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■オープニング本文 ●頼み人知らず 「ああ、ちょうどよかった。ゼロさん、いま依頼の方は開いてます、よね?」 開拓者ギルドを訪れたゼロへ、受付係がすぐさま声をかけた。 「応、何か依頼がねぇかと思って覗きにきたが。火急の用か?」 「はい。駕籠の護衛をしてほしいと」 「駕籠の護衛?」 「故あって氏素性は明かせませんが、此隅から街道に沿って東、四日ほどの道中を護衛してほしい……との依頼です。数名、という事なのですが、ゼロさんは直々に名指しで」 「ふぅん?」 依頼の際に名指しをされる事自体は、さほど珍しくはない。 腕を買われて、あるいは評判や信頼を受けて、名の通った開拓者を頼みたいと依頼者が希望するのは、ままある事だ。 無論、それだけ金はかかるし、開拓者の都合にも左右されるのだが。 「駕籠の脇に、ぴったりくっついてねぇと駄目なのか?」 「いいえ。『駕籠に乗る方の詮索はせぬように』と念を押されていますので、駕籠自体からは放れてもらった方が無難みたいです。列の先に立って安全を確かめるも、後ろをついて備えるも、そこは皆さんの自由で」 「承知した。だが、四日がかりか……面倒くせぇなぁ」 「どんなお方の駕籠かは分かりませんが、もしかすると美人のお姫さまとかかもしれませんよ。出発は此隅からですし、どこかからお忍びの旅に来ていた、とか」 「……嫁持ちに、粉ぁかけてもしょうがねぇだろ」 「じゃあ、奥さんがいるから、でしょうか。ゼロさん、すっかりお尻に敷かれてるって噂ですし?」 「それを言われると、複雑なんだぜ」 嘆く風にゼロが天井を仰いで嘆息し、笑いながら受付係は筆を取る。 「それで、どうします? 依頼の方は」 「ま、頼りにされてるなら、なぁ。子供らも、喰わせていかなきゃあならねぇし」 承諾する言葉に相手は頷き、開拓者へ掲示する依頼文にゼロの同行を書き添えた。 ●此隅より、東へ 此隅で落ち合ったのは、身分のある者が使う立派な駕籠と、それを担ぐ人足の男――陸尺(ろくしゃく)が四人。そして身なりの良い侍らしき男達、四人だった。 供侍(ともざむらい)達はみな言葉少なく、最年長の壮年の男が護衛の依頼人だという。 「余計な詮索は無用。滞りなく四日の旅程が終わるよう、御駕籠の無事を守ってもらいたい」 それだけを頼み、後は駕籠に近付き過ぎぬよう釘を差し、用があれば依頼人たる自分へ声をかけるよう言い渡し、護衛の旅は始まった。 「全く……面白みのねぇ依頼だぜ」 降りしきる雨の一日目の終わりを迎えた宿で、既にゼロは厭(あ)いていた。 ただ歩くだけの『楽な仕事』ではあるが、籠の主はもちろん、供侍とも言葉をかわす事はほとんどなかった。 幸いというべきか、泊まる宿は駕籠や供侍とは別で、そこでは羽根を伸ばす事も出来る。 また夜通しの護衛は言いつけられていないが、万が一に備えてか、酒は出なかった……女は、言わずもがなだ。 二日目の旅程も、梅雨時らしい雨となった。 侍風の旅人一人が、此隅からずっと跡をつけている――同道する開拓者達へ、声を落としたゼロが明かしたのは、夕餉(ゆうげ)の席での事だ。 向かう道のりが同じだけなのか、何らかの目的で尾行をされているのかは、分からない。 そも、つけられていると思ったのも、ただの彼の直感だ。 時おり、何やら奇妙な気配を感じると言うが……それらしき怪しい相手を開拓者達は見つける事が出来ず。 確たる証拠がない以上、ゼロは依頼人に尾行者の存在を告げなかった。 そして三日目、雨上がりの夕暮れ。 ――おぉぉあぁぁぁ……! 宿場町に到着し、駕籠を宿へ届けた開拓者達の耳を、不穏な雄たけびが震わせた。 何事かと誰もが訝(いぶか)しむ中、宿場町の外れから血相を変えた数人の町人が駆けて来る。 「アヤカシだ! それもでっかい、鬼のアヤカシが……こっちへ向かってくる!」 「数は?」 「一匹は、とにかくでっけぇ。宿屋の屋根の、更に上に頭があるような奴だ!」 