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■オープニング本文 ●天見屋敷の年の瀬 「では、行きますぞ! えいやっ」 「ほいっ」 「えいやっ」 「ほいっ」 杵持つ年若いつき手が声をあげ、老いた合いの手が調子よく餅を返していく。 年の瀬も迫った冬の日、天見屋敷の庭では多くの家臣達が威勢のいい掛け声をあげていた。 五つ六つと臼を並べて餅をつく一方、別の場所では軒まで届く松の木の根元に並べた竹が解けぬよう、「せい、の」と声を掛け合って縄を結ぶ。 「皆、精が出るな。有難い事だ」 「これは元重様」 廊下より庭を見守っていた老家臣は居住まいを正し、深々と頭を下げた。 「新しい年を迎えられるようにと、皆こぞって奮戦しております。今年の作付けは、今一つに御座いましたが……」 隻手隻眼の天見元重(あまみ・もとしげ)は面を上げるよう身振りで促し、たすき掛けで仕事に勤しむ者達を見渡す。 「残念だが、領民が汗水を流して得た実り。餅も松も各々の家に行き渡るべく取り計らうようにと、お屋形様からの御達しだ。正月は皆、心置きなく祝いたいだろうからな」 「承知致しました」 庭を見詰めたままの横顔に、老家臣は再び頭を下げ。 そこへ、「ひゃあっ!」と庭より大きな声が上がった。 「どうした!?」 「ゲジだっ。大きなゲジが出た!」 「えぇい、屋敷へ上げてはならぬ。手が空いておる者、誰かつまんで退治せい!」 虫がたからぬ様つき上がった餅を掲げたり、足を振ったりして、わぁわぁと騒々しく家臣達は不埒な虫を追い払おうとする。 逃げ惑うようでどこか滑稽な様子だが、僅かに元重は眉根を寄せた。 「この冬は、妙に座敷へ上がってくる虫が多いな。やすでに百足や長虫、加えて蜘蛛と蛾か」 「おぉ、それは。目が行き届かず、申し訳ありませぬ」 狼狽した老家臣が急いで詫びるも、元重は咎める素振りもなく。 「気にするな。自然の理(ことわり)なら致し方あるまい」 「もしや、寒さが厳しくなる予兆に御座いましょうか」 「かもしれん。皆には、餅の他に酒も配ってやれ」 「かしこまりました」 寒い年越しとならぬよう指示する矢先、一人の家臣が足早に近付いてきた。 「元重様。恐れながら、お屋形様がお呼びでございます」 「承知した。では、後を頼む」 「ははっ」 背中で返事を聞きながら、大股で元重は兄の元へと急ぐ。 「兄上、如何されました」 部屋を訪れた元重が問えば、天見家当主である天見基時(あまみ・もととき)は浮かぬ顔で弟を見やった。 「すまないね……年の瀬で多忙にあるのは承知しているが、急ぎ旅の支度をし、神楽の都へ行ってはくれまいか?」 「……は?」 突然の頼みに訳が判らず、きょとりと元重が問い返す。 「神楽まで、如何なる用向きで?」 「うん。実は、津々の事なのだけど」 重い口調で基時が名を出せば、彼も今日は妹の姿を見ていない事に気が付いた。 特に寒い時期には病身の兄の身を案じ、何かと身の回りの世話をしている津々(つつ)だったが。 「そういえば、見当たらないな。何処へ行ったんだ」 「それがね。人目を忍んで、出奔してしまったようなのだよ」 「なるほど……って、出奔!?」 さらりと応じてから思わず問い直す弟に、人差し指を口に当てた兄が首肯する。 「飯森の三根家より、縁談があってね。年明けにでも「輿入れを」という話なのだけど、突っぱねられてしまった挙句、屋敷まで飛び出したらしい……三枝を連れてね」 「三枝伊之助を? ならば、行く先は……」 「神楽の都に相違ないと思う。此隅の屋敷はすぐに手が回るし、他に津々が頼る場所もない。三枝ならば道中は元より、都の諸事にも明るいだろうからね」 「全く……しかし何故、三根の家が急に?」 