光陰、相克す−陰の章
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 難しい
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/01/11 15:51



■オープニング本文

●火急の手紙
 年の瀬が近付く神楽の都は、いつもの賑やかさに加えてどこか慌ただしい。
「そろそろ、年始の準備もせねばならんなぁ」
 年末の大掃除道具や、新年を迎えるに欠かせない品々が並んだ店先を見て、佐和野村から戻ったばかりの崎倉 禅(さきくら・ぜん)が呟いた。
「まぁ、長屋へ戻って落ち着くのが先だが。サラもお前も、疲れただろう?」
「もふしゅんっ」
 傍らを見やれば、藍色の仔もふらさまが一つくしゃみをし。
 そして金髪碧眼の幼い少女が、前を見たまますっと腕を持ち上げて、指を差した。
「どうした?」
 サラの様子に示す方向へ目を凝らせば、人を避けながら慌ただしく一人の少女が走ってくる。
「よかった、帰ってきてた! 崎倉さーん!」
 大声で手を振り、駆け寄ってくる桂木 汀(かつらぎ・みぎわ)へ歩きながら、崎倉は苦笑を浮かべた。
「往来で、でかい声を出して呼ぶな。どうしたんだ、そんな慌てて」
「これ、これっ! 大急ぎで渡して欲しいって、頼まれて‥‥ひゃあっ!」
「おい、危な‥‥っ」
 慌てたあまりに足を引っ掛けて転びかけた汀を支え、両者ともに安堵の息を一つ。
 それから崎倉は、汀が握った手紙をひょいと取り上げ、懐へ突っ込もうとして。
「ああっ、ダメ! なんか、すぐ読んでほしいって、早飛脚の人がっ」
 袖を引いて訴える汀に、手を止める。
「わざわざ、飛脚を使っての文か」
 道の真ん中で足を止めているのも邪魔なので、とりあえず崎倉は少女達を連れて手短な茶屋へ入った。

 店の者が温かい茶や甘酒を運んでくる間に、崎倉は文を開いて目を通す。
 読み始めて幾らもしないうちにサムライの表情が険しくなるのを見て、恐る恐る汀が小首を傾げた。
「手紙、誰から?」
「判らん。それより汀、ゼロを見ていないか?」
「ううん。昨日、くらいからかなぁ‥‥見てないよ」
 よく都をぶらぶらと歩く若いサムライは、賑やかな神楽でも割と目立つ存在だ。
 また絵描きの汀は、芝居の台本を頼まれたりする事もあるらしく。何かを描いていない時は、話のネタを探して都の方々へ出歩いていた。開拓者ギルドや開拓者の住む長屋横丁も、頻繁に立ち寄る先の一つになっている。
 その汀が姿を見ていないなら、おそらくゼロは神楽にいないのだろう。
 更に表情を険しくした崎倉は、にわかに立ち上がり。
「汀、すまん。サラを長屋まで、連れて帰ってくれるか」
「ほへ?」
「もふ?」
 目を丸くする汀ともふらさまに構わず、ひょいと屈んだ崎倉はサラの頭を撫でた。
「すまんな、ちと面倒が起きた。汀達と先に長屋へ帰って、待っていてくれ」
 そして立ち上がると、旅の装束のまま「頼んだぞ」ともう一度念を押し、駆け出す。
「ゼン‥‥ッ!」
 くしゃりと顔を歪めたサラが後を追うように名を呼ぶも、後ろ姿は既に遠く。
「サラちゃん‥‥長屋で、あたしと待ってよ。崎倉さん、きっとすぐに戻ってくるから」
 路傍に捨てられた仔犬か仔猫のような表情で茫然とする少女に、小さな手を握って汀が慰めた。

●だます者をだます策
 急いで開拓者ギルドへ駆け込んだ崎倉は、驚き顔の者達も無視し、張り出された依頼書を食い入るように見始めた。
「くそ‥‥どれだっ」
 最近騒がしい陰殻での事柄に関わる依頼にアヤカシ退治、ものの手伝い、酒宴の誘いなどなど。
 並んだ沢山の依頼書からは、目的のものが中々見つからず。
 やがて文字を辿る指先は、ある一つの依頼で止まった。
 ――開拓者崩れの討伐。
 特記事項として、『依頼者不明の要注意案件』という注釈がついている。
「これか‥‥」
 依頼書を取り、壁より外そうとして、思いとどまる。
 例えこの依頼を無理に取り消しても、崎倉が依頼に加わっても、結果は『不味い方向』へ転がるだろう。
 思案の末、崎倉は依頼書から手を放し、近くの椅子へ腰を降ろした。
 それから改めて懐の文を取り出し、広げる。
 そこには黒々とした墨で、流暢な文字が綴られていた。

