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■オープニング本文 ●書写 時おりジジッとかすかな音を立て、行灯の油が燃える。 「これで、全てか」 巻き紙に写し取った文字を確かめた天見元重(あまみ・もとしげ)は、筆を置くと眉間のあたりを指で抑えた。 「さしもに、梅雨が明ければ暑いな」 部屋に張った蚊帳のせいもあり、夜でも風の通りは悪い。 加えて人払いをしているため、団扇を扇ぐ者もいない。 「やはり、勝手が違うものだな」 大きく息を吐き、正座を崩して胡坐をかく。 昔から長い時間を書机で過ごしていた訳ではなく、必要となっても慣れぬものだ。 それでも、この書写は必要な事であったし、他の誰に任せられる仕事でもなかった。 写す原本は、志半ばで倒れた天見基時(あまみ・もととき)が残した書き付け数枚。 死の寸前に書机の隠し引き出しへ納められ、襲ったアヤカシにも気付かれず、難を逃れたものだ。 ――これが失われては、兄の無念の死が報われぬ。 そう思えばこそ元重は自ら筆をとり、兄が少しずつ調べ集め、後の者へ伝えようとしたものを書き写した。 書き付けの内容は『城町騒乱』のような数年来の騒ぎと、『赤い布で顔を隠す者』『殺しても死なぬ蟲の古妖』などにまつわる伝え話、それに関する基時なりの私見だった。 (『無名衆』に『無貌餓衣』、それに『蟲袋』……か) 最後の名に覚えはないが、先の二つは元重にも心当たりがあった。 ●壱の妖〜『無名衆』との因縁 確か、二年ばかり前の冬。 鉄砲の売買の話をつけに朱藩の首都『安州(あしゅう)』を訪れた際、同行した妹の津々(つつ)がアヤカシの化ける『偽修羅』によって浚われた。 所在を探し当てた開拓者が津々を助け出した直後、安州の貧民街に巨大な不定の肉塊を持つアヤカシが、前触れもなく現出したのだ。 瘴気にあてられた貧民街の住民の大半が『瘴気感染』によって死亡し、見る間にアヤカシと化した。 人々の混乱をよそに、醜怪な巨体は安州の西を流れる川へ到達すると、そこで忽然と姿を消す。 もし川を移動すれば何らかの痕跡もあっただろうが、それすら残さず完全に消失したのだ。 後に識者達は、それが伝え話にある大妖が一首『無貌餓衣』ではないかと噂した。 その無貌餓衣の名代が『無名衆』、または『顔無』と呼ばれる「顔を隠した」者達だという。 天見家と『無名衆』の因縁は、時間としては短いと思われるが根は深い。 数多ヶ原で起きた騒動、『城町騒乱』。 その原因となった謀叛騒ぎでは『無名衆』の鷹取左門(たかとり・さもん)が裏で糸を引き、元重自身も知らずに関わっていた。 どこでどう無名衆が、鷹取が天見屋敷の内に入り込んだのか、仔細を元重は知らず、知らされておらず。 ただ元重の側近として頼りになる男だったし、天見の為に尽くす良き家臣だと彼は思い――騙されていたのだろう。 ……鷹取を詰問した際に失った左腕が、有りもしないのにじくりと痛んだ。 ただ気になるのは、基時が『城町騒乱』の以前より「赤い布で顔を隠した者」の存在を知っており、誰にも「関わらせてはならない」と考え、書き残した事だ。 公には出来ぬが、伝えたのは今は「ゼロ」を名乗る天見基近(あまみ・もとちか)であり、実弟の話を聞いた基時は「当主の胸の内に秘すべし」と判断したらしい。 一体いつから、ゼロは「赤い布」の存在を知っていたのか。 そして、無名衆は何を画策しているのか。 何もかも、元重には知らない事が多過ぎた。 大妖『無貌餓衣』と、その名代『無名衆』。 正体の知れないそれだけでも頭を抱えるというのに、書き付けには『蟲袋』なるアヤカシが別に関わっているという……。 ●弐の妖〜古妖『蟲袋』 天見と数多ヶ原に憑きし、死なずの古妖……そんな言葉が『蟲袋』の名の傍らに記されていた。 かなり昔から、数多ヶ原のどこかに潜んでいるアヤカシらしい。 北西にある魔の森に変化がみられない事などから大アヤカシではないものの、長く存在するが故に手強いアヤカシと推測され、何より不吉なのが「殺しても死なぬ」と伝えられている事だ。 何故「死なない」のか、そこまでは基時も分からなかったのか、書かれていない。 なにより無貌餓衣と較べれば、書き付け自体が圧倒的に少ない。 子々孫々への警告や指針として表に出ている資料が少ない理由を考えれば、「触れてはならぬ」と秘されたものか。 より古い、天見家に残る文献を調べなければならない――と、基時は記し。 ……調べるだけの時間が、兄には残されていなかった。 開拓者が調べた結果、基時を襲ったのは天井裏より出現した「数え切れぬ毒虫の群れ」だった。 そう。あの冬は妙に虫が多く出ると、天見屋敷の侍女達はよく愚痴をこぼしていた。 では虫アヤカシの集まったものが、蟲袋なのだろうか。 確かめようにも、話が出来る相手は今の数多ヶ原にはいない。 兄の遺児、現当主の天見基宗(あまみ・もとむね)は二歳にもならぬ赤子。 すぐ下の弟、元信(もとのぶ)は当主代行として巨勢王のお膝元、此隅でお家の務めを果たしていた。 家臣にアヤカシと関わりのある者が存在し、そしてアヤカシ自身が屋敷奥で邪魔者を喰い殺す今。長く務め、信を置いている者であっても、迂闊な話は出来ない。 城町騒乱で、天見の家臣は尋常でない数を減らした。 これ以上、国を守り、支え、動かす者達を失う訳にはいかない。 「頼るのもまた、やむなし……か」 そのために元重は時間をかけ、一人で書き付けの書写を続けた。 写しは開拓者に託し、調べを依頼する心積もりだ。 蚊帳をくぐって廊下に出れば、明滅する光が庭を漂っている。 沢や川の近くを飛ぶ蛍より光は弱く、瞬きも早い。 しばし元重は佇み、まるで生き急ぐような蛍光を見つめた。 ●知を辿り、武を手繰る 白と青の濃い夏空の下、天見屋敷の一角では鍛錬に励む若い声が響いていた。 年配の家臣より教えを受けているのは数年の間に元服を迎えた者達で、国と領民を守る術を身につけようとしている。 彼らの教育を取りまとめるのは、アヤカシ討伐隊を率いる津々(つつ)だ。 縁談を放って逃げた事が兄の死に繋がったと、深く悔い。悔いる分、後進の指導を己がすべき役目と捉えている。何かに打ち込んでいなければ、抜け殻のように動かなくなってしまいそうで、元重は妹の好きにやらせていた。 「開拓者の人達を呼ぶのなら、討伐隊の鍛錬もお願いしていいかな?」 依頼を出す話を聞いた津々が、鍛錬の合間をぬって元重に聞いた。 「討伐隊を?」 「戦い方は勿論だけど。例えば『アヤカシ退治』って名目で、討伐隊へ何も知らせずに相手をしてもらう、とか。実戦に近い方が、開拓者の人達も動きやすいかと思って」 「そうだな。アヤカシに対する備えも、十分でなければ」 敵が明確となれば、戦う者も必要となる。 日々の自衛の意味も兼ねて……やるべき事の多さと重さを、元重は実感していた。 |
■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
リーディア(ia9818)
21歳・女・巫
ルシール・フルフラット(ib0072)
20歳・女・騎
