【負炎】九十九の坂の先
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/12/10 19:43



■オープニング本文

●森に澱(よど)む怨嗟
 川一本を隔てた森の中は、虫の声すらない静寂の世界だった。
 不気味なほどの、音の闇。
 それを突如、一つの雄たけびが破る。
 怒りの様な恨みの様な、怨嗟の声は長々と尾を引いた。
 空を仰げば浮かぶ月は細く、頼りない僅かな光でその姿を窺うために、地面へ伏すように身を潜める。
 木々が落とす濃い影の中、まず見えたのは兜の飾り。
 そして、大振りの刀。
 燐光の如く、目は不気味にギラついていた。

  ‥‥一体ならば、手間はかかるが対処はできる。

 だが直感が、うなじの辺りをジリジリと焼いている。
 距離を維持してゆっくり移動すれば、ミシリと樹が軋む音が別の方から聞こえた。

  ‥‥二体なら、凌ぎつつも何とかなるだろう。

 朱の房飾りが下がる柄を静かに握り、身を強張らせる。
 刹那、背中を悪寒が駆け上った。

  ‥‥三体では、流石にこちらも深傷を覚悟せねばならない。

 ガサと草が音を立て、ガチャリと具足が音を立て。
『獲物』を見つけて吠える、片目の鬼の向こうに。

  だが、四体が同時ともなれば‥‥。

 別の、刀の光が見えた。
 咄嗟に重心を後ろへかけて、地を蹴る。
 土と枯葉にまみれながら、斜面を転がり。
 その後を、どすどすと追ってくる足音が複数。
「分が悪ぃな」
 体勢を立て直して毒づく間もなく、近くの樹が震え。
 見えざる刃が、幹を抉った。
 闇の奥から距離を取るように、柄を握ったまま、後ろへ跳ぶ。
 片目の鬼に、素手の鬼。
 見えた刀は、二本。
 短い時間に確認したそれらを、もう一度記憶へ焼き付けた。
 そして柄から手を離し、身を翻してこの場からの『逃げ』に転ずる。
 ここへ来た目的は、あくまでも次に動く為の『探り』の段階で、アヤカシの討伐ではない。
 故に、今は引く。
 勢いに任せて、枯れ枝や落ち葉の積もった斜面を滑り降り。
 先に見える森の木立が、切れる。
 が。
 森の奥から、吠える声と共に猛烈な勢いで『硬い質量』が飛んできた。
 人の頭ほどもある――だが鬼にとっては『石』の風圧が、横に跳んで避けた身体を掠め。
 直後、再びの見えざる刃が、肉を裂く。
 痛みに顔を歪める暇もなく、二つ目の刃を転がる様にかわした。
「しつけぇんだよっ」
 土混じりの唾と一緒に、悪態を吐く。
 だが、あと少し。
 痛みも無視して駆け抜ければ、視界が開けた。
 平坦な地面の真ん中で、赤いケモノが長い首をもたげる。
 そして主と、後ろに迫るアヤカシ達を見ると、威嚇するように長く大きく一声、吠えた。
 それでもアヤカシは怯む様子を見せず、負けじとばかりに「うおぉん」と声を上げる。
「戻るぞ」
 鞍へ飛び乗った主の命令に、ぐぅと低く唸って炎龍は赤い翼を広げ。
 太い足で地面を掴み、後ろの谷へ跳躍した。
 グンッと一瞬身体が沈んだ後、今度は逆に持ち上げられる。
 力強い羽ばたきを聞きながら地上へ眼をやれば、四体のアヤカシは森の中で恨めしげに天を仰いでいた。
 殺気は感じるが届かぬ高さとあってか、仕掛けてくる気配はない。
「亡鎧が二体、鉄甲鬼がもう二体‥‥か。後で、借りを返してやるからな」
 苦々しげに呟いて、ゼロは深く、ゆっくりと息を吐く。
 右の脇腹はじくじくと鈍く痛み、傷を押さえる手はぬるりとした感触に濡れていた。

