真意、辿る
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/02/26 23:08



■オープニング本文

●新しい年
 神楽の都の正月は、賑やかだ。
 神社や寺は初詣に訪れる人々でごった返し、縁起物や温かい甘酒、玩具を売る露店が軒を連ねる。
 浮かれた人混みを掻き分け、三枝伊之助(さえぐさ・いのすけ)は駆けていた。
 宿に辿り着けば、転がるように廊下を抜け。
 天見元重(あまみ・もとしげ)の逗留する部屋へ飛び込んだ途端、その場で崩れ落ちるように平伏した。
「何事だ、三枝。騒々しい」
「一大事にございます。お館様が……基時様が!」
 震える言葉は喉で詰まり、床へ頭を擦り付ける様な姿勢のまま伊之助が握り締めていた文を元重の前へ捧げ持つ。
 口を結んだ元重はくしゃくしゃの紙を取り上げ、皺を伸ばしながら広げた。
 読み進める程に表情は険しさを増し、ぎりと唇を噛み締める。
「……開拓者には伝えたのか?」
「はっ。使いの者を、既に」
 凍ったような問いへ振り絞るように伊之助が答え、嗚咽を飲み込んだ。
「すぐに神楽を発つ。用意せよ」
 未だ頭を垂れたままの伊之助に命じ、元重も津々に伝えるべく席を立つ。
 冷える廊下に出て、一つ深呼吸すれば。
「お武家様。ちぃとばかり、お話が」
 面した坪庭の隅から、不意に潜めた声が呼び止めた。
 目をやれば、植え込みの陰で商人らしき小柄な中年男がひざまずいている。
「何奴だ」
「怪しい者じゃあござんせん、常からゼロの旦那には御世話になっている者でさぁ。折り入って、旦那から言伝を預かりまして」
「言伝?」
「『二之若』より小型の飛行船を借り受けた由、火急の用あらばこの者に港への案内をさせよ……との事。後の始末は、手前にお任せ下せぇ」
「相分かった……しばし待て」
 短い思案の後に元重が告げ、男を残して妹の元へ向かう。
「……にしても。もう少し良い符丁を思い付かなかったのか、あの開拓者は」
 二之若――父が健在であった頃、家臣らが自分達へ密かに付けていた名を思い出しながら、小さく元重は毒づいた。

「ぶぇきしょいっ!」
 開拓者長屋の一角で、騒々しいくしゃみが飛んだ。
「あ〜……正月から冷えるなぁ」
「風邪?」
「移さないでよ」
 鼻をすするゼロに子供らが眉根を寄せ、揃って火鉢の傍へ逃げる。
「うっせぇ。てめぇらは、風の子だろうがっ」
 恨めしげに口を尖らせたゼロは妻が手縫いした木綿の半纏の襟をぎゅっと合わせ、座した縁側から空を仰いだ。
 よく晴れた白っぽい空を、飛空船が横切って飛ぶ。
 それを睨む目玉の奥は熱く痛み、何かつっかえたように喉がヒリヒリと焼けた。
 空腹を訴える赤子、暁春(あきはる)と明煌(あきら)の元気な泣き声にあやす声を聞きながら、ゼロは使いの者が届けた紙を……風信術で数多ヶ原から伝えられた、急ぎの報を握る。

 それは年が明けて、三日目の朝。
 天見家当主、天見基時(あまみ・もととき)が何の前触れもなく、忽然と自室より姿を消したという知らせであった――。

●遺された言葉
『この文を読む者はまず、我、天見基時は既にこの世にいないものと心すべし。
 死に繋がる痕跡が一切見つからず、神隠しの如く姿を消したとしても、一切の望みを抱いてはならぬ』
 基時の書机から見つかった直筆の書簡は、そんな書き出しで始まっていた。
 まず嫡子、天見基宗(あまみ・もとむね)に家督を継がせる事。
 ただし基宗はまだ幼子であるため元重が当主後見の役目につき、乱れなく政(まつりごと)を執る。これについては先の『城町騒乱』を思えば反対する者も出ようが、数多ヶ原の執政については我が右腕となって尽力してきた事もまた、努々(ゆめゆめ)忘るるなかれ。
 此隅の屋敷に勤める元信は数多ヶ原へ戻さず、引き続き当主代行の任を続ける事。
 津々が三根家に嫁ぐのを良しとせず、破談となったなら、先方の顔を潰さぬよう相応の詫び言を尽くす事。
 元定は元重を助ける為に政をよく学び、元盛は文武に励み、竜田と白は母である千代を大事にするよう。そして千代は引き続き天見屋敷の奥か、必要なら安康寺で無期限の幽閉に置く事。
 ――云々。
 氏族の今後や城町の建て直し、凶作であった前年を鑑みた農村への援助など。自身がいなくなっても国が乱れぬよう、各々の役割や数々の指示を適切に書き記したそれは、正に遺言に等しいものだった。

