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■オープニング本文 ●閑話〜人に寄り添うモノ達 開拓者達が調べた資料の要約を聞いていた仙猫は、話が終わると深く息を吐いた。 『大アヤカシと上級のアヤカシか。随分と喰えぬ連中に、目を付けられておるの』 飄々とした仙猫の柴上右衛門(しばがみ・うえもん)に、書箱へ紙束を仕舞った天見元重(あまみ・もとしげ)の口は重かった。 「一方的な劣勢としか言いようがない」 そして立ち上がり、人払いをした書庫を後にする。 数多ヶ原は城町に建つ天見屋敷、そこが天見家の『城』だ。 天見家はここ数年で中堅の家臣を多数失い、前当主の天見基時(あまみ・もととき)さえアヤカシの手にかかって落命している。 『お前が生きておってなりよりじゃ、元重よ。此隅の屋敷の者どもも、いたく心配しておった』 「御隠居はそろそろ悪行の末、三味の皮になった頃と思っていたが」 『失敬な。最近は、台所に儂の魚を備えてくれるのだぞ』 「……ここの台所にも、伝えておこう」 満足げな柴上がくふりと笑ったように見えた、次の瞬間。 ぱっとあらぬ方向に、仙猫は飛び掛った。 何事かと怪訝な顔で元重が窺うと、得意げに前足で顔をぬぐう柴上の足元で一匹の蛾がもがいている。 『ここは、怪しげな虫が出よるのう』 それを爪で引き裂けば、虫は残骸も残さず消え去った。 「出来るだけ目を光らせているが、相手が小さいだけにな」 『その「蟲袋」とやらも、己が利と心得ておるのだろうよ。もっとも力か数が揃わねば、アヤカシと言えど只の小虫』 「とはいえ甘く見て、見過ごす訳にもいくまい」 残った目で元重は消えた痕を睨み、ぱたりと仙猫が尾を揺らす。 『良い心がけじゃ』 苦笑う元重は歩き出し、柴上も器用に二本足で続く。 向かった先は、今の天見家の当主たる天見基宗(あまみ・もとむね)の居室だった。 侍女らが守る部屋で赤子の基宗はすやすやと眠っており、椅子から立ち上がった金髪碧眼の青年が一礼する。 『ほぅ、異国人の似姿のからくりか』 「名付け親殿より贈られた護衛だ。ラーンス・ロット、変わりはないか」 『何事もなく。そちらの御猫殿は?』 ジルベリアの甲冑をまとったラーンスは、僅かに小首を傾げた。 「此隅の屋敷より来られた、仙猫の柴上右衛門殿だ。見識の深さから皆の信頼を得ている」 『識者、いや賢者であらせられますか』 『儂はただ、長く生きているだけじゃよ。有難がられても、尻の辺りがむず痒ぅてしょうがない』 『……掻きますか』 『無用じゃ。こやつ、物の例えも解さぬのか』 恨めしそうな訴えに、思わず元重は吹き出す。 「何分にも、教える者の頭が固い故。申し訳ない」 『お前か、お前のせいか』 仙猫が手にした扇子で忍び笑う元重の足をぺちぺちと叩き、不思議そうにラーンスはそれを眺め。 赤子は時おり口を動かしながら、健やかな寝息を立てていた。 ●危難〜藤見櫓の攻防、蟲袋の胎動 当主後見役を探していたのか、基宗の居室を出たところへ若い侍が駆け寄り、膝をつく。 「元重様。国境の監視役より、藤見櫓の飯森軍が更に数を増したとの知らせが」 「分かった。飯森への手立ては追って知らせる」 深々と若侍は頭を下げ、柴上にも一礼してから場を後にした。 「三根の連中、数で脅しをかけるつもりか」 『こちらの軍勢が少ないと踏んだ上で、士気を挫くつもりやもしれぬ。いずれにせよ人を集めた以上、二日か三日の間に打って出よう』 「だが、誰に指揮を任せるか。兄上が生きていれば、俺が自ら出るところなのだが」 口惜しげに元重は空の左袖を押さえ、ぎりと唇を噛む。 「あの、元重様。恐れながら、そのお役目……俺にやらせてもらえませんでしょうか!」 突如、物陰より進み出た三枝伊之助(さえぐさ・いのすけ)が正座をし、手をつくやいなや、勢いよく床に頭をこすりつけた。 「お前が?」 「戦に出た事などなく、技量不足である事は重々承知しております。しかしお家に刀を向けた身にもかかわらず、先代のお屋形様からは格別のお取り計らいを戴き、何かご恩返しを致したく……!」 渋面の元重に伊之助は懸命に訴え、これ以上は下がらぬ頭を床へ押し付ける。 しかし、返事は短かった。 「ならぬ」 「しかし……」 「くどい。二度は言わせるな」 そして肩を落とした少年に構わず、先を続ける。 「飯森との一戦は、侍頭の向井に預ける。しかし向井は老齢、お前が手足となれ。くれぐれも先走るなよ」 はっと表情を引き締めた伊之助が、改まり。 「しかと、肝に銘じます」 そこへまた慌ただしい足音が近付き、三人目の家臣は息も整えず頭を垂れる。 「警備の隊より、伝令。西の山、与代森(よしろのもり)近辺に多数のアヤカシが出ました!」 「何だと!?」 『多数と言うが、どの程度の数じゃ』 驚く元重を制するように、柴上が仔細を問う。 「正確な数やアヤカシの種別は、後の者を待っての御報告となります。いずれも虫アヤカシに相違なく、数も十や二十を越えているとか」 「『蟲袋』の差し金か……三枝。急ぎ風信屋に赴き、神楽の都と繋ぎを取る準備をさせろ。宛て先は開拓者ギルドだ」 「はっ!」 開拓者世話役でもある伊之助は弾かれたように飛び上がり、床を蹴って駆け出した。 「向井に伝えよ。開拓者ギルドには飯森の軍に対する助太刀も求める故、先に手勢を率いて葵村へ向かい、戦に備えるよう」 「ははっ」 残った家臣も次の指示を受け、急いでその場を離れる。 『開拓者に頼るか。今は収穫の時期、人のおらぬ数多ヶ原では止むを得んか』 うな垂れるように尻尾を揺らし、ほぅと柴上は溜め息をつき。 「兄様。私も討伐隊と、西の山へ向かいます」 様子を窺っていた津々(つつ)が遅れて現れ、思いつめた表情で申し出た。 「お前は……」 「じっとしていると気が滅入るばかりで……討伐隊と西の山へ先行し、アヤカシの監視と麓の村人の避難にあたります」 「……無茶はするなよ。絶対に」 「はい!」 兄の許しを得た妹はパッと顔を輝かせ、勢いよく頷く。 駆け去る後ろ姿を見送った仙猫が、ちらと元重を見上げ。 『お主も苦労しておるな』 「兄上の足元にも及ばない」 重く返し、天見家を束ねる当主後見役は『此隅の御意見番』を伴い、家臣らとの会議の場へ向かった。 ●人か、アヤカシか 翌朝、夜明け前。 数多ヶ原と飯森の国境、藤見櫓では兵達が気勢を上げていた。 集まったのは三根家の家臣や飯森の領民、五百あまり。 三根家当主の嫡男、義久が天見家よりかかされた『恥』をすすぐ為。 積年の血と因縁と怨恨が染み込んだ地に、出陣の太鼓が響いた。 同じ頃。 西の山では、小さな人の形をしたモノがくつりと嗤った。 「大妖殿が外から喰うなら、その前に我が内より喰らい尽くしてくれよう。それが長きに渡り、この身を縛り付けている者どもへの礼よ」 幾つもの羽音が聞こえ、這う音が聞こえ。 それらは数多ヶ原の中心にある城町へと、進み始めた。 |
