希儀抄、失われた風景
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/07/04 19:53



■オープニング本文

●石の都市の記憶と、その後
 『希儀』は天儀暦一〇一二年の秋、新たに発見された儀だ。
 発端は、武天の浜に流れ着いた一隻の飛空船。
 木造の飛空船が大半の天儀において、漂着したそれは石を主とする珍しいものだった。だが船内に人の姿はなく、内装は「天儀」「ジルベリア」「泰国」「アル=カマル」のいずれにも属さぬ様式にて飾られていた。
 その後の開拓者達の調査により、新たな儀に通じる『嵐の門』が発見され、調査船団が開かれた道を通って『嵐の壁』を突破。
 結果、到った地は希望の儀、すなわち『希儀』と呼ばれるようになった。

 しかし希儀の人々は、天儀より人が到達するより百年以上も昔に滅びていた。
 主要因は、アヤカシとの戦いである。
 追い詰められた人々は神々の助けを借りつつ、大アヤカシ『アザトッホニウス』を瘴気を吸う樹『ヘカトンケイレス』でこれを封印するに到る。それと引き換えに、力を使い果たした神々は大半が姿を消し、希儀の人々も大幅に戦力を失った。
 大アヤカシを封印されたアヤカシは復讐に燃えて総攻撃を仕掛け、生き残った僅かな残った人々は城塞都市に避難し、立て篭もり、最後の一人まで応戦し――滅びた。

 総攻撃をかけたアヤカシ側も無事ではなく、瘴気は希薄となり、『魔の森』は大樹『ヘカトンケイレス』の周辺に留まるのみとなった。
 人々が滅亡し、アヤカシの勢力も大幅に減衰し、希儀には残ったケモノが山野を駆けるようになる。だがケモノ達も、自分達の領分から積極的に生息地を広げる事はなく。
 そして約百年の時が過ぎ、天儀より渡ってきた開拓者達が希儀に降り立った。

   ○

 最初の宿営地、『明向(みょうこう)』。
 その近くで発見された廃墟の街は、奇しくも武天に漂着した船が出港した城塞都市らしい。
 地図もない儀を開拓者達は進み、各地の廃都市に残された文献を読み解き、神霊『アルテナ』の啓示と助力を受け、それらを結集して大樹『ヘカトンケイレス』へ到達した。
 最深部で封印された大アヤカシ『アザトッホニウス』を見出した開拓者達は、神霊『アルテナ』が授けた矢『テロスマキア』に、神霊『ガイウス』の祭壇より仲間達が解き放った精霊力を束ね、これを滅ぼす。
 瘴気は霧散し、大樹『ヘカトンケイレス』も衝撃で失せ、後には大樹が覆い隠していた古代都市が残された。
 滅した大アヤカシの遺物『護大』は天儀の開拓者ギルドへ運ばれ、後に生成姫から狙われる事になるのだが……それはまた、別の話。
 希儀の人々の仇を、開拓者達は討ったのだ。

 合戦が終わった後、先住者不在の広大な未開の土地には、新天地を求める入植者が渡ってくるようになった。
 決して全土が肥沃な土地とはいえず、新たな田畑を耕すにも苦労が伴う。
 数は少ないとはいえ、アヤカシやケモノの脅威もある。
 だが自分の土地が持てるのは、何よりの励みだ。
 また希儀の二箇所で、新たに『精霊門』が開かれた。
 一つは、南部の海岸線にある城砦都市『羽流阿出州』。
 なんでも「ぱるあでぃす」と読むそうで、都市遺跡外部の石壁に刻まれていた綴りから、興志王が直々に命名したという噂だ。
 残る一つは、最初に調査船団が到着した地『明向』。
 どちらの『精霊門』も非常に混雑し、利用するには数日に及ぶ長い順番待ちがあるという。順番がきても通過には厳密な制限が設けられ、入植者や商人は原則として人のみ、荷物も一人が背負子で担げる程度が上限とされていた。
 そのため家畜や大きな荷物を運ぶには飛空船が主流で、『明向』や『羽流阿出州』の港は大賑わいだという。

