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■オープニング本文 ●佐和野村の神事 「寂しいなぁ」 その日一日の野良作業を追えた男が、ぽつりと夕焼けの空に呟いた。 幾らか涼しくなった水辺にはトンボが飛び、烏の鳴き声に急かされた子供らは遊び相手のもふらさま達と一緒に家路へつく。 変わりのない風景に、草取りをしていた他の男も溜め息をついた。 「ああ、寂しいもんだなぁ」 今年も田畑の作物の育ちは順調で、雨も適度に降っている。 今のところ作物を食い散らかす虫がつく気配はなく、ダメになるような病気もなく、踏み荒らすケモノやアヤカシも出ていない。 それでも男達は浮かぬ顔をし、しみじみと肩を落とした。 「妙に静かで……寂しいよ、なぁ」 「そりゃあお前、去年も今年も泥遊神事に開拓者を呼ぶ事を控えたんだから、仕方ねぇさ」 呆れた声に振り返れば、声より更に呆れ顔をした女が腰に手を当て、数人の子を育て上げた胸を張っている。 「げっ。かあちゃ……!」 「アンタの事だ。どーせ開拓者の可愛い娘さんが拝めないとか、そーんな理由で駄々こねてんだろっ」 「ち、ちがっ……あででででででで!」 女房からぐいぐいと耳を引っ張られる知り会いに、他の男達の顔からも血の気が引いていった。 「まぁまぁ、気持ちは分からんでもないからな。その辺りで、許してやんなさい」 うろたえる男達に気の毒と思ったか、後ろから付いてきていた村長がやんわりと取り成す。 その後ろには、サラと藍一色の仔もふらさまを連れた崎倉 禅(さきくら・ぜん)もいた。 「開拓者が来ると華やかなのは確かだし、なにより彼らは活気をもたらす。何度も村を助けてくれもしたし、時おり遊びに足を運んでもくれる。今年も神事に呼べずに残念至極だったのは、誰も同じだろうて」 全くもって、その通り。 口には出さずとも、男どもはぶんぶん揃えて、首を縦に振る。 結果、女房の視線は再び厳しくなったが、崎倉は「はっは」と声をあげて笑った。 「そこで、村長と一緒に神社の神職殿に相談をしてきた。この夏の『邪気払いの神事』、久方振りに開拓者を招いてはどうかと」 「それで神職さんは、なんと返事を?」 「来られるんですかい、崎倉先生!」 一斉に色めき立ってから、咎める視線にハタと己の立場を思い出す男達。 「ほんに、お主らは正直だのう。きっと草葉の陰で、小斉様も笑ろうておられるに違いない」 懲りぬ面々に村長もまた「やれやれ」と笑い、最近曲がってきた腰を叩いた。 「蟇目鏑は八本射るのが通例だが、今年は開拓者も加わりたいだけ加わってもらうのも良いか。都で打ち上げるという花火が如く、賑やかになろうて」 手持ちで慎ましい花火なら別だが、田舎村から出た事のない村人達は空に打ち上げる花火など、ついぞ見た事がない。 「それは楽しみだなぁ」 「子供らも、きっと喜ぶだろうて」 そう言う男らの顔も、無邪気だ。 娯楽の少ない村での暮らしだ。かつての子供の時はそうだったように、大人達も賑やかな祭りの予感を感じ、わくわくと胸を弾ませていた。 「では俺は、弓矢師と風信機で話す段取りをつけてこよう」 笑いながらやり取りを見守っていた崎倉が、切り出す。 田舎だが、佐和野村には火急の時に此隅や神楽の都と連絡を取るための、周囲の村と金を出し合って作った『風信機』があるのだ。 「幸い、蟇目鏑を作る理穴の弓矢師は顔見知り。相手は村へも何度か訪れているし、気が向けば自ら蟇目鏑(ひきめかぶら)を届けてくれるやもしれん」 「おぉ、それは有難い」 「やはり、祭り事は賑やかでなくてはなぁ」 「酒や肴も用意せねば」 既に村人たちの心は神事と、その後の酒盛りにまで飛んでいる。 やれやれと呆れ顔を隠さない女房だが、それを咎めたりはしなかった。 家族の口を背負う男衆の数少ない楽しみを取り上げるほど、村の女衆も無体ではない。 せいぜい用意する酒と食べ物の量と財布の重さを、心の天秤にかけるくらいか。 「ももふ〜」 帰り道の子供らに捕まった仔もふらさまが、もふもふされつつ訴える。 騒がしい子供らにサラは距離を置き、相変わらず崎倉の陰に隠れていた。 「ああ、腹が減ったか。もう日も落ちるしな」 ●弓矢師の仕事 「佐和野の村の神事で用いる、蟇目鏑……ですか。それならば、作ったものが幾らかあります故、今年もお送り致しましょう」 連絡を受けた弓矢師――弓削乙矢(ゆげ・おとや)は、己が『仕事』への相談に一も二もなく頷いた。 もっとも風信機の越しの会話なので、話す相手の崎倉には見えないが。 『いや、送らずとも。折角だから、乙矢が矢を持って来れば良い』 「……は?」 思わぬ言葉に、きょとりと乙矢は気の抜けた返事をした。 『理穴でのアヤカシ騒ぎは幾らか落ち着いたと聞くし、小春も連れてな。もちろん神楽の連中にも、声をかけるつもりだ。汀あたりに伝えておけば、どこぞの誰が嫌がっても開拓者ギルドへ誘いの知らせを出すだろう』 「それは、確かに」 賑やかな開拓者長屋の光景は容易に想像がつき、思わず乙矢がくすりと笑う。 『では、よろしく頼んだ』 短い会話を終え、係の者へ会釈をして外へ出れば、蝉の声と夏の日差しがそれこそ矢の如く降り注いだ。 「仕事の話、終わり?」 日陰で大人しく待っていた一矢小春(いちや・こはる)が、被っていた帽子の下から乙矢を見上げる。 「ええ、終わりました。武天の村まで蟇目鏑を届ける事となりましたので、納める桐箱などを用意をせねばなりませんね」 「届けに? 武天、遠いよね……留守番?」 心配そうな顔をする少女に、ゆるりと乙矢は片側に束ねた髪を揺らした。 「崎倉殿の御用ですから、小春も一緒にとの事でした。もちろん、小春が行きたいと思うなら、ですが」 「……うん」 ほっと安心した顔で、小さくこくりと首肯する。 「邪気払いの、蟇目鏑……神事の呪い事(まじないごと)ではなく、力のない者でも真に邪気を祓える物をいつか作り上げられるよう、その域に達するまで弓矢師としての技を磨く事が出来ればよいのですが」 その高みへ至る技と力を自分が持っているのか、自信はないが。 高過ぎる頂(いただき)であっても、ようやく自分自身が目指したいと思えるものを見つけた乙矢は、入道雲の立つ空を見上げた。 |
