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■オープニング本文 ●村を襲うこと 秦国は天山に程近い村。霧深く、谷川の近くに屯する。豊かな水源を恃みに農作を営み、霧雨を塗された青葉は、潤として水を吸ってゆく。 その作物が今、仰々しい馬の蹄に踏み荒らされている。折角に実り出していたものを粉々に砕き、馬に上った者が何やら険しいことを怒鳴り散らし、刀や槍をこれ見よがしに振り回して、村人を追い散らしていた。 「おらあ! 殺されたくなかったら、とっとと金目の物を出しやがれ!」 一際体躯の立派な男が恫喝すると、今度こそ村人たちは恐れ戦き、言われたとおりに家の中からこぞって金品を差し出した。 この者、性、峭刻を極め、近隣よりその残忍な行いによって恐れられる、名の知れた山賊である。 今日もまた徒党を組み、蛮行に物を言わせて村の蓄えを寇掠していた。 何となれば村人の一人くらい斬り殺して、見せしめにしようかと考えていたが、存外にも村人は殊勝であり、無駄な殺生をすることもなかった。 手下は手際よく村人から集めた金品を袋に詰め、馬に上がった。 「また来るからな。せいぜい溜めこんどけ!」 捨て台詞を残し、山賊は翻って山の方へと駆け出した。無論、何ら抵抗する術を持たぬ村人は、その様子を阿呆のように眺めるほかなかった。 馬に跨る様をぼうと見つめる村人は、山賊には鈍重に映った。 せこせこと畑を耕したところで、刀一つ振りかざせば、その努力を差し出す。そして取られた後もまた、同じように彼らは耕すしかないのだ。 人と思えぬ鈍重さだ。牛馬のそれに近い。ただただ搾取されるばかりで、何も変えようとしない。 いい気味だと、山賊はほくそ笑んだ。ならばこちらは、搾り取れるまで搾り取ってやるだけだ。 堪らず村人の前で、大げさに哄笑していた山賊の耳に、思いも寄らぬ音が響いた。 それは聞くからに獰猛さが伺える、肉食の獣の声であった。 びくりと身を竦めたのは、村人や山賊だけでなく、彼らの乗る馬もまた慄き、騎乗していた者たちを振り落としてしまった。 突然のこと、山賊は俄かに反応できず、戦利品の詰まった袋を抱えたまま、馬を見送っていた。 「ま、待てこらあっ!」 漸う口にした言葉は如何にも遅きに失し、馬達を引き止めるには至らなかった。 そんな彼らの前に、馬とはまた違った四足獣が立ちはだかる。 黄色の毛並みに黒い線を生やし、のそりのそりと歩み来るそれを見て、村人は脱兎の如くに逃げ回り、山賊はいっそ弛緩し、目鼻や尿道さえ緩ませ、液をそこらに垂れ流すばかりだった。 その獣は、あの咆哮の主に他ならないことは、火を見るよりも明らかである。 「ああ、ああ……」 口吻を戦慄かせる者たちを前に、虎はその口を限界まで上下に開き、豪快に頭蓋を丸呑みにした。 ●山賊を食らうこと ぴちゃぴちゃと、水を叩く音がする。それに混じってごりごりと、堅い何を削る音もする。 村人達が遠巻きに見守る中、虎は満足げに、今や骨を残すばかりの山賊たちをしゃぶり尽くしていた。 残った肉を舌でこそぎ、骨から軟骨を齧り取る。 程なく綺麗に食べ終わった虎が、辺りにぐるりと顔を向ける。その様相だけで、村人の中には失禁を催す者さえいた。 通常の虎よりも、明らかに巨躯を誇るそれの正体は、素人目にも明らかである。 超常にして醜悪の存在――アヤカシである。瘴気より出でて、人を食らう怪物が、何故このような村に現れたのか。 