価が引き出せぬもの。ところがどうよ、この器。さすが、ギルド長贔屓の店。新鮮な魚介の味を、更に引き立てておるわ」 「‥‥もふ?」 程よく回った酔いに上機嫌で鬼島が語る相手は、仔もふらさまだったりする。が、当の本人は気にしていない。気付いていないとも、言う。 駄々流れ状態な薀蓄を聞き流しながら、新たな徳利を胡蝶が鬼島と仄の前へ置いた。 「ほぅ、これは?」 「朱藩の銘酒らしいわ。まぁ、悪くない味よ‥‥お疲れさま」 酌まではしないが、彼女なりのねぎらいらしい。 彼らの舌に見合うか軽く味見をしたようで、頬にほんのりと朱を帯びていた。 「気がきくな。ついでに、そこの料理も取ってくれ」 へらりと笑って仄が頼めば、つぃと胡蝶は顎を上げる。 「欲しければ、自分で取りなさい。そこのも、もふもふしてないで」 「もっ、もふふふふっ」 ついでに遊び心で藍色の脇腹をつつけば、もふもふともふらさまが身を捩った。 その様子に、何故か仄は安心した顔で皿を取る。 「ところで。俺にはそれほど子煩悩って風には見えないんだが、何か訳ありか?」 言外に含めて仄が聞けば、静かに杯を傾ける崎倉が苦笑した。 「いや? 俺には大事なんだが‥‥いかんせん、おっかながりでな」 「あんまりその子、放ったらかしにするんじゃないわよ」 口を尖らせながら、胡蝶は酒を注いだ猪口を傍らの春金へ差し出す。 「はい。飲む飲まないは任せるけど‥‥とりあえず、よ」 「胡蝶さんこそ、先日は本当に有難うございました。ささ、一杯♪」 「ありが‥‥春金?」 胡蝶が怪訝そうな顔をすれば、「はい?」と春金はたおやかな笑みを返し。 「崎倉さんも、お疲れ様でした。サラちゃんもお留守番、お疲れ様なのですよ♪」 明らかに違う雰囲気に、胡蝶は疑わしげな視線を焔騎へ向けた。 「酒には酔わないが、雰囲気には酔う志士、天ヶ瀬だ。そして春金にも酒を飲ませてみた、張本人でもある!」 「酔ってるの、ね」 「酔ったわたくしのお酒は、飲めないと言うのですか?」 袖で目元を隠し、急にしくしくと嘆き始める春金。 「飲むわよ、飲むから。はい、乾杯」 軽く杯を合わせてやれば、ころりと春金は笑んで酒を干した。 「‥‥コチョウ‥‥ハルカネ?」 不安げにサラが二人を見比べた末、困った顔で崎倉の袖を引く。 「いや。そんな顔をしても、酔ったのは俺にもどうこう出来んから」 苦笑しながら崎倉はサラの頭を撫で、仄は笑いながら見物し。 「手にぴたりと収まる、この椀の温かみときたらどうだ!」 鬼島は延々と、終わりなき講釈をもふらさまに垂れていた。 「しかし、合戦も近いのにお祭り騒ぎとは‥‥まぁ、別にいいのだがな」 酒に飲まれぬ者は順次引き上げ、飲まれた者はいびきをかき。 混沌とした宴席の状況を肴に、ちびりと雲母は酒を舐める。 気になった青年の背はいつの間にか消え、蔵人は料理と酒の出前を店員へ頼んでいた。 「約束やしな。43人分やけど、王様持ちやから大丈夫やろ♪ あ、酒は最高級ので頼むでー」 数からすれば、生還した船員達へ届けさせる気なのだろう。 「しかし新天地は見つからず、帰還は一隻のみか。実際には、数十か数百単位で死者が出たんやろうなぁ‥‥」 「そも、嵐の壁なんぞなけりゃ、無茶な真似する奴もいなかったろうに。この世界は何を望んでるんだろうねぇ‥‥。大体、新しい儀を見つけたとしても、今のジルベリアみてぇに余計な厄介事を抱える事にもなる。それでも追い求めちまうのは、浪漫って奴か?」 ホッケの身を剥がしつつ、うぅむと考え込む喪越に仄が笑い。 「そこに、嵐の壁があるから越えるってか?」 茶化す言葉を聞きながら、ぷかりと雲母は煙管をふかした。 そこへふと、外からの澄んだ笛が耳に届く。 「‥‥ユズか」 聞き慣れた笛の音の、緩やかな弔いの調べ。 目を伏せた厳靖へ酌をして付き合いながら、崎倉は並んで寝こける少女らの肩に毛布をかけてやった。 そして誰へともなく焔騎は、手向けるように杯を掲げる。 道行きを照らすかの如く、三月の夜空に半分の月がぽっかりと浮かんでいた。 |