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■オープニング本文 ●名だたる彼らのお祝いに 「一緒に石鏡に行っていただけませんか?」 「はあっ!?」 いつもの笑顔――いつも笑っているように見えるのは商人としての美点だそうだ――で告げてくる三豊 矩亨(iz0068)の言葉、それがまた余りにも突拍子が無さ過ぎて、晶秀 恵(iz0117)は大声をあげた。 (いけない、素だったわ) いくら縁がそれなりに長いとはいっても相手は客だ、礼節と言うものが‥‥それにしても、また突然何の話だ。 大きな戦いが終わってから少し経つ。三豊の興味が向くようなことなどあっただろうか? いや、なかったように思うのだが。 「失礼しました。御用件‥‥詳しいお話を、はじめから、話していただけませんか」 「大きな戦が終わった後からしばらく、様々な方面で慌ただしくしていましたけれど‥‥そろそろ、皆さんも落ち着かれたのではないかと思いまして。ずっと、開拓者の皆さんを労う機会を待っていたのです」 戦が始まる前からずっと考えていたんですよ、と語る三豊の口調には覚えがある。仕事の話、特に趣味でもある服飾と調理の話をする時だ。 「開拓者の皆さんに、まだ結婚式を執り行っていない方々が居らっしゃるのではないかと思いまして。‥‥そんな皆様に、是非祝いの席を設けさせて頂きたいなと思っていたのですよ!」 やはり、前の春から興した結婚式事業の話だったかと晶秀も得心がいく。 しかしまだわからないことがある。どうして石鏡の話になったのか? かの地と言えば自分の故郷で、双子の王が‥‥ 三豊の話を整理しながら、次に続くだろう言葉を予想する晶秀。 (でも、どうして思って『いた』なのかしら) もう少し、口を挟まずに待ってみよう。 「そんなことを考え、機会をうかがっていたのですが。‥‥やんごとない方々が結婚相手を探しているというのを耳にしまして」 石鏡の双子王、五行王がそれぞれ春呼祭を切っ掛けに見合いに参加し、それぞれ開拓者達を見初めたという話は天儀にも伝わってきている。 一部、情報に語弊があるという話もあるけれど‥‥めでたい話であることには違いない。 「うちの結婚式場を売り込む、いい機会だと思ったのです」 「はぁっ!?」 二度目の大声。 「‥‥いや、いくらなんでも‥‥いえ、失礼しました」 再び踏みとどまる晶秀。 「どこまで話しましたっけ? 結婚式の時期の話ですね」 驚かれるのも無理はありません。と頷きながら話に戻る三豊。 「それで、無理を承知で、とある賭けに出たのですよ」 石鏡と五行それぞれに、結婚式を手伝わせてほしいという手紙を出したというのだ。 特に五行の方には、側近と言われるお歴々の方々一人一人に、いかに迅速に支度を整えられるか、という説明書きを添えて。 「私達の店側にしてみれば、王族の結婚式に関わったことがある、というだけで箔が付きますし、石鏡や五行の伝統的なしきたりなどにも触れる機会が得られます。手伝うというだけでも非常に価値があり、利益が得られるんです。ですから、本来必要な実費だけで、という申し出をさせて頂きまして」 なんだか突拍子もない話になってきている気がする。 「お相手の方々は皆さん開拓者さんだと聞いておりますから、もし可能であれば開拓者さんの皆さん達の結婚式も一緒に行いませんか? と‥‥これも賭けとして数えるなら二つ目ですが、手紙にしたためてみたのです」 とても、とても強引だけれど、本当に大きな賭けに出たものだ。 (でも、この話をここで、のんびりできているし、更に石鏡に行くという事は‥‥) 晶秀も、このタイミングになって状況が読めてきた。 ――先に飛びついたのは、予想していた通り五行の王、ではなく彼の側近達だった。 ――五行王が腹心達に押し切られ、それを知った石鏡の双子王も話に乗った。 (それだけで、あっさりと決まってしまったというの) 勿論実際にはいろいろなやり取りがあったのだろうが。 「流石に結婚式というのは吹っかけすぎてしまいましたが、結納とその祝宴ならば……と、許可をいただけたのですよ」 彼らは貴人だ、しきたりどおりの時間をかけて支度を整えなければならないものなのだ。 「ですが、開拓者の皆さんたちの結婚式は、問題なく行っても構わないと言っていただけましたよ」 だから安心してくださいね、などとのたまう三豊。 (数年前はただの古着屋だったはずなんだけど) 改めて依頼人を見やる。きっと生来の幸運を持っているのだと思うが、王家に直接やり取りをしても、いつも通りに過ごしている男。 「‥‥事情はわかりました。それで私も行く、というのはどうしてですか?」 筆をとって、開拓者のための募集要項を書きはじめながら改めて三豊に話をふった。 「さすがに神楽の郊外、うちの式場にご足労頂く訳にも行きませんからね‥‥ふさわしい場所があれば、こちらから出張致しますと申し上げたんです、そうしたら」 石鏡の双子王から、うちを使えばいいよと返事があったのだそうだ。 「早咲きの桜が美しい場所があるから、そこなら丁度いいだろう、という事でして‥‥うちの者も大所帯になりますし、石鏡に慣れていない者も多く。晶秀さん、石鏡出身だとお聞きしていましたから、道案内と、石鏡に向かう心構えと。お手伝いいただけたらと思いまして」 ギルドでのお仕事もありますから、早めにお願いさせていただきに来たのですよと言われ、なるほどと頷いた。 