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●遺志 「これを最期まで、基時が……」 呟き、御凪 祥(ia5285)は天見基時が遺した書き付けの写しを手に取る。 膝の上に置いた手をリーディア(ia9818)はぎゅっと握り、身動き一つせず書写を見つめていた。 「大丈夫か?」 「はい、大丈夫……です」 気付いた劫光(ia9510)が案じると、細い声でリーディアは返した。 「ご当主さまにお会いする機会はございませんでしたが、今回のこと、心からお悔やみ申し上げます」 深々と天見元重へ六条 雪巳(ia0179)が一礼し、ルシール・フルフラット(ib0072)も頭を下げる。 「良い新年を迎えられるよう、願っていたのですが……」 「気遣い、有難く。開拓者の皆には感謝しているし、兄上もそうであろう。俺に先見の明がなかったのだ」 返礼した元重は頭を振り、僅かに柚乃(ia0638)が膝を進めた。 「お久し振りです、元重さん。多少なりとも、一端に係わったコト……これも何かのご縁かなと思って。微力ですが、少しでもお役に立てれば……」 「正直、助かる。お前達の命を危険に晒すやも知れぬが」 「なぁに。やり込められる一方は、むしゃくしゃするもんだ」 硬い返事を鬼灯 仄(ia1257)は笑い飛ばし、紫煙を吐く。 「元重おじさま……天見家のみなさまは、お元気ですの?」 「ああ、基宗も息災だ。後で、顔を見てやってくれ」 遠慮がちにケロリーナ(ib2037)が訊ねると、元重の側から促した。 「基宗ちゃんの周りにも『ムスタシュィル』を使って、アヤカシがうろついていないか確かめたいですの」 だが、元重は良い顔をせず。 「あまり、母を刺激したくはないのだ……基宗の実母でもあるからな。それから、津々は城町の討伐隊詰め所にいる。討伐隊士には来訪を伏せてあるから、存分に鍛錬してやってくれ」 「承知した」 「お役に立てると、良いのですけれども」 短く応じる祥に穏やかな笑みで雪巳が続き、劫光は天見屋敷に残る者を見やる。 「こちらは書物より情報を集約、だな」 「う〜……数多ヶ原と、基宗ちゃんの未来の為にもがんばるですの」 後を任せた元重が席を立ち、ケロリーナはかえるの人形を抱きしめた。 開拓者だけになると、一同は互いの見聞を明かした。 ゼロを巡る騒動や城町騒乱、基時の話に基宗の素性。安康寺での出来事、鷹取左門や『野良人妖』との事、等々。 「天見とアヤカシの因縁、思うより根深いものであるのやも知れませんね」 数々の事柄に、険しい表情のルシールが重い息を吐いた。 「これまでご縁がなく、話を聞くばかりとなりましたが……関わりがなければこそ、見えるものがあれば良いのですけれど」 「考えに没頭して、やられないようにな」 反芻(はんすう)するように目を閉じる雪巳を仄がからかい、討伐隊と赴く者は城町へ向かう。 「時間もないですし、こちらも動かないと」 写しを読んでいたリーディアが顔を上げ、柚乃も頷いた。 「十分に警戒して、ですね」 ●迷いの宮 「火の扱いに気をつけて下さい。不始末があれば、一大事ですから」 書物倉の鍵を開ける三枝伊之助の注意に、失念していた劫光は髪を掻いた。 「そういう心配もあったか。大事な書を焼失しては、元も子もないからな」 重い鉄扉を開けば中は薄暗く、高い位置にある小窓は閉じている。 「かび臭くは、ないですね」 リーディアが書庫内を見回す間に伊之助は行灯へ火皿を置くと小窓を開け、虫除けの網を張る。 「虫干しなら年に一度か二度。その際、簡単に仕分けていますが細かいところは……」 「家臣さん達、武道の方が得意なようですしね」 「お恥ずかしながら」 そこへ周囲を一周したケロリーナが、遅れて加わった。 