咲いた桜と咲かぬ櫻
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: やや易
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/06/12 21:57



■オープニング本文

●去来
 桜に菜の花、キンポウゲや雪柳――春爛漫な神楽の都は、そこここで花々が咲き誇る。
 春の陽気に人々の心もそぞろく中、何週間ぶりかで開拓者長屋に戻った崎倉 禅(さきくら・ぜん)へ酒を持っていったゼロは、思わぬ話に表情を強張らせた。
「……儀が、落ちた?」
「ああ。五行にある小さな儀だが、な。しかし儀が落ちるなど、とんと聞いた事のない話だ」
「俺もねぇぜ。そもそも儀ってのは……落ちるもの、なのか」
 鳥や龍が空を飛ぶのと同じように、儀が空に浮かんでいる事は儀に暮らす者にとって当たり前の話だ。現実としてある以上は疑う話でもなく、何故、どうやって浮いているかを改めて疑問に思う機会もない。
 それよりも今日を生き、明日の糧を得て……連綿と続く日々を生きる方が、人々にとっては大事な問題だった。
「嵐の壁の底なんて、想像もつかねぇぜ」
 呻いて、ゼロは酒杯を一気に干す。
 儀の周囲は『嵐の壁』に囲まれている。四方八方は勿論、天儀の『下』もそうだ。
 天儀の縁では海が滝と化し、水は下に広がる嵐の壁へと流れ落ちる。その先がどうなっているかは……誰も、知らない。
「儀が落ちる。それがどの程度まで差し迫った話か、俺も分からないからな。ただ下手に騒ぐのも、得策と思えん」
 色を失う相手に、淡々と崎倉は酒杯を傾けた。
「そうは言うが、ナンでそんな平然としてんだ」
「よく分からぬうちに騒ぎ、足掻いたところでどうにもなるまい。果報は寝て待てとも言うだろ」
「達観しやがって」
 取り乱したゼロは体裁を取りつくろうように、がしがしと髪を掻く。
「何も分からぬ事を悪戯に騒いでも、無用の不安をあおるばかりで仕様があるまい。それよりも、花見の算段でも立てた方がよっぽど良い」
「てめぇ……小斉のじーさんに似てきてんじゃあねぇか?」
「かもしれんな。元より、師と弟子だ」
 久方ぶりに酒杯を交わす崎倉は、剣の師であった故人、小斉老人の後を継ぐつもりなのか、最近めっきり佐和野村に腰を落ち着けていた。
 離れた長椅子を見やれば、弓削乙矢の手土産――武天は此隅にある菓子店「栄堂」の小豆桜餅を、サラと藍一色の仔もふらさまが仲良く頬張っている。
「長い時間をかけても、あれの縁者を見つける事は叶わなかったが……」
「けど俺は、それが無為な時間だったと思わねぇぜ。流れ歩いた距離の分だけ、積んだモンもあるだろうさ」
「お前に道理を解かれるとはな。明日は、春の嵐でも来るか」
「こねぇよっ。そんなモンがきたら、桜が散っちまうだろうがっ」
 頬を膨らませるゼロに、からからと風来者が笑った。
 乙矢は開拓者を辞めて久しく、そのうち崎倉も佐和野村に居付くようになるだろう。
 神代だのナンだので騒動に巻き込まれた穂邑も、いずれはちゃんと誰ぞの元に嫁ぐ日が来る。
 捨てた郷里では、実兄がアヤカシの手にかかって世を去り。実姉はもっと前に鬼籍に入り、実妹も他家へ嫁ぐ云々の騒動が持ち上がった。
 変化のない日々も、積み重ねを振り返れば移ろい。
 胸を過ぎる寂寥を覚えながら、ゼロは春の空を仰いだ。