■参加者一覧 / 時津風 美沙樹(ia0158) / 鷲尾天斗(ia0371) / 有栖川 那由多(ia0923) / 胡蝶(ia1199) / キース・グレイン(ia1248) / 鬼灯 仄(ia1257) / 羅轟(ia1687) / 御凪 祥(ia5285) / 野乃原・那美(ia5377) / 劫光(ia9510) / リーディア(ia9818) / 雪切・透夜(ib0135) / フレイア(ib0257) / 玄間 北斗(ib0342) / 十野間 月与(ib0343) / 明王院 未楡(ib0349) / 明王院 千覚(ib0351) / 国乃木 めい(ib0352) / 不破 颯(ib0495) / 透歌(ib0847) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / ケロリーナ(ib2037) / 杉野 九寿重(ib3226) / 禾室(ib3232) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / 御鏡 雫(ib3793) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 緋那岐(ib5664) / ファムニス・ピサレット(ib5896) / フランヴェル・ギーベリ(ib5897) / 玖雀(ib6816) / レムリア・ミリア(ib6884) / 月・芙舞(ib6885) / ナキ=シャラーラ(ib7034) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 藺 弦(ib7734) / 棕櫚(ib7915) / 来須(ib8912) / 鍔樹(ib9058) / 呂宇子(ib9059) / ヒビキ(ib9576) / 雁久良 霧依(ib9706) / 弥十花緑(ib9750) / 戸隠 菫(ib9794) / 御鏡 咲夜(ic0540) / 零式−黒耀 (ic1206) / カルマ=X=ノア(ic1258) / カルマ=R=ノア(ic1263) / 九朗義経(ic1290) |
■リプレイ本文 (字数を大きく超過しておりますが、遅延状況と依頼の内容的に特例として許可しております。 ご了承くださいませ) ●城町〜要の護り 集中する時津風 美沙樹の身体が淡い光に包まれ、天見家当主の居室周辺を回る。 「瘴気の気配は、ないわね」 「こっちも、おかしな人は来ていないですの〜」 調べた結果を美沙樹とケロリーナが伝え合い、そこへ天見元重が現れた。 「あ、元重おじさま〜。異常なしですの」 「そうか。お前達のお陰で、屋敷の者も心強かろう」 「相手は何処にでも入り込みそうな虫アヤカシ。外にばかり目が行けば、内から喰われる事もございましょうから」 「ところで」 当主後見役の姿に、庭に出ていた无が声をかけた。 「護衛に際して、歴史書など秘蔵の書を見せていただけると聞きましたが」 「どこで、そんな話に……見せぬとは言わんが懸念もあり、書物蔵は封印中だ」 「なら、大アヤカシや上級のアヤカシについて聞き回るのは?」 「仔細を知るは限られた者のみ、家人への危険もある故な」 「壁に耳あり障子に目あり、とも言いますしね」 『油断は大敵じゃからのぅ』 日向で座る仙猫の柴上右衛門に美沙樹は目を細め、二又の尻尾をケロリーナがうずうずと見つめる。 「右衛門さん……もふもふしたいですの〜」 『面倒が片付いたら、の』 「隙のない守りで相手が手出し出来なければ、それに越した事はないですわ。後は、西と東の戦い次第……」 何事もなければと祈りつつ、晴れた空を美沙樹は仰ぎ。 懐より青い霊符「文殊」を抜いた无が、こそりと新たな『人魂』の式を放つ。 数多ヶ原の要を案じる者達は、城町でも動いていた。 「頼むっ。おいら、あいつを心配させたくないんだ!」 両手を合わせたにヒビキの真摯な訴えに棕櫚と来須は視線を交わし、協力を快諾する。 「怪しい奴を探すのはヒビキと来須に任せるぞ。俺は、敵が出たら暴れる役だからなっ」 「構わねぇけど、敵が出る前に迷子を探す羽目にならないといいな」 「棕櫚なら大丈夫だよ! ……多分」 「ま、ヒビキが言うならな」 小さな補足を、来須は深く問わず。 「騒ぎが起きたら狼煙銃で天見屋敷に知らせる手筈だから、目印になるだろ」 「じゃあ、安心だなっ」 笑う棕櫚は、ふと小さな社の前に集まる子供らに目を止めた。 「どうした?」 問えば子供らは、不安げに顔を上げる。 「飯森の兵が攻めてくるって、おっ父が……」 「うちの母ちゃんは、アヤカシが出たって言ってた」 「だからみんなで、お願いしてたの!」 「そっか」 舞靭槍を置いて棕櫚はしゃがみむと、子供らに握った拳を突き出した。 「でも、大丈夫だっ。悪い奴は俺がぶっとばしてやるからなっ」 「ホント?」 「俺が、じゃねぇよ」 弓「射戟」を携えた来須が、頭の上からぼそと修正する。 「おいら達が、だよな」 付け加えるヒビキに明後日の方を見やった。 「そうだなっ。だからお前達も家族に大丈夫って言ってやれ。開拓者のお墨付きだっ」 笑う棕櫚に子供らは元気よく頷き、走っていく。 「もし……おいらがアヤカシなら、東と西で戦っている間に現当主の首か、城町そのものを狙う……かな」 「他にも飯森の刺客とか、便乗する狼藉者が出るかもだよなっ」 小さな背を見守るヒビキの推測に棕櫚は腰を上げ、それとなく辺りへ視線を向けていた来須も頷いた。 (ここはおいら達が守るから、必ずアヤカシを退治してくれよな。嘘つきになりたくねぇし) 案じながらヒビキは仲間と街を見回る……友人が後ろを気にせず、心置きなく戦えるよう。 ●西〜与代森の戦い ――トモダチが困ってるんだ、いつでも手を貸すよ。 夜明け前の空の下、笑って憂いの一部を背負ってくれた友人を思い返し。 有栖川 那由多は悩んだ末、仲間に『提案』を切り出した。 「あのさ……もし問題なければ、俺に指揮を取らせてくれない、かな。あっ、全員の行動を指示するとか、そんな大げさなモノじゃなくて! 数多ヶ原に出る虫アヤカシとは何度かやりあってるから、戦いの最前線から一歩引いた形で出方を見たいっていうか……上手く、言えないけどさ。 ただ後ろで糸を引いているアヤカシがいるなら、俺はソイツを絶対に逃したくない」 ひと息に説明し、両の拳を握る様子に御凪 祥が深く息を吐く。 「俺は異論ない」 「ああ、指揮というより穴がないよう全体に気を配る役なら。過去の経緯は知らんが、人の戦いに乗じた動き、俺には何か策略があるように感じる」 暗い山を見る玖雀に劫光も首肯した。 「二重の侵攻のどさくさで何かしようって気はすんだが。少なくとも俺は、その対策に適任じゃない」 「そうね。血の気が多そうな顔ぶれだし……私も『蟲袋』とかいう大物、引っ張り出せたなら確かめたい事があるの」 蟲の字を持つアヤカシが出ると聞いて赴いた胡蝶が挑む瞳で笑み、心配顔の透歌は頷く杉野 九寿重に腹を据える。 「俺も、何でもいいぜェ。大物の首が狙えるんならよォ!」 嬉々として鷲尾天斗が気炎を吐き、不破 颯は頭を掻いた。 「問題、なさそうだねぇ。あ、俺も反対はしないよ……やれ人だアヤカシだと大忙しだからねぇ。とりま、こっちの方は万全に押さえておかないとなぁ」 紅葉の刺繍がされた袖を、弓術師はひらりと振る。 