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■オープニング本文 ●因縁の尻尾 書物倉の書架や保管の箱には、埃を落とした書物が内容や年代に沿って整理され、並べ直されていた。 中をぐるりと見回せば、壁に寄せられた文机の上に調べた事を書き留めた紙の束がまとめられて、置かれている。 短く限られた時間の中で開拓者が調べ、まとめた結果に、有難い事だと天見元重(あまみ・もとしげ)は紙束を手に取る前にまず一礼をした。 天儀の各地と同様、数多ヶ原でも昔からアヤカシとの戦いはあった。 アヤカシの出現に予兆はなく、場所の予測が出来ない。 そのため、天見家は「現れたアヤカシを出来る限り早くに見つけ、討伐し、領民を守る事」に重点を置き、巡視や討伐隊を組んでアヤカシの早期発見と討伐に力を注いできた。 そんな過去に積み重ねられた討伐の記録より、開拓者達が見出したのは奇妙な『周期』だ。 数十年の間隔で、虫アヤカシが跋扈(ばっこ)する期間がある。 ただ間隔に精密な年数は決まっておらず、数年から十数年のブレがあった。 そのため先人は、これを一つの周期として認識しなかったのだろう。 ゲジや百足から蜘蛛、毒蛾など。出る虫アヤカシに明確な傾向はない。 頻発するアヤカシの発生に対して大規模な討伐が行われ、それより数日から数ヶ月ほどの内にアヤカシから怨みを返すような『猛反撃』が起きる。 その討伐を行う前に『猛反撃』に出たアヤカシは失せ、被害もぱたりと沈静化するという。 その時その時の当主達が懸命に戦い、凌いできた為かもしれないが、一歩引けば奇妙な話だ。 「これが、『蟲袋』の仕業なのか?」 しかし『蟲袋』が如何なるアヤカシなのか記述はなく、開拓者でも「殺しても死なぬ」事に繋がる手がかりを見出す事はできなかった。 「元重様、失礼致します」 まとめ書きに没頭していた元重の意識を、恐る恐る家臣のかけた声が引き戻す。 「……どうした。俺が出るまで、書物倉には誰も近付かぬよう言いつけておいた筈だが」 大きく嘆息してから聞けば、彼より年下の家臣が平伏した。 「申し訳ございません。しかしながら、此隅の元信様より風信術にて話をしたいとの事でしたので」 「相わかった」 すぐ下の天見元信(あまみ・もとのぶ)は今、武天国の首都「此隅(こすみ)」にて、巨勢王の住む此隅城に勤めている。 何事もなければと元重は願いながら、文机に紙の束を戻した。 ●風向き 「お久し振りです、兄上」 『息災そうで、何よりだ。だが風信術を使うとは、何か火急の事態でもあったのか』 「はい。実は三根家の秀和様が、他家の方々に当家への悪評を吹聴されていると聞きました。教えて下さった方は、そのあまりの口さがない様子に閉口されての事だそうですが……」 気の重い話に、自然と元信(もとのぶ)の口は鈍る。 三根家とは、数多ヶ原の隣国『飯森』を治める氏族だ。その次男である三根秀和(みね・ひでかず)は立場と歳にそぐわぬ『悪たれ者』と、聞き及んではいたが。 「仔細を話すのに風信術では、少々はばかられます。兄上にお目にかかった上で、直接お話したいのですが」 『帰国するか』 「はい。その所存で、ご連絡を致しました」 『城勤めに支障は出ぬか』 「それは、これから。兄上が良いと仰られるのでしたら、再度家臣達と相談をした上で巨勢王のお許しを頂こうかと」 『元信、こういう事は先に段取りをつけてから連絡をするものだぞ』 「す、すみませんっ。その、どうしたらいいか、困ってしまって……」 動揺した元信が風信機にぺこぺこと頭を下げれば、受音器より笑う気配がした。 『仕様がない。