山賊のときと同じく、恐れ戦き静観を決め込む村人に斟酌する様子もなく、虎は現れたときと同じように、のそりのそりとした歩みで林の入り口に至ったかと思うと、草むらの中に分け入ってしまった。 村人はやはり阿呆のように、その様を眺めているだけであった。 ●開拓者を呼ばわること 「虎が出たそうです」 受付の青年は、開口一番にそう言った。 こほんと咳を払い、青年は言い直す。 「まあ、それくらいなら大した事は無いのですが、この虎、どうもアヤカシだそうです」 そこで言葉を切り、青年は何とも口を濁すように続ける。 「アヤカシなのは確かなようなのですが、村人が言うにその虎は、山賊などの悪人しか食べないんだそうです。なのでその、退治しろというわけじゃなくて、そのアヤカシが危険かどうかを確かめて欲しいとの要請なのですよ」 面倒そうな依頼で申し訳ない。青年は頭を掻きながらそう言った。 「とは言うものの、アヤカシというのは人を食らうのが性情です。襲われるのを前提に行動されるのが無難だと、私は思います」 最後は神妙な面持ちで占め、青年は開拓者を見送った。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
からす(ia6525)
13歳・女・弓
天ヶ瀬 焔騎(ia8250)
25歳・男・志
趙 彩虹(ia8292)
21歳・女・泰
エグム・マキナ(ia9693)
27歳・男・弓
宿奈 芳純(ia9695)
25歳・男・陰
久悠(ib2432)
28歳・女・弓
鉄龍(ib3794)
27歳・男・騎 |
■リプレイ本文 ●虎の入り 秦国は天山の雄姿を望む村の夜明けごろは、山間から流れ落ちる霧にすっかり覆われている。 夜が明け、日が差し始めてようやく霧は少しずつ晴れていき、農作に励む村人の姿もまた浮かび上がる。 山賊に襲われ、アヤカシが現れたというのに、村には一分の揺らぎもなく、傍目にはただ漫然と、日々を過ごしているように見える。 しかし、本当にそうだとすれば、開拓者など呼ぶことは無いだろう。 天ヶ瀬 焔騎(ia8250)は清涼な霧の残滓を吸い込んで言った。 「虎か。いずれにしても、放っては置けんな」 山賊を悉く食らって、村人には指一本触れずに去った虎のアヤカシ。その行動に微妙なところはあろうとも、アヤカシは人を食らうを旨とする怪物である。 開拓者としては、野放図にしておくわけにはいかない。 エグム・マキナ(ia9693)も天ヶ瀬の言に同意したのか、深く頷いた。 「悪人を襲う虎……とは言え、所詮アヤカシ。信用も信頼もしかねます」 山賊を襲い、村人を襲わぬとは、言葉尻だけ見れば正に正しき所業である。エグムとてそれを否定する気は無い。 だが、ことアヤカシが相手となれば、話は違ってくる。彼の経験則から言えば、一見してアヤカシが人間に益する行動を取ろうとも、その本質――人を食らう――は変わる事が無い。 「見た目は虎でも、アヤカシなんですよね……」 趙 彩虹(ia8292)はそこはかとなく悲しげに呟き、依頼の内容を記したメモを弄ぶ。 秦国の生まれである趙は、虎に対して一方ならぬ思い入れを持っている。そんな彼女は、今回の依頼を請けるに当たって、心境を複雑に推移させざるを得なかった。 しかし、全ては村人のため。そこに住む人々のため。開拓者としての本懐は決して曲げはせず、また譲ることも無い。 「アヤカシでなくケモノであれば……人と友好関係を築くのもいるらしいが」 鉄龍(ib3794)もまた眉根をひそめ、ぽつりと呟く。 感情の起伏に乏しく、ともすれば何ら変わらぬ表情に見えるが、彼に親しき者ならば一見して、その煩悶を感じ取ることだろう。 