「確かに必ず石鏡出身の方が来てくださるとも限りませんしね。‥‥日程、あけておきます」 「ありがとうございます、助かります」 「‥‥では」 「はい?」 「募集の方も仕上げますから、そちらのお話の方、もう少し詳しく話していただきます、お願いいたしますね?」 手続きも色々とありますから、そう伝える晶秀に三豊も嬉しそうに微笑むのだった。 ●結婚式会場概要 石鏡 早咲きの桜が美しい庭園にて ●開拓者向け貸衣装(概要) *新婦用 「天1」白無垢 「天2」白無垢(洋風アレンジ) 「天3」色内掛 「天4」色内掛(洋風アレンジ) 「ジ1」プリンセスラインドレス 「ジ2」プリンセスラインドレス(和柄アレンジ) 「ジ3」マーメイドラインドレス 「ジ4」マーメイドラインドレス(和柄アレンジ) 「希1」キルト・ヒマティオン 「希2」キルト・ヒマティオン(和柄アレンジ) 「泰1」チャイナドレス 「泰2」チャイナドレス(刺繍入り) ※装飾(オプションの参考にどうぞ) 布製の花飾 付け替え可能な袖 長手袋 月や星デザインの真珠のアクセサリー 金属製の飾り細工 花冠 *新郎用 「天い」紋付袴 「天ろ」紋付袴(洋風アレンジ) 「ジい」タキシード 「ジろ」タキシード(和柄アレンジ) 「希い」踝丈キトン・ヒマティオン 「希ろ」踝丈キトン・ヒマティオン(和柄アレンジ) ※装飾用 胸元の花 月桂冠 ※参列者向けのものも取り揃えておりますので貸出し可能、上記に準じます |
■参加者一覧 / 志野宮 鳴瀬(ia0009) / からす(ia6525) / アルフレート(ib4138) / 月夜見 空尊(ib9671) / 八咫郎(ib9673) / 秋葉 輝郷(ib9674) / 木葉 咲姫(ib9675) / 草薙 龍姫(ib9676) / 天野 灯瑠女(ib9678) / 啼沢 籠女(ib9684) / 須賀 なだち(ib9686) / 須賀 廣峯(ib9687) / 闇川 ミツハ(ib9693) / 稲杜・空狐(ib9736) / 逢坂 覡(ib9745) / 戸隠 菫(ib9794) / 御雷 猛(ic0265) |
■リプレイ本文 ●縁の下で階の支えに 馴染みの顔も混じっている従業員達の中から、親友を見つけ出して駆け寄っていく。 「あっ、恵さん!」 ぎゅっと抱き付く戸隠 菫(ib9794)に晶秀も笑顔を返す。 「わざわざ大勢で来てくれて‥‥助かるわ」 桐、葵に楡と、菫は相棒達全員で手伝うつもりで居るとわかったからだ。 「あのー晶秀さん、それ、私の台詞だと思います‥‥」 影の薄い依頼人もひょこりと顔を出した。 「三豊さんもお久しぶり、元気そうだね」 「早速で申し訳ないのだが、これを使わせてもらっても?」 控えていた桐のもつ袋から葵と楡が取り出すのはいくつかの型。手伝いの為にと桐が作ったもので、花の形もいくつか揃えられている。勿論たくさんつくれるようにと数もあるようで、袋は随分と重そうだ。 「これは素敵ですね」 菫が考えているレシピを聞いて、三豊の笑顔が深くなる。 「是非、よろしくお願いいたします」 「‥‥これならば支障ないでしょう」 常とは違う振袖に身を包み、着くずれがないか確かめる。志野宮 鳴瀬(ia0009)は神楽でのやりとりを思い返していた。 「そんな関係ではないでしょうが」 結婚式の募集を見せられ、またいつもの冗談かと突っ返した。だがアルフレート(ib4138)は笑って違うと言ったのだ。 「ただの花見だよ?」 早咲きの桜だって聞いたからね、鳴に見せたいなって。 「ただ二人で桜を見に出かけたいんだ。少し遠出だけれど、偶には構わないだろ?」 それでは逢引ではないか。 「‥‥仕事の手伝いなら行きましょう」 会場に咲いているのだから、それで桜は見れるでしょう? (それも可愛いけどね) 晴れの日の手伝いにいつもの姿ではいけないと正装し、従業員達に混じって仕事をこなす鳴瀬を見つめるアルフレート。 給仕に追われて、こちらの視線に気づく余裕はないようだ‥‥今なら。 「三豊さん、お願いがあるんだけど‥‥」 宴席を盛り上げるための演奏、その曲調を打ち合わせる合間に混ぜ込ませるのは、愛しの君を驚かせる演出の準備だ。 もちろん仕事はきちんとこなす。でなければ彼女に、断る理由として使われてしまう可能性だってある。だからそれとは別の時間を使う形で。 「それなら、お安い御用ですよ」 合わせのお品は如何しますか、そちらならこれなどきっとお似合いに‥‥見立てを好む依頼人が本腰を入れ始める。 「そこまで手間を取らせるつもりも‥‥え?」 面食らうアルフレートを見かねた従業員が近寄り耳うつ。うちの店主の趣味も兼ねておりますから、お時間があるようなら付き合って差し上げて下さい。もちろん私共も心を込めて演出させていただきますよ。 菫達が持ち込んだ型は大いに活躍した。 透き通った蒸し羊羹の中には、桜の花と花弁をかたどった桜色、もしくは菜の花を模した黄色の羊羹が閉じ込められている。 土台にあたる部分も、これまた春を意識した蓬色。二層構造の円筒型の羊羹は見た目も完成された美しさだ。 三豊は料理の腕は玄人の割に、なぜか菓子作りにあまり明るくない。それを知っていたからこそ菫は支度を整えてきたのだ。貴人達のしきたりにある伝統の菓子を教わり、それを開拓者達にも出すことで補おうとしていた店の面々は、菫の提案を手放しに喜んだのは言うまでもなかった。 