生死、憤る
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/10/10 19:40



■オープニング本文

●出立前
「頼みがある」
 神楽の都の一角にある、開拓者長屋。
 いつになく神妙な表情で崎倉 禅(さきくら・ぜん)へゼロが切り出したのは、まだまだ蒸し暑い九月の夜だった。
「天見の様子を、見てきて欲しいんだ。俺は面倒事があって、動けねぇから」
 無論、報酬は払う、と。
「それならば、面倒を片付けてから行けばよかろうに」
「それは……無理だ。俺が行ったんじゃあ、また厄介なのを呼んじまうかもしれねぇからな」
「それが本音か」
 苦い表情の下から噛み締めた言葉に、崎倉もまた苦笑する。
「単なる杞憂だったら、それでいいんだけどよ。ま、俺が行けば、大なり小なり騒がすのも確かだ。だからコッソリ城町の様子でも伺ってくれれば、それでいいさ。顔が通ってりゃあともかく、てめぇじゃあ、天見屋敷を訪ねても門前払いだろうしな」
「案じるまでもない。元より、風来歩きを主とする身だ。そのついでに、足を延ばすだけの事……なぁ、サラ?」
 名を呼べば、部屋の隅で藍一色の仔もふらさまを転がしていた少女サラが、じっと男二人を見つめた。
「すまねぇな。他にも気になる奴もいるだろうから、ギルドで声はかけとくぜ」
 杯に残った酒をひと息にあおると、ゼロはのそと立ち上がる。
「ただ……重ねて言っておく。天見に近付き過ぎるなよ」
 鋭い眼差しをきろりと投げた若いサムライに、付き合いの長い中年男は杯を軽く掲げた。
「忠言、感謝する。依頼の方は気をつけてな」
「応よ。ちっと狭っ苦しい場所で面倒だが、掃除してくらぁ。んじゃあ、馳走になった」
 ぐるぐると腕を回し、からりと笑いながら礼を言うと、草履を引っ掛けたゼロは戸を閉める。
 後姿を見送った崎倉は、静かに自分の酒を口へ含んだ。
「では、久方ぶりに出かけるか。このところ、佐和野村の他へは足を運んでいないからな。とはいえ」
 あまり、のんびりと歩ける旅ではなさそうだ……と、独り愚痴てから、揺らめく行灯の明かりが作る陰へ不意に眉根を寄せる。
「あいつは絶望せん。絶望を越えるため、百の手を考える。
 それがダメなら、百と一の手を。
 それすら届かぬなら、状況を全力でブッ壊しにかかる……それが例え、自分すら破壊する結果になっても。
 必要とあらば、躊躇わず選び取るだろう、な」
 誰に聞かせる訳でもないが、ぼやきにも似た呟きを崎倉は落とし。
 返事の代わりに、「もぅふ〜」と仔もふらさまが大きな欠伸をした。

「過去を捨て、名を捨てても……ままならねぇよな」
 晴れた星空を仰ぎ、ぽつりとゼロがこぼす。
 とうに縁を切って久しい、天見の家。
 にもかかわらず、ここ二年は何かと数多ヶ原から因縁が絡んでくる。
 今の当主である兄、天見基時(あまみ・もととき)は病弱だが、未だ健勝であるか。
 死に致りかねない深い傷を負った弟、天見元重(あまも・もとしげ)はその後、どうなったのか。左目左腕と引き換えに一命を取り留めたとは聞いたが、自分より根っからの武人たる元重にとっては、さぞかし辛い事だろうと憂う(うれう)。
 物騒な知らせがないなら、何より無事だという格言もあるが。
 無事の程度もまた、気になるものだった。
「全く。ままならねぇもんだぜ」
 大きく嘆息してから、ゼロは長屋の一角にある二階家――彼が守るべき妻子の待つ我が家へと、足を向ける。
 ちりり……ん、と。
 何処かの軒下につるされた風鈴が、過ぎる夏を惜しむように涼しげな響きで鳴った。

