邯鄲之夢−継ぎ手と紡ぎ手
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
EX :危険
難易度: 難しい
参加人数: 10人
サポート: 12人
リプレイ完成日時: 2014/11/10 22:12



■オープニング本文

●結ぶ断片
 汗ばむ日が続く中、天見元重(あまみ・もとしげ)に一通の書簡が届けられた。
 ――直々に、そして内密に話がしたい。
 差出人の名はないが、荒っぽい文と独特な花押で察しはつく。
 夕暮れ、安康寺の奥にある本坊に向かえば案の定、庭に面した縁側で書簡の主が宝珠刀を脇へ置き、胡坐をかいて待っていた。
「呼びつけて、すまねぇな」
「お前の勝手、今に始まった事ではない」
 辛辣な返事を、からりとゼロは笑い飛ばし。
「ところで、三根家の動向はどうだ?」
 元重を案内をした住職が茶を置き、下がるのを見ながら話を振る。
「無事だった三根の次男坊、政(まつりごと)の手腕はからきしで家臣が必死に駆け回っている。しばらくは、大人しくしているだろう」
「因果応報……で済ますには、ちぃと酷だな」
「三根と与して、情にほだされたか? 己が野心の為にアヤカシの手を借りようとした輩だぞ」
 茶に手をつけず、元重は憤慨し。
「連中の野心は否定しねぇ。けど、天見に一切の責が無いとも言えんだろ」
「確かに、兄上のお膳立てをひっくり返したのは俺の不手際だ。つけ入られる口実を、三根に与える結果となった」
「そうじゃなく……ま、仕返しする気はなさそうで、よかったぜ」
「で、本題は何だ」
 茶をすするゼロを、更に硬い口調で詰問した。
「声無滝(こえなしのたき)周辺に立ち入る許しを、もらいたい。また繋ぎ役として、三枝伊之助(さえぐさ・いのすけ)を同行させたいのだが」
「あそこは、天見の者以外の立ち入りを禁じている。お前も知らぬ筈なかろう」
「百も承知だからこそ、こうして当主後見役に許しを請う次第。天見との因縁あるアヤカシを、討つ為にも」
 重い静寂が、庭を満たす。
 根競べの如き睨み合いの末、長い長い溜め息を元重がついた。
「致し方ない、特例と思え」
「感謝する」
 膝に手を置いたゼロが頭を下げ、それを後見役は一瞥する。
「だが、成せると考えているのか?」
「俺はその気だぜ。勝つ為に探りを入れ、数多ヶ原の民に被害が及ばねぇよう尽力する」
 言い切る様に元重は顔をしかめるが、胸中を口にはしなかった。

「話は終わりだな」
 用向きを聞いた元重は、早々に縁側から立ち上がる。
 揺れる左袖を、かたくなな背を、沈痛な面持ちでゼロが見送り。
『一対一では、まだ仔どもじゃな』
 苦笑混じりの声に目をやれば、縁の下からのそりと老仙猫が現れた。
「御隠居、いつから?」
『最初からじゃ。元重の奴、未だお前を許せぬとみえる』
「仕方ない。親父や基時みてぇに上手く伝えられないのは、もどかしいが」
『災いは地の相ではなく、人の絆に寄りて封じられている――お前も、そう考えるか』
「アヤカシどもの動きを見るにつけ、な。『無明』は『野良』の報復に加え、千代様も利用しているだろうが」
『ほぅ?』
 大妖『無貌餓衣』が人に化生した名を出し、じっとゼロは闇を睨む。
「あくまで推測だぜ。何が発端かは分からねぇが、自分の子である元重が天見家当主となるよう、千代様は『無名衆』に取り計らいを頼んだ。無明と手を組んだ野良は親父を喰い、天見家は基時派と基近派に割れる。あいにく片方が出奔して共倒れはなかったが、基時は病弱だから、遠くないうち元重が当主となる目算だった」
『それなら何故、大妖は未だお前を付け狙う? 千代様の気は触れたが、今や天見の実権を握るは元重ぞ』
「理由は俺にも分からねぇ。けど俺や周りの連中が足掻く様を見物するのは、丸呑みよりもよほど楽しいとみえる」
 伝え聞いた『修羅の王』への五百年前のやり口も、また然り。
 単純に殺して喰らうより、力ある者や周囲が疑心や無力感にさいなまれ、この世を呪い、打ちひしがれる様に愉悦する。苦悶の内に命を落とせば、それもまた良しという事だろう。
「ともあれ、今は野良との決着が先。せっかく、あいつが探り当ててくれたんだ。無闇無策で突っ込んだ末、逆に天見家が代々守ってきたくび木を解き、アヤカシを野に放つ訳にはいかねぇ。野良が未だに封じられているなら、ソレは無明ですら手が出せないか、手を出したくないって事だろ?」
『ふむ。それで怨敵の本性、掴めておるのか?』
 片目を閉じて視線を寄越す柴上 右衛門に、ゼロは大きく深呼吸をした。
「……おそらくは、親父を喰った大百足。あれが奴なりの、天見に対する意趣返しの一端だと思う」
『百足とはまた、手こずりそうじゃの。何なら……』
「御隠居に何かあったら、俺が此隅の家臣から恨まれちまうぜ。そもそも俺一人で勝てると思っちゃいないし、万が一もありえるからな」
 他人事のようにからからと大笑し、それから蒸し暑い夜空を仰ぐ。
「もし万が一があっても、伊之助なら引き際も承知しているだろうし、続く奴らに伝えてくれるだろうよ……世話を焼く連中のお陰で、並の家臣より肝は据わっている。その世話焼きな連中だって、今じゃあ俺よりずっと頼りになるからな」
『じゃが、お前には妻子もあれば友もいる。ゆめゆめ忘れるでないぞ、基近』
 捨てて久しい名で呼ばれ、深々とゼロは頭を下げた。
「どうか、天見を……よろしく頼む」