「結果的に後の憂いが減れば、領民や天見家の人達も安心できるでしょう」 「あたし達も皆で騒げてアヤカシを倒せたら、それでいいよー!」 小隊【アルボル】の仲間を代表する十野間 月与に続き、小隊【光翼天舞】を率いるリィムナ・ピサレットもあっけらかんと笑った。 「しかし武天に……虫とは、また……。普通のに紛れてしまうと、面倒そうやと思いましたが……」 憂う表情で弥十花緑が呟き、ケイウス=アルカームも暗い東の空を見やる。 「向こうに友人が向かったんだ。だから、ここを崩される訳にはいかなくてね」 そこへ鉢金を巻いた津々自らが、馬で駆けつけた。 「避難は、ほぼ終わりました。そちらは?」 「これから森に入ります。もしアヤカシが現れたら、知らせて下さい」 那由多から手渡された武天の呼子笛を、津々はお守りの様に両手で包む。 「かしこまりました」 様子を見ていた祥は劫光と玖雀に「少し、すまない」と断りを入れ、馬に戻る天見家の姫を呼び止めた。 夜通し領民を避難させていたのか、疲れが見て取れる。 「何と言えばいいか、わからんが……」 「お叱りになりますか、御凪様?」 友人と似た悪戯めいた笑みに、祥は首を横に振る。 「気持ちは分からぬでもないからな。ただ、余り無理はしてくれるな。あんたにまで何かあったら、アイツに合す顔がない」 案じる言葉に笑みは失せ、戦に臨む顔となり。 「分相応、私どもは身の守りに徹します故……お気遣い、感謝します」 最後の礼は小さく付け加えた。 「どうか皆様、御武運を!」 去る津々を見送った開拓者は、二手に分かれて行動を開始する。 少女らで構成された【光翼天舞】と天斗は森の外に待機し、残る者達は森へ足を踏み入れた。 鳥や獣一匹いない森の闇を、影の群れが進む。 東の方角を目指す、無言無心の行列の狭間を微かな震えが渡り。 シャン、と錫杖の金輪が涼やかに鳴る。 「……行き、護法鬼童」 印を結んで瞑目し、金の錫杖「七宝金蓮」を掲げた武僧の前に火炎を纏う鬼が現出した。 瞬間、森を満たす闇は払われ、毒々しい羽や髑髏模様の羽が照らされる。 「その、髑髏羽が死蛾です!」 放った人魂の式、駒鳥の目で確かめた那由多が顕わとなった虫の様相を伝えた。 「瘴気を撒く蛾は私に任せなさい。『災いの風』を浴びると、瘴気感染を起こす危険があるわ」 応じる胡蝶は懐より数枚の符を抜き取り、警告する。 「気をつけて下さい……瘴気感染は、巫女の技でも治せないので」 「では尚更、先に倒さなければなりませんね」 振り返らず頷き返す九寿重の背に、緊張しながら透歌も白塗りの清杖を握った。 その間に花緑が放った形ある精霊力、護法鬼童の幻影は近くにいた蛾の羽の一部を引き千切り、消え失せる。 視認できた蛾の数は、おおよそ十五余り。 弦を爪弾くたび、魔弓よりほのかな金銀の靄が舞い。 「まだ、他にもいるなぁ」 鏡弦にてアヤカシの位置を探る颯が示す。 「木の上にも気をつけて!」 蜂のような羽音や木々の枝葉を揺れる音を聞き取っていた者達は、ケイウスの掲げる松明の炎に音の主――似餓蜂と餓鬼蜘蛛を捉えた。 炎に照らされた直後、似餓蜂の集団はまるで一個の生き物のように花緑を飲み込む。 「く……っ」 耳を塞げど、耳障りな羽音は絶えず。 払い除ける袖をかいくぐった似餓蜂が喰らいつき、身体中に痛みや痺れが走る。 「ちょっと痛いけど、堪えてくれなぁ……!」 魔弓「夜の夢」を引き絞っていた颯が、狙う先を合わせ。 「……纏めて吹き飛びなぁ」 ビンッと、弦が唸った。 華奢な弓より念を込めて放たれた矢は、風をまいて一直線に飛ぶ。 従えた衝撃波は似餓蜂の集団を脇から貫き、音の檻がほつれた。 吹き抜ける風に煽られながら、花緑は再び錫杖を掲げ。 乱れた群れへ再度、護法鬼童の攻撃を喰らわせる。 獲物を逃した似餓蜂の、こもる様な羽音が一斉に遠ざかり。 錫杖を支えに花緑は息を整え、残る風に混った淡い芳香に気付いた。 「この、甘香は……」 「迷い蛾だ。風向きに気をつけて!」 視線を走らせてケイウスは元凶の蛾を探し、明王院 千覚が駆け寄る。 「無理はなさらず。すぐ、手当てします」 「いえ……気にせんでも、大丈夫です。自分の傷を治すくらいは……」 僅かに花緑は身を引くも。 「そうね。だからこそ手当ては千覚さんやレムリアさんに任せて、アヤカシ退治に余力を回して欲しい、かな?」 治療の邪魔をされぬよう月与は霊刀「ホムラ」を構え、アヤカシの動きに注意を払う。 「さっきの護法の術だって、気軽に何度も使える法力ではないでしょうから」 「……では、お願いします」 承諾を待って、千覚とレムリア・ミリアは精霊へ癒しの助力を願う。 その耳に、この場に似合わぬ穏やかな楽が聞こえてきた。 戦いに掻き消されぬ音色を、『安らぎの子守唄』を祈るようにケイウスが奏でる。 漂う甘い香りが、一瞬で自分が何処にいるかを忘れさせた。 感覚が歪み、立ち竦む耳に届いたのは竪琴の音。 紡がれる旋律は標となり、惑う意識を幻から現(うつつ)へ導く。 「うぅ……っ」 「大丈夫ですか、九寿重さん!」 残る頭痛に頭を振って目蓋を開けば、死蛾へ『魂喰』の式を打つ胡蝶の姿と自分を支える透歌の心配顔が目に入り。 その頭上で、風もないのに枝が揺れた。 降りかかる糸へ九寿重が刀を振るい、手塩をかけて鍛えた刃は強い粘りと弾力のある糸を斬り払う。 しかし別の糸が柄を握る腕自体を捉え、鉤爪の生えた手が振り下ろされ。 「邪魔よ……!」 符をかざす胡蝶の前で、現出した『氷龍』が凍てつく息を吐いた。 見る間に白い霜のようなものを帯びた糸は弾力を失い、鉤爪の動きも鈍る。 薙ぎ払うしなやかな槍が、固まった糸を砕き。 遮る白銀の峰は、湾曲した爪を叩き折った。 「悪ぃが、こいつの相手はさせてもらうぜ」 身構える玖雀は、餓鬼蜘蛛の逃げた樹上より目を離さず。 「という訳だ。蛾の方を任せていいか?」 並ぶ祥もそれで一切を略し、舞靭槍を少女らの前にかざす。 「そうね。そちらも考えあっての事でしょうし、朱雀で学ぶ陰陽寮の徒なら……」 劫光のつけた『朱花』に目を留めた胡蝶は、言葉を切り。 「大事な仲間を庇ってくれた事、感謝するわ」 そこへ慌ただしく、那由多が駆けつける。 「アヤカシの一部が進路を変えました。足止めをして、残りは西へ向かう気かもしれません!」 「しかし、ソレらしい『動き』は……」 鋭く澄ませた玖雀の耳にも、『指示』は聞こえてこない。 代わりに侮蔑とも嘲笑とも嘆息ともつかない、小さな息遣いが遠く漏れた。 「勤勉な事だ」 淡々とした呟きは、微かに忌々しさや呆れの色を帯びている。 「いつの間に、開拓者は斯様な働き者になった?」 問いの返答より先、黎明の光が差し始めた森を笛の音が貫いた。 「片付ける端からアヤカシが悪さをするせいで、休む暇もないんだよ」 覚えのある声の主を確かめた那由多は、武天の呼子笛を懐へ仕舞う。 「……悪いな。俺はあの時、お前を真っ先に殺しておくべきだった」 「そういえば小童、背の刀傷は疼くか?」 相手の口振りは変わらぬが那由多は眉根を寄せ、耳で所在を探り当てた玖雀がソレを注視する。 「察するに、こいつがアヤカシの『頭』か」 首魁たるアヤカシは虫アヤカシの一群より距離を置き、ただ一体でそこにいた。 