「この型、全て買い取らせていただきたいくらいですねぇ」 「あ、あははー‥‥」 算盤をはじき出して本気の商談を始めようとした三豊に、菫は少し呆れ顔になった。 まだ準備は途中で忙しいというのに、料理の話となると無駄なくらい熱意が漲る。ちょっ‥‥かなり相手が面倒。 「そういう話は神楽に戻ってからにしてくれませんか」 (恵さん、いつもこの気迫と勢いにあてられているんだな) 従業員達に頼まれ、三豊を作業に引き戻そうと苦心している友人に少し同情してしまった。 ●明るさの中で 警備を建前にからす(ia6525)が設えた茶席の周囲には、既にいくつもの酔客が寝転んでいる。 「桜の伴に一服、いかがかな」 陽も高いうちから振る舞い続けた成果はその物量で見ることができた。 純粋なる来客には普通の旨い茶を。面倒になりそうな酔客に出すのは特製の薬草茶。 「これを飲めば明日はすっきり、酔いは越さぬというものだ」 嘘はついていない。副作用で眠りを促進するというだけだ。 流石にそのまま放っておくには多くなると、手の空いた開拓者仲間に別の部屋へと運び込んでもらう。からすの体格では少々骨が折れるので。酔いつぶれたようなものなので、誰も咎める者は居ない‥‥何か起きるよりは良いと言うものだ。なにせ貴人の結婚式だって行われているのだから。 「今日の効きも良いと言うものだね」 茶でも解決しない場合は武力行使も仕方ない‥‥静かなるからすの策略は目立ちこそしないものの、効果をあげていた。 「本日は、 月様と咲様の結婚式ー! おめでたいのですーーーーよーーーー!」 参列者の待合で楽し気にくるくると回っているのは稲杜・空狐(ib9736)。まだ式も始まらぬ日の高いうちからテンションも最高潮。いつもより多めに、具体的には三倍で回っている様子。 「稲杜様も御機嫌で御座いますね! 八咫郎もいつもよりたくさんの物語を提供し笑顔がいっぱい、皆様と八咫郎の舌の根をどんどん乾かし御酒が美味い! 肴も空飛ぶどんちゃん騒ぎに致しましょう!」 空狐がじゃれ付くように周りをまわれば、八咫郎(ib9673)も笑顔でぐるぐると回り始める。 くるくる、くるりん いち、にぃ‥‥さんっ 「八さまのお話も楽しみにするのですー♪」 にこにこ、どんな話をするのか、ちょっとだけ教えて貰えたりとか? 息継ぎのように一度止まった空狐がじぃっと見上げる。 「物語! では八咫郎が皆様に笑い声の渦をご提供致しましょう! 稲杜様はどのようなお話がよろしいですか?」 既に決めていたのでは? 「に〜?」 少しだけ首を傾げたけれど。すぐに思いついたようで、再びにこぱっ、と笑顔を浮かべた。 「月さまと咲さまのお話がいいですねー!」 お二人の門出の日だからと、妙案にピョンピョンと跳ねてねだった。 「この八咫郎にお任せ下さい!」 今度はしっかり覚えていられるのだろうか? 「休める場所を頼んでもいいか」 須賀 なだち(ib9686)を気遣う九頭竜 鱗子(ib9676)の願いどおり、参列客の待合とは別の個室が用意された。 「夜のお式の時間までは、ごゆるりとお過ごしください」 「ここからも桜は見えるから、昼の花も是非見て行ってね」 鳴瀬と菫がそう言づけて去っていく。医者も勿論揃えられてはいるだろうけれど、それらはまず貴人達が優先だ。開拓者のなかに心得のある者達が居るおかげで、誂えられた部屋には出来る限りの妊婦への配慮も施されていた。 薄橙の訪問着の上からでもいくらかはわかる程度だが、なだちの腹は膨らみ始めているのだ。 夫である須賀 廣峯(ib9687)の方は、着慣れぬ順正装の羽織袴に不満そうな顔をしながら‥‥ちらちらとなだちの様子をうかがっている。 (なだちが言うから着たけどよ、動きにくくて仕方ねえや) 万が一女房が転びかけた時に、うまく抱き留めてやれるだろうか。こうなったら近くに居るしかないな。‥‥心配だなんてそんな恥ずかしいこと言わねえけど。 それは連れ添って随分と立つ妻にしてみれば、簡単に察せられることで。端から見ている鱗子も気づいていることではあるのだが。 女二人、視線をかわしくすりと笑う。‥‥言わないのは愛情と友情の為せる業。窓の外に見える桜へと視線を向けた。 「本当、美しき桜に御座いますね‥‥」 まだ陽射し眩しい中咲き誇る桜を、目を細め愛でるなだち。 「‥‥ああ、良い感じに咲いてンじゃねえか。桜」 桜のことだと繰り返すのが気になって、鱗子がちらりと横目で見れば。廣峯が見ているのはなだちの笑顔。 (あーあー、見せつけてくれちまってまあ) 今日はこんなのばっかりか、晴れの日ってんだから大目に見てやるけどよ。 「そうだなだち、今はまだいいけど、温かい格好すんだぞ。夜はまだ冷え込むだろうしな」 羽織物を頼んだ方がいいんじゃねぇかと提案する鱗子は、帯もきつくなったら言えよと金色の帯のあたりを確かめる。 「てめぇに言われんでも持ってきてる」 むすりとした廣峯が差し出す腕には確かに淡い飴色の羽織。櫛の色に合わせて選んであるのだろう。足りなければ自分の羽織を使うとその顔にも書いてある。 女二人、再び視線をかわして小さく微笑んで。 「鱗子様こそ、冷やしませんようにお気を付けくださいませね」 背を広く開けたシックなマーメイドラインのドレスは首も肩も露出するタイプだ。確かに夜風には寒かろう。 「アキさんも気に入って下さってるからなぁ」 せっかくだしあけておきたい。 「廣峯の真似じゃねぇけど、俺もこいつを準備してるから大丈夫だ」 合わせるのは、幾何学模様に編まれたストール。