|
■オープニング本文 ●存在の痕跡 「なんだか、理穴が大変な事になってたんだね」 開拓者ギルドにずらりと並んだ依頼書を見ながら、桂木 汀(かつらぎ・みぎわ)が呟いた。 『開拓者ギルド』という施設自体は、開拓者ではない町娘でも気軽に出入りが自由で、依頼書や報告を見る事も可能だ。 ただそれは依頼の一部に限られており、依頼人が秘匿性を重視したもの、氏族や国に関わるような重要な案件に関しては、当然ながらチラ見する事すら許されない。 「ああ。何でも胆も震え上がるような恐ろしいアヤカシが、束になって攻め入ってきたとか何とか‥‥って、あんた、開拓者じゃねーだろ」 「ふぇ?」 ギルドの係員に見咎められた汀は、ぱちぱちと目を瞬かせる。 「いくら依頼書を見たって、ダメだよ。あんたが請けられる仕事は、ここにはないんだから。どこか、口入屋にでも‥‥」 「ああ、違うよ! あたしは、仕事を請けに来たんじゃなくて‥‥世間様で何が起きてるか、瓦版屋に聞くよりも、頼りになる開拓者ギルドに来れば一目瞭然だからね。開拓者の人達も頼もしい人ばかりだし、ギルド勤めの人達も優しいし」 「持ち上げたって、何もでないからな。依頼書を見てるんなら、ついでに依頼の一つでも入れていってくれ」 皮肉を言いながら、係員は背を向けた。 「あー、ちょっと待って。その、一つ聞きたいことがあるんだけど」 引き止められ、怪訝そうな顔をする相手へ汀は笑顔で小首を傾げてみせる。 「合戦のあったところって、まだ状況とか治安とか、悪いのかな? 普通の人が、入る事も出来ないくらい?」 「いや、合戦の方はひとまず決着がついたらしいからな。かといって、娘が一人旅が出来るほど安全でもないだろうが」 「そっか‥‥」 考え込みながら、汀は依頼書へ視線を戻して考え込んだ。 「大アヤカシと戦った場所を、見たいだぁ?」 開拓者達が多く住む長屋横丁の井戸端で、若いサムライが呆れたような声をあげた。 人の多い神楽の都で、顔だけはソコソコに知られている青年は、名をゼロという。 「だって‥‥ホントは本物が見たかったけど、合戦の間にノコノコとあたしみたいなのが行っても、邪魔じゃない。だからせめて、討ち取った場所だけでも見たいなって。ゼロさんだって、気になるでしょ?」 上目遣いに見上げる汀に、ぽしぽしとゼロは髪を掻く。 「まぁ、そりゃあ、な。大アヤカシなんて、出くわしたら生きて帰ってこれねぇとか言われてるアヤカシだしな‥‥俺も、合戦に加わりたかったぜ」 悔しげな様子を、血気盛んなサムライは隠しもせず。 「でしょ? だったら、ゼロさんも見に行こうよ!」 にへっと笑って汀があおり、何に気づいたかゼロは女絵描きをじーっと見やった。 「な、何?」 「いや。それなら、てめぇが自分で依頼を出せばいいだろ?」 「だって‥‥ギルドの人とかに怒られそうだし。ただの小娘が、遊び気分でひょろひょろ行く場所じゃあねぇぞって。それに、ゼロさんならギルドの人も一目置いてるじゃない。いろんな意味で」 腕を引っ込めた着物の袖口を振りながら、上目遣いのまま訴える汀。 「いろんな意味は、余計だ」 ひらひら手を振ったゼロは、気のない事を示すように汀へ背を向けた。 「長屋の店賃(たなちん)、まだなんだって?」 ‥‥ぎく。 汀がぼそりと呟けば、にわかにゼロの背中が強張る。 恨めしげに振り返れば、満面の笑みで汀が指を振った。 「少し待ってもらうよう、あたしが大家さんに交渉してもいいけど。工房を借りた縁もあるし、お芝居好きだから何かと親しくしてもらってるし」 激しく微妙な表情でゼロは考え込んだ末、肩を落として大きく息を吐いた。 数刻後、ギルドに一つの依頼が出る。 報酬は微々たるものだが、それは絵描きの町娘一人と自分を合戦のあった緑茂の里――特に大アヤカシを討った場所へ、案内してもらいたいという内容で。 依頼主の名は、『ゼロ』となっていた。 |