「それ以外にも、小さいのが幾つか見えた!」 「どうする、逃げるか!?」 「じき、夜になるってのにか?」 人々の動揺を聞いていた開拓者も、宿へ入りかけていた供侍らの顔を見た。 いずれも表情は強張り、どうするべきかを迷っているが、依頼人だけは険しい表情ながら冷静に周囲を飛び交う声に耳を傾けている。 「どーすんだ? 放っておくと、宿ごと駕籠も中の奴も襲われるぜ」 「アヤカシが旅の妨げとなるなら、疾(と)く討て。そのために、お主ら開拓者を雇ったのだ」 「承知」 問うたゼロは依頼人へニッと笑い、腰の宝珠刀を確かめた。 町を出ると、畑の向こうから遠くに、鉄棒を提げた大きな人影が見て取れる。 それを囲むように飛び跳ねる小さな複数の影が、小鬼どもだろう。 一方、「嫌な感じがする」とゼロが明かした中肉中背の旅人の姿を、同道する開拓者達も確認する事が出来た。 菅笠を深く被り、帯に刀を差した風体は志士か侍に思える。店先に置かれた長椅子に腰を降ろした男は落ち着いて構え、菅笠の下から混乱する町人達を眺めているのか…それ以外は、特に変わった様子もなく。 また大鬼の吠える声が、たそがれの空に響いた。 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
八嶋 双伍(ia2195)
23歳・男・陰
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
天青院 愛生(ib9800)
20歳・女・武
二式丸(ib9801)
16歳・男・武 |
■リプレイ本文 ●護衛御役目 アヤカシが出たという知らせに、宿場町は騒然となっていた。 「やっぱり、後ろを確かめず突っ走るんっすね」 先陣を切って駆け出したゼロを追う以心 伝助(ia9077)が、変わらぬ友人に苦笑した。 だが彼がアヤカシを引きつければ、鬼の動きを窺う隙も出来る。 「……アヤカシの襲撃が、あっても。依頼人の男の人、割と……冷静な、ような。相応の修羅場を、くぐってる、のか。それとも、アヤカシが来るのは想定内、だったとか……?」 他の供侍と較べ、落ち着いた振る舞いをする依頼人の存在が二式丸(ib9801)には引っかかっていた。 「尾行してるらしい、旅人も、落ち着いた様子、だし。……なん、だろう。………キナ臭い?」 「ゼロさんとのお仕事は久しぶりですが……相変わらず、素晴らしいですね」 妙に感心した風な八嶋 双伍(ia2195)に、修羅の少年は紫眼を数度瞬かせる。 「……楽しそう、な?」 「ええ。謎の駕籠と追跡者、実に厄介事の予感がします。興味深いというか、面白そうというか……しかし、あまり面白がってばかりもいられませんが」 「……」 二式丸の沈黙が疑問からくるものと察したか、身振りで双伍は先を示した。 遠目に目立つ大鬼に気を取られがちだが、他に飛び跳ねる小柄な影が複数ある。 「このままだと畑ばかりか怪我人も出そうですし、こちらの本分は御駕籠の護衛。手早く掃除して、先を急ぎましょう」 御駕籠の入った宿には、護衛をする開拓者七人のうち二人が残った。技量のほどは不確かだが、供侍の四人を加えれば都合六人が守りについた事になる。最悪、時間稼ぎぐらいは出来ようが。 「考えて過ぎても、仕方ない、かな。詮索無用、是非も無し」 まず、目の前のアヤカシを速やかに討つべし――抱いた疑問を二式丸は脇へ置き、六尺棍を握る手に力を込める。 先頭を駆けるゼロは、「ちぃ」と小さく舌打ちをした。 ソレを目にした伝助もまた、友人が俄かに警戒の色を強める由を聞かずとも悟る。 「なんか……顔に嫌なもんつけてやすね、あの大鬼」 ぼそりと、独り言つ。 宿場町を目指す大鬼は、面に顔を隠す赤い布を付けていた。 何故この場この時に出たのかは分からないが、目にした以上ゼロは鬼を逃さないだろう。 (あんなのを、町の中に入れる訳にはいきやせんし……ゼロさんも少し心配ですし) 「では、鬼退治頑張りましょうか」 「鬼退治に……専念、あるのみ」 符の一枚を双伍が手に取り、言葉を繰り返す二式丸はぬかるんだ土をしっかと踏み。 