●ゼロ、戻らず
 三枝伊之助を伴ったゼロが声無滝に向かい、三日目の早朝。
 警戒に当たるアヤカシ討伐隊が、遺跡に通じる滝裏より傷だらけの三枝伊之助のみを保護した。
 伊之助の話では、地下の遺跡は進むごとに複数の扉があり、第三の扉を過ぎたところでアヤカシの数が急増。それ以上の突破は困難と判断したゼロがアヤカシを地上へ出さぬ為に第三の扉の前で留まり、連絡役の彼を戻したという。
「また、逃げたのか。あの男は」
 知らせを聞き、元重の口をついて出た言葉がそれだった。
「依頼に応じた開拓者は?」
「声無滝の庵で、既に待機しております。三枝の報告も受けている筈」
「ならば遺跡へ向かい、封ぜられた『蟲袋』討伐の命を伝えよ。こちらが根城を見出した事、彼奴も感づいたであろう。領内へ被害が及ぶ前に、討て」
「はっ」
 家臣が下がるのを見届け、独り残った元重は苦々しげに右拳を膝へ打ち付けた。

 頭を潰された大蜘蛛が瘴気に戻るのを見届け、太く息を吐いて呼吸を整える。
 疲弊する様を面白がるように、地の底深くから低い嘲笑が漏れ聞こえてきた。
『よくぞ、自ら我が腹へ飛び込んできたものよ』
「それで脅しのつもりか? 今は存分に笑ってやがれ……じき、笑うどころじゃなくなるからな」
 毒づきながらゼロは袖に絡む糸を払い、宝珠の光る壁や天井を這い回る蟲どもへ朱刀を構える。
『永代の恨みを晴らすべく、まずは貴様を骨も残さず喰い散らし、地に出でては我が身を繋いだ輩の全てに報いを受けさせてやろうぞ』
 天見の血に固執するなら、自分が生きている間は足止めとなれる……その確証を得たゼロは、滴る血もそのままでニィと貪欲に笑った。
 ――なら今暫くはこの命、くれてやれねぇ。
 おそらくは果たさねばならない、『役目』の為にも。


■参加者一覧
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
有栖川 那由多(ia0923
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
以心 伝助(ia9077
22歳・男・シ
劫光(ia9510
22歳・男・陰
リーディア(ia9818
21歳・女・巫
アグネス・ユーリ(ib0058
23歳・女・吟
ルシール・フルフラット(ib0072
20歳・女・騎
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔


■リプレイ本文

●声無滝の庵
「そうでしたか。ゼロさんは斥候を買って出たのですね」
 柴上 右衛門より事の次第を聞いたジークリンデ(ib0258)は得心し、煙管片手に鬼灯 仄(ia1257)は三枝伊之助の背を容赦なく叩く。
「ま、戦で生き残れるようになったなら、上等だ」
「頑張ったな、伊之助。後は……任せとけ」
 第一の扉のからくりを含め、遺跡の仔細を聞いていた有栖川 那由多(ia0923)がねぎらい、伊之助は頭を下げた。
「御武運を祈ってます」
「蟲袋との決着、必ずつけて戻る。助太刀も揃っているしな」
 請け負う劫光(ia9510)は集った者達へ目を向ける。
「もちろん、あの馬鹿も連れてね。……大丈夫、リーディア?」
 膝の上で両手を握るリーディア(ia9818)に、そっとアグネス・ユーリ(ib0058)が声をかけた。
「あ、大丈夫です。少し、思い出す事があって……」
 気持ちを落ち着けようと精神統一していたリーディアは、深く息を吐く。
 ゼロの案内で密かに庵を訪れたのは、約四年前の事。
 彼女とゼロ、もう一人の開拓者と三人で庵へ身を隠すも、怪猿の群れから襲撃を受け。庵の抜け道へ二人を逃がしたゼロは、囮となって山に消えた。
 あの時、拒むように閉じた隠し戸を開ける事は叶わなかったが。
「今度はこちらから、扉を開けに行きませんとね」
「ホント。あたし達を待たず先に行ったこと。ただの無謀じゃなく、意味がある……のよね? きちっと回収して、そこ問いたださなきゃね」
 リーディアの呟きにアグネスもむぅと口を「への字」に曲げ、以心 伝助(ia9077)も苦笑を浮かべる。
「斥候なら、あっしの本分でやすのに。ゼロさんはまた先に行っちゃって、全く……戻ったら、説教大会っすね」
「今回ばかりは孤立無援ですか」
 憤慨する面々にルシール・フルフラット(ib0072)は叱られる光景を想像し、思わず笑んだ。
「馬の準備が出来たようだ」
 急ぎ準備する討伐隊を見ていた御凪 祥(ia5285)が縁側から告げ、カツンと灰吹きに煙管を打つ音が一つ。
「それじゃあ、行くとするか」
「今こそ、因果に終止符を打つとき。覚悟を決めて参りましょう」
 腰を上げる仄にジークリンデが続き、見送りを受けて一行は庵を発った。
 討伐隊の案内で進めば、いくらもせぬうちに滝音が聞こえてくる。
「何故……声無し、の……滝と云われているのでしょう……」
 ふと柚乃(ia0638)が口にした疑問に、馬上で那由多は目を閉じた。
「ここでは、どんな声も滝の音が消してくれるから……」
 蝉時雨もかき消す落水の音に不安げな馬達を宥めながら回り込めば、岩と滝の陰で隠れる位置に大きな洞(ほら)が黒い口を開けていた。