飯森(いいもり)は数多ヶ原の東にあり、三根(みね)はそこを治める氏族だ。隣国同士で付き合いは長いが、攻めたり攻められたりの因縁も抱えている。 そのせいか、過去に婚姻関係を結ぶ機会もなかったのだが。 「三根の子は確か、男二人だけだよな。相手は嫡男か?」 「いいや、下の次男坊だよ。三根家の現当主はまだまだ健在だし、二人の息子も野心は薄く中庸だ。悪い話ではないと、思ったのだけどね」 昨年の内乱めいた騒ぎで、数多ヶ原の国力は衰えている。飯森が攻め入ってこない保証もなく、津々が三根に嫁げば僅かでも危険が避けられるかもしれない……それが、縁談を受けた基時の考えだった。 「お前が直々に説得し、津々を飯森領へ送ってほしい。他の者では説得もままならぬだろうし、嫁ぐ決心がついても天見屋敷に戻れば揺らいでしまうかもしれない」 「だが俺や津々が不在の間、兄上は如何する。元信は此隅勤めの最中、元定はまだ元服もしていない」 「お前が帰るまでは、待てるさ……何もなければね。何かあったとしても、皆が上手くやってくれるだろう」 「……全く」 もう一度、うな垂れて同じ言葉を繰り返した元重は膝の上でぐっと拳を握り。 苦い沈黙の中、ぽとりと何かが落ちる音がした。 見れば天井から落ちてきたのか、丸々と太った長い百足が一匹、畳の上で身をよじっている。 「ここにまで、上がってきたか」 這い回らぬうちに元重が馬針(ばしん)で一突きし、手早く外へ放り出した。 「今年は本当に虫が多い……家臣達にも、よく言っておかねば。兄上だけでなく、基宗が噛まれるやもしれん」 「そうだね。元盛や白らと奥にいるよう、侍女らにも伝えておこう」 虫の落ちた場所を見詰めながら、渋面で基時は呟いた。 ●大晦日騒動 ところは変わって、神楽のどこにでもあるような質素な長屋、開拓者長屋の一角。 「うわぁ、可愛い〜っ。全然、兄様に似てない〜!」 布団の上で小さな手足を動かす双子の赤ん坊――十二月十二日に産まれたゼロの息子と娘に、津々がはしゃぐ。 「うっせぇ、言ってやがれっ」 胡坐を組み、腕組みをしたゼロは不機嫌そうに、じろりと『客人達』へ目を向けた。 「で、よりによって大晦日に……てめぇら、なに考えてやがる」 「言うな。俺とて、不本意だ」 負けず劣らず元重がむっすりと返し、津々の供として同行した三枝伊之助(さえぐさ・いのすけ)は部屋の隅で四角くなっている。 二階家の階段あたりからは、十二人の子供らが興味津々あるいは心配そうな様子で雲行きを窺っていた。 「泊まる宿は取ってあるから、気遣いは無用だ。後は津々が三根に嫁ぐと首を縦に振れば、すぐにでも帰る」 「いくら兄様が言っても、嫁に行くのは嫌だからねっ!」 ぷっくりと頬をふくらませた津々は兄にそっぽを向き、助けを求める伊之助の視線に家の主が肩を落とす。 「天見の家の事だ、俺は口出ししねぇからな。てめぇらで、何とかしやがれ」 新年まで面倒事を抱えそうだと、ゼロは嘆息した。 掃除の為に開けた縁側より、寒風が吹き。 鴨居に貼った『暁春(あきはる)』『明煌(あきら)』……始めて双子を抱いた時、「明るく煌めいて見えた」という妻の言より付けた、赤子らの名を書いた紙をガサガサと揺らした。 |
■参加者一覧
柚月(ia0063)
15歳・男・巫
有栖川 那由多(ia0923)
23歳・男・陰
静雪・奏(ia1042)
20歳・男・泰
嵩山 薫(ia1747)
33歳・女・泰
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
リーディア(ia9818)
21歳・女・巫
ルシール・フルフラット(ib0072)
20歳・女・騎
