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■オープニング本文 ●決意の報告 「そうか。開拓者となって、神楽へ行くか」 しみじみと呟く壮年の男に、後ろで緩く一つに束ねた髪を揺らして弓削乙矢(ゆげ・おとや)が頷いた。 「うん。だから、弓の事をお師匠様に頼もうと思って」 「良いのか? あれは、弓削家の宝であろう」 「そうだけど‥‥腕が未熟な私じゃあ弓に引かれるだけになって、あの弓は引けないし。落ち着くまでは、ちゃんとした手入れだって出来るかどうか判らないから」 砕けた口調で答えて乙矢は苦笑し、温かい茶を口へ運ぶ。 「だがな。使えんとしても、やはり弓削の弓は弓削の者の手元にあった方がいい。それが枷となるのは親父さん達の本意ではないだろうが、その方が弓削家を見守ってきた者達は安堵するからな。開拓者となっても、弓矢師は止めぬのだろう?」 父の友人だったという師匠の問いに、乙矢は小さく首肯した。 「それは、そのつもり。私には弓しかないから」 その仕草を見守る男は、やれやれと一つ嘆息した。 「お前さんは親父さんに似て、筋がいい。弓削の技が絶えるかとヤキモキしていた連中も、ようやく大人しくなったところだ。そうか‥‥神楽に行けば、そういう連中の顔も見ずにすむか」 納得顔で唸る相手に、ころころと乙矢は屈託なく笑う。 「心配してもらえるのは、有難いです。でも、ちょっと意外かも」 「意外とな?」 「お師匠様には、絶対反対されると思ってたから。父さんが遺した弓から技を継ぐ事に、専心しろって」 目を伏せた弟子の言葉に、壮年の男がふんと鼻を鳴らした。 「弓の引き方を知らぬ弓師では、良い弓は作れぬ。同じように矢の飛び方を知らぬ矢師にも、良い矢は作れぬ。弓術師としての腕を上げる修行のつもりで、行けばよい。後の雑事は年寄りに任せてな」 「お師匠様は、またそうやって年寄りぶる。まだ、そんな年じゃあないんだから」 笑いながら乙矢は茶菓子の饅頭を齧り、彼女の師匠も茶を啜る。 互いに血の繋がりは一滴もないが、家族と過ごすような、何の遠慮もない時間だった。 神楽に行けば、こんな時間を過ごす機会はしばらくない。 「せっかくだから、晩飯を食っていくといい。あいつも今日はそのつもりで、腕を振るっておる筈だ」 先程から漂う良い香りの源である台所へ、ちらりと男は視線を投げた。 久し振りに訪問した娘の様な弟子のために、彼の妻は腕によりをかけているのだろう。 「お言葉に甘えます。それから、弓は‥‥神楽へ持って行くね」 「そうするといい。たまの『里帰り』も、忘れぬようにな」 「うん」 頷いて、乙矢は父の様な師の気遣いに甘えた。 「お世話になりました。それでは、行って参ります」 深々と乙矢は頭を下げ、門まで送りに出た師匠夫婦へ一礼する。 「くれぐれも、身体を壊さぬようにな。落ち着いたら一度、文を送ってこい」 「はい、必ず」 快く答え、踵を返して旅立つ弟子の背を、師はじっと見送った。 「心配なんですか?」 様子に気付いて尋ねる妻へ、腕を組んだ男は嘆息する。 「神楽の都は、華やかな街だ。だが乙矢は幼い頃から弓の事ばかりで、都で暮らした事も年頃の女子らしい心得も、ほとんどない。心配するなという方が、無理であろう」 旧友の娘の行く末を懸念し、すっかり父親の顔をした夫に、くすりと妻は小さく笑った。 ●いきなり前途多難 開拓者になると、一つの決まり事が課せられる。 それは即ち、「開拓者ギルドの拠点がある神楽の都へ、居を構えなければならない」事。 開拓者の中には根無し草のように旅をする者もいるが、いずれも神楽には『帰るべき家』があり、決まり事に従って、時おりにでも戻らなければならなかった。 