■参加者一覧 / 柚乃(ia0638) / 静雪・奏(ia1042) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 胡蝶(ia1199) / 鬼灯 仄(ia1257) / リーディア(ia9818) / 十野間 月与(ib0343) / テーゼ・アーデンハイト(ib2078) / 不破 イヅル(ib9242) / 音羽屋 烏水(ib9423) / 一之瀬 白露丸(ib9477) / マルセール(ib9563) / 氷雨月 五月(ib9844) / 平野 等(ic0012) / カロン(ic0091) / ラサース(ic0406) |
■リプレイ本文 ●夏の旅路 「おぉ〜。これはまた、田舎らしい田舎だな!」 佐和野の村の風景に、額に手をかざしたカロン(ic0091)が連れの平野 等(ic0012)へ振り返る。 「何もなさそうな田舎にまで、わざわざ足を運ぶとか」 「いや。話によれば、村の神社では神事を行うと……って、聞いてないな、平野!」 小川のせせらぎを窺っていた等が振り返り、呆れた顔のカロンに「へ?」と返した。 「ああ。まぁ、時期的には良いですよね、夏の渓谷って避暑地感アリアリで。カロンさん、暑そうだし」 そんな男二人のやり取りに、小さくくすりと笑う気配がして。 「暑いのに、二人とも相変わらずだな」 覚えのある声に見やれば、木陰からマルセール(ib9563)が歩み寄る。 「ただ、暑さに閉口するという点では同意するが。何か、いそうか?」 「いるんじゃないかなぁ」 小川を窺う等とマルセールは問答のようなやり取りを交わし、不遜な赤い瞳でカロンが顔見知りの志士を見下ろした。 「来ていたのか。一人か?」 「いや……イヅルと、一緒だ」 川上にマルセールは目をやり、小川の傍から立ち上がった不破 イヅル(ib9242)が目礼する。それから小川の水に漬した手拭いを、無言で彼女へ差し出した。 「ありがとう」 心遣いに礼を告げ、ひんやりとした感触にほっとする。 「じゃあ、俺と平野は先に行く。目を離すと逃げるからな」 じぃっと睨むようなカロンの視線にも等は何処吹く風で、返事を待たず友人達は先に行ってしまった。 「……よかったのか?」 「あの二人は、あの二人だから……うん」 ある意味、それ以上は言いようがなく。 「行こうか」 濡れ手拭いを手にマルセールが切り出せば、無言でイヅルも首肯した。 「あ、開拓者の人だーっ」 網を手に遊ぶ子供の一人が気付けば、他の子やもふらさままで転がる様に寄ってくる。 「虫取りか。元気だなぁ」 担いだ虫取り網に、テーゼ・アーデンハイト(ib2078)の顔も自然とほころんだ。 「おじさん達は、お祭りに来たの?」 「そうだよ、楽しみだよな。あと、おにーさん、な!」 さりげないテーゼの訂正も、子供らの耳には届かず。 「おじさんもアヤカシをやっつけるの? それとも、悪い奴をこらしめるの?」 「馬鹿だなぁ。たぶん両方だろ」 騒々しいやり取りに、苦笑する気力もなさげな胡蝶(ia1199)が呆れ視線をテーゼへ向けた。 「暑いのに元気よね。無駄に」 「そこで俺を見るのは、何故!?」 ずがんとテーゼは衝撃を受け、狼狽っぷりに子供らも屈託なく笑う。 大らかな笑い声へ合わせるように、べべんっと音羽屋 烏水(ib9423)は三味線「古近江」を打った。 「元気な村の子じゃな。なにより、なにより」 「そうね。油断すると、羽根を引っこ抜かれるわよ?」 含みのある胡蝶の視線に後ろを振り返れば、四つか五つほどの子らが烏の黒羽根をじぃっと見上げている。 「珍しいかの? ほれほれ」 「動いた!」 「わぁぁ〜……」 驚いたり感心したりと素直な反応に、つられて烏水も笑んだ。 「皆で時々来ているから、村の人は神威人や他儀の人も見慣れていると思うんですけどね」 小首を傾げる柚乃(ia0638)に、ぺけぺけと烏水は三味で調子を取り。 「普段から目にせぬ風体なら、やはり珍しいものは珍しいのじゃろう。それが子供なら、なおさら……祭と同じでの。ところで、触るのは構わぬがムシってはならぬぞ。この羽根は自前なのじゃ」 ぶんぶんと空を掴む無邪気な手に、ちょっぴり釘を差しておく。 「……この子供達の笑みが、不安に陰らぬよう……しっかりと厄を払わねば」 ぎゅっと天野 白露丸(ib9477)は両の拳を握り込み、慎ましい幸せを思う。 「節分の後から……来たの、凄く久しぶりの気がする……。でも村の子達みんな、すっかり元気みたい」 「そうだね。美味しいものを食べて、もっと笑顔になってもらおうかな」 しみじみ呟く礼野 真夢紀(ia1144)へ、にっこり笑むのは十野間 月与(ib0343)。 