   ○

 開拓者長屋の一角にある小さな社の傍では、難しい顔をした子供達が顔を突き合わせていた。
「先生の桜、咲かないね……」
「つぼみもまだ、ついてないよな」
 囲む輪の中心には、桜の若木が一本、うららかな春の日差しに枝を伸ばしている。
 新芽はそろそろ顔をのぞかせているが、花のつぼみは一つもなかった。
 神楽のあちこちでは一重も八重も桜の花が咲き揃い、競っているというのに、だ。
「てめぇら、こんなトコで何してんだ?」
 訝しむ声に顔を上げれば、子供らの頭ごしにゼロが輪の中を覗き込んでいる。崎倉と軽く酒を引っ掛けて戻る途中、社の傍で集まる様子に気付いたのだろう。
「先生の桜、花がつかないんだ」
 浮かない顔の訴えに、彼らの義父は喉の奥で唸る。
 子供らの言う「先生」とは、かつて彼らの養い親であった東堂俊一(とうどう・しゅんいち)の事だ。
 浪志組発足の一端を担った男だが、反乱を起こした咎(とが)で八条島への流罪となり、残される子供らをゼロが引き取ったのが約一年前の事。
 件の若桜はそれと同じ頃、別件の依頼でゼロが東堂より受け取った『報酬』だった。
「植える時期も遅かったし、そこから一年と経ってねぇ若木だからなぁ。てめぇらだってまだ、俺の子と言われても尻の座りが悪ぃだろ? 桜だってきっと、似たようなモンさ」
「そんなものかなぁ」
 拭えぬ不安顔にゼロは笑い、子供らの髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。
「あんまり心配されちゃあ、身も縮こまるぜ。桜の花は気が早いからもたもたしてるとすーぐ散っちまうし、今なら崎倉や乙矢も神楽にいる。風流好きに声をかけて、賑やかに花見へ繰り出すか」
 時おり強く吹く風に、どこからか紛れた桜の花弁がひらひらと舞っていた。

   ○

「……ここの人、猫族、それとも神威人?」
「かの国では、『アヌビス』と呼ぶのだそうですよ」
「あっちの……耳の、長い人も?」
「あちらは『エルフ』の方々です。人や修羅、神威人より、とても長命なのだとか」
 アル=カマルの人々に目を奪われた一矢小春(いちや・こはる)は、弓削乙矢(ゆげ・おとや)と歩きながら、次々に質問を投げていた。
 神楽は理穴の都、奏生(そうじょう)よりも、人の流れが遥かに多い。しかも弓矢師である弓削家が屋敷を構える場所は、奏生でも静かな町だ。
 普段から異文化を目にする機会が少ないせいか、あるいは神楽に到る旅の道程で接する機会があったからか。約二年ほどの間で天儀に現れるようになった異国の人々に、小春は興味を持っているらしい。
「アル=カマルの人……みんな、お祭り?」
「神楽は常から、このような賑わいの都ですから。はぐれぬよう、くれぐれも気をつけて下さい」
「うん……えっと、じゃあ、新しい儀の人は……ドコに?」
「希儀、ですか。あそこに住んでいた人は、百年以上も前に全て亡くなられたとか」
「みんな……死んじゃったんだ……」
「残念ですけどね。一度お目にかかり、話を伺ってみたかったものです」
 しょぼんと肩を落とした小春に苦笑し、弓削乙矢(ゆげ・おとや)はアル=カマル街の方角を見やった。
「こちらの町は、私が神楽を去った後に作られたようですね。ゼロ殿や彼の子供達なら詳しいでしょうし、案内を頼んでみますか?」
「怒られ、ない?」
「気さくな方ですよ。小春からすると、見た目は大きくて怖い方かもしれませぬが」
 歩きながら乙矢はくすりと笑い、アル=カマル街とは別の方向でけむる春の色へ視線を移す。
「そうですね……花見に良い場所を見つけたので、それと引き換えに。というのも、良いかもしれません」
 小さな川に沿って咲き、花見をする者の気配も少ない桜の並木を眺める乙矢に、こっくりと小春が頷いた。


■参加者一覧
/ 六条 雪巳(ia0179) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 胡蝶(ia1199) / キース・グレイン(ia1248) / 鬼灯 仄(ia1257) / 御凪 祥(ia5285) / 菊池 志郎(ia5584) / 劫光(ia9510) / リーディア(ia9818) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 十野間 月与(ib0343) / 透歌(ib0847) / ケロリーナ(ib2037) / テーゼ・アーデンハイト(ib2078) / 杉野 九寿重(ib3226) / 嶺子・H・バッハ(ib3322) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / 長谷部 円秀 (ib4529) / 藤田 千歳(ib8121) / 鍔樹(ib9058) / 黒葉(ic0141) / 御堂・雅紀(ic0149) / アルバ・D・ポートマン(ic0381) / 土岐津 朔(ic0383


■リプレイ本文

●長屋の風景
「お参りですか。それとも桜の様子見に?」
 小さな社に集う子供らに、長屋住人の六条雪巳が声をかけた。
「あ、雪巳さん」
「どうしても気になって」
 浮かぬ様子に、訊ねた雪巳はくすりと笑む。
「花を咲かせるという事は、草木にとってとても力の要る事。今はまだ、大地に根を張り枝を伸ばして、力を蓄えている最中なのかもしれませんね」
 それから諭すように、若木を囲む子供らを見やった。
「あなた方も同じです。いつか花開く時のために、背伸びするのでなく、一歩ずつ大きくおなりなさい。何事も基礎があってこそ……剣の稽古ばかりで、お勉強を疎かにしている子はいませんか?」
「それは、ちゃんとやってるもん」
「でも今日は、お花見ですよね。美味しいお茶とお菓子を用意して、私も後から参りますから」
 社を後にする背を見送る雪巳は、覚えのある人影を見つけ。
 道の傍で佇む藤田千歳も彼に気付き、一礼した。