「神楽には宿も多く、ピンからキリまでありますよ。住む場所が決まるまで、そちらへ逗留する事も出来ます。出費を控えたければ、長屋を借りるという選択もありますけど」 慣れた風に説明するギルドの係に、乙矢は困った表情で考え込む。 居職(いじょく:自宅で仕事をする職業)である身と、開拓者の暮らし。 その両立を考えれば、まず真っ先に宿暮らしが選択から外れた。 作業を行う場所も、環境を鑑みて選定せねばならず。 ならば、最初は身軽な方がいい。 「‥‥今は長屋が、妥当でしょうか」 「そうですねぇ‥‥神楽に明るくなく、縁者の方がいないのでしたら。住人に開拓者が多い長屋もありますから、少しづつ慣れていけばいいですよ」 要望を聞いた係は、幾つかの長屋を紹介した。 「後は、朋友‥‥ですね。奏生のギルドでの希望は通っていますので、港まで顔を見に行ってあげて下さい」 色々とやらねばならぬ事、一つ一つを乙矢はじっと注意深く聞いて。 全ての用が終わると、礼を告げて神楽のギルドを出る。 送り出した係は、仕事が一件片付いたと、ひと息ついた。 が、四半時(30分間)ほどして、紹介した長屋へ向かったはずの乙矢が戻ってくる。 「あれ、道に迷いました?」 気付いた係が聞けば、顔色のすぐれない弓術師は首を左右に振った。 「いえ、あの‥‥神楽って、本当に人が多いんですね」 「もしかして‥‥人ごみに、酔ったんですか」 具合の悪そうな様子に尋ねれば、困った表情で乙矢は首肯する。 「すみません、少しだけ休ませて下さい。それから‥‥一つ、お願いが。開拓者の方に、神楽の中の案内を頼むというのは出来ますか? お恥ずかしい話、これだけ人が多い見知らぬ土地に、長居した事がなくて‥‥」 「はい、依頼料さえいただければ幾らでも。でも今日は、自分で宿へ辿り着いて下さいね」 明るいが、ある意味で容赦のない一言に、頷きながら乙矢は深く息を吐いた。 |
■参加者一覧
櫻庭 貴臣(ia0077)
18歳・男・巫
神凪 蒼司(ia0122)
19歳・男・志
葛城雪那(ia0702)
19歳・男・志
御剣・蓮(ia0928)
24歳・女・巫
胡蝶(ia1199)
19歳・女・陰
八十神 蔵人(ia1422)
24歳・男・サ
鈴 (ia2835)
13歳・男・志
木下 鈴菜(ia7615)
17歳・女・弓 |
■リプレイ本文 ●待合せはギルドで 「全く。開拓者に道案内を依頼する、開拓者とはね」 肩にかかる髪を背中へ払い、呆れ顔で胡蝶(ia1199)が嘆息した。 それから開拓者ギルドの待ち合い場所に腰掛けた弓削乙矢へ、青い瞳を向ける。 「見覚えのある名前だと思ったから、やっぱり見覚えのある顔だし‥‥ま、私も他所から来た身だからね」 「あの、もしかして‥‥心配、されて?」 「するわけないでしょ。暇潰しに、付き合うだけよ」 ぴしゃりと胡蝶が反論すれば、からからと笑い声が起きる。 「旦那様、笑っちゃ失礼ですよ」 面白そうに笑う八十神 蔵人(ia1422)を、子供を一回り小さくしたような少女が咎めていた。 「いや、悪かった。二人は、顔見知りなんか‥‥」 「理穴の合戦のごたごたで、知り合いになっただけよ」 「はい。その節は村の者共々、大変お世話になりました」 つぃと胡蝶は顎を上げ、反対に深々と乙矢が頭を下げる。 「初めまして乙矢さん、本日のご案内を承りました雪華です。ささ、旦那様も‥‥」 「ほい、蔵人やでー。相方、人妖の雪華と、一つ神楽案内に腕をふるぅたるわ」 「俺‥‥人妖って、始めて見たかも」 思わず感心してマジマジと人妖を見たものの、何故か妙な気がして葛城雪那(ia0702)は視線を外した。 