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■オープニング本文 ●嵐よりの帰還 絶え間ない風雨が、激しく叩き付ける。 雷光が閃き、鈍い振動が大型飛空船を振るわせた。 「三号旋回翼に落雷! 回転力が低下します!」 「意地でももたせろ、何としてもだ!」 伝声管より伝えられる切迫した報告へ、船長が叱咤する。 その時、永劫に続くかと思われた、鉛色の雲壁が。 ‥‥切れた。 不意の静寂が、艦橋を支配する。 一面に広がるは、青い空。 そして地の端より流れ落ちる青い海をたたえた、天儀の風景。 美しい‥‥と、誰もが思った。 夢にまで見た故郷を前にして息を飲み、拭う事も忘れて涙を流す。 帰ってきた。彼らは、帰ってきたのだ。 嵐の壁を抜け出し、帰郷を果たした無上の感慨にふける事が出来たのは、ほんの僅かな時間。 「物見より報告、前方上空よりアヤカシの群れが‥‥ッ!」 絶望に彩られた一報が、緩んだ空気を一瞬で砕いた。 天儀へ帰り着いた飛空船の進路を塞ぐように、巨大なアヤカシが文字通り、影を落とした。 「かわして、振り切れるか?」 「宝珠制御装置に異常発生。無理です、出力が上がりません!」 「二号、六号旋回翼の回転数、低下!」 悲鳴のような報告が、次々と上がる。 「動ける開拓者は?」 重い声で尋ねる船長へ、険しい副長が首を横に振った。 「皆、深手を負っています。満足に戦える者は‥‥」 答える彼も、片方の腕はない。 それでも、帰り着かなければならない。 旅の途上で力尽き、墜ちていった仲間のためにも。 ●墜つる星 それはさながら、幽霊船のようだった。 嵐の壁を調査すべく、安州より発った『嵐の壁調査船団』三番艦『暁星』。 第三次開拓計画が発令されたと聞き、「我こそは」と勇んだ朱藩氏族の一部が私設船団を組んで探索に出発したのは十月の事。 その船団に属するらしき一隻が、嵐の壁より帰ってきた。 朱藩の南、香厳島から届いた知らせでは、「傷ついてボロボロになった大型飛空船が、アヤカシに囲まれながら飛んでいる」という。 「このままでは海か、あるいは朱藩国内へ墜落すると思われます」 居室より外の見える場所へ飛び出した朱藩国王の後を、説明しながら家臣が追った。 襲っているのは中級アヤカシ『雲水母』以下、それに追従する下級アヤカシ多数。 更に「付近の海にもアヤカシが集まりつつある」という情報も、届いていた。 まるで獲物が力尽きるのを待つかの如く、方々よりアヤカシどもが群がってきている。 「‥‥何をしている」 「は?」 「ギルドへ急ぎ伝えろ! 朱藩、安州よりも可能な限りの小型飛空船を出す。『暁星』を落とすな!」 「すぐに!」 興志王の怒声に、ひときわ頭を深く下げた家臣が踵を返し、すっ飛んでいく。 手をかけた欄干が、ミシリと音を立てた。 大型飛空船の位置はまだ南に遠く、安州の居城から確認出来ないのがもどかしい。 何としても、無事に帰り着かせなければならない。 長く過酷な旅路を、彼らは帰って来たのだから。 ●陣風が如く 「『暁星』襲撃中のアヤカシを倒し、船外の安全を確保。同時に船内で乗員の避難救助の誘導と、海上での救助の手配も進んでいます。でもいずれ一つとして、失敗できない依頼ばかり。万が一にもしくじれば、『暁星』は取り返しのつかない事になります‥‥そんな状況で、この依頼を受けてくれる人がいるんでしょうか?」 「危険ですからね‥‥」 慌ただしい安州の開拓者ギルドの一角で、ギルドの受付係達は眉根を寄せた顔をつき合わせていた。 