   ○

『中級のアヤカシが、四体ですか』
「橋がなくて、今はどっちも膠着(こうちゃく)状態だ。だが川を渡れば、いつでも里を襲うぞ」
 風信機越しに文句をつければ、奏生にある開拓者ギルドの係が口ごもった。
『じゃあ‥‥開拓者を、どれくらい派遣すれば‥‥』
「八人。俺も加えて、九人もいれば十分だ。代わりに、そいつらにも龍を使う許可を出してくれ。川は渡れねぇし、相手は広い森ん中。移動の間に疲れてちゃあ、使いモノにならねぇ」
『でも、ですね‥‥』
「奴らは手負いだ。大勢でゾロゾロ行って、逃げ出される可能性もある」
『しかし知ってのとおり、里の方の事情が‥‥』
「なら、事情が理解できる奴らを頼め。じゃあな」
 まだ何か言いかける『依頼主』を無視して、ゼロは会話を切り上げる。
 その間にも、里の人々が慌しく周りで立ち動いていた。
「医者が、もう着きます。ただ、巫女の方はおりませぬので‥‥」
「ああ。刀傷でも急所でもねぇし、骨もイッてねぇから、構わんぜ。縫うでも何でもして、とにかく傷を塞いでくれ。でねぇと次にあのアヤカシどもをブッた斬る時に、中身が出ちまう」
「は、はい。そのように、伝えておきます」
 自分よりも顔色の悪そうな女が一礼し、急いで駆けて行った。
 板間の柱にもたれて目を閉じ、痛みを散らすように周りの気配へ意識を集中する。
「まだ、血が止まっておらんな」
「包帯とか、余分に残ってました?」
「湯が沸いたぞ」
「先生、こっちですっ」
 忙しく行き来する足音や張り詰めた会話を聞いていると、何の前触れもなく、脳裏にフッと遠い言葉が蘇った。

 ――よいか、ゆめゆめ忘るるな。
   土地は焼かれ、塩をまかれ、荒れ果てても、いつかは取り戻せる。
   だが、そこで生きる民は、失われれば戻ってこない。
   国は土地に寄りて成るものではなく、土地に暮らす民に寄りて成る。
   しかと、本分を心得よ。我らが守るべきは――

 アヤカシに抗いながら、焼けて荒れた土地に手を入れ、緑の茂る里を復興させる。
 それは、まるで九十九もある九十九折(つづらおり)の坂を登るが如き、辛く長い道程だ。
 だが住む者は、否が応でも越えねばならない‥‥その為に。

 今は、助けが必要だった。


■参加者一覧
佐久間 一(ia0503
22歳・男・志
氷(ia1083
29歳・男・陰
輝夜(ia1150
15歳・女・サ
シエラ・ダグラス(ia4429
20歳・女・砂
夜魅(ia5378
16歳・女・シ
千麻(ia5704
17歳・女・巫
からす(ia6525
13歳・女・弓
木下 鈴菜(ia7615
17歳・女・弓


■リプレイ本文

●翼、来たる
 同族の気配でも感じたのか、里の外れで翼を休めていた炎龍が不意に空を仰いだ。
 鳥のそれではない羽ばたきが、空を過(よ)ぎる。
 数回羽を打ち、軽やかに舞い降りる駿龍達。
 旋回した後、ひと息に地上へと接近し、力強く地を掴んだ炎龍達。
 頑強たる外見とは裏腹に、まるで見上げる人々を驚かさぬように注意深く着地した甲龍達。
 両手で足りる数とはいえ、九匹もの龍が群れた姿はなかなか壮観で勇壮だ。
 龍達が落ち着くと、その背から乗り手が軽やかに地上へ降りた。
 合戦の後に残された脅威の残滓を払うべく、呼びかけに応じた八人が。