相手は人ではなく人妖、どちらかと言えば式やアヤカシに近い存在だ。礼儀を損ねるも何もないが、それでも人の形をして人の言葉を話す相手となれば、やはり何か勝手が違う。 「つい最近、新しい朋友との契約許可が出ましたしね」 気を利かせたギルドの係が出した茶を手に御剣・蓮(ia0928)が説明すれば、隣で 鈴 (ia2835)がこくりと頷き、髪へ飾った鈴がチリンと小さく鳴った。 湯気の漂う湯呑みを手に、何事かを思案していた鈴だが。 「あの‥‥乙矢さんを案内をする前に、先に港へ寄ってもらっても、いいですか?」 遠慮がちに、でも思い切って尋ねてみる。 「別に、コレって順番とか決めてへんしな。俺は構わんけど」 「そうですね。何か、御用が?」 快諾する蔵人に続いて首肯した蓮は、純粋な疑問を口にした。 「えっと、その‥‥俺も新しいコと、今日初めて会うので‥‥出来れば、一緒に神楽を案内したいなって」 「それは、楽しみですね。こちらこそ、ぜひご一緒させて下さい」 目を輝かせる乙矢に、再びチリンと鈴の音が答える。 「ご一緒も何も、きみが依頼者なんやから、来んと話にならんて」 くつくつとまた蔵人が笑い、その後ろでは目元を袖で拭う人妖が一匹(?)。 「新参者を導くのも熟練者の義務‥‥ああ、旦那様にも開拓者としての自覚が‥‥雪華、感動です!」 「ん? 熟練も何も、街案内するだけでこんなに銭くれんの? ‥‥て感じやッたんやけど、わし」 アヤカシの様な振る舞いをするものもあれば、多少我が侭であったり変わり者が多いと言われる人妖だが、雪華もまた随分と違った方向に変わっている‥‥ようだ。 話には加わらないが、面白そうにやり取りを聞いていた木下 鈴菜(ia7615)が、くすと笑いながら足元に伏せた忍犬を撫でた。 大人しく撫でられていた忍犬は、不意に耳を動かし、扉の方へ顔を上げる。 直後、ギルドの扉が開いた。 「わ、もう他の人、集まってるよ。蒼ちゃんがのんびりしてるから」 「だから、『蒼ちゃん』はよせと言っているだろう。」 振り返った櫻庭 貴臣(ia0077)の後から、やや溜め息混じりに答えながら神凪 蒼司(ia0122)が現れる。 「それに、待ち合わせの刻限には遅れていない筈だ」 「はい。こちらが随分と、早く来てしまっただけですので‥‥今日はよろしくお願い致します」 椅子から立ち上がった乙矢が深々とお辞儀をすれば、蒼司は意味ありげに貴臣を見やった。 「そうだけど‥‥」 言い返せずに言葉を濁した貴臣は、とりあえず『依頼人』へ小さく会釈をする。 「こちらこそ、よろしくです」 「此処(こちら)も、未だに勝手が判らない身だ。神楽の案内というより、貴臣と共に同行させてもらう感じになるが、構わないか?」 「はい。喜んで」 念の為に断りを入れる蒼司へ乙矢は頷き、即答した。 「よく考えたら、必要な物を買う以外であんまり都を見てないなぁ‥‥これを機に、俺も一緒に都を覚えよう♪」 楽しげに、雪那が勢いをつけて立ち上がる。 「では、皆様が揃ったところで参りましょうか。時間が限られたご依頼でもありませんし、ゆるゆると神楽をご案内しますね」 切り出した蓮は、ギルドの係へ短く茶の礼を告げた。 連れ立ってギルドから出る前に、すぃと胡蝶は乙矢へ手を差し出す。 「そういえば、こないだはろくに挨拶も出来なかったけど‥‥胡蝶よ」 一瞬きょとんとした乙矢だが、遅れて意味を悟ったか、両手で差し出された手を握り返した。 「乙矢です。よろしくお願いします、胡蝶殿」 ●友と呼ばれる存在 一行はまず最初へ港へ立ち寄ると、鈴が手続きを行う間に各々の龍の元へ顔を軽く顔を出してやる。 