風信術では誰が聞き耳を立てているか分からないしな……他家の方への礼を忘れぬよう。後、屋敷の者をねぎらってやってくれ。人手もあるだろうし、道中の護衛には開拓者を手配しておく』 「承知しました」 ほっとして兄との話を終えた元信は、風信屋に頭を下げてから、待たせていた供と共に外へ出た。 此隅の一角にある武家屋敷の並びに、天見の屋敷もまたあった。 広くはないが整った屋敷の奥、自室に戻った元信が腰を落ち着けると。 「元重は、なんと言っておった?」 しわがれ声が、障子の向こうから問う。 「あ、御隠居様……」 膝で進んで障子を開けば、『御隠居』と呼ばれる屋敷一番の「年寄り」が丸い目で彼を見上げていた。 茶を運んできた侍女に元信は人払いを頼み、障子を閉めた。 元信の前に座る相手は、名を柴上 右衛門(しばがみ・うえもん)という。 古くから天見家に縁があるといい、此隅の屋敷に居座る『裏の御意見番』だ。屋敷の者はもっぱら、親しみを込めて「御隠居」と呼んでいるが。 「兄上から帰国の許しを頂きました。あと、道中の護衛に開拓者を雇うそうです」 「そうか。じゃがやはり、お前自ら行くのは得策ではないのう」 「と、申しますと?」 「三根が何か企てておるのなら、傍観はすまい。兄もそれを考え、開拓者を雇う所存とみた」 「つまり、命を狙われると」 青ざめる少年に、背を丸めた柴上が髭を指先でつまんで撫でる。 「そこまでは儂も分からぬが、三根ならばやりかねん。用心に越した事はないからのう」 「では、どうすれば……」 「そうじゃの。では、代わりに儂が出向くか」 「御隠居様が? でも御隠居様、此隅から出た事がないと聞いていますが」 驚いた元信が訊ねれば、ぴくりと耳が動いた。 「道は知らずとも、駕籠が運んでくれるわい。事の次第は承知している故、支障はなかろうて。それに、駕籠の中身が儂なら相手も意表を突かれる。ああ、護衛の開拓者には、顔を合わせるまで内密にの」 長い二本の尾をぱたりと揺らし、糸の如く細くなる目を見て、さすがに元信も苦笑いを返す。 「そう言いつつ、何か楽しんでませんか御隠居……いえ、柴上様」 「歳をとると、面白い事が少のうてなぁ」 飄々(ひょうひょう)と柴上は笑い、ようやく冷めた茶をすすった。 ●予期せぬ襲撃者 「来たぞ」 息を潜めていた同行者の一人が、標的の接近を知らせた。 「……あの駕籠で、本当に間違いないのか」 念のためにと訊ねれば、もう一人の侍は緊張した面持ちで首肯する。 「いくら『依頼』でも、斬る相手を間違うってのだけは勘弁願いたいぜ」 「相違ない。斬るのは、あの駕籠の主だ」 その言葉に大きく深呼吸をし、馬の首筋を軽く叩いてから、手綱を取った。 いつの間にか晴れていた空は曇り、ゴロゴロと遠くから雷鳴が迫る。 それを聞きながら同行の……監視役の侍二人を残し、森から街道に出た。 馬首を巡らせ、馬の腹を蹴り。 いつでも飛び降りられる体勢で、標的の駕籠の列へと走らせる。 正面から突っ込む馬と彼の姿に慌てふためく供侍らを、殺気を帯びた眼で睨み据え。 己が意志を示すように、ぞろりとゼロは朱刀を抜いた。 |
■参加者一覧
有栖川 那由多(ia0923)
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
七神蒼牙(ia1430)
28歳・男・サ
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
リーディア(ia9818)
21歳・女・巫
アグネス・ユーリ(ib0058)
23歳・女・吟
狐火(ib0233)
22歳・男・シ
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲 |
