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■オープニング本文 ●三山送り火 泰儀にある泰国の首都、朱春(しゅしゅん)。 その近郊には、三つの山があった。山といっても険しい山ではなく低い方だが、朱春から見て「西の劉山」「北の曹山」「東の孫山」と呼ばれている。名付けの由来はもちろん、過去にあった群雄割拠の時代に泰国を治めた三諸侯の地名からだ。 そして祭りの際は「月に観てもらうもの」として、毎年この三山で送り火が焚かれている。 送り火の図案は毎年変わり、いつの頃からか――あるいは送り火が始まった時から、既に意識しあっていたのか――祭りの長い歴史の間に三山の送り火を担当する組は、互いに対抗意識を燃やし。技を競い合う結果、それぞれの特色を持つに至った。 すなわち―― 西の劉組は、奇想天外。 北の曹組は、豪華絢爛。 東の孫組は、質実剛健。 ――といった具合である。 もっとも、競い合っても『勝ち・負け』が誰かに裁定される訳ではない。しかし歴史を紐解けば、ごくまれに「感銘を受けた時の春華王が、送り火を担当した組に贈り物を下さった」という事例が過去にあったという。 ……が、そんな歴史はひとまず置いて。 今や、月へ捧ぐ三山送り火を楽しみにしているのは猫族だけではない。 祭り見物の旅客や街の人々の評判もまた、気になるところで。三山を受け持つ各組は、年に一度の晴れの舞台に向けて、その情熱を傾けていた。 ●西の劉組、最終図案 「いろいろと、趣向を凝らして考えてくれたなぁ」 開拓者が提案した送り火の図案を書きとめた紙を手に、50代後半の虎の獣人ヤン・シューイン(楊秀英)は「ふむぅ」と感嘆の息を太く吐いた。 「開拓者さん、さすがだよね。いろいろな事を見聞きしてるせいか、物知りで……」 やや興奮気味なシュウ・ファン(周 芳)は、虎猫の獣人だ。 「それで、肝心の最終図案は出来上がったのか?」 「うん。これだよ!」 別に取っておいた図面を、ファンはヤンへ手渡し。渡してから、ちょっと不安げな顔で小首を傾げる。 「あのさ、やっぱり打ち上げたりする花火は駄目、かなぁ?」 「そうだな。元々、送り火は人が楽しむ為のものでなく、日頃は俺達を見守っている月が喜よろこんでくれるようにと捧げる炎。天へ昇り、大きな音を立てる花火では、月が驚いてしまうだろう……わかるな?」 渋い表情をしたヤンが言い聞かせれば、耳を若干へんにょりとさせたファンは黙って小さく頷いた。 「考えてくれた者達の好意は有難いし、申し訳ないが。かといって、祖先より伝えられ、代々守ってきた事を曲げる訳にもいかんからな」 それは、集った他の猫族達も異論なく。 「では改めて、今年の送り火について聞こうか」 真剣な眼差しが一斉に自分へ注がれ、椅子に座っていたファンは緊張した表情で尻の場所をもそもそ直す。 「え、と。西の劉組、今年の送り火は『変化(へんげ)』としました。もっと分かりやすく言うなら、『動く送り火』です」 「ほぅ?」 落ち着くよう深呼吸してから、ファンは図案の説明を始めた。 「炎で描くのは『お供え物の秋刀魚三尾』と『三日月』と、『空を拝む猫』。 一尾の秋刀魚が跳ねて消えれば、月は半月に。 二尾目の秋刀魚が跳ねて消えれば、月も満ちて満月となる次第です。 秋刀魚が跳ねる時は、月へ昇るように見せて……火を動かして。 月が変わるごとに、猫の目をかたどる火の色を変わります。 そして最後は満月の下で、笑顔の猫と一尾の秋刀魚という図で終わりに」 「秋刀魚のお供えは、三尾が通例だが?」 すかさず、猫族の一人が質問をファンへ投げる。 「そこは天に昇って月になる事で、お月様と秋刀魚を分けた感じ……ですね。漁期の頭は秋刀魚が不漁でしたけど、お月様にはお腹いっぱいになってもらおうと思って」 「開拓者のお陰で、今でこそ祭りも心配ないくらいの秋刀魚が取れるが。一時期は、祭り自体も危ぶまれたからなぁ」 「全くです」 つい先日の事を思い出し、猫族達は神妙な顔で頷き合った。 