「乱れのない筆の運びに、この花押。お館様の手に相違ない」
 硬い表情で居並ぶ家臣の筆頭に座した家老が文を改め、向かい合って座る元重へ首肯する。
 座敷の上座、一段床を高くした上段の間に当主の姿はない。
 未だ松の内とはいえ、天見屋敷は重い影に包まれていた。
 家臣らは誰も言葉を発せず、幾度か頭を振ってから元重は口を開く。
「いつまでも嘆いている訳にはいかぬし、お館様もそれを望んではいまい。腹に思う事あって承服しかねる者もいるだろうが、先ずは数多ヶ原領民の為。各々(おのおの)言い付けをしかと守り、全て滞りなく運ぶよう……頼む」
「元重様……」
 深く頭を下げる元重に家臣一同が狼狽の色をみせ、次々に頭を垂れた。

●死の影
「急ぎ巫女を呼び、『瘴索結界』の術にて屋敷と安康寺に瘴気の澱みがないか調べさせろ」
 家臣達が退いた後、元重は残った家老へ指示を加える。
「やはり、アヤカシの仕業に御座いますか」
「おそらくはな。兄上の部屋や周りの事は出来る限りそのまま残し、不用意に人を入れるな。葬儀が終わり次第、開拓者を呼んで調べさせる。出来れば、それは内密にしておきたいがな」
「仰せの通りに」
 辞去の礼をしてから、年老いた家臣も席を立った。
 残った元重は沈痛な面持ちで書き残された書簡を読み返し、重く嘆息する。
 神楽の都から戻って以来、津々は塞ぎ込み、元定ら弟妹も悲嘆に暮れていた。一方で、心を病んだ千代の様子に変わりはない。
「ここまで死を間近に覚悟されていたにもかかわらず……何故、兄上は打ち明けて下さらなかったのか。何故、あえて俺達を屋敷から遠ざけるよう仕向けたのか」
 座敷の隅で揺らめく行灯には指先ほどの蛾が一匹とまり、小刻みに羽を震わせていた。

 やがて何事もなく基時の葬儀が終わり、天見屋敷や城町が最初の動揺から落ち着きを取り戻した頃。
 基時失踪の裏を知る為、元重は神楽の開拓者ギルドに調べを依頼する。
 それには「出来る限り屋敷の者に気取られぬように」と、奇妙な念が押されていた。


※参考資料/天見家直系一覧(天儀暦1013年2月現在)
 父:天見基時‥前当主・行方知れずとなる
  長男:基宗(1歳)‥現当主

 父:天見基将‥先々代当主・死去
 母:初‥本妻・死去
 【長男:基時‥前当主(28歳)】
 【長女:佐保‥他家へ嫁いだ後、死去。享年22歳】
 【次男:基近‥現在のゼロ(24歳)】
  次女:津々(19歳)

 母:千代‥後妻・存命
  三男:元重(21歳)‥天見家当主後見役
  四男:元信(16歳)‥天見家当主代行
  五男:元定(13歳)
  三女:竜田(13歳)
  四女:白(11歳)
  六男:元盛(8歳)


■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067
17歳・女・巫
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
以心 伝助(ia9077
22歳・男・シ
劫光(ia9510
22歳・男・陰
アグネス・ユーリ(ib0058
23歳・女・吟
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫


■リプレイ本文

●状況確認
 数多ヶ原では天見屋敷は勿論、領地の中心である城町全体が重い空気に包まれていた。
「皆さん、ようやく少し元気になったと思ったんですけど」
 初秋に訪れた街の風景を思い出し、小さく柚乃(ia0638)が項垂れる。
「城町の騒動からこっち、災難が続き過ぎだからな。鷹取が死んで、見た目だけは落ち着いたようにも思えたが」
「まだ、終わってはいないんすよね……色々と」
 いつもの調子で鬼灯 仄(ia1257)は煙管をふかし、何気なく以心 伝助(ia9077)が視線を移せば、白く雪化粧をした庭で行儀よく座る忍犬 柴丸の姿が目に入った。じぃと主を見つめる忍犬は目が合うと嬉しげに尻尾を揺らし、思わず伝助も僅かに表情を緩める。
「利口ですね」
「でも皆さん寒いでしょうから、障子を閉めてもいいっすよ」
 感心する三枝伊之助を伝助が促し、同様に庭で待つ甲龍 春暁の主、御凪 祥(ia5285)も首肯した。
「姿が見えないからと、暴れる気性でもないからな」
「かしこまりました」
 恐縮した開拓者世話役の少年は一礼し、客間より下がって障子を閉める。
「それにしても……今回は少しばかり覚悟を決めなきゃいけねえかも、な」
 開拓者だけとなった部屋で、火鉢に手をかざした劫光(ia9510)が嘆息した。取り越し苦労を願うも、数多ヶ原で出くわす不穏は生易しくない。
「誰にも言わず失踪、なんてね。何かを、質に取られたのかしら? 或いは何かを得ようとしたのか、それとも守ろうとしたのか……」
 熾こる炭を見つめるアグネス・ユーリ(ib0058)も、疑問を口にした。
「基時おじさま……みんな、いなくなるの?」
 聞きとめたケロリーナ(ib2037)が涙を堪え、主の後ろに座るからくり コレットが戸惑いをまとう。気付いたアグネスはからくりへ小さく指を振り、少女の髪を撫でた。
「そんな事ないわよ。でも、津々とも話をしたいわね……落ち込んでるだろうし、出来れば基宗の様子も見ておきたいわ」
「はいですの。基宗ちゃんも心配ですの」
 束ねた金髪を揺らし、からくりの起動鍵をケロリーナはお守りのように握る。
 そんな彼女らの傍では、主の仄より女性を取った猫又 ミケが丸くなり。劫光の人妖 双樹とアグネスの人妖 エレンは話の邪魔をせぬよう、体躯に合わせた小さめの湯飲みを手に、遠慮なく茶菓子を戴いていた。
「失踪と残された書簡……仕組まれた失踪なのか、それとも……」
 仲の良い光景に目を細めた柊沢 霞澄(ia0067)が、自身の茶碗から立ち上る湯気の揺らめきにぽつと呟く。
「まったく、何が蠢いてるのかねえ。手引きした間者がいる可能性もあるって事で、気取られぬ様にしねぇとな」
 機嫌の良さそうな猫又を仄は恨めしく見ながら、紫煙と混ぜて懸念を吐いた。
 話を聞く柚乃は項垂れたまま、手にした宝珠をそっと撫でる。精霊である柚乃の管狐 伊邪那と霞澄の管狐 ヴァルコイネンは、宝珠で休んでいた。
「相すまぬ。待たせたな」
 そこへ障子が開き、天見元重が遅れを詫びる。
「年末より、縁が途絶えんな……良いのか悪いのか」
 苦渋を帯びた祥の言葉に当主後見役も苦い笑いを返し、片手で障子を閉めた。