人妖を思わせる小さな人形(ひとがた)は宙に漂い、音もなく移動する……どれだけ羽音や這う音を辿っても、見つけ出せないのは道理だった。 「あのっ、どうしてこんなことをするんですか」 話の通じそうな見た目のせいか、不意に透歌が訊ねた。 「アヤカシだから悪いことをするのでしょうか? おなかが空くから、なのでしょうか?」 「ヒトを喰う、それが我らの在り様。お前達とて魚や獣を殺し、山野を焼くだろう。時に『趣向』を凝らしてな」 故に喰われろとばかりに、一瞥する目。 「けどな。魚も獣も、寸前まで抗うもんだぜ」 睨み返した玖雀は棒手裏剣を強く握り込む。全身を焼くようなチリチリとする緊張に、きつくギリと歯を噛み締め。 しかし肩へ軽く置かれた手が、騒ぐ血を落ち着かせた。 「気負い過ぎぬ様、冷静にならねば」 あの時の無念を晴らす時……玖雀とは別種の冷淡な怒りをもって、祥もまたアヤカシを見据える。 「なぁ、野良。人妖のそれは、本当にお前の体、か?」 親友が呼んだ名で那由多が問えば、初めて相手はくつと笑った。 「気に喰わぬか? それなりに、我は気に入っているが」 「気に入ったのは当惑するこちらの反応でしょ、『蟲袋』。やっぱり、虫の好かない相手のようね」 憮然と返した胡蝶は、密かに袖の内で指で符の一枚を手繰る。 「不死、姿の自在、天見家の屋敷への侵入……一つの仮説だけど」 「ええ。だからここで、野良を“試しに殺す”。殺しても死なないなら……」 陰陽師らの囁きを隠すように、詩聖の竪琴を抱いたケイウスが弦をひと撫でした。 「いずれにしても、ここで止めさせてもらうよ!」 自身に出来る精一杯の思いを、音に託して。 「友人達が、アルマ達がこの先で戦ってる……だから、ここは絶対に通せないんだ」 奏でる旋律が森を貫き、激しい狂想曲はアヤカシの内に狂乱を呼び起こした。 我を失った飛ぶ蛾や似餓蜂はぐるぐる飛び回り、あるいは敵味方なく襲いかかる。 「……全く、勤勉な事だ」 「基時さんを喰い殺したのは、お前か?」 再びの呟きに構わず、那由多が問う。 「我を封じる地を治めし、天見が一族。報いに喰われても異論あるまい?」 冷淡な声は微かに憎悪を帯び、注意深く祥は『野良』の一挙一動に備える。 「その上、他国との戦を狙って動くような姑息な真似を。それ故、長く生き封じられるに至ったか」 「蟲袋、あんたの御託は飽きた。基時の無念、代理で果たさせて貰う!」 素早く劫光が『九字護法陣』の印を結び、間髪おかず式を打つ。 五行呪星符より姿を成した白銀の龍が凍える息を吐き、小柄な相手を覆い隠す。 野良は口を開きかけるも、『氷龍』の冷気が言葉ごと見る間に白く凍りつかせた。 それも一瞬の事、張り付いた霜は氷の刃となって四方へ散る。 構わず、赤い髪紐で束ねた黒髪が翻り、野良の懐に影が飛び込んだ。 凍てる感覚も無視し、動きの鈍った細い腕を掴み。 「凍るのは、嫌か? なら……」 見下ろす鋭い紫眼に宿る、怒りが具現化したかの如く。 「髪の一すじも残さず、塵にしてやるッ!」 空いた手が印を結んだ直後、容赦なく火柱が噴き上がった。 包む冷気は一瞬で霧散し、身を焼く炎にもがく人形を玖雀はなおも掴み。 「誰が……逃がすかよ!」 悲鳴か咆哮か、人の言に表せぬ音が『不知火』の火炎に包まれる。 「祥! 今だ、叩き込め!!」 叫ぶ友人に躊躇わず祥が踏み込み、燃える炎へ舞靭槍を真っ直ぐ突き立てた。 逃れられぬ仇敵への手応えは確かで、捉えていた玖雀も後方へ跳んで距離を置く。 「胡蝶さんっ」 「ええ、これで一気に……!」 振り返る透歌に、胡蝶の『白狐』の式が牙を剥き。 「喰い殺せ、白狐ッ!」 赤眼で見据える那由多もまた己が血を代償に、力を増した九尾の白狐を放つ。 槍に貫かれて身動きも取れず、業炎に焼かれながら式に喰われるアヤカシの身体が、ぎちりと軋んだ。 四肢は別々にあらぬ方向へ捻じれ、白狐の瘴気か人妖の形が見る間に膨れ。 ――バンッ! その身が、『爆ぜた』。 「なっ!?」 皮を突き破り、見切れぬ早さで四方へ射出された黒い小塊が、囲む者達の身を抉り貫く。 「悪足掻きかっ」 咄嗟に身体で竪琴の弦を守ったケイウスが、痛みに顔を歪めた。 傷を押さえた那由多が目を凝らせば、木の幹に穿たれた穴より親指ほどの黒い甲虫が這い出し、羽を振るわせる。 「これが、野良の正体……?」 「すぐ、手当てしますっ」 癒しの風を祈る透歌を、守るように立つ九寿重が傷だらけの腕で制した。 「好機を逃しては、なりません」 庇う背に叱咤され、ぎゅっと霊木の白杖を握る。 「感謝するわ。やはり中身は虫アヤカシの集合体……ってとこかしらね。それなら」 今は胡蝶も次の式に集中し、大きく透歌が頷いた。 「では、備えて!」 痛みで散りそうな集中力をかき集め、心眼「集」にて集団の接近を察した九寿重は野太刀を構え。 「戻ってくる。速いぞ!」 集い迫る羽音に、流れる血もそのままで玖雀が警告する。 「数が多いなら、一網打尽にしてやるさ」 再び劫光は龍の式を打ち、別方向から胡蝶も同じ『氷龍』で逃げ場を潰した。 目に入る血を祥が拭い、見切る事も困難な速さに呼吸を合わせ。 「あんたには煮え湯を飲まされたからな……息の根、残らず止めてくれよう!」 気迫と共に槍を振るえば、帯びた雷電は穂先より雷の刃となって飛ぶ。 研ぎ澄まされた雷撃は、狙い違わず甲虫の一匹を焼き。 生死を見届ける暇も惜しみ、次の標的へ『雷鳴剣』を放った。 玖雀は『不知火』、透歌も『精霊砲』で援護をし、氷の息より逃れた虫を潰していく。 「ハァッ!」 気合一閃、霊刀を月与が大きく振り回し、行く手を阻む毒蛾を一気に退けた。 「皆さん、ご無事ですか?」 森に木霊した奇怪な叫びと血の香を辿りながら、千覚が呼びかければ。 「こっちです! 『蟲袋』らしきアヤカシは、何とか葬りましたが」 応じたケイウスの怪我に月与は足を早め、続くレムリアは蟲袋と戦った者達の姿に息を飲んだ。 「酷い怪我……すぐに治療を。千覚、お願いできますか」 満身創痍の怪我人達へレムリアが駆け寄り、こくんと千覚が頷いた。 柔らかな歌声に首元のセイレーンネックレスが暖かな淡い光を帯び、抉れ削れた傷の痛みを少しずつ和らげる。 「他のアヤカシは?」 訊ねる那由多に、抜刀したまま油断なく身構えた月与が頭を振った。 「群れの足止め役が退かず、一部は麓の方角へ」 「傷は深く、毒の懸念もあります……外の方々が、必ず食い止めてくれますから」 そうレムリアも宥めると、癒しの祈りに集中する。 「アヤカシ連中め、来たな」 最初に気付いたのは、『超越聴覚』で音を窺っていたナキ=シャラーラだった。 狼煙銃を空へ撃てば、森の外に散開する仲間が駆けつける。 「それじゃあ、さっそくアヤカシをやっつけよー!」 「はい、リィムナ姉さんっ」 拳を掲げるリィムナにファムニス・ピサレットは怖気を飲み込んで答え、睦まじい姉妹にフランヴェル・ギーベリが微笑んだ。 「子猫ちゃん達には近付けさせないよ。さぁ、手早く片付けてしまおうか」 鞘より抜き払った殲刀「秋水清光」が、黎明の光に煌く。 「まさか、ないと思うけど。援護と背中の守りは任せておいて」 ちらとファムニスを見やる雁久良 霧依に、そして【光翼天舞】の仲間達にリィムナは頷いた。 