「本当に、いいんです?」
「迷子の心配もあるし、人の多い場所で幼子連れは気がかりも多いから、ね〜」
 明煌を抱いたリーディアが唸り、十野間月与はあやす暁春へ語りかける。
「それは、そうなのですけどもっ」
「リーディアさん所って、うちの家族になんとなく近い雰囲気があるから。皆が幸せそうにしていると、こっちまで幸せな気持ちになれるんだよね。だから気兼ねせず、上の子達とも仲良くしてくるといいよ」
「せっかくの気遣いだ。後で合流するしな」
 迷う妻をなだめるよう、ゼロがわしゃりと髪を撫でた。
「では、お願いします。月与さん」
 観念したリーディアは、双子の赤子を月与に預ける。
「いってらっしゃい。ついでに、夫婦水入らずも兼ねてね」
 見送る月与は友人夫婦の背へ、こっそり付け加えた。
 子供達と通りへ出れば、白い狐の尾を揺らしてアルマ・ムリフェインが駆け寄る。
「こんにちは! えっと、花見……僕も一緒に行って良い?」
「そりゃあ、勿論だぜ」
 快諾するゼロにほっとしてから、ぴょこりと彼は頭を下げた。
「僕は祭で見てるけど、ちゃんと会うのは初めてかな。東堂先生にお世話になった開拓者で、浪志組のアルマです。どうぞ、よろしく」
『先生』の名に改まった表情で挨拶を返す子供達に、何となく嬉しくなり。
「礼儀はしっかりしないと、だよね?」
「うん!」
「じゃなくて、はい、だろ?」
 やり取りにアルマはくすりと笑い、年下の者達と歩調を合わせた。

●砂の情緒
「わぁ……まるで、アル=カマルに来たみたいです」
 混沌味を帯びた風景に透歌は瞳を丸くし、感慨を噛み締めながらテーゼ・アーデンハイトも頷く。
「こういうの見ると、俺達の頑張りが世の中を変えたって……実感するよなあ」
「本当に。このような場所が、神楽の都に出来ていたのですね」
 アル=カマル風といっても、随所に天儀の様式が混ざった何とも不思議な光景を杉野九寿重が観察し、何故か眉根を寄せた嶺子・H・バッハは唇を噛んだ。
「でも、甘味処に花見団子がない……もしや!」
「はいはい。迷わないよう、各自注意なさい」
 無駄に真剣な嶺子へ、胡蝶が適当に釘を差す。
「あ、美味しそうな匂い〜」
「合戦の慰労を兼ねての花見。ただ眺めるだけのも何ですから、色々と飲み物とお菓子も必要ですね」
 その間にも透歌がいい匂いに誘われ、九寿重は花見の段取りを考える。
「そういえば、向こうの食べ物って良く知らないわね」
「そう。敵を知るにはまず……!」
 呟く胡蝶に嶺子は難しい顔をし、慌ててテーゼが頭を振った。
「嶺子さん、ここの人達は敵じゃないから!?」
「ファティマ朝の差し金とか、陰謀とか……ない?」
「ないない」
 否定された嶺子は、残念そうに「むむぅ」と唸る。
 和やかに(?)交流を深める小隊【紫紋】の面々に、誘った胡蝶がほっと息を抜けば、覚えのある声が耳に届いた。
「そうですの! 乙矢おねえさまには、バラージドレスを着てほしいですの〜♪」
「いえ、かような衣装……私には」
 衣装屋の前では、弓削乙矢へケロリーナがアル=カマル衣装の試着を勧めている。
「珍しいところで会うわね」
「あ、胡蝶!」
「胡蝶さん、先日ぶりです」
 一矢小春が驚いた顔をし、一緒にいた柚乃も会釈をする。
「お。小春ちゃん、大きくなったなぁ。乙矢さんの修行は進んでるかい?」
 小春の頭を撫でてテーゼは近況を聞き、そこへ人ごみから胡散臭そうな顔見知りがぬっと加わった。
「なんだ、胡蝶。そっちも『子連れ』か?」
「いたのね……仄も」
 付け加えるような扱いに、袖へ入れた腕を組む鬼灯 仄がからから笑う。
「異国の美女やら、珍しい酒や食べ物を眺めにな。花見はゼロや他の連中も交えた、大所帯になりそうだが」
「じゃあ花見の場所は、乙矢さんやゼロのにーさん達の分まで取っとけばいいか。紫紋の皆は、のんびり来るといいよ!」
 場所取り役を買って出たテーゼは荷物を預かると、一足先に向かった。
「……という訳だから」
「感謝します」
 見送った後に付け加える胡蝶へ乙矢が礼を告げ、透歌は小春に友人を紹介する。
「小隊のお友達の九寿重さんと、嶺子さんです。皆で一緒に美味しいもの食べれば、もっと楽しいと思います!」
「そうですね。美味しいものを見つけていたら、ぜひ教えて下さい」
「うん。えと、小春、です。開拓者の人達に、もらった名前だけど……」
 名乗る小春に、さっと嶺子は片手をあげ。
「皆まで言う必要はないわ。世を忍ぶ、仮の名ね」
「へ?」
「安心なさい、事情は聞かないわ」
 意味深かつ不敵な笑みの嶺子に、よく分からないまま小春は何度も頷いた。