「空から見た限りでは、かなり里の周りも落ち着いたようですね」
 もののついで、ではないが。
 空からざっと地上の動向を見て取ったシエラ・ダグラス(ia4429)が、その印象を口にする。
 それは合戦が終わった後も、続いて依頼に応じてきた開拓者達が奮戦した結果、とも言えた。
「そりゃあ、よかった。後に憂いを残さないよう、しっかり後始末を‥‥ふわぁ」
 その『助力』の幾つかに関わってきた氷(ia1083)は、到着早々、大きな欠伸を一つ。
 眠そうな主を落とさぬよう飛んできた炎龍だが、ここから先は知らぬといわんばかりに目を閉じる。
「ええ。いよいよもって、海賀岳のアヤカシを放って置く事は出来ませんね」
 シエラと同じ金の髪を揺らし、佐久間 一(ia0503)は長槍の石突をとんっと地面へ置いた。
「里の人々を襲いかねない‥‥その前に、討たねばいけません」
「そうじゃの。残党とはいえ、中級と呼ばれるアヤカシが4体」
 呟く輝夜(ia1150)の瞳は、切り揃えた黒い前髪の下に隠れ、浮かぶ色は窺えない。
 八人の内では最も手練だが、その上にのうのうと胡坐をかく事は良しとせず。
「今のうちに対処しておかぬと、ちと厄介じゃ」
 山の方向へ目をやりながら、ここまでの『長旅』を労わる様に駿龍、輝龍夜桜の鼻面を軽く撫でた。
「すまねぇな。この辺り、まだ十分に龍達を受け入れてやれる状態じゃあねぇってのに」
 聞き覚えのある声に木下 鈴菜(ia7615)が振り返れば、自分達を呼んだサムライが挨拶するように片手を挙げる。
「先日振りです」
「お。見覚えのある後姿だと思ったら、鈴菜だったか。この前は、助かったぜ。今回も世話になっちまうが」
 苦笑混じりなゼロ(iz0003)へ、束ねた長い黒髪を揺らして鈴菜は軽く一礼した。
「いいえ。こちらこそ」
「ゼム君‥‥じゃなかった、ゼン君だっけ? オレは符術士の氷ってもんだ。まぁ、よろしく〜」
 眠たげな目で、ひらひらと氷が手を振り。
「ゼロだ、よろしくな」
「ゼノ君?」
「違うって」
「じゃあ、ゼル君?」
「それも、ちげー」
「それなら‥‥」
「漫才をやっている場合か」
 少女の見た目からはかけ離れた口調で、冷たくからす(ia6525)が突っ込む。
「鬼鴉の負担を考えれば、難敵とはいえ手早く終わらせたいところだよ」
 体力を温存するかの如く、静かに伏せた駿龍を彼女はちらと見やり。
「そうだな。状況は、ギルドから聞いていると思うが‥‥まずは、龍達を休ませよう。空は寒かっただろうし、火にあたりながら細かい話をするか」
 右腕を懐へ突っ込んだゼロは、左手で手招きをした。
「じゃあ、待っててね。ポチ」
 自分を見つめる甲龍へ、千麻(ia5704)は笑顔で手を振って。
「‥‥ぽ‥‥?」
「ネーミングセンスないとか、言わないのよ」
 何か言いかけるゼロの反応を予想していたように、ぷぅっと千麻が頬を膨らませる。
「ああ、すまねぇ。謝るから、餅みたいに膨れるな」
 自分よりずっと小柄な少女へゼロは詫び、案内するように歩き始めた。
 後に続きながら何気なく夜魅(ia5378)が簡素な家の影を見れば、やや遠巻きに見守る里の者達と目が合う。
 鬼が潜む不安と、緊張感からくる疲れと、彼女らが来た安堵と、龍への興味と。
 様々な感情が入り混じった表情で人々は目礼し、会釈をした。