■参加者一覧
真亡・雫(ia0432)
16歳・男・志
篠田 紅雪(ia0704)
21歳・女・サ
虚空(ia0945)
15歳・男・志
霧崎 灯華(ia1054)
18歳・女・陰
空(ia1704)
33歳・男・砂
露羽(ia5413)
23歳・男・シ
千見寺 葎(ia5851)
20歳・女・シ
木下 鈴菜(ia7615)
17歳・女・弓 |
■リプレイ本文 ●出発前から賑々しく 「すみません。里と周辺の情報を、教えていただけますか?」 「少し待って下さい。見てきます」 尋ねた千見寺 葎(ia5851)へギルドの係が快く答え、奥へ引っ込んだ。 「基本的なやる事は汀さんの『護衛』に、復興状態の確認。それからアヤカシの潜伏状況調査‥‥という事は、アヤカシに遭遇する危険もある訳ですか」 指折り数える真亡・雫(ia0432)に、係員を待つ葎が思案する。 「特に大アヤカシを討った場所へ赴くのなら、明るい時間帯‥‥時間を長く取れる朝など、如何かと」 「それがいいかな。にしても、大アヤカシか‥‥」 同意した虚空(ia0945)も、依頼書で目を引いた言葉を呟いた。 「合戦は、最終決戦しか間に合わなかったからな‥‥俺も」 それに、大アヤカシも直接見た訳ではないが。 「その後の状況は、やっぱり気になるし‥‥良い機会、か」 「確かに。戦場をもう一回見とくのも、いいかもね」 深傷で動けなかった歯がゆさを思い返し、霧崎 灯華(ia1054)は口唇をちらと舐める。 「絵描きの町娘、か‥‥面白い娘だといいな」 「そういえば、遅いですね」 ふと木下 鈴菜(ia7615)が、窓の外‥‥賑わう夜の神楽を窺った。 夜毎に開く精霊門を通る為、『依頼』を受けた者達は開拓者ギルドへ集まっている。 (「そういえば、僕も大アヤカシそのものとは対峙してなかったな‥‥」) 話を聞きながら、ふと葎も合戦を思い返していた。 「お待たせしました」 「あ、はい」 戻った係に声をかけられ、カウンターへ向き直る葎。 「マメな事だね」 その背中を、空(ia1704)が薄く笑って眺めた。 「‥‥来たようだ」 じっと目を伏せていた篠田 紅雪(ia0704)が、金の瞳を開く。 直後に扉が開き、『依頼者』と『同行者』が入ってきた。 「揃ってたか。すまねぇ、遅くなった」 「ゼロさんが、持ってくれないからーっ」 「自分の物くらい、自分で持てよ」 呆れるゼロの後ろで膨れながら、桂木 汀が背負った風呂敷包みを下ろす。といっても、夜逃げの様な大包みではなく、旅には少し多いといった程度だが。 「合戦の跡が見れるんだもん。本当は、もう少し持ってきたかったのに」 「今より、多かったんですか」 二人の会話に、くすと露羽(ia5413)が笑った。 「汀さんは、合戦に興味がおありなんですね。私はどっちかというと、温泉の方に興味が惹かれます」 「温泉もいいよね‥‥でも入ってるところは描きに行かないから、安心して下さいねっ」 断りを入れる汀に、ふと露羽は置かれた荷物を見やる。 「そういえば絵描きさん、なのですよね。何か、得られるものがあると良いですね‥‥現地の治安はまだ良くないとは思いますが、ゼロさんも私達もいるので大丈夫でしょう」 「はい。えっと、皆さん、よろしくお願いします」 慌てて汀が一同へ深々と頭を下げ、僅かに紅雪は目礼を返す。 「宜しゅう‥‥」 「どうぞ、よろしくお願いします。現地の情報は聞いておきましたので、何かあれば気兼ねなく」 「助かるぜ。合戦がどんなだったか、俺も伝え聞き程度でな」 葎の申し出にゼロは礼を告げ、「キヒッ」と空が笑った。 「合戦、合戦‥‥な。ああ、行った行った。