●城町の宿
 それから数日後の夜、数多ヶ原の中心である城町に着いた崎倉は早々に宿を取った。
 やがて仲居が夕食の膳を運んでくると、サラと仔もふらさまが遊ぶ様子を微笑ましげに眺める。
「お客さんは、どこからの旅人だい? 今年の夏も暑かったけど、子連れの旅は難儀だろうに」
「旅をしていれば、ひと時の涼もあるからな。難儀といえば、春先にこの国で騒動があったと聞いたが。治めるお家の方は、今はどうなんだ?」
 仔もふらさまも含めた人数分の膳を並べる間、同じくらい口も忙しかった仲居に、それとなく崎倉は天見家の話へ水を向けた。
「天見のお屋敷の方々かい?」
 急須を手にした仲居は、茶を入れると悩ましげに嘆息する。
「当主の基時様は、今年早々にお世継ぎが生まれてね。これで天見のお家も安泰……と思いきや、弟の元重様が取り調べていた謀反人に命を狙われて、大怪我をされたとかで。城町中の医者や巫女が呼ばれて、大騒ぎになったもんさ」
「それは大騒ぎだったろう。で、一命は取り留められたのか?」
「そりゃあ、ね。でも片目と片腕を失くされたとかで……元重様もお辛かろうけど、基時さまはもっと心を痛められたろうねぇ」
「武人であったなら、尚更だろうな」
「なんせ、腕が一本だけになっちまったもんだから。弓も引けず、槍も持てず、太刀も抜けないとかで、大そう塞いでおられたそうだよ。結局、今は脇差一本が頼りとかで……どうされるんだろうねぇ」
 ほぅと我が事のように重い息を吐いた仲居は、それから長居をした事に気付き。
「膳は、後で下げに来るから」
 そう言い置いて、慌ただしく部屋を出て行った。
「ふむ。いろいろとあったようだが……とりあえず、喰うか」
「もふふっ」
 文字通りころころと転がるように、嬉しげな仔もふらさまが傍らへ移動し、サラも自分の膳の前に座る。
 天見家と面識のある者ならば直に天見屋敷へおもむき、ご機嫌伺いも出来るだろう。
 だが崎倉は天見家と縁がなく、天見屋敷を訪ねても門前払いを食らうのが精一杯だ。それならそれで、城町の噂をぶらぶらと聞き集めようか算段しながら、崎倉は箸を取った。



※参考資料/天見家直系一覧(天儀暦1012年8月現在)
 父:天見基時‥現当主
  長男:基宗(0歳)

 父:天見基将‥前当主・死去
 母:初‥本妻・死去
  長男:基時(27歳)‥現当主
 【長女:佐保‥他家へ嫁いだ後、死去。享年22歳】
 【次男:基近‥現在のゼロ(24歳)】
  次女:津々(18歳)

 母:千代‥後妻・存命
  三男:元重(20歳)
  四男:元信(15歳)
  五男:元定(12歳)
  三女:竜田(12歳)
  四女:白(10歳)
  六男:元盛(7歳)


■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179
20歳・男・巫
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
水月(ia2566
10歳・女・吟
各務原 義視(ia4917
19歳・男・陰
劫光(ia9510
22歳・男・陰
リーディア(ia9818
21歳・女・巫
アグネス・ユーリ(ib0058
23歳・女・吟
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫


■リプレイ本文

●城町情景
「いらっしゃい。何をお探しで?」
 小間物屋で足を止める各務原 義視(ia4917)へ、人のよさげな壮年の男が声をかけた。
「えぇと、嫁に土産をと思って……何がお勧めですか?」
「お客さん、遠来から来られなすったか? そうですねぇ、この艶紅はいい紅の色をしてますよ。他には髪を梳く木櫛に、飾るなら塗り櫛。後は簪(かんざし)飾りの細工ですかねぇ」
 品はどれも山野で取れる物が多く、作りは丁寧だが神楽の上品と比べれば細工や柄は素朴だ。
「ところでご主人、人の通り自体がどこか侘しく思えますね」
 義視の後から来て、根付や飾り物を見ていた客――六条 雪巳(ia0179)が何気ない風で聞いた。
「そうですね。見ている感じ、他の国より自由な空気はありますが」
「へい。町の安全や商売の取り締まりも過度でなく、いい国ですが……」
 調子を合わせる義視に主は口ごもり、鏡を選んでいた娘の一人が口を開いた。
「去年の夏、町にアヤカシが出たんですよ」
「アヤカシですか」
 詳しい事情を知る雪巳だったが袖で口元を隠し、柳眉を寄せる。
「夜更けに群れで不意を襲って、町の人どころか屋敷仕えのお侍さんまで……」
「当主様はすぐ、町の人全部をお屋敷へ逃げるよう計らって下さったんだよ」
 平らな布包みを胸に抱いた別の娘が、勢い込んで後を継いだ。
「屋敷というと、天見家ですか?」
 こそりと義視が訊ねれば、店主は頷く。
「昔っからこの国は、アヤカシがよく出やす。天見の方は代々、自ら討伐隊を率いて退治をし、儂らの暮らしを守って下さったんだが」
 暗い表情で男が濁し、首を傾げる雪巳へ娘達が寄った。
「でも討伐隊の筆頭でいらした元重様が、賊に襲われて大怪我を。だから皆、またアヤカシの群れが出たらと怖がっています」
「それは難儀な。皆さんも、どうかお気をつけて」
 合わせる雪巳はにっこりと微笑み、秋波を送る娘らをよそに小間物屋を後にする。消沈して去る娘らを見送り、主は嘆息を一つ。
「御当主は病弱、残る方もお若く、兵もおらず。行く末を飲み仲間で案じてましてねぇ」
「早く安泰となればいいですね……ああ、貝殻の器の艶紅と木櫛をいただいても?」
「へい、ありがとうございます」
 選んだ品を受け取った義視は、「そうだ」と付け加える。
「良ければ贔屓の居酒屋を、教えてほしいのですが」

「そうかい、今年は豊作になりそうか。良かったなぁ」
 小さな神社の境内で遊ぶ町の子供らの声を聞きながら、崎倉は蒸かし芋売りに芋二つ分の小銭を渡す。
「喰うか?」
 湯気の立つさつま芋を二つに割り、まずは水月(ia2566)に差し出した。
 目礼した水月が受け取ると残りをサラへ渡し、残る芋は仔もふらさまの前へ置く。
「町は大変、みたいですけど……?」
 熱い芋を吹く水月は小首を傾げ、芋売りは「だなぁ」と腕組みをした。
「でも当主様は年貢は増やさず、アヤカシ用心の見回りを増やしたそうな」
「……?」
「町はどうするんだって顔だな、お嬢ちゃん。その時には町人含めて屋敷に立て篭もり、風信機で開拓者を頼むそうな」
「騒ぎの以後、町の者は増えたのか?」
 更に崎倉が問えば、男は肩を竦める。
「なにせ田舎の小国、暮らすにはいいが一旗揚げるには……あんたは子連れで仕官希望かい?」
「いや、俺はただの旅人だ」
 世間話の合間、ふと気配を感じた水月が見れば、遠巻きに集まる子供らと目が合った。訴える視線は手元の芋に注がれ、苦笑した崎倉は財布を探る。
「人のいいこって。ガキども、旦那が芋を馳走して下さるそうだ。ただし半分子だぞ!」
「わぁい!」
「おじちゃん、ありがとう!」
「ところで。坊主達は最近、おっかない人とか見てないか?」
 財布を仕舞う崎倉に、受け取った芋を頬張る子供らは一様に頭を振った。
「えぇと……ありがとうなの〜」
 しばし話をした後、水月は『笑顔』で礼を言い、芋売りや子供らと別れる。
 その後も長屋や市場へ足を運びながら城町の中心まで戻ると、賑やかな広小路に面した茶屋で休む少女に気付いた。
「崎倉さん……歩き通しも疲れますから、少し座って休憩したいの……」
 ……別にわたしが食いしん坊なだけじゃないの。きっと仔もふらさまもわたしの味方、自分も食べたいって言ってくれるの。あの人も休んでいるから、きっとちょうどいいの。
 袖を引かれ、語る視線に崎倉が仔もふらさまを見れば、期待の眼差しで尻尾をもふもふと振っていた。