そして、あれこれ食材を詰めた二人分の大荷物をゼロが運んでいた。 「てめぇらも遊びたいだろうに、いつもすまねぇなぁ」 「いいんだよ。皆が喜んでくれて、嬉しそうに食べるのを見るのが何よりってね」 「暑いので、今日はカキ氷を作る道具も持ってきたんですよ」 「それで尚更、かさばってるのか」 真夢紀の説明にゼロも納得し、背に赤子を結わえて隣を歩くリーディア(ia9818)がくすりと微笑む。 「ゼロさんは暁春さんや明煌さんより、荷物を抱えたいんですよね〜」 「それは、荷物が大変そうだったからでっ」 「でも何事もこなさないと、慣れないですよ?」 言い返せぬゼロはむぅと口をへの字に曲げ、見物する鬼灯 仄(ia1257)が冷やかしを入れた。 「さしもの『ゼロ』も、赤子と嫁さんには勝てねぇか。あぁ、後は質屋もだな」 「うっせ、言ってやがれ」 「相変わらずだね、ゼロさん」 父親の代わりに暁春を負ぶった桂木 汀がころころ笑う。 「汀ちゃんは慣れてるよね、子守り」 静雪・奏(ia1042)が感心すると、得意げに汀は胸を張った。 「えへへっ。兄弟が多くて、弟や妹の子守りは当たり前だったんだよね」 家族を思い出したのか、肩越しに背中の赤子を窺う。 「でも子守りはしないかもだけど、奏さんとか面倒見よさそうだよね。妹さん、お兄ちゃんっ子だしっ」 「そうかなぁ」 他愛もない話をする間も子供らは周りを駆け回ってはしゃぎ、草取りや水やりなど畑仕事に精を出す村人達も開拓者の一行を目にすると手を止めて会釈をした。 そんな穏やかでのどかな光景にも、少し距離を置いたラサース(ic0406)の表情は浮かない。 「やはり……気がすすまないな」 自然と足取りは鈍くなり、気付いた氷雨月 五月(ib9844)が力ない背をバシッと叩いた。 手加減しない相手にラサースは反射的に眉を寄せるも、残った背の痛みは自身を後押しをするようで。 「別に、馴染まなくたって構わねェだろうが」 ぶっきらぼうな物言いをする五月にラサースは零した言葉の真意を告げず、代わりに歩調を戻した。 ●納涼それぞれ 「暑い中、遠いところをすまなかったな。狭い庵だが足を伸ばして、好きに休んでくれ」 小斉老人の庵では、訪れた者達をた崎倉 禅が冷えた清水でねぎらった。 「前は秋だったけど、ここは山や沢があって涼しいし、夏に来るのもいいもんだな!」 遠慮なくテーゼが畳の上で大の字になり、藍一色の仔もふらさまも「もふ〜ん」と手足を伸ばして隣に転がる。 それを見た小春は、じーっと乙矢を見上げ。 「真似をしても構いませぬが、あまり羽目を外さぬよう」 「うんっ」 嘆息混じりの許しを得た小春は嬉しそうに、ころりとたたみに寝っ転がった。 暑さで気力も失せたのか、呆れ顔の胡蝶は並んで転がる者達から崎倉へ視線を移す。 「神事は夕方よね。今回は誰でも蟇目鏑(ひきめかぶら)を射てもいいって、聞いたけど」 「ああ、腕も問わないからな。まず八人の巫女が射た後、射る事になる感じかねぇ?」 「八本の矢。末広がりの、八……じゃあ、八曜丸の名も縁起がいいんですね」 今頃はおそらく、ぐーたらと水桶にでも浮かんで留守番をしているであろう神楽の相棒を思い、くすりと柚乃が笑んだ。 「『邪気払いの神事』の神事、楽しそうだよね。弓を射るのは苦手でもないから、ボクも参加してみようかな」 思案する奏に、崎倉もひとつ頷き。 「賑やかな方が村の連中も喜ぶからな。矢は足りるか、乙矢」 「それなら、十分と思われる数を用意致しました」 即答した乙矢が、紫の長い布包みを崎倉の前へ置いた。 「その辺、用意周到というかキッチリしてるよなぁ。乙矢さんって」 うつ伏せになって両手で頬杖をつくテーゼが感心し、煙草盆を引き寄せた仄は喧嘩煙管をぷかりとふかす。 「キッチリし過ぎも、なぁ。もうちぃっと、肩の力を抜きゃあいいのに」 「不本意だけど、そこは仄に同意するわ」 目を閉じた胡蝶もしみじみと首肯し、困ったような表情で乙矢は苦笑う。 話に区切りがついたところで、不意に五月が立ち上がった。 「夕暮れまで涼んでくる。神社へは直に行けばいいんだな」 ちらと見下ろす連れに続き、無言でラサースも腰を上げる。 「それじゃあ、涼みついでに酒の肴でも確保してくるか」 煙管を置いた仄もまた、釣竿片手にぶらりと外へ出かけていった。 「それで、神社でナニやる訳です?」 ここへきて真顔で等が質問し、頭痛を覚えたカロンは大きく嘆息する。 「何、カロンさんのその反応っ? 俺、強引に連れてこられたっぽいのに!」 「あ〜……言ってなかったか?」 「言ってないです」 「そうか。じゃあ、分かれ」 「そんな無茶振り!?」 騒がしい等に、改めてカロンは記憶を辿った。 「開拓者ギルドへ寄った時に、邪気祓いをやっていると聞いて……心身共にスッキリとしそうだと思ってだな」 そこで(まてよ?)と思い当たり、等を連れ出した次第だったが。 当然の如く半ば無理矢理だったから、説明したかどうかの云々なぞ記憶の欠片もない。 「普段からヘラヘラ適当なことばかりで、神事なんて興味もないだろうがな。たまにはこういった場で、邪気を祓ってもらったら少しはシャキっとするだろう!」 「ん? いや、俺がシャキっとしたら、俺じゃないっていうか中に邪気入ってる前提なの!?」 「えぇと、瘴気じゃなくてよかったね?」 賑やかな言い合いに席を外していた汀が、廊下よりひょこりと顔を出す。 