【雨】に思えば跳ねる音あり
マスター名:石田牧場
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/07/05 20:40



■オープニング本文

●気まぐれな天気雨

 暖かい日に、雨がぱらぱら。
 濡れても体は冷えない程度の、気まぐれな雨。
 雨に濡れる紫陽花も、露をいただき輝いている。
 雨の多いこの季節には、外に出るのが億劫だったりもするけれど。
 命への恵だと思えば、悪くない。

「先輩、どうしましょう‥‥」
 受付業務の休憩時間、晶秀 恵(iz0117)に声をかけたのはひとりの同僚。冬の終わりごろに恋人が出来たばかりで、楽しい日々を送っているはずの後輩だった。
「どうしましょう、って言われても。具体的に話してもらわないとわからないわよ?」
 仕事でミスをしたと言う話は聞いていないけれど。何処か体調でも悪くしたのであれば先輩としての監督責任というものがある。早退させる可能性も考えながら、話を聞こうと向き直った。
「その‥‥私の恋人のことなんですけど」
「‥‥はい?」
 予想外の言葉に、ぽかんと口を開ける。だがこんな態度では悪いかな、とそっと口元に手をやって取り繕う。幸い、後輩は晶秀の様子に気づいていない。
(また偉く唐突な‥‥なんで、私に相談するのかしら)
 自慢じゃないが晶秀は独り身で、今も恋人なんていない。なのになぜこの後輩はそんな自分に相談をするのだろう。首を傾げたい気持ちを何とか抑えつつ、しかし後輩の様子がx心配なのも確か。俯きがちな後輩の肩にそっと触れて、続きを促した。
「私にわかる事があるかわからないけれど、とりあえず話してみたら?」

●物思い

(結局、不安になっただけ‥‥みたいだけど)
 正直なところ、恋人との関係に不安になるという感覚がよく分からない晶秀である。だからと言って、折角頼ってきてくれた後輩を無碍にもできないし、何も助言が出来ないと言うのは乙女のプライドが許さなかった。
「一度、落ち着いて考える時間を取ってみるのもいいんじゃないかしら」
 しかし経験不足というせいもあり、後輩に掛けたのはそんな言葉。
「ちょうど、物思いにふけるにはよさそうな場所があるから、今度の休みにでも行ってきたら?」
 さすがに無難な言葉しかかけられなかった自覚もあって、晶秀なりに場所を選んで教えてもみた。
(今日、あの子が休みの日ね、ならあの場所に行ったのかしら)
 素直な後輩は、行ってみますと答えてくれていたけれど‥‥彼女の不安が少しでも減らせることを祈るばかり。
(いけない、仕事中だった)
 ずっとその事ばかりを考えているわけにもいかない。改めて手元の依頼書の確認を始めた。

「‥‥って、ええっ!?」
 アヤカシ退治の依頼書を手に叫び声をあげる。
(これ、あの子に教えた場所じゃない‥‥なんなの、なんで出るの!?)
 慌てて口を抑えながら、その内容を確認する。そう強いアヤカシではない、どちらかと言えば弱い、初級アヤカシなのだが‥‥件の後輩は、開拓者ではない。
 後輩が今日その場所に行っているという確証はない。
 行っていたとして、必ずしもアヤカシに遭遇すると決まってはいない。
 この不安定な天気だ、外出もしていないかもしれない。
 けれど‥‥
「急ぎって事で、募集をかけた方がよさそう‥‥ううん、そうするべきよね」
 ギルドで依頼を見繕っている開拓者達に、声をかけて回る事にするのだった。

●露と紫陽花と蛙

(ここが、先輩の言っていた場所)
 笠を被った女性が、紫陽花の咲き乱れる様子を見回し、ほうとため息をついている。
 想いが通じた恋人が、最近よそよそしいような気がしたり、かといって冷たい態度を取られるわけでもなくて。
 気持ちが離れてしまったのか、実は他の女性ともお付き合いがあるのかとか、色々と想像して不安に駆られるばかり。
 でも直接確かめる勇気はなくて、でも誰かに話を聞いて欲しくて。
 そうしたら、紫陽花の花言葉を教えてくれた。
「『移り気』『無常』『浮気』『高慢』‥‥紫陽花ってそういう、あまりよくない印象のものが多いんだけど。『辛抱強い愛情』とか『家族団らん』って意味もあるの」
 色が変わる紫陽花だからこそ、変化する言葉を持つのだけれど。
 変化した先が必ずしも悪い事じゃないという可能性も秘めた花なのよ、と。
「紫陽花の綺麗な場所を知っているから、そこで、花と一緒に自分を見つめ直すのも悪くないんじゃない?」
 なんだか自分を表しているみたいで、先輩の言葉通り、ここでなら落ち着いて考えることができそうだ。
 時折雨が降るけれど、ほんの短い時間だから笠で間に合うくらい。
 それに、露を乗せた紫陽花も綺麗だろうと思う。
(‥‥けれど、あまり人がいないのは何故‥‥?)
 紫陽花の綺麗所として、それなりに知られている場所だと聞いていたのだけれど。
(でも、人が多いより‥‥落ち着いて考えられるかな)