●好奇心は尽きず
「……と。今の希儀の状況は、このようなものでしょうか」
「う、うん」
 保護者である弓削乙矢(ゆげ・おとや)と対面して座った一矢小春(いちや・こはる)が、ぐるぐると回りそうな目をしながら頷いた。
 過去の経緯はともかく、これがここ十ヶ月足らずに起きた事だというのだから……小春でなくとも、聞いた事が端から頭より零れ落ちそうになるのは致し方ないというものだ。
「それで、見に行けない、のかなぁ?」
 肝心のところを聞く小春に、茶を口へ運んだ乙矢は唇を湿らせた。
「開拓者ならば役目柄、特例が許されているでしょう。希儀の見聞、合戦の後の視察を兼ねて頼むのであれば、許可が下りるやもしれません。開拓者ギルドとて善意だけで動くものでなく、開拓者もまた報酬が必要です。依頼金を出した上での話なら、多少の『物見遊山』も都合をつけてくれるかと」
「えぇと、ぢごくのさたも、かねしだい〜、ってコト?」
「そのような言い回し、いったい何処で覚えたのやら」
 失った記憶の一部なのか、理穴で暮らしてからのものなのか。
 いささか悩みながら、ほぅと乙矢は嘆息した。
「そうですね。私としても、希儀の話には少々気になる事柄がありますから……」
「それって?」
 聞いた話が長過ぎて、心当たりを見つけられない小春が問えば、にこりと乙矢は笑み。
「内緒です」
 向けられた好奇心を、素っ気なく往なした(いなした)。
「でも、いいの? 弓を作るの、お休みして……」
 今度は別の心配事をする修羅の少女に、苦笑を返す。
「いいのですよ。たまには一休みをし、気分転換をした方が良いのだと、師も仰られましたので」
 普段は凛と張った空気がどこか弱々しく思え、そのまま小春も口をつぐんだ。
 だがすぐに、乙矢は表情を引き締める。
「ともあれ。希儀に行ってみたいというのは構いませんが、危険という意味では天儀以上の土地でしょう。アヤカシやケモノの襲撃はもちろん、知らぬ事も多い土地。更に言えば、新しい開墾地という場所柄では良い事ばかりあるとは限りません。
 自ら人の道を外れる者、難多くして志が折れた者……朝廷の威光が届かぬ場所には、後ろ暗い者も集まりやすいもの。赴く以上は、心するように」
 真摯な表情の保護者から釘を差され、小春もまた神妙顔でこくりと頷いた。
「では、開拓者ギルドへ依頼をお願いしましょう。希儀の今を知りたい開拓者に、護衛を案内を頼みたい……と」


■参加者一覧
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
胡蝶(ia1199
19歳・女・陰
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
水月(ia2566
10歳・女・吟
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫
ケイウス=アルカーム(ib7387
23歳・男・吟
鍔樹(ib9058
19歳・男・志
月詠 楓(ic0705
18歳・女・志