手触りも柔らかく、温かく包んでくれるだろう。 ●想いの交わり 紋付袴姿の新郎の名は月夜見 空尊(ib9671)。羽織の襟には月の満ち欠けを表す銀糸の刺繍、さりげない装飾に一目で選び抜いた一品だ。何着も似たような衣装が並ぶ中で、それだけが空尊を呼んでいたから迷わず手に取っていた。普段こそ好むのは月明かりの金色だけれど、目立たないように紛れさせるのも悪くない。今日の主役は妻である木葉 咲姫(ib9675)なのだから、自らは彼女を支える立場となるべきだ。 夜の空を示す、ほのかに藍の混じる黒の袴は夜を好み、夜に紛れる色。長着に選んだのは淡い黄色。仄かにとはいえ月明かりから完全に離れることはできなかった。‥‥性分だろうか。 (‥‥違う‥‥) 最愛の花に常に光を注ぐためだ。忘れるつもりなどひとかけらほどもないけれど、常に想っていることを示す証というのは必要だ‥‥誰かに言われたのか、昔からそうだと知っているからなのか。 ただ一輪のための灯りはそう多くなくていい。花がそうと気づいてくれれば、それで。 角隠し代わりのヴェールごしにみる夫の姿、その長着の色に咲姫が気付かないはずがない。同時に自分の選んだ衣装に、そこに込めた想いも通じているように願う。 白打掛そのものは自らを写し取った。長襦袢はあくまでもシンプルに、きりりと気持ちを引き締める為。打掛に配される柄には迷わず桜を。身頃の刺繍は咲き誇る様、袖には花弁が舞い踊る様。光の加減で桜に色づく程度の淡い色糸が咲姫を彩る。胸元の懐刀には桜を模した花飾りを添え‥‥桜の枝が常に共に在るような出で立ちに。 一番に迷ったのは今も自らの視界を覆うヴェールだった。光を縫い取ったように散らばる金糸が、咲姫に降り注ぐ月灯りのようになればと。夜の闇色に包まれるような濃い色とも悩んだけれど、晴れのこの日、夜桜の中で沿う夫のために選ぶなら? ‥‥どんな時でも見つけてもらえると、その信頼を形にすることを選んだ。 「‥‥闇の中でも‥‥見つけるに、決まっている‥‥。けれど‥‥」 空尊が差し伸べる手と共に、声にならない音が咲姫の耳に届く。美しいな、と。 「‥‥皆、待っているな‥‥」 感謝と共に咲姫が頷いて、自らの手を重ねた。 「はい、お供いたします」 言葉をかけるならはじめにと思い、会場の手前で待っていたのだ。 「‥‥とと様」 声に振り向けば、衣装を纏い準備を整えた今日の主役達。畏まった二人の気持ちが少しでも解れるようにと、逢坂 覡(ib9745)は笑顔を向けた。 「この晴れの日に同席できる事を、とても嬉しく思うよ」 誰の門出であろうと、祝い事は嬉しい。けれど今の身は全ての祝い事を見守れるわけではない。 (だからこそ、近しい者のこのような日は、なおさら) 直接言葉を交わせる近さで祝える幸せと言うものも悪くはないと思う。 覡が纏うのは黒の紋付袴だ。本来の齢よりもより大きく、年を経た存在に見せる落ち着きと貫録のある装い。それでいて動きは軽く、言葉の響きは重く。 「空尊、咲姫。きみたちの歩む先に光あれ」 「‥‥ありがとう‥‥ございます‥‥」 「これからもどうか、よろしくお願いいたします」 さあ、皆の待つ中へ行くといい。覡が指し示す手に導かれ、夫婦は夜桜の中へと歩み出した。 「灯瑠女様、いらっしゃいませんね‥‥」 どれだけ探せども、天野 灯瑠女(ib9678)の姿は見つからなくて。咲姫が肩を落としかけたところに歩み寄るのはからす。 「やあやあ結婚おめでとう」 何事かと驚く夫婦に差し出すのは、祝いの結びが施された一通の文。 「‥‥ねね様の」 空尊には覚えがあった。 「この御文はどこで?」 「私は届けられているのを渡してくれと伝えられただけだからね」 肩をすくめて見せてから、からすは自らの拠点と定めた場所へと去っていく。 かさり、空尊の手で開かれる文面は、祝いの言葉。けれどこの場に居ない相手。 「‥‥ねね様は、月を嫌っている、からな‥‥」 「そんな」 「‥‥文だけでも、そういうことだ‥‥」 空尊の手が、瞼を伏せる咲姫の頬にそっと触れた。 (興味はあるけどね) 新たな茶を淹れながら、からすは誰とも知らぬ、顔も合わせていない送り主についてを考える。 喧嘩成敗に離れた隙に茶席に置かれていたのだ。添え書きの紙と共に。後から周りに聞きこめば、駿龍が置いていったのだという。何とも用心深いことである。 夫婦の言葉に女性らしいという事はわかったが‥‥ そう遠くない場所に居るのだろう。祝う気持ちがあるのだから、この場所が見えるどこかに。宴の席は灯りもあるから、夜の闇も視界を遮ることは無いだろう。 あのあたりかな。陽の高いうちに見かけた高台へと視線を向けた。 「きちんと届けたからね」 届かぬ言葉を、ぽつり。 縁を結ぶ儀式を経て、改めて夫婦と認められた空尊と咲姫。厳粛な式の間になだちが思うのは、見守ってきたこれまでの二人の歩み。 方や夫の幼馴染。方や自分の親友‥‥それだけではないつながりも勿論あるとわかっていて。 だからこそ二人が夫婦となり、共に同じ道を歩みはじめるこの記念すべき晴れ姿は、ただの祝福では祝いきれない、自分の事のように喜ぶだけでは足りないような。それら全てを合わせても足りなくて‥‥ つう、と温かい滴が自分の頬を伝う感触。 「‥‥っ」 隣に座る廣峯が妻の涙に気付き、慌てて懐を探っているその様子に笑顔が浮かぶ。 「大丈夫です、廣くん」 夫にだけ聞こえるように小さな声で続ける。