●只、友が為に
 昼か夜かも判らぬまま、近寄る蟲を斬って、斬り捨てる。
 通路を下がる際に、第三の扉は閉じた。
 後はひたすら、牙剥く気配へ刀を振るうのみ。
 目蓋を閉じ、動かぬ相手へ探りを入れるように、また『殺気』が動き――。
 ギィンッ!
 鈍い音が響いた。
 宝珠の刃を受けたのは、風巻く鉄甲。
 その狭間で圧殺された蟲が、瘴気へと崩れる。
「……ッ!?」
『違和感』に驚く暇もなく、通路を微かな風が貫き。
 後ろから、ギィッと悲鳴があがった。
 仰け反る蟲の目玉には一本の矢が突き立ち、名残りの赤い燐光を散らす。
「念のため、聞いておくわ……大丈夫よね」
 近付いた胡蝶が、淡い光を宿す右手で傷だらけの腕に触れた。
「いやぁ、流石流石。俺の出る幕なんぞ、全くねぇ」
「どうせ最初から、その気もない癖に。今回は別に、それでもいいけど」
 弓を手にからかう仄へ、胡蝶は頬を膨らませる。
「てめぇ、ら……?」
 やっと状況が掴めたか、瞬きを繰り返すゼロの表情に戸惑いが浮かんだ。
 駆けつけた顔ぶれには既知の者と、数多ヶ原や天見と縁のない者もいて。おのずと、呟きが口から漏れる。
「ナン、で」
「放ってはおけなかっただけよ。リーディアの心中も、穏やかじゃないでしょうしね」
 小声で告げてから、むっと胡蝶は口を曲げ。
「その、友人や知人が面倒な上級アヤカシを討伐すると聞いて、手助けに集まったのよ」
 問う先を察し、手短に明かした。
「吾が友、有栖川那由多が力をば求むるならば、即ち死ぬる覚悟を抱くが傾奇者なり……てな!」
「こ、咬竜っ」
 通路に響く大音声で見得を切った小野 咬竜がかんらかんらと笑い、顔を赤くした那由多は二の句も継げず。
「そういうこった。辛気臭い蟲穴、さっさと野暮用を済ませ、早々におさらばするに限る」
 代わりに続ける御堂・雅紀は魔槍砲をアヤカシへ構えた。
 対する蟲の群れは思わぬ数の助太刀と放笑に気圧されたか、じりじりと後退る。
「蟲、穴って……」
 ようやくマジマジと『敵』を確かめた瞬間、リスティア・サヴィンが赤い髪を大きく揺らした。
「蟲ぃ!? 聞いてないわよ、アグネスぅ!」
「あれ、そうだっけ?」
 しれっと応じる義妹の、外套の端をぎゅっと握ったリスティアは、ふるふると身を震わせ。
「ええぃ! さっさとやることやって、後で謝りなさいよ。アグネス!」
 腹を括ったか、『天鵞絨の逢引』を唄う義姉の背に、感謝を込めてアグネスがくすりと笑んだ。
「はいはい。帰ったらちゃんと、ね」
 加勢にと馳せ参じた開拓者達は率先してアヤカシを掃討し、通路を切り開いていく。
「待って下さい」
 続いて朱刀を握るゼロを見て、玉櫛 狭霧が止めた。
「ここから先が『本番』でしょうけど……だからこそ今は、僅かでも気力体力を回復し、温存した方がいい」
 ゼロが加勢に気付く様、狭霧も物音を立ててきたつもりだった。しかし小伝良 虎太郎の拳撃、由他郎の一矢で驚いた事から、如何に生存のみに専心していたかが見て取れる。
「どこまで君達の援護を続けられるか、判らないからね」
 故に狭霧は名刀「村雨丸」を引っさげ、代わりに前へ出た。
「だから、行ける場所までおいら達が戦いを請け負うよ!」
 得意げに虎太郎が拳を突き出し、有無を言わさず劫光はゼロを下がらせる。
「今の間に喰って、リーディアに怪我を治して貰え。それからしっかり守ってろ。暫くは、な」
「お腹が空いては、戦も出来ないのですよっ。怪我人ですし、蟲袋と戦うまで体力温存しててくださいね。とっさに跳び出さないよう、私がぴったり傍につくのでっ」
 言葉通りに、リーディアはぎゅっと夫の腕を両手で抱きかかえた。
「アヤカシと切った張ったしている横では食事も出来ない程、実は繊細だったのですね」
 冗談めかすルシールに、援護の矢を「与一」へ番える由他郎は一瞬だけ視線を投げる。
「じき、ここも片が付く……それなら、落ち着いて腹ごしらえも出来るだろう」
「後は、先に来た理由も聞かせてもらわないと。伊之助を連れていたとはいえ、ねぇ」
 加えて腕組みをしたアグネスに睨まれ、ゼロが低く唸った。
「仕方ねぇだろ。戦いで勝つには、相手の布陣や手の内を知る必要もあらぁな。せめて黙って赴かなかっただけ、良しとしてくれ」
「それを、自分で言うのか」
 ぽつりと、しかし的確な祥の追い討ちにゼロはぐうの音も出ず。
「……相変わらず、無茶をする。基時の遺したものを無駄にせぬという心掛けは、悪いとは言わんがな」
 呆れた風ながら祥が労い、にやにや笑いで仄はやり取りを眺めていた。