■リプレイ本文 ●駕籠の主 「よくぞ、来て下さいました。どうぞ、こちらへ」 武天の都、此隅。 初めて訪れた屋敷の奥へ通された開拓者達は……座敷に入るなり、固まった。 「このお方が、皆様に護衛していただく……」 「……おい、元信。祝宴の際、俺はお前に「立派になれよ」と言ったが……」 家臣の話し半ばで、茫然と有栖川 那由多(ia0923)は対面した相手の頭をぽふぽふ撫で、小柄な身体をひょいと持ち上げる。 「どこをどうして、こんな姿になっちまったんだ。これじゃあ、俺は……あいつに合わせる顔が」 「いや、どう見てもソイツは……」 でも面白そうなので鬼灯 仄(ia1257)は皆まで言わず、『変わり果てた親友の弟』の姿に那由多がさめざめ嘆いていると、遅れて本人が現われた。 「すみませんっ。皆様、お待たせし……御隠居様?」 ぷらんぷらんと宙で揺れる二又の尻尾に、謝りかけた天見元信が目を瞬かせる。 「あれ……元信? じゃあ、コレは?」 『儂も長く生きておるが……このように「面白いの」が、まだいたんじゃのう』 抱き上げられた『御隠居』は楽しげに、手にした扇子でぺちぺちと那由多の腕を叩いた。 「その、抱えている方が、元信様の身代わりをされる柴上殿です」 機会を逸した家臣が、小声で説明をし。 「え……えぇ〜っ!?」 一拍の間を置き、驚愕の声が屋敷の庭まで響いた。 「すみませんっ。俺、てっきり元信だと……!」 『よいよい、気にするでない』 律儀に手をついて謝る那由多に、細い目を更に細くして柴上 右衛門は笑う。 「本気で勘違いしたのね」 「私も、まさかと……ちょっとだけですがっ」 呆れるアグネス・ユーリ(ib0058)の隣で、動悸が激しい胸をリーディア(ia9818)はそっと押さえた。 「うん。何か御隠居様の姿を見てから、俺もドキドキなのです!!」 叢雲 怜(ib5488)も青と赤の色違いの瞳で、座布団にちんまり座る柴上をうずうずしながら見つめる。 「それにしても……」 どう言ったものか御凪 祥(ia5285)は迷い、七神蒼牙(ia1430)が単刀直入に聞いた。 「柴上殿は、仙猫か?」 『有り体に言えば、そうじゃ』 「まぁ、そういう事もある、という事でしょう……この世の中には」 配られた湯飲みに狐火(ib0233)は手を伸ばし、関せずといった風に茶をすする。 「ところで今回の件……差し障りのない範疇で、経緯を聞きたいのだが」 「そうでした。今度は何が、起きていてるのでしょう?」 本題を切り出す祥に続いて、気を取り直したリーディアも訊ねる。 『出立まで時もない。儂の話は、道中の暇つぶしにな』 「分かりました。私が直接、聞いた訳ではないのですが」 柴上からも促された元信は、居住まいを正し。 「近頃、三根家の方が他の氏族の方々へ天見の悪評を吹聴しているそうです」 「三根家……津々の嫁ぎ先か」 「何? 津々は嫁入りしたのか?」 覚えのある名に祥が呟き、思わず身を乗り出す蒼牙へ仄がひらひら手を振った。 「いや。縁談を蹴っ飛ばして、神楽まで逃げてきた」 「じゃあ、フラレた腹いせに悪口言ってる訳?」 事情を知らない怜も、少し憤慨したように口を尖らせる。 『吹聴する本人は、そうかもしれん。しかし天見と違い、あそこの当主らは計算高くもある。ああして、根回しをさせておるのじゃろう』 「確かに天見の人は、ね。でも根回しって、何を仕掛ける気かしら?」 しみじみと思い起こしながら、アグネスが更に聞けば。 「たぶん……戦、だと思います」 まだ年若い少年は、重い表情で答えた。 「数多ヶ原には、それを知らせに行くつもりなんだな」 確かめる那由多に元信は首肯し、それから項垂れる。 