 ――崎倉 禅 殿
  貴殿とは縁なき者だが、他に信頼して頼める者がない故、まずは無礼をお詫びする。
  先ごろ此方(こちら)の耳が、開拓者ギルドを利用した謀略を拾った。
  諸兄ら開拓者を謀(たばか)って、神楽の都に住むゼロなるサムライを開拓者崩れと偽り、討たんとするもの。
  事の経緯は置いても、開拓者が開拓者を討ち討たれる事など起きれば、それは由々しき事態。
  当事者双方へ禍根を残す事のみならず、ひいてはギルドの信用に傷を付ける結果になるやも知れぬ。
  残念ながら此方が出来るのは、こうして火急を知らせる事のみ。
  開拓者の崎倉殿は、件(くだん)のサムライと縁があると聞く。
  双方を上手く取り成し、事を収めていただけるよう力添えいただきたく、一筆取り上げた次第――。

「大した縁でも、ないんだがな」
 小さくぼやいてから、思案をめぐらせる。
 ゼロが開拓者を手にかける事態も阻止しなければならないが、とはいえ、ゼロを討つ依頼そのものを失敗させては意味がない。
 そうなればまた、同じ様な事が繰り返されるだろう。
 また一杯食わされたとはいえ、依頼を失敗しては、開拓者ギルドも依頼を受けた開拓者も体裁が悪い。
 しかも、ゼロは腕が立つ。
 実際に自分がその場を見た事はなく、刀を納めている姿からはあまり想像もつかないが、おおよそ戦い方は型破りで「猛り狂ったケモノもかくや」という噂だ。
 そうなれば完全に手が付けられず、逆に手出しするこちらの身も危ういだろう。
 だがとにかく今は、何らかの手を打たなければならなかった。
 事態は、崎倉一人の手では止められない。しかも出来るだけ事を仕掛けている相手に悟られぬ形で、手を回さなければならない。
 しばらく唸った末に崎倉は立ち上がり、ギルドの係へ声をかけた。

『追っていたアヤカシの一匹が、朱藩の森の辺りへ逃げ込んだ。
 アヤカシは、二本角の赤い小鬼。逃げた森にはケモノが棲むという噂があり、出来ればこれを刺激せぬよう、アヤカシを退治したい。
 妙案ある者、知恵のある者、手を貸してくれると非常に有難い。
 なお当方の不始末事につき、口の堅い者を求む。仔細については、顔を合わせた時にでも。
                               依頼人 崎倉 禅』

 よくある依頼といえば、よくある依頼だ。
 手札を増やす為に、朋友を使う許可も合わせて申請した。
 後は依頼を読んで集まってくれた者達に本当の事を明かし、協力と知恵を募るしかない。
 立ち回りによっては、自分が出した『嘘のアヤカシ退治』も誤魔化しに利用できるだろう‥‥それは、あまり上手い方法と言えないが。
 打てる手を打ってギルドを出れば、強い初冬の風が崎倉に吹き付ける。
 それは刺すように冷たく、身を切るような木枯らしだった。


■参加者一覧
沢渡さやか(ia0078
20歳・女・巫
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
喪越(ia1670
33歳・男・陰
シエラ・ダグラス(ia4429
20歳・女・砂
奏音(ia5213
13歳・女・陰
只木 岑(ia6834
19歳・男・弓