■リプレイ本文

●いざ小冒険へ
「ああ、希儀の空気も久し振りだなぁ」
 両手を広げたケイウス=アルカーム(ib7387)は、「明向」に吹く希儀の風を深く吸った。
 天儀より暑く乾いた空気は潮の香りを含み、強い日差しを受ける鍔樹(ib9058)も胸を騒がせる。
「やっぱり、港町はいいモンだぜ。なぁ、アカネマル!」
 見上げれば、傍らの炎龍 アカネマルもまた首を伸ばして匂いを嗅いだ。
「この子も……海の近くで、育ったの?」
「どちらかというと、食い物の匂いが気になってるのかもな」
 一人と一匹を見比べる一矢小春に、からからと鍔樹が笑う。
「えへへ〜。小春ちゃんと希儀におでかけ、嬉しいですの〜♪ 楽しい思い出、いっぱいつくりたいですの〜♪」
 軽い足取りのケロリーナ(ib2037)へ付き従うからくり コレットは、不埒な輩がいないか周囲に注意を払っていた。
 それを眺める鬼灯 仄(ia1257)が、ふと素朴な疑問をこぼす。
「からくりってのは、潮風で錆びたりしねぇのか?」
「むしろ、錆びてるのは仄の方じゃない?」
 胡蝶(ia1199)が投げる辛辣な見解を、彼は笑い飛ばした。
「でも、急にどうして?」
「あ〜……何やらこいつから、主人として認識されたっぽいんでな。たまたま、遺跡で遭遇しただけなんだが」
 問う小春に名もなきからくりを彼は示し、経験のある者は「ああ」と納得する。
 雑談しながら歩く一行は沢山の飛空船が停泊する桟橋に着き、先導する弓削乙矢が中型飛空船の前で足を止めた。
「ギルドに用意していただいたのは、この船でございますね」
「お姉さん……だいじょう、ぶ?」
 小春に気遣われ、緊張気味の月詠 楓(ic0705)はそっと息を整える。
「少し、ドキドキしています……何分、希儀に訪れるのも飛空船に乗るのも、初めてなので」
「同じだ。飛空船は知ってるけど、希儀って初めて」
「小春も別の儀を見る機会ができて、よかったじゃんか。面白いモン、見られるといいな!」
 がしがしと鍔樹は小春の頭を撫で、自分より幼い相手に心配をかけまいと楓も笑顔を返した。
「皆さんのご期待に添えるよう、頑張りますわ」
「二日の間とはいえ、ゆっくり見て回れる旅はとっても楽しみなの」
 にっこりと水月(ia2566)も微笑み、彼女の抱える巻き紙にケイウスが興味を示す。
「そういえば、その紙は?」
「地図です」
「ああ、希儀の!」
 納得し、ぽむと手を打つケイウス。
 大規模な探索の際、一部の開拓者は未知の土地の形を紙に写し、集めまとめて補完しあった。そうして書き記した開拓者の地図の写しは、今も重宝されている。
「助かります、右も左も分からぬ土地ですから。何卒、よろしくお願い致します」
「ご丁寧に……私は巫女の玲璃と申します。こちらは羽妖精の睦。よろしくお願いします」
 改めて一礼する乙矢へ、玲璃(ia1114)も同行する羽妖精 睦との自己紹介を兼ねて礼を返し。
「まず、足場固めか。後で思いっきり走らせてやるからな、ルドラ」
 声をかけるケイウスに、飛空船で待つ事になる走龍 ルドラが短く吠えた。

●明向より
 開拓者が上陸の第一歩を記した最初の宿営地「明向」は、今や『町』になっていた。探索の拠点だった事もあって周辺には櫓(やぐら)や防衛の柵が組まれ、ケモノやアヤカシの襲撃にも万全の体制を整えている。
 安全と人の出入りが見込めるせいか商人が多く集い、廃墟だった都市の一部には建てるのが早い天儀式の長屋やアル=カマル式の天幕が並び。遺跡自体も調査が済んだ区画は修復され、住める建物は住居となっていた。