だが悩んでいても、事は進展しない。 受ける者がいる事を願って、受付係は一枚の依頼書を張り出した。 「ふぅん? 興志王まで乗り出して、飛空船騒ぎに遅れたかと思ったが‥‥まだまだ厄介な依頼が残っていやがるようだな」 難しい顔の受付係を見送ってから、ひょいとゼロは依頼書を覗き込む。 依頼の内容は、艦橋の安全確保。 小型飛空船でアヤカシとの戦闘をくぐり、大型飛空船『暁星』の上部にある甲板から船内へ突入。 船内にて暴れているアヤカシを倒しながらの艦橋まで辿り着き、そこを最後まで守り通す――というのが、その内容だ。 最後とは『暁星』が無事の着水を果たし、乗員達の避難が完了し、艦橋に残る者達が持ち場を離れる事ができるまで‥‥を、意味する。 状況によって『暁星』は無事の着水を果たせず沈没する可能性もあり、そんな命に関わる状況下で残る乗員達を連れ出す事になるかもしれない。 「何が起きるか分からねぇし、やるこたぁ多い上、相当に危険か‥‥おもしれぇ。後は、気概のあるヤツが揃うといいが」 ひと通り依頼書に目を通したゼロはニッと口の端を引き上げて笑い、仕事を受ける為に受付へと向かった。 |
■参加者一覧
柚月(ia0063)
15歳・男・巫
蘭 志狼(ia0805)
29歳・男・サ
霧葉紫蓮(ia0982)
19歳・男・志
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
八十神 蔵人(ia1422)
24歳・男・サ
劉 厳靖(ia2423)
33歳・男・志
神楽坂 紫翠(ia5370)
25歳・男・弓 |
■リプレイ本文 ●いざ、渦中へ 耳元で、逆巻く風が鳴いていた。 行く手には、大型飛空船『暁星』へ巨大なアヤカシ雲水母が伸ばした触手を巻きつけ、叩き付け、捕らえている。 「身が引き締まるような風だな」 髪を乱し、着物を翻して吹く風を受けながら、霧葉紫蓮(ia0982)は腰に差した刀「河内善貞」の位置を確かめた。 「しかし、だ。『空飛ぶ棺桶』に乗り込むのに、どんな連中が集まるかと思ったら‥‥なかなか面白い奴らみてえだな」 肩へ猫又 ミケを乗っけた鬼灯 仄(ia1257)が喧嘩煙管を片手に飄々と笑えば、片手を腰に当てた柚月(ia0063)は、人差し指を左右に振ってみせた。 「嵐の壁を越えて、やっと帰ってきたヒト達がピンチ! なんて聞いたら、やっぱ行かないとでしょー?」 「面倒な仕事だがねぇ」 背後から聞こえた劉 厳靖(ia2423)の言葉に、踵を軸にくるりと後ろへ柚月が振り返り、力いっぱいの「あかんべ」をする。 「面倒がりなおっちゃんは、別に来なくていいよ。うん、来なくても大丈夫だカラ!」 だが立て板に水な柚月の文句を、そのまま流水の如く厳靖は聞き流した。 「ま、ご近所さんのお手伝いってのと、保護者責任って奴だな」 「保護者って、誰が誰の? てゆか、こっち見ないっ!」 そんな二人のやり取りは毎度の事で、見ている分には面白いと、長屋ご近所さんの仄は放っておく事にする。 「ですが、これは‥‥今にも、墜落しそうな感じです‥‥時間との勝負でしょうか」 風にあおられる束ねた髪を抑えながら、神楽坂 紫翠(ia5370)は『暁星』を観察した。 周囲の下級アヤカシはかなりの数を散らされ、雲水母には三手に分かれた開拓者が小型飛空船で接近して、攻撃を仕掛けている。 だが巨体であるが故に、現在の戦況が有利なのか不利なのか、ひと目で見てもよく分からない。 