 柚乃が作る『護衆空滅輪』の結界内で休息を取った一行は、第三の扉に辿り着く。
「この先は宝珠絡みか、精霊絡みか……単純な機械仕掛けの類なら、蟲袋が眷属に解かせてそうでやすから……」
 最初の扉の仕掛けを難なく解いた伝助も眉根を寄せ、小さく呟いた。
「親父さん、基時さん、亡くなったたくさんの天見の家臣の仇……討つぞ」
「応よ。いくぜ」
 那由多に頷いたゼロが朱刀をかざすと、観音開きの扉は音もなく左右に分かれる。
 開かれた通路は緩やかな曲線を描く浅い階段に変わり、壁や天井に潜む無数の眼が出方を窺っていた。
「求めに応じて参上したからには、しっかり期待に応えるわよ。劫光、ここから先の露払いは私達に任せて」
 劫光と視線を交わした真名は自分の背より長い錫杖を両手で掲げ、呪を紡ぎ始め。
 身の危険を覚えたか、幾匹かの蟲が小柄な魔術師の少女へ飛びかかった。
「セェイッ!」
 大きく振るわれた黄金の一閃が、アヤカシの気勢を制す。
「女の子を狙うなんて卑怯だろ。おいら達が相手だ!」
 片手で金の槍を構えるヒビキは、更に別の手で深紅の槍を掲げ。
 一方で、放たれた衝撃波が別の一体を弾き飛ばした。
「如何なる手出しも、させません」
 振り抜いた穂先を素早く返し、鮮やかな薙刀裁きで天青院 愛生もずぃと摺り足で間を詰め、新手のアヤカシを圧倒していく。
 その間も、真名はひたすら魔術の構築に集中し。
「『デリタ・バウ=ラングル』……灰色の力よ、敵を射抜いて!」
 長い呪文の詠唱が結ばれた途端、出現した魔法陣より灰色の『光』が次々と放たれた。
 唸りをあげて飛ぶ灰色の光は仲間の間をすり抜け、ひしめく蟲だけを確実に撃ち抜き。
 矢か槍の如き光に穿たれた穴から蝕まれるように灰を散らし、通路を塞いでいた小物のアヤカシどもは次々と崩れ落ちていく。
「凄い、ですね……」
「ですが、あまり何度も使えません。数が減っているうちに先へ進みましょう」
 瞬きの間の掃討に目を丸くする柚乃へ、息を整えながら真名が促した。
 足掻くアヤカシが掘ったのか、壁や天井には蜘蛛の糸が垂れ下がる穴が幾つもあり、新たな蟲が這い出す。
 天井を這う大ヤスデを斬り払い、糸で飛ばす大蜘蛛の足を跳ね飛ばし、螺旋階段状の通路を開拓者達はひたすら下り。
 どれほど時間が過ぎたか忘れた頃、通路の終点――広い筒状の空間に一行は出た。