会話の間も森からアヤカシが次々と姿を見せる。 「のこのこと出てきやがったな、雑魚がァ!」 大型魔槍砲の、太い杭を思わせる穂先を天斗が向け。 「出迎えの花火だ。遠慮なく、受け取っとけ!」 魔槍砲「ペネトレイター」より、先制の砲撃を浴びせた。 熱気を帯びた一撃は迷い蛾の片羽を吹き飛ばすも、放たれた甘い香りが朝の冷気に混ざって広がる。 「早速、やりやがったぜ」 ジャンベ「アースサウンド」を抱えるナキは香りの薄い方へ移動しながら、仲間の様子に目を走らせた。もし心惑わされたのなら、仲間を取り戻すのは彼女の役目だ。 「小細工とか意味ないよ。全部まとめて、始末してやるから!」 十分な距離を計ったリィムナが、朗々と『魂よ原初に還れ』を歌い始める。 元は魂鎮めの曲ながら、鼓舞するように聞こえるのは歌う陰陽師の性格故か。 「独唱の邪魔とは、随分と無粋だね」 隊長の前に立つファムニスが、近付く毒蛾に刀を繰り出した。 羽を打って頭上を越えようとするアヤカシに、寸前で切っ先がブレたように分身し、間合いを狂わせ。 研ぎ澄まされた刃は、足の幾本かを断ち落とす。 追撃に振り仰げば、そこへ数匹の似餓蜂が左右から挟撃を仕掛けた。 どちらに対するでもなく、ファムニスはただ身構え。 剣のような針を似餓蜂が顕わにした瞬間、リィムナの歌が紡ぎ上げられる。 突然、似餓蜂達は群れの統制を失い、デタラメに飛び回った末に地面に落ち。痙攣する足が止まると、瘴気に還っていった。 「ふふふ〜、まだまだいくよっ! 食らえ、名付けて『鏖殺の交響曲』……ジェノサイド・シンフォニー!」 「あら〜、リィムナさんは随分とご機嫌かしら。だけど、こっちの獲物も残しておいてね♪」 先端に石の薔薇をあしらった杖「砂漠の薔薇」を抱く霧依はクスクス笑い、頭上を越えようとする蛾へ手をかざし。唱える呪文『アイシスケイラル』が完成すれば、放たれた氷刃はアヤカシに刺さり、炸裂する。 一方、森からは槍のような枝や石が飛んできていた。 叩き落すのは簡単だが投擲物には鳥もちのような粘着物が付着し、ベタベタとくっついて邪魔をする。 「面倒くせェ事をするのは、大将首かァ? 詰まらねェ首ばっか並べてねェで、刈り取ってやるから出て来いよォ!」 迷い蛾の腹を踏みつぶした天斗が嬉々として森へ飛び込めば、待ち構えていた餓鬼蜘蛛どもが樹上から次々と糸を吹き付けた。 「ハハァッ、上等だァ!」 多少の拘束などものともせず、天斗は魔槍砲の引き金を引く。 森に入った者達が戻ると、辺りは朝の清しい光で満ちていた。 ファムニスに手当てされながら「遅い!」とリィムナが口を尖らせ、両手を広げた颯は「道に迷ってなぁ」と冗談めかして返す。 眩い光に劫光は掌をかざし、続く玖雀が立ち止まった。 傷だらけの手に掴んだ首飾りを……皮紐の先端に繋いだ龍の鱗を、陽に透かせ。 穏やかに眺める表情に祥は何も問わず、歩き出す。 「……討伐隊へ、報告しに行きますか」 「きっと、心配していますよね」 切り出す花緑に那由多が首肯し、どこかで誰かの腹の虫がぐぅと鳴った。 「朝飯前の大仕事で、お腹も空いたからね」 「みんなで朝ご飯です!」 目を輝かせる透歌に月与がくすりと笑い、逆に胡蝶は苦笑を返し。 肩の力を抜いたケイウスは、朝日に友を思う。 「背中の憂いは断ったよ。そっちは……」 ●東〜藤見櫓の合戦 まだ暗い時刻から、藤見櫓の端にある葵村は物々しい空気に包まれていた。 村の随所で篝火が焚かれ、足早に行き交う者達は鎧兜に身を固め、その数は住人より遥かに多い。 村長の家では大将を命じられた向井なる侍頭を難しい顔が囲み、そこには駆けつけた開拓者の姿もあった。 「純粋な数でなら明らかに劣勢、勾配の少ない土地では地の利もあると言えません。斥候によれば、三根方はいつ打って出てもおかしくとか」 紙に墨で書き付けた簡単な地図を中央に広げ、補佐役の三枝伊之助が説明する。 「さあて、指揮官殿。どうするね」 胡坐をかいた鬼灯 仄は顎の無精ひげを掻きながら、向井を窺う。 「どうもこうも、圧倒的に我が方の不利。暗いうちに案山子を立て、引き込んだところを左右から挟撃する……その程度が、せいぜいであろうな」 老いた侍は唸り、地図を凝視する雪切・透夜が口を開いた。 「国境から広がる田畑の作物は、手付かずですよね。見晴らしが良い分、足元への注意はおろそかになるでしょうから……『利用』させてもらっても、いいですか?」 「うむ。それで活路を見い出せるなら、使わぬ手はない」 向井が末座へ目をやれば、控えていた村長は頭を下げた。 「では、遠慮なく。策としては油を撒いた田畑に火を放ち、火攻によって三根軍の足を鈍らせます」 この辺りにと透夜が指を差した脇から、すぃと零式−黒耀も指を伸ばす。 「兵の足を鈍らせるなら、炎の迂回路などに撒菱を撒いておくのも良案と……感じます」 「そうですね……火の手が上がれば、後続は避けるでしょうから」 頷けばさらりと緑の髪が肩より流れ、同意した藺 弦は片手で髪を押さえながら別の場所を示した。 「この田へ水を入れ、泥で動きを鈍らせるのはどうでしょう」 「水攻といったところか。なるべく遺恨を残さぬ様、人死には少なく。三根家の血縁がいれば、殺さず捕縛を目標としたいところだよな……そこで、だ」 おもむろに、仄は人差し指を立て。 「まず一つ、農兵はなるべく無視し、敵の指揮官のみを殺る。陽動や畑に火を放ち農兵を混乱させる」 立てた指を振ってから、次に中指を起こす。 「二つ、最初の策が無理な時は撤退する。ただ引くんじゃなく、この葵村を空にして敵を引き込む。酒でも残しといて敵の油断を誘い、『戦勝』に上機嫌なところで夜襲を仕掛ける。敵の指揮官級を倒せれば上々、大将を拉致れればこの上なしだ」 「そうだな。しかし、村に救護の場所を作るという話もあったと思うが」 懸念する向井へ、静かに国乃木 めいが膝を進めた。 「それなら、案ずるに及びません……元より、村と別に用意する心積もりでしたので……」 「ならば、万が一に備えよう。急ぎの事ではあるが、そなたらも無理をせぬようにな」 ゆるゆると説明する、自分より年上の嫗(おうな)を向井が気遣う。 三根家の侵攻に脅かされる天見家へ、助太刀にと藤見櫓へ馳せ参じた開拓者の数は、天見家の侍衆より若干少ない程度。しかし力量で考えれば、二十余人の志体持ちは領民を主とする三根家の兵五百にも引けを取らない。 「しかし……アヤカシがおらずとも、同じ種同士で争うとは何故に? とても不思議でございます。」 黒耀の疑問に、めいは「そうですねぇ」と柔らかく返した。 「きっと……ちょっとした意地や不幸なすれ違いが少しずつ重なり、積もってしまったのでしょう」 「そう、ですか。なんにせよ、乗り越えねばならぬ局面なのでしょう……そう、私も判断しました。よろしくお願い致します」 分からぬながらも、やる事は変わらないと黒耀は一礼する。 「微力ながら、村の衆もお手伝い致します。土地の事なら誰より存知ております故」 「では早速、罠の設置をお願いします」 村長の申し出に透夜がにっこりと笑み、軍儀は仕舞いとなった。 