虎アヤカシの所業。村人が依頼した意味。それらを加味すれば、そこに懊悩を催してしまう。 「私も、アヤカシは……」 柊沢 霞澄(ia0067)は途切れ途切れに漏らす。 人間にしても、とかく善悪の判断というのは相対的で判然としないものである。 それに、人が思うところの『悪』を、真逆アヤカシが斟酌しているはずが無い。 だとすれば、件の虎アヤカシは『悪』という概念ではなく、より即物的な物事を判断しているに過ぎないのではないか。 村人の安全を思えばこそ、柊沢はそのように勘繰ってしまう。 「私は、相手がアヤカシである以上は、危険が迫る前に倒すべきだと思っている」 からす(ia6525)は比較的に、しっかりとした言い切り様だった。 無論、虎アヤカシの行いの発端が如何なるものかは気になるが、だからといってアヤカシを放っておくなどという手は無い。 村人が食われてからでは、何もかも遅すぎるのだ。そうなる前に手を打てるのならば、可能な限り最善を尽くすべきである。 「このアヤカシが人の善悪を識別できるか、不明な点が多すぎます。 人を襲う以上、調査結果の次第では退治すべきと思います」 宿奈 芳純(ia9695)もまた画然と言い、懐に揃えた符を確認する。 今回用意したものであれば、調査と戦闘を行うのに十分である。そのアヤカシが如何なるものかはまだ分からないが、まずは探し出し、誘き出すことが肝要である。 そんな彼らの言い様を、久悠(ib2432)は神妙な面持ちで聞いていた。 確かにアヤカシは、人にとって危うい。それくらいは、村人とて百も承知であろう。しかし彼らにとって、山賊から受ける被害も看過できるものではない。 それを取り除いてくれるのならば、例えそれがアヤカシだったとて、何の不都合があろうか。かつまた村人には、今のところ何の被害も無いのである。 そこにこそ『討伐』ではなく、あくまで『調査』を依頼してきた村人達の、打算と希求とが垣間見れる。 何れにせよ、その辺りのことは村人とよく吟味して決めねばならないだろう。 「よくぞお出でくださった。ささ、お上がりくださいまし」 村長に迎えられ、彼らは集会場も兼ねている広めの屋敷へと通された。 そこには農作業を早めに切り上げた村人達が数人、既に床に座していた。どうやら彼らもまた、村長と共に開拓者の話を聞きたいらしい。 村人に村長、それに開拓者の面々は、細長い机を挟んで向かい合う形を取っていた。 「村に来て下さったということは、依頼のほうは請けてくださるということで、よろしいのでしょうか?」 開口一番、如何にも腰の低そうに村人は尋ねる。 「はい。それは無論です」 彼らを努めて安心させるように、柔和な笑みを浮かべてエグムが答えると、やはり村人は幾度も頷いて礼を言った。 「しかし、アヤカシの討伐もまた、私たちに任務であることは、お見知り置きいただきたく思います」 からすの言葉に、村長のみならず村人たちも俄かにざわめく。 「まだあの虎が、討伐すべきものとは決まっておりますまい。それは早計ではないでしょうか?」 「そうだ。もしかすればアヤカシにだって、良い奴が居るかもしれないぞ」 如何にも希望的観測に富んだ物言いに、開拓者勢は大きな落胆を覚えざるを得なかった。 常日頃よりアヤカシと関わることの多い彼らは、間違ってもそのような妄念に取り付かれることは無い。 そのような望みは、とうの昔に断たれている。 「依頼を請ける以上、可能な限り御意に沿うべく働かせていただきますが、何かがあった後では、困るのです」 からすはその体躯に似合わず、厳しい口調で村長らに言い聞かせる。 