 遠くの蛙の声は、彼女にはまだ届いていなかった。


■参加者一覧
霧咲 水奏(ia9145
28歳・女・弓
霧先 時雨(ia9845
24歳・女・志
フェンリエッタ(ib0018
18歳・女・シ
雪切・透夜(ib0135
16歳・男・騎
朱華(ib1944
19歳・男・志
リンスガルト・ギーベリ(ib5184
10歳・女・泰
霧咲 ネム(ib7870
18歳・女・弓
戸隠 菫(ib9794
19歳・女・武


■リプレイ本文

●急ぎ足

 戸隠 菫(ib9794)は晶秀 恵(iz0117)の慌てた様子に声をかけた。
「後輩さんが行っているかもしれない? でも、志体は持ってない人?」
 仕事内容を確認すれば、場所もそう遠くない。
「うん、無事に連れ帰ってくるからね、任せて」
「その後輩殿の名はなんというのかの」
 同じく参加を決めたリンスガルト・ギーベリ(ib5184)の問いには『有紗』との答え。これで呼びかけやすくなるだろう。

「今にもふりそうな天気だね〜」
 ネム(ib7870)の言うとおり、空には雨雲が見えている。
「少し前も降っていましたからね」
 相槌を打つのは霧咲 水奏(ia9145)。まだ足跡が残っている可能性があると、柔らかくなった地面を確認している。
「確かに蝦蟇の声がします。足音は流石に拾えませんけど」
 周辺警戒をしている雪切・透夜(ib0135)の耳に断続的に届く蝦蟇の声。ずっと鳴いているわけではないので、数を把握するにはまだ時間が足りない。鳴き声の方角を聞いたフェンリエッタ(ib0018)が自分の索敵結果と照らし合わせて頷いている。
「近くに数匹居るみたい」
「足跡とは別の方角‥‥ならまずは蛙だけ引き寄せればいいのか」
 靴にロープを巻き付けていた朱華(ib1944)の言葉に続くように、皆有紗の名を呼び始めた。
 同時に、声は出さずゆっくりと移動して合流して欲しいことを告げる。有紗の方にアヤカシが引き寄せられては意味がない。
 バンッ!
 不意に雨粒が落ちてきた。紫陽花の葉に跳ねる雨粒は大きく、その音も大きく聞こえる。
(典型的なにわか雨、邪魔はしないで何処かにいって‥‥なんてね)
 霧先 時雨(ia9845)も、探索に参加せねばと前を見据えた。

●4蝦蟇4蝦蟇2大蝦蟇

 開拓者達の声に引き寄せられた蝦蟇は4匹。聞いていた数より少なく有紗の安否はまだ不明のままだ。
 手早く始末しようと、周囲への警戒を意識しながらも蝦蟇達を迎え撃つ。
「紫陽花に蛙、か‥‥似合うが、アヤカシとなれば話は別だな」
「大きさからして無粋ですよ。似つかわしくないお客さんには、ご退場願いますか」
 数も強さも開拓者が有利。蝦蟇達は碌な反撃も出来ずに消えていく。

「‥‥あの」
 蝦蟇達の消えたタイミングを待っていたように、控えめな声。
「晶秀さんの後輩の、有紗さん? 私達は開拓者よ、ここはまだ危険な蛙がいるから一緒に避難をお願いね」
「東屋があるそうですから、そこで待機していただきたく」
 フェンリエッタの問い掛けに女が頷く。持参していたレインコートを羽織らせて、水奏の誘導で有紗が進み、菫が殿を務めて護送していく。
「念のためにこれは着込んでおいて」
「蝦蟇のアヤカシが万が一近寄ってくるようなら、大声で拙者らに伝えていただければと」
「そうならないように、あたし達の仲間が今も探索しているんだけどね。叫ぶのは最終手段」
「安全が確認出来たら迎えに来るから、ここで待っていて?」