「最初は明向から、ですか」
「はい。町を散策してから、幽霊灯台の探検に向かいます……」
 旅程をまとめた「旅のしおり」を手に、乙矢へ水月が予定を説明する。
「日が暮れたら、幽霊灯台か飛空船で朝を待って。翌日は湖を横断して、ヘカトンケイレスに」
「そして時間があれば、第二最西端へ参ります」
 水月の言葉に玲璃が付け加えた。
「時間がなければ、空から見るだけでも……」
 出来ると、いいな――そんな水月の願いは、雑踏の賑わいに飲み込まれてしまう。
「では、こちらはケモノやアヤカシの生息状況、それから各地の状況など聞き集めてきます」
 町の会話を聞き拾うつもりか玲璃は人々の流れに紛れ、難しい顔で仄が唸った。
「気がかり事でも?」
「いや。折角の物見遊山なら、美味い物も食いたいだろ?」
 乙矢の心配を払うように手を振り、露天の市場へと足を向ける。
「美味そうな酒と肴と食料でもありゃあ、な」
「希儀の食材が手に入るようでしたら、希儀料理を作るのもいいかもしれませんね」
「海じゃあ、魚も獲れるしなァ」
 道中での野営を考える楓に、鍔樹も額に手をかざす。
「手の込んだ料理も美味しそうだし、魚なら串を打って塩で焼くのもいいか」
 何やらケイウスも思案し、山ほどの果物を並べた露天商へ胡蝶が声をかけた。
「これとそこの果物を、袋に入るだけちょうだい」
 どうやら希儀は果物が豊富らしく、胡蝶が指差したイチジクや椿桃以外にもブドウに杏子、オレンジなど、天儀に負けない種類と数が並んでいる。
「出回る時期は少し早いのかしら」
「梅雨もこないし、天儀より先に暑くなったからなぁ」
「最近の景気はどう? なにか、流行りの話題とか」
「開墾中の土地でケモノやアヤカシが出たりもするが、手に負えなくなるのは少ないみたいだ。そのせいか入植の希望者も絶えなくて、先に商いを始めた身としては有難いよ。開墾自体は、大変らしいがな」
「お土産屋は、ないですの〜?」
 抱えられる程度の麻袋を胡蝶へ渡す果物売りに、ケロリーナが訊ねた。
「土産物で真っ当なのは、万商店が扱う代物くらいか。珍しい装飾品なんかは裏の取引もあるだろうが……まだ、酔狂な金持ちが少ねぇもんでな」
「精霊門も、通行に制限をかけてたっけ」
 ひょいと麻袋から椿桃を取ったケイウスは、皮に毛のない桃をかじった途端、目を瞬かせる。
「わっ……甘酸っぱくて、美味しいな!」
「そいつは、こっちの言葉だと『ねくたるん』だか『ねくたりん』みたいな名前で呼んでたって話だ」
「そっか。希儀で採れる果実なら、希儀の人も食べて当然だよな……」
 果物売りの説明に、しみじみとケイウスは手にした赤い桃を見つめた。
「オリーブだけでなく、色々な果樹を育てていたのかもね」
 脇から他の手が伸びる前に、胡蝶はケロリーナや水月、小春へ果物を渡す。
「イチジク、天儀のより大きい」
「でも、お土産には難しいですの〜」
「土地の物は、育った土地で食べるのが一番だから。あるなら、希儀風料理も食べてみたいかも……あっ、旅の前に腹ごしらえは基本なの!」
「そーだなァ」
 慌てて説明する水月に鍔樹がからりと笑い、果実売りへ目をやった。
「希儀って、漁は盛んなのか?」
「この辺だと魚は一番手に入りやすい食料で、次が果物だ」
「それもそうか。畑の作物は実るのに時間がかかるし、肉は狩場を探さねェと。漁も舟を出すとなると一筋縄じゃあいかねェが、明向近くの海でも釣り糸を垂れれば魚は釣れたし、川だってある」
 意外に魚は豊富なのかと、彼は港を眺め。
「漁、出たい?」
「そりゃあ、な。でも今は、希儀を見て回ンのが先だ」
 訊ねた小春の頭を、わしわしと撫でる。
「よっしゃ。腹ごしらえが済んだら、希儀の『今』がどーなってっか、この目で確かめに行きますかねェ!」
 気合十分な若人らをよそに仄が欠伸をし、名なしのからくりは開拓者達を見つめていた。

●進路は西に
「ちゃんと……空を、飛んでいますわ」
 流れる風景に、上部甲板では楓が初めて乗る飛空船に驚嘆していた。
 そんな主の周囲を、落ち着かなく鬼火玉 火焔がくるくる回る。
「火焔も、驚いています?」
 応じるように上下へ浮遊する鬼火玉の仕草は、主人が船から落ちないか案じるようにも思えた。
「この子も角があって……楓にも、角があるんだ」
 じぃっと見ていた小春が口を開く。
「でもわたくしは修羅ではありませんけど、ね」
 赤い瞳を伏せた楓は、己の胸へ手を置き。
 想いを胸の内へ仕舞うような仕草に、訳の分からぬ顔の小春も深く問わず。
「この子の炎、熱くない?」
「大丈夫ですわ」
 微笑む楓に、得意げな鬼火玉はまとう火炎を大きく吹いた。
「ところで、乙矢……理穴が良くない状況らしいけど、大丈夫?」
 少女らを見守る乙矢へ、胡蝶が切り出す。
「魔の森の件ならば、聞き及んでいます。ですが……今は小春一人を奏生に残すも、忍びなく」
「そうね……」
 雲行きの怪しい理穴から離れる事で、庇護する少女の懸念を取り除こうと乙矢は考えたのか。
 そしてまた胡蝶も、独り残される不安を知っていた。
 どこかしんみりした空気が漂う……も、ゲコゲコ笑う声がそれを破った。
『オゥ、愛想のねえ主、お嬢が世話になってんな』
「あぁっ! かえるさん、ですの〜っ」
 陰陽師の肩で寝そべったジライヤ ゴエモンにケロリーナが気付き、目を輝かせながら胡蝶の周りをくるくる回る。
『まぁ、根はダダ甘ぇヤツだか、らっ!』
「言っておくけど、持っていかないようにね」
 ビシッと容赦なく胡蝶はジライヤを指で弾いてから、かえる好きの少女に念を押し。
「しかしゴエモン殿は確か、大きな蝦蟇(がま)であった筈……いつの間に、小さくなられて」
「少し特殊な召喚術を覚えたのよ。口は減らなくても、今は雨蛙以下だから」
 鋭い主の視線にもどこ吹く風とジライヤは喉を鳴らし、乙矢はくすと笑った。