自分の家で惰眠を貪りつつ、アヤカシと戦って、知り合いの医者と一緒に蕎麦食って、村の護衛をして、水浴びしながら酒飲んでたわ」 「そりゃあ、忙しかったな」 疑わしげな表情でゼロが返せば、ニヤニヤしながら空は髪を掻き。 「どれが本当か、聞く気もねぇってか? まぁ、俺も知らねぇがなァ‥‥ソレよりもなに。てめぇはあの嬢ちゃんに、弱みを握られてんのか?」 「‥‥そんなんじゃねぇよ」 「図星? 図星か。ヒヒッ、災難だな全くよ。思わず色々な意味で、『ソンケー』しそうになっちまったぜ」 楽しげな志士の口から出る言葉と喋る語調は全く裏腹で、苦々しげにゼロが口角を上げる。 「ハナっから、する気もねぇ癖に」 その答えに、再び空は愉快そうに喉の奥で笑い。 「では、顔ぶれも揃ったようですし、行きますか」 場を取り成すように、雫が切り出した。 ●旅の道筋 既に亡国の冥越を除けば、理穴は東房や陰殻と並んで神楽から遠い。 故に、神楽の町娘が訪れる機会は殆どなく。 「凄ーい、すっごく深い森だねっ」 「ええ。離れないで下さい」 やたら珍しげに目を輝かせる汀へ、重ねて雫が念を押す。 急ぎの旅でもない一行は、東部の森まで馬車で来た後、のんびり緑茂の里へ向かっていた。 「そろそろ、少し休憩する?」 汀が疲れた頃を見計らって、灯華が提案する。 「はい。女性は甘い物好きですよね? 実は‥‥私も、大好きなんです」 先行し、斥候を勤めていた露羽は、買っておいた餅や団子などを勧めた。 「ナンか、汀に気を遣ってもらって悪ぃな」 「里に着く前から無理すると、後で動けないから。ゼロさんは‥‥大丈夫? とか聞く問題じゃないね、うん」 休憩の間も木々の陰へ目をやる虚空に明るく笑うゼロを、じっと葎は見上げる。 「そうですね。ゼロさんは護衛、不要そうに見えますけれど。何かご入り用であれば、いつでも呼んで下さい」 「遠慮なくそうするぜ。虚空も葎も、ありがとよ」 「いえ」 控え目に葎が答え、虚空もまた僅かに頭を下げた。 それから潜む影などないか、再び森を見張る。 大アヤカシ炎羅は倒された。だが、それで全てが丸く収まる訳ではない事を虚空は知っている。 荒んだものは、簡単に元へ戻らないのだ。 それは森やケモノや、人の心も同じ事‥‥。 宿へ着いた時には、緑茂の森も夕暮れを迎えていた。 「おい、嬢ちゃん。大アヤカシが討たれた場所を見てぇと逸る気持ちはあるかもしれんが、夜中に一人で行こうとするなよ」 汀へ釘を刺しながら、空は一人、囲炉裏のある居間を立つ。 「宿の周辺だけでも、ざっと確認してくる。ついでに紅葉も眺めようかね‥‥温泉は、後で行くわ」 「‥‥気をつけて」 ひょいと外へ出て行く空の背へ、紅雪が短く声をかけた。 「明日、かぁ」 「今日は疲れたでしょうから、ゆっくり休んで下さい」 露羽が促せば、残念顔ながら汀も疲れたらしく。 「うん。気になるけど、空さんや露羽さんの言うとおり‥‥ふわぁ」 答えて早々、大きな欠伸をした。 ●炎獄の後 秋の日差しが、穏やかに降り注ぐ。 里の人々が暮らす家があった戦場跡は、開けた空間となっていた。 よくを見れば家一軒は瓦礫一山と化し、それが一面に広がっている。 瓦礫を片づける里人達は一行の姿に会釈をするが、どの顔もアヤカシの大軍を退けた喜びと今後の暮らしへの不安がにじんでいた。 「確か、この辺りですね」 炎羅を見た雫が当時の記憶を辿り、ソコへと一行を案内する。 その一角は妙に片付き、また黒く焼けた地面からも予想がついた。 「此処に、巨大な指が落ちていた‥‥と」 目を細め、声を潜めた葎に、雫が黙って首肯する。 大アヤカシの残した威圧感か、戦場の緊迫感か。 小声で話す必要などないのに、何故か自然と呼吸を抑えてしまう。 それだけの重い空気が、まだこの場所には澱(おり)の如く残されていた。 「それで、指はどうなったの?」 