「あ、皆さん。休憩ですか」
 相談が耳に届いていたのか、三人に柚乃(ia0638)が会釈をする。
「そちらはどうだ?」
 首尾を聞く崎倉に、町行く人へ柚乃は目を向けた。
「町の人、皆さん天見の人達を心配しているみたい。怪しい人は見てないです」
 柚乃に水月がこくりと首肯し、小さく言葉を付け加える。
「入り込めない……かな?」
「新しい商いや仕官を志す人が多ければ別ですが、人の数自体が少ないので目立ちますよね。でも人の少なさも、町の人の不安になってるみたい」
 町を歩き、茶屋で座っているだけでも、いろんな声が柚乃に聞こえていた。大半は天気や心配事など、他愛もない事だが。
「じき、日が暮れるな」
「では散策しながら、戻りますね」
 魚や野菜を売る棒手振りの声が喧騒に混じり、挨拶をして柚乃は先に茶屋を出た。

 各々が部屋で晩飯を済ませた頃、つける者がないか注意しながら劫光(ia9510)が宿に入る。
 彼に加えてリーディア(ia9818)とアグネス・ユーリ(ib0058)、そしてケロリーナ(ib2037)の四人は天見家との縁もあり、天見屋敷に赴いていた。
「さすがに基時と会えなかったが、元重に話が出来た……というか。今は、津々が兄の役を代わっているらしい。他、商人の出入りや家臣達の様子など、半日ばかり様子を見たが、妙なところはなかった。ただ、人は足らないようだな」
「屋敷でも、新たな仕官の話はありませんか」
「柚乃の聞いた話でも商人さんが少ないみたいです、雪巳さん」
 今度は町を探った者達が、順繰りに様子を説明する。
「城町騒乱のせいか、元重自身が謀叛した件はうやむやになったか」
 考え込む劫光へ、重々しく義視が首肯した。
「元重さんに大怪我をさせた者が首謀者と、考えているのでしょう」
「それだけ、町の人の信頼が厚いの……」
 水月もこくりと髪を揺らし、小さな欠伸を袖で隠す。
「眠そうだな。お開きとするか」
「明日は安康寺へ行きますね。巫女として、ぜひ足を運びたく」
「雪巳さん、柚乃も一緒にいいです? 今は吟遊詩人の修行中だけど……」
 口ごもる柚乃に雪巳は首肯し、義視と水月も町を回る旨を確かめる。
「こちらは基時と会う予定だ。無理はさせられないがな」
 それで話は仕舞いとなり、そのまま劫光は宿に泊まった。