■リプレイ本文

●難題
「なんつーか‥‥面倒な事になってるんだなぁ」
 人目を避けた、港の一角。
『アヤカシ退治』の真意を聞かされた酒々井 統真(ia0893)は、髪をがしがしと掻きながら唸った。
「ゼロを狙ったのか、ギルドの評判を落とす為なのか、開拓者同士の潰し合いを目論んだのか‥‥ドレを取っても、キナ臭い事だこと」
 一つ二つと喪越(ia1670)が指折り数え、最後にぴらぴら両手を振る。
「申し訳ない。色々と裏が厄介そうな気がしたのもあって、こういう形しか思いつかなかったんでな」
 一部始終を説明した崎倉 禅が『証拠』の手紙をたたみ、懐へ戻そうとすれば。
「あの、崎倉さん。その手紙‥‥お借りする事ってできますか?」
 遠慮がちに、只木 岑(ia6834)が尋ねた。
「ん? これをか」
「ゼロさんへ事情を説明をする時に見せれば、話も早いと思うので」
「ああ、そうだな。では策が決まれば、説明役へ渡そう」
「問題は、その策ですね」
 呟いたシエラ・ダグラス(ia4429)は口元へ手をやり、僅かに眉を寄せて考え込む。
「ゼロさんと、相手の開拓者の方々。最終的には、双方へ事情を説明しなくてはなりませんか」
「ああ、どちらも納得しないだろうからな。話しても、別の意味で納得できないかもしれんが」
「当然でしょうね」
 沢渡さやか(ia0078)の笑みにも、苦いものが混じっていた。
 自分達が逆の立場なら‥‥そもそも、人を斬る依頼を受ける受けないは置いても、やはり承服しかねる。
 ならば戦いを止める手段はともかく、最後は隠し事をせず全てを話すのが一番だろう。
「ゼロさんと〜みんなが〜、だまされてるのは〜わかったの〜。でも〜、さくせん〜むずかしいの〜」
 一生懸命に考えても案は思いつかず、しゅんと奏音(ia5213)がしょげる。
「みんなに〜おまかせなの〜」
 上目遣いで訴える幼い陰陽師に、残る者達は嘆息した。
「とにかく、悩んでいても時間が惜しいな。移動の間に案を考えて、現地で詰めるのも手か」
「だなー。で、龍で飛んでたら冷たい風にガクブルって、逆に思考停止したり?」
 唸りながら思案を続ける統真へ、場を和ませるつもりか、どこかおどけて答える喪越。
「喪越さん、それは‥‥ちょっと」
 それを真に受けたっぽい岑が、とてもとても心配そうに突っ込んだ。
「冗談だって、岑。ま、知り合いがいるとなりゃあ、アレだけどな」
 なんとなくだが、理由に見当がついた統真がそれをなだめる。
 仕組まれた、『開拓者崩れ討伐』依頼。
 その依頼を請けた者たちの中には、互いに顔見知りの名前が並んでいた。
 心中は穏やかではないのは、統真とて同じ事。
「こんな事になるなら、匿名の依頼受付やめるしかねーのかなぁ‥‥黒幕が何者か知らねぇが、禅に知らせが来なきゃ、そいつの思い通りになってた訳だし」
「様々な事情を考えれば、ギルドとしてもそうはいくまい。難しい話だがな」
「そうだけどさ。で、奏音の足はどうすんだ?」
「ちょっと、すまんな」
 重く息を吐いて統真が尋ねれば、短く詫びた崎倉がひょいと奏音を抱える。
「ん‥‥重さ的にいけそうだから、俺の龍に乗せよう。何も武装を付けなけりゃあ、飛べるだろう」
「に〜」
 抱き上げられた奏音は、子猫の様に首を竦めた。

 そして三匹の駿龍と三匹の甲龍が、神楽の港を後にする。
 目指すは一路、朱藩の森。
 謀(はか)られた者達が魂切れる、その前に――。

●謀略の森
 冬枯れの森の真ん中に、古い庵はぽつんと建っていた。
「誰かが見張ってる可能性もあるし、あまり近付かない方がいいか」
 甲龍 鎧阿の背中から、地上の様子をざっと喪越が観察する。
 古庵の周辺にある障害物は無造作に生えている樹木程度で、隠れられそうな場所が全くなかった。
 迂闊に庵の近くで潜んでいれば、こちらが逆に『討つべき相手』と間違われる可能性も出てくる。
 幸い、一歩先んじる事が出来たのか、攻め手となる開拓者達の姿は見えず。
 軽く偵察を行った龍達は、森の外れへと飛んだ。