珍しく思案顔の灯華が尋ねれば、葎は首を左右に振る。 「ギルドの話では、理穴軍が回収したようです。その後の事までは、判りませんが」 「そうだな。死んだアヤカシは跡形も後腐れもなく、綺麗に消えちまうのが常‥‥天儀の歴史で、初めて討ち倒す事が出来た大アヤカシ。その遺物とくりゃあ、迂闊に扱えねぇだろう」 腕を組んだゼロもまた、焼けた地面を睨んだ。 「ね。触っても、何もないかな?」 上目遣いで汀が聞けば、開拓者達は顔を見合せ。 「多分、何もないと思います。ギルドも注意はしてませんし、縄で囲ったり、注意の札もありませんので。でも気になるなら、やめた方が」 葎の見解に、しばし悩んだ末。 「とーぅ!」 何故か汀はジャンプして、件(くだん)の場所へ思いっきり着地した。 「何で跳ぶのよ、わざわざ」 「えっと、気分と勢い?」 呆れた風な灯華に、指を口元へ当てながら答える汀。 「それで気分はどうだ、嬢ちゃん。もし取り憑かれそうなら、遠慮なく斬ってやるぞ。ヒヒッ」 長槍「羅漢」をチラつかせて笑う空の目は、明らかに笑っておらず。 「なななナンでもないよ、だいじょーぶっ。ホラ、このとーり!」 慌てた汀は腰に手をやり、仁王立ちで胸をそらした。 「あんた‥‥変わった娘ね」 鋭く目を細めた灯華に、髪を掻きながら汀は「えへへ」と笑い。 「土とか小石とか持っていっても、大丈夫かなぁ」 「好きにすれば?」 少女らの会話から距離を置くように数歩離れた空は、頭上の秋晴れを仰ぐ。 「あァ。此処は未だ、血と戦場の臭いがする」 それでも澄んだ青の高い場所を、鳥が群れて飛んでいった。 ●破壊の下から 里人もいる事から汀を灯華や空、鈴菜らに任せ、残る者達は里の周辺へと散る。 「やはり随分と、大掛かりな戦になったんだな」 焼け跡を見回すゼロも、何かを辿る様に炎羅軍が攻めてきた方向へ足を運んでいた。 高く束ねた赤い髪を風に揺らしながら、紅雪は破壊の跡を歩く。 見ておきたかった里の風景は、無残なもので。 (「破壊するは容易いとは、誰の言であったか‥‥」) 仲間と懸命に駆け、無心で刀を振るった場所。 その道も今は、里人達が忙しなく行き来していた。 (「彼らは‥‥彼らの手で、築き直してゆかねばならぬのだ。これからも」) すれ違いざま会釈をする人々へ、その都度、紅雪は返礼する。 里が以前の姿を取り戻す事、そして以前より賑わう光景となるよう願いながら。 「あっちが、焼け落ちた砦の方向か」 「ええ‥‥」 かつての里と森の境界付近で足を止め、遠くを見やるゼロに紅雪が答える。 「この身や命を削りあう、あの緊迫感。あの身体を蝕むような刺激は‥‥こうして刀を手に戦いの場を巡っていれば‥‥」 また触れる事になるのだろうか、と。 焼かれた跡を眺めながら、雫はひとつ息を吐いた。 「瘴気の残滓にでも、あてられたか?」 声をかけるゼロに雫は苦笑し、頭を振る。 「力を手にしたからには、自分を見失ってはいけないよね」 「全ては‥‥続いていくのだから」 戦いも、生き残った人の生も‥‥また。 少年の呟きに紅雪が目を伏して返し、ゼロはただ朱刀の柄をじっと握っていた。 「アヤカシか。戦の時みたいに目立たないけど、まだ徘徊してるらしいよ」 「そうなんだ。どの辺りに?」 相槌を入れながら、不安げな人々の話に虚空は耳を傾ける。 「海賀岳の方角からも、遠吠えが聞こえたとか」 「川は渡れないけど、おっかないねぇ」 「ただ橋がなければ、山へ入れんからな」 「そういえば橋の復旧は、まだ?」 額の汗を拭った葎が聞けば、村人達は浮かぬ表情で首を縦に振った。 「合戦で、壊しましたからね‥‥全ての橋を」 鍬(くわ)を持つ手を止めて露羽が思い返していると、突如ぞわりと腰に這う感触に思考が中断される。 