「来た事がなかったですけど、アル=カマル街って何だか不思議な場所ですね」
「そうですね。ところで、柚乃殿は何を探して?」
 時おり、足を止めて品揃えを確かめる柚乃に、乙矢が訊ねる。
「実は、占い用のカードが欲しいのです。ジプシーさんも愛用するような、でもごく普通の品でいいのですが……普通の市では見つけられなくてっ」
「占い札ですか。ならば占う為の道具を扱う店などで、扱っていそうですね。ケロリーナ殿の方は……?」
「基宗ちゃんに、おみやげ買うですの〜☆ アル=カマルのお守りがいいかな〜って」
 ケロリーナもまた異国の品を物色し、耳慣れぬ名を乙矢が繰り返した。
「基宗さん、ですか。えぇと……」
「天見の当主様になった、赤ちゃんですの。そしてケロリーナは、基宗ちゃんの名付け親ですの〜」
「お守りなら、このサンドワームの鱗なんてどうだい? 砂漠だけでなく、人生の旅路でもきっと身を守ってくれるさ」
 商人の売り込みに、薄茶色のザラザラした鱗を手にケロリーナはゼロへ駆け寄った。
「ゼロおじさま〜。これ、ホンモノですの?」
「ん? サンドワームとか、ブッた斬った事ねぇからなぁ」
 ぽふっと抱きついた少女真贋を問われ、ゼロが苦笑する。
「見た事はあるの?」
「ああ、でっかかったぜ」
「ミミズさんみたいに、砂へ潜るですの〜」
「へぇ〜」
 見た事もないケモノの話を熱心に聞く姿に、成長を実感した菊池志郎が目を細めた。
 アル=カマル街を回った後に花見へ繰り出すと言う話を耳にし、養い子達がどうしているか気になっていた事もあり、久方振りに顔を出したのだった。
「皆、背が伸びましたね」
「元気で、思いやりのある子達ですよ。腕白で悪戯もしますし、双子さんの育児も手伝ってくれます」
 志郎の印象にリーディアは笑み、迷う風に狐耳がぴっぴと動く。
「異国風の街に興味があるようですし、皆で『探検』に行きたいのですが……勿論、子供達は責任を持ってお預かりします」
 良い機会と志郎が提案すれば、思わずアルマも身を乗り出し。
「僕も一緒に行って、いいかな?」
「応よ。せっかくの機会だ」
「ですね。お願いします」
 ゼロに続いてリーディアも同意し、嬉しげにアルマは子供達へ手を差し伸べた。
「じゃあ、手を繋いでくれる? 僕が迷子になっちゃ、いけないしねっ」
「うん、いいよ」
「僕も〜っ」
「人気者ですね、アルマさん」
「え……えぇっ?」
 くすりと和む志郎に、年少の子らに囲まれたアルマが狼狽する。
「じゃあ、くれぐれも……アルマをよろしく頼んだぜ」
「ゼロちゃんまでっ!?」
 とにもかくにも賑やかに、引率者二人と子供達は異国情緒溢れる街並みへと繰り出した。

 店には沢山の商品がひしめき、茶店マクハでは数人の男が水タバコをくゆらせ、管つきの金属壷を背負った男がジュースを売り歩く。
 未知の光景に、繋いだ少年らの手にも自然と力が入った。
「どうですか、今の暮らしは」
 緊張をやわらげるように、志郎は身近な話題を振る。
「ちゃんとご飯を作ってくれるし、読み書きとかも教えてくれるよ」
「二人とも依頼でいない時は、子守りもするんだ」
「えらいなぁ」
「頑張ってるんですね。きっと東堂さんも喜びますよ」
 素直にアルマが感心し、志郎に褒められた子供らは嬉しそうで。
「実は……内緒で欲しい物があるんだけど、いいかな?」
 照れる子供らのうち、一番年上の少年が代表して打ち明けた。
「勿論。欲しい物ですか」
「じゃあ、お店探しかな?」