鉄龍が鷹揚に頷き、その黒々しい瞳で彼らを眇める。 「アヤカシは人を、力を蓄える為の餌としか思っていない。仮にあのアヤカシが悪人だけを襲い続けたとしよう……。 そのような噂が広まれば、盗賊はここには近づかなくなる。そうなったら、次にアヤカシが襲うのは誰だ?」 鉄龍の言葉に、村人たちは二の句が継げず、黙然と佇む。彼のその威容と相まって、重々しい説得力が伴う言となっていた。 村長たちの様子を見兼ねたエグムが、やんわりと手をかざして二人の厳しい言い方を止める。 「古今東西――人に利するアヤカシがいた試しはありません。実際は『餌場』が欲しいだけ、となる辺りが関の山です」 昔取った杵柄か、エグナは如何にも教師然とした振る舞いで、優しく村人を諭していく。 「善悪の判断というものは主観的で、人のいう『悪』をアヤカシが理解しているとも考えにくいので……。 例えば見た目や行動等から判断しているのではないかと……」 柊沢もまたその容姿を裏切らぬ、楚々とした言い様で村人達に話しかける。 「……分かりました。もし開拓者の方々が危険であると判断されたなら、そのときは討伐のほうも頼みます」 村のためをこそ思っての諫言は、果たしてその通りに伝わったらしく、漸う開拓者たちの意図を飲み込んだ村長は、深く頭を下げた。 他の村人もまた、それに倣う。 開拓者たちは早々に集会所を辞し、村の近くにある林の方へと向かった。 ●虎を探して 林の中を、真っ白な小鳥が行き交う。忙しなく羽ばたいては樹間を渡り、どこへともなく飛び去ってゆく。 地上では、これまた淡白い鼠が這い回る。すんすんと頻りに鼻で地面を擦り、草間へと分け入っていく。 陰陽師である宿奈の得意とする、人魂である。式によってその形を小動物のそれに変容させ、人の感覚では見落としてしまう手がかりを捜索させる。 今回のような広漠とした捜索作業には、正にうってつけの術式と言えた。 そこから少し離れた場所では、エグムが弓を携え、矢を番えずに弦を引き絞る。 張り詰めた弦を開放され、澄み切った音響が辺りに染み渡ってゆく。音は隅々まで届き、然るべき目標に共振する波長を有している。 弓の操作を得手とする弓術師ならでは捜索方法、『鏡弦』である。その音の届く範囲ならば、アヤカシのいる方角や、大まかな位置まで察知することが可能である。 宿奈は小鳥と鼠の群れに導かれるまま、とある草薮の前へと立ち至った。小鳥と鼠が頻りに草薮の前を行き交い、主に伝えている。ここが捜し求めていた場所だと。 「エグムさん。こちらに来ていただけませんか?」 宿奈が呼ばわると、耳の良いエグムはすぐにその草薮の前まで走り寄ってきた。 「この獣道、アヤカシのもので間違いないようです」 宿奈がそう言って草薮を指し示すと、エグムは草薮に僅かに踏み入り、前方に向けて矢無き弓を打ち放った。 残響が暗闇に吸い込まれ、徐々にその鳴りを潜めてゆく。 「……ふぅ。複数の反応があるかとも思いましたが……杞憂だったようですね。まぁ……それならそれで問題があるのですが」 彼もまた、その草薮がアヤカシの通り道であることを確信したらしい。 二人は調査を終え、他の皆を呼ばわるために林の入り口の方へ戻っていった。 ●虎寄せ 村で借りた馬に上がり、久悠は天ヶ崎を伴って林を行く。 傍から見れば、なるほどそれは山賊の大将と手下に見えなくも無い。 開拓者の中には、さながら軍人の如くに鎧や服装に厳粛さを求める者もいるが、久悠や天ヶ崎の気性に、そのようなことに対する拘泥はない。 