今回、始めて自分の龍と顔をあわせる蓮は、乙矢と共に今は少し離れてその様子を眺めた。 「弓削様はもう、龍の名前を決められたのですか?」 「いえ、お恥ずかしながらまだ。御剣殿は決めているのですか?」 真剣に悩みながら乙矢が問い返せば、銀の髪を揺らして蓮は頷き。 「はい。でも今は、内緒です」 人差し指を口唇へ当てて、くすりと微笑んだ。 「えっと‥‥元気にしてた?」 どう声をかけようか迷った末に貴臣が尋ねれば、駿龍はじっと彼を見つめ。 それから柵へ顎を乗せるように、ひょいと主へ顔を近づけた。 「え、あっと、何? どーしよ‥‥」 「撫でてやったらどうだ?」 駿龍の反応に一瞬うろたえた貴臣へ、見かねて蒼司が助言する。 「撫でて、いいのかな?」 まだ戸惑い気味の幼馴染に、振り返った蒼司は自分の炎龍へ手を伸ばした。 龍の中でも炎龍は気性が荒い傾向にあるが、自分の主と認めた相手だからか。鼻先辺りを軽く叩いて撫でてやれば、答えるように低い喉の奥を鳴らす。 「犬とか猫の相方もいるんだから、あんまり変わらないだろ」 「同じで、いいのかなぁ」 困った風に貴臣は笑ってから、駿龍の頭を撫でてやった。 ぎこちない主を気遣ってか、大人しく龍は細い指に撫でられている。 「街中へ連れて行ってやれなくて、ゴメン。身体が大きいし、誰かの何より迷惑になったら、君にも悪い気がするから‥‥」 「まぁ、ここに来ればいつでも会える。それにある程度は懐いてもらわないと、いざという時に困る」 「うん。蒼ちゃんも、一緒なら」 「‥‥仕方ないな」 大きく嘆息しながら蒼司が答えると、途端に貴臣は笑顔を浮かべる。 どちらかと言えば「仕方ない」のは、『蒼ちゃん』と呼ばれる事に関してなのだが‥‥あえて蒼司は訂正せず、炎龍の頭をもう一度撫でてやった。 紅くて真ん丸い姿をした「ソレ」は、ふわふわと宙を浮いていた。 二つの目があり、その上に一本の角があり、聞けば口もちゃんとあるらしい。そして何より身体には火炎をまとい、時おり吹く様に揺らめかせる。『鬼火玉』と呼ばれるソレは、石鏡の湖周辺によく現れるケモノの一種だ。 「‥‥えと」 じーっと自分を見つめる瞳に、鈴は言葉を迷った。 初めて顔を合わせた新しい朋友へ、まず何を言えばいいのか‥‥挨拶からすればいいのか、それとも自己紹介か、考えてきた名前は気に入ってくれるか‥‥そんな事をぐるぐると考えていると、ますます混乱してきて。 「ど‥‥どう、しましょう?」 「私に聞くの?」 不安げな鈴から視線を向けられた胡蝶は、肩を落として苦笑を返した。揃った顔ぶれの中では、一緒に依頼を受けた事のある彼女が一番聞きやすい相手なのだろう。 「ま、いいけどね。人と同じで、構わないんじゃないかしら」 睨めっこをしていても埒(らち)があかないので、とりあえず胡蝶は無難な助言を投げてみた。 こくりと小さく鈴は首を縦に振り、深呼吸をしてから鬼火玉へ向き直る。 「俺は鈴、です‥‥。えっと、『火鈴』って呼んでも‥‥いいですか?」 思い切って話しかければ、数秒の沈黙があり。 ぼふんっと鬼火玉の丸い身体が一瞬膨れ、同時にまとう炎が勢いを増した。 「お、怒った‥‥っ? その反応に慌てた鈴だが、今度はぷしゅんとしぼんでしまう鬼火玉。 「怒っては、いないみたいだね」 とりあえず問題なさそうな様子に、見守っていた雪那が我が事に様にほっと安堵の息をつく。 恐る恐る鈴が手を伸ばしてみれば、火鈴がまとう炎から熱は感じられなかった。どうやら、普通の炎とは違うようだ。 「熱くない‥‥」 「鬼火玉なるケモノの事は、少しですが聞いた覚えがあります」 記憶を辿るように考え込む乙矢を、鈴が見上げる。 