 一行の間に漂う、微妙な緊張を感じ取ったのか。
 注意深く背から降りた主を、甲龍 カブトが気遣うように振り返った。
「出来れば目立たぬよう、伏せておいて下さいね」
 気性穏やかな龍の首を撫でてさやかが頼めば、大人しく甲龍は羽をぴたりと身体へ寄せ、その場でうずくまる。
「ゼロさんは、もう中にいるのでしょうか‥‥」
「おそらくな。どういう仕事を頼まれたかは判らんが、うっかり乗り込んだら、こっちが斬られるかもしれん。ほら、掴まれ」
 さやかの問いに答えた崎倉は、龍の背へ手を差し伸べ、ぎゅっと猫又 クロを抱く奏音を降ろしてやった。
「禅〜、ありがと〜」
 礼を言う奏音の足元で、ずっと主に抱かれていた猫又が身体を一振りする。
 やれやれ、やっと解放される‥‥猫又としては、そんな心持ちかもしれない。
 小さな子供の扱いに馴れているのは、やはり日頃サラと一緒だからかなぁ、と。駿龍 扶風の鼻面を撫でつつ、岑はふと考えた。
「それでもし、こちらが斬られる事態になれば‥‥相手の思う壺に?」
「そうだな」
 問いを重ねるシエラへ、腕を組んだ崎倉が難しい顔をする。
「文から察するに、相手の狙いとしては『開拓者がゼロを討てば、万々歳』。もしゼロが開拓者を討てば、『同業を手にかけたゼロを捨て置くのか』とギルドを突き上げる事も考えられる」
「姑息な‥‥」
 きりと口唇を噛むシエラの様子に、心配してか駿龍 パトリシアがぐるぐる低く唸った。
 そして『同業を手にかける』という言葉を耳にして、急に岑の表情も険しくなる。
「それは絶対に、止めないとです! それにギルドの信用も、大切にしないと」
「もちろんだ。ますます、黒幕の鼻を明かしてやりたくなったよなぁ」
 にんまりと、どこか挑戦的な顔で喪越が語りかければ、身体に植物を根付かせる程に老いた甲龍は暢気にぶしゅんとクシャミを一つ。
「大事だってのに、なんか緊張感ねぇなぁ」
「そこが、鎧阿のいいところだからな!」
 胸を張った喪越へ生暖かい表情を返す統真が、視線を感じて背後を見やれば。
 じーっと見つめていた駿龍 鎗真と、目が合った。
「判ってるよ。面倒事だが、無茶はしねぇ」
 どこか心配そうな相棒へ統真が口を尖らせるが、まだ駿龍は納得していないらしい。
「で、空から見て、何か思いつきそうか?」
 本題を切り出す崎倉に、奏音以外の五人が顔を見合わせた。

「黒幕の目がある可能性。更に庵のゼロと話せないなら、ケンカが始まるまで待つしかねぇか」
 枯れ枝で土を引っかきながら、統真が眉をひそめる。
「それなりにやり合った痕跡も残ってねぇと、後で調べれたらバレそうだよな。どういう策で開拓者側が仕掛けるか、判らねぇのは難点だけどさ」
「そこはお任せ。『人魂』飛ばして、出方と様子を覗いてみよう」
「近付いて、どちらかにバレませんか?」
 心配そうな岑に、喪越が人差し指を振った。
「ソコはソレ。様子見だけなら、間近に行かなくていい訳だろ」
「ああ、なるほど。それもそうですね」
 納得した岑は、少しほっとした顔をする。
「あと龍達は目立つし、分散して待機が良さそうだなぁ。鎧阿は‥‥適当な場所で、森の一部のフリでもしてて貰うか?」
「確かに、馴染みそうですね」
 笑いながら甲龍を見やる喪越にシエラも小さく微笑み、それから雪のように真っ白な駿龍へ振り返った。
「パティは‥‥出来るだけ、遠くで待たせます。あと、話すチャンスがありそうなら、私がゼロさんを説得してみてもいいですか? 以前、依頼で会った事がありますので」
「そうですね。全然知らない相手より顔見知りの方が、少しでも話も聞いてくれそうです」
 シエラの申し出に、一も二もなくさやかはこくりと頷いた。
「それでも無理なら、俺と喪越がゼロを掻っ攫うかぁ」
 土を掻いていた枯れ枝を、パキンと統真が折る。
「では、これを。討伐の『証拠』になれば、いいんですけど」
 壊れた刀や符など、急いでさやかが用意したそれらを、統真はまとめて受け取った。
「判った。どさくさに紛れて、置いてくるか」
「禅〜?」
 ひとまずの策が決まり、あれこれ手筈を整える中、浮かない表情の崎倉に奏音が気付く。
「ん、ああ。真剣であればある程、途中で水を差すのは命がけだからな。どこで飛び込むか‥‥難しい」
「クロちゃん〜、閃光できるよ〜。ピカ〜! て〜まぶしいの〜。ね〜」
 呼びかける主に、真っ黒な毛並みの猫又は、途中で二又に分かれた尻尾をぱたりと振った。
 不承不承、頼まれるならしょうがない、といった感だろうか。
「そりゃあ、助かるな。頼めるか?」
「うん〜。あとは〜『暗影符』と〜『呪縛符』を〜、『え〜い♪』って〜はっしゃ〜なの〜」
 猫人形を片手に、奏音は奏音なりに考えていた事を、どこかのんびりした調子で説明する。
「よるで〜くらかったのが〜、きゅ〜に光って〜、こんどはまっくらになっちゃったら〜、ゼロも〜ちょっとは〜ビックリして〜、おとなしくなる〜かも?」
「そうだな。気勢を削(そ)ぐなら、驚かしの手が一番か」
「それなら、『大龍符』もあるな。後は何とか、状況で上手くやってやるかぁ」
 両手を振り上げて、長身の喪越が更に大きく伸びをする。
 他者の動きへ割り込むからには、相手が動かなければ手が出せない事も多々。状況次第で、対処するしかなかった。