●三々五々と思い思いに
「少々華やかさに欠けるが、趣きのある場所だな。ここにしよう」
 不意に御堂雅紀が足を止め、花見に必要な一式を抱えた黒葉から茣蓙を取り上げた。
「あのっ、主様ー?」
「気にするな、まず座れ」
 さっさと茣蓙を広げた雅紀の隣に黒葉がちょんと座れば、目の前を一枚の花びらが舞い落ちる。
 振り仰げば、頭上には桜が枝を広げていた。
「綺麗な桜……と、花も良いですがー」
 風呂敷包みを黒葉が解くと、古酒の徳利や重箱弁当が出てくる。
 二の重には鮭や梅、昆布などのおにぎりが綺麗に並び、一の重には出汁巻き卵や肉団子、白和えに加え、唐揚げと卵焼きが他の品より多めに入っていた。
 丁寧に作られた料理に、ふっと雅紀は表情を和らげる。
「旨そうだ。それにしても……お前、よく俺の好物を覚えてたな」
「主様の事ですからー」
 さっそく雅紀は唐揚げへ箸を伸ばし、褒められた黒葉は頬を染めた。
 それから肉団子を取ると、手を添えて。
「団子も如何ですー? はい、ぁーん」
 口元へ運ばれた料理に戸惑う表情の雅紀だったが、「こ、今回だけだからな」と気恥ずかしげに口を開く。
「……旨い」
 冷めても旨味を損なわない味付けに感心すれば、隣で黒の猫耳が嬉しげに動く。
「ほら、あーんだ」
 仕返しとばかりに卵焼きを口元へ運ぶと、遠慮がちに黒葉がぱくりと食べ。
 満足した雅紀も、おにぎりを頬張った。
「あら、主様……頬に……」
 そんな彼の頬についた米粒に、そっと彼女は身を乗り出し。
「……!? ……ば、な、何して……!」
「ご飯粒が付いてましたので……主様、一献いかがですー?」
 柔らかな感触に狼狽する相手へ、屈託のない笑顔で古酒の杯を勧める。
 やがて酔いが回ったのか雅紀は舟を漕ぎ始め、そっと黒葉が膝を貸した。

「桜もそろそろ仕舞い、ってか」
 木陰に腰を降ろしたアルバ・D・ポートマンは、散る桜を眺めながらヴォトカをあおる。
「桜って、散る頃が一番綺麗に感じねぇ?」
 並んで桜を眺める土岐津 朔の問いへ、答え代わりと言わんばかりに酒の小瓶が向けられた。
「アルバ?」
「花見酒。此処を逃したら、また来年だぜ?」
 受け取りながら朔が隣を窺えば、居候は赤い瞳でニッと笑い。
「朔ちゃんが苦手なのは、知ってっけどさ。ほら、一口だけ」
「まぁ、今日ぐらいはイイか。一杯だけな?」
 外で酔っぱらうの、あまり好きじゃねぇんだけど……と、心の内で渋りつつ小瓶を傾ければ、焼けつく感覚が喉を落ちた。
「きっつ……」
「最後の桜ともなりゃァ、散り際も綺麗だよな」
 天儀酒より強い酒に朔は顔をしかめ、返された小瓶を受け取るアルバが桜に視線を戻す。
 ――気分転換しに行こうぜ、なァ?
 そう、アルバから誘われた花見だったが。
「アル=カマル街、行ってみねぇ?」
 立ち上がる『家主』へ、サングラス越しに『居候』が視線で問う。
「酒よりも甘味食いてぇの、俺は」
「朔ちゃんの頼みならなァ」
 仕様がないと、アルバはヴォトカを干した。
 だがアル=カマル街に入ると、急に朔は難しい顔をして。
「あ……甘味マップ、忘れた」
「ドジ」
「いいよ、勘で探すから」
「じゃあ俺は、こっち」
 からかったアルバは吸い寄せられるように装飾品の店に向かい、気にせず朔は甘い香りが漂う屋台で足を止める。
「これ、二つもらえる?」
 パンケーキにクルミを包んで揚げ、シロップに浸した餃子型の菓子を買った後も、まだアルバは物色の最中だった。
「なにやってんの、んな真面目に」
 声をかければ、不意に真剣顔の居候は彼の首へ両手を回す。
「なっ、何!?」
「ホントは、指輪がありゃよかったんだが」
 狼狽する間に手が離れ、後には雫型の宝石をあしらった首飾りが揺れていた。
「はい、あげる……俺からのプレゼントって事で」
「な、……う、……有難う」
 急に気恥ずかしくなった朔が礼を言う間に、ひょいとアルバは菓子をつまみ。
「なんだこれ、甘ァ!」
「いいだろ、美味しそうだしっ」
 思わず言い返しながら、朔は付け加える。
「……来年も、また見に来ような」
 笑うアルバは、文句をつけた菓子を綺麗に平らげた。