●人の矜持
「蟲の姿はありませんか。この溝は?」
 真っ直ぐに浅い溝が掘られた床を、ジークリンデは爪先で軽く叩いた。
 交差する数本の線を、じっと劫光は目で辿り。
「七芒星の陣か、珍しいな」
「そういえば。陰陽の呪や魔術では五芒星や六芒星がよく使われますけど、七芒星ってないですよね」
 那由多が疑問を口にすると、陰陽寮の学徒は首肯する。
「七芒星の陣は正確に刻む事が出来ず、その為に『奇跡』と意味されていたような」
「奇跡、ですか」
 線の頂点の壁には武器や道具の浮き彫りと、くすんだ宝珠が埋っている。
「ここ、文字が掘ってありますよ!」
 通路の出口近くで、リーディアが手招きをした。
「えぇと。集い、残りし、七つの志体の力に、寄りて、我ら此の深き地に、彼の災禍を、封ず……?」
 引っかいたような傷を柚乃が指でなぞり、歪な文字を拾い上げる。
『七つの志体は七つの星の加護を借り、封じの柱とならん。
 なれば至れぬ我は、七星の添え星が如く。七年(ななとせ)七代、七度干支が巡りてなお、子々孫々の幾代を紡ぎ、天高き此の原にありて天を見、彼の封印を守護せん。
 されど年月の移ろいに、麻の如く世乱れ、天威すら陰り、封じの陣もいずれは綻びん。願わくば我が末よ。我らが遺恨を後世へ委ねたる事を詫び、永の災禍を滅せんと祈念する』
 それが、全てだった。
「ゼロさんのご先祖様の書き置き、でしょうか」
 傍らのゼロを見上げるリーディアは、知らずと彼の着物の袖を掴み。
「あの……ご隠居さんから蟲袋の本性の事とか、色々聞いたのですが……。他にも、ゼロさんなりの見解とか考えとか、あります?」
「ん〜。考えは、あらかたご隠居に話したからな。後はずっと、無心で刀ぁ振ってたし」
 髪を掻くゼロをじぃと見つめたまま、言い含めるように訴える。
「じゃあ、何か思いついたら、いつでも言って下さいね。皆で考えれば新たな発見があるかもですし、皆で何かを成せば、一人一人の負担も減るでしょう? 貴方でなければ務まらない何かがあるのなら、貴方の負担が少しでも軽くなるように、支えます」
 それから掴んだ袖に気付き、改めて夫の手を強く握った。
「だから……もう、何も言わすに……とか、しないでほしい、です」
「……ん。心得た」
 細い指をゼロはそっと握り返し、幾代前からかも不明な過去からの『伝言』を見つめる。
「お〜い。こっちにも、短いのがあるぜ」
 読解が手間なのか、壁の浮き彫りを調べていた仄が声をあげた。
 近付いた祥は辛うじて形を残す朽ちかけた文字に、しばし目を凝らす。
「この程度なら、まだ読めるな。我が友の為に……と、ある」
「レリーフの絵は七つ……槍、短刀、忍び刀、鏡、独鈷、爪、それと笛ね。それぞれに宝珠が埋まっていて、七芒星の陣を動かす鍵ってところかしら?」
 壁に沿って広間を一周したアグネスが、仲間の元へ戻る。
「それにしても……気付いた? ここにはアヤカシも入りたくないか、入って来れないみたい」
 言われて初めて、誰もが来た道を振り返った。アヤカシが入ってこぬよう、通路には助太刀に来た開拓者らが控えている。未だアヤカシ達が立てる音や声は聞こえるが、守る開拓者を排除して広間へ乗り込む様子はない。
「油断は禁物だぜ。『蟲袋』が見当たらない以上、ここが最下層とも思えない」
 壁の宝珠にゼロは触れるが、澱んだ宝珠に変わりはなく。
「どれ、俺が試してやる」
 戯れに仄が手をかざすと、濁った色に僅かな渦が生まれた。
「ほぉ、少し澄んだか?」
「全部の濁りが取れたら、何かあるかもしれないですね」
「おい、待てよ!」
 広間の宝珠へ向かう者達を、慌ててゼロが止める。
「例え封印の仕掛けでも、何か人柱みてぇなシロモノだったら……」
「だったら、何?」
 足を止めたアグネスは鋭い視線を投げ、つっけんどんに問いを返した。
「その程度の覚悟なら、あるよ。無ければここには居ないわ」
 そして躊躇いなく、彼女は『笛』の宝珠に華奢な手を伸ばす。
「結果、何があろうと後悔はしないさ」
 劫光が『爪』の宝珠に拳骨を軽く当てるのを見て、那由多は『独鈷』の前に立った。
「だよな。覚悟なんか、とうの昔から持ってる」
「古妖の封印に……この身が役に立つのなら、全力を以て対するのみ。友が餌食になる様も、友の家族が再び身内の死に嘆く様も、見たくはない」
 ――その助けとなれるのならば……俺の生にも、意味があったのだろう。
 胸の内で亡き兄へそう語りかけ、祥は『槍』へ手をかざした。
「覚悟……、なくば、この場にはいません。けれど、どの武器も……違う気がして。なんとなく……というか……」
 言葉を切った柚乃は今一度、広間を見回す。
「そうですね。その想いが、より強き人が選ばれるのが良いかと。私としての覚悟は、他にも示し時がありますから」
 警戒するようにルシールが通路を振り返り、心を決めた柚乃も申し訳なさげに首を縦に振る。
「でも私は、長く関わってきたわけではないけれど……最後まで、見届けたいと思ったの」
「何が起きるか、分かりませんしね。それでいいと思いますよ」
 微笑んだリーディアは、ぽんと『鏡』の宝珠に触れ。
「ばっ、人に相談しろって言っといて……!」
 狼狽するゼロの抗議を、にこやかな笑みで聞き流した。
「全く……じゃあ、あっしも」
 ジークリンデは静観したまま動かず、『忍び刀』を伝助は選ぶ。
「友の為であるならば、覚悟を決めない理由はありやせん」
 意識を凝らして宝珠へ練力を込める程に、渦巻く濁りは次第に薄れ、淡い光が宿った。
 口を開きかけたゼロも言葉を飲み込み、祈るように目を伏せる。
 澄んだ宝珠の光が強まると、床の陣が一瞬輝き、全ての光が消え失せた。
 残ったのは、身体の一点に鈍い痛み。
 その痛みもすぐに消え、七人がそれぞれ改めると、場所は違えど一様に文字のような痣が浮かんでいた。
「見て下さい、壁の一部……第四の扉が開きます」
 通路と逆側の壁を、ジークリンデが指差す。壁の一部が左右に分かれ、ぽっかり口を開けていた。同時に、蟲達がひしめく通路も俄かに騒がしくなる。
「アヤカシが入ってきたわ、急いで。仄も、まあ一応、気をつけなさい。退路なら確保しておくから」
 鋏に似た呪具を構え、ぶっきらぼうに胡蝶が一同を促す。
「行って! 劫光、アグネス!」
 再び『デリタ・バウ=ラングル』を行使する気なのか、錫杖「ゴールデングローリー」を真名が掲げた。
「アグネスに怪我なんかさせんじゃないわよ、劫光! 身体はんなさいよね!」
「ああ、行ってくる! 約束は守るからな!」
 兄の様に彼を慕い、自身も妹の如く思う少女へ劫光は片手をあげ。
「那由多!」
「え……痛ぇっ!?」
 背をバンッと叩いた咬竜の手が、彼を扉の方へ押し出す。
「お前のせなに刻んだこの手形、しかと最後まで送り届けよ!!」
「ちょ、こうりゅ……もがっ?」
 たたらを踏み、名を呼びかけた彼の口へ、問答無用で梵露丸が突っ込まれた。
「行って来い、那由多! 手前の意地、見せてこい!」
「雅紀……皆、ありがとう」
 荒っぽい気遣いにむせつつ、感謝を込めて那由多は頭を垂れる。
「はてさて。終結を演ずる歴史の舞台。今宵は何を見れるのか、楽しみだねぃ」
 友人の礼に小さく笑んだマストゥーレフが透き通ったローブを翻し、『夜の子守唄』を紡ぎ始めるや、辺りに薄緑色の燐光が舞う。
 アヤカシひしめく通路からは、天井を伝って大百足が這い出し、もたげた頭へ鑽針釘が突き立った。
「な、那由多ちゃん達の邪魔は、させませんよ」
 少しでもアヤカシを遠ざけようと、渾身の力を唐木 五十鈴が込める。
「五十鈴には、あまり、多くの事は出来ません……けど」
「ハアァッ」
 気合を込めた虎太郎が爪を立てる両手を高々と挙げ、片足で平衡を保ち。
「荒鷹天嵐波!!」
 全身より立ち上る黄金の気と共に、大百足へ神甲を叩き込んだ。
 瞬間、風と雷が逆巻き、へしゃげた外殻を拳が突き破る。
 時間を稼ぐ間に蟲袋を討つ者達が先へ進み、扉は再び動き始める。
「伝助も皆も、全員揃って戻って来てよ。おいら達、待ってるから!」
 頭部を潰されてなお、暴れる胴体と対する虎太郎が肩越しに一喝し。
「皆様のご武運を、お祈りいたします」
「てめぇも、気をつけろよ!」
 一礼した愛生は青い髪を翻し、大ヤスデ相手に精霊薙刀を構える背へゼロが言葉を投げる。
「己が覚悟は矜持の為に。振るう爪牙は決意の為に。
 愛すべき友よ、私は謡おう。信ずべき友よ、私は謳おう。
 其が為の詩を。其が為の夢を――」
 響くマストゥーレフの歌を最後に、扉は閉じた。