「でも炎の動きや色は、上手く変えられそうですか?」 「開拓者さんが色々と教えてくれたので、色の変化は何とか。材料集めも天儀の旅泰(りょそう)に依頼し、手筈を整えてあります。 でも、火を動かすには人手が必要です。そこは劉組の皆で手分けをすれば出来るよう、動かす箇所なんかを調整しました」 それ以上は、特に質問も出てくる気配はなく。 「さて。この図案、誰か異を唱える者はいるか?」 今一度ヤンが確かめても、誰も何も言わなかった。 「よし。では、今年の送り火はこの『変化』の図案で進める。ファンは作業を取り仕切れ。難しい仕事もありそうだが『奇想天外』である劉組の名に恥じぬよう、月に楽しんでもらえる送り火にするぞ!」 ヤンの野太い一声に、揃った劉組の猫族達は「おぅ!」と威勢のいい掛け声を返した。 ○ かくして劉山の山腹では、送り火作りが始まった。 絵を形作る松割木を並べて組み、そこへ上手く火を入れる為の「火床(ひどこ)」を作る。火付けは松明で、合図で一斉に行うのだ。 火を変える時は自然と消えるのを待ち、水は使わない。動かす部分は開拓者の提案にあった手筒花火を数人が抱えて運ぶ事となった。 送り火の準備は着々と進み、やがて前日。 火をつける順番を決めるくじ引きが、朱春の街で行われる。 各組の代表が箱から数字の紙を引くという形式で選んだ結果、今年の送り火は「北の曹組」「東の孫組」「西の劉組」の順番となった。 ●開拓者長屋 「御無沙汰しております。何やら子沢山になられたと聞き、使いの道すがら御挨拶に参りました」 神楽の都の一角にある、開拓者長屋。 そこの二階家に弓削乙矢(ゆげ・おとや)が訪れたのは、八月も残り七日を切ろうかという頃だった。 取り次いだ子供に呼ばれ、奥からゼロが姿を見せれば、礼儀正しく乙矢は頭を下げる。 久し振りに顔を見る弓矢師の傍らには、一夜小春(いちや・こはる)がくっついていた。身なりに頓着しない有様は少年と見まがう風貌だが、修羅の少女だという。 「お、ちょうどいい時に来た。久し振りの顔だし、てめぇも祭りに行かねぇか?」 いつもの事ながら急なゼロの誘いに、乙矢が怪訝な顔をする。 「祭り、ですか?」 「夏といえば、祭りだろ。なんでも泰国で面白い祭りがあるらしい。夏に猫族が秋刀魚祭りをやるんだが、それを朱春の都で盛大に催すそうだぜ。『家族』も増えた事だし、ちっと遊びに連れて行こうかと……そっちも、積もる話がありそうだな」 顔を覗きこむようにゼロが小春に笑いかければ、相変わらず見た目貧相な修羅の子は身を強張らせた。 小春は冬の騒動から乙矢の元で暮らしているが、どちらも己に頓着せぬ性格の為か、二人の関係に大きく進展した様子はない。 「俺の子にも、遊び方を教えてやらねぇとな」 奥の部屋をゼロがちらと見やれば、十二人の子供らが小真面目な顔で習字をやっていた。 |
■参加者一覧 / 六条 雪巳(ia0179) / 柚乃(ia0638) / 紫焔 遊羽(ia1017) / 静雪・奏(ia1042) / 胡蝶(ia1199) / 喪越(ia1670) / アーニャ・ベルマン(ia5465) / 茉莉華(ia7988) / 和奏(ia8807) / 劫光(ia9510) / 千代田清顕(ia9802) / リーディア(ia9818) / フェンリエッタ(ib0018) / アグネス・ユーリ(ib0058) / 十野間 月与(ib0343) / 无(ib1198) / ケロリーナ(ib2037) / 西光寺 百合(ib2997) / パニージェ(ib6627) / 鍔樹(ib9058) / 音羽屋 烏水(ib9423) / 祖父江 葛籠(ib9769) / 鴉乃宮 千理(ib9782) / 緋乃宮 白月(ib9855) |