「兄上が残された書簡だ」
 挨拶もそこそこに元重が取り出した文を、一同は順番に改める。
「津々さんの部分を見る限り、比較的最近の物みたいっすが」
「こうなる事を、予見されていたようですね……」
 伝助の次に目を通した霞澄は丁寧に紙を折り、両手を添えて元重へ返した。
「お前達も思うか。まるで遺書だと」
 問いかけに開拓者達は沈黙で応じ、誰一人として死を認めぬ姿に元重が目を伏せる。
「お前たちもまだ、信じているのだな」
「勿論よ。それを確かめる為に、来たんだもの」
「決まった訳じゃないからな」
 見つめるアグネスに劫光も同意し、目元を拭うケロリーナも黙って頷いた。
「柚乃は、詳しい事情を知りません……でも、このままでいけないと思いました。悲しむ人がいる……だから、放ってはおけない。微力ですが、お力になれればと……よろしくお願いします」
 畳へ指をつく柚乃に、面を上げるよう元重が促す。
「依頼をしたのは、こちらだ。不自由もあるだろうが、よろしく頼む」
「無論。だが何が出来るか、何者かの尻尾を掴む事が出来るかは分からないが」
 返す祥の言葉は、微妙に歯切れが悪かった。生きていて欲しいという想いは変わらないが、不安も大きい。
「開拓者とて万能でない事は承知の上。ただ俺は、兄上のやり方が解せんのだ」
 場にいるのが開拓者だけのせいか元重は憤りを隠さず、銀の瞳を霞澄が伏せた。
「もしかすると……元重様達を遠ざける事によって、自分以外が巻き込まれないようになされたのかもしれませんね……」
「それならば、尚の事……!」
 元重は一瞬言葉を荒げるも、歯噛みをして先を飲み込む。
 そこへ外で控えていた伊之助が、障子の向こうより「そろそろ」と遠慮がちに声をかけた。
「すまぬ……家臣達が待っているようだ。お前達は俺の客であり、表向きは遅れての弔問。そのため兄上の部屋や屋敷内外への散策など咎めぬよう、申し渡しは済ませてある」
「助かりやす。ついでと言っては何っすけど、声無滝や近くの庵は調べやした? 入れる方が限られる場所なので、気になりやして」
 念の為にと伝助が問えば、浮かぬ顔で元重は頭を振り。
「いの一番に津々が様子を見に行ったが、人っ子一人いなかったようだ」
「そうでやしたか」
 落胆を隠せず伝助は肩を落とし、思案していた祥が口を開く。
「屋敷の外に出るのは構わないと言ったが、津々を連れ出してもいいだろうか?」
「津々を、か?」
「本人の了解が先だが、城町や領内の案内を彼女に頼みたい。それならば、家臣らも不審に思わぬだろう。春暁には少々無理をさせるが危険には近づかぬ様にするし、彼女の安全を第一に行動する」
 約する祥に元重は逡巡するが、やがて首を縦に振った。
「是非にも、そうしてやってくれ。自分が大人しく三根家に嫁いでいれば、兄上の大事に俺達が傍にいた筈と、塞ぎ込んでいるのだ。頼む」
 重い表情で頭を下げてから、立ち上がる元重へ。
「これから大変かと思うっすが、頑張ってくださいやし」
 少しでも肩の荷が軽くなるよう願い、伝助が励ます。
「何かあればまた協力しやすし……切っ掛けはゼロさんっすけど、この数多ヶ原の事も結構好きなんすよ、あっし」
「かたじけない」と頭を垂れ、元重は客間を後にした。
「時間が限られているし、始めるわよ。エレンや双樹も手伝ってね」
『わかった……』
『はぁい』
 アグネスが声をかければ、人妖達は揃って返事をし。
「いや、双樹にはこっちの手伝いをだな……」
「でも劫光も、調べるんでしょ? 基時の部屋」
 くすりと悪戯っぽい笑みを先にアグネスから向けられ、何か言いたげだった劫光は喉の奥で唸る。
「屋敷の調べは任せた。俺は表に出ようと思うが、構わないか?」
「それならミケも連れて行け、祥。津々が落ち込んでいるなら、気を紛らわせるくらい出来るだろ」
『お、おいっ!?』
 仄が猫又の首根っこを掴み、無造作にぽぅんと放り投げた。
 だが祥は受け止める様子もなく、投げられた猫又は足元で音もなく着地する。
「……好きにするといい。春暁の重荷になるなら、置いていくが」
 一瞥した祥は案内する伊之助に続き、恨めしそうな顔をした猫又も「相手は天見の姫だぞ」という仄の甘言に不承不承の体でついていった。