●蟲穴の底
「さぁて、この先何が待っているかしら」
 ふんと腕組みをして、アグネスは下る通路の先を見る。
 四層目は壁に沿って螺旋階段が巡り、中央の吹き抜けから床にある七つの台座が見えた。
「朱刀が関係している可能性も考えましたが」
 ジークリンデが天井を仰ぐと、こちら側にも七芒星の陣がある。
「あるいは、宝珠刀と天見の血で封印は成ってる……と踏んでやしたが、違うみたいっすね。ただ蟲袋が最近こうも活動出来るようになったのは、時間の経過で封印者が死亡したり、封印者同士の絆が薄れて封印が弱くなった……とか?」
 伝助の推測に、前を見据えたルシールも考え込んだ。
「時間と共に力が衰え、新たな封印のための依り代が、必要なのやも」
「でも、見取り図も記録も残されていないのは……?」
 柚乃が小首を傾げ、時おりジークリンデは入り口との位置を確かめる。
「誰かが封印を解かないよう、警戒したのでしょうか。この遺跡全体が『蠱毒の壺』、すなわち『蟲袋』とした可能性も捨てきれません」
「蟲のねぐらか。潜るのは、一度で済ませたいとこだな」
 最後尾を歩く仄がぼやき、後ろを警戒しながら伝助も首肯した。
「あの七つの台座、北斗七星の並びを模しているのか」
 螺旋をほぼ一周した付近で、祥は劫光に台座の位置を示す。
「確かに。壁にあった『七つの星の加護と力を借りる』のと、関係あるのかもな」
 先を行く二人の推測を聞く那由多は、ゼロをちらと見。
「俺はアイツの光になれないから。せめて……光の当たるところまで、その手を引いて行くだけだ」
「誰が誰かの光なんて、ないよ。あんたはあんたの光を持ってるんだから、那由多」
 ごく小さな独り言を聞き止めたアグネスが、隣でそっと呟く。
「自分で自分の光が分からないからこそ……人って、誰かの光に惹かれるのかも知れないけどね」
 やがて、何事もなく一行は広間に着いた。
 あるのは七つの台座と、宝珠で北斗七星が刻まれた扉。
 先の陣と同様、各台座には宝珠と武具の浮き彫りがある。
 再び七人がそれぞれ台座の前で集中すると宝珠が輝き、天井の陣と光の糸で結ばれ――。
 祥には義、劫光は結。
 仄は業、伝助が誠。
 リーディアが仁、アグネスは礼。
 そして那由多には信の文字へと、痣が変化した。
「扉の宝珠も、光ってやすね」
 伝助が近付くと扉の表面に光の一文が現れ、消える。
「――継ぐ者は進み、紡ぐ者は残る?」
「進めるのは七人だけ?」
 伝助の読み取った言葉に、ルシールは不安を覚えた。
「時間が惜しい。今は、進んでみよう」
 促す劫光に他の者達は複雑な表情で続き、強く握る大きな手をぎゅっと握り返してからリーディアも離れる。
「……ゼロ!」
 振り返った那由多に、笑って親友は軽く片手を挙げた。
「俺は何があっても、野良んとこまで連れてってやるつもりだったのに……!」
「気にするな。俺や……他の連中の分まで、奴に『礼』をしてくれ」
 七人が揃うと開いた扉は、七人が通ると音もなく閉じる。
「無事、戻ってきますように……」
『それは、どうかな』
 残された柚乃の祈りを、背後より濁った声が嘲笑った。