「時間との勝負ったって、雲水母は頑張ってる奴らに任せるしかねぇからな」 からからとゼロが笑い、宝珠刀の柄頭で船の艦橋を示した。 「俺らの仕事はあの『特等席』へ乗り込んで、守り通す事。命運とやらは、外の連中任せ。外の連中がしくじれば、船もろともに‥‥だ」 今一度、役目を説明したゼロは、甲板にいる者達へ振り返る。 「手ぇ引くんなら、今のうちだぜ?」 「何を今更」 ふっと、目を伏して蘭 志狼(ia0805)が小さく笑い。 「立場が違えど、顔も知らねど‥‥天儀を守る志あらば、戦友だ。それこそが氏族を離れ、開拓者として俺が学んだ事よ」 風に煩く踊る前髪をかき上げ、眼光鋭い銀の瞳でゼロを見据えた。 「あそこにいるのは‥‥苦難の道を乗り越え、帰還した戦友。違うか?」 志狼の返答を聞いた相手は、ニッと口角をつり上げる。 「ああ、違わねぇ。改めて問うなんざぁ、ヤボだったな」 「しかしやな。こうして見ると、物の見事に男だらけ‥‥華のない面子。艦橋におる連中に、申し訳が立たんやないか」 揃った顔ぶれに、嘆かわしいと八十神 蔵人(ia1422)が溜め息を吐き。 主の懐から顔を出した人妖 雪華が襟を引っ張り、自己主張した。 「旦那様、華ならここに、ここにいますよ!」 「男の娘が華て、先進的やなぁ」 「華とか言うなっ。それに僕は『男の娘』じゃなく、『男』なんだからな!」 視線を感じた天河 ふしぎ(ia1037)が、頬を朱に染めて訴える。 「そういえば、男の娘といえば‥‥」 ふと思い出した紫蓮が、真顔でゼロを見やった。 「今日は、メイド姿じゃないのか?」 「するかっ! つーか、それは俺だけじゃあねぇだろーがっ」 即座にゼロは全力否定し、流れ弾的にナニカが刺さって目をそらす、心当たりが約数名。 そんな彼らの反応に、思わず紫蓮は隠さずくつりと笑い。 「すまん、冗談だ。此度の戦い、よろしく頼む」 笑いながら差し伸べた手を、がっつりとゼロは握り返す。 「こっちこそな。頼りにしてるぜ」 「じゃあ、ちゃっちゃと乗り込んじまおうぜ」 「そうだね。あの船には、まだ人が残ってるんだ。放ってなんて、おけないもん!」 厳靖が駿龍の手綱を取り、気合を入れるふしぎに漆黒の土偶ゴーレム 花鳥風月も瞳を光らせて応じた。 「さあて、『特等席』とやらに向かうとするか」 「仄まで? ゼロも『特等席』なんて、よく言うよ」 ミケを肩へ乗せたまま身軽に仄がギルドの龍へ飛び乗り、くすくす笑う柚月もまた、髪の飾りを揺らして駿龍 葉二の背に上がる。 「仲間と共に、この風よりも激しく疾い陣風となって、必ず暁星を守り切ってみせる」 駿龍 琉騎に跨った紫蓮の視線に、炎龍 回天の背から志狼が力強く頷き返し。 「共に行こう、琉騎」 「飛ぶぞ、回天」 二体の龍が翼を打って甲板を蹴り、他の龍達も後に続いた。 ●騒乱の道 アヤカシの奇声に、負けじと飛び交う怒号。 潮の香に混ざる、ツンと鼻を刺す臭気。 行く手を邪魔するアヤカシを爪や牙で裂いて道を拓き、その真ん中へ龍達が降下した。 まず真っ先に仄が甲板を踏み、懐を庇いながら蔵人も続き。 すぐさま二人の志士は、ふしぎと共に龍から降りる土偶ゴーレムを手助けする。 手を貸す者達の背後へゼロが飛び降り、後ろから牙を剥くアヤカシを潰し、援護した。 「皆、ありがとう!」 「その分の働き、期待してるぞ」 仲間へ助けへ礼を言うふしぎへ仄が笑えば、その肩で猫又が我知らずと欠伸を一つ。 ギルドの龍が去ると、頭上の安全を確保していた龍達が舞い降りた。 「葉二、ありがと。