「あまよみは、せずとも良いのでしょうか?」
 船橋では、『航海』の安全を懸念する玲璃が確認していた。
 彼の後ろでは羽妖精も真似て小首を傾げ、船長は肩を竦める。
「予測できる範囲が、なぁ。停泊中なら歓迎するが、航行中は雲行きや風を直に見た方が早い。それとも、空の男の仕事が信用ならねぇか?」
 冗談混じりの男に玲璃は頭を振った。
「そうですね。道中、もし不測の事態があって怪我をされた時は、遠慮なく仰って下さい」
「勿論。そこは頼りにしてるさ」
 その間も、肩に上級迅鷹 彩颯を留まらせた水月は操舵手に舵輪を握らせてもらい。
 鍔樹と一緒に説明を聞くからくりを眺めながら、仄は燻製の魚で古酒を引っ掛けている。
 出航してから西へ進む飛空船は、やがて山脈に挟まれた平地を抜けた。
「お待ちかねの、ヒュドラの海だ」
 甲板で走龍と地上を見るケイウスが手招きをすれば、開けた視界に少女らは歓声をあげる。
「島がいっぱい!」
「幽霊灯台は何処でしょう」
 小春と楓が島探しを始め、ケイウスはこっそり腕をさすった。
「……幽霊、か」
 艦橋でも水月が持参の地図を広げ、風景から現在位置を確かめる。
「あれが、幽霊灯台「千里」……」
「高度下げ、着水用意!」
 船長の号令は次々と復唱されて、伝達され。
 技師が宝珠による浮力と推力を調整し、海面が見る間に接近する。
 回転翼の速度は維持したまま、やや船首を上げ。
 鈍く僅かな衝撃と共に、飛空船の左右で水飛沫が広がった。
 波を立てながら水上を進めば、行く手に灯台の島が迫る。
「さて、開拓者の方々。桟橋が使えるか、先に調べてくれないか?」
「彩颯と行くの!」
「お安い御用だ。必要なら、係船環を掛けるのも手伝うぜ」
 珍しく水月が真っ先に手を挙げ、鍔樹も炎龍の元へ向かった。