「『ムスタシュィル』を仕掛けたですの」 「ありがとうございます。では、書を出しますか」 棚に詰んだ文献へ柚乃が手を伸ばせば、脇からひょいと劫光が取り上げ。 「紙は重いからな。これでも陰陽師だ、資料を扱うのも読むのも慣れている」 見台の前に座るより外へ出て実践を行う方が圧倒的に多い事は伏せ、書架に詰まれた書や桐箱を文机へ運ぶ。 「では、御用があれば」 伊之助が一礼をし、書庫には開拓者が残った。 埃を払ったリーディアは純白の手袋をはめ、表の題や内容から年代と大まかな内容で書を分類する。 「各村の年貢や税の記録、屋敷の収支帳簿……重罪人を処罰した記録もありますね。あっ、これはアヤカシの被害と討伐録みたいですよ、劫光さん」 「それは気になるな。出来れば、日誌や記録帳みたいな物もあればいいが」 「えぇと『無貌餓衣、蟲袋、赤い布、朱刀、顔なし、無名衆』……このあたりの単語で、記録がないか調べてみるですの。引っ掛かった書物は元重おじさまに貰った歴代当主の家系図と照らして、アヤカシと天見家の関わりを年代順に纏めるですの。うまく断片を整理できたら、対策が見つけられるかもしれないですの」 漆黒の手袋をつけたケロリーナは『フィフロス』の呪文を小さく唱え、表紙に触れた手と書物が薄ぼんやりと光をまとう。 (顔隠しの赤い布に関する警告文。無貌餓衣や無名衆が持つ力の詳細と、最も古い記述の年代。朱刀が作られた年代と理由……その辺りも、分かるといいのですが) 主に『無貌餓衣』に関わる要素をリーディアは調べるも、天見家は古い氏族ながら成果はない。基時の写しにも「天見と関わった時間は短い」との考察があり、その裏付けにはなるが。 (ではゼロさんは何故、必ず朱刀で赤い布を? あの布は必ず消すべき物、という事なのかな。消すには朱刀でなければダメなのか……普通の武器で切っても、消せるのでしょうか) 城町騒乱の時、「触れてはならない布」で顔を隠したゼロは『瘴気感染』で死に瀕した。それは屍人アヤカシと共にいた為か、あるいは……。 (気休めかもだけど……これ以上、犠牲になる人が出ませんように) 柚乃はそう、『モイライ』で幸運の女神に祈った。勝負事でのツキを引き寄せるようなジプシーの術だが、頼らずにはおれず。念のため『超越聴覚』も用いれば、聞こえるのは仲間が作業に没頭する音ばかり。 気にかかるのは、初めて目にした『蟲袋』の記述だ。 (『殺しても死なぬ』……もし人の闇、負の感情を喰らって生きるなら、有り得る?」 糧となる人がいる限り。それは一つの例えだが、一方で開拓者は多くのアヤカシを滅してきた。何より『倒して死なぬ』ではなく、『殺して死なぬ』のも引っかかる。 「数多ヶ原に根付く闇を喰らう魔物……だとしても」 昔から天見家は領民を大事にしてきたのか一揆の記録などは見当たらず、『根付く闇』の目星はつかなかった。 (あの縁談、少し時機が良過ぎた気がしないでもない。いい趣味じゃないのは確かだが、疑える者は全て疑う必要があるよな) 関係は薄いかもしれないが、劫光は津々の縁談相手で隣国を治める三根家の記述を――誰にも明かさず――調べていた。 過去に数え切れない程の衝突を起こした相手は、「事の起こり」とも思えるが。 (縁談は基時の『指示』だ。アヤカシの有利になる手を、彼が打つだろうか?) そんな疑問に思い当たった。 (アヤカシは、いずれも厄介な相手のようだしな。一筋縄じゃあいかない、か) 絡まった糸は未だ解けず、書に囲まれた者達は文字に埋もれた糸口を模索する。 ●担い手 道の脇に広がる林より、鏑矢が飛んだ。 「斥候班に敵襲!」 警戒する弓術師の一人が叫び、年若い者で構成された討伐隊に緊張が走る。 