■リプレイ本文 ●猫族の集会所 「お手伝いは如何ですかー?」 劉組の草庵に元気の良い声が響き、表に出たシュウ・ファンは目を丸くする。 「アーニャさん!? それに葛籠さんも!」 「お祭りも気になったけど……絶対に送り火を成功させるって、約束したから。お手伝いに来たよ!」 訪ねたのは、図案作りを手伝ったアーニャ・ベルマンと祖父江葛籠の二人だった。加えて无や鍔樹、そして緋乃宮白月ら三人も手伝える事があればと、一緒に足を運んでいた。 「手は足りているかもしれませんが、せっかくのお祭りですから。それに参加するからには、全力で頑張りながら楽しみます」 何より日向ぼっこと月が好きな白月は、ほんわりと金の瞳を細める。 「俺は白月と違って、猫族じゃあねェが。故郷の夜の漁じゃ、お月サンの明かりに世話ンなりっぱなしだったからなァ……月に捧げる炎の祭りってのも、粋じゃねーか!」 ニッと白い歯を鍔樹が覗かせ、无もまた頷いた。 「なんといっても、五百回を数える伝統の祭りだそうですから。出来れば手伝いの合間にでも、祭りに関わる話など聞かせてもらえると」 驚き、戸惑っていたファンが俯き、大きな瞳を潤ませ。 「ど、どうしよう……こんな有難い事は、ないよ〜!」 「ちょ、いきなり泣き出すんじゃないっ」 「おーい!」 うにゃ〜っと嬉し泣きする少女に、鍔樹や白月だけでなく猫族達も慌てる。 「こぉらっ。お前は大事な送り火のまとめ役だろうが!」 どら声と共に、劉組を仕切るヤン・シューインが拳骨で少女を小突いた。 「しかし自ら手伝いを申し出るとか、開拓者も変わりモンが多いな。有難くコキ使わせてもらうぞ!」 「多少の力仕事は出来るけど一応は女の子なので、お手柔らかにお願いします」 おどけた風にアーニャがぴょこと会釈すれば、荒っぽくヤンは彼女の背を叩く。 「はっは! 任せておけ」 「そういえば手筒花火って見た事あるんですけど、裸で持つのでしたっけ。そこは遠慮しておきますので♪」 「えー!?」 「えぇ〜〜っ!」 「あからさまにガッカリしないで下さい! 嫁入り前なんですしっ!」 消沈する猫族の男達に、頬を染めながらアーニャは抗議した。 「嫁入り後だったら、いいのかなぁ……?」 「よ、良くないです!」 小首を傾げる葛籠に彼女は重ねて訴え、ヤンが大笑いする。 「頼もしい助っ人も来て、気が抜けんなファン!」 「うん。他の組に負けない送り火にしてくるね!」 嬉し涙をファンが拭い、最後の仕上げに向かう者達と西の劉山へ出発した。 ●朱春の賑わい 「どない、しよ……」 待合せの場所で紫焔遊羽は一人、心細い身を抱いていた。約束の時間には早いが、先日の『しでかした事』を思えば、居ても立っても居られず。滲む視界に、感情を胸の奥へ押し込んで唇をきゅっと結ぶ。 「遊羽」 そこへ不意に名を呼ばれ、彼女は身を強張らせた。 「先に来ていたのか。待ったか?」 訊ねるパニージェに、ふるふると首を横に振る遊羽。萎縮する様子に、誘われた彼は何を気にしているのだろうと内心で首を傾げるが、ゆっくりと言葉を待つ。 「その、こないだのは……ちゃうくて……」 少しずつ紡がれる遊羽の言葉は、細く震え。 「勝手な事、あないなこと、したらあかんかったのに……か、堪忍やで、ぱにさん……」 目線を合わせず、最後は消え入りそうな声で頭を深々と下げた。 「それを、気にしていたのか」 「怒って、へん……?」 本当は嫌われていないか問いたかったが、出来る訳もなく。そんな彼女の姿がパニージェの目には、弱々しく怯えて映る。 「俺は楽しかったのだが。前の七夕も、今も」 (……ああ。「楽しい」……いや、「嬉しい」なのかもしれない) 誘ってくれた事。思いを形にしてくれた事。共に居られて、隣に居てくれる事が――。 (そうだ……嬉しい、だな。これは) 己の感情を確かめた彼は、細い手を取った。 「だから、怒ってなどいない。今日も誘ってくれた事に感謝している」 笑んで礼を告げれば頑なな緊張が緩み、一粒の雫がぱたりと手の甲に落ちる。 「……ぱにさん、おおきに」 「ん……行くか。せっかくの、遊羽からの誘いだ」 時間が惜しいとパニージェが手を引けば、赤い目で遊羽は微笑んだ。 「よーす、小春と乙矢じゃねーか。