 迅鷹の翼を借りた水月と炎龍を駆る鍔樹の二人が桟橋周辺の安全を確かめ、飛空船は静かに桟橋へ接岸した。
 ようやく地面を踏みしめた走龍は何度も土を蹴り、促すように主を振り返る。
「待ちきれないみたいだなぁ」
「良き龍でございますね」
 やれやれとケイウスが髪を掻き、笑んで乙矢も頷いた。
 今も夜には光を放つ灯台、そして隣接する大量の墓と花畑は発見された時のまま、静寂に佇んでいる。
「幽霊灯台……『千里』って名前は、何気に俺が付けたンだよな」
 腰に手を当てて振り仰ぐ鍔樹を、驚いた表情で楓が見やる。
「そうだったのですか」
「船乗りにとって灯台ってのはありがてェもんだし、千里先まで光が届け、っつー意味合いでさ」
 感慨深げな打明け話をすぐ手帳へ書き留める楓は、それが性分らしい。明向より知り得た全てをつぶさに書き込んだ頁の数を知るのは、彼女自身と鬼火玉のみだ。
「こうして残るのはむずがゆいけども、希儀のあっちこっちにゃ開拓者が命名した地名があるし、感慨深いもんだなァ」
「鍔樹は、『一矢』の名前もつけてくれたよ」
『小春』もまた別の開拓者から貰った名だが、記憶のない修羅の少女が感謝の眼差しを向ける。
「じゃあついでに、からくりにも名前を……って、こっちは妙に静かだな」
「な、何か変なモノでも……っ」
 ふと窺う仄への言葉を、胡蝶は途中で飲み込むが。
「……見たですの?」
 不安げなケロリーナが後を継ぎ、ぎゅっとからくりの手を握る。
「いや、気のせいだ」
「だよね……な、何も出ない、よね?」
 しれっと返した仄に、一番後ろを歩くケイウスも安堵した。
 直後、ガサリと背後の草が音を立て。
「ぃ……!?」
 強張った表情で思わず振り返れば、そこには無言の岩人形が立っている。
 だが来訪者には反応せず、黙々と花へ水をやり始めた。
「あぁ、驚いた……」
 大きく息を吐いてから、彼は岩人形を見つめる。
「彼等が残してくれた情報は、確かに繋がったよ。ヒュドラ・レガドゥス討伐に関わった者として……それを、伝えたかったんだ。どうかこれからも、彼等の眠りを守ってほしい」
 小さく託して並ぶ無数の墓へと瞑目し、感謝と魂の安寧を心の中で祈り。
「でも……やっぱり、幽霊は怖いんだからっ! 置いてくなよな!」
 そして足を止めたケイウスに気付かず進む者達の後を、急いで追う。
「普段、アヤカシ相手に立ち振る舞ってる開拓者が、幽霊を怖がるかねぇ」
 面白そうに仄が笑い、玲璃は羽妖精と小首を傾げる。
「アヤカシでない幽霊というのも、いるんでしょうか?」
『さぁ……?』
「この辺りは、瘴気の気配もなくて……静かなの」
 玲璃同様、密かに瘴気を感じる結界をまとっていた水月も頷いた。
「そもそも、陰陽師が幽霊を怖がる訳……」
『お? すすり泣く声みたいなのが、聞こえねぇか?』
 強がる胡蝶も、耳をそばだてたジライヤに身を強張らせ。
「も、戻りましょうか」
 勢いよく踵を返した首筋に、ひたりと冷たい感触が落ちる。
「……ッ!」
 息を飲む胡蝶だが、口を隠して笑いを堪える仄に気付き。
 平静を装いつつ、その脛を力いっぱい蹴っ飛ばした。

 灯台「千里」が放つ光の下、一行は飛空船で夜を迎えた。
 船より鎮魂を祈る胡蝶や鍔樹に、小春や乙矢も手を合わせる。
「『希儀の今』を知りたくても、行けない方々の為に……少し夜更かしするわね、火焔」
 料理本を元に希儀料理を振舞った楓は、鬼火玉の明かりで手帳へ一日の出来事をまとめ。
「おばけなんて……でないですの……」
 手を繋いだまま眠るケロリーナを見守るからくりは、朝を迎えるまで主の手を握っていた。