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●年末恒例 「おっおそーうじー!」 スパーンッと、わくわく顔の柚月(ia0063)が二階家の戸を開け放った。 「いらっしゃいですよ〜」 「わぁ、赤ちゃん!? もしかしてゼロの赤ちゃん、カナ?」 ちょうどリーディア(ia9818)が抱いてあやす赤子を、脇から覗き込み。 「お、久し振りじゃあねぇか」 後ろから頭をわしゃわしゃ撫でられ、柚月は「にゃっ」と首を竦める。 「えへへ。みかん箱に入っておねーさんのトコでお世話になったり、あっちこっちで笛を吹いたりで、久々の我が家だヨ!」 「みかん箱? 苦労てより、馴染んでそうだな」 褒め言葉なのか微妙なゼロの感想にも柚月は笑い、友人の腕にいる赤子に気付いた。 「もしかして、双子? 二人とも、おめでと!」 「でもゼロさんの子がうちの子と同い年なるとは、奇遇ね」 挨拶がてら赤子の顔を見に来た嵩山 薫(ia1747)がしみじみとし、同じくルシール・フルフラット(ib0072)は目を瞬かせる。 「同い年ですか」 「私も二人目が産まれたのよ。それで、最近まで開拓者も休業してね」 「俺はまた、孫……じゃあなくっ。薫もおめでとうだぜ」 じとりと見やる薫をゼロがしどろもどろで祝い、くすくす笑うルシールとリーディアに柚月は首を傾げた。 「なんて名前? なんて呼んだらイイのカナー?」 「暁春さんに明煌さん、です。二人共とっても可愛いですが……お母さんは大変だと、身に沁みているところです」 「暁春さん、明煌さん……良い名前ですよね」 「うんっ。僕は柚月、よろしくねっ!」 ゼロが寝かせた暁春へ柚月が名乗れば、小さな手が宙を掻く。 「可愛いです……ほっぺは、きっとぷにぷにで……」 「ぜひぜひ、触ったり抱っこしたりもしていただきたいのです」 「では、お言葉に甘えて」 リーディアが抱く明煌の頬を人差し指でそっと突っついたルシールは、ほんわりと表情を緩めた。 「私の名前も光にちなんでいるそうで、なんだか親近感がわきますね」 「リーディアさんに似て、可愛い双子よね。一応子育てに関しては先輩だから、解らない事があれば訊いて頂戴」 「ありがとうございます、薫さん」 そんな和やかな会話に二間を隔てたふすまが開き、『客人』が顔を覗かせる。 「えと、お茶の用意とか……する?」 「座っていろ、津々。差し出がましい」 「あら……」 たしなめた聞き覚えのある声に、薫は奥の部屋を窺い。 「元重さんに津々さん、お久し振りね」 「嵩山殿、その節は世話になり申した。歓談のところ、不肖の妹が無礼を」 声をかけられた元重は深々と頭を下げ、片袖が垂れた。僅かに薫は表情を曇らせるも、面を上げるよう明るく促す。 「律儀に覚えていてくれたのは光栄だけど、肩が凝るわ」 「かたじけない。御凪殿にも、みっともないところをお見せしてしまった」 「こちらは気ままな独身。挨拶のつもりで立ち寄った先に、見知った顔があっただけの事だ。それに誰かいれば、落ち着いて話も出来るだろうからな」 詫びる元重に、同席していた御凪 祥(ia5285)は構わず。 「で、話は」 「ついた様に見えるか?」 「だよな」 祥から問い返されたゼロは肩を落とし、そこへ軽い足音が階段を駆け下ってきた。 「ケロリーナちゃん、急ぐと危ないよ?」 「平気ですの。お二階の掃除が終わりましたの〜!」 注意する静雪・奏(ia1042)に返事をし、ぴょこりと階段から顔を出したケロリーナ(ib2037)はスカートをつまんで膝を曲げる。 「お、早かったな」 「一緒に掃除した子達、段取りが良いですの」 「物も少なかったからね」 ケロリーナと奏が手招きすれば、子供らも首だけで挨拶した。 