「ですが道中は危険と、柴上殿が身代わりを申し出て下さったのです」 「なるほど、なぁ」 『ただ、儂は此隅から出た事がない。そこはお主らに任せる故、よしなにの』 「それなら、大船に乗ったつもりで俺達に……あ。御隠居様が乗るのは、駕籠だっけ?」 おどけた風に小さく怜が舌を出し、にゃふりと仙猫は楽しげに笑った。 ●奇襲と反撃 「歩いて四日か。こうしてみると、数多ヶ原は遠いよな」 駕籠を囲む一団の後ろをぶらぶら歩く仄がぼやき、峠道の先へ目を凝らす。 峠を越えた街道の両脇に茂った森のどこかに、斥候の狐火が先行している筈だった。 しかし異常ないのか、今のところ動きはない。 若い供侍三人は前後と右側につき、駕籠を担ぐ陸尺四人は勤めに専心していた。 「んっと……でも道中に美味しいお団子を出すお茶屋さんとかあれば、俺は元気百倍なの!!」 祥と二人、駕籠の前方を歩く怜に、近くを行くアグネスがくすくす笑う。 「美味しい巡りは、旅の醍醐味だもんね」 「さてと……鈍りかけてる身体が、上手く動きゃ良いんだがな」 駕籠の左脇では蒼牙がぐるぐると肩を回し、すぐ後ろのリーディアがちらと駕籠の引き戸を見やった。 中は窺えないが、戸の隙間から一羽のハチドリがパッと飛び立ち、那由多と柴上の話す声も聞こえてくる。 「先程は失礼しました。俺、天見には大変世話になっていて……」 『気に病むでない。天見の者は手がかかるが、面白かろう?』 「確かにゼロは……って、そうじゃなくて」 『そのゼロとは、何者じゃ?』 「あ……今は天見から縁を切られてるけど、基近って名前で」 『ほぅ、あの小僧か』 「御隠居、知ってるんだ」 『武天の氏族らは此隅城勤めがある故、当主や妻子の誰かが此隅に住むからのぅ』 「へぇ。此隅にいた頃のゼロって、どんなだったんだろ」 聞こえる話に、自然とリーディアも耳をそばだてる。 そこへ風が吹きつけ、ざわざわと梢が騒ぐ音に遠雷が混じった。 「って、おろ……何か雷が鳴ってきたし、雨降るのかな?」 「風も重くなってきた。じき、ひと雨くるか」 湿り気を帯びた空気に祥も頷き、急いで怜は携えたマスケット「魔弾」と火薬に雨避けの術を施す。 葉擦れに混じり、呼子笛の音が長く一回、聞こえてきた。 それは出立前に狐火が一行へ伝えた、『敵襲』を意味する符丁。 リーディアは腰を屈め、駕籠の戸を僅かに引いて手を差し入れる。 「加護結界を付与しますので、お手をお貸し下さい……」 ぽふぽふと力づける様な柔らかい感触が応じ、小さく笑んで相手の加護を祈った。 その間に、音を聞いた者は身構える――駕籠の護衛はもちろん、笛の意味を知らぬ者もまた。 一発の銃声が響き、悲痛な馬のいななきが続いた。 「嘘だろ、急所に当たった筈……!」 正面より疾走する馬は泡を吹き、足をもつれさせながら尚も突進し。 驚く暇があればこそ、素早く怜が次の弾丸を装填する。 同時に人魚の彫刻がされた竪琴の弦を細い指が弾き、柔らかな音色からは思わせぬ重低音が突っ込む馬を襲った。 だが、馬上に乗り手の姿はない。 狙撃された直後に後方へ飛び降り、足が着いた瞬間、地を蹴って前へ進み――。 視線を走らせたアグネスは、襲撃者の姿に目を疑う。 「……はぁ!? 何やってんのよ、こ……っの馬鹿!」 呆れより先に、悪態をつき。 ちらと見えた翻る髪と装束、何より朱色の宝珠刀を見間違う筈もなく、リーディアが驚きの声をあげた。 「何、やってんですか!」 『依頼がある』と十日以上も家を空けている夫は――白目を剥く馬を盾とし、更に駕籠の列へ馬体を突き飛ばした。 「ぶ、無礼者が……!」 迫る馬の胴でも断つ気か、狼狽する供侍が柄へ手をかけ。 