 そうこうしている間に、短い冬の日は暮れる。
 夜に備えて行灯でも点けたか、庵からは人の気配を示す細い明かりが漏れていた。

●命の遣り取りの裏で
 集った開拓者達による『開拓者崩れ』の討伐は、陰陽師の『火炎獣』より始まった。
 式の放つ炎により、庵から火の手があがる。
 人魂の式を使って一部始終を見ていた喪越だが、今更ながら間近にいなかった事を心底幸運に思った。
 一体目の式が消える前に陰陽師は深手を負い、残った者達は手当てをし、あるいはゼロを探す。
 自分が潜む場所にまで捜索の目が向けられぬうちに、ひとまず喪越はその場を離れた。

「仕掛けたのか」
「様子は、どうでしたか?」
 ギリギリ、豆粒ほどに見える庵の様子と戻ってきた喪越に、気が気でない様子の統真と岑が同時に尋ねた。
「細かいところまでは、俺が見ていた位置からはよく判らねぇ。ただ式を仕掛けた陰陽師が、あっという間に倒されたらしい。ゼロは庵から飛び出して、どこに行ったか‥‥二人ほど、追いかけたようだが」
「ありがとう、助かります」
 手短に説明する陰陽師へ礼を告げ、シエラは崎倉を振り返る。
「庵を飛び出した今なら、ゼロさんと話が出来るかもしれません」
「判った。文は渡すが、無理はするなよ。話すだけの隙がないと思ったら、すぐに引いた方がいい。それこそ、話す前に斬られかねん」
 念を押した崎倉が取り出した文を預かり、少し離れてシエラは身を伏せた白い駿龍へ駆け寄った。
「お願いだから、戻って来るまで大人しくしていてね。パティ?」
 大丈夫だとは思いつつも言い含めて、彼女は夜の森へ走り出す。
 遠ざかる主の後ろ姿を、首を僅かにもたげた駿龍が心配そうに見送っていた。

「次に仕掛けてきた時が、ある意味で分かれ目か」
 腕を組み、唸る様に崎倉が考え込む。
「ゼロさんが? それとも‥‥」
 視線を投げた巫女へ、大きくひとつサムライは息を吐いた。
「どっちもだ。誰がどう、先に仕掛けるか。囲まれればゼロは不利だろうし、一対一なら逆になる。攻め手の力量にも寄るが、人数が減れば減るほど手に負えなくなるのは確実だ。場合によっては、癒しの手を随分と借りる事になるかもしれないが、構わんか?」
 攻め手の顔ぶれを考えれば、陰陽師が最初に倒れたなら、後は癒し手がいない。取り返しのつかない事になる可能性も、あった。
 腕組みをして確認する崎倉へ、さやかはにっこりと微笑んで「もちろんです」と即答する。
「どちらも死なせない為に、ここまで来たのですから」
「恩に着る」
 崎倉はひとつ目礼し、再び様子を探りに行く喪越を見守った。