「にゃ、子供いっぱい! ゼロの隠し子?」 「隠し子さんを入れて、十四人……とっても子沢山、ですね」 かくりと小首を傾げた柚月に、ルシールも指折り数え。 「俺が幾つの時の子だっ。縁あって、俺達の子になっただけだぜ」 焦りるゼロが事情を話せば、ころころと二人は笑う。 「ゼロのいもーとさんとおとーとさんもいて、ヒト、いっぱいで賑やかで。これは楽しい年越しになりそーだねっ! でも、大掃除は終わっちゃったのカナ?」 「終わったのは二階で、一階はまだだよ」 奏の一言で、消沈しかけた柚月の瞳が輝いた。 「じゃあ、これから家探し……けふん、掃除だね!」 「待て。てめぇ今、なんて言いやがったー!?」 慌てふためくゼロの大声は外まで響き、ちょうど戸を叩こうとしていた手が止まり。 「なんか……ちっとも変わってねぇ、な」 呆れつつ安堵しつつ、気を取り直して組子を打てば、すぐさまカラリと戸が開く。 「……よ。元気してたか?」 顔を出した相手へニッと笑って挨拶をすれば、何度か瞬きをしたゼロは親友の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。 「ちょっ、お前いきなり!」 「うっせぇ、てめぇこそ元気にしてたか。ちぃと立て込んでるが、遠慮なく上がりやがれ」 「あ、うん……お邪魔、します」 会釈をして有栖川 那由多(ia0923)が敷居をまたぎ、再び元重は津々と向き合う。 「このまま我を押し通す気か?」 「我が侭だけで、三根への輿入れが嫌と言ってる訳じゃ……」 津々は語尾をすぼめながらも、主張を曲げず。 「え……津々さん、お嫁に行くんだ!?」 早々の予期せぬ話に、思わず那由多も仰天する。 「それで、二人は神楽に?」 「ちぃとあってな……元重、埒が明かねぇぜ。皆、俺が世話になった連中だし、事情を話すのも手だと思うが」 しばし元重はゼロを睨んだ末、重く嘆息した。 ●義と疑 「また、難しい話だよね」 顛末を明した元重に奏が茶を出し、苦笑する。 「しかし随分と踏み込んだ話でしたが、よかったのでしょうか? その、天見家とゼロさんのお話など」 かいつまんだ程度だが、捨てた素性や最近の天見家との経緯を語ったゼロに、ルシールの方が申し訳なさげな顔をし。 「これも何かの機会だ。すぐに理解は出来ねぇだろうが、子供らにも話すつもりだった事だ。家族だからな」 夫の返事にリーディアがそっと窺えば、子供達は神妙に四角く正座していた。特に利発な年長の子らは、只事でないと察したのだろう。 「子供……? え、お前の!?」 目を丸くした那由多から凝視され、けふんとゼロは咳払いをし。 「リーディアが生んだのは双子だけだが、こいつらも縁あって俺の子になった」 「そっか……おめでとう、な。祝いの品とか、何もねぇけど……祝いの心を置いてくさ」 「何もなくねぇぜ。その言葉、俺には何よりの祝いだ」 照れくさそうに頭を掻くゼロの袖を、くぃと柚月が引く。 「むずかしーコトよくわかんないし、ゼロのうちのコトもよくわかんないケド。明日には新春、めでたい時期だからさ。困った顔とか悩み顔じゃ勿体ナイじゃナイ?」 「お、おぅ?」 「大人の困った顔が、子供に移らナイとイイなって思うよっ」 「そうだな。すまねぇが、遊び相手になってくれるか?」 「うん! じゃあ、笛聞いてくれる子はいるカナ〜?」 嬉しそうに柚月は小さい子から順に誘い、揃って縁側へ席を移した。 「家の者でもない私達が、差し出がましいかもしれないし。私の老婆心で言える事は然程多くはないけれど……」 幼い背中を薫が見送り、次いで天見の兄妹へ視線を向ける。 「人は生きる限り、変わり続けなければならない。