「黴臭い穴倉へ、ようこそ……と言った方がいいか?」
 聞き覚えのある声が、空間の底から響いてくる。
「わざわざ出向くとは大儀よな、解放者」
「やれやれ。伊達に『死なず』と言われてる訳でも、なさそうだな」
 仄の軽口に、「全くだ」と祥が眉根を寄せた。
「本当に死なないなら、滅びるまで何度でも倒すのみだ」
 白狐の陰陽符を劫光が握り、黙って那由多は足を早め。
「解放者、ですか」
「とりあえず、『死なず』から解放してあげようか」
 引っかかりを覚えるリーディアに、アグネスは皮肉で応じる。
「簡単な話。封が解かれた今、我が身は自由という事よ」
「残念っすけど、そうは問屋が卸しやせん」
 言い渡す伝助の声からは、抑揚が失せ。
 到った広間の中央で、七人は小さな人形(ヒトガタ)と対峙した。
「お前と初めて会った日から何年経ったか……だが、これで終いだ。背中の傷は、今日乗り越える」
 忘れもしない姿形を、正面から那由多が睨む。
 否、忘れもしないからこそ、微かな違和感があった。
「蟲袋……前回は仮初の器に惑わされたが、今度ばかりは本物だろうな」
 疑わしげに、祥が間合いを計る。
「気付いていなかったか。だが案ずるな、アレもまた我が身」
 聞き覚えのある声色と言い回しに、伝助は記憶の糸を手繰る……そう、姿は別の開拓者が見た。その会話だけを、彼は聞いた。誰と……誰、と?
「安康寺……鷹取と話していた、人妖紛い?」
「正しくは否、だが是でもある。本質が対であるが為に斯様な無意味をすると、あの顔無の一人は揶揄していたが」
「どういう事?」
 アグネスが怪訝な顔をし、違和感の正体を那由多も悟る。
「多分、こいつは二身で一体のアヤカシです」
「そういえば基時も……『片割れが死んだ場所に出るのが迷信じゃない』のは、そういう意味? そして、自分を討った者に報復を……」
 にたり、と。
 人妖の外見に似つかわしくない笑いを浮かべ、灰色の煙が一面に立ち上った。

「例え一方が滅びても、一方が無事なら年を経て蘇る。それが『死なず』のカラクリでしたか」
 ジークリンデが納得し、ちらとルシールは足元を見る。
「つまり、下には半身たる本性が封じられている?」
『滑稽なものよ。我を討てぬ彼奴らは、半分を封じた。結果、我は此の地に縛られ、住む輩もまた我との因縁に囚われた』
 対するは、ツギハギの布袋を被ったような人形(ヒトガタ)。
 継ぎ目では様々な蟲が蠢き、不気味な容貌もあって柚乃は寒気に身を震わせた。
「それを知らない皆は……ずっと、戦い続ける?」
「面倒くせぇ話だが、つまるところ下のもコイツもまとめてブッた切ればいいんだろ。てめぇら、すまねぇが力ぁ貸してくれるか?」
「貸しませんよ」
 にっこりと笑んだルシールはゼロと肩を並べ、クレイモア「アンサラー」の穂先を蟲袋へ向ける。
「私は私の覚悟を以って、この敵を滅ぼします」
「上等」
 ぞろりと宝珠刀をゼロが引き抜くや、ひと息で間合いを詰めた。