●いささかの不備
「依頼にあった残っている鬼は、亡鎧と鉄甲鬼がそれぞれ二体。合計四体で、違いないですね」
 情報に差異がないか確認する夜魅に、ゼロは首肯した。
「鉄甲鬼の一体は片目が潰れ、一体は素手。亡鎧はどちらも、刀持ちだ。潜んでいるのは、海賀岳の森の中。魔の森じゃあねぇが、まだ紅葉の時期。それなりに森は繁っているから上からの見通しは悪いし、龍ではちぃと動きにくいかもな」
「やはり広い場所まで引っ張るのが、得策ですね」
 ここへ来るまでに話し合った案を一は頭の中で整理しながら、からすと輝夜を見やる。
「ふむ。策を聞いても、構わねぇか?」
「そうじゃな。アヤカシどもが素直に分かれなければ、ゼロに誘導してもらわねばならん」
 懐から四つのサイコロを取り出した輝夜が、それをアヤカシと見立てて床に置いた。
「一の目が鉄甲鬼、六の目が亡鎧として。まず空から、からすが亡鎧を弓で攻撃して気を引き。我が『咆哮』で、鉄甲鬼を引き付ける」
「鉄甲鬼の足は速いし、逆に亡鎧は遅い。それを利用して、分断する算段よ」
 指でサイコロを動かしながらの説明に、胡坐を組んだゼロは眉をひそめ、輝夜の言葉を継いだからすへ視線を向ける。
「追ってくる速さ自体は、亡鎧も鉄甲鬼も大して変わらねぇ感じだったが」
「そう、なのか?」
 予想していなかった言葉に、からすは赤い瞳を瞬(しばたた)かせた。
「ああ。鉄甲鬼の方が、身のこなしは『軽い』がな。確実な分断は、難しいと思うぜ」
「それは‥‥困ったのじゃ」
 考え込む囮の少女達にゼロは腕組みをして思案し、再びからすへ目を向ける。
「弓は、何を使う?」
「これを」
 黒髪を左右に箇所で束ねた弓術師は、傍らへ置いた藍色の弓「朏」を示した。
 彼女の身長の倍近い、長弓だ。
「理穴の弓か、いい弓だ。そいつなら、亡鎧の仕掛けてくる『衝撃刃』が届かぬ位置から、射れるな」
 その言葉に、からすは一つ頷いた。
「ただアヤカシが弓での攻撃に乗らない可能性と、四体全部が輝夜さんの『咆哮』に注意を向ける可能性があります」
 人差し指と中指を一が順番に立てれば、こくと輝夜は首を縦に振る。
「本来の策なら、そうなった時に亡鎧の相手をゼロへ頼みたかったのじゃが」
「なるほど‥‥委細、承知した。とにかく、四体を二つに分断すればいい話。輝夜が広い場所まで鬼どもを誘い出す後ろから、何とか二体を足止めすればいい」
 ニッと笑うと、サイコロの一つをゼロは指に挟み。
「ああ、それは潰さぬよう。後で、困るのじゃ」
 仕草を見て輝夜が止めれば、相手はそれを元の位置へ戻した。
「ナンだ。博打でもやってんのか?」
「お守りの様なものじゃ」
 サイコロを懐へ仕舞いながら、表現を濁す輝夜。
「ふぅん? で、二体を引き離している間、残りの面子で半分を叩くんだな」
「はい。各々の龍達と、協力しながら」
 話を戻したゼロへ、静かに夜魅が答えた。
「志士が二人。サムライと弓術師、シノビの三人。そして陰陽‥‥いや、符術士とか言ってたな。そして、巫女か」
 残りの注意を引く役目のからすとゼロを除けば、七人と七龍。
「有難い。これだけの頼もしい顔ぶれなら、アヤカシどもを討ち取れるだろう」
 どこか安堵した風にゼロは深く息を吐き、両膝に手を置いて頭を垂れる。
「どうか、よろしく頼む」
「あの、面を上げて下さい。私達の働きで、困窮する緑茂の人々の憂いが少しでも晴れるなら‥‥それで」
 力を惜しみませんと、促しながらシエラは強く微笑んだ。

 静かに伏せていた甲龍の一体が、何かに気付いたように顔を上げた。
 それとほぼ同時に、他の龍達も主が向かった方向を見やる。
 せめて喉の渇きくらいはと桶に水を用意していた里の者達が、驚いて顔を見合わせた。
 そこへ、話を終えた開拓者達が姿をみせる。
「ポチ、お待たせー!」
 カラコロと下駄を鳴らして千麻が駆け寄れば、待っていた甲龍は嬉しそうに顔をすり寄せた。
「初めてだね、一緒に戦うのは。よろしく、颯」
 そっと触れた夜魅へ、低く喉の奥を鳴らして駿龍は何事かを訴える。
「うん、判ってるよ颯。今はご免ね‥‥これが終わったら、お腹一杯食べさせてあげるから」
 なだめる様に、夜魅は颯の首筋を撫でてやった。

「動くのが日のあるうちで、助かりました」
「そうなのか?」
 少しほっとしたようなシエラに、ゼロは不思議そうに聞く。
「はい。本来、偵察なら駿龍であるこの子の得意分野‥‥と言いたいんですが。この外見のせいで、凄く目立つんですよね‥‥」
 シエラと共に天儀の地を踏んだジルベリア生まれの駿龍は、純白の身体を持ち、その姿も周りの駿龍とは少し違って見えた。
「確かに、昼ならマシかもな。夜だと、目立っちまいそうだが」
「はい。でも夜に飛ぶパトリシアは、とっても綺麗なんです」
 腕組みをして納得する様子のゼロに、目を細めてほわほわとシエラが微笑み。
 だが白い駿龍は何かを納得していないのか、二人の間へ割り込むように首を伸ばし、鼻面でぐぃぐぃとサムライを押し退ける。
「おい‥‥待て、判ったからっ」
「こら、パティ!?」
 低く唸ったパトリシアをシエラが軽く叱れば、バツが悪そうに振り返り、うな垂れて。
「すみません。私以外には、気難しい子で‥‥」
「いや、気概があっていいじゃねぇか。てめぇ、さては妬いたか?」
 にぃっと笑ったゼロが冗談めかせば、威嚇するように駿龍は鋭い歯を剥いた。