「‥‥知ってる?」 「はい。その炎は普通の火と違って熱がなく、燃え移りもせず。暗い場所では煌々(こうこう)と照り、時には炎そのものを収める事も出来る‥‥とか」 「へぇ、意外と器用なんやな。暖は取れんが、ロウソク要らずか」 「旦那様、ロウソクと同列は‥‥ちょっと‥‥」 乙矢の説明に蔵人が変な方向で感心し、懐中の人妖が脱力した。 「また先程のように身体を膨らませたり、逆にしぼんだりする『仕草』ですが。犬が喜ぶと尾を振り、怒られれば尾を隠すのと同じような、感情表現でもあるみたいですよ」 鈴菜の足元にいる忍犬を見ながら、乙矢が付け加える。 「では、名前を気に入ってくれたのでしょう。よかったですね、鈴様」 微笑む蓮に少し照れながら、小さく鈴は頷いた。 ●神楽巡り 神楽の都でも、市場や飯屋のある区画は特に賑やかだ。 日常的に使う物や衣服や身を飾る装飾品、目を楽しませる品々が並び、あちこちから威勢のよい売り込み、呼び込みの声が飛び交っている。 また別の場所では、腹の虫を起こすような旨そうな香りが、通りがかる者達を誘った。 「ここは、やはり人が多いですね‥‥」 行き交う人の流れが絶えない光景を見るだけで、既に乙矢の言葉に微妙な疲労感が漂っている。 「確かに、いつきても市場の辺りは凄い活気だよね」 立ち並ぶ店屋や露天を珍しそうに眺めながら、人の流れに合わせて貴臣は歩き。 不意に彼の袖が、軽く引っ張っられた。 「あれ、蒼ちゃん?」 「こっちだ、はぐれるぞ」 気にかけていたのか、人に流されそうな貴臣を蒼司が捕まえている。 「ありがとう、蒼ちゃん!」 立ち止まっていた同行者達へ貴臣が追いつけば、傍らでやれやれと幼馴染は苦笑した。 「まったく。少し目を離したら、これだからな」 「弓削さんも迷子に気をつけて。もし疲れてきたら、遠慮なく言う事」 「判りました。お気遣い、ありがとうございます」 すぐ隣を歩く雪那が言い含め、神妙に乙矢も頷く。 「といっても、俺もここに来て半年か。早かったなぁ‥‥」 ふと雪那はしみじみと思い返し、改めて街を眺めた。 「失礼ですが、葛城殿は何処(いずこ)から神楽へ?」 「ん? 北面の田舎だよ。ずーっと、人里離れた場所。だから俺も初めて神楽に来た時は、びっくりしたなぁ」 たった半年ほど前の事ながら、緑の瞳を細めて懐かしげに北面の志士は語る。 「いずれ私も、今を懐かしく思う機会がくるのでしょうか‥‥と、すみません」 ぎこちなく乙矢は人を避け、後ろで蓮がくすと笑った。 「まずは、人の多さに慣れなければいけませんね」 「全くです」 異論なく弓術師は嘆息し、ぽむと雪那が手を打った。 「あ、そうそう。俺も、皆に紹介したい所があるんだ。行きつけの蕎麦屋なんだけど、あそこのうまいんだ〜♪」 「ふむ‥‥甘味の店では、ないのか」 やや残念そうな蒼司の様子に、はてと貴臣は小首を傾げる。 「蕎麦屋なら、そば饅頭や蕎麦ぼうろを売ってるかもしれないよ?」 蕎麦屋も店によっては蕎麦粉を使った甘味も作り、一緒に売る事がある。また蕎麦が旨ければ、軽く蕎麦を素揚げした物も、茶請けとして中々に旨い。 「ああ。やっていればいいがな」 淡い期待を蒼司が貴臣へ呟き、一行は雪那の案内で蕎麦屋に向かった。 ○ 蕎麦屋で適度に腹が満ちて、落ち着いた後。 都の簡単な地図を片手に、胡蝶や蔵人‥‥もとい人妖雪華が、開拓者と関わり深い場所を案内する。 「まずはやっぱり、万商店ですね!」 「開拓者向けの装備なんかを、扱う店よ。店頭には必要な物が最低限、揃ってるわ。これも、そうね」 雪華の言葉に続き、店に並んだ商品と同じ呪殺符を懐から胡蝶が出してみせた。 