「いや。慰めにも助け舟になってない気がするぞ、それは」 「えへへ。えっと、着付け終わったよっ」 突っ込むカロンに汀はえへりと笑い、後ろを振り返った。 「どうも歩き辛く感じるが、これで、いいのだろうか……」 持参した浴衣に着替えたマルセールが、お端折りや帯を気にしながらおぼつかない足取りで現れる。 「これは、なかなか似合っておるのじゃ。浴衣は初めてかの?」 拍手をするように、ぺぺぺんと弦を弾いて烏水が聞けば。 「ありがとう。浴衣ではないが、着物なら正月に……」 礼を告げたマルセールは、目があったイヅルが小さく頷く様子にほっと安堵の息を吐く。 「早く浴衣に慣れたいし、涼みに行ってくる」 「うん。頑張ってね!」 何をどう頑張れというのかは分からないが、汀が応援した。 彼女が下駄に足を馴染ませるのを待ってから、イヅルはマルセールと庵を後にする。 それに続いて、他の者達も三々五々と涼みに出かけ。 「てめぇらは、庵に残るのか?」 手慣れた風にたすきをかける月与と真夢紀へ、ゼロが首を傾げた。 「はい。やっておきたい事があるので」 「料理の下ごしらえも、しておかないとね。ちょっと準備に時間が掛かるから……せっかく村の人達が呼んでくれたんだし、お礼って程でもないけど色々とやりたい事があってさ」 なにやら企む表情を含んで、にっこり笑顔を返す月与。 「私達も、村の奥様方へご挨拶……の前に、まず小斉さん達のお墓にお参りですね」 赤子を抱いて微笑むリーディアは、夫の袖をきゅっと引き。 「子供達も一緒に? 面倒、見なくていいのかい?」 「夜は月与さんにお願いするかもしれませんけど、今は旦那さまがいますから」 傍らの腕へぽんと明煌を預ければ、にわかにゼロが狼狽する。 「待て……抱いていけって!?」 「お散歩ですよ、ゼロさん。では、いってきますね」 リーディアも上機嫌で暁春を抱き、夫婦並んで集落に向かった。 「はい、仲良くいってらっしゃい」 「赤ん坊と子育てに関しては、すっかりゼロも後手だね」 面白そうに奏が二人の後ろ姿を眺め、何気なく見送った白露丸は傍らの虚ろにふと一抹の寂しさを覚えた。 「神事の射、か」 川岸の岩に腰を降ろした五月が、ふと呟いた。 「……興味があるのか」 淡々とラサースが聞けば、彼は無造作に髪を掻き。 「一応、本職っちゃ本職だしなァ。弓は引かせて貰うつもりだぜ。そう言うおまえこそ、興味あんのか?」 そのままそっくり、問うた相手に返す。 「俺なんかが……神事に参加するなど、とんでもない」 ――神に背いた人間が。 その言葉を飲み込み、眼を布で隠した雪豹のアヌビスは首を横に振った。 「そうか? 堅っ苦しい祭でもねェようだし、あんまり固く考えなくてもいいと思うがな。それに、子供らの顔を見ただろ。アレを喜ばせてやれよ」 別に、五月自身が格段に子供好きという訳ではない。ただ目の前の青年を拾った時の……死にかけていた事を思い返すと、何故か世話を焼きたくなっただけだ。 自分の行動にそう説明をつけた五月は、急に何か思い出したように着物の懐を探り。 「よし、壊れてないな。ほら」 折りたたんだ懐紙を無造作に放ってやれば、眼を隠した砂迅騎は難なく両手で受け止める。 薬包のように折った紙を解けば、中に包まれていたのは翡翠色の貝殻だった。 大事に取り扱っていたのか欠けやヒビ一つなく、見た事もない貝をしばしラサースは指でなぞる。 「……これは?」 「海の土産だ。貝なんか、見たコトねぇんじゃねぇかと思ってなァ」 儀の大半が砂漠のアル=カマルでは人々は砂の海を渡る事はあっても、一面が水の海を見る機会など皆無に等しい。 それを思っての、土産なのか。 小さな贈り物そのものが、そして自分の存在を思ってくれた事が、何よりもラサースにとっては嬉しかった。 軽く貝を握ると、五月へ顔を上げ。 「海に行ったなんて、ズルい」 「……ズルいって、あんたなぁ」 拗ねたような咎めるような『文句』に、呆れた顔で五月が低くうめく。 「今度は……俺も連れて行ってくれ」 だが続く言葉に耳を疑って、数回ばかり目を瞬かせた。 「まぁ、そうさな。暑っつい時期じゃあなけりゃ、そのうち連れてってやってもいいぜ」 「暑い時期では、駄目なのか……」 問いとも確認ともつかない呟きは耳に届かなかった素振りで、改めて五月が声を張る。 「ところで、神事の方はどうするんだ」 「……じゃあ、参加する。ただしみっともないことはできない。五月、弓を教えてくれ」 「教えるのはいいが、この短時間じゃあカッコつける位しかできねェぜ?」 「構わない。五月が教えてくれるなら、問題ないだろう」 神事では、的を射る訳ではない。型から入るというか、ある程度しっかりした下地が出来れば、矢を飛ばすくらいは出来るだろうと。 ようやく前を向いた答えに、「そこまで言うなら」と内心を隠しながら五月は白塗の短弓の弦を張る。 弓に手を入れる間、じっとラサースは彼の横顔を見つめていた。 「……少しは、慣れてきたか……?」 「イヅルのお陰だ。もし一人だったら、もっと時間がかかっていたと思う」 気遣うイヅルにマルセールは首肯してから、小さく笑む。 「俺は、何も……」 足場が悪かったり、歩き辛そうな表情をしていれば、手を貸す……その程度だと、彼は苦笑を返したが。 「イヅルが隣にいてくれるから着慣れない物を気にし過ぎる事もないし、困った時も……」 浴衣姿だとマルセールの雰囲気もまた違って思え、イヅルは小さな咳払いを一つ。 