「さあ仕事だ、友よ」
 からすが言葉をかけると、駿龍――鬼鴉は無言のままで首をもたげて、空を仰ぎ。
「いくよ、茜姫。役目を果たそう‥‥」
 鞍へ腰を落ち着けた一が呼びかければ、炎龍――茜姫が待ちかねたように、荒っぽく何度も翼を打つ。
「では道案内、お願いします」
「ああ。心得た」
 頼む一へ答えたゼロの炎龍が、まず最初に空へ飛んだ。
 その後を追って、甲龍、炎龍、駿龍が次々と飛び立つ。
 何気なく地上を見れば、怖がって離れていた里の子供達が一斉に龍達がいた後へと走り出し、一様に口を開けて飛び去る姿を眺めている。
 そんな光景も、すぐに木々の陰へと遠ざかり。
 龍の一群は、風を切って大空を飛ぶ‥‥海賀岳の森に残った禍根を断つ為に。

●海賀岳の鬼
 二本松川からほど近い開けた場所へ、一匹の龍が降り立った。
「問題ない‥‥みたいね、颯」
 安全を確認した夜魅は顔を上げると、空へ身振りで合図をし。
 それを待って、二匹の甲龍が後に続く。
「ごめんね、ポチ‥‥お腹空いてちゃ力出ないかもしれないけど、この戦いが終わったらお腹いっぱい食べさせてあげるから。頑張ってね」
 低く地面へ伏せた龍の背から降りた千麻は、寂しげに喉を鳴らす甲龍をいたわる様に撫でた。
 その傍らで、弓術師を乗せたもう一匹の甲龍が翼をたたむ。
「レイフォン、ありがとう」
 身軽に地上へ飛び降りた鈴菜は運んでくれた礼を告げ、ぽんぽんと硬い皮膚を軽く叩いてやった。

 大きな円を描くように、龍達は森の上を飛ぶ。
 やがて一が大きく腕を回し、下を示した。
 鞍から身を乗り出すようにしてシエラが目を凝らせば、風とは関係なく不自然に紅葉が揺れ、その下にアヤカシの姿が見える。
「先に戻って、待機しています」
「気をつけて下さいね」
 告げる一とシエラは、後の段取りを囮役へ託し。
 ピリィーッと、からすが吹く呼子笛が、甲高い音を辺りへ響かせた。
 それは、アヤカシを発見したという合図。
 同時に紅葉の下の動きも止まり、すぐまた動き始める。
「‥‥逃げるか?」
 枝の動く方向を見て、氷は眉をひそめ。
「いや、逃がさぬ」
 答えたからすが、長い弓を引き絞った。

 風を切って空から放たれた矢が、木の幹へ突き刺さる。
 遅れて茜色に染まった木の葉が一枚、はらりと散った。
 矢を射掛けた相手を、アヤカシ達が振り仰ぎ。
 一面の山の錦が、『裂け』る。
 見えない刃によって枝葉が切断され、弾き飛ばされ。
 一瞬、龍達は翼を打って、高度を上げた。
 だが元より高い場所にいる龍へ届く前に、衝撃刃は散り。
 紅葉の『穴』から、亡鎧が睨み上げている。
「今じゃ、輝桜」
 それを確認した輝夜は、懐から風魔手裏剣を取り出しながら、駿龍へ頼んだ。
 アヤカシの攻撃が届く距離に気をつけながら、用心深く龍は森へ近付き。
 鬼の姿を狙って手裏剣を投げ落としてみるが刃はそれ、アヤカシは動じもしない。
「さすがに、当たらぬか」
 当然だった。自分は、不安定な龍の背にいるのだ。
 ならば予定通りにと、更に駿龍を森へ近づけた輝夜は大きく息を吸い。
「アヤカシども、我はこっちじゃ!」
 大音声で叫べば、下から再び衝撃刃が飛んでくる。
 辛うじて当たるか当たらぬかといった距離だが、駿龍は翼を打って身を翻した。