討伐隊の中でも年若い者で構成された分隊は「アヤカシの潜む気配あり」との知らせを受け、津々とこの場に赴いていた。 「津々様」 指示を仰ぐような分隊長である最年長の少年に、緊張した面持ちで彼女は頷く。 「私は、ここで待機します」 「承知致しました。皆、行くぞ!」 馬を降りた総勢二十数名の背を、少し心配そうに津々が見守った。 「う、うわぁぁっ!」 怯んだ己を奮い立たせるように叫び、少年の一人が前に出る。 突き込む切っ先を、無造作に木刀が叩き落とし。 体勢を崩したところを、すれ違い様に打ち伏せた。 深く被った深編笠一つ触れさせず、肩に引っ掛けたボロ布を揺らした『敵』は木の陰へ身を隠す。 「どこへ……?」 「瘴気は感じられず、所在が掴めませんっ」 狼狽する巫女に、分隊長の若侍が眉根を寄せた。 「うろたえるな、数では勝っている筈。弓術・砲術組は包囲を崩さず、残りは組んで不意打ちに備え!」 その矢先、木々の間から雷の刃が飛び。 喰らった志体のない少年は、悲鳴すらなく一撃で倒れる。 「術者か!?」 「気を確かに持て!」 白目を剥いて泡を吹く仲間を、動転しながら他の者が下がらせた。 それに気を取られた反対側の者へ、赤い衣が迫る。 「くっ……右からも、敵!」 見慣れぬ得物を辛うじて刀で弾くが、受けた腕は痺れ。 「一体、賊は何人いるんだ」 斥候班の情報も満足に生かせぬまま、正面より再び深編笠が唸り声をあげ、隊の両翼を分断するように襲いかかった。 「動けぬ者に、急ぎ手当てをっ」 翻弄された仲間が浮き足立つ状況に、分隊長は指示を飛ばす。 志体持ちの巫女が駆け寄れば、雷の刃を受けた少年の傷は既に幾らか塞がっていた。 (誰かが、手当てを?) 混乱に訊ねる間も惜しんだ巫女は、別の者の手当てに回る。 「ここは退く! 負傷者と巫女を先に、射手は援護を!」 総崩れとなる前に命じた少年は、時を稼ごうと足を止めるも。 木の陰より踏み込む槍の穂先と布で顔の半分を隠した相手を認めた瞬間、激痛と共に意識を失った。 「皆、お疲れ様」 退却した者達は落ち着いた津々に戸惑い、続いて現れた『襲撃者』の姿にギョッとした。 「あっ、驚かないで下さい。私達は開拓者です」 急いで雪巳が敵意はないと両手を広げ、深編笠を上げた仄がからから笑う。 「相当、肝を冷やしたみたいだな」 「容赦なかったですし……皆さん」 「手加減はしていたぞ、一応」 嘆息するルシールへ仄は神威の木刀を振り、状況の分からぬ隊士に津々が苦笑した。 「開拓者の人達に、実戦に近い鍛錬をお願いしたので」 「驚かせたなら、すまなかったな」 説明する津々に祥も顔を隠すカフィーヤを外し、年若い者達をねぎらう。 「では全て、四人だけで……?」 察した若侍達は、蒼白な顔でへたりと座り込んだ。 「無闇に全員で突っ込まず、引いたのは良い判断だったと思う。己が技量を把握し、危うくなれば迷わず撤退する事が出来ねば、人を守る事など叶わぬ。己の力を過信せん事だ。アヤカシとの戦いでは時として、志体を持つ者でも命を落とす事もあるのだから」 「相互の連携を取り、隊の要になり得る巫女と陰陽師をしっかりフォロー出来るようになれば、もっと動けるようになるかと」 感想を述べる祥に、ルシールは励ます言葉をかける。 「確かに陰陽師の立ち回りは、いま一つでしたね。遠くから攻める方々は前衛の死角を埋め、強力な一撃を打ち込む為、まず自身が満足に戦える状態でいなくてはなりません。自衛に走り過ぎてもいけませんが、死なない事、深手を負わない事。手数が減るのは、それだけで損失ですから」 所見を伝える雪巳は窮地の者に隠れて『愛束花』を用い、裏で被害を抑えていた。 