後は気をつけて!」 「お前もまぁ、危なくない程度に待っていてくれ」 駿龍を気遣う柚月へちらと目をやり、厳靖も己の龍へ言葉をかける。 「海へ落ちそうな人がいれば、助けて下さいね」 紫翠も駿龍 スターアニスを残し、弓「朏」を手に甲板の入り口へ走った。 「この船を守ってやってくれ、回天」 鼻面を軽く叩いて託す志狼へ、炎龍が低く唸って応じる。 「琉騎も甲板で待機して、来襲するアヤカシを牽制してくれ。だが、無理はするなよ」 駿龍の首を優しく撫でて気遣いながら、紫蓮もまた後を任せた。 「ほな、艦橋へ行くで」 不気味に軋む船内で、全員の無事を確認した蔵人が大きな風呂敷包みを担いだ。 「旦那様‥‥その大荷物は?」 もそもそと懐から人妖が問えば、「届けモンや」と軽く蔵人はいなす。 「これがあるよって、あんま暴れられへんけどな」 「ふぅん? ま、そこはどーにかなるだろ」 なんとものん気に答える仄の肩から猫又が飛び降り、伸びをした。 「吾輩の名も覚えられぬうつけと共に闘うのは不本意ではあるが、それなりに尽力を尽くすとしよう‥‥それにしても、つくづく女っ気のない」 すこぶる不本意そうに、猫又はふぃと主へ尻を向ける。 「‥‥あの子の名前って?」 「ミケだ」 尋ねる紫翠に短く仄が返し、妙に悟った素振りの猫又がひっそりと嘆息した。 「酷い‥‥アヤカシ、絶対許さないんだからなっ! とにかく、進めるところまでは一緒に行動して、分かれる場所があれば打ち合わせた通りに二手に、だね!」 血痕や爪跡に刀傷が残る床や壁を目にして、どこか落ち着かない様子のふしぎが先を促した。 班分けは柚月と志狼、紫蓮、ふしぎに朋友の土偶ゴーレム、そしてゼロ。もう一方は厳靖に紫翠、仄と朋友の猫又、そして蔵人とこちらも朋友の人妖に、分かれる事となっている。 「ふしぎと一緒ダネ、嬉しいなっ」 友人との同行にはしゃぐ柚月だが、すぐさまどこか浮かない彼の表情に気がついた。 「‥‥ダイジョブ?」 「あ、うん。ホントに、無茶して‥‥艦と運命を共にするのは、団長じゃなくて、船長や艦長なんだぞっ」 守れない手のもどかしさに、誰に宛ててでもなく呟くふしぎが、ぎゅっと拳を握る。 その仕種に何事かを察した柚月は、ふしぎの手の片方を、励ますように両手でぎゅっと包んだ。 言葉はなくとも、伝う手の温もりが、何より暖かい。 「‥‥船が落ちずに着水できたら、中にいる人もみんな無事、だよね」 ありがとう、と。小さくふしぎは礼を言う。 「ほな、行くでぇぇぇーっ!」 その間にも、鉄傘を広げた蔵人が、獲物を求めて通路を徘徊するアヤカシへ突貫し。 珠刀「阿見」の柄へ手をかけた志狼もまた、並んで先頭を駆けた。 「帰郷を果たさんとする戦友を、むざむざ墜とさせる訳にはいかん。蘭 志狼、全力にて参る‥‥!」 鉄傘の隙間を抜け、前から現れるアヤカシを志狼が斬り払い。 追いすがる後ろのアヤカシは、厳靖が防盾術で身を挺して防ぎ、ゼロが斬り捨てる。 「たぶん、ここは‥‥こっちだよ」 無類の飛空船好きなふしぎの助言で、柚月と蔵人の人妖を守る陣形で九人と三体の朋友は一丸となり、戦いの音を聞きながら通路を急いだ。 艦橋までの距離は、遠くはない。 だが雲水母は攻撃を緩めず、通路の天井を触手が突き破り、床を抉る。 それらを迂回し、アヤカシを倒しながら道を変え。 必要とあらば仄の猫又が先行して、進むべき通路を探った末。 「あれやな!」 鉄傘の陰から確認した蔵人が、声をあげる。 ひときわ頑丈そうな扉は、表面に無数の傷が出来ているが、まだ健在だ。 