二人も来てたのか」 松明や手筒花火など最後の荷物を運ぶ途上、見かけた顔に鍔樹が声をかける。 「これは鍔樹殿、ご無沙汰しております」 「元気だったか? ありゃ小春、今日はおめかししねーで普段着なのな」 「綺麗、なの……もったいなくて」 弓削乙矢の隣で口ごもる一矢小春の頭を、笑って鍔樹は軽くぽんと撫でた。 「全く、しょうがねェな」 「小春ちゃんなら後でけろりーなが案内して、乙矢おねえさまとチーパオ着せるですの〜!」 一緒に散策していたケロリーナが縦ロールな金髪を揺らして付け加え、事情を知る顔見知りに「ああ」と鍔樹も納得する。 「見れねーのは残念だが……俺、送り火の最後の劉組で手伝いしてンだ。自分らがやってる分にゃ見えねーからよ、ぜひお嬢が遠くから全体見て、楽しんでくれよな」 少し躊躇した小春は、鍔樹の服の裾をぎゅっと握ってから手を離した。 「気をつけて、ね」 「ああ。奇想天外とくとご覧あれ、ってな」 それから見守る乙矢と鍔樹は会釈を交わしてから、猫族達の後を追う。気付いたファンも図案の作成を手伝ったケロリーナに手を振り、それから別の方向へも会釈をした。 何気なく視線を追った乙矢は、猫族を見送る友人の姿に気がつく。 「また、珍しい場所で会ったわね」 目が合った胡蝶が言葉を返せば、改めて乙矢は一礼した。 「はい。胡蝶、も……猫族の方と知り合いでしたか」 「というか、送り火の件で少しね」 ケロリーナが案内する間に、簡単に胡蝶は事情を説明する。 「それで、劉組の送り火を見物しに行くところ。鍔樹も言っていたけど、小春もどう? ここは天儀とは違った菓子があるわよ」 「……うん」 遠慮がちに小春は頷き、感謝の視線を向ける乙矢へ胡蝶は小さく笑みを返した。 「あっ、乙矢さんと小春ちゃん、久し振りに……会えて嬉しいです」 また別の方から名を呼ぶ声に振り返れば、嬉しそうに柚乃が微笑む。連れ立って祭りに来ている二人に彼女は安堵し。 「あのですね。柚乃も一緒に……」 言いかける少女の袖を、くぃと小さな指が引いた。 「……いい?」 誘うより先におずおずと小春が見上げ、笑顔で「はいっ」と柚乃は即答する。 「朱春はよく訪れる街だけど、送り火を見物するのは初めてで。だから、とても楽しみだったの」 「今から、小春ちゃんと旗袍のお店に行くですの。おめかしして、皆で送り火を見るですの〜」 「いいですね。折角の機会ですし」 予定を説明するケロリーナに柚乃も興味を示し、苦笑う乙矢の表情を見て取った胡蝶は賑わう街の風景を見やる。 「確かに、この人出は慣れないでしょうね」 『三日月は秋刀魚に似てるよ祭り』の目玉である三山送りをひと目見ようと、猫族はもちろん都の住人や泰国各地の人々、他の儀よりの旅行者などが朱春に集まっていた。 「送り火……何を『送る』のか、見ていれば判るのかな……」 そんな混雑の中、何気なく彼女らの会話を耳にした和奏が呟く。 特に当てもない彼は、人ごみでも目立つ少女らについて行った。 「凄い賑わいよね。うずうずするというか」 歩く通りには食べ物を扱う屋台が並び、香ばしく美味そうな匂いが鼻をくすぐる。 アグネス・ユーリは街の賑わいを見回し、一番しっかり者っぽい八歳の少年の腕をぎゅっと掴んだ。 「ね、親御さん方。この子借りて良い?」 十二人の『子供』を連れたゼロとリーディアへ、にっこりと訊ねる。 「え? あのっ!?」 「いいですけど、送り火が始まる前に戻って来てね」 戸惑う少年にリーディアは笑顔で快諾し、物言いたげな視線にゼロが髪を掻いた。 「アグネスも考えがあるんだろうよ。何より、守ってやってくれ」 小声での頼みも終わらぬうちに、楽しげなアグネスは「よろしくね」と少年を強引に引っ張って連れていく。 「ふふ、何しよっか。あたし、お祭り大好き!」 楽しげに引き回しそうな予感を漂わせる後ろ姿を六条雪巳が見送り、それから道中に話をしていた年上の少女二人へ微笑んだ。 「それでは、私もお願いしていいですか? 