●一軒の茶店
 翌日、人払いをした座敷で天見基時は四人の客と顔を合わせた。基時の脇に侍女が基宗を寝かせると、一礼して下がる。
「基宗ちゃん、大きくなったですの〜っ。もふらさまのご加護で健やかに育ってほしいですの」
 目を輝かせたケロリーナが、早速もふらのぬいぐるみともふらさまのお守りを名付け子の傍らに並べた。
「ありがとう。昨日はすまなかったね、遠路はるばる来てもらったというのに」
「何かと知らない仲でもない、お世継ぎの顔を一度は見たいって思ってね。それは俺だけじゃあないが」
 胡坐を組んだ劫光は、苦笑混じりに友人達へ目をやった。
「あの……基宗さん、抱っこしてもいいですか?」
 ドキドキしながら、リーディアは赤子と基時を交互に見る。
「そうだね、身体に障りがないのなら。君も懐妊おめでとう」
「ありがとうございます。ずっと機会があれば……って、思ってたのですよ」
 そっと基宗を抱くと、赤子は小さな手をもそもそ動かした。凝視する眼差しと目が合えば、自然とリーディアの表情も緩む。
「可愛いよねぇ。ね……私も、抱いていい? 扱いは、慣れてるから心配しないで♪」
 訊ねるアグネスに「勿論」と基時が応じ、抱き役を交代したリーディアはほわほわと近況を報告する。
「そういえば最近、十二人の養子を迎えたんですよ」
「十二人も?」
「はい。大家族は憧れだったので、とても嬉しいのです」
 話が盛り上がる一方、眺める劫光には基時が更にやつれて思えた。
「基時おじさま。いざという時の守り手として、からくりを育てて武術教えるのは駄目ですの?」
 ケロリーナの提案に天見家当主は小首を傾げる。
「からくり? 噂に聞いた事はあるが」
「はい。引換鍵もありますの」
「う〜む……心遣いは嬉しいが、でもそれは危険な地へ赴く君達の助けとなった方が良いね」
 やんわり辞退をした後、基時は軽く咳きをした。
「風邪ですか? すみません、休んで下さいね」
「相すまない。夫君と子供達には、よろしく伝えておくれ」
 四人が座敷を辞去すると、廊下で待っていた元重が不意にリーディアを指差した。
「この女、しばし借りるぞ」
「は?」
「えっ?」
 予期せぬ言葉に劫光が呆気に取られ、当の本人は目を瞬かせる。
「駕籠(かご)を用意させる。心配ならば供をしろ」
 言い置いて元重は部屋を後にし、残された四人は顔を見合わせる。
「考えがあるんだろう。屋敷の留守は俺に任せて、ケロリーナは元重を頼む。アグネスはリーディアの事があるからな」
「お願いしますの〜」
 劫光の案に、束ねた髪を揺らしてケロリーナが了解した。

 駕籠が止まった場所は、一軒の街道脇の質素な茶店の前だった。
「大儀だ。皆、帰りまで休め」
 元重は駕籠かき達を労い、スカートに気をつけてケロリーナが外に出ると。
「ふわぁ……」
 一面の田では稲穂が秋風にそよぎ、数匹の秋茜が滑るように飛んでいた。
「これは元重様、お久しゅう御座います」
 茶店の主人らしき老人が深く頭を下げ、奥から出てきた老婆も負けぬくらい腰を曲げる。
「そう、かしこまるな。父上や初(はつ)様が好きだった団子を遠来の友に賞味させたく、立ち寄っただけだ。堅苦しいのはナシにしてくれ」
「それはそれは……」
「身重のお嬢さんは、こちらへお座り下さいな。すぐ、暖かいお茶を用意しますからね」
 老婆はリーディアを気遣い、風の当たらぬ日なたの席を勧める。
「じゃあ、お言葉に甘えて……リーディア?」
「あっ、何でもないのですよ。ありがとうございますっ」
 何故かぼーっと老夫婦を見ていたリーディアはアグネスの声で我に返り、急いで礼を告げた。
「どうかしたのか?」
「あの老夫婦は、兄上の母君、初様の御両親なのだ」
「じゃあ、ゼロおじさまの?」
 驚いたケロリーナは慌てて自分の口を手で覆い、そこへ老夫婦が人数分の茶と団子やお萩の盆を運んできた。
「いただきます」
 お萩を一口かじったアグネスは、何度か目を瞬かせる。
「美味しい……」
「はい、とってもっ」
「神楽の茶店に負けてないですの」
「ふふっ、ありがとうねぇ。足りなければ作りますから、お好きなだけ召し上がれ」
 褒める三人に老婆は嬉しげに微笑むと、会釈をして奥へ戻りかけるが。
「あの……お爺さん、お婆さんっ。私に何か、お手伝いをさせて下さい!」
 突然に頼むリーディアに誰もが呆気に取られ、アグネスだけが忍び笑った。