「うん?」 「……ん。浴衣、似合ってる、な……マルス」 素っ気ない褒め言葉だが青い瞳は僅かに見開き、次いで白い頬が朱を帯びる。 「そ、そうか。ありがとう」 短くても不器用でも、マルセールには一番の言葉だった。 「何か、暑いな。沢は近いんだろう?」 手でぱたぱたと顔を仰ぎながら先を行けば、赤い花緒の下駄が岩に当たってカツコツと軽快な音を立てる。危なっかしい足取りに案じていると、姿が消えた岩陰から「あっ!」と驚いたような声がして。 「マルス……?」 何事かと駆け寄れば、脱いだ下駄がぽいぽいと宙を舞った。 「魚がいるんだ! 捕ってくるから、待っててくれ!」 ためらいなく浴衣の裾をまくって帯へ挟み、袖をまくり、裸足で浅い沢に入ったマルセールは水の流れを覗き込んでいる。水を得た魚と言うべきか、その生き生きとした様子は褒めた時のような、硬さがほころぶような表情とは違った輝きがあった。 「……じゃあ、期待していよう……」 心配した事を悟られぬようイヅルは辺りに落ちた木の枝を集め、火を熾しにかかる。 川面に意識を集中する彼女の横顔は、真剣そのもので。 「そこだっ」 素早く流れへ手を突っ込み、魚を掴んだ。 だが掴みどころが悪かったのか、滑る魚体はするりと手から抜け、岸へと跳ねる。 「わわ……っ!」 「……上手いものだな……」 感心しながら、水に戻ろうともがく魚をイヅルが拾い上げた。 「ありがとう。今度はちゃんと、掴まえるからな!」 手を振り、気合を入れるマルセールに彼は頷き、流れの緩い場所で掴まえた魚をさばいて串代わりの枝を通す。手慣れた感でイヅルが下ごしらえをする間にも、彼女は次の魚を捕まえていた。 (……得意だと言っていたが……まぁ……楽しそうで何よりだ……) 川岸を渡る風は涼しく、塩を打って焼いた数匹の川魚をおかずに二人は握り飯を頬張り。 のんびりとしたひと時を過ごした後、立ち上がろうとしたマルセールはすっかり浴衣が着崩れている事に気付く。 「……すまない……こんなはずじゃあ……」 襟や帯を引っ張ってみても上手く直すことが出来ず、火の始末をしたイヅルは消沈する彼女の頭へ軽くぽんと手を乗せた。 「……直そう……」 見下ろすうなじや開きかけた襟元に顔が火照る感覚をイヅルは覚えつつ、出来るだけ白い肌を見ないようにしながら着崩れた浴衣を直す。 最後に足元へ並べた下駄に足を引っ掛け、ほっとマルセールは息を吐き。 「その、ありがとう、イヅル」 「……ん」 短い返事でイヅルも頷き返し、涼風の渡る沢を二人は再び並んで歩き出した。 ●祓いの矢 太陽が西へ傾き始めると村の者達は畑仕事を切り上げ、友人や家族と共に山裾にある神社へと向かう。 小さな神社の社務所では、蟇目鏑を射る役目を申し出た開拓者達が一足先に集い、それぞれに準備をしていた。 「巫女袴に着替えたい方は、こちらをどうぞ」 念のためにと、村の巫女が用意した着物を座敷に置いて行く。もっとも、大半が慣れた服装に自分が愛用する弓を用意して、この場に望んでいた。 「あの。少し、境内で練習してもいいですか?」 心配になった柚乃の問いに、巫女は「どうぞ」と快く笑顔で返す。 魔弓「夜の夢」に柚乃はぴんと弦を張り、確かめるように爪で弾けば、弦よりほのかな金銀の靄が舞うように漂った。 「しばらく、弓に触れていなかったな……」 しみじみしていた柚乃は、珍しそうな小春の視線に気付く。 「小春ちゃんは不参加?」 「うん、皆が射るのを見てる」 「そっか。乙矢さんの弓の腕も見れるんだよね? 楽しみですっ♪」 「大した射でもありませんが」 苦笑する乙矢は久し振りに弓術師としての装束をまとい、何となく胡蝶は懐かしさを覚えていた。 「本職の前で射手なんて、やりにくいわね」 冗談半分本心半分で、借り受けた梓弓を軽く引いてみる。 「そのような事は……力まずに自然体で引けば、何とかなると思うので」 「そうね。助言、ありがとう」 彼女にはだいぶ砕けた物言いになっているものの、乙矢の『自然体』は相変わらず遠そうだと、内心で胡蝶は苦笑う。 「後は、神頼みでもしておくわ」 「柚乃さんが練習されるなら、私も乙矢さんに教わっていいです? 巫女の身としては、ちゃんと神事をこなしたくてっ」 ぐぐっと拳を握り、真剣な表情でリーディアが乙矢に訴えた。 部屋の隅では、束ねる髪紐を解いた白露丸が白い髪を櫛で梳き、左腕にある火傷の跡を他の者に気付かれぬよう、用意された巫女服に素早く袖を通す。 そして高く髪を結び直し、傍らに置いた黒木のロングボウ「流星墜」を手に取った。 柚乃も普段は束ねない艶やかな青い髪を一つに結い上げ、手製の紐飾りでくくる。心持ち、きりっと気が引き締まった感じがして、静かに柚乃は深呼吸をした。 そして、傍らの真剣な視線に気付く。 「……小春ちゃん?」 「えと、合戦とか行く時は皆、こんな風に真剣なのかなぁって」 「う〜ん。その時々、かな?」 はにかむ柚乃が、急にぽんと両手を打った。 「そうだ。小春ちゃん、神事の前に神社の本殿にお参りしない? やっぱり、ご挨拶はしておきたいから」 「うんっ」 「私も、お参りしようかしら」 誘い誘われて連れ立つ少女らにリーディアもそわそわと悩み、乙矢は小さく笑む。 「せっかく来たんだし、小春ちゃんや汀さんもやってみたらいいのにな」 「うん。こういうのは楽しんだもの勝ち、見てるよりも参加した方が楽しいだろうって思うんだけどね」 一方、男部屋ではテーゼと奏が残念そうに語り合っていた。 