それが幸であれ不幸であれ、永遠不変の存在なんてものは有り得ないものよ。此処に居る天見の面々を見れば、それがよく分かるわ。津々さんも、そうした時期に差し掛かっているのかも知れないわね」 「薫さんの仰る通りかもしれません。それでも、嫁ぐ気など……」 「津々さんの縁談……随分と急に思えますが、そういうものなのでしょうか? 津々さんなら、三根との絆を結ぶ助けとなれそうではありますが」 口ごもる津々に、双子をあやすリーディアがこそりとゼロへ訊ねた。 「両家の利害が一致すればな。基時なら、黙って先に話を整えたのかもしれねぇが」 「津々さんが縁談を拒む理由って、何ですか? あ、単刀直入過ぎて、お姫さんに失礼だったら……すみません」 言ってから、那由多は踏み込んだ問いを謝った。 「でも医を学ばれていたから、その道に進みたいのかな、とか。あるいは別に意中の方がいらっしゃって……とか、理由があるんじゃないですか」 「それは……」 少し顔を赤らめた津々は視線を泳がせ、わたふたと那由多が両手を振ってうろたえる。 「あの、差し出がましくて、すみませんっ。でもきっと、兄上方も汲んで下さいますよ。大晦日に神楽まで出てくるほど、貴女を大切に思っていらっしゃるんですから」 「せめて相手と会ってみるくらいはいいと思うけど、津々さんの気持ちとしてはどうなのかな?」 そこが肝心だと、本人の意思を奏が確かめる。 「もし那由多さんが言うように、既に心に決めた人がいるなら……正直にそれを、領主様や元重さんに伝えたら」 「私には立派な志などありませんし、懸想をしている殿方もおりません。ただ他家へ嫁ぐ気はない、それだけで」 堂々巡りな問答を静観していた祥が、大きく息を吐いた。 「確かに、埒が明かないな。どうだろう、俺を共に少し散歩しないか?」 「え? えぇっ!?」 返答を待たず祥は手を引き、戸惑う津々に構わず部屋を横切り。 「元重が付いてくるかもしれないが、振り切って逃げればよかろう。預かる代わりに預けるぞ、ゼロ」 「応よ」 帯びていた舞靭槍をゼロに寄越し、そのまま祥は二階家から出る。 「待て、津々!」 咎める元重は膝を立て、それをゼロが遮った。 「息抜きもさせてやれ。それより津々が家を出て、基時は大丈夫なのか?」 「それが気がかり故、俺も早く屋敷へ戻りたいのだ」 苛立つ様子にルシールも膝の上で拳を握る。 「数多ヶ原の安泰を思えば正しい縁談、なのかもしれません。そして正しいからこそ、神楽まで来てしまったのかな……とか。でも津々さんも、お家の方に説明は必要と……私感ながら思います」 喉元に引っかかっていた事を明かしてから、小さく彼女は苦笑い。 「私も貴族の娘ですから、他人事でもないのですけれども……」 「そうね。元重さん、一つお願いがあるのだけれど……縁談の是非に関わらず、三根家へ直行するのは堪忍してあげられないかしら?」 薫の案に、当然元重は渋い顔をするが。 「武家の娘が他家に嫁ぐ事がどういう事か、私にだって分かるわ。今生の別れといかずとも、お互い納得のいく形にすべきじゃなくて? 仮に決断しても、その程度で揺らぐ決心なら長続きはしないわよ」 逆に論を解かれ、渋面で唸る元重に奏も頷く。 「津々さんだけでなく、元重さんも少し気分転換をした方がいいよ」 「元重おじさま。けろりーな、基時おじさまや基宗ちゃんの事をお聞きしたいですの〜」 「そうですね。今年は寒いとか……ほんの些細な出来事でも、近況を知れたらいいなと。あと育児の参考に基宗さんの様子も知りたいのですが……基時さんがお元気かも」 訊ねるケロリーナにリーディアも話題を変え、縁側からは軽妙な笛の音が聞こえてきた。 ●道の先 「随分、久しぶりだな。出奔したと聞いたがゼロの妹だけはある」 「それは褒め言葉です?」 