踊りの稽古に使う小物を見立てるのに、是非こちらのお嬢さん方から意見を伺いたく……送り火の前には合流しますので」 『ご近所さん』の誘いに少し戸惑う少女らを、促すようにリーディアが頷く。 「はい、お願いします」 「お付き合い、ありがとうございます。せっかくの遠出ですし、今日はのんびりして行きましょうね」 お祭りに友人夫婦と子供達が羽根を伸ばせるよう気遣う雪巳やアグネスに、感謝を込めてリーディアが手を振る。 「誘って回ろうかと思ったが、子供にご執心か」 アグネスを苦笑で見送った劫光は、最年少の少年をひょいと肩車し。 「にーちゃん、もしかしてフラレた?」 「どこをどうすれば、そうなる」 軽く足をぺちと叩けば、頭の上で五歳の男の子は悪戯っぽく笑った。 「さて、お腹が空いたりとか、ないかな? 気になる屋台があれば、遠慮なく教えてね」 残った子らに十野間月与が声をかけ、視線が合ったリーディアへ(任せて)と目配せをする。 「うちも兄弟が多いしさ、小さい子達の面倒を見るのは好きだしね」 そんな話を先に聞いていたリーディアは友人達の好意に甘え、傍らのゼロの腕へ手を回した。 「ゼロさ〜んっ」 「なっ、急にどうした。大丈夫か?」 身を預けるようにぎゅっと腕を掴めば、ゼロが驚く。 「その、ちょっと、転びそうで……」 ごにょりと照れたリーディアはお腹へ視線を落とし、小さく夫も苦笑った。 「そうだな。三人分だから、しっかり掴んでいろよ」 「ふふっ、はい」 産婆の見立てでは双子を身籠っているらしい妻を、気遣う一方で。 「ぜろり〜んっ」 もう片方の腕には、ぷら〜んと茉莉華がぶら下がっていた。 「うちも……転びそう、です……」 何事かを訴えるように、じーっとゼロを見上げ。瞳のキラキラっぷりに、ゼロは彼女の向こうにある屋台へ目を向ける。 「腹が減って、か」 こっくり。 真剣な眼差しで茉莉華は頷き、かくりと脱力したゼロが屋台の主へ揚げゴマ団子を多めに頼む。熱々の包みを受け取った茉莉華はほわほわと幸せそうな笑みを浮かべ、子供達と『戦利品』の山分けを始めた。 「そっちも喰うか?」 予期せず紙包みを差し出され、フェンリエッタは翡翠の瞳に驚きの色を浮かべる。賑やかな一行の邪魔にならぬよう、少し離れて歩いていたのだが。 「こういうのは大勢で賑やかに喰った方が、美味いんだぜ」 からりと笑ったゼロは、自分の分を口へ放り込み。 「っあ、熱っ!」 「そりゃあ、出来たては熱いだろうが」 呆れる劫光にけらけらと子供らも笑い、月与から受け取った水をリーディアが手渡す。 「こんな、餡が熱いと思わなかっただけだっ。てめぇも気をつけろよ」 「はい、いただきます」 うめくゼロにフェンリエッタは僅かに苦笑し、芳ばしい香りの包みを受け取った。 「そういえばリーディアさんにゼロ、おめでとう」 懐妊祝いを告げた静雪・奏は、足らないナニカに辺りを見回す。 「汀ちゃんは?」 「そういえば、静かだと思ったぜ」 「えっと……迷子になったみたいで、探しに」 「え?」 バツが悪そうに少女の一人が明かし、奏とゼロの目が点になった。汀がいない事に気付いた一番上の少年と一番幼い少女が、探しに行ったという。 「怒られる前に戻るって……ごめんなさい」 「怒りはしませんけど、心配はするのですよ」 謝る少女へ、リーディアは首を横に振り。 「ボクも探してこようか」 奏が申し出たその時、「ぺぺんっ」と小気味の良い三味線が足を止める。 「もし探す迷子がこの御三人なら、それには及ばぬのじゃ」 声に覚えのある者が見れば、賑わいの中で三味線「古近江」を弾く音羽屋烏水の姿があった。少年が示す先には、烏水と同様に烏の黒翼を持つ武僧が汀と二人の子供を連れている。 「子供らよ。汝らの連れはこの者達か?」 「てめぇら!」 「あたしのせいなの、ごめんなさいっ」 大声をあげるゼロに汀がしゅんと謝り、おもむろに鴉乃宮千理は袂を探った。 「そちらは、ほれ。飴ちゃんをやるから元気出し。二人にもやろうな」 「無事に親御が見つかり、よかったの。二人とも泣かぬ良い子じゃ」 千理から飴を貰った子供達の頭を烏水がぽんと撫でれば、不安げな顔がぱっと明るくなる。 