「射手が多いなら、いっそ俺が辞退してもよかったのに。って、べ、別に本職なのに万一にでも無様を晒したら嫌だとかじゃナイデスヨ……?」 「それは困るな。下手に辞退されると、一緒になって姿をくらましそうなのがいるから」 カクカクと否定するテーゼに、ちらとカロンが目の離せない連れを見やる。 視線の先、水平に構えてみた弓の弦を引いていた等が投げたのは、実に素朴な疑問だった。 「ところで、カロンさん。石段から蟇目鏑を射るって話だけど、肝心の的はドコ?」 「……知らん!」 「いや、的はないから」 「え、そうなんだ?」 等とカロンへ手を左右に振って答えたテーゼに、奏も驚きの声をあげる。 「蟇目鏑は音を鳴らすために作られた矢だから刺さるように出来てないし、今回の神事は空に向けて射るって話だから」 「「「おぉ〜っ」」」 何故か、声を揃えて感心する男三人。 「あ、でも神社によっては、流鏑馬のように鏑矢を的へ射る神事もあるって聞くけどねっ」 「そろそろ、行くか」 そんな話の間に五月は準備を終え、黙々と弓を確かめるラサースへ声をかけた。 ○ 夕暮れが近付く頃、石段前の鳥居には友人や家族連れでやってきた村人らがのんびりと集まってくる。 その顔ぶれに、今年は開拓者達も混ざっていた。 頃合いを見て現れた巫女二人が石段の両脇に立つ篝火台へ火を入れると、賑やかな話し声は潮が引くように小声の会話に変わる。 全ての篝火台が炎が上がり、間もなく神職と巫女達が静かに石階段を降りてきた。 石段の中央を空けて、左右に巫女らは並び。 それぞれ手にした琵琶や笙(しょう)、龍笛に鈴などを鳴らし、神事の始まりを知らせるように神楽を奏でる。 次いで神職が朗々と祝詞を奏上し、無病息災と五穀豊穣を精霊に祈った。 村人達も老若男女を問わず両手を合わせ、神妙に頭を垂れる。 開拓者も同様に祈る者、祈る姿を眺める者など、様々で。 祈りが終われば再び楽の音が夕暮れの空に奏でられ、鈴を上下に振りながら巫女らがその場で回る。 それを眺める仄は、ふとした疑問に崎倉の腕をこそりと小突いた。 「ここの神社に、あんな沢山の巫女がいたか?」 「それなら、大半は村の娘らだ。頭数のいる神事や忙しい時は、ああして巫女の手伝いをしている」 「ああ、通りで」 仄が得心する間にも、弓と一本づつ蟇目鏑を手にした八人の巫女が石段に並ぶ。 そして人々が見守る中で矢を番え、空へ放てば。 黄昏の空に、「ひょぉぅ」と邪気を祓う音が幾度も響いた。 「いよいよ、真打ちの出番ですね!」 無事に八本の蟇目鏑が射られ、村人らの拍手を聞きながら等は腕まくりをする。 「的がないから、勝負にならない訳ではないからな!」 悠然と笑いながら、カロンが弓を構えた。 「何だか、緊張するなぁ」 呟きながら、テーゼは手にした蟇目鏑をしみじみと眺めてみる。 アヤカシと対している時は、あまり意識した事のない矢の作り。先端の蟇目から矢羽根の一枚まで作りには一分の隙もズレもなく、『商品』としては当たり前の事が何やら凄く思えてしまう。 「初心でも許されるとはいえ……緊張するわね」 石段を降りながら胡蝶は呼吸を整え、しゃんと背筋を伸ばした白露丸は前方に広がる夕暮れの空を、そして地平へ沈む夕陽を見ていた。 一段の幅は狭く、足場は良いといえないが。 (……全ての厄を払い、皆の不幸が払えるよう) そう願いをかけ、黒木の弓の弦を静かに引き絞り。 意識せずとも、自然と引き手の指が離れる。 邪気祓いの矢は燃えるような赤い夕焼けに飛び、ヒョゥと高い音が尾を引いた。 一呼吸の残心の後、弓を降ろした白露丸が小さく呟く。 「……皆が、幸せに」 そして祈るように、そっと目を閉じた。 見守る眼差しに胡蝶は緊張を覚えながら、掲げた弓の手と弦の手を左右に分けながら引き下ろす。引き切った『会(かい)』の状態は、見た目に止まっていても保つ力を維持し続けねばならず。 (とりあえず、真っ直ぐ飛んで) いま願うのは、ただそれだけ。 神頼みと共に手を離せば、先の白露丸より低い音を残しながら、蟇目鏑が夕暮れに弧を描いた。 「よかった」 矢の行く先は見届けられなかったが、無事に音が鳴った事に胡蝶は詰めていた息を大きく吐く。 「それじゃあ、と」 小隊隊長に負けじと、胡蝶の後にはテーゼが続いた。 いつもより慎重に矢を番え、色鮮やかな赤と白の色合いを持つ弓「緋凰」からは力強い音が飛ぶ。 「うわぁ、鳴ったよ……!」 「鳴るように作ってあるんだから、当然でしょ」 ぽろりとテーゼが口にした感慨に、小声で胡蝶は辛辣な言葉を投げた。 「そうだけど……そうなんだけどさっ」 「肝心の邪気が、祓えているといいけど」 そう言われると、にわかに心配になるテーゼだった。 「小斉のおじいちゃん達にも、聞こえますように」 小さく柚乃は祈ってから、金銀で装飾された華麗な弓より蟇目を放つ。 音の高さは高くもなく、かといって低くもなく。茜の空へ緩やかに飛んだ。 「こ、これで、大丈夫かな?」 「きっと、大丈夫だよ」 心配そうな柚乃に笑って頷いた奏も、自分の番となれば普段より緊張気味に弓を引き絞る。 「頑張れー!」 思わず声援を飛ばす汀に、どっと村人の間から笑いが起きた。 「えっ、あの、応援しちゃ駄目……だっけ!?」 「気にしない気にしない」 明るく月与が笑いながら、狼狽する汀の髪をぽふりと撫でる。 ひとしきり笑いが収まるのを待ち、気を取り直した奏は再び蟇目鏑を番え。 