策など無用とばかりに、ゼロが吼えた。 混乱する通りで、意識を凝らしたジークリンデ(ib0258)が呪を紡ぐ。 「女、何をしておる」 何の説明もなく、突然に宿の前で魔術を使う様子を不審に思ったか、硬い表情の供侍が所業を改めた。 「これはアヤカシの接近を知る術です。大鬼を囮とし、御駕籠を狙うアヤカシが出るとも考えられますので」 うやうやしく頭を下げながら、ジークリンデは『ムスタシュィル』の術について語る。 「何をしている、御駕籠を中へ!」 依頼人の一喝に陸尺達は我を取り戻し、御駕籠を宿へ運び入れた後だった。 結果、出来れば御駕籠の周囲に『ムスタシュィル』を仕掛けるつもりでいた彼女の目論見は外れた。それどころか御駕籠の近くで迂闊に術を使えば、「切捨御免」となったやも知れぬ。例え御駕籠の中を窺おうとしなくても、だ。 「その面妖な術はアヤカシが近付く気配を察知するのみで、他に害を及ぼさぬのか」 「はい。不審な気配がありましたら、私に伝わります」 「知るのは、そなただけと?」 「察知すればアヤカシを討ちに行った者に伝え、すぐさま戻ります」 「ここにおる者達には、伝わらぬのか」 「もうよい。行け、開拓者」 懸念からか、押し問答の如く問いを重ねる男を依頼人の供侍が諌め、ジークリンデへ顎をしゃくる。 会釈をした魔術師は宿周辺に術を施す為、その場を離れ。 入れ替わりで天青院 愛生(ib9800)が両手を胸の前で合わせ、一礼をした。 「高貴な方のご事情は察しかねますが、慣れぬ土地で斯様な目に遭われては余程の武人でもない限り、不安に思われるでしょう。先に手練れがアヤカシ討伐へ向かいました故、この場は私と柚乃殿で御守り致します」 相手が相手、供侍を束ねる依頼人へ道理を通せば、無闇に不審がられる事もない――そう、愛生は判じていた。 「少しでも心安らかになられるようご対応させて頂きたく、姿見えぬお方にも精霊のご加護を」 「うむ、しかりと務めを果たせ。宿の者には話をつけておく」 彼女と傍らの柚乃(ia0638)を順に見やった依頼人は中へ足を向け、それを「いま少し」と愛生が呼び止める。 「騒ぎに乗じ、何処かの不埒者が御駕籠の主殿と接触を図ろうとするやもしれません。無論、斯様な者はこちらで押し留めますが、供侍の方々にも注意を」 「……承知した」 鋭い視線で通りを見渡してから、壮年の供侍は奥へ消えた。 外の騒動は開拓者へ預ける、という事だろう。場を荒立てる事無く話が通り、ほっと柚乃も安堵する。 「ありがとうございます、愛生さん」 「いえ、私は思う事を伝えたのみにございます」 表情は変わらぬが愛生は恐縮し、閉まった戸を振り返り。 (御駕籠を守る意志は、供侍の方々も同じでしょうか) 宿の者に伝えるという依頼人の言が、脳裏に蘇った。 「尾行している謎の人物……何者なのでしょう。実は駕籠が囮で、この謎の人物こそ護衛対象……だったりは? あるいは、襲撃者の正体を探る為?」 柚乃が宿の戸をちらと見て、首を傾げる。 「有名なゼロさんを名指ししたり、そも駕籠は目立つと思うんです」 ただ黒漆塗り程の乗物となれば目立ちもするが、駕籠自体は珍しくない。庶民なら旅の道中、簾もない二人で担ぐ駕籠を利用するのもままある。位の高い家臣や当主など身分の高い者ほど乗物を用いるため、宿場町でも賓客向きの宿は駕籠ごと乗り入れが出来るよう配慮されていた。 「そうですね。凄腕の開拓者であるゼロ様を指名したという事は、ゼロ様の武力が必要な相手がいる。あるいは、ゼロ様自身に用があるといったところでしょうか?」 宿を囲む路地へ『ムスタシュィル』の術をかけていたジークリンデが、一周して通りへ戻ってくる。 「ですが、名指しというのは……それ程までに珍しい事なのですか?」 思案する愛生の問いに、訝しむ二人は自身の心証への確たる根拠を示せず。 「では私は、アヤカシの方へ」 鬼を討つ者達を、遅れてジークリンデが追う。 「ただの憶測にすぎません。