「癒し手が攻撃をしたり、その逆を迫られる状況もあるでしょう。しかし息切れを起こしたり、本業が務まらなくなっては本末転倒。この辺りは、少し頭を使うかもしれません。 後ろで控える巫女は乱戦を少し離れて見る事になりますが、だからこそ見えるものもあります。敵の不可解な行動や、増援の気配……視野を広く持つことが、大切ですよ」 隊士らは、真剣な顔で助言へ耳を傾け。 「さて。気力があるなら今一度、一対多での指南などするが」 「「「お願いします!!」」」 提案する祥へ一斉に頭を下げ、ならばと仄が腕まくりをした。 「とりあえず、だ。元重が一人で背負い込んでるみてぇなんで、気にかけてやれ」 鍛錬からの帰り道。何やら無理をしている様に思えた津々に仄が声をかける。津々自身に無理をするなと言っても、聞かないだろうと踏んでの事だ。 そのまま仄は馬を進め、一団の最後尾をぽつと行く津々へ祥が馬を寄せる。 「あの時の事、済まなく思っている。期待を持たせてしまった事を……一言、詫びておきたかった」 「どうか、気になさらないで下さい。兄の事を含め、御凪様がご自身を責める事ではなく……それが役目ある者の成り行きだと。基時兄様ならきっと、そう仰います」 強く手綱を握る手から平静を装う気丈さが窺え、祥はせめてと屋敷に着くまで馬を並べた。 ●先の先 「基宗ちゃんに、お守りですの〜」 小さな手へケロリーナがサンドワームの鱗を握らせれば、歯の生えかけた幼子はねぶとそれを噛んだ。 「た、食べ物じゃないですのっ。リーディアおねえさま〜っ」 名付け子を抱いたケロリーナから助けを求められ、「あらあら」とリーディアは基宗を預かる。 基時の部屋で、二人は基宗の相手をしていた。 「行ってどうする訳でもないのですが……ただ、見たくて」 そんな義姉の頼みを、黙って元重は聞き。 双子より少し重い子を、リーディアはケロリーナとあやす。 「しかし、鷹取という男……何故、アヤカシについたのだろう」 夜、一日の仕事を終えた者達が集う席で、劫光は疑問を口にした。 「それなら、あっしも訊ねた事がありやす」 書庫の改めを手伝った以心伝助が、ぽつりと呟く。 人である貴方が何故、人を喰うアヤカシに組するのか。そこが一番わからない。 では何故、人は『嵐の壁』を越えようとするのだろうな。 その先にある物を見たいから。 空に在りて空に無く 人ヶ道、袋之小路が如し 妖ヶ道、人外之修羅道にて候。 鷹取左門とのやり取りはまるで謎かけで、今も答えは解からない。 分かった事は、天見の当主はアヤカシとの戦いで落命する者が多い事。遥か昔から、数十年の間隔で虫アヤカシが跋扈する期間があるという点か。 「野良の蟲袋と赤い布の無貌餓衣は、別勢力で協力関係。かつ、双方ともゼロさんや天見家に興味があるようっすね。宝珠刀が鍵なのかも、気になりやすが」 「確かに、両アヤカシには繋がりがありそうです。殺しても死なない、というのは……それが本体ではないから、でしょうか。虫アヤカシの群れを操る存在が、別に居るのやも。蛾に化けた人妖、基時さんが襲われた時の声……囚われの無名衆に武器を渡したのも、あるいは」 そう思えば、屋敷はルシールが想像するより危険な状態にある気がした――今は対処する方策も手段もないが。 そこへ柚乃が、切った西瓜を持ってくる。 「暑い中、お疲れ様でした。差し入れです」 蚊帳の外の夜闇では、一同をねぎらように蛍が漂い。 「皆、頑張ってるよ。任せておきな、あんたとアイツの代わり……なんてのは無理だが、出来る限りやるさ」 淡い蛍火に劫光は呟き、冷えた西瓜をかじった。 |