 吠えるアヤカシが空の駿龍を追い、その様子を氷が観察していた。
 位置的に『咆哮』の影響を受けているのは、すぐ下にいた亡鎧と、少し離れた位置にいた棍棒を持ちの鉄甲鬼だろう。
 残りは、他のアヤカシが動いた後を追っている。
「後ろの二体なら、たぶん注意を引けるかねぇ〜」
「では予定通り、こちらは亡鎧を狙うよ」
 もう一度、からすは藍の弓を引き絞った。
「てめぇら、借りを返しにきたぜッ!」
 地上から、ゼロの『咆哮』が聞こえる。
「‥‥ゼム君も元気そうだから、皆の援護へ回るね〜」
 念の為に留まった氷もまた、待機する仲間の元へ飛んだ。
 遠ざかる姿を見送り、からすは地上へ注意を戻す。
「行かさぬよ、亡鎧。僭越ながら私が遊んでやる」
 頭上より見据える少女へ、憎々しげにアヤカシが吠えた。

●『友』と共に
 木々の奥から迫る荒々しい音が、森を突き抜けた。
「うぅっ‥‥なんでこんなに、無駄に大きい鬼なのよっ!」
 始めて近くで見た巨躯の鬼へ、千麻が文句をつける。
 ‥‥決して彼女が小柄だから、余計に大きく見えている訳ではない。きっと、たぶん。
 そんな小柄な主を庇う様に、甲龍が一歩前へ進み出て。
 手の薄い巫女の守りについた鈴菜が、手にした弓「朏」へ矢を番えた。
「相手は亡鎧と、片目の鉄甲鬼‥‥二体、ですね」
 風魔手裏剣を手に、夜魅が相手の力量を観察する。
 彼女が一番面倒だろうと危惧した素手の鬼は、いなかった。
 残りの二体が現れないという事は、からす達が上手く足止めしたのだろう。
「片目の鬼は、もう片方の目まで潰さぬよう気をつけて下さい。何も見えないと、滅茶苦茶に暴れる可能性があります」
「判りました!」
 警告する夜魅へ答えて、シエラは業物を鞘から抜き放つ。
「志士の名にかけて、貴方達はここで止めてみせます!」
 そして柄を両手で握り、眼前の鬼をキッと見据えた。
 鉄甲鬼の注意が、彼女へ向く。
 それをみて、長槍を構えた一を乗せた炎龍が、翼を広げて身を返した。
「まずは、その攻撃力を殺がせて貰いますよ‥‥燃えろッ!」
 潰れた目の側から、茜姫が急降下し。
『炎魂縛武』の炎をまとった穂先が、棍棒を握る腕に突き立つ。
 手綱を引けば、茜の龍は鉄甲鬼を足場代わりに蹴って、後ろへ飛び。
 直後、木の陰から亡鎧が刀を振るい、衝撃刃が赤い鱗を浅く抉った。
 仲間が注意を引く間に、アヤカシと付かず離れずで誘導してきた輝夜は、輝龍夜桜の背から飛び降りる。
「助かったぞ、輝桜。もう少しの辛抱じゃ、頼んだぞ」
 駿龍の首筋をひと撫でし、長槍「羅漢」を構えて急ぎ駆け、仲間の間から躍り出て。
「違えるな、汝らの相手は我じゃ!」
 再びの『咆哮』で、アヤカシの注意を引き戻した。