これは嬉し涙なのだと。薄くとはいえ化粧が崩れないように、そっと自分の袖で隠した。 「‥‥何かあったらどうすんだ」 腹の子が吃驚するかもしれないだろ、などと思っているなんて口にはできないのだ。 ●月夜に隠れるあかい色 そろそろ文は届いた頃合いだろうか。 人気のない高台から、結婚式の会場となっているはずの庭園を見下ろす。桜の花咲き誇る淡い色合いが続き、式のための灯りが輝き‥‥きっと、あのあたりだろう。 表情まではうかがい知ることはできない。勿論声など聞こえるはずもない。けれど何を言われているかは想像も難くない。 (月は嫌い) それは自分の口癖であり信念のようなもの。 (月に魅入られた者も、そして嘘つきも大嫌い) それでも祝う気持ちは皆無ではないから、こうして彼らに見つからない場所でただ、見下ろしている。 招待されなかったわけではない、むしろ来てほしいと呼ばれていた。けれど自分は皆と賑やかに騒ぐような性分ではない。 ならば眺められる場所で見守るのがいいだろうと、具合の良い場所を探しここまでやってきたのだが‥‥ 「行かないのか?」 後からやってきた灯瑠女の様子をうかがってから、秋葉 輝郷(ib9674)は落ち着いた声音で声を掛けた。 「‥‥行かないわ」 行くわけがないじゃない、と聞こえただろう。輝郷とは少し離れた場所から答える灯瑠女。 (祝福する気持ちだけで心が満たされているわけではないもの) 姉のように家族のように、慕っていると言ってくれた桜の君はもう居ないのだ。 私を慕っているというなら、どうして月に魅入られたのか。 どうして月のものになどなったのか。 私は月が嫌い。その私を慕うなら、月の元になど行く筈がない。だから最初から嘘だったのだ。 (桜の君‥‥) 私は天照す皆の太陽だけど、誰かの光にはなれない。太陽は天かける全てを照らすものだから、誰かの為だけの存在ではいられない。 こちらを伺ったままの輝郷に視線が向かった。‥‥この男はどうだろうか。 「多分私は貴方が気になっていた」 聞いてしまえばいい、伝えてしまえばいい。 「夜明を伴にしてくれた日から」 伴にしたのはそれだけではない、梅見にもでかけている‥‥傍に居るけれど、自分の好きな梅とは違う、桜の木を選ぶような男。 離れるならそれまでのこと。その時は嘘つきだと嫌いになればいいのだ。 「気になる? どういう事だ」 意味を読み取るよりも以前に、そう伝えられたことに衝撃を覚える。それがどんな理由だとしても、気になると‥‥関心を向けられているという事実に輝郷は驚いた。 特に自分が歩み寄りたいと、そう考えて接してきた相手からだからこそ。 (俺が望むのは、必要とされること) 愛や欲と言うような感情ではなく、それがたとえ一人からであっても、自分を必要としてくれること。どんな形でも、自分が必要とされること。他の誰でもない自分が‥‥ それは常に願いとして輝郷の根底にあるものだ。 灯瑠女に近づいたのは、彼女がいつも誰かを求めていたように思えて‥‥もし自分でもその役が務まるなら。そう考えるうちに伴に歩む機会を増やしていた。気にかけるほどにその欲はあって‥‥けれど、自分のこれまでと同じように、叶うものではないと思っていた。 それが叶うとでも言うのだろうか。 「でも、貴方も私から離れていくのでしょう?」 問いに問いで返すのは、自信がないからだと思う‥‥自分が、そうだったから。 「そうやって突き放すからだろう」 月が嫌いな事も起因しているとは思うけれど、それは指摘しても意味がないと知っている。だから別の道を辿る。 「俺は‥‥誰にも必要とされた事がない。繋ぎ留める者がなくば去るしかあるまい? お前は俺が必要か否か。答えてみろ」 人が離れることを厭う灯瑠女と、必要とされ繋ぎ留められることを臨む輝郷。 「貴方が望むなら必要だわ。貴方は? 必要とされたいと願うの?」 言葉で、互いの欠けた部分を補えるというのなら。望みが叶うというのなら。 「今までの話は聞いてない。これからは違うかもしれないわ」 互いが互いの望む言葉を引き出すようにして、その先に待つ答えを互いに絞り込むようにして。 「俺が望めば? 望んで叶った事なんてない」 視線が混じりあう。 「お前がそれを叶えられるなら俺は離れないだろう。叶わぬと思えば俺は去る」 決して甘いだけのものではない。強く、痛いほどに互いに刺さる言葉と、熱い視線。 「私に叶えられない願いがあると思うの?」 迷いはそこになく、ただ積み上げた言葉の階を登った先の答えがあるだけ。その箱に手をかけたことに気付いて、輝郷が笑みを浮かべた。 「では‥‥俺の望み、叶えて見せろ」 それが二人の絆の証。二人が望みを手に入れた瞬間。 ●夜桜の宴 「咲様きれいーなのですー♪」 夫婦の契りの式を終え、宴の会場へと移動す間ずっと、夫婦の歩む道に合わせて花を撒いていた空狐である。 咲く桜もまた綺麗だけれど、それとは別に色鮮やかに、けれど華美過ぎない花弁達。夜の帳に浮かび上がり、舞い、そして二人の衣装、特に咲姫のヴェールに彩を添えていく。 主役が他より少しだけ高い席につくまでがお役目。思いつく限りの褒め言葉、祝いの言葉を繰り返して沿い歩き、二人が並んだ後。それまでの幼げな笑顔とは違う大人びた表情をきりと浮かべた。 「お二人とも、お幸せに」 狐の面や、意図して浮かべる笑顔とは別の、自分では本来の姿と考えているその顔で。 (この言葉だけは‥‥ですね) まっすぐに二人を見つめれば、空尊も咲姫も、正面から頷いてくれた。 にこぱっ♪ 「くーこもたくさん、楽しい時間を過ごしますよー、こんこん♪」 最後にとっておいた一握りの花をぱぁっと撒いて、くるりんぱ。 軽やかな足取りで、自分の為に用意された膳のある席へと向かっていった。 膳には乾杯用の杯が既に用意されていて。 「とーってもおめでたい日ですからっ」 今日はちょっとだけ、お酒も呑んでしまおうかな? 祝宴が始ってすぐに須賀夫婦が歩み寄ってくる。 「咲姫様、空尊様、御結婚おめでとう御座います」 なだちが咲姫の手をとり、いまだ潤む瞳を新たな夫婦に向けて微笑む。 「‥‥本当に、心から嬉しく思いますわ」 静かに頷く空尊の表情が、昔と違う事も分かった上で廣峯も言葉を選んだ。 「よォ、空尊。お前みてぇな変人を貰ってくれる女なんぞこいつぐらいだ」 「‥‥スサか」 いつもと変わらない体だからこそ言えることもある。それだけ気の置けない間柄、それだけ近くで見ても居たのだから。なだちと共に。 (俺とは違う方法で所帯を得たこいつは、確かに俺とは見えているものが違うんだろうよ) 友の結婚を祝う気持ちは本物だ、だが素直に言えずどこかひねくれた言い方しかできない理由。それは少しの羨望なのかもしれない。 「精々大事にしろよ?」 「‥‥ぬしらも、家族が増え‥‥庵が、一段と賑やかになろうな‥‥」 空尊が廣峯の言葉に動じるわけもなく。謝辞の後に続いた言葉が廣峯から一本。いつも通りの空尊とは別に咲姫がどこか不安げにしているのは、男の幼馴染同士の間合いが掴みとれていないから。 「ぶっきらぼうに聞こえてしまうでしょうけれど、あれが夫なりのお祝いなのですよ」 なだちの耳打ちでなるほどと頷いて、改めて身重の親友へと向き直る。深く頭を下げてから。 「来てくれて、集まってくれて本当にありがとうございます」 そしてお腹の子を労るように、なだちへと向き直る。 「愛する夫とのお子……私もいつか、そう思っています」 「‥‥俺は安心しましたよ」 祝辞の後、ふ、と眉を下げて。従者である闇川 ミツハ(ib9693)の微笑みが空尊へと向けられる。 「‥‥我は、ぬしに感謝している‥‥共に、歩んでくれた事‥‥」 幼いころからずっとそばにいた、幼馴染とも呼べる間柄だ。 「そして、これからも‥‥宜しく、頼もう、か‥‥」 見守ってきた皆の中でも、特に。この二人の関係がどうなっていくのか、心配をしていたような気がする。 (幸せな形に収まってよかった) だからこそ、ミツハは心からそう思う。 「これからも、彼をよろしく頼むよ」 年も同じで親近感を抱いていた咲姫は、新たに主の伴侶となった。これからは主同様の扱いをすることになるだろうけれど‥‥宴の間の無礼講に乗じて、これは友人としての言葉だ。 「月夜見殿、木葉殿」 改まった口調にも聞こえるが、これが御雷 猛(ic0265)の常態だ。 「この度はご招待ありがとうございます。お二人の末永いお幸せを祈っております」 一つの体に多くの記憶。その全てが混ざりあう中、記憶によって、その視点によって、ひとつの出来事から伸びる道は別の方角を向いていることもある。 (此れが正解とも、不正解とも言えない) 猛の祝辞に答えながら幸せそうに並ぶ二人を眺め、啼沢 籠女(ib9684)は記憶の海を揺蕩う。 (今、に定める) まさに今の二人が幸せであることが重要だ。だから自分もそれを後押しするし、祝い、喜ぼうと思う。 丁度祝辞を述べる順になる。 「今世においての君たちの幸せを祈るよ」 「うおー! ふおー! おめでとうございますお二人共!」 突進と見まごう動きで駆け寄ってきたのは八咫郎。夫婦の返事を待たずして、彼女の口上が始まった。 「フフッ初めて会った日を思い出しますね‥…あれは雷光ひらめくIKUSABAでしたか‥‥」 《八咫郎の一人三役にてお送りしております》 「ヌフゥゥ、このていどか‥‥」 三本の足を巧みに使い攻撃を仕掛ける八咫郎の前に、膝をつく恋人達。そのあっけなさに物足りないと浅い息を吐く。 「くっなんて強さだ‥‥逃げろ咲姫!」 愛しの姫だけでも守ろうと、腕を広げ壁になろうとする空尊。しかしその顔には苦悶の表情が浮かんでおりうまく体を動かすことができない! 「ッシャオラァ! 根性みせんかいシャオラァ!」 その気持ちに答えようと咲姫が空尊の背に突撃! 鼓舞をしようと空尊の腰にしがみついた! ぎり‥‥みしぃ‥‥! 「うおお愛の力が俺を強くする!」 すぐに立ち上がる空尊、その決死の表情はこれまでとは比べ物にならない! 命の危機が彼を奮起させたのだ! その勢いのまま八咫郎に会心の一撃を放つ! 「ぐわああ何だこの強さは! ハッ、これが‥‥LOVE‥‥」 ばたりと倒れる八咫郎、すぐに咲姫の元へと戻り恋人を全身を隠すように抱きしめる空尊。 寄り添い合う二人を雲間から差し込む光が照らしている‥‥ 《このあと八咫郎も常態に戻ります》 「いつしか厳しき雷光も、お二人を祝福する朝日となっていましたね‥‥!」 ほろりと手拭いで目尻を拭う八咫郎。別に涙は流れていない。 「鳥の姫君はよくあれだけの話を考えつくね」 毎度のことだけど、と呟く籠女の言葉に皆が頷いている。八咫郎の口上は捏造だという事は皆わかっている。 (((なぜ記憶に繋がらないのか))) それもみな共通の認識だが、誰も口には出していない。 「回すことしか知らないのでは」 籠女に答えた猛の見解が妙に的確に聞こえた。 