ただ違うのは、胡蝶の持つ符の方が、それなりに『使い込まれて』いる点か。 「ほらほら。乙矢さんでしたら、こちらの弓「朏」とか、どうでしょう?」 すっかり売り込みに回っている人妖へ、はふと胡蝶は髪を揺らし、溜め息をひとつ。 「アヤカシと戦うなら必須だけど、財布とは相談しなさい」 「そうですね」 それなりに高い品々に、乙矢は苦笑を返した。 ひっきりなしに開拓者が出入りする万商店だが、店先では何故か鍋の蓋が山盛りで捨てられていたりもする。 「あれは?」 「クジの景品ね。アレはさすがに、ココでも買い取らないのよ」 物珍しそうに乙矢が鍋蓋の山を指差せば、胡蝶が恨めしそうに店番の陰陽師を見やった。 「なるほど」 「あ、その『特別』とか書いてるクジは、触れたらあかんっ」 近づいて景品表を眺める乙矢を、何故か慌てた風に蔵人が引き離す。 「ダメ、なのですか?」 「運が悪いと、変なモノに取り憑かれるねん!」 「何の事です、旦那様!?」 きょとんとした相手に蔵人は真剣な表情で説明し、彼の後ろで当の変なモノが問い詰めた。 次に『案内役』は、鍛冶と修練場へ向かう。 「修練所は技、鍛冶は武器を鍛える場所ね」 「別名、廃人精製所やな」 実に判りやすい蔵人の説明に、生暖かい表情を浮かべる胡蝶。 「‥‥灰?」 「ほれ、今日もまた限界を目指して燃え尽きた屍が、そこらに‥‥」 蔵人が隅っこを示せば、真っ白になった数人が壁に向かって座り込み、足元のくず鉄を転がしている。 「‥‥大事な武器を預ける際は、慎重に考える事ね」 「わ、判りました」 胡蝶の忠告に、乙矢も深く問う事を控えた。 「後は、拠点かしらね。駆け出しの開拓者が集う拠点もあるから、知っておくと便利よ」 いろんな意味で熱気の満ちた鍛冶を離れると、歩きながら胡蝶が付け加える。 「確か開拓者同士で共有する住まいや、行きつけの場所があるのですよね。以前依頼を受けていただいた方から、少しだけお話を窺いました」 「私も、小さい庵を借り受けてるわ。大所帯は馴染めなくてね」 懐を探った胡蝶は、符ではなく一枚の折った紙を差し出した。 「まあ、近くを通る機会があれば探してみなさい」 「はい。有難うございます」 礼を告げて受け取った紙を、大事そうに乙矢は懐へ仕舞う。 「ま、最初は出来そうな依頼を頑張って金貯めて、装備とか整えたらええ。初っ端からえらいのに挑戦する輩もおるけど、わしはあんまりお勧めせんわ」 「死んでしまえば、そこで終わりですからねっ」 苦笑する蔵人に、懐の人妖がこくりと頷き。 「そう、ですね。私も簡単に死ぬ訳には、参りませんから」 小さな乙矢の言葉は、どこか弦の如くピンと張り詰めたものがあった。 「さて‥‥改めて、相棒の顔を見に行かないと、いけないわね」 一通りを回ったところで、胡蝶が港の方向を見やった。 「では、こちらはのんびりと近くの原へ向かっていますね」 忍犬を連れた鈴菜が告げ、ぺこりと鈴が軽く頭を下げる。 「火鈴と、待ってます、ので‥‥」 新しい相棒もだいぶ少年に慣れたのか、笑顔を向けた鈴へ鬼火玉がふわりと寄り添った。 ●冬枯れの原 神楽の近くにある野っ原は、距離的にも広さ的にも、開拓者が羽を伸ばすのに都合のよい場所だ。 空の一点から現れた四体の駿龍は、あっというまに近づいてきて。 「皆お揃いなんか、奇遇やな」 面白そうに蔵人らが見守る中、羽を打ち、枯れ草ばかりの原へ着地した。 「花ちゃん、ありがとう!」 その背中から、ひらと降り立った雪那が龍をねぎらう。 「‥‥花ちゃん?」 「うん、『花子』。俺は花ちゃんって呼んでるけどね。