「ん、ご苦労さん。あとは帰るまで、待ってな」
 邪魔にならぬよう、仲間の後ろで地上へ戻った氷は、炎龍の首をぽんぽんと叩き。
 戦いの場へ、加勢する。
 精霊の小刀を、片手でかざし。扇子「巫女」を、もう片手で広げ。
 市女笠の薄布を揺らし、陣羽織の裾を翻し。
 拍子をとって、軽やかに。
 千麻が舞うは、『神楽舞「速」』。
 舞の支援を受けたシエラは、注意を引く輝夜と相対する鉄甲鬼の側面へと素早く回り込み。
「は‥‥ッ!」
 気合と共に、業物で一閃を放つ。
 先に狙うは、鉄甲鬼。
 相手の攻撃は大振りな棍棒を叩きつける事が主で、かわす輝夜にはゼロの言う『軽さ』が感じられない。
 むしろ刀を振るい、衝撃刃を飛ばす亡鎧の方が厄介に感じられる。
 だが棍棒を持つ腕を集中的に狙った繰り返しの攻撃で、遂に鉄甲鬼が棍棒を取り落とすと。
 鬼の行動が、一変した。
 棍棒を落とした鉄甲鬼は、それまで甘んじて受けていた刃を見違える体裁きで避け。
 貫ぬこうとする長槍すら、猛然と素手で掴みかかる。
「こいつ‥‥!」
 眼下の状況に一が眉根を寄せて、悟った。
 強力な攻撃手段だったあれは、同時に鬼にとって『足枷』だったのだ。
「あ〜あ、面倒な‥‥」
『魂喰』を打つ機会を見計らっていた氷は、描く式を変え。
 鉄甲鬼の動きを封じる為に、『呪縛符』を飛ばす。
「動きが身軽になったとはいえ、手傷は負っています。焦らず、仕留めましょう!」
 僅かに動きが鈍った鬼の死角へ回り込み、夜魅が仲間へ声をかけた。
 不安になって亡鎧へ目をやれば、『援護』を頼んだ龍達が牙や爪を振るって注意をひきつけている。
 空に一人、地に六人。
 開拓者達が鉄甲鬼を取り囲んでいる為、下手に加勢しては逆に邪魔と考えたのだろう。
「からすさん達の様子も、気になりますしね」
 一は炎龍を低く飛ばし、あえて掴もうとする腕を誘った。
「そうじゃな。後が混んでおる」
 気がそれた隙に、守りに徹していた輝夜が攻勢へ転じ。
「ええ。だから、あなたには早々に退場願います!」
 突き出た角らしきものを業物で受け流したシエラが、白刃を振るった。

 見下ろせば、少しばかり『見通し』が良くなった山肌に。
 赤い牙を振るう、一人のケモノがいた。
「借り、か」
 完全にアヤカシを倒しにかかっている様子に、からすは苦笑する。
 そこへ遠くから、澄んだ高い笛の音が空を震わせた。
 先に誘い出した二体の鬼を倒したという合図は、確かにからすの耳へ届き。
 矢を射る手を止めて、答えるように呼子笛を吹く。
「そいつを連れて行く! それまで仕留めてしまっては、皆も物足りぬだろう」
 駿龍を地上へ近づけて呼びかければ、亡鎧は鬼鴉へ注意を向け。
 地上のサムライが見慣れぬ刀を収める様子を見て、からすはそのまま仲間の元へ飛んだ。

●茜の空に
「帰ってきたぞー!」
 夕暮れ空にぽつぽつと影が見えて、一人の男が声を上げた。
 帰ってきた龍達の姿に、鬼退治が無事終わったと人々は安堵し、同時に慌ただしく桶やら大きなタライやらを用意する。
 そして地上へ降りた龍達は、何かを感じ取ったのか。
 空気の匂いを嗅ぎ、ある方向へ首を伸ばした。
「‥‥どうかしたの、颯?」
「ああ、ようやく届いたか」
 里の者達が持ってくる桶やタライに興味を示した龍達は、次に主へ視線で訴える。
 甲龍の様子に、千麻も龍達が興味を示した物に思い当たった。
「もしかしてあれ、ポチのごはん?
「奏生のギルドに、無理を頼んだ。帰る時に力が出ずに飛べなきゃあ、悪いからな」
「‥‥というか。どうせなら、戦いに出る前に用意しておくもんじゃあ‥‥」
「うっせ。間に合わなかったんだよ」
 それとなく氷が突っ込めば、バツが悪そうにゼロは口を尖らせる。
 餌の量自体は少なくて、決して龍の腹を満足させるものではないが。
「食べてもいいって、茜姫」
 一声をかければ、炎龍は桶へ首を伸ばした。
「今日の仕事は完璧だった、友よ」
 静かに餌を口にする駿龍に、目を細めてからすが労をねぎらい。
 あっという間に平らげて、やはり物足りなさそうなパトリシアの首をシエラが撫でてやる。
「お疲れさまでした、パティ」
 声をかければ駿龍は嬉しそうに喉を鳴らし、白い翼を大きく広げて応えた。