また一つ、笛のような音が空に鳴る。 乙矢も後へ続き、次々と蟇目鏑が空へ消える間、リーディアは胸の前で小さく両手を合わせていた。 射の順番は、特に決まっていない。好きな時に気を楽にして射ればいいと、神職は有志の開拓者に説明した。 (どうか、邪気を祓って下さいますよう……村も、人も、私の家族も。皆、この夏を乗り切れますように) 本殿の前でもそうしたように祈ると意を決し、梓弓の弦を離す。 発する柔らかな音は、ふわりと山なりに遠ざかっていった。 ヒョゥンッ、と。 夕空を切るように、鋭い音が風に鳴る。 構えてから射るまで、五月の動作は早かった。 弓を引く瞬間、眼光はいつになく鋭く、表情は失せ。 戦場で経験を積んだ実戦の射を、矢の行く先を見極めるような横顔を、隣に並ぶラサースは見つめていた。 (自分の知らない顔が、まだまだあるのだな……) 一瞬ではあったが普段と異なる五月の一面に、己が居場所も忘れ。 「……俺を見ても、矢は飛ばねェぜ」 「あ、ああ……そうだな」 皮肉めいた指摘をされ、惚けていたラサースは思いを振り払うように頭を振る。 教わったとおりに蟇目鏑を番え、素早い所作で射れば。 五月と似た音を立て、黄昏時を過ぎた空へ溶けるように矢は見えなくなった。 ほぼ同時に蟇目鏑を射たのは、等とカロンの二人だ。 的に当たるか否かで『勝負』が出来ないとなれば、どちらの矢が遠くへ飛ぶかという話しになったらしい。 片方は低く唸るように、もう一方はくぐもった音を残し、二本の矢は似たような方向へと飛んで行った。 「イェーイ、さっすが俺!」 「ふんっ。俺の方が、遠くへ飛んだな!」 手応えにぐっと握り拳で等は喜び、得意げにカロンは額へ手をかざし。 「カロンさんも意外とやりましたけど、俺も負けてませんよ!」 「フン! 平野も、ちょっとは出来るようになったかと見直したが、やはり俺の方がだな……」 石段の上で言い合いをする二人の姿を、マルセールは困ったような表情で見上げる。 「仲がいいほど喧嘩する……という、アレだろうか」 「……さて、どうだろうな……」 周囲を窺えば村人達は面白そうに見物し、止める必要もなかろうとイヅルは成り行きに任せた。 全ての蟇目鏑を射終わると見守る人々より拍手が起き、仕舞いの神楽が奉納される。 (マルスの無病息災と、平穏無事を……そして、これからも共にいられるように) 雅楽を聞きながらイヅルは手を合わせて願い、マルセールも彼に倣う。 (イヅルが無事、盛夏を過ごせますように……) まず真っ先にそれを祈願してから、少し間を置いて付け加えた。 (これからも、こうやって傍で無事を祈っていられますように) ●祭の後 神事が終わった境内で、一人静かに白露丸は弓の手入れをしていた。 弦を外す前に、ふと思い立って弓を持ち直す。 まだ身に着けた弓掛鎧の、皮手袋をはめた指を弦にかけ、射る様に軽く引き。 放せば、びぃんと弦が鳴る。 響きを聞きながら、そっと彼女は目を閉じ。 「……幸せに……なって、ほしい……」 一度目は、小さな友人の為に――まず、祈った。 続けてもう一度、白露丸はゆっくりと弦を引く。 二度目は、愛するあの人の為に。 「……共に、歩みたい……」 再び鳴る弦音に、小さく微笑み。 「共に、幸せになりたい……」 大切な人の為に鳴らす、二度の響きは夜に溶けるように消えた。 「お疲れさまでした。暑いですし、カキ氷はどうですか?」 佐和野村の村長宅では、唐傘と椅子を並べて休める場所を準備した真夢紀がカキ氷を勧める。 「かあちゃん、氷、氷ー!」」 「真夏なのに凄いねぇ」 せがむ子供らをあしらいながらも、暑さに負けた村の女衆が足を止めていた。 「氷にかけるシロップは、抹茶金時に西瓜やシソのジュース、栗の甘露煮の汁、苺のピューレ、甘夏の汁に、甘酒……あと葡萄酒や極辛純米酒も持ってきました。好きな味で、作りますよ」 「ほぉ、酒もあるのか」 酒と聞けば男衆も顔を出し、人だかりが出来上がる。 「お酒のカキ氷は一人一杯まで、ですからっ」 酒があるなら、次は自然と肴を探し。 「はい。口に合うかは、食べてのお楽しみだけどね」 そんな酒好きに月与が笑いながら、田舎ではまずお目にかからない料理をピザや辛い丼などを振舞っていた。 「異国の料理?」 「これはまた、珍妙な」 平たいパンに具材やチーズをのせて焼いた料理を、村人はおっかなびっくり口にする。 食べた反応は様々だが、それもまた祭の思い出。 「折角のハレの日ぐらい……って気持ちは、良く判るしね」 子供や女衆には振舞いの品として、菓子や飲み物などを月与は遠慮なく配った。 「有難いものだ。お陰で今年の神事は、賑やかになった」 「こちらこそ、邪気払いの神事、しかとこの目に耳にと焼き付けさせてもらったのじゃっ」 嬉しげに見守る村長に、べべんと烏水は撥(ばち)を打つ。 「石鏡の七祭なども賑やかで楽しいものじゃったが、こうした村祭りもまた趣きも温かみもあって良いものじゃなぁ」 「それなら、招いた甲斐もあるというもの。もっとも、こちらが遊ばせて貰っておるが」 「可愛い娘さん達にも来てもらって、有難や有難や」 「やれやれ、あんたも元気な」 真夢紀や月与を拝む仕草の老翁に村長は苦笑い、笑うように烏水がぺんぺぺんと三味線を弾いた。 「老いてなお元気なのは、何より。出来れば、村にまつわる話や村唄の話を聞きたいものじゃ。出来る事なら、この村ならではのものを三味線の音に乗せ、皆と大いに騒ごうぞっ!」 