「ありがとう!」 「助かりました。ありがとうございます」 喜ぶ子供らと一緒にリーディアも頭を下げ、薄い笑みをたたえる千理は神妙な空気を払うように銀髪を揺らした。 「なぁに。これも善行、善行」 「それで汀ちゃんは、どうして迷子に?」 奏に発端を聞かれた汀は、ごにょりと口篭もる。 「つい……絵のお店とか気になって」 足を止めれば一行から遅れ、気付いて探しにきた子供らと人の多さに迷い。途方に暮れた三人を通りがかった千理が拾い、覚えのある三味の音を頼りに烏水と出会った次第だった。 「絵描きさんだしね。また子供達に心配かけないよう、一緒にいかない? 汀ちゃん」 「うん」 奏の誘いに汀が首肯し、ひと安心したゼロは恩人二人へ向き直り。 「よければ一緒に送り火見物をするか? 旅は道連れって奴じゃあねぇが、子供らが世話になった礼もあるしな」 改めて、烏水と千理を送り火見物に誘った。 「あら……」 きょろきょろと物珍しげに屋台に目移りしていた西光寺百合が、混雑の中で目にした『家族連れ』に安堵する。屋台めぐりの合間に迷子らしき子供らを見かけ、案じていたのだが。 「迷子の子は親御さんと会えたみたいね」 「気にしていたのか」 訊ねる千代田清顕に小さく百合は頷き、青い瞳を伏せた。 「せっかくの楽しいお祭りに来て、心細い思いは……あっ」 引き寄せられた百合は、そのまま力強い腕に支えられる。 「千代田さん?」 「物珍しいのは分かるけど、百合も迷子にならないようにしなよ」 問う視線に清顕が互いを見失わぬようにと、華奢な手を取り。そんな彼の表情をじっと百合は見つめてから、結んだ手を控えめに握り返した。 ゆるゆると沈む夕陽が二人を、そして朱春の都を夕焼けの色に染めていき。 そして、誰もが待ち焦がれる夜が来た。 ●三山送り 「さあさ、祭りも本番! 図案考えた身となりゃ、どんな送り火見れるか楽しみじゃのぅ♪」 べべんっと三味を鳴らして烏水が囃し、ケロリーナも目を輝かせる。 「ふわぁ……けろりーなたちが考えた送り火、どうなったか楽しみですの〜♪」 日暮れに合流した一行はファンに聞いたケロリーナ達の案内で、三山の火が良く見える川縁へ集まっていた。 やがて夜闇の一角に炎が踊れば、ワァッと歓声が起きる。 「始まったみたいね」 胡蝶の声に、乙矢を挟んで桃饅頭をかじる茉莉華と小春も顔を上げた。ちなみにどちらが乙矢の隣に座るか、二人で睨めっこをした結果だったりする。 一斉に炎が立ち上ったのは、東の孫山。 まぁるい月の形を盆に見立て、三尾の秋刀魚を飾る――それはフェンリエッタにとって、見覚えのある炎の形だった。彼も誇らしく孫組の火を眺めているだろうかと、いつまでも頭を下げて感謝する絵師の姿を扇子『月敬い』に思い出す。 「去年のこの時期、猫族の方達と一緒にお祈りしたんです。秋刀魚をお供えして、ね」 「ああ、俺も去年はそうだったな……」 思い起こすゼロに、何気なく明かしたフェンリエッタが頷いた。 「でもその時は、各家庭で行う風習だと思っていたの。これ程の大舞台だったなんて……すごい」 祭の規模と送り火の威容に圧倒される彼女に、近くの屋台の主らも感心しきりだ。 「良い絵に火付けの揃い具合、実に質実剛健を旨とする孫組らしい。今年も見事な送り火だなぁ」 「これが、お月さまに奉納する篝火なのですね……猫族さんの文化に触れて、少し世界が広くなった気がします」 「ははっ、始まったばかりだぜ。これでも食べて、ゆっくり見ていきな」 呟く和奏へ、猫族の主が秋刀魚の串焼きを差し出した。遠慮なく受け取った和奏は香ばしい秋刀魚に舌鼓を打つ。 「おおー、あちらも美味そうな火だの」 同じように千理も送り火を眺めながら塩焼きの秋刀魚へかぶりつき、匂いに寄ってきた猫らが彼女の足元で御相伴に預かっていた。 「美味いねぇ。秋刀魚といや、塩焼だね。猫族も猫も猫の精霊も、大きな秋刀魚の匂いで大満足だなぁ」 「千理さんも一献いかが?」 