「話には聞いていたが、その通りだな」
 店の天井まで並んだ楽器を眺め、琥龍蒼羅は感心していた。
 リュートに似た物や弓で弾く弦楽器、葦の笛に片面の太鼓など、アル=カマルの職人が作り、遠路はるばる運ばれてきた楽器だ。
「どうです、装飾も見事な逸品揃い。飾るだけでも……」
 売り込む相手に「邪魔をした」と短く返し、店を後にする。
(楽器は、奏者がいてこそ価値がある)
 そんな思いを胸にしまって歩けば、道の先より見知った顔がやってきた。
「そっちも散策か?」
 気付いた劫光が片手を挙げ、街並みに目をやる。
「いつの間にか、こんな街もできたんだな」
「そうだな」
「あっちの川辺には桜並木があったが……花見か」
「特に予定はない。誰もいなければ、一人でやるといった程度だ」
「それなら、大丈夫だろう。ゼロや長屋の連中が繰り出してきているらしいから」
 誘い合うでもなく、ただ足の向く方向が同じだった二人は連れ立って歩き。
 やがて桜の香と陽気な騒ぎの混じった風が、吹いた。

「ほらほら、おじさん達も一つ。こうして見る桜も、いいもんでしょ?」
「おぅ。喰いねぇ喰いねぇ、裂きイカや糠鮭、こうして焼くと旨いぜ」
 勧めるテーゼに、ぱたぱたと鍔樹が七輪を団扇で扇ぐ。
 車座になっているのはアル=カマル街の男らで、酒の代わりに粉末珈琲の小さなカップを傾けていた。
「場所取りをするとは、聞いたけど」
「テーゼらしいですね」
 頭痛を覚える胡蝶に九寿重が小さく笑い、やってきた者達に鍔樹が手にした団扇で顔見知りを招く。
「胡蝶や透歌に、乙矢や小春までいるじゃあねェか! よかったら食うかァ?」
「テーゼ殿には場所取りの方、忝く。しかし、鍔樹殿もいらしていたとは」
「ああ、こんな花見日和にギルドで仕事探すのはナシだ、ナシ! 春の陽気にふらふらっと誘われて繰り出したら、見た顔があった。ひとりで桜を愛でるより、大勢で賑やかに過ごす方が性に合ってるからな、俺ァ」
 乙矢に事の次第を明かした鍔樹はからりと笑い、小春や透歌が提げた菓子や肉料理に気付いた。
「お、アル=カマル街の方に行ってたンか? 天儀と雰囲気がガラッと違うから、面白ェよな」
「凄くいろいろ、違ってた」
 語彙は乏しいが、真っ直ぐな感想に鍔樹も破顔する。
 一方、先に来ていた月与がリーディアや子供らを迎えていた。
「お疲れさま。子供達は大人しかったよ」
「はわっ。ありがとうございます、月与さん」
「お弁当を作ってきましたが……子供もいると聞いたので、天儀の料理だけでなく、少しジルベリア風にしてみたんですけど」
 一緒に待っていた礼野 真夢紀が趣向を凝らした弁当を広げれば、好奇心も顕わに子供らが覗き込む。
 薄く焼いた卵焼きでくるみ、えんどう豆で目鼻をあしらった中身は、こま切れにした鶏と混ぜてトマトソースで味付けをした御飯。
 おかずは玉葱とアスパラ、ウズラ卵や鶏肉にチーズ、魚や海老の串カツ。手羽先はアル=カマル風の香辛料で下味を付け、揚げてある。加えてゆで卵をすり下ろし、根気よく混ぜ続けて作ったマヨネーズと胡椒で和え、掻きチシャに巻いて食べるよう工夫されていた。
「凄いなぁ」
「一人で作ったんだ」
 感心する子供達に、こくりと真夢紀は首を縦に振る。
「沢山来られるかもと思って、お箸でなく手掴みで食べられる献立にしてみたんです。大人の方には、筍ご飯のおにぎりもありますよ。甘味の方は、柏餅にはまだ早いので草餅を」
 弁当を囲む子らを眺めるキース・グレインだったが。
「ゼロは一緒じゃないのか?」
「ヤボ用だとよ」
 答えた仄は、興味深げに赤子を窺うが手を出さず。
「抱っこ、します?」
「生まれてすぐの、そんな『ふにふに』は……なぁ」
 さすがに「壊れそうで微妙に苦手」とは言えず誤魔化せば、くすとリーディアが笑う。
「ゼロさんもです。ごっつい男の人は、赤ちゃんが苦手なんでしょうか。ね〜、明煌さん」
 赤子に語る様子を眺めながら、何故か仄は安堵を覚え。
「じゃあ僭越ながら、このテーゼが乾杯の音頭を取らせてもらうぜ。アル=カマル街の皆さんもご一緒に、かんぱーい!」
 揃った顔ぶれにテーゼが杯を掲げれば、あちこちから乾杯の声があがった。