●主なき部屋
「それじゃあ、失踪前の先代のご様子に変わった様子はなかった?」
「はい。特に冬はお風邪を召しやすく、外へ出るのも庭を散歩をされる程度でしたから」
 天見基時の部屋の前で控えていた警護役の若い侍は劫光の質問に答えると、故人を偲ぶ邪魔をせぬよう下がった。
「確かに、基時が外に出た話は聞かないな」
 記憶を辿ってみても、基時が天見屋敷から出た回数は片手で十分足りる。
 主のいない部屋は火鉢の炭も消えたままで、寒々としていた。
「……太刀は有るのに、脇差が無いのか」
 部屋は特に荒らされた形跡などないが、刀掛けに置かれた一本の刀に劫光は首を捻る。本来なら、二本は常に揃っているものだ。
「屋敷内の見取り図、いただけたらよかったのですが……」
 残念そうな霞澄に、少し声を落としながら伝助は行灯に手をかけた。
「住んでいる人は不要でやすし、地図や見取り図の類はおいそれと外に出せない物っすから」
「そうなのですか……?」
「良からぬ者の手に渡れば屋敷の守りを破られ、人目を忍んで御当主の寝首をかかれる事もありやす。いくらあっしらに信用があっても、お家としては何もかも預けるという訳にはいかないかと」
 世の裏側も知るシノビはそれ以上語らず、ちらと霞澄が見やれば劫光も目で同意する。
「確かに行灯皿は空っすね。消えて困るなら油を足しやすし、部屋を出るなら消すでしょうから、点けたまま……?」
『あれ? 虫が……』
 行灯の陰から飛び立つ小さな虫に、ふと人妖が気付いた。
「明かりに、寄ってきていたのでしょうか……」
 寒いせいか、力なく天井辺りに飛んでいく蛾を霞澄は目で追い、劫光も眉根を寄せる。
「だが、部屋の一切は動かしていない筈だ」
「というか。『超越聴覚』でも虫が出た話をよく耳にしやしたけど、冬に虫って本来あまり見ないっすよね……?」
 更に険しい表情の伝助が、手を翻せば。
 カツッと穿つ音がして、苦無「獄導」が蛾を竿縁へ縫い止めた。
 まだ生きているのか、羽を震わせる虫を睨む伝助に霞澄が首を傾げる。
「虫が、何か……?」
「以前に数多ヶ原を騒がせた争いで、それに関わっていた人妖が蛾に化けた事がありやして。ああ、心配しなくても当の人妖が本当に人妖だったのか、分からず仕舞いっすけど」
 少し困惑した表情を浮かべる劫光の人妖へ、苦笑混じりに伝助が頭を振った。そして何気なく机の上へ目をやり、首を傾げる。
「硯と筆は出しっぱなしでやすか。でも行灯皿が空なのに、燭台の蝋燭は残ってる?」
 画竜点睛を欠いたような、微妙にちぐはぐとした感覚。
 何かを書いていたなら、紙はどこへ消えたのか。外へ出るのなら手近な机上の燭台を持って行くだろうし、そもそも油が切れるまで行灯が点いていたなら、何故蝋燭は燃え尽きていないのか――。
「ともあれ、外の者に屋敷の傍に森や池がないか聞いてみよう」
 伝助が思案する間も、劫光は調べの段取りを進める。
「自分の足で屋敷を出たとしても、病床の身ではそう遠くまで行けないだろうからな。安康寺との周辺で身を隠せるような場所を、双樹と探してみるか」
『うん』
「こちらはまず、天井の隙間からですね……。ヴァルさん、手伝って頂けますか……」
 手元の宝珠に霞澄が呼びかければ、するりと管狐が現れた。
『うむ、一部始終は聞いていた。では、調べてみよう』
「暗いだろうが、『夜光蝶』はないからな」
 問題ないという風に管狐はちらと劫光へ視線を投げ、『人魂』で身を変えると僅かな天井板の隙間へ滑り込む。
 それを見送る伝助は、天井に刺さった苦無に目をとめた。貫いた蛾の姿はなく、暴れた拍子に千切れ落ちたかと床を見回しても、死骸どころか羽の欠片すら見当たらない。
「やっぱり……虫には気をつけた方がいいっす。あっしも柴丸と、基時さんの足取りを辿りやす」
 二人に苦無を示した伝助は、急ぎ忍犬へ手がかりを探させるべく、部屋に面した庭へ出た。

●冬空の下
「寒いですね」
 ほぅと柚乃が白い息を吐き、両手を暖める。
『だって、神楽より北にあるんだもの。寒いわよ』
 当然とばかりに柚乃の襟巻き……否、首元へ巻きつく管狐が返した。
「でも城町に基時さんと縁がある場所って、ほとんどないんですね。寂しいな……」
 侍女達に聞いた話では、基時は領民から好かれていたが、人々の前に出る機会は僅かだったという。
『何か温かい物でも頼めば? 身体が冷えると、心まで寒くなっちゃうわよ』
 消沈した主を励ます言葉も思いつかず、商人や町人が行き来する通りで軒を連ねる飯屋や茶屋を管狐が窺った。
 避けているのか日数が過ぎたせいか、『超越聴覚』で聞こえる話は日々の暮らしや商いの話ばかり。だが柚乃は休む気にもなれず、とぼとぼ城町を歩く。
「もし、自身での失踪なら……立ち寄った場所はないでしょうか……」
 死を覚悟し、戻る気がなければ――自分なら、どうするだろう。
「何処か……最後に足を運んだ場所は……例えば、御両親の墓前……とか?」
 思い立った柚乃は天見家の菩提寺、安康寺に足を向けた。