「俺ァ完全に部外者だけども、天見に加勢すると決めたからにゃ、きっちり全力で護らせてもらうわ」 戻り際、見送る補佐役の伊之助に鍔樹が軽く声をかけ、彼の陰から呂宇子もひょこり顔を出す。 「うん。規模は小さくても戦は戦。死傷者や土地への被害ナシで収めるのはまず無理でしょうけど……それでも両陣営の被害を可能な限り抑えられるよう、頑張ってみるね」 「人の慾。互いに傷つくのをほくそ笑む大妖。厄介ですが、やるしかないでしょう」 重い息を吐き、念を入れてフレイアは荷物にある望遠鏡を確かめる。 「私は物見櫓で警戒にあたります。敵陣の様子や指揮官の位置などが判りましたら、お知らせしますわ。敵は多勢ですが、大半は農民や鉱夫。指揮官や隊長役の侍を速やかに排除する事で、敵の士気を崩壊させられると思います」 彼女の申し出に、「ありがとうございます」と伊之助は一礼した。 「飯森側に比べるとこちら側は井楼(せいろう)が少なく、十分に戦況が掴めない状況だったので。助かります」 「その代わり、伝令役はお願いします」 フレイアは一足先に、数人の侍と村の東に建つ井楼へ向かう。 「止血剤や包帯と一緒に肌襦袢も置いておきますので、必要ならどんどん使って下さい」 救護所では、リーディアが持ってきた沢山の物資を村の女衆と整理していた。救護所といっても柱にむしろを掛けて屋根と壁を作り、床にも敷き詰めただけの仮小屋だが。 「戦では私達も前線へ参ります。その間、必要なら遠慮なく怪我人の手当てに使って下さい」 出来れば使う機会がないよう、最後に置いた朱雀の救急箱へリーディアはそっと手を合わせる。 「……どうか、誰も逝きませんよう……」 外では、持ってきた天幕を月・芙舞が組み立てていた。そこへ毛布を敷き、治療のベッドにするのだ。 「癒しの術が使えないほど消耗したからといって、怪我人が出なくなる訳じゃない。敵味方を考えずに助けるなら何も手当て出来ないのは論外だし、準備は万全にしておかないと」 備えを怠った為に命を救えない事態など、薬師としての腕も持つ芙舞としては言語道断だ。 「ましてや……敵味方なく命を救おうとするなら、尚更ですね」 急ごしらえの救護所に、明王院 未楡も持参した毛布を広げた。 「双方、民に血の気の多い土地柄なのも難点か。ましてや戦場での救命、『大人しい患者』ばかりではないだろうから気をつけて」 やはり医術の心得を持ちながら、侍の技を磨く御鏡 雫が注意を促すも。 「その時は、雫さんが守ってくれるんですよねぇ」 奇遇にも同じ姓を持つ御鏡 咲夜が、にっこりほんわり雫へ微笑む。 「咲夜……手当てする側が怪我をするなんてのは、一番避けなきゃならない事だからね」 「ふふっ……あ、おかえりなさい、母さん。どうでした、軍議の方は」 二人のやり取りを楽しげに聞いていた未楡が、めいの姿に気付いた。 「飯森側の足止めをする人が……田畑へ罠を仕掛けに、向かいました。こっちは、順調なようですね」 「村人の手助けがありましたので」 「それは有難い……では、私も手伝いましょうか」 間もなく、三根の軍が動いたという一報が飛び込んだ。 規則正しい太鼓が打たれ、丘陵の先に何本もの旗が揺れた。 程なく並ぶ人影が見え、途切れる事無く前進してくる。 区分けされた陣の歩調はバラバラだが、進軍の太鼓が止むと停止した。 「大丈夫、か?」 声をかける友人に、アルマ・ムリフェインは狐の耳をぴくと動かす。 「もう、割切れているよ……人を相手にするのも、相手にした人が傷つくのも。でも、手放しで見過ごしていられないから、ね」 決意を込めるように拳を握り締めるアルマを、気遣うキース・グレインが見守っていた。 「俺も。隣人の故郷の危機とあれば、見過ごす訳にもいかないからな。だけど……」 睨み合う両軍の緊張に、目を伏せ。 「余計な戦の禍根が残らないよう、深手は負わせない程度には抑えるにしても、あまり悠長にしていられる数ではないな……」 「少しでも戦わずにすむよう、援護するよ」 「ああ、頼りさせてもらう。アルマも無理はするな」 互いの無事と健闘を祈って、二人は握った手の甲を軽く打ち合わせる。 「……多い、な」 空は白み始め、一望した光景に重く羅轟が呟いた。 来迎を前に、先に小さく手を合わせた戸隠 菫も肩へ寄りかからせたウィングド・スピアの位置を直す。 「偵察の情報通り、大半は飯森の民だろうね。戦力が足りないと言うから、加勢に駆けつけてみたけど……」 雑兵とはいえ目の前の大軍に、知らずと武者震いが起きた。 「……かかされた……恥を……すすぐのに……民草まで……巻き込むか……」 「来て、よかったよ。よろしくね」 憤りを口にする羅轟に菫はあくまでも明るく笑み、朝の空気を吸い込む。 「数は向こうが上。けれど民兵は士気も含めて色々と弱いだろうから、少数精鋭っぷりを見せつければ怯むと思うんだよね」 「敵味方共に、戦での犠牲をなるべく抑える……。とは……言っても……我に出来るのは……戦う事のみ。場合によっては……戦の熱狂を冷ます為の犠牲も……必要となろうが……」 「これがアヤカシなら、心置きなく蹴散らせるのに」 誰かが被る泥なら、進んで被ろうと。 数多ヶ原側の法螺貝に、開拓者達は意を固めた。 ドンドンと懸太鼓が打ち鳴らされるや、飯森の槍兵は叫びながら突撃を開始した。 対する数多ヶ原の陣は、田畑を挟んで構えたまま。 「放てぇ!」 隊長が采配を振れば一斉に矢が放たれ、飯森軍へ降り注ぐ。 怯んだのか、何かにつまづいたように一部で列が乱れるも、残りは畑を踏んで突進してきた。 「今です」 機会を計っていた弦の合図に、身を低くして潜む黒耀が火のついた編み藁を投げる。 種火は油を含んだ縄へ落ち、にわかに立ち上った炎に槍兵達が慌てて足を止める。 「鉄砲隊、撃てッ!」 そこへ朱藩銃を構える鉄砲隊が炎越しに砲撃をかけ、雑兵は更なる混乱に陥った。 「やり過ぎ、ではないですよね」 「数の勢いに乗じたなら、幾らか気勢も削がれるでしょう。僕は敵の本隊へ回ります」 最初の要を見届けた透夜に、黒耀も頷き返す。 出端(でばな)を挫かれた飯森軍は矢を射返しながら炎の迂回を試み、数多ヶ原側も後退を始めた。 「この程度なら、まだ逃げないかな」 前線より少し離れた場所では、額に手をかざした呂宇子が敵陣の動向を窺っていた。 「普段、農家や鉱夫でメシ食ってる連中が、こンだけ士気高く攻めてくるっつー事は、あちらさんにもあちらさんなりの意地や覚悟があるって事だろ」 片方ずつ肩を回した鍔樹が、悪気を祓うようにパンッと両手を打ち合わせる。 「明らかに数で負けてるが、ここは引くわけにゃあ行かねえや」 気合を入れる耳へ、戦の喧騒に混ざって叱責する怒声が聞こえてきた。 「怯むな! 向こうは多くともせいぜい五十、蹴散らせぬ数ではない!」 「それとも数多ヶ原の者より先に、この刀の錆となりたいか!」 動揺する槍兵に、三根家の侍らしき鎧武者達が怒鳴り散らしている。 「もしかして、あれが隊長かな?」 「だな。呂宇子、援護頼りにしてンぜ!」 「ちょっと、鍔樹っ。民兵って言っても数が数だから、囲まれないよう注意すんのよ!」 手に馴染んだ片鎌槍「鈴家焔校」をひょいと担ぎ、無造作に突っ込む幼馴染の背へ呂宇子が釘を差した。 「ただの喧嘩じゃ、ないんだからねー!」 