寸前、庇うように片手で掲げた十文字の刃と朱刀が激突し、火花が散った。 「下がれッ!」 受けた腕はジンと痺れ、咄嗟に襟首を掴んでいた祥が若侍を後ろへ引き下げる。 その隙に襲撃者は馬の死体を踏み、宙へ跳ね。 陸尺達が、ワッと左右へ散った。 「ゼロ?! おまっ、何やって……っ。この駕籠に誰が乗ってるのか、判っててやってんのか?!」 跳んだ影に蒼牙が叫ぶも、担ぎ棒を朱の一閃が叩き斬った。 途端、駕籠の天井が破られる前に戸を蹴破って、深く笠を被った人影が右側へ転がり出た。 「相変わらず、やる事が無茶苦茶だぜ」 僅か数瞬の出来事に、面白げな仄が殲刀「朱天」を鞘から抜き払い。 供侍らを下がらせた祥も、十字槍「人間無骨」の穂先を向ける。 身を捻った影は、ドンッと駕籠の脇へ着地し。 駕籠の向こう側へ降りた相手へ、太刀「救清綱」を構えた蒼牙がリーディアを背で庇うように立った。 顔を良く知る者達に囲まれてもゼロは射殺すような目で、笠の相手だけを真っ直ぐ見据えたまま。 踏みしめた足を摺るように、少しづつ間合いを詰める。 対する側は乱れた呼吸を何とか整え、笠の下から殺気立つ相手を見つめ。 「合わせる顔なんてなくても、お前とは会っちまうみたいだな」 渇いた声が、やっと出た。 「お前さ、一体誰を殺しに来たわけ? 俺? それとも……本来の駕籠の主、天見元信、か?」 そんな訳ないと信じつつ、矢継ぎ早に問えば。 天見元信の名のせいか、あるいは対峙するのが無二の親友と気付いたためか。誰の声にも姿にも、一切の動揺を窺わせなかったゼロが、目を剥いた。 首から下げた守り袋を那由多は握り、意を決して合口の切っ先を向ける。 そのままジリと寄れば、同じだけゼロは後ろへ下がり。 「今度はどんな依頼を受けたのか知らないですが、私も依頼中です。こっちはこっちで、依頼を全うしますんで!」 更にリーディアが覚悟を述べ、蒼牙も首肯した。 成り行きを見守る怜は息を詰め、油断なく照準をゼロの肩口辺りに合わせる。 「目付役なら、心配無用です」 そこへ狐火が声をかけ、街道脇から無造作に侍の死体と折れた弓を放り投げた。 「死んで……?」 「森から狙撃する策だったのでしょう。生きたまま捕らえるつもりでしたが、見つけた直後に毒を飲んだようです」 実際、相手の判断は早かった。 誰かに見つかった時点で死を決意していたのか、志体の有無を狐火が確かめるより先に、呆気なく命を捨てた。 身なりの良い侍は、素性を明かすような物を持っておらず。 朱刀を納めたゼロが、冷たく低い声を落とした。 「まだだ……もう一人、いる」 「待って、ゼロ。駕籠を狙った理由くらい、話せないの!」 アグネスが問いを重ねても、答えはなく。 次の瞬間、放たれた猟犬の様に森の奥へ跳んだ。 「ゼロ、どこへ!?」 消える後ろ姿を、蒼牙の声が空しく追い。 「ありゃあ、もう一人を始末しに行ったな」 呟く仄は物足りない顔で、刀を鞘へ戻す。 「ゼロの方も、依頼を受けたとは察するが……解せぬ事だ。駕籠に元信がいると知っていたなら、無理やりにでも拒否するだろう。そうとすれば、中の人物が誰か知らずに指図のまま来たという事か」 『そのようじゃの』 緊張を解く祥に賛同しながら、壊れた駕籠の下でカリカリと爪が木を引っかいた。 見かねた彼は槍を置き、残骸から仙猫を引っ張り出してやる。 『すまぬの。まるで、嵐じゃわい』 「あいつは、な」 「んや、馬の襲撃者は知り合いだったのか? また、来るかな」 「どうだろう。でも、たぶん……」 来ない気がすると、怜の疑問に那由多は森の奥を見つめ。 程なく大粒の雨が雷鳴を伴い、全てを洗い流すように降り出した。 