「花の姫君、笑って。君の笑顔が皆の望みだ」 隣に座る空尊だけではなく、二人を見守ってきた皆が同じことを思っているはずだ。 (幸せな現世、幸せな二人‥‥) 今この場に居る皆には、晴れの日にふさわしい笑顔が浮かんでいる。 このまま続けばいい。 それが今の自分の願いだ。 ●今世の祈り (‥‥咲姫殿達の周りも大分人が引いたか) 祝宴の参加者には、自分達の知り合いではなく、一般の見物客も居た。貴人の結納と同じ会場というだけでも物見遊山で人は集まるもの。まして夜桜の中幻想的な式ともなれば‥‥空尊の従者としてさりげなく護衛をしていたミツハは、そろそろ警戒を解いても良さそうだとゆっくりと息をはいた。 そっと、控えの部屋へと移動し、支度を整える。 自前の青の巫女装束に袖を通し、動きに映えるよう、何時もはひとまとめにしている髪を結いなおそうと紐を解く。癖のない髪が広がり、その一部を梳るようにして指を通した。 (少し寂しいような‥‥いや) 大事な主の門出だから、少しばかり感傷的になっているだけだ。 手にした一房を結い上げる。きりりと気持ちを入れ替えよう。 誰の手を借りずとも、慣れた手順で整え終わる。 ゆっくりと息を吐いて‥‥新鮮な空気を吸い込んで。 (祝う心を込めて、贈らないとね) 足を進め、宴席へと戻っていく。 たんっ‥‥ その拍子が合図となって、皆の視線がミツハに集まる。 さあ、いつもの様に‥‥はじめよう。 「ミツハ、かまって‥‥」 舞い終わりを見計らい、気に入りの水の気配へと向かって歩む。その籠女の前に立ちはだかる大きな影。 「籠女殿、ミツハ殿には舞い終わりの余韻に浸る時間も必要でしょう」 少し休息をさせてはどうかと嗜める。 「その間、俺が話し相手になりますから」 「‥‥」 頬を膨らませるほど子供ではない。代わりにじとりとした視線で不満を訴える籠女。 保護者だからって横暴だ、と言わんばかり。同時に、どんな手段でやり込めてやろうか‥‥そんな考えが透けて見えるような気がする。 (ミツハ殿に気を使ったつもりでしたが、間違えましたか) ではどうすればいいだろうかと猛は改めて思考を巡らせ始める。 「大丈夫だよ、猛殿。‥‥籠女、俺にどんな用?」 ミツハ本人からの助け舟。彼の手招きに、籠女がパッと顔を輝かせて駆け寄る。 「舞った後のミツハの気配が、一番」 水の気配が濃くなる気がする。だから傍に居たくなるのだ。 (一応、俺が保護者役のはずなのですが) ミツハと話している籠女の背を猛は眺める。思えばはじめのころから歯車がかみ合っていないような気がした。 自分を呼ぶときの渾名に『みかちゃん』と女の子のようなものを採用しようとしたり、流石に嫌だと抵抗すれば、なぜか自分が我儘だという話になっていたり。 ミツハには素直に甘えているようだが、自分はどこか甘く見られているような。 (むきになるほどではないけども) 立つ瀬がないというのもなんだか寂しいものだ。 「タケ、混ぜてほしいの?」 しかもこういうところが聡いので、頭が上がらない。 「そうですね、ではお言葉に甘えて」 否定するにも張り合うにも時間の無駄だ。素直に会話の輪の中へと入っていった。 歩みにくい衣装の咲姫の手を引いて、静かな夜桜並木の下をゆっくりと歩く。 「皆に‥‥祝われ‥‥ぬしと、共に歩む‥‥」 言葉も歩調に合わせ、いつも以上に緩やかに紡ぐ。 「これほど、良き日はない‥‥」 「‥‥昔の私はこの日を迎えられるなど思っておりませんでした」 人の灯りが遠くとも、月と星の灯りが咲姫を照らしてくれる。手を引き温もりを与えてくれる夜の君。 「あなたと共に歩める‥‥私は誰よりも幸せ者にございます‥‥」 立ち止まるその目の前には、この庭園のなかでも特に樹齢の高い桜の大樹。見上げれば、桜の枝の隙間から、月の灯りが差し込んで。 その下に膝をつき、そっと手を伸ばしながら咲姫に向き合う。 「‥‥ぬしを‥‥我の全てで、幸せにすると‥‥誓おう」 触れるのは咲姫の頬。包み込むように触れれば咲姫の手も重なる。そのまま、熱を分け合う。 「永久に、空尊さんのお傍に‥‥私も、誓います」 空尊にだけ見せる微笑みが広がった。 静かに席を離れた夫婦を眺めるのは、やはり夫婦で。ふ、と目を細めて微笑む廣峯に、そっと寄りかかるなだち。 (‥‥儚くも愛しき我が親友‥‥其の儚さを抱き締めし魂の友‥‥) その光景はまさに夜桜。 (大切な御二人の幸福‥‥此れからもずっと、願っております) 廣峯が肩を支えてくれる。それに甘えて、なだちは夫の肩にそっとその頬を寄せた。 杯を傾ける手をふと止めて、覡は小さく笑みをこぼした。 賑やかな時間の続く中、浮かんだ想いが溢れたのだ。 (子が巣立つ日というのは、もう少し寂しいものかと思ったが‥‥) 予想とは違っていた。子離れ、そう呼んでいいのかは自分でも分からないのだけれど。 これからも共に、近しい場所を歩んでいくからだろうか。今ひとつ掴めないのは、まだこの感覚に慣れていないからか。 「楽しみも控えているからね」 廣峯となだちの夫婦へと視線を向ける。春はすぐそこまで来ている。暑い盛りの夏を過ぎたら彼らの子にも見えることができるはずだ。 空尊と咲姫へと視線がうつる。‥‥彼らにも、そう遠くない未来新たな命が宿るのだろう。 「‥‥また、賑やかになる」 散り散りになったとしても、こうして集まることができるのだ。留まることは無くめぐる身の上だけれど、だからこそ。 (佳き事だ) この宴の場に居ない子供達も、その祈りに含まれる。 ――みなみな、幸せであれ‥‥ 「祝いの席だからなぁ」 他の組の式も祝宴も今は終わっているけれど。記念すべき日にいつも通りの酒量は止めておくのだと、聞かれるたび、鱗子はそう答えていた。 実際は色々と思うところがあったからだ。どれほど飲んでも滅多に過ぎることはないけれど、今日はなぜかそんな気分にならなかった。 桜をゆるりと見上げる‥‥思うのは自らを示す、名前のこと。 (御大にやってしまったからな) 同じままではいくまいよ。このよき日を切欠に‥‥草薙‥‥ (草薙 龍姫‥‥にするか) 仲間達へと視線を戻す。 名はあくまでも示す言葉。本質は変わらない。 仲間が増えようと置き換わるわけではない、ただ絆が強まるだけだ。 築き上げたものは壊れず、世代をかけて紡がれて‥‥歴史として刻まれ続いていくはずだ。 覡の祈りを聞きながら、杯に僅かに残った滴を干した。 ●策士溺るる恋の海 「志野宮さん、次はあちらのお部屋で着付けをお願いします」 「畏まりました」 何しろ数が多い。結納であろうと結婚式であろうと。式が複数にわたって執り行われるのだ。 人手は多ければ多いほどいい。必然的に手伝いに回る者達は、手があき次第右に左に引っ張りだこになる。 指示も何度も飛んできていたから、気付くのが遅れた。 「‥‥これは一体‥‥」 振袖のままでは汚れてしまうからと言われるままに脱いだ。置き場所を尋ねたところで、笑顔をたたえた従業員達に取り囲まれた。 見慣れぬ下着、着慣れぬ布地。髪を梳られて顔も描かれて。数の有利と手際の良さに押されるまま、されるがままに四半時。 鏡を見れば、ジルべリアのドレスに身を包んだ自分が立っている。どこかあきれ顔のまま。 プリンセスラインの白地のドレスは、縫い糸が淡い夕焼けの色。あえて糸を見せ、そして花の刺繍を縫い目に沿わせたつくり。勿論その糸も同じ色で‥‥多分きっと、自分の瞳の色だ。 ティアラも耳飾りも、その色を取り込んで淡く染まっているのだろう。長手袋の布地を通して触れれば小さくシャラりと音が鳴った。 「お相手様がお待ちですよ」 着ていたはずの振袖を探したが見当たらない。こんなことを考えるのは一人しかいないではないか。 「また馬鹿な事を」 仕方なく部屋を出る。思えば最初から疑うべきだったのだ。文句の一つも言ってやらねば。 歩み寄るその表情は想像通りで、アルフレートは胸の内だけで笑う。綺麗に仕上げられたその姿に見とれて、少しでも長く視界に捉えておく方が重要に決まっている。 「もう終宴だからさ」 鳴瀬が口を開く前にその言葉を封じる。 「俺の仕事は演奏、鳴の仕事は配膳で終わり。それに鳴、休憩もほとんど取ってないだろ」 食事をした分は休憩とは言わないからねと先回りも忘れない。 「鳴を連れ出せて、綺麗にできて、いい機会だと思ったから‥‥そろそろ、本気だってわかってくれた?」 「‥‥」 「黙ってるなら、そうだって受け取るよ」 それまで自分の身に着けていた銀鎖の首飾りを外し、黙ったままの鳴瀬へと。そこだけが蒼の月で、夜に向かう時間の完成。 後ろから両腕を回して抱きしめる。 「白無垢姿は本番で見るとして‥‥ドレス姿は独り占めしようかと」 耳元に唇を寄せて、綺麗だよと囁いて。 「俺を、幸せにしてくれる?」 知っていた。これまでだって何度も言われていたから。 信じてもいた。いくら誤魔化しても次があったから。 怖かった。大切な存在を増やすことと、失うことが。 わかっていた。自分の気持ちがどこにあるかということに。 でなきゃともに桜を見に来たりなんてしない。 ドレスだって強引に脱いでしまえばいい。 軽口を叩ける距離を維持なんて面倒な事、ずっとしているはずがない。 (‥‥恐れずともよい、と‥‥そう言うのですか) 手放しで受け入れていいというのなら。受け入れてくれるというのなら。 自分を包むアルフレートの温もりに染まったように、鳴瀬の頬が染まっていく。 「‥‥‥ばーかばーかばーか! アルのばーか!」 だったら私だってもう容赦はしない。言いたいこともすべて言ってやるのだ‥‥手始めに。 「そんな鳴が好きなんだから、とっくに知ってるよ」 壁がわりの敬語をやめて、耳まで赤くなった鳴瀬が自分に甘えてくれているのだとわかるから、アルフレートはくすくすと嬉しそうに笑って、正面から婚約者を抱きしめなおした。 ●ひとりもの達の宴 夜通しの宴も大事なく終わる。 参列客達もめいめいが帰路につき、全ての片づけが終わった頃には、夜もあけて。 「朝日の中の桜というのも、悪くないものだね」 お疲れ様、と労いの茶を淹れて配るからす。彼女もずっと起きていたはずだが、その様子は微塵も感じさせない。 「皆さん本当にお疲れ様でした」 神楽に戻る前に、我々はもう一泊したほうがよさそうですね。といつも通りの表情で茶をすする三豊。 「‥‥菫ちゃん、大丈夫‥‥?」 お花見したいって言ってたわよねと気遣う晶秀の顔にもうっすらと隈が出来ていた。今にも眠りについてしまいそうな気配である。 「あたし達は平気だけど」 「仮眠、取った方がいい思うん」 「膝でもかそうか」 相棒達が口々に心配するものだから、ついつい菫は笑ってしまった。 「そうだね、今日はのんびり過ごさせてもらって、あたしたちの花見は仕切り直そうか」 「私も一緒して構わないかな?」 からすの声に皆笑顔で返す。 「勿論、人が多い方が楽しいもの」 せっかくの桜を楽しまないなんて、損だよね? |