ともあれ、陰陽甲「天一神」をはめた手をかざし。 「行きなさいっ」 隊長らしき侍へ、呂宇子は『毒蟲』の式を打つ。 「えぇい、奇襲とは姑息……ぅ!?」 脇からの襲撃者に侍は柄へ手をやるが、突然ひくりと痙攣を起こし。 「でえぇぇりゃあァッ!!」 間合いへ踏み込む鍔樹が槍を返し、荒っぽく石突で鳩尾を突いた。 受身を取れない侍はその勢いに吹き飛ばされ、胃の腑の中身を吐き戻す。 「何をしている! 数多ヶ原の伏兵だ。討ち取れい!」 一瞬の出来事で茫然とする兵を、残った侍が叱咤し。 「何処より迷い出た、志士気取りの鬼が!」 手近な雑兵から槍を引ったくると、横合いから鋭い突きを繰り出した。 「はァッ? 俺は鬼じゃあねェ、陽州の修羅だッ!」 薙ぎ払う片鎌槍の柄が穂先を弾き上げ、風を切って返す刃が相手の槍を圧し折り。 更に一歩を詰め、鍔樹はがら空きの胴を蹴り飛ばす。 「この……っ」 相手が何者か分からぬ兵らは、身を守ろうと槍を向け。 「待て、俺達にやり合う気は……」 「わあぁぁぁっ!」 鍔樹の話も聞かず、半狂乱で得物を振り回した。 「ああ、もう……注意って言ったのにっ」 瞬く間に民兵達を支配する恐慌に、見かねた呂宇子が呪縛の式を放つ。 「はいはーい、っと。ちょっとだけ、大人しくしてて頂戴な」 ウミヘビの式が槍兵の一人を捉えるも、事態が収まる気配はなく。 次々と突き出される槍の前へ、二刀を携えた美丈夫が割って入った。 刀と曲刀を操り、流れる所作で九朗義経はひたすら穂先を受け流す。 その舞を思わせる動きと侍装束に、次は何が現われたのかと血の気の引いた兵達の腰は次第に引け。 「疾く去ねいや、さらば斬らぬぞ!」 きつと睨んでの芝居がかった一喝は、怖気づいた者達の心を砕くのに十分だった。 蜘蛛の子を散らすように、大の男達が這う這うの体で逃げ出す。 崩れた陣の後には失神した侍二人が残され、ようやく鍔樹は肩の力を抜いた。 「あ〜、助かったぜ……出さなくていい怪我人を、出しちまうところだ」 「礼には及ばぬ。些少でも、この九朗の刀がお役に立てたのであれば」 この場は血を流さずに済んだ事に九朗も安堵し、刀を鞘へ納める。 「それにしても、人を鬼だなんて失礼よね」 「先ほどの暴言も戦場の世迷い言故、気になさらぬが良かろう。しからば」 御立腹な呂宇子を気遣い、会釈をすると一足先に別の隊へ向かった。 「怪我はありませんか!」 それと入れ違いで、未楡や咲夜ら小隊【アルボル】の分隊が駆けつける。 「負傷者は、私達が引き継ぎます」 手当てを申し出る未楡達に、ほっと鍔樹は胸を撫で下ろした。 「ありがたい。まだ面倒やってるところを止めねェとな」 「寝覚めが悪いのも嫌だから、あくまで応急処置だけ、ね」 素っ気なくぺいっと『治癒符』を呂宇子が男達に投げ、そんな幼馴染を鍔樹は見て見ぬフリをし。 「ほら、遅れるなよ!」 「なによ。下手に先走って囲まれても、今度は知らないからねっ」 後は【アルボル】に任せ、文句を言いつつも呂宇子は鍔樹の背を追う。 戦場の喧騒に似合わぬゆったりとした竪琴の音色が、兵達に不意の眠気を誘った。 河乙女の竪琴を爪弾く弦は『夜の子守唄』を紡ぎ、出来る限りの無力化を計る。 乱れる足並みに兵を率いる三根家の侍らが怒声を飛ばせば、その声は剣戟の音と共に掻き消えた。 理解できぬ状況に、飯森軍の前線では兵達が慌てふためき狼狽し。 そんな中でアルマは一心に飴色のバイオリン「サンクトペトロ」を奏でながら、精一杯の声を振り絞る。 その間も、作り出された一切の無音へキースが飛び込んだ。 混乱に拍車をかける為、まず隊長格の侍を狙う。 「……ッ!」 迫る気配に相手が気付くも、一歩遅く。 鎧の鳴る音や苦痛の呻きさえないが、手応えと傾ぐ相手を確かめる。 鋭く視線を投げれば、気圧された兵達は後ずさり。 「ひっ、怯む……がっ」 戻る音に大声をあげた侍は、白目を剥いて倒れた。 鎧で覆われていない首筋には、呪言を刻んだ二寸弱の釘。 投じた黒耀の姿も、既にない。 「くそっ、数多ヶ原の輩が!」 窮した兵達が半ば闇雲に得物を振り回し、飯森軍は少しずつ統率を失い始めていた。 「これだから、木っ端兵士はよ!」 土がめくれ上がり、火攻の一角が吹き飛ばされる。 「そぉら、突っ込め! 勝てば、酒も食い物も盗り放題だぞ!」 赤い鬼の面を被った浪人が大太刀を振り回しながら、けらけら笑う。 周囲には、同じ面をつけた者達が二十人余り。 火や撒菱の罠があれば味方の兵すら足場に転がして踏み越え、一部は天見の本陣近くまで猛然と斬り込んでいく。 「なんじゃ、あれは……こんな大事に、どこ行っとるんじゃあやつは!」 異様な雰囲気に禾室は悪寒を覚え、思わず不在の同居人への愚痴が口をついて出る。 「ま、俺も協力すんぜ。西に出たアヤカシも気がかりだけど……妹が気にしていてさ。こっちに来てよかった」 逡巡の末、助太刀に駆けつけた緋那岐が憤慨する禾室をなだめた。 「細かい事はいいから、やっちまうか。他の雑兵よりは歯ごたえがありそうだ」 「しかし、何故に揃って鬼の面をつけているのだぁ〜?」 ようやく暴れられると仄が腕まくりをする一方、疑問に玄間 北斗は首を傾げ。 「とやかく言うておる場合ではないっ。今は、止めねば!」 「禾室さんの言う通り、だぁな〜」 急ぎ駆け出す狸娘の後を、自称『たれたぬき』北斗も見た目はのんびり追いかける。 そしてカルマ=X=ノアもまた、赤い瞳へ微かに好奇の色を浮かべていた。 「……鬼、面……か。……興味はあるな」 「父上様」 影の如く、傍らで控えるカルマ=R=ノアが頭を垂れ。 「ルスへ、命令を」 「行け。……すべき事は、分かっているだろう」 ――全てを見、記録せよ。 言外にある父の意思に従うべく、表情一つ変えず娘は動く。 「さあて……悪いけど、こっからは通行止めだよ!」 暴虐を止めるべくフィン・ファルストが長槍を携え、鬼面の集団に飛び出していた。 「ハッハ! お嬢ちゃんが可愛がられに来たぜ!」 男達の下卑た笑い声に、立ち塞がるフィンは嫌悪感を覚え。 「ええ、遊んであげますよ。とりあえず……かっ飛べぇ!」 直後、鋭刃が銀の半円を描く。 ひと息で薙ぎ払う長槍「蜻蛉切」を、鬼面の男は野太刀で受け流し、しのぎ切り。 逆に刀の間合いへ詰め、返す刀を中央に宝珠が煌めく円盤で弾いた。 重い一刀に、銀の腕輪「キニェル」をつけた腕が鈍く痺れる。 攻防の最中、フィンは集団の一点に奇妙な違和感を覚えた。 幾分か離れた場所で数人といる男は、風体や付けた鬼面に変わりなく。ただ振るう朱の太刀、型と無縁の太刀筋は眼前の男達と比ぶべくもない。 「あの人、もしかして……!?」 予感を確かめる暇はなく、視界の隅より切りかかる輩に備える。 だが続く太刀は、脇より飛ぶ北条手裏剣を叩き落とした。 「敵もさる者引っかくもの。戦に出るだけあって、腕もハッタリではないようなのだぁ〜」 感心しつつ北斗は次の手裏剣を手に、鬼の面を穿つ隙を窺う。 「この雰囲気……もし赤鬼面の連中がアヤカシかアヤカシと組する存在なら、それを排除するなり正体を暴露出来れば、戦を止める大きな流れとなる……筈なのだぁ〜」 更には一条の光が風となって、別の鬼面の懐へ飛び込み。 