「田舎村の、田舎料理しかないがのう」 「そこはそれ。わしからも糠鮭を出すので、酒の肴として遠慮なく食べてくれなっ」 ぺけぺんっ、と。 神事の間は控えていた三味を、存分に烏水は鳴らす。 「では、崎倉殿に相談せねばのぅ」 何やら村長は思案をし、真夢紀と月与、烏水の三人に心ばかりの礼が届けられたのは、また後の話。 「そういえば、平野は……撒かれたか。忙しいやつだ」 いつの間にか消えた連れの姿にカロンがぼやくも、探す事もなく葡萄酒のカキ氷をザクザクと口へ運び。 途端にキィンと痛くなる額を、彼は拳で何度も叩く。 一方、等は暗い畑の道をフラッと歩いていた。 「カロンさんに一日付き合ったし、もう俺の自由時間でいいよねー」 蒸し暑い夜の底を足取り軽く、風の向くまま気の向くまま――。 「可愛い娘さん、ねぇ。まぁ、確かに際立った美人は多いわなあ。胡蝶も黙って立ってれば……だしな」 にんまりと見やれば、容赦なく胡蝶は仄の脛(すね)を蹴飛ばした。 「あ痛てっ!」 「禅。お土産という訳じゃないけど、小春やサラ、それから村の子供らにあげて」 痛がる様子も素知らぬ顔で、持ってきた『線香花火セット』を胡蝶は崎倉に手渡す。 「すまんな。ほぉら、胡蝶が神楽の土産をくれたぞ」 「花火だっ!」 「お姉ちゃん、ありがとう!」 目を輝かせた子供らが口々に礼を言い、崎倉は小春やサラにも花火を少し分けてやった。 「しかし、サラは相変わらずだな。同じ年頃の子とか、村に居ないのかね」 「長屋でも、子供らと遊ぶ事はなかったからなぁ」 小春や柚乃とは一緒に花火をするサラの姿に、崎倉が苦笑する。 「だって長屋っていつも、開拓者さんで賑やか面白いしっ」 「そうだね」 月与と一緒に双子をあやしながら汀が力説し、くすくすと笑いながら奏も同意した。 「あ、そうだ。作ってみたんだけど、奏さんも食べる? 月与さん達のお菓子には、負けるかもだけどっ」 子供らにあげていた手作りクッキーを、折角だからと汀は奏にも渡す。 「ありがとう。後でゆっくり、食べるね」 「うん。でも期待とかしたら、ガッカリするからっ」 「賑やかといえば乙矢さんの蟇目鏑、いい音だったなぁ。いろいろ試してるのか、一本一本微妙に違いが感じられたかな」 腕組みをしたテーゼは、うんうんと頷きながら神事を思い返していた。 「でも、どれも真っ直ぐで乙矢さんらしいっていうか……あ。矢が真っ直ぐなのは当たり前だけど、中心に芯が通ってるというか、そう感じたんだ」 「特に、これといった意識はしておりませんが……でも飛び方によって音は変わります故、その辺りかもしれません」 恐縮しながら乙矢はテーゼの杯に酒を注ぎ、そこへ小春がひょこと近付く。 「えっと、これ」 「俺に……財布?」 「テーゼ、いつも誰かに奢ったりとかしてるから。それから、胡蝶にも」 「……もらっておくわ、ありがとう」 「ありがとな、小春ちゃん。あ、俺も花火、いいかな?」 「うん!」 嬉しそうな小春は、テーゼと一緒にサラと仔もふらさまの元に戻る。 縁側に座る胡蝶は蝶のブローチを見つめてから懐に仕舞い、酒杯を口に運ぶ。 「乙矢、今日の神事……二年前の付喪弓のことを思い出したわ」 小さく明かせば、乙矢が首を傾げた。 「弓を破壊して、それが精一杯だった日のこと忘れていない。あんな風に誰かに悲しい想いをさせるのは、あれが最後にしたい……」 揺らぐ杯の水面を見つめ、それから静かに髪を左右に揺らした。 「ゴメンなさい。少し飲みすぎたかしらね」 「いえ。私も誰かを怨んで傷つけ、壊すより……誰かを守る弓や矢を作りたい」 そうして二人、花火に興じる小春やサラ達を眺め。 「そういえば、リーディア殿とゼロ殿の姿が見えませんが?」 「ああ。夫婦水入らずで、例の蛍の沢へ行ったぞ」 訊ねる乙矢に答えた仄は、「夜半にでも足を運んでみるか」と呟く。 「蛍火の中に故人の面影を見るか。時に悔悟、時に慰撫ともなるんじゃろうなぁ……いつかわしの三味線の音で、前行く一押しとなるもの奏でられるようになりたいものじゃ」 少ししんみりした烏水の三味線が、「ぺぃ〜ん」と夏の夜空に響いた。 「夜の沢は、涼しいですね」 舞う蛍と提灯の明かりの下、僅かな涼にようやく暑さが引いた気がして、リーディアはほっと息をつく。 その胸をアーモンドのブローチが飾っている事に気付き、けふんとゼロは咳払いをした。 「今日の神事、様になってたぜ。それ……つけてくれてんだな」 「旦那さまからのプレゼントですし、デートの時くらい……と思って」 「暁春や明煌を抱いてると、掴むからなぁ」 「なのです。普段は、大事にしまってありますよ」 「そっか。ありがとな」 礼を告げ、徳利を取るとリーディアに返杯する。 少し酒に口をつけ、それから沢の周りを飛ぶ蛍を静かに眺め。 「蛍、綺麗ですよね……村の人は、故人の面影が見えるって怖がってるんでしたっけ。ゼロさんは、何か見えます?」 「さぁ? 見たい顔が多いせいか、よく分からねぇぜ」 からりと笑い飛ばしてから、妻の顔をひょいと覗き込んだ。 「お前は、どうだ?」 「えぇと……」 微妙な表情で返答に困れば、大きな手がぽふりと頭を撫で、それから肩を抱き寄せ。 「にゅ……」 「戻ったら、月与達に礼を言わねぇとな」 「ですね。後片付けとか、手伝わなくてはっ」 気合を入れるリーディアにゼロもまた笑い、蛍を眺めながら共に酒杯を傾ける。 邪気を祓い給えと願いの矢を放った空には、一面の星が瞬いていた。 |