それが幸いしたのか、こうして山賊の風体を装うのにも、さほどの苦労は無かった。 しかし無頼の輩と言うには、二人の雰囲気はあまりにもゴツ過ぎていた。 悪人を好んで襲う虎アヤカシを誘き寄せるため、彼ら開拓者が考案したのは、芝居を打つことだった。 林の中で休む、武器を持たない村人役。それを襲う山賊役。さらにそれらを見守る役とに分け、虎アヤカシをまんまと誘き寄せ、かつその性情の程を見極めようという試みだ。 天ヶ崎は、手に持っている薙刀を堅く握り締めた。志士である彼の本来の得物は、薙刀ではなく、腰に差した一振りの刀である。 その薙刀は、村人役を買って出た彼の朋友、趙の得物である。村人役が武器を持っていては、真に虎を見定めることは出来ないとして、趙は林に入る前に天ヶ崎に預けていた。 この作戦は言うまでも無く、山賊役と村人役が大きな危険に晒される。特に村人役は無防備な状態で、至近から虎アヤカシとの遭遇を強いられることになる。 如何な開拓者とて、武器を持たずにアヤカシと戦闘を行うのは無謀である。 もし虎アヤカシが趙と襲うことがあれば――。そう考えると天ヶ崎は、万に一つもその薙刀を渡す機を逸することが無いようにと、緊張を伴わずには居られなかった。 程なくして、二人は多少に開けた場所へと出た。宿奈とエグムが探し出してくれた、虎アヤカシの通り道である。 果たしてそこでは手筈の通り、エグムと趙が歓談しながら休んでいた。エグムは自前の酒、ヴォトカに舌鼓を打ち、趙も舐める程度にそれを頂く。 ここからでは姿を確認できないが、他の者達も近くに控えてくれていることだろう。 久悠は大きく息を吸い、二人に向かって怒鳴り散らした。 「こらあッ! そこの二人、有り金全部置いていきやがれッ!」 二人にも、控える四人にも、そして虎アヤカシにも聞こえるよう、叫び上げる。そして演技をさらに迫真とするため、天ヶ崎が刀を抜き払い、久悠は弓を持ち、矢を番える。 身構える二人のうち、天ヶ崎がエグムに斬りかかる。その素早い太刀を受け、エグムの前腕に赤い線がすらりと描かれる。 長い刀の、その切先が一寸も入ったかどうかというほどの、浅い傷である。 さらに久悠が趙へ向けて矢を放ち、その体を掠め過ぎた。その場から動くことの無かった趙の脇腹から、どろりと重たい液が垂れ、赤くその服を汚していく。 恐れ戦いた体で村人役の二人が後ずさり、山賊役の二人が歩を進める。 「抵抗するなら、命はねぇぜ?」 そのようなことを言い募る天ヶ崎だったが、しかし思わずほうと息を吐いていた。 エグムと趙に負わせた傷は、しかし全く支障の無い類のものだった。天ヶ崎の太刀傷は言わずもがな、趙の脇腹もその実、事前に服を着替えてそこに血糊を仕込んでいただけのことである。 しかしそれでも、彼ら四人の動きの何れかが噛み合わねば、致命傷を負って然るべき攻防であった。 開拓者として研鑽を積んできた彼らをして、心胆の冷えを抑えられぬ演技であった。 血を漂わせ、鉄器をちらつかせ、まさに山賊の様相である。 後はここに、虎が至るのも待つばかりだった彼らは、地鳴りのようなものを一様に感じた。 腹の底の、さらに奥をぐらりと揺さぶる低音が、唸りを上げてこちらに近づいてくる。 果たして草藪を突き破って現れたのは、正に相見えんとしていた虎アヤカシであった。 その体躯、放つ瘴気。何れも獣である虎とは似ても似つかない。至近で相対していた四人は、それを如実に感じ取っている。 皆に緊張が走る。誰を、どのように襲うのか。それでこのアヤカシへの対応が決まってくる。 ●虎に掛かる 一髪千鈞を引く間。