それよりも先になすべき事を、ですね」 柚乃は取り出した懐中時計「ド・マリニー」を確かめるも、針に変わりはない。「精霊の力と瘴気の流れを計測する力がある」とされるが、それは周辺の場を満たす流れに対する『大まかな目安』だ。詳細な濃度の違い、例えばアヤカシの所在などを精密に示す代物ではなく、探知の術のような性能を期待して頼れば、死すら招きかねない。 何気なく見回す所作で愛生が窺えば、怪しげな菅笠の剣士は店先の長椅子に座ったままで、動く気配はなかった。 ●鬼討ち 「巻き込まれないよう、気をつけて下さい!」 警句を双伍が投げ、跳ねる数匹の小鬼に漆黒の符を放つ。 一瞬だけ黒い光のようなものが走り、女の姿をした式が形を成した。 髪は振り乱れ、手を広げ、喉を反らし。 耳を塞いでも届く悲痛な呪詛が、夕暮れの空気を震わせる。 魂を裂くような叫びに「ギャッ!」と小鬼が昏倒するも、大鬼は怯まずゼロへ突進し。 ガッキと鈍い激突音と、火花が散った。 力任せに振り下ろされた鉄棒を、かざした宝珠刀が受け止めている。 しかし鬼の怪力を真っ向から受けた為か、踏みしめた足は柔らかい畑の土へずぶりと沈んだ。 「このまま、土に打ち込もうってハラかよっ」 動きの鈍った相手へ追い討ちをかける気か。 更に見えぬ位置より、キリリと弓を引き絞る音がする。 「ったく、ちっせぇ癖に面倒な」 眼前の鬼を見据えたまま、動けぬゼロが毒づけば。 脇より、影が踏み込んだ。 「……!」 二式丸は気迫を込め、地面すれすれに六尺棍「鬼砕」を薙ぎ払う。 脛を打ち、足をすくわれた小鬼どもが転び、手を離れた矢はあらぬ方向へと飛び。 跳ね起きる小鬼の喉を、音もなく迫る忍刀「蝮」がかっ捌く。 ひゅうひゅうと声にならぬ声を上げ、バッタリと倒れた小鬼は塵と化した。 また別の小鬼の頭を、六尺棍が名の通りに砕き。 「助かるっす。本当に後ろとか見ない人でやすから……ゼロさんは」 二式丸へ声をかけた伝助は、放っておけば矢を受ける気だったろう友人に苦く笑う。 「悪かったな。後ろには、目がついてねぇんだッ!」 力を溜めたゼロがひと息に鉄棒を弾き飛ばし、そのまま鬼の懐へ飛び込んだ。 逆の腕より突く穂先に、突然の水柱が吹き上がる。 勢いが鈍った槍を朱刀が叩き折り、即座に蹴り飛ばし。 唸り、鉄棒を振り回す鬼の眼前を、前触れもなく白い壁が塞いだ。 振り抜き、激突する鈍い振動が『結界呪符「白」』を震わせ。 その間に背後を取った二式丸は、鬼の膝裏を渾身の六尺棍で打ち抜き。 片膝が折れた鬼が、体勢を崩す。 「体が、崩れましたよ!」 「伝!」 叫んだゼロが地へ刀を突き、白壁を背に手を組んだ。 「不利を悟って、また逃げやがる前に仕留めろ。跳べッ!」 ――本来ならば、味方の窮地に取っておく『奥の手』。 躊躇は一瞬で、組んだ腕を踏み台にし。 白壁の上へ飛んだ直後、伝助は忍術『夜』を使った。 全ての音が消え去り、水の飛沫すら空中で停止し。 彼だけが動ける一呼吸に苦無「獄導」を鬼の面へ、顔を隠す赤い布へ投じる。 「ガアァァァッ!」 叫んだ鬼は得物を取り落とし、両手で顔を覆うと天を仰いだ。 その巨躯に巨大な蛇の式が襲い掛かり、牙を立てる。 うねる蛇体を引き千切るべく伸ばした手は空を掴み、無防備な鬼を開拓者達が一気に攻めた。 「ありがとな、伝。助かったぜ」 巨躯が塵と消える中、小さく礼を告げたゼロは泥濘に落ちた布へ朱刀を打ち下ろす。 (……俺は一角なんだか、双角なんだか、中途半端、な感じ) 泥濘に残った人型を見下ろし、二式丸は自分の角に手で触れた。 「けど小鬼が幾らか、町に向かったっすけど」 「それなら、心配無用でしょう」 伝助の懸念に双伍が示すまでもなく、轟音が宿場町の方角から起きる。 見れば畑の真ん中では、大きな魔術の竜巻が植えられた作物と一緒に小鬼を巻き上げ、猛威を振るっていた。 「さて……この鬼は偶然でしょうか。それとも……」 一部が盛大に荒れた畑を双伍はしげしげと見渡し、かかった泥を伝助が袖の端でぐぃと拭う。 