「時間を稼ぐから、先にてめぇらが中へ入れ!」 扉より少し離れた位置で足を止めたゼロが、他の者達を促す。 「おいーす、出前やでー!」 明るく声を張り上げて蔵人が乗り込めば、驚いた表情が一斉に向けられた。 艦橋に残っているのは、僅かに三名。 途中でも生存者と出くわさなかった事に不安を感じながら、志狼は一番年長の男へ向き直る。 「開拓者だ、助けにきた」 「ああ。だが、救助は‥‥」 「分かってる、助けるのは船が無事に着水できてからだろ。それまでは、俺達がここをアヤカシから守り通す」 志狼に続いて、紫蓮が手短に彼らの目的を説明をし。 「全員、艦橋に入ったよ!」 戦いぶりを見ていた柚月が、殿を守る者達を呼んだ。 「厳靖、先に行っとけ」 「じゃあ遠慮なく、そうさせてもらうぜ」 防ぎ手に徹していた厳靖は、アヤカシの数が減った機をみて退く。 次いで腰を落としたゼロが、大きく宝珠刀をひと振りして、一気にアヤカシを駆逐し。 群れを押し返した隙に、後ろへ跳躍した。 勢いのまま、開けた扉へ文字通り転がり込み、同時に仄が扉を閉ざす。 「これで、ひと息‥‥あれ?」 ふと仄が気付けば、傍らに朋友の姿はなく。 カリカリにゃーにゃーと、扉の向こうから猫又の訴える音が聞こえてきた。 ●艦橋展望 「早く扉を開けぬか、このうつけ!」 「お前こそ、なに外に出てんだよっ!」 「これは‥‥喧嘩するほど、仲がいいという事でしょうか?」 言い合う仄とミケに、紫翠が小首を傾げる。 その間に、ふしぎは船長から一足先に乗員を避難させた開拓者達の話を聞き、少しだけ安堵の表情を浮かべていた。 一時、艦橋に残っていた生存者達は、副長と船底へと向かったという。 船内でまだ生き残っている者達を見つけ、共に脱出する為に。 じっとしていてくれればという思いはあるが、じっとしていない人だからこそあの人なんだと、複雑な心境ながらもふしぎは頭の上に乗っけたゴーグルをかけ直した。 互いに、ひとかどの開拓者。 すぐさま後を追いたい衝動はあるが、心配してべったり追っかけ回していては、彼女にも‥‥失礼だ。 「花鳥風月。ここを‥‥守り通すよ、必ず!」 決意する主に、静かなる土偶ゴーレムは何も言わず、ただその目を輝かせて応じた。 船内と艦橋を隔てる扉は、二箇所。 ここへ至るまで、いざという時に二手に分かれる際と同じ班分けで、それぞれ守りを固める。 「こんな扉一枚で、よく突破されずにいたもんだ」 アヤカシの体当たりに震える扉に、今更ながら厳靖が感心した。 頑丈といえど、所詮は木の扉。いつまでも、防ぎ切れるものではない。 もし彼らの到着より先に扉が破られていたなら、船の進路を保つ者達の命も失われ。雲水母を払う事が出来ても、『暁星』は落ちていたかもしれない。 その疑問に、ひと抱えもある半球状の羅針盤の前から航海士が答えた。 「幸い、体の小さいアヤカシが多い事と、先に着いた開拓者達が退けてくれたのもあってな」 「先に、救助者を搬出したって連中か。有難いこった」 掛け値なしに本当に有難いと、厳靖が苦笑する。 ここへ至るまでの間に負傷者を拾っていれば、移動の足が鈍って迅速な移動は出来なかったろう。 かといって、見捨てる選択など決して出来ない者も、いる。 故に、そういった『足手まとい』が残っていなかった事は有難いと、厳靖はちらと柚月を見ながら思った。 「あんたら、年末年始も仕事で大変やったやろ? おせちも用意したで。守備はわしらが代わる! そこの暗い顔した旦那もぐいっといっとけや!」 