 有紗の無事が確認できた分、残党探しはぐんと楽になった。
「蛙共め、悉く捻り潰してくれるわ!」
 通常の大毒蝦蟇の倍の大きさの2匹を見つけた時はその大きな体に驚いた。だが攻撃を集中させれば、少し力が強かろうがしぶとかろうが開拓者達の敵ではない。透夜とリンスガルトがそれぞれに止めを刺せば、残りは普通サイズの蝦蟇達だけだ。
「みんな〜、紫陽花散らさない様にね〜」
「気をつける、けれど‥‥ちょっとは仕方ないわね」
 紫陽花への被害はゼロとまではいかないが、景観を損ねるほどの事態にはならなかった。

●雨と光と紫陽花と

「見事じゃの‥‥」
 ブルーローズを差し直し、色とりどりの紫陽花を順繰りに見つめるリンスガルト。その名の通り青地に青薔薇の描かれた洋傘は、雨と紫陽花という状況によく映えた。
(雨は水、青で描かれる事は多いものな。花の種は違えど、妾も景色の一部になれているかもしれぬ)
 この不安定な天気を考え実利重視で持参していた品ではあるのだが、こうやって落ち着いて見直せば悪くない選択だったと思えた。
 普段は赤を基調とした服を好むリンスガルト、出かける前は青の傘に複雑な思いもあったのだけれど。
(そもそも、青というとあの髪が思い浮かぶせいで!)
 パシャン!
 つい力を込めて地を踏みこんでしまい、泥水が跳ねた。
(折角の紫陽花見物なのじゃ、楽しいことを考えねば)
 ぶんと頭をふり雑念を飛ばす。再び目を開くと、一輪の紫陽花に視線が引き寄せられた。中心に近付くほど色が濃く見える、青の紫陽花。いくつもの小花が集まったような紫陽花は、全体がまるく見えるものが大半だ。その一輪は誰かの目の形に、瞳の色によく似ていた。
「‥‥帰ったらこの目を見つめることにしようかの♪」
 外に出るのも億劫な天気だからと、適当な理由を付けてしまえばいい。

「では、紫陽花を楽しみますか」
 傘を差し、画材を取りだす。少しばかり湿気にやられてはいるがそれは承知の上だし、描けないほどのことでもない。
(時期的には、まさに今頃。そんなわけで、スケッチの題材にももってこいです)
 気に入った株を見つけた透夜は、描きとりやすい場所を選んで立ち止まる。傘の柄は脇の下で固定して、スケッチブックも動かぬよう支えて。利き手はすぐに紫陽花の外形を写し取りはじめる。
 戦っている間より勢いの弱まった雨が紫陽花を濡らし、同時に柔らかく跳ねながら花の形を浮き上がらせる。その様子を余すことなく描きとろうと、手は滑らかに動いていった。
 雨の勢いを表すように線も淡く柔らかく重ね、重なりあう小花のがくもあえて線の交差を気にせず書き足して。綺麗と思う姿を表せるよう、ほんの少しの想像を加える他は、見ているものを忠実に、
(大抵の場合、花は雨で散ってしまうものですが、紫陽花は、なお咲き誇る‥‥)
 その強さを面白いと感じるし、他とは違う魅力が透夜の意欲をかきたてる。
(ふふふ、ゆっくりと楽しみますか)
 雨に濡れた後だというのに、描くほどに集中力が高まっていくように感じる。濡れた衣服は少なからず体温を奪っているはずだが、描くことへの情熱がそれを打ち消す。
「最近、荒事ばかりでしたから、そういう面でもぴったりなのかな‥‥」
 この絵を描き終えるくらいの時間なら、他のことを忘れて没頭するのもいいかもしれない。