「気をつけろ!」
 立ち上る灰煙に、念の為に首へ巻いていた混天綾を祥が口元へ引き上げる。
 咄嗟に劫光も袖で防ぐ一方、目くらましかと斬り込んだ仄の視界がぐにゃりと歪んだ。
「くそ、幻か!?」
「すぐに治します!」
 身体を淡い藍の光が包み、五感が戻ってくる。
「さすが、鉄砲玉の扱いは慣れたもんだな」
 礼代わりに、仄は『解術の法』を使ったリーディアへ軽口を叩いた。
「……きやす!」
 注視していた伝助が、揺らめく影に警告する。
 途端、煙を割って巨大な影が七人へ突っ込んできた。
 突進の先には、人魚の竪琴を奏でるアグネスの姿。
「ちぃ!」
 距離は取っているが呪歌へ集中する吟遊詩人を庇い、劫光が立ち塞がる。
 体当たりを反らすべく、鞘のまま構えた霊剣はガリガリと音を立て、振動で手が痺れ。
 踏ん張る相手を押し潰す様に、重量が増した。
「はぁっ!」
 脇から祥が槍で硬殻を突き上げ、支える間に難を逃れる。
「すまん、助かった」
「冷静さを失っては、相手の思う壺だ」
「ま、約束もあるからな」
 友人へ劫光は苦笑い、その間にアグネスが『天使の影絵踏み』を紡ぎ上げた。
 煙の中より晒した本性――青黒い外殻を持ち、長さ六間(約11m)を越える大百足は悠々と壁を這う。
 大きさに反して移動は素早く、天井に達すると身を反らし、警戒する者達の上へ降ってきた。
 ずむっと、重い振動が床に響き。
「危ない!」
 振り回す頭や尾の先に、身を竦めたリーディアを認めた伝助は、迷わず集中する。
 瞬間、全ての音が消失し、あらゆる物が止まった。
 彼だけが動ける僅かな時間の間隙で、巻き込まれぬ方向へ巫女を突き飛ばし。
 間一髪で、尾が二人の上を掠めて通る。
「無事でやすか」
「はい、ありがとうございます」
 返事に伝助は安堵し、身を起こしたリーディアは目の前の大百足にぞっとしない光景を想像して、身震いした。
「この巨体で……町や村を、潰してきたのですか」
 落ちて暴れる大百足は、近くにいた那由多や仄を弾き飛ばし。
 鞭のようにしなる触覚が、受け流そうとする祥や劫光を強かに打つ。
 距離を取り、切れ目なく『天使の影絵踏み』で援護するアグネスだけが辛うじて無事だった。
「すぐ手当てします」
 声をかけてリーディアが祈り、傷を癒す間も七人の気力体力を削り落とそうとアヤカシは毒や幻惑の霧を撒き散らす。
「長期戦は不利です。一気に片付けないと、上の皆にも限界がある」
「望むところだな」
 賛同する仄に那由多が離れた劫光らを窺えば、同じ考えに到ったか目で頷いた。
 合わせて、アグネスは『泥まみれの聖人達』を奏で。
「蟲袋! 基時の仇、討たせて貰う!」
 怨敵の注意を引くべく、劫光は声をあげる。
 白狐絵の陰陽符「葛葉」を放てば、たちまち厚い白壁の式と成った。
 届く限りの三方へ次々と召喚した壁はアヤカシの動きを封じ、同時に仲間の足場代わりとするのが目的。
「野良、お前と“冬”に会ったこと……なかった、よな!」
 それまで、解毒や回復に回っていた那由多が前へ出る。
「頼む、効いてくれ……!」
 願いを掛けて打つ式は、渾身の『氷龍』。
 冷気を纏う白銀の龍が吐く息は瞬く間に大百足の体を凍てつかせ、動きを鈍らせた。
 これを好機と劫光は判じ、抜いた霊剣「御雷」を掲げる。
「一気に叩くぞ!」
 動きが鈍る時間は、短い。
「他の者の様に『誰かの補助をする』事は、俺には出来ぬ……だからこそ、この槍を以てただひたすら戦うのみ」
 主たる祥の意志を表すかの如く、長槍「紅蓮修羅」の柄は一層の熱を帯び、掲げた穂先へ残照に似た光が宿る。
「己の為せる全てを、ここに……!」
 白壁を足場に、大百足の頭へ迫る切っ先は硬皮へ突き立ち。
 壁の間を不規則に跳躍した伝助の一刀が、蟲の目へ振り下ろされる。
 祥の逆側より振るう仄の刃は、強固な触覚の一つを鬼気迫る剣圧にて斬り飛ばし。
「おおおおおおお!」
 気合と共に劫光は『天辰』を叩き込み、一拍を置いて『白蓮華抄』を放った。
 だが、生じた微かな隙に。
 自ら首の節を断ち、飛んだ大百足の顎が正面の劫光へ喰らいつく。
 鎧に仕込まれた刃が飛び出すも、勢いを殺すに到らず。
 感情も顕わに大百足へ切り込む仲間と、轟く雷鳴と。
 天井の七星より伸びた七条の光が、大百足を射抜いて拘束し。

 それが意識を失う前に劫光の見た、最後の光景だった。


   ○


「あぁ、無事でしたか!」
 扉が開き、現れた満身創痍の七人にルシールが微笑んだ。
「約一名、三途の川に足を突っ込んだのはいたがな。幸い、お前の嫁さんが連れ戻した」
 意識のない劫光を背負った仄が、苦笑し。
「そちらも……一戦、交えたのか」
 深手を負ったルシールと柚乃、ゼロの三人に、祥が眉根を寄せる。
「はい。蟲袋が……」
「話すと長ぇ。帰ってからだ」
 言いかけたジークリンデをゼロが遮り、よろめく身体を那由多が支えた。
「馬っ鹿、てめぇも酷ぇ怪我なのに、潰れんぞ」
「俺がやりたいんだよっ。それより……」
 言葉を切り、深く目を閉じてから口を開く。
「誕生日、また祝えそうだな。親友」
 小さな言葉に、ゼロは笑って那由多の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「基時……これで、一先ず安心してくれるかしら」
 ふと呟くアグネスに、無言でリーディアも大きく頷き。
 古妖を滅ぼした十人は、仲間の元を目指す――。