 足を動かし、周囲を見回す間に、何をどう説明するか頭の隅で組み立てる。
 だが気が焦るせいか、上手い言葉は思いつかなかった。
 自分の語彙の少なさに、シエラは一人、歯噛みする。
 炎と自分の位置に気をつけながら、木々の間を抜けていくと。
 庵へ向かって、ゆっくりと歩を進める影が視界に入った。
 一瞬、身を強張らせて警戒するものの、探していた姿にほっとして、声をかけようとするが。
 勘――のようなものが、彼女の足を鈍らせた。
 剥き身の朱刀を提げたサムライはじっと、庵を燃やす炎が浮かびかがらせる小柄な人影を見据える。
 アヤカシと対峙した時とは全く違う、『ひとごろし』の目で。
 歩調は徐々に早くなり、やがて影は駆け去った。
 その姿が遠くなってから大きく息を吐き、始めてシエラは自分が息を詰めていた事に気付く。
 同時に短い邂逅の機会をふいにした事にも気付いて、動けなかった己を悔いたが。
 ‥‥彼女の勘は、怖ろしく正しかった。

 そして悲鳴が、森の静寂を裂く。

 聞き覚えのある声に、さっと岑の顔色が変わった。
 思わず落ち葉を蹴って駆けた少年の後を、崎倉がすぐに追う。
 腕を掴まれると引っ張って捻られ、身体が一瞬だけ宙に浮かび。
 次の瞬間、岑は地面に伏していた。
 掴まれた腕は後ろに捻られ、肩の辺りをぐいと押さえられている。
「今は、堪えろっ」
 低く抑えた声だが、強い制止。
「お前もだ、統真」
「でもな‥‥!」
 拳を握った統真が反論するが、あくまで崎倉は首を左右に振る。
「判っている。だが、みすみす斬られに行くなら、昏倒させてでも止めるぞ」
 悔しげな表情で統真は口唇を噛み、爪が手の平へきつく喰い込んだ。
 主達の様子に駿龍達も色めき立つが、離れた位置の甲龍が警戒の唸り声を発している。
 肩越しにそれを見て崎倉は手を離し、岑へ手を差し出した。
「手荒にして、すまなかった」
 だが手を借りずに岑は立ち上がり、むっとした表情のまま土と落ち葉を払う。
 その様子を見て、何故か崎倉は小さな笑みを浮かべた。
「何ですか」
「いや、若いなぁと思ってな」
 崎倉としては好ましいという意味合いだったのだが、やはり岑は不機嫌そうなままで。
「に〜」
「大丈夫ですよ。喧嘩している訳では、ありませんから」
 不安げな奏音の頭をそっと撫でて、さやかが慰める。
 しかし崎倉へ向ける視線の色は、統真や岑と同じだった。
「‥‥ん? 何か、険悪中?」
 戻ってきた喪越が、場の空気にきょろきょろと残っていた者達を見回す。
「いや、揉め事は終わった。あっちはどうなった」
「ああ、女の子二人が‥‥まだ、仕掛けないのか?」
 みなまで言わずに言葉を濁し、喪越もまた仕掛ける時を聞いた。
 その様子に何があったかを察した少年二人も、崎倉を睨む。
「すみません。私がゼロさんを見つけておきながら、声をかけられなかったから‥‥」
 背後からの張りつめた声に、男達が振り返った。
 ぎゅっと目を瞑ったシエラはつかつかと崎倉へ歩み寄り、決意の瞳で相手を見上げる。
「止めるのが難しいなら、私が止めに行きます」
「いや、一対三なら十分だ。攻め手の負傷者も気になるし、仕事を始めよう」
「やっとだな。向こうは強そうなの二人と、弓術師が残ってる」
 残った攻め手の顔ぶれを喪越が告げれば、緊張した表情で仲間達は頷いた。