(まずは皆でお風呂行こうって誘うつもりだったけど)
 蝦蟇アヤカシが全て居なくなり、安全が確認された後。皆少なからず泥の汚れが服や装備に散らばっていた。自分達の動き、蝦蟇達の動き。傘やコートで全てを防ぎきるのは難しい。そんな汚れも雨で多少は流れたけれど、濡れたままでは風邪をひいてしまうかもしれない。だからこそ近くの湯屋の場所を晶秀に確認していた菫は、周囲を見渡し考えを改める。
 雨は弱くなっていて、滴を頂く紫陽花には所々虹がかかっていた。また雨が強く降れば見られなくなるし、止んでしまえば後に再び見られる保証はなかった。
 紫陽花を愛でるのを先にして、お風呂は後にしてしまってもいいかもしれない。有紗はほとんど濡れていないようだし。湯屋に誘った晶秀も、昼の休憩にならないと抜けられないと言っていた気がする。
「皆にはあとで教えればいいかな?」
 見渡せば、既に皆好きなように動き始めている。それなら自分も今を楽しもうと、近くの紫陽花へと目を向けた。
(雨の中に映える紫陽花って好きなんだよね)
 アヤカシと戦う間は鑑賞するどころではなかった。今は虹の輪で飾られた紫陽花を楽しむことにする。

 朱華も用意していた傘を差していたが、戦闘中にずぶぬれになった手前意味があるのかどうか。
 一度紫陽花をぐるりと見た後、空を見上げた。邪魔になった傘は迷わずどかす。もう既に濡れているのだ、これからいくら濡れてもかまいやしないと思う。
(でも、風邪とかひいたら怒るかな‥‥)
 家で待つ相手を想う。心配しながら、看病をしてくれそうな気がした。
「‥‥雨だと、月が見えないな‥‥」
 昼でも見える月は、空を見上げる楽しみの一つだ。今日はまばらな雨雲に隠れていて見えない。月を探すのはあきらめて、紫陽花へと視線を戻した。傘はきちんと差し直す。
「一人で見ると、変に寂しくなるな‥‥」
 目の前の白の紫陽花に手を伸ばし、そっと触れる。気付けばこの紫陽花の前に居たのはきっと、心の奥に常に気持ちがあるからだ。
(‥‥雨になると、心が沈む気がする)
 けれど、家に戻れば。
(早めに帰ろう‥‥)

(この中で選ぶなら‥‥)
 広さもあれば、株も多く。誰が揃えたのか、紫陽花の品種も多く揃えられている中でフェンリエッタが選ぶのは、白い紫陽花。色の濃い雨雲のあるせいで少しばかり薄暗さのある景色の中で、ひときわ明るさのある純白は灯火のように暖かい光のようだから。
 誰かの心に暖かいものを灯せるように、前へ進み続ける自分の願いと重なった。

●変化への不安

「恋する女の子は〜、泥なんて付けてちゃ駄目なんだよ〜」
 有紗の脚元に少しだけ跳ねていた泥を拭ったあと、これで良しとネムは微笑む。にこぱっとした笑い顔に隠された何かに気づくことは、初対面の有紗に出来る筈がない。
「ネム〜、泥遊びしたいから〜、持ってて〜」
 近くに居た水奏に手拭いを預けると、紫陽花に囲まれた水たまりの方へとパシャパシャ駆けていく。しゃがんでしまえば、小柄なネムの姿は簡単に隠れて見えなくなった。
 その背中は一人にして欲しそうな様子で、水奏はただ見送るだけに留める。
「男子は悪き事だけでなく、善き事も秘密にしたがるもの。ゆるり答え知るまで待つのもひとつかと」
 二人の様子に首を傾げる有紗に、心配はいりませんと微笑みを向けながら水奏は思うところを告げる。ささやかでも有紗の迷いの手助けになればいいと思う。
(‥‥ただその背中が独りとも見えまする、か)
 胸の内では紫陽花の影にきえたネムのことを想っていた。

 雨に揺れる紫陽花の様子というのも趣深い。装飾花となっているがくは普通の花弁と違って丈夫だからこそ、強い雨が降っても散る事はなく株全体が揺れるだけで済んでいる。
(その強さを表した花言葉があってもいいのに)
 頭と片隅でそんなことを考えながら、菫は東屋で有紗の話を聞いていた。漠然とした不安というものは、ただ吐き出すだけでも解決につながる事がある。後は様々な可能性を伝えるくらいでも、十分手助けにはなるはずだ。
「もしかしたらだけどね、その彼氏さん、何か決心したけど、あなたに上手く言い出せないだけかもね」
 他の仲間達の言葉もあったので、菫からは小さな可能性をあげるだけにとどめておいた。
(求婚しようとしてるけど、きっかけを作れず悩んでる、かも、とか)
 羨ましい気もしたけれど、それは乙女の秘密。