「どうだろうな」 見上げる返事に祥が濁し、津々はくすと笑った。それから茶屋の娘が置いた甘酒の器を両手で包み、湯気を吹く。 「女性を連れて、どこかへという事が余りない故……適当な場所を案内する事も、儘ならんが」 「いえ。神楽は何もかもが城町と違い過ぎて、それだけでもう」 「だが基時さんといいあんたといい、いざという時の度胸は大したもんだ。それでも何故このような事までして、婚姻を拒否するのか。俺も氏族の出故、婚姻の重要さは分かるがな……だからと言って、意に染まぬ婚姻をむざむざ見過ごすことも出来ん」 ゆるりと津々は首を左右に振り、苦笑を浮かべる。 「お言葉だけでも、有難く」 「嫌だという他に懸念でも有るのか? ただの開拓者風情が如何ばかりの事が出来るかは分からんが」 「心配、なのです。次の薬係もいないのに、案ずる必要はないと兄様が」 「成る程な」 そこで沈黙が落ち、不意に津々が話を変えた。 「それにしても、基近兄様の周りは頼りになる方々が集って……不思議ですよね」 「単に心配性と節介焼きと、お人好しが多いだけだ」 「御凪様は、その何れに?」 「さぁな」 短い祥の返答に再び津々は笑み、ぶらんと足を投げ出す。 「あ〜あ、私も男に生まれたかったな……ただの詮無い愚痴ですが」 やがて祥が席を立てば、黙って津々も続いた。 「お前も久しぶりだ。息災で何よりだが……災難だったな。年の瀬に、国を出るなどと思わなんだろう」 茶屋の脇を通る際に労えば、陰で控えていた供の三枝伊之助が頭を垂れる。一年半程ぶりになる少年の巻き込まれ具合に祥は少々同情しながら、長屋への道を引き返した。 「しかし、長い留守だったな」 「実は初夏の頃に実家で騒動があって、さ。家とか面倒くせぇけど色々やって、気がついたら冬だった!」 「てめぇも頑張ってたんだなぁ」 端折った説明にも、嬉しげなゼロは那由多の頭をわしゃりと撫で。 「ゼロ! 掃除してたら見つけたんだけど、コレな〜に?」 「そりゃあ、隠してた祝言の時の……!」 悪戯顔の柚月からゼロは慌てて版画絵をひったくり、赤子の傍らでリーディアが笑う。 「この後は皆で年越し蕎麦かしら」 「そうだね。やあ、おかえり」 黄昏時に戻った二階家は大掃除も済んだらしいく、段取りを話していた薫と奏が二人に気付いた。 「薫さん達のお陰で、元重さんが譲歩してくれたよ。縁談は一先ず預かり、城町へ戻るって」 「良かったな」 「ありがとうございます!」 見やる祥に津々は安堵し、一同へ深々と頭を下げる。当の元重は難しい顔を崩さなかったが。 「公の報告で聞き及んだのみで、天見のお家の事も初見の私が意見出来る事でも無い、のですが……ただ、アヤカシに関してならば例え小さな予兆でも、見逃して良いものは無く。『布』や『虫』……顔無、でしたっけ。それを象徴する物には気を払うべきかと。最近まで『赤い石』のアヤカシを追っていた私の雑感、です」 「けろりーなも、虫が逃げ出すお話を聞いたですの。もしかしたら虫さんが縁の下から逃げたくなるようなモノがあるかもなので、巫女さんが調べた方がいいと思うですの」 「承知した。助言、感謝する」 ルシールとケロリーナの気遣いに、真摯な表情で元重は礼を告げた。 「いずれにしても。良い新年を、迎えられますように」 「けろりーなは十四歳になりますですの。えへへ〜、大人ってたのしみですの〜」 「楽しみですね。新年を迎えたら、皆で初詣に参りましょうか」 リーディアの提案に、軽やかな足取りの柚月が子供らを舞いに誘い。 「皆で賑やかに年明けだね。来年もイイこと、皆にいっぱいありますよーに!」 そして明るく澄んだ笛の音は旧い年の邪気を祓うかの如く、夜空へ広がっていった。 |