「っくしょい!」
 くしゃみをするゼロに、半歩ほど御凪 祥が距離を取る。
「風邪か」
「珍しそうに言うなぃ。ナンでこんな薄ら寒い木陰で、一人酒とかやってんだよ」
 彼の姿を見かけ、勝手に足を止めた相手に答えず、祥は酒杯を傾けた。
 春となり、風温み花綻ぶとも……胸の痛恨は融けず、じくじくと疼く。
(……叶わなかった)
 己が兄を失ったせいでも、己の兄の代わりとも言わないが、手助けをしたいと思っていた。
 彼にも彼の兄にも同じような目に遭って欲しくはないと、ただ願っていた。
(なのに、叶わなかった)
 天見基時の死は、この手が届かぬ事だった……そう頭で割り切れても、腹の内まではそうもいかぬ。
 自分一人ならば、いい。
 しかし自身が彼の死を信じたくなかった故に、彼の妹にまで期待を抱かせてしまった。
 悪い事をした――そう、思ってる。
「すまねぇ、な」
 苦い声色でゼロが短く詫びるが、筋が違う。
「俺が勝手にしている事だ」
 だから、償いを。その為に、己が身と行く末がどうなろうとも……。
「なら、笑っとけよ。てめぇの昔に口は出せねぇが、自分のために誰かが暗い顔するのが、基時は一番辛そうでさ」
 片眉を上げた仕草は、おどけた風にも挑発するようにも思え。
「負けっぱなしは、癪なんだとさ。少なくとも生きてる限り、負けはねぇとも言ってたが」
 何に対しての勝ち負けかは明かさず、踵を返した。
 深く祥は息を吐き、重い足で追う。
 先に求めるものがあるのか、そもそも何を求めているのか、彼にも分からないが――。