流れるような一撃を、カルマ=Rは鳩尾へ打ち込んでいた。 が、手応えは鈍く、ぷつと赤褐色の肌に赤い雫が浮かぶ。 逆手に脇差を握る相手は、大人しく痛打を喰らうほど甘くないらしい。 怪我を庇う様子もなく、舞うように旋棍「光撃」を面へ振るう。 「ぐっ!?」 対する男は呻き、片膝が抜けたように身体が傾いだ。 「……私に手間を取らせるな」 喧騒にあっても、父の声だけは明瞭で。 体勢を崩した鬼面が、刀を繰り出す。 「風神……!」 北斗の放った真空の刃に、切っ先がぶれ。 火花を散らして片方の棍が刀身を流し、残る旋棍を躊躇なく喉元へ突き入れた。 突き飛ばされ転がる男の面を静観するカルマ=Xが剥ごうとするも、チリと指先に痺れる感覚が走り。 「……何だ?」 「がぁっ!」 呻く男は人外の動きで飛び起き、跳ねる太刀を旋棍が遮る。 「父上様」 「……胡散臭いものが、紛れていたか……」 見れば他の鬼面も狂笑し、敵味方なく斬殺を始めていた。 「……他の雑兵は」 「敵方の侍共々に異常はなく、凶行も想定外のようです」 状況を改めたカルマ=Rが平坦な声色で総括する。 「もしかして、面に、呑まれた?」 嫌な予感にフィンの額から冷たい汗が流れた。 「誰か一人を捕らえて、面を剥いでみれば分かる……かもしれないのだぁ」 殺めて禍根を残したくないと、北斗も赤い波紋の浮かぶ黒い短剣を構える。 狂気を帯びた鬼面の一団が天見の侍に向かうのを妨げるつもりか、また畑の一角で炎の列が立ち上った。 「『咆哮』も効果が薄い。何とかして、あいつらの足を止めなければ!」 「耳を塞いで……!」 キースの言葉に首肯したアルマが、鬼面への足止めに焙烙玉を投じる。 「えぇい、臆するな! 藤見櫓を攻め切るまで、あと少しぞ!」 爆発に腰の引けた雑兵達を、隊長らしき侍がけしかけ。 両者の間に、羽根の意匠を持った槍の穂先が割り込んだ。 「逃げるなら早く逃げなさい。天見家の軍は追わないし、味方の背を斬る者はあたしが容赦しないから!」 頬の泥を拭い、菫は大声で兵へ呼びかける。 「小娘がっ!」 上段より振り下ろされる刀に、素早く菫は印を結び。 斬り捨てられたかと兵達が顔を覆った次の瞬間、柳が風を受け流すように蒼黒の衣が翻った。 優雅に揺らぐローブの陰から、石突の鋭い突きが強かに相手を打ち据え、昏倒させた。 「さぁ、今のうち!」 促す武僧に雑兵達は手を合わせ、得物を放って逃げ出す。 爆発の閃光と炎が交錯し、民兵の陣が崩壊していく一方で、飯森軍本隊は数多ヶ原軍本陣にまで迫っていた。 雑兵とは違う手練れの侍集団へ、二振りの白刃が斬り込んでいく。 「この混乱……早期に治めるには……大将を、討つか……」 「そうですね。出来れば、天見の侍より先に」 戦斧と盾で身を固めた騎士と、斬馬刀を凌ぐ長大な斬竜刀を両手で握るサムライに。 「開拓者風情が邪魔立てするな!」 「キェヤアァァッ!!」 気迫の声を発し、三根の侍衆が打ちかかった。 「でも……殺さないよう、そして殺されないように」 「……承知」 羅轟が迎え撃つ間に、透夜はサンドワームシールドを掲げ。 「推し通ります……!」 一気に『アヘッド・ブレイク』で突貫し、道を拓く。 後に続く天見の侍達も刀や槍を手に鍔迫り合いを繰り広げ、踏み止まっていた。 それでも志体持ちや技を極めた剛の者が、大将の脇を固めている。 崩すにも手間取りそうな『壁』を打ち破ったのは、予想だにしない『助太刀』だった。 斬竜刀「天墜」を羅轟が振るえば受け流す刀が砕け折れ、鎧は脆くも突き破られる。 乱戦に紛れ、現れては失せる泥濘の式に透夜は陰からの助力を悟り、見えぬ誰かへ感謝をし。 三根の大将へ先に辿り着いたのは、羅轟だった。 「すまぬが……貴殿は……生贄だ」 鬼を思わせる総面の隙間から、鎧武者を睨み下ろせば。 「天見の侍でもない輩に、くれてやる首なぞない!」 壮年の侍大将は腰の大太刀を抜き払った。 「むぅ……!」 一合二合と切り結ぶたび、打ち合う鋼に火花が散る。 だが錆の浮いた刀身は鈍く、甲冑もまた重く。 激しい剣戟の末、膝を折ったのは三根の大将だった。 「勝負、ありました。でもご心配なく、命までは取りませんから」 見届けた透夜と羅轟を、恨めしげな視線が見上げる。 「侍たる、貴殿には……不本意であろうが……」 それから勝者の『務め』として、羅轟は大きく息を吸い。 「三根の御大将、討ち取ったり!」 告げた大音声に、動揺が走った。 飯森軍が壊走を始める一方、退く気配のない鬼面の一団に、疲弊した開拓者も力を振り絞る。 「逃げる者を追うてはならぬ! 討つのは、鬼面の輩のみ!」 刃をかいくぐりながら、九朗が呼びかけ。 「全く、酒が不味くなる色だぜ!」 斬りかかる鬼面へ、仄が殲刀「朱天」の一刀を浴びせる。 面を砕かれても暴れる浪人へリーディアが『瘴索結界』を用いれば、五体を瘴気が蝕んでいた。 「鬼面の人は既にアヤカシ化していますっ。ですから、せめて……!」 喰われた魂の安寧と退く者が生き延びる事を、ただ願う。 戦とは呼べぬ混乱に、鬼面の追撃を防ぎながら飯森側へ撤退する数人の姿が彼女の目を捉えた。 「あれは……あの者達は、まさか?」 見覚えのある姿に禾室も気付いたか、額に手をかざす。 「はい。あれは〜……ゼロさん達ですか、ね」 確かめようにも、隔てる距離は遠く。 「リーディア、鬼面に斬られた人が!」 「すぐ、行きます。治療の術を使える人は、命を繋ぐ間、お願いします!」 呼ぶ芙舞に、無事を信じて彼女は踵を返す。 「戦いは、葵村まで到りませんでしたか」 開拓者と数多ヶ原の軍が勝ち鬨をあげる中、井楼で備えていたフレイアは敗走する飯森軍に安堵した。 ●城町〜雲霞、立つ 藤見櫓と与代森の戦果は、すぐさま城町へ伝えられた。 嵐は去ったと誰もが安堵した矢先。 「ヒビキ、来須。あれ、なんだ?」 町の一角から立ち上った黒い煙に、棕櫚が金の瞳を丸くする。 「蚊柱……にしては時期外れで、でっかいな」 指差す棕櫚にヒビキも首を傾げ、弓の弦を弾く来須が眉根を寄せた。 「あれは……アヤカシの群れだ」 「はぁっ!?」 「追っかけるぞ!」 驚く棕櫚にヒビキが真っ先に駆け出し、三人は東へ流れる黒い煙を追う。 走る間にも湧き立つ『蚊柱』は町の方々に現れ、町人達も何事かと囁き合い。 「あっちの方が早い」 「行け、ヒビキっ。せめて見届けろっ!」 悔しげな来須に棕櫚が怒鳴り、友人達へ頷いたヒビキはひと息で屋根へ駆け上がる。 目と耳を凝らす、その先で。 城町より遥か東、ひと塊となった黒煙は渦をまき、地へ吸い込まれる様に消え失せた。 「件の虫アヤカシが屋敷や城町から手を引いた……とも、思えないわね」 報告を聞いた元重は空を睨み、胸中を美沙樹が代弁する。 「しかし、何らかの存在が去った事は確実。次への算段か、鳴りを潜めるつもりか」 「けろりーなは、ラーンスちゃん用の応急手当の道具を置いていくですの」 見極めがつかず无も思案し、ケロリーナは表情を曇らせた。 「ともあれ……」 パンと不安を祓うように拍手を打ち、元重がニッと笑う。 「勝ち戦だ、今は喜べ。皆にも礼をせねばな」 ――次の戦に、備えるべく。 戻った開拓者には、その気概を示すような膳と酒が振舞われた。 |