「では遠慮なく、茶を」 賑わう間も何かと気遣う月与に、千理が頼む。途中、手伝おうとする少女らへ月与は心配無用と笑顔で指を振り、数人分の茶を回した。 「ごめん、遅くなっちゃった!」 そこへアグネスと少年が人混みを避けて戻り、ぱたぱたとリーディアが両手を振る。 「二人とも、おかえりなさい〜!」 「送り火は家族皆でって『お母さん』の希望だから、それまでには戻るつもりだったんだけど」 「まだ大丈夫だ。最初の送り火が灯ったところだからな」 おかえりと苦笑混じりに劫光も迎え、抱えていた小月餅の紙袋を少年はリーディアへ差し出した。 「これ、お土産……」 「あらあら、では家族皆で食べましょうね。それにしても、山に炎の絵が浮かぶだなんて……物凄いですよねっ」 興奮気味のリーディアに少年が首肯し、見守るアグネスはにっこりと笑む。 「徳治、皆いた?」 「うん」 名を呼ばれた少年は短く答え、迷子がない事に彼女も安堵し。 「よかった。あんた達には、ちゃんと帰る家があるのよ」 だから気負わぬようにと、言葉代わりに少年の背をぽんと叩いた。 「そろそろ、次の送り火みたいだよ!」 少し離れて奏と座っていた汀が声をかけ、誰もが北の空へ目を向ける。 「次はどんなのかな」 「花火と違って、綺麗だね」 目を輝かせる汀に奏も答え、そこへ北の曹山より二つ目の送り火が現れた。 曹組の送り火は、華の如き豪華絢爛。 黄色の三日月を月を見上げる猫の横顔に、捧げた一尾の秋刀魚を炎が描く。 飾る紫牡丹の花と緑の葉に、猫を囲んで紫色の小さな炎が彩った。 その色とりどりの華やかさに、驚きと感嘆の声があちこちより上がる。 「炎に、色がついてますよっ」 「猫族のお姫様?」 「柚乃お姉ちゃんに似てるね!」 華やかな送り火に柚乃が感心すれば、小さい子らが猫耳の飾りをつけて旗袍を着た彼女とを見比べ、はしゃぐ。 「本当? ありがとうっ」 褒められた柚乃は子供達の頭を撫でて、本物の月を仰いだ。 「お手伝いは、できなかったけど……」 曹組の成功を祈る少女は月へ感謝し、残る劉組も無事にと願う。 「月に捧げる火、なんて素敵ね」 涼しい夜風に髪を梳かれ、百合は炎を見つめていた。 少し前まで、月を見ても辛い思い出が胸を締め付けるばかりだったが。 (今は少しだけ……安心出来る、かな) 傍らの影にそっと視線を移せば、思いがけず自分を見る紫の瞳と目が合う。 「もっとよく見える所に、連れて行ってあげようか?」 答えを待たず身体がふわりと浮かび、咄嗟に支える腕を百合がぎゅっと掴んだ。驚く彼女を『姫抱き』した清顕は、無造作に川へ足を踏み出すと。地面の上と同じように、送り火の炎を映す水面を駆ける。 「〜〜〜っ!?」 どこを走っているのか、気付いた百合が声にならない絶叫を飲み込み、ぎゅむっと清顕に力いっぱいしがみつく。 「おちたらしんじゃう、おちたらしんじゃう……っ」 「絶対、離さないから大丈夫だよ」 普段はまず抱きついたりしない彼女へ清顕は笑み、一気に川を渡り切る。 「ほら、落ちなかっただろ」 幸い衆目は美しい炎の絵に釘付けで騒がれず 身を強張らせた百合を抱いた清顕が囁いた。 「こうやって二人、誰も知らない所へ行ければな……」 戻れ、と。捨てた筈の里から言い募られている己が身を思えば気は重く、ふと小さな願いが口から零れ落ちる。愛しい表情に揺らぐ陰の気配に、百合も青い瞳を曇らせた。 (……また、少し悲しそう……かな) いつも、彼は辛そうで悲しそうで……だからこそ、笑って欲しいと百合は願い。 「あ、流れ星」 「え?」 突然、月とは逆の方向を細い指が示し、驚いた彼は視線で先を追う。 「見えた? ちゃんとお願い事しなくっちゃ、ね?」 腕の中で微笑む恋人を抱きしめた清顕の、紡ぐ願いは――。 「月組良いか!」 「猫組良いか!」 「火筒良いか!」 確認の大声が点火役の間を飛び交い、中央に立つファンが大きな松明を掲げる。 カァンと合図の鐘が打たれ、无やアーニャ、葛籠が『火床』へ松明を刺した。 途端、井桁状に組んで並べた松割木が燃え上がり、辺りは昼の如き明るさとなる。 