●夜の先
 直接その光景を目にした途端、背筋に冷たいものが張り付いた。
 近距離で対峙する三者と、離れた場所で隙を窺う者が一人。
 刃がかすめた傷か、いずれも浅い傷を身体のあちこちに刻んでいる。
 だがそれらすら、本人達の意識にないのだろう。
 喪越と統真、奏音の三人は、無言で視線を交わして頷く。
 仕掛けるタイミングを、注意深く窺っていれば。
 斬り結んでいた者達が、ぱっと左右へ離れた。
「今だ、鎧阿!」
「行け、鎗真!」
 主に応じ、甲龍と駿龍が揃って駆ける。
 術が届く距離に入った瞬間、すかさず喪越が『大龍符』を放った。
「新手!?」
 突如現れた巨大な龍に、対峙する者達は一瞬気を削がれ。
「クロちゃん〜、おねがい〜」
 直後、統真に支えられた奏音の手から猫又が飛び出す。
 駆けたケモノは、攻め手へ次々と『閃光』を放ち。
 同時に奏音は黒い外套を翻し、隷役で強化した暗影符をゼロへ打つ。
 そして統真と喪越が身を乗り出し、腕を掴んだ。
「くそっ、ズラかるぜぇぇぇーっ!」
 半分本気で、喪越が叫び
「えぇと、ナンだ。少なくても、確実な実入りが大事ってヤツか!?」
 続いて統真も辺りに聞こえるよう、『ソレっぽい捨て台詞』を声高に吐く。
「何しやがっ‥‥くそ、そこのてめぇら二人、名前教えやがれ!」
 わめくゼロを引きずる様に――実際、重いので少々引きずる事となったが――一団は場を後にした。
 迅速に、さながら辻風の如く。

「さやかさん!」
 崎倉と共に事情説明へ向かったシエラが、さやかの名を呼んで駆け戻る。
「攻め手の人達が、酷い怪我なんです。手当てしてもらえますか!?」
「庵ですね」
 息を整えながらの説明に、状況を聞いていたさやかは事態を察し。
「カブト、急いでお願いします」
 自分が走るよりもと、甲龍の背を借りた。
 間に合うよう願いながら、急ぎ向かう姿をシエラは見送っていると。
 入れ替わりで、ゼロを『確保』した者達が戻ってくる。
 だがその様子は、尋常ではなかった。

「落ち着け! 落ち着いて、俺達の話を聞けって!」
 訴える統真へ向けられる、朱の切っ先。
 真剣勝負の途中でさらった事で、まだ滾(たぎ)りが治まらぬのか。
 負った傷より血を流し、流しながら、ゼロは統真より視線を外さない。
「だめなの〜ゼロだめなの〜!」
 危険も顧みずに奏音が足へしがみつき、止めようとしていた。
「良い勝負を邪魔したらブーたれるとは思ったが、それ以上だな」
 咄嗟に、喪越が手を翻し。
 止める泰拳士へ刃が振り下ろされる前に、呪縛符で動きを鈍らせる。
「落ち着いて、話を‥‥」
 その隙に朱刀を振るえぬ懐へ、一気に統真が踏み込み。
「聞けってのっ!」
 身を捻って、裏拳で殴り飛ばした。
 思わず奏音が手を離して身を竦め、他愛もなくゼロは吹っ飛ぶ。
 受け身も取らずに転がってから、即座に跳ね起き。
「ゼロさん、駄目ですっ!」
「聞こえてるか、ゼロ!?」
 止めようするシエラと駆け戻った崎倉が近付けば、刀を大きく振り回した。
 人同士の争いに、龍達もさすがに手が出せず。
 結局、さやかを除いた六人がかりで押さえ込んで、ようやくゼロは止まった。

   ○

「‥‥面倒かけて、すまなかった」
 土の上に座り込んだ『騒動の原因』は、事情を聞くと神妙な面持ちで謝罪した。
「誰も命にかかわる大事にならなくて、よかったです」
 仲間の手当てをしながら、さやかがほっと胸を撫で下ろす。
 ただ攻め手には傷の深い者もいて、気が気でない岑が崎倉と『足』を探しに行っていた。
「そうだ。これを渡しておくぜ、アミーゴ」
 ひらりと喪越がゼロの前に出したのは、使い込んだ一枚の符。
「これをそっちの依頼の討伐の証にして、後金を受け取って貰えりゃ、金の問題も解決するだろ?」
「いや、それは‥‥」
「気にするなって。にしても、黒幕はどこのどいつなんだか。まぁ、また仕掛けてくるようなら、その時も遊んでやるさ。世の中、そう上手くはいかねぇって事を教えてやるぜ」
 否応なく符を懐へ突っ込みながら気楽に話す喪越へ、ゼロは「頼もしいモンだ」と苦笑を浮かべ。
 そのまま身体が傾いで、ばったりと倒れ込む。
「ゼロさん!」
 慌てて助け起こしたシエラの耳に、小さく「すまねぇ」と再びの謝罪が届いた。
 意識のないまま零(こぼ)れた言葉が、誰に向けられたものか判らないが。
 宥める様に軽く肩に手を置いて、シエラは目を伏せる。

 一行が神楽への帰路につく頃には、既に東の空が白み始めていた。