虎アヤカシが飛び掛ったのは、何と脇腹から血の流す趙だった。 「……えんき! 武器をっ!」 皆が呆気に取られた一瞬。当の本人こそ理性的だった。この状況では、なお見極める労は要らない。 呼ばわれた天ヶ崎が薙刀を投げ、趙がそれを受け取ると、くるりと頭上に翻し、虎アヤカシの頭を打ち据えた。 そのまま打撃箇所を支点としてくるりと跳ね上がり、虎の突進を遣り過ごす。 さらに姿を隠していた四人が、虎アヤカシへと殺到する。 「むんッ!」 鉄龍が大身のフランベルジュを、その上段から虎の肩口へ叩きつける。波打つ刃が肉を裂き、歪な破断面をそこに顕す。 そこへ既に弓を取り戻したエグム。騎馬より構える久悠。身を隠していたからす等三人の弓術師が、三方より矢を浴びせかける。 「己が喰らった者達の嘆きを聴くがいい」 からすは気を凝らせた矢で、見事、虎の耳の辺りを中ててみせた。 途端、虎は身を捩って狂奔し始めた。もはや防御もままならぬ様子で、面白いように他の者の攻撃が命中していく。 探索に使う『鏡弦』の、さらなる高級技。『響鳴弓』である。その精妙な技の運用によって、放たれる矢に膨大な音を封じ込め、敵の内部へと流し込む。畢竟、敵は自身の内部からの大音響を受け、攻めるも受けるもままならぬ様相となる。 その隙に柊沢は、エグムの近くへと寄り、赤く血を垂らす腕に掌を添えた。 「精霊さん、エグムさんの怪我を癒して……」 林の中に充ち満ちる精霊に呼びかけ、その力を借り受ける。すると血を流していたエグムの腕から赤みが引き、傷は互いに引き付いて元の肌色へと姿を戻した。 「食らわれる苦しみ、あなたこそが味わいなさい!」 宿奈が裾から投げ放った符が、はためいて虎に襲い掛かる。 虎に取り付いた途端、符は姿を変じ、獣の顎となってその体に齧り付く。 瘴気を好む式を顕現させ、アヤカシの体を喰らってしまうという妙技『魂喰』である。食いつかれたが最後、式は消えるまで瘴気を求め続ける。 「グオオオオオオオッ!」 突然、虎は背を伸ばし、昂然と吼え猛った。周囲の大気をどよもし、ぞわぞわと木々が鳴る。 取り付いていた式の大半が、今の衝撃で吹き飛ばされてしまった。 虎はさらに形相を険しくさせ、喉の奥でぐるぐると雷を転がす。そして最も手近にいた久悠に飛び掛った。 矢を番えんとする馬上の彼女の、さらに頭上から虎の爪が振り下ろされようとする。 「出でよ、ヌリカベ!」 宿奈は気合と共に符を放ち、虎と久悠の間に白い壁を生じさせた。 結界呪符の一種、『白』である。 壁に獲物との間を阻まれつつも、虎はなお食らいつかんとしてその壁の頂に爪を立て、乗り越えてしまった。 果たして壁の上に顔を出した時、既に久悠は矢を番え終え、狙いを定めるばかりだった。 「――六節」 而して、虎の頭がぶるりと震え、壁の向こうへと傾れて倒れた。 その顔面には幾重もの矢が連なって、最早その相貌も明らかならぬ状態に陥っていた。 虎が壁に顔を出した瞬間に、久悠は弓を打つ基本の動作を速めていた。 その動作は拙速を極め、瞬時に何重もの矢を目標へ突き刺してみせた。 しかし虎はなお立ち上がり、自分の顔を前足で掻いて矢を取り除いた。 恐るべき強靭さである。ここは奥義絶招の類を以って、迅速に決着するのが望ましい。 虎がまたも駆け出すのと、鉄龍が踏み出すのとは、殆ど同時であった。 虎の前足が、彼を横合いから殴りつける。そして勢い良く血が飛沫を上げ、草薮に降りかかる。 「龍の爪に、勝てるとでも?」 血を流していたのは、虎のほうだった。虎の前足の影から放たれたフランベルジュが、虎の首を撫で斬りにしていたのだ。 