「他人の事なんて、色んな景色や出来事を通して気持ちを共有してみないと、きっと分からない」
 好きになって相手を知ろうと、相手と多くの時間を過ごしても、相手も同じ気持ちでなければ。互いに共有できるほどにならないと見えてこないものだってある。
「一緒に景色を眺めたり、美味しいものを食べたりして、楽しんでみればいいのじゃないかしら」
 不安になるばかりで何もしないよりは、きっと意味のある何かが得られるはずだと思う。
「せっかく手の届く距離に、想いが通じた相手がいるのだから」
 その相手の傍に居場所があるなら、それを信じて欲しいと願って伝える。居場所があるなら、それを大事にしてほしいとも思う。フェンリエッタの思いは言葉の意味と、その声音で伝わっているはずだ。

「気になる事は恋人に確かめてみよ。妾は何時もそうしておる♪」
 悩んで時間を取るよりも実際に動く、なるほどリンスガルトらしい助言である。
「何も気後れする事はないのじゃ」
 だからこその恋人じゃろう? 見上げるように問われ、有紗も心を決めねばと思ったようである。

 仲間達を見やり、時雨もそっと言葉をかけた。
「色恋なんて、この時期の雨だったり、紫陽花の色みたいにコロコロ変わって、不安なもんよね」
 貴女のような時期はとうに越えてしまったけれど。
「たとえば一緒になって、子供が生まれても」
 それくらい繋がりを深めても、不安になることだってあるのだと伝わるように努める。今だけじゃなくてこの先も続くものを、なるべく皮肉にならないように気をつけながら。
「だからま、繋ぐ手は繋いで、掛ける言葉は掛け続けたらいいのよ、きっと」
 何かをし続けることが大事なんじゃないかしら、ね?

●花は散るもの絆は結ぶもの

 紫陽花の壁に囲まれれば、誰の視線も遮り護られたように感じて。ネムは一人で暫くボーっと紫陽花を眺めていた。
 ふと、自身の左腰に触れた。かつて其処にあったはずのオレンジの薔薇は、もうそこには無い。その事実を思い出して息を飲む。体の力が抜けて、崩れる様に地面に膝がついた。
「『家族だんらん』なんて、もう‥‥っ」
 呟く声は震えている。
「どうして‥‥っ、バラバラになっちゃったのぉ‥‥っ!!」
 ぽつりと膝に滴が落ちる。雨とは違う、瞳から流れる滴。雨に紛れ、共に流れていく。
 この雨の降る間だけだから。これを最初で最後にするから。家族の幸福を思わせる花に囲まれて、独り『絆』の花を、失った者達を想った。

(ネムの『みかママ』と呼ぶのも言葉遊びとも思っていたところを、あるのでしょうな‥‥)
 親しい友人同士の、その友情を示すための家族の真似事、遊び心の含まれた呼び方なのだと思っていたことは否定できなかった。再び家族を得ることに少しばかり、気後れしていた自覚はあった。しかし、ネムが家族を欲し、自分を母と心から呼んでくれているとしたら?
(ならば母がすべきはひとつ、ですな)
 心を決めた水奏はネムを迎えに行く。地に膝をついたまま微動だにしないネムを後ろからしっかりと抱きしめた。
「ネムの悲しみは拙者の悲しみ。ネムの喜びは拙者の喜び」
 冷えた身体に、心に温もりを与えるように。ゆっくりと言葉を口にする。
「拙者の娘、拙者の命、拙者の生きがい‥‥」
 泣き疲れ、雨に打たれ冷え切ったネムの体に温もりが伝わっていく。
「ネム。もう一度約束いたしましょう。拙者は、ネムの母に御座いまする」
 視線を上げれば、母と慕う水奏の慈しむ視線と重なる。其の優しさに心の底からの微笑みが浮かび、ネムはゆっくりと寄り掛かった。
「ありがとう、みかママ‥‥」

「散らしちゃった紫陽花なら、持って帰っても大丈夫よね」
 ただうち捨てたままなのは忍びない。時雨はまだ形を綺麗に残している紫陽花を拾い上げ、軽くふって泥を落とす。
(紫陽花の花言葉の一つは『家族団欒』らしいじゃない? 悪くないお土産よね)
 まだ小さい娘は花を見て何を思うだろう、そして旦那は‥‥どうだろう?
「さ、愛しい娘とデリカシーに欠ける旦那の待つ家に、帰りましょ♪」