「ちょ‥‥っ」 驚いて振り返れば、皺の深い老人が露羽の尻をぽんと叩いた。 「ちぃとも腰が入っとらんなぁ。そんなじゃあ、いつまでたっても土を耕せん」 「じぃちゃん。そん人は綺麗だけど、兄さんだよぅ」 「幾つになっても、手癖の悪いなぁ。ごめんね」 「あ、いえ‥‥」 笑いながら女房達が謝り、困惑交じりの顔で露羽は笑い返す。 陽が西に傾くまで、三人はそうして里や村を回り、仕事を手伝いながら人々の話に混じっていた。 ●酔う月に 「おかえり。ご飯、出来てるよっ!」 明るい声が、宿へ戻った者達を迎えた。 台所から汀が炊き立ての飯を入れた櫃(ひつ)を、持ってくる。 囲炉裏の自在鉤には湯気を吹く鍋がつるされ、炎の周囲では串を打った川魚が香ばしい匂いを漂わせていた。 「復旧中なら、こんぐらいか豪華なくれぇだろ」 外で五人の姿を見てか、遅れて現れた空が座敷へ上がる。 「汀、面倒をかけなかったか?」 「俺が『鍛錬』中、間違えて首飛ばさなかった程度には、大人しかったな」 空の答えにゼロは苦笑するが、『鍛錬』を含めて深くは問わず。 後は他愛もない会話に興じながら、八人は心尽くしの夕食を囲んだ。 紅葉越しに月を眺めれば、背後でガサリと落ち葉を踏む音がする。 「あら、ゼロ。いたの」 「ん、少し考え事をしていただけだ」 振り返った『先客』に戻ろうとした灯華だが、何を思い直したか、すぃとゼロへ近付き。 「ちょうどいいわ‥‥ゼロ、寒くない? それになんか、身体が疼くのよね」 すぐ目の前で足を止め、瞳を覗き込むように見上げて灯華は微笑み、ささやいた。 「あたしとヤらない?」 「‥‥ヤ‥‥るって、ちょっと待‥‥っ!?」 一瞬の間を置いたゼロは急に狼狽し、その喉元へ灯華が鞘に収めた短刀を突き上げる。 「‥‥なに想像したの。稽古、お願いしたいんだけど?」 「ああ、いや。稽古‥‥か、そうだよな」 妙にほっとして焦った様な口ぶりに、猫の如く灯華は瞳を細め。 「これだから、男って奴は‥‥」 「待て。今のはてめぇが‥‥」 ゼロの抗議を、呪殺符を突きつけて封じた。 「ほら。ヤるんでしょ、稽古を」 至極楽しげに、彼女は笑む。 そして夜の庭へ、雷撃が迸った(ほとばしった)。 川のせせらぎに、虫の声が聞こえる。 絶え間ない水の流れは、月の光を弾きながら止む事なく。 静やかに流れを眺める紅雪は、不意にそれを遮る音に顔を上げた。 珠刀「阿見」の鯉口辺りを握り、指で鍔(つば)を押し上げ、気配を窺うが。 「‥‥全く」 遠くから聞こえる賑やかな声に、緊張を解く。 音もなく落ちた紅葉が流れ下る水面は、彼女の苦笑を浮かべていた。 「何か騒々しい‥‥」 「アヤカシ、ではなさそうですが」 怪訝そうな虚空に、苦笑しながら雫が垣根の先へ目をやる。 「ねぇ、大丈夫かなー?」 「ええ、おそらくは」 囲い越しでの汀の問いに、とりあえず虚空は返事をしておく。 「虚空さんが大丈夫だって、葎さん鈴菜さんっ」 「なら、よいのですが」 「まだ、湯に入られていない人もいますしね」 「皆、お風呂は遅くていいって言うんだもん」 「本当は私も、遅くてよかったのですが‥‥」 囲いのあちら側からは水が跳ねる音に混じり、女性達の会話が聞こえてきた。 「特に何事もないようですし、よかった。紅葉はまだ完全ではないようですが、それでもこの景色を眺めながらの露天風呂は良いものですね」 湯気の向こうでは、露羽が銚子(ちょうし)を入れた桶を浮かべ、月見の酒と洒落ている。 虚空と一緒に湯を楽しんでいるのは、女性と見紛いそうな華奢なシノビ二人。 何故か妙にほっとして、虚空は空を仰ぐ。 誰もいない座敷の縁側で。 胡坐をかいた空は槍を抱き、騒々しい音を肴に杯をあおっていた。 「ま、一人酒はまた格別ってな」 幾らかすれば、また騒がしくなるだろうが。 今はただ静かに、夜はふけていった。 |