「……町に門や柵が無いところを見ると、この近辺では今までアヤカシはあまり出なかったと推測出来るっすね。ならば何故、開拓者を。それもゼロさんという高名な方を指名して、雇ったのか? 単に用心に用心を重ねただけ、であればいいんすけど……尾行者も気になりやす」 「応よ、すぐに戻るぜ。役目は護衛だからな」 「今のところ、宿へアヤカシが近付いた気配はありません。混乱はしているようですが」 泥だらけで背を伸ばすゼロへ、仕掛けた術の結果を合流したジークリンデが伝える。 残党の有無を確かめる者を残し、急ぎ戻った宿の周囲は未だ騒然としていた。 幸い、大怪我をした者も命を落とした者もないが。 「……怪我、大丈夫? 手当て、するから……」 見かねた二式丸が、騒ぎで怪我をした町人や旅人を気遣う。 愛生も出来る限りの手当てを手伝いながら、件の剣士を窺えば。 菅笠を深く被った男は立ち上がり、御駕籠の宿へと歩き出した……その気配の薄さは、注視していなければ気付かなかったかもしれない。 妙な動きがあればと気を張るも、何事もなく男は宿の前を過ぎ。 すれ違う、一瞬。 笠の下、大きく裂けたような口の端が笑みの形に吊り上がるのを――菅笠を押さえた着物の袖が風に揺れるのを、愛生は見た。 咄嗟に目をこすり、よくよく見直してみるが、やはり男の顔は笠の陰に隠れたまま。 湿った空気は重く身体にまとわりつき、そよと風の吹く気配もない。 戸惑う間にも男は道を東へ進み、後ろ姿は夕闇と人に紛れて見えなくなった。 ●詮索 最後の、四日目。 早朝に出立した御駕籠は街道を東へ進み、何事も起きぬまま、昼を過ぎたあたりに茶屋で止まった。 同様に、離れて休む開拓者達へ依頼人が歩み寄り。 「護衛の務めは、ここまでだ。大義であった」 開口一番、そう告げた。 「屋敷か目的の場所まで、ついて行かなくていいのか?」 「二度は言わせるな。報酬はギルドより受け取れ」 訊ねるゼロをきろりと依頼人は睨み、間に入った双伍が「承知しました」と笑みを返す。 茶屋の先の分かれ道で、御駕籠の列は北へ向きを変えた。逆に南へ三日か四日も行けば、神楽の都に着くだろう。 「とんだ場所で放り出されたっすね。このまま、帰りやすか」 「街道なら乗合い馬車が通るから、掴まえるのが得策だな」 髪を掻く伝助にゼロが思案するが、ただ一人、柚乃だけは頭を振った。 「……帰らない?」 問うように二式丸が首を傾げれば、彼女は来た道を振り返る。 「私は戻ります。少し気になる事があるので……」 「そうですか。道中、お気をつけ下さい」 愛生が道行きの無事を祈り、七人は南と西に別れた。 柚乃が目指したのは、最後に泊まった宿だった。 どうしても『御駕籠の主』が気にかかり、過去を辿る『時の蜃気楼』を使うべく思い立ったのだ。 「おや、開拓者の方。何か?」 昨日、宿の守りについた少女を忘れる筈もなく、訪れた柚乃を愛想のいい番頭が迎えた。 「あの……昨日、御駕籠の方が泊まった部屋に、泊まれませんか?」 用件を切り出した途端、見る間に表情が険しくなる。 「それは……いくら開拓者の方とはいえ、ご勘弁下さい。あるいは、開拓者ギルドからのお調べで?」 半ば詰問され、咄嗟に「いえ」と柚乃は言葉を濁した。 「ただ、昨日お泊りになられた部屋に一晩……一刻だけでも」 「ならば、御引き取り願います。いくらアヤカシを退治した方々でも、お通し出来ません」 番頭に取り付く島はなく、成り行きを窺う使用人は聞き耳を立てている。 身分ある客を泊める宿ならばこそ、その安全と秘密を守るのは宿の務め。明確な理由のない詮索を許せば、面目も信用も丸潰れだ。 「お邪魔を致しました。ご無理をお願いして、申し訳ありません」 丁寧に頭を下げて詫びた彼女は、大人しく宿を出た。 (もしかして、宿のご主人は依頼人に伝えるかな?) 柚乃なりに細心の注意を払ったつもりだったが、口止めなど露ほども頭になく、俄かに不安が頭をもたげる。 せめてと柚乃は件の宿を望む宿で部屋を頼み、人の寝静まった夜に『時の蜃気楼』を試みるが。 御駕籠の主を確かめる事は、叶わなかった。 |