●痕跡と足跡
 翌日、飛空船は水路を移動し、「ヘカトンケイレス」に到着した。
 大樹は跡形もなく、石造りの巨大な門を境に廃都市が広がっている。
「ここが、戦いの跡地かね」
「結構、広い廃墟ですの……でも調査団なんかは、来ていないですの〜」
 むき出しの土を仄が足で慣らし、額に手をかざすケロリーナが背伸びをした。傍らではからくりが細身の剣へ手をかけ、不意の襲撃に備えている。
「大アヤカシがいたせいか、この辺は調査や開拓も遅れがちだそうです」
 明向を歩く途中、小耳に挟んだ噂を玲璃が説明した。
「しかし『瘴索結界「念」』で判る限り、瘴気の濃さに異常は感じませんので……人手不足が一因やもしれません。人の多い街から、随分と離れていますから」
 そこへ遺跡の奥から、先行したケイウスが走龍で駆けてきた。
 迅鷹の力を借りて同行した水月と、空から一回りした鍔樹の炎龍も仲間の元へ戻ってくる。
「どうでした?」
「小さい蛇アヤカシなんかが残っていたが、露払いもついでだ」
 額の汗を鍔樹が拭い、ケイウスは走龍の背より降りた。
「灯台は花一杯だったのに、ここは殺風景だよね。いくらか雑草は生えてるけど……六月といえば、いろんな花が咲く頃なのに」
「大樹は瘴気を吸っていたらしいから……まだ周りの精霊力が弱いのかも、なの」
 同化を解いて自由に飛ぶ迅鷹を見上げ、ぽつりと水月。
「さすが、大アヤカシが封印されていた場所……というべきか。心なしか、落ち着きませんね」
 ケイウスらが確かめた安全な場所を、乙矢が小春と歩く。
「根が張った後の亀裂とかあるから、気をつけて」
 軽々と危険を飛び越える走龍を見ながら、ケイウスも乙矢らと歩調を合わせ、さりげなく気を払っていた。
「ですが、希儀の文明……とても興味深いです。万商店にある希儀の遺跡の欠片も、この辺りで集めたのでしょうか?」
「残念だが、あれは明向みたいな初期に見つけた遺跡の一部だろうさ」
 興味深げな楓に仄が苦笑し、物言いたげな鬼火玉がぼわっと火を膨らませる。
「怒るなって。連中、売るのも早かったしな。全く、それで儲かるなら……」
 濁す言葉に真意を測りかねるのか、からくりは首を傾けた。
 大樹が失せて尚、瓦礫や建物の名残りで迷路のような廃都市を進めば、最奥の開けた場所へ辿り着く。
「ところで乙矢、『内緒』の関心事があるらしいと聞いたけど? 大アヤカシを祓った矢、『テロスマキア』の事かしら」
「胡蝶には、お見通しでしたか」
 指摘された乙矢は、隠し事がバレたような子供の顔でくるりと目を動かした。
「精霊力を受けて束ね、大アヤカシを滅する射。もしそれが放てる弓や矢を、人の手で作り出す事が出来れば……と思いましたが」
「神殿に集積されていた精霊力は、相当だったと聞くわ」
『大アヤカシだけでなく、街一つを覆った大樹を消し飛ばす程だしなぁ』
「集めた年月を思えば、人の手に余る――正に神器と呼べる一品でございますね」
 それでも遺跡の壁に残ったレリーフに弓引く者の姿があれば、乙矢は足を止め。
「希儀の弓って、どんなの?」
「さぁ。大弓や小弓、色々あったのかもなァ」
「レリーフを探してみようか。詩や音楽に関係する物があったら、もっといいんだけどな」
「それなら向こうに、楽器を演奏しているようなのがあったかも」
 興味を持つ小春に鍔樹やケイウスらもレリーフ探しを手伝い、一行はちょっとした『探索』の時間を過ごした。

 戻った開拓者を乗せた飛空船は東へ舵を取らず、北側の山脈に沿う航路を取る。
「明向に戻らないんです?」
「少し、寄り道だとか」
 不思議そうな楓に玲璃が答え、じきに草原の終点に立つ灯台が見えてきた。
「あれは……」
 艦橋の硝子にくっつく水月の肩で、迅鷹が鋭く鳴く。
 海へ着水をした飛空船から飛び出すと、友の翼で少女は一目散に岬へ飛んだ。
 感慨深げな水月はじっと風景を見つめ、船より歩いて追いついた仄が酒をあおる。
「ここが、第二最西端になるのか。夕日を眺めて飲むのも、おつなもんだ」
「『夢の岬』は友人が名付け親なのですけど、わたしは初めてなので。一度見てみたかったの……」
「じゃあ、海に向かって走るか!」
「えっ!?」
 冗談めかす鍔樹に、小春や少女らが目を丸くした。
「乙矢、希儀はどうだった?」
 賑やかな波打ち際をよそにケイウスが訊ねると、『依頼主』は静かに目を伏せ。
「不思議な土地にございました。お陰で、帰りは遅くなりそうですが」
「それは仕方ないよな。旅にハプニングは、つきものだから」
「でも武天に流れ着いた船……希儀からの脱出船だったのかしら。生まれた儀を捨てて、新天地に望みを託したのかしらね」
「それは分からないけど。いま俺達が見る海を、希儀の人達も眺めたんだよな」
 しんみりとした胡蝶の呟きに、ケイウスは抱えた詩聖の竪琴を爪弾く。
 いにしえと古人を想い、紡がれる追悼の旋律は、空と海を染める夕焼けに溶けていった。