「わぁっ、凄い……!」 「それに熱い〜っ」 照らす熱と炎の迫力で、思わずアーニャと葛籠が後退った。 圧倒されるように无が周囲を眺める間にも、次の合図をファンが飛ばす。 「火筒、前へ!」 「よっしゃ、行くぞ白月!」 「頑張りますっ」 カンカンと刻む鐘に合わせ、手筒花火を縄で身体に固定した火筒組が一斉に歩き出した。鍔樹と白月も猫族に混ざり、火を吹く筒を抱えて進む。 「凄い、秋刀魚が動いてる!」 「西の劉組は奇想天外とか。大したものですね」 驚いて指差す子供らに雪巳も笑み、一緒に変化する月と猫と秋刀魚の炎を眺めた。息抜きにと雪巳が誘った少女らの耳には、彼がお礼に渡した桃一輪の耳飾りが揺れている。 「リーディア?」 ぎゅっと腕を掴まれたゼロが窺えば、傍らの妻はわたふた慌てた。 「は……つ、つい、あまりの綺麗さに感動して……っ」 「それで、泣いてるのか?」 小さく笑うゼロに指摘され、頬に零れる涙にリーディアが気付き。 「わ〜、ゼロさぁんっ。私、涙もろくなってます〜」 「しょうがねぇな」 苦笑しながらゼロがリーディアの肩を抱き寄せ、笑みを交わした雪巳や子供達は素知らぬ顔で送り火を眺める。 「見事な……綺麗やわぁ……」 炎を見惚れる遊羽に、転ばぬよう手を繋いだパニージェも頷いた。 「送り火三つ、どれも見事だな。そういえば、あの魚。秋刀魚だったか……どのような味なのだろうか? 遊羽よ、今度食わせてくれ」 「うちが? そしたら、七輪とか用意せんと。ぱにさんの為に、腕によりかけて……」 笑顔ではしゃいだ遊羽だが、急にふっと表情がしぼむ。 (我が侭……贅沢、あかんな……。ゆぅは十分に大事にしてもろとるし、「あの頃」より「幸せ」やないの……) 憂いを帯びた横顔を見つめるパニージェが、不意に身を屈めた。 遠慮がちな暖かい感触が頬に触れた途端、びくりと遊羽は身を竦める。 「ぱに、さん……?」 驚き、恐る恐る顔を上げれば、パニージェはただ笑みを返すのみだが。これで『あいこ』だ、と……そんな思いが握る手から伝わってくる気がして。 触れる温もりを、遊羽はぎゅっと握り返した。 ○ 三山の送り火が消え、祭の賑わいもひと段落した頃。 開拓者一行は彼らを探すファンの案内で、草庵へ立ち寄った。 「いや、見事な送り火じゃったのぅ。千変万華に炎が踊り、活きの良い秋刀魚が月に捧げられるようじゃ……うむっ! 人を楽しませる極意、また一つ勉強になったぞぃっ」 ぺけぺんっと烏水が褒めれば、少女は照れくさそうに尾を揺らし。 「そんな。烏水さん達のお陰で、春華王からお言葉を賜わったんです! それも三山三組の全員にですよ!」 そして誇らしげに、使者の言葉を報告する。 『今年の月敬いの儀式は開拓者の貢献が非常に大きいと聞き及びました。 素晴らしい三山送りを鑑賞出来、嬉しく感じるところです。 ありがとう。各組の方々、そして開拓者達に感謝を』 「よかったね。頑張った甲斐があったじゃない」 「はい! それで、皆さんにこれをと預かりましたので」 胡蝶に返事をしたファンは、全員へ花鞠茶「三山花」を。図案に協力した者には、加えて刺繍絵「三山送り火」を手渡した。 「動く送り火……皆さんだけでなく春華王にも楽しんで頂けて、嬉しいです」 喜ぶ白月の肩を、鍔樹がぽんと叩き。 「これから皆で、祭の打ち上げだが。どうだ?」 誘われて、断る者はなく。 祝宴もたけなわとなった頃、扇子『月敬い』を手に「祝いを兼ねた一興を」とフェンリエッタが歌い舞う。 「 月に見る 愛しいものの面影に 月仰ぐ 私の心は洗われて 月映ゆる 三つのお山にえがき出す 月想い 三つの祈りを捧げましょ 月満ちて 御覧ぜられませ 送る火を 月明かり 夜を照らして 一緒に踊ろう どうぞ 等しく月のもと 貴方に 私に すべての人に どうぞ どうぞ 幸せを 」 夜も更ければケロリーナが欠伸をし、眠気に負けた茉莉華や小春は乙矢の膝を枕に寝こけ。 窓辺の月は煌々と、祭の余韻に酔う朱春の都を照らしていた。 |