「粗茶でよければ、温まっていきなされ」
「ありがとうございます」
 茶と茶菓子を置いた人の良さげな老住職に、柚乃は礼を言う。
 通された客殿には津々を連れた祥が先に来ていたものの、入れ違うように辞去を告げた。
「これから東進して飯森との国境近くを見、北西周りで魔の森を眺望してから戻る予定だ」
「左様でございますか。数多ヶ原と飯森の仲は良くも悪くもありませぬが、過去に幾度か兵刃を交えた国。どうぞ、お気をつけて」
「ああ。そこまで近付くつもりもない」
「失礼致します」
 言葉少なに会釈をする津々の足元を、猫又がついていく。
 残った柚乃は天見家の墓へ参ると念の為に『時の蜃気楼』を使ってみたが、ここにも基時の訪れた痕跡はなかった。

「飯森方からの不審な動きは、ないか」
 国境まで十分に離れた場所で、雪の街道を祥は見下ろしていた。
 南に続く街道と比べれば、人の往来は少ない。
「ここ数年、少なくとも父が死んで以降は三根家が攻めてきた事はありませんでした。過去の戦でどのような経緯があったか、仔細までは分かりませんが……」
「いま動きがなければ、問題ないだろう。基時の失踪が、人災なのか怪異なのか……判ずる材料があればいいが」
 何らかの糸口が掴めればと、祥は手綱を引く。緩やかに翼を打ち、甲龍は僅かに身体を傾けて旋回した。
 慣れぬ龍の背に、片腕で猫又を抱いた津々は残る手で思わず祥にしがみつく。
「神楽の都で訊かれた事の、答えだが……」
「え、はいっ」
「多分、俺は心配性なんだと思う」
 空を飛ぶ怖れを晴らすように、大晦日の神楽で交わした会話を祥が切り出した。
「俺もかつて、兄を亡くした。再び……同じ様に親しい者、知っている者を失うのが怖い。だから、例え希望を持つなと言われようとも、その姿見ぬ限り、俺は諦めない。諦めたくなどない……」
「御凪様……」
「出来る限りの事をしよう、互いに後悔せぬ為に」
「はい。こんなにも皆様が身を案じ、力を尽くされているのですから、兄様は無事ですよね」
 祈るように津々が呟き、腕の中にいる猫又を撫でる。
 時おり地上に降りて甲龍を休ませながら、領地の北西を目指すこと数刻。
 やがて山肌に張り付く異質な森が、行く手に見えてきた。
「数多ヶ原のアヤカシは、あそこから現れるのか?」
「いえ。関わりがなさそうな場所での被害も、多数あります」
「そうか」
 応じる津々の声には少し強さが戻り、やはり兄妹かと祥は心の内で苦笑う。
 瘴気の森は飛び交うアヤカシの影もなく、不気味に静まり返っていた。

●願いと真実
 澄んだ鈴が響く基時の部屋の前では、仄と人妖とからくりが並んで座っていた。
 奇妙な顔をする侍女に、少年とも少女とも思える人妖は儚げな瞳を上目がちにして訴える。
「彼女なりの弔い……なんだ。基時とは縁があって。気の済むまで演奏させてやって欲しい……」
 隣のからくりも無言で頷き、苦笑う仄が寒さしのぎに徳利を傾けた。
 困り顔の侍女は見かねたのか、客人の為に小さな火鉢と熱燗を用意し。
 その間も鳴る鈴音は、振り子の如き拍を繰り返す。

 部屋ではアグネスが『時の蜃気楼』を奏で、紙とペンを用意したケロリーナはそれを見守っていた。
 手がかりは、伝助も裏を取った行灯の明かりと蝋燭の減り具合。
 何度目かの試みの後、ようやく幻影は望む像を結び……。