よろしくしてあげてくれると、俺も嬉しい」 小首を傾げて見上げる鈴に、雪那は笑って駿龍花子を紹介した。 「そういえば御剣殿の龍の名は‥‥やはり、内緒ですか?」 苦笑しながら乙矢が尋ねれば、ゆるりと蓮は銀髪を揺らす。 「いいえ。この子も、名を気に入ってくれたようですので‥‥『藍』と、いいます」 首筋を蓮が撫でてやれば、翼をたたんだ駿龍藍はそっと顔を寄せた。 「藍殿‥‥いい名ですね」 「ありがとうございます。弓削様の方は、決まりましたか?」 礼と共に聞き返せば、乙矢は迷うように自分の龍を見やる。 「‥‥はや‥‥」 じっと自分を見る龍をじっと見つめながら、ぽつりと呟いて。 「はや?」 「あ、いいえっ。その、『疾風』にしようかと!」 問うように蓮が言葉を繰り返せば、何故か慌てた乙矢は全力で言い直した。 「そんな力いっぱい言わなくても、聞こえてるわよ」 呆れた風の胡蝶だったが、周りの視線を感じて怪訝な顔をする。 「‥‥何?」 「うん、胡蝶の駿龍の名前は?」 話の流れからいえば、聞かれるのは当然だった。 腕を組み、ぐぃと顎を上げて、陰陽師は龍へ目をやる。 「ポチよ」 「「「‥‥」」」 「何よ、揃って怪訝な顔して」 どう答えるか迷った表情を浮かべる者達を、キッと胡蝶が睨んだ。 「普通の名前じゃないっ」 「うん、普通だね」 「普通ですね」 口々に納得する者達に、むっと胡蝶は口を結び。 「乙矢。同じ種の龍同士、その翼、試してみるわよ!」 「あ、俺も混ざっていい? せっかくだから、花ちゃんと空を飛びたいしっ」 頬を膨らませ、大股で龍へ歩いていく胡蝶の後に、雪那と乙矢がついて行く。 「不安と警戒は当然、今はそれで良いわ‥‥お互いにね」 鞍に腰を落ち着けた胡蝶が手を伸ばして背中を撫でれば、答えるように駿龍ポチが大きく翼を広げ、ひと打ちした。 「元気やなー、皆」 次々と飛び立つ三体の駿龍に、笑いながら額に手をかざして蔵人が見送り、髪をおさえた蓮は座ったままの藍を撫でてやる。 「‥‥これから貴方を、危険な目に遭わせる事もあるでしょう。でも私を信じて、ついてきて下さい」 静かに低く、駿龍は唸り声をあげ。 「火鈴も、よろしくね‥‥」 鈴が言葉をかければ、鬼火玉は威勢を示すように勢いよく炎を揺らめかせた。 やがて寂しい野っ原に、笛の音が響く。 友人と他愛のない話をする者達も、朋友とひと時を過ごす者達も、ひとっ飛びして戻ってきた者達も、しばし蓮の奏でる笛に耳を傾けていた。 ○ 「今日は、本当にありがとうございました」 仮住まいの長屋まで送った者達へ、深々と乙矢が頭を下げる。 「こちらこそ、お疲れ様」 「また、依頼なんかで会ったらよろしくね」 一日を付き合った者達は手を振り、別れを告げ。 そして最後まで残っていた蓮が、そっと切り出した。 「弓削様、夜の酒場をご案内できますが‥‥もし興味があれば、お連れしましょうか? 今日はお疲れでしょうし、無理にとは申しませんが」 「酒場、ですか」 「楽師の真似事で稼いでる関係上、色々な酒場は詳しいのです。もし情報を集める必要が出た際に‥‥玉石混交とはいえ、一番に可能性の高いところですから。酒が呑める必要はありませんし、知っておくのは悪くないですよ」 「そうですね。慣れている方がいた方が‥‥ご迷惑でなければ、お願いします」 少し迷っていた乙矢だが真剣で頼み、こくりと蓮は頷いた。 とはいえ、蓮もいきなり怪しげな店へ連れて行く訳でもなく。 それなりの店で乙矢へ雰囲気を伝えながら、二人で酒を酌み交わす。 ‥‥が、昼間の疲れと、酒の席に慣れた蓮に乙矢がついていける筈もなく。 すっかり潰れた乙矢を蓮が長屋へ連れて帰ったのは、明け方近くになってからだった。 |