残る道中、ゼロが再び姿を見せる事はなく。 また別の襲撃者も、現れなかった。 峠を下った先の宿場町で柴上は駕籠を失った陸尺達の任を解き、歩いて東を目指す。 ●道草 「そういえば、美味しいお団子を出すお茶屋さんとか言ってたわね……少し寄り道しない? お勧めの茶店があるの」 数多ヶ原を入った辺りで、意味深な笑みと共にアグネスが提案し、何かを思い出したようなリーディアも「ぜひ」と促す。 やがて質素な茶店で足を止めれば、奥から出てきた老婆が驚いた表情から、にこにこと笑顔で一行を迎えた。 「おやおや、お嬢さん方はお久し振りねぇ。その様子だと身重だったそちらさんは、無事に赤子が産まれなさったね」 「はい。男の子と女の子を……いつか一緒に、ご挨拶に伺いますねっ」 会釈をするリーディアに嬉しげな老婆は何度も頷き、小さくアグネスが苦笑する。 「その時には、飛んでっちゃった秋茜も連れてこないとね」 「で、ここはナンだ? しなびた爺さんと婆さんだけの店っぽいが」 色気の「い」の字もない店構えに仄がぼやく横から、ぴょんと怜は長椅子に座った。 「おばあちゃん、俺お団子ー!」 「はい、お団子ね。そちらのお兄さんは?」 「私は……茶で、十分です」 状況を把握できていない狐火も素朴な笑みを向けられ、適当に濁す。 「ところで、さっき『秋茜も』と言ったな」 立ったまま周辺を警戒していた祥が、思い出したようにアグネスへ振り返り。 「もしかして、ゼロに縁の……って、御隠居!?」 言いかけた那由多が、肩からのしっと頭へ登った柴上に慌てた。 「何やってんだか」 「ご、御隠居様が〜っ」 仙猫の首根っこを仄が摘み上げ、あわあわとリーディアが受け取りに行く。 「去年の秋に元重さんの案内で来たのですけど、この茶店はゼロさんのお母さんの実家だそうです」 「じゃあ、ゼロの爺さんと婆さんって訳か!」 小声の説明に蒼牙も驚き、アグネスが口へ人差し指を立てた。 「でも、あたし達は『元重の友人』って話になってるから、ゼロの事は内緒。いい?」 「う、うむ。分かった」 そんな話をする間に、老夫婦はお代わりの茶と団子やお萩の盆を持って出てくる。 「田舎団子に田舎饅頭が口に合うかは分かりゃせんが、ゆっくり休んでいきなされ」 「お婆ちゃん、これ美味しい!」 さっそくかじった団子に怜が目を輝かせ、物腰の柔らかい老婆はにこにこと微笑んだ。 「ありがとうねぇ。お代は気にせず、たぁんと召し上がれ」 邪魔にならぬよう老夫婦は奥へ下がり、長椅子に落ち着いた柴上が湯飲みをつついて熱さを確かめた。 「……あいつにも、喰わせてやりたいなぁ」 不意に那由多がぽつんと呟き、祥も僅かに眉根を寄せる。 「ゼロは……依頼の失敗で、命の危険はないだろうか」 「そういや、そうなっちまうのか。あれを限りに襲ってこなかったが、無事かねぇ」 遅れて、蒼牙も心当たり。 『あれが三根の差し金なら、それで命を取る事はなかろうよ』 「そうなの、御隠居様?」 背中を撫でていた怜が、ようやく茶に口をつけた仙猫へ訊ねた。 「敵となれば手強いからこそ、手駒として天見にぶつければ動揺を招き、互いに攻撃の手も鈍る……か。もしゼロが天見に討たれても、三根には得しかない」 苦々しげな祥を細い目が見上げ、手で顔を拭う。 『それが三根のやり口よ。しかしあの太刀筋、親父によう似とった……血は争えんか』 懐かしむ柴上の様子を見てから、「さて」とアグネスが腰を上げた。 「天見屋敷まで一刻もかからないわ。遅いと、元重達が気を揉むからね」 勘定は供侍が払い、礼を告げた一行は再び街道を歩き出す。 実をつけた稲は、まだ青い葉を風に揺らし。 波の様なうねりの上を、数匹の秋茜が飛んでいた。 |