 賑やかな茶店の陰で元重は長椅子に腰を降ろし、深い息を吐く。
「疲れたですの?」
 かける声を辿れば、心配顔のケロリーナが隣へ座った。
「案じるな……って、何故、泣いている」
 急に少女がぱたぱたと涙を零す理由が分からず、怪訝な顔をする元重。
「ふぇ……けろりーな、本当に心配でしたの。無事でよかったですの」
「そうか。要らぬ心配をかけた」
「要らなくないですの。苦しければ、お話を聞きたいですの」
 だが、浮かぬ顔の元重は「気にするな」と突き放し。
「これからの生き方に、悩んでおられますか……?」
 ぎょっとして顔を上げれば、リーディアが小首を傾げていた。
「貴方は、まだ生きています。なら当主を……基時さんを、支え続けられます。表から身を引いても、左目左腕を失っても、あの方の心を強く支える存在である事に変わりはないはず。強き心と志を持って、当主を、家を支える事も、武人としてあるべき姿の一つのように……って、私では説得力ないですね」
 恥ずかしげに苦笑し、彼女は皿に乗せた少し不恰好なお萩を差し出す。
「でも心さえ折れねば、戦えます。一時的に体が使い物にならなくなっても、アヤカシの喉笛に噛み付いて、食い千切ろうとしてた人もいるようですから……うちの旦那さま、ですが」
「あの男か、やりかねんな」
 皮肉る元重はお萩にかぶりつくが、すぐにむせ。
「お茶よ。そんな大口で食べるから」
 アグネスが渡す茶を飲み、ようやくひと息ついた。
「これまで天見の為に生きてきたが、今は、な。お前達に拾われた命、どうして良いか分からぬのだ」
「あんた……」
 不意の吐露にアグネスは言葉に迷い、名刀「ベイエルラント」をケロリーナが取り出す。
「心に勇気があれば、何度でも立ち上げれますの。これは片手でも扱える名刀ですの」
 だが大振りのシャムシールをしばし見つめた後、あえて元重は不遜な表情を返した。
「俺は天見の侍だ、異国の刀なぞ使わぬ。だが……そなたの心気は、受け取っておこう」
「元重おじさま……」
「休めよ。そろそろ、屋敷に戻る」
 言いつけて、片袖を風に揺らした元重は駕籠かき達に向かう。
「少しは、元気付けられたでしょうか」
「かもね。武人の元重ってあんま知らないけど、不器用そうでお堅そうで……真面目で家想いな子なのかなぁと、思ってた」
「間違ってないですね」
 即答する友人にアグネスは小さく笑う。
「そういう美点は、変わるものでもないでしょう。今は辛くて、苦しくて……悔しくても」
 やがて一行は再び駕籠に乗り、天見屋敷へ戻った。

「そうですか。安康寺は参る事が出来ましたか」
 安堵する義視に、嬉しげな柚乃と雪巳が頷く。
「はい。騒乱で亡くなられた方の墓碑にも、手を合わせてきました」
「御住職や小坊主さんは、親切な方でしたよ」
 その夜も情報交換に集った者達は、劫光が持参した甘味を囲んでいた。
「そっちは土産話が出来て、良かったな」
「まさか元重がな。後は、特に怪しい動きも見当たらず……だ」
 サラにお萩を譲る崎倉に劫光が苦笑し、舌鼓を打つ雪巳が訊ねる。
「帰りの際、茶店に寄れませんか? ゼロさんと縁ある方でなくとも、気になるかと」
「美味しいお団子、茶店で頂くのもいいですよね」
 一も二もなく柚乃が賛成し、団子を手に水月もこくこく頷いた。
「元重さんから口止めは?」
 確かめる義視に、劫光は首を横に振る。
「聞いていないな」
「それなら神楽へ向かう途上、同じ茶店で休んだ風を装えば良い話。旅は道連れ、という事でどうかな」
「成る程。土産にしたいと考えている奴もいるし」
「ゼロさんに、ですか。大所帯ですしね」
 思い起こす劫光に雪巳は微笑み、サラと仔もふらさまの口元についた餡子を拭ってやった。