  ――ぱた、と。
  畳に小さな虫の落ちる音がした。
  書机へ向かっていた基時は手を止め、筆を置くと芯をつまんで蝋燭を消す。
 「よく片割れが死んだ場所に出るとはいうが、迷信でもないようだね」
  広げていた紙を、天板の下、幕板の隙間へ差し込んでから音の方を見やった。
  畳の上では、一匹の百足が六寸ほどの身を捩っている。
 「気付いていながら、逃げぬか」
  手を伸ばし、刀掛けより脇差を取れば、女と思しき声がククッと嘲笑う。
 「ろくに刀も振れぬ、細腕で」
 「刀を振れずとも、我は天見一族が当主。守護すべき地に巣食う古妖を前に、抗わず逝く気なぞない」
 「げに腹立たしきは、天見の気概よ……幾代を重ねても、貴様らは」
  憎々しげな声に合わせ、何かが這う音が増した。

 行灯の光に天井板が波打つような錯覚を覚え、顔を上げれば。
 隙間より這い出した百足や蜘蛛、ゲジに蛾など、数え切れぬ毒虫が頭上を埋め尽くしていた。
 アグネスの背を、ぞくりと『嫌な感覚』が這い登る。
 それは何時ぞや蛾や蜘蛛のアヤカシを払った時、森で出くわした『妙な気配』とよく似ていた。

  それを知ってか知らずか。
  机上に置いた巻貝と海砂の小瓶をちらと見た基時が、かすかに笑みを浮かべる。
 「すまないね。でもお前達と共にあった日々は、楽しくあったよ……いざ」
  さらば、と。
  唇が動くも、最期の言葉は天井から降り注ぐ蟲達の黒い波に飲まれ――。

 ……幻影が掻き消えても、声は出なかった。
 目にした者達は、ただ愕然と何一つ乱れのない部屋を見詰めていた。
 全ては書簡にあった通り……既に彼がこの世にいないものと、心してかかるべきだった。
 声を詰まらせてケロリーナは嗚咽をあげ、ようやくアグネスは喉の奥から言葉を搾り出す。
「馬鹿よ……あんた」
 弟や妹、家臣らを巻き込まぬよう人払いをし、独りで逝ってしまった相手に。
『帰還』に繋げようと手繰った糸は、脆くも断たれた。
 書机へ寄ったアグネスが脇の引き出しではなく幕板を軽くこじれば、引っかかる感覚の後に隠された引き出しが現れる。
 そこに納められた数枚の紙には『城町騒乱』や『赤い布で顔を隠す者』、天見と数多ヶ原に憑くという、殺しても死なぬ蟲の古妖など……ここ数年の騒ぎと、基時なりの私見が書き散らされていた。
 彼なりに道筋が見えれば、手を打つつもりだったのだろう。
「元重おじさまに、もう一度からくりの鍵を渡すですの。基宗ちゃんを守ってほしいって……!」
「そうね。皆にも伝えたいし、劫光も全てゼロや天見の人達に話すみたいだから。ところで……どう説明するの、その障子穴」
 不意に矛先を向けられ、障子の『あちら側』が狼狽する。
「たぶん、ミケの仕業だろうさ」
 猫又のせいにして誤魔化す仄に、相棒達の呆れる気配がした。

 調べの結果を聞いた津々は、支えを失ったように倒れた。
 急ぎ霞澄や柚乃らが、侍女の手を借りて床へ運ぶ。
「津々と『魔の森』を見てきたが、アヤカシに目立った動きはなかった」
 気の利いた慰めの言葉を持たぬ事に祥はもどかしさを覚えながら、元重の無念を己と重ねつつ警告を伝える。
「基時の件が人災でなかったとしても、奇妙に思える……難しいだろうが、気を許さぬ方がいい」
「かたじけない。今の天見はそこまで目も届かぬ故、助かる」
「あと当主になる基宗ちゃんも、危ないと思うですの。だから、護衛にからくりをつけて欲しいですの」
 神妙に一礼する元重にケロリーナは名付け子の身の安全を訴え、からくりの鍵を渡した。
「けど、あっしは悔しいっす。基時さんを助けられず……」
 唇を噛む伝助と同様、劫光やアグネスも口惜しさを滲ませる。
「なら……城町へ繰り出すのは止めて、皆で飲むか。相棒連中にもいける口がいるだろうし、子供向けの甘酒なんかも用意できるだろ?」
 仄の誘いに、異を唱える者はなく。

 欠けた月の下でかわす杯は、無性に辛く思えた――。