そして肝心の虎の前足は、鉄龍の異形な左腕でがっちりと押さえ込まれている。 虎が僅か、身を退いた。まさかそのような隙を、鉄龍が見逃すはずがない。 彼は左足を前に出しながらさらに虎へ切迫し、その脇腹に左腕を向かわせた。 龍の爪が、虎の腹を薙ぐ。爪がごっそりと肉を削ぎ、虎は斜めに吹き飛んでゆく。 そこへ薙刀を振り回し、風を巻いて趙が飛び出す。 一歩踏む度に速度を増し、その鋭さを高めてゆく。たたらを踏む虎の、さらに低空に薙刀を忍ばせ、一気に突き上げる。 高度な錬気によってさらに威力を増した発勁、『破軍』である。 薙刀が刃区の辺りまで虎の中に潜り、その巨躯を高く打ち上げた。 「えんきッ!」 趙に呼ばわれるまでもなく、天ヶ崎は既に虎の落ちるであろう場所にて構えていた。 刀を鞘に収めたまま、それを腰溜めにして大きく身を捩っている。 刀に込められた気は既に臨界を越え、紅葉のように赫とした光を放っている。 放たれるべき時を、今か今かと待ち受ける。 「朱雀悠焔――」 天ヶ崎の口訣を受けてか、刀の放つ光が一層に瞬く。 虎は、既に目の前。 「――紅蓮椿!」 抜刀と共に鞘から漏れた赤光が、虎の心臓を打ち抜いた。それに留まらず、光は胸を横に走り、虎の胴体を二分した。 刀がようやく光の鎮め、虎を通り過ぎた天ヶ崎が納刀した。 林の中に、澄んだ鞘鳴りを響かせる。 それに一拍ほど遅れて、虎の体がずるりと頽れる。赤い燐光が通った場所を悉く切断され、もはや肉塊と化したそれは、すぐに大気へと溶け入る瘴気へと変じていった。 ●義虎の村 「調査の結果、危険と判定されましたので、退治しました」 宿奈から虎の調査、及び討伐が完了したことを告げると、村長たちはやはりと言うべきか、少なからず失望の色を顔に表した。 そのような顔をされては、こちらとしても胸が痛む。だからこそ、それを放って置くようなことはしない。 「ただ、『この村周辺には、盗賊を好んで襲うケモノがいる』と噂を流して、盗賊対策を行いますので。 それでも盗賊が来たらギルドに盗賊退治の依頼をお願いします。報酬無しでも動く開拓者はいます」 村長がきょとんと顔を上げる。宿奈の言わんとするところが、よく分からなかったらしい。 そんな会話に、天ヶ崎が助け舟を出す。 「つまり――これを気に、村の守り神に虎を祀ってはどうだ?」 ようやく村人たちも、なるほどそうかと頷いた。しかしそれでも心配なのか、まだ疑問の声が上がる。 「それでも来ちまったら、そのときはどうすれば良いのですか?」 「もしまた盗賊が出たのなら、アヤカシではなくギルドを頼れ。志体持ちの開拓者なら、盗賊如き簡単に討伐してみせるさ」 鉄龍の何ともぶっきらぼうで、かつ頼りがいのある口調に、村人は皆して頷いていた。 「簡素でも良いので、塚を置かれるのも効果的だと存じます」 「おお、では早速職人に作らせます」 からすの進言を受け、村長はすぐに塚を作る手筈を整え始めた。 それを見守りつつ、開拓者一同はその村を辞した。 「これであの虎さんは、本当に村を守るようになるのですね……」 柊沢が感慨深げに言い、もう一度村のほうを見遣った。 やはりアヤカシが相手とあっては、村人が望んだとおりの結末とは至らなかったが、これによってそのアヤカシの存在は、真の意味で村を守り、山賊どもを畏怖せしめるものとして生まれ変わったと言える。 「それにしても村の守り神か。逞しいことよ」 久悠はくすりと笑い、あの凄まじい虎との戦いに思いを馳せた。そして無性に、新大陸への憧憬も胸に去来するのであった。 |