「お、先に始めてるぞ」
 やってきた友人らに、劫光が酒杯を掲げる。
「すっかり遅くなったが、ゼロのとこは出産おめでとうな。末永く幸せに……と、伴侶にあんまし心配掛けてやるなよ」
「そうだなぁ。嫁さまには、頭が上がらねぇんだぜ」
 祝うキースに頷くゼロの膝へ、脇からリーディアが暁春を乗せた。
「よろしくですよ、優しい旦那さま。キースさんは、ありがとうございます」
「ああ。大丈夫か?」
 赤子を支えて固まるゼロに、キースが苦笑する。
「ほら、暁春さんに明煌さん。桜が綺麗ですねぇ。この子達も上の子達も、二人で見守っていきましょうね? お父さん」
「お、おぅ」
 明煌の手を取るリーディアからぽふぽふと腕を叩かれ、ギギッとゼロが首を動かし。
「ゼロのにーさん夫婦、双子なんだってな。二倍におめでとう!」
「テーゼもありがと、だぜ」
 両手を振って祝うテーゼにも、強張ったままで返礼した。
 他愛もない光景に和みつつ、ひらりと手元に落ちた花びらをキースは見つめる。
「楽観視はできないが、一先ずのところ花見を楽しめる程度に事が落ち着いて良かったよ。欲を言えば……穂邑のところでも、花見ができると良かったんだがな」
「神代、か。俺は難しい事とか分からねぇから、親身に頑張ってくれるてめぇらには本当に感謝してるんだ」
 頭を下げたゼロに、キースは首を横に振った。
「俺としては、ただ……あいつが神代として在ることを選んだとしても、それ以外では今までの生活に戻れるようにしてやりたいというのが、本音ではあるな」
「神代の件も終わり、解けた問題も抱えた問題もある中……アル=カマル街みたいな、なかなか面白い変化もある。続く戦の結果が、こういう変化の呼び水になってると考えれば、それも悪くもねぇさ」
 しみじみと劫光が杯を傾け、ふとゼロが袂を探る。
「忘れるトコだったぜ。花見の記念に、こいつをな」
 ぽんと妻の手に握らせたのは、小さな花のブローチで。
「あら、ありがとうございます……でも付けるのは、先になりそうですね」
「先?」
「赤ん坊って、握れるモノは掴んで引っ張るんだよ」
 リーディアの手製弁当を頬張る子供らが呆れ顔で教授し、視線を交わすとアル=カマル風の飾り帯を取り出した。
「『お母さん』に、お礼……? もうすぐ一年だから」
「あら。あらあら……涙腺がっ」
「よかったね、リーディアさん」
 嬉し涙を零す友人の肩を月与が叩き、同席する千歳も円満な様子にほっとする。
「よかった。東堂殿もきっと喜ぶ」
「先生、知ってるの?」
 問う子供らの視線に、千歳は気付き。
「ああ、一度も顔を会わせていないからな……俺は、藤田千歳。東堂殿の意思を継ぎ、浪志組で活動している」
「千歳ちゃん、来てたんだ」
 嬉しそうな顔のアルマに千歳が首肯した。
「東堂殿の桜も、見てきた」
「先生の桜?」
「でも花がつかないと、子供達が心配しているのですよ」
 明かす雪巳は竹の水筒より緑茶を注ぎ、桜餅や花見団子、麩饅頭を茶請けに並べ、アルマがにっこりと笑む。
「それなら笑顔でいたら、あっという間だよ。咲くのが楽しみだね」
「本当?」
「ああ。いずれあの桜が育ち、四か五回目の花を着ける頃。君達も、自分の事を自分で考えられる頃だ。その時、東堂殿よりも大事なものが出来ていたら、必ずそれを優先してくれ。君達には君達の人生があるから、な」
 真摯な表情の子供らに、いったん千歳は言葉を切り。
「だが、もし……その時になっても、東堂殿の夢見た世の為に戦おうと言うのならば。俺は、浪志組は、君達を歓迎する」
 静かに告げた彼は、表情を和らげた。
「でも今は、桜とご馳走を楽しもうか」
 そんな光景にアルマは桜と広がる空を仰ぐ。
(……先生。僕らも彼らも、元気です)

「好きに食べて良いわよ。出来合いだから、味は知らないけど」
「そうです? どれも美味しいですよ」
 胡蝶が広げた重箱弁当に舌鼓を打っていた透歌は、仲間を見やり。
「嶺子さんもどうですか」
「ほっ、くっ、いいわよっ。それはっ、あんたたちで、食べてなさいっ」
 何故か花見団子を立ち食いする嶺子は、奇妙な足運びと仕草で舞い散る桜を避けていた。
「こっちはっ、生死が、かかっ……うおっとぉ!」
「なに、してるの?」
「気にしなくていいわ」
 小春の疑問を胡蝶は一蹴し、鮭を取り分けてやった鍔樹が笑った。
「そう言や、小春はよその儀のことに興味あるンかね。もしよけりゃ、陽州の事とか、ちょろっと話せるが」
「よーしゅー?」
「俺の故郷さァ。あそこも一応、最近まで閉じてた儀だしよ」
 興味を示した小春と鍔樹が話す間も、何やら不思議な足裁きで嶺子が桜の花をひたすら避ける。
「未だ不穏な事は有りますが、まずは一息つくのが先決。こうした華を愛でる機会を得られたのは、僥倖です」
「皆、頑張ったもんなぁ」
 料理を食べながら桜を見る九寿重に、テーゼもしみじみと振り返りつつ箸を動かす。
「これ、形はイマイチだけど、美味しいな!」
「ん」
 卵焼きを頬張るテーゼに小春が頷き、何故かけふんと胡蝶が咳払いを一つ。
「こうした緩む事も必要でしょうが、何れ気を引き締める機会も訪れるでしょうし。その時にはまた、頑張りますね」
「ええ。頼りにしているわ、九寿重も」
 信頼を確かめ合うやり取りに、
「ふ。これぞ春の奥義、桜花舞足……ぎぇぇぇぇぇ!」
 桜が身体に触れた途端、絶叫と共に嶺子がバタリと崩れ落ち。
「あぁっ、嶺子さーん!?」
 慌てる透歌や小春にテーゼと九寿重は顔を見合わせ、嘆息する胡蝶に鍔樹が大笑する。

「……あれ?」
 真新しい占い札を繰る柚乃は、めくった一枚に手を止めた。
「審判の、正位置……良い事に繋がると、いいけど」
 風に揺れた桜が舞い散る――薄紅の天蓋より射す、柔らかな陽光の下で。