おもむろに背負っていた風呂敷包みを蔵人が解けば、そこにはおせちや酒が一揃い突っ込まれている。 「旦那様‥‥そんな大荷物、薬草の他に何を持ち込んだかと思えば‥‥お酒ですか!?」 「ええか、雪華。こういう危機的状況は諦め入ったら終わりなんじゃ。逆に一発、盛り上げていくぞ」 「全く、開拓者という連中は‥‥。だが、今は景気付けの酒だけをいただき、後は帰り着いた祝杯の肴としよう」 船長の言葉に、残っていた二人の部下が頷いた。 「前方の洋上に船影確認! これは‥‥超大型飛空船です、船長!」 進路を確認する航海士の報告に、艦橋にいる者達が色めき立つ。 「きっと、『赤光』だ!」 思わず艦橋の窓に駆け寄ったふしぎが、その船影に声をあげた。 「やっぱり、そうだ。興志王の飛空船だよ!」 「興志王が‥‥!?」 驚き、茫然とする乗員達へ、喧嘩煙管を咥えた仄が首肯する 「ああ。王様自ら、あんた達を迎えに来たんだ」 次の瞬間。 炸裂する轟音が、『暁星』を震わせた。 ぱっと窓の外が一面、瘴気の霧に包まれる。 「次は、何ですか?」 不安げに紫翠が周囲を見回していると、天井や床、壁だけでなく、船全体を脅かしていた軋みが遠ざかっていった。 「舵が、軽くなった‥‥今の瘴気、もしやあの巨大なアヤカシか?」 「きっと、そうだよ。外の人達が‥‥」 どんっ! と、幾重なる『赤光』砲術隊の発砲音とは、別の音がして。 遠い場所より伝わった不気味な振動に、ぱっと顔を輝かせた柚月の言葉を遮る。 「どうやら船尾付近に、何かが衝突したようです!」 航海士の報告に、伝声管の鐘が煩く鳴り響いた。 「出るよ!」 とっさにふしぎが、それに飛びつけば。 『まだ生きてるか!? 俺達の『息子』を助けに来た!』 船尾との連絡を繋げる管は、まだ切れていないらしい。 やや篭もりながらも、わめき立てるがなり声を正確に伝えてきた。 『荒療治もあんだろうが、ビビらねぇでしっかり舵を握ってろよ!』 「貴殿らの勇気ある助力に、感謝する」 低く抑えた声で礼を口にする船長の背を、ただ開拓者達は見守る。 万感、こみ上げるものもあろうが。 その時ではないのだ‥‥今は、まだ。 「扉が、もう持たねぇぜ」 繰り返される体当たりと押さえていた扉へ出来始めた裂け目に、ゼロが仲間を見やった。 「構わん。元より危険は覚悟の上。ここからが正念場だな、紫蓮」 身構え、珠刀の柄へ手を置いた志狼が、友の名を呼び。 万が一に備えて仲間へ荒縄を配り、自身も頑丈そうな管を身体と繋いでいた紫蓮が、目で応じる。 「このゴーグルにかけて、ここは絶対通さない!」 気合を入れるふしぎに、傍らの土偶ゴーレムは目を明滅させ。 「もし怪我をしたら、すぐに言ってよ!」 広く頼もしい背中へ、柚月が漆黒の扇子「深淵」を手に呼びかけた。 「こっちも、そろそろ限界だ。仕掛けるぜ!」 残る扉を押さえていた厳靖もまた、仲間へ合図する。 「吾輩の最後は、可愛い娘の膝の上で天寿を全うしてと決めておるので、このような場所で最後など御免被る。なんとしても、生き残らねばの」 「‥‥珍しく、意見が合うな。ミケ」 「ミケではないと、言うておろうが」 主が似たのか、主に似るのか。 仄は猫又へからからと笑い、阿見へ手をかけた。 「興志王も、すぐ近くにわざわざ出張って来とる! 王様の前やぞ、ばっちりええとこ見せたろうやないか!」 蔵人が檄を飛ばし、紫翠は朏へ矢を番えて引き絞る。 そして、破られるより先に。 『最後の砦』の守り手達は、自ら扉を開け放った。 ●帰り道 「貴様らの相手、纏めて受けて立つ‥‥ッ!」 扉の開放と同時に、志狼の大音声が艦橋を振るわせる。 雲水母が残した穴から、船内へ侵入してきたのか。 寄せるアヤカシの群れは、体躯の大きい怪魚のようなモノも混ざっていた。 「どのようなアヤカシであろうと、この場よりは一歩も進ませぬ!」 『不動』を用いた志狼が、吼え。 アヤカシの注意がそれた隙を見逃さず、紫蓮は河内善貞を振るう。 肩を並べた、身をもって盾となる友人の死角を補い。 「やはり‥‥守る為の戦いは、血が騒ぐ」 群れの中では無傷と行かず。 うっすらと傷を作りながらも、友人と戦える事に紫蓮が不敵に笑み。 互いの刃の軌跡を遮らぬよう、盟友二人は阿吽の呼吸でアヤカシを断ち切っていく。 時に背合わせとなって戦うは、主のふしぎと大蟹鋏を装着した土偶ゴーレム。 「強力招来‥‥花鳥風月、押し返せっ! 今だ、シザーハンド!」 頼もしく目を輝かせ、主の命に従って、巨大蟹の爪を迫るアヤカシへ猛然と突き出す。 当たれば相応の威力の攻撃は、巨躯のアヤカシをも駆逐し。 そして、志狼の『咆哮』へ押し寄せるアヤカシの波を、鮮やかな赤い一閃でゼロが斬り裂いた。 絢爛と刃を振るう者を鼓舞するは、舞い踊りつつ柚月が奏でる笛の調べ。 「まぁた、向こうは派手にやってるな!」 「若いからなぁ。こっちも、負けてられねぇ!」 高々と笑い交わしながら、仄と厳靖、年長者二人が悠々と刀を振るう。 「つーか、おっさん組に入れんなやっ」 抗議する蔵人の後ろに危惧していた光景が見え、厳靖の表情が変わる。 「窓からも来るぞ!」 「こちらは、自分が!」 警告する厳靖に、紫翠が放つ矢の標的を変えた。 窓は小さく、隙間をくぐろうとする程度なら、矢でもまだ防ぐ事が出来る。 「此処まで‥‥辿り着いたんです‥‥。なんとしても‥‥無事に待つ人の元へ‥‥」 『暁星』は既に、着水準備へ入っていた。 宝珠制御機関の修理が終わり次第、着水となろう。 あと少し、あともう少しと、己を奮い立たせ。 ようやく、待ちかねた知らせが届く。 「各部宝珠制御機関の再起動を、確認。着水、可能です!」 「よし、『暁星』着水! 衝撃に備えてくれ!」 「皆、くるでー!」 注意を促す船長に、蔵人が声を張り上げ。 急ぎ扉を封じ、後は命綱に託して、足を踏ん張る。 どぅんっ! 鈍い振動が一つ、足の下から突き上げた。 咄嗟に刀を床に差して転倒を防ぎ、あるいは危うい者の手を握り。 無限とも思われる瞬間を、何とかやり過ごす。 「ふぅ、やれやれ。おい、みな無事か?」 収まった振動にひと息吐いた厳靖が、仲間を気遣う。 「皆さん、ボロボロですが‥‥」 「おら、しっかりしろ。美味い酒といい女が待ってるぞ」 紫翠は周囲を見回し、床へ投げ出された操舵士や航海士を仄が助け起こす。 「志狼‥‥生きてるか?」 「ああ、紫蓮。まだな」 「さすが、お前は頑丈だな」 互いの無事を確認しあい、ほっと安堵の息を吐くが。 「安心するのは早いぜ。これから、救出の手が来る。俺達が引くのは、全ての無事を見届けてからだ」 「ホント、人使いが荒いね」 庇うゼロに柚月は嘆息し、勢いをつけてひょいと立ち上がった。 「柚月、大丈夫?」 「うん、怪我した人は言ってよ。無事に乗員さん達をお家に帰すまでが、僕達の仕事‥‥だからね!」 ふしぎの言葉に、笛を手にした巫女は大きく笑顔で頷く。 「ほな、始めよか。仕事終わったら、もっとええ酒と旨い飯が待ってるでえ!」 アヤカシの体当たりで再び震える扉を見据え、蔵人が次幕の始まりを告げた。 |