霧の海、貝の口
マスター名:碇星
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/09/11 23:25



■オープニング本文

●海に霧
 釣り上げた魚を器用に針から外し、慣れた手付きでびくへ放り込んだ。
「たはあ。今日も大漁だあ」
 男はのほほんと呟きながら、また優雅な海面に糸を垂らす。
 ぎいこぎいこと小船に揺られながら、こうして釣りに興じるのが、邦次《ほうじ》のささやかな楽しみだった。
 そんな夕飯半分、趣味半分の釣りだが、思いがけず大漁であることにすっかり有頂天だった。どうやら今日の自分は、釣りの神に愛されているらしい。
 ならばと、邦次はより沖合いに出てみることにした。波はより高くなるが、まだ島の見える位置だし、儀の端には程遠いので、まさか空に落ちる心配は無い。
 さて、今度は香厳島のほうにでも向かおうか。そう決めて櫂を取った邦次の目の前に、突如として緑の稜線が現れた。
 海原を覆う薄霧を雲海の如く纏わり、峰がそそり立つ。
 思わず櫂を取り落としそうになった邦次は、揺れる小船の中にどたりと倒れこんだ。
 まだ香厳島どころか、ほかの島からも離れた沖合いである。これほど近く、手に届くかと思うほど近くに、島などあるはずが無い。
 見上げれば見上げるほど巨大に、その山は聳えている。そのくせ下に目をやれば、いつの間にか濃くなった霧に紛れて判然としない。
 その量感と反比例して、何とも存在が希薄に感じられる。
 一体全体何が起こったのか分からないが、邦次は再び櫂を取り、先程とは逆の方向へと漕ぎ始めた。一刻も早くここから離れ、釣った魚を焼いて食べてしまいたい。
 そうして深く煙る霧のことも、いつまでも島並みが見えないことも考えの外に置き、必死に邦次は櫂を漕ぐ。
「すぐだ、もうすぐだ」
 自身にそう言い聞かせ、ひたすらに船を進ませる。
 早く港に着いて舫をして、家に帰って大漁だったことを自慢したい。家族に美味しい魚料理を食べさせてやりたい。
 そんな幻影が、白んだ霧に映ったような気がした。
 もう櫂を漕ぐ手すら見えはしない。淀んだ白が体中に巻きついて、波の音しか感じられない。
 その中で一際高い波の音が、邦次の船のすぐ近くで上がる。もう心の平衡がとっくに乱されていた邦次は、今度こそ手に持った櫂を海へと落としてしまった。
 海を割って出たそれが、霧の向こうにうっすらと透けている。
 これ以上、一体何があるというのか。のっぺりとした黒影がこちらに向かってきているのか、段々と影が濃く、そして大きくなってゆく。
 それが大きな貝だと分かったのは、邦次と彼の船は、ばっくりと飲み込まれた後だった。


●漁師の憂鬱
 朱藩の港では、多くの漁船が停泊していた。本来は漁に出ている時間だが、皆好きで油を売っているわけではない。
 ここ数日というもの、昼夜問わず突如として霧に撒かれ、行方の知れなくなる船が頻発していた。
 その騒動は治まる事は無く、むしろ段々と襲われる船が大きくなっている印象がある。
「これは、開拓者に調べてもらう手かの」
 年配の網元が重い腰を上げ、漁師たちを見ながら言う。このまま海に出られなければ、漁師達は仕事にならない。
「んじゃ、ギルドに行って来るけ。留守さ頼んだぞ」
 そう言って場を後にする網元を、皆は陰鬱な目をして見送った。
 開拓者を呼んで調べてもらうとなれば、彼らを乗せて海に出なければならない。さて、それは誰が担うべきか。
 それを思うと、彼らは一様に陰鬱な心地になっていった。


■参加者一覧
犬神・彼方(ia0218
25歳・女・陰
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
鴇ノ宮 風葉(ia0799
18歳・女・魔
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
アッシュ・クライン(ib0456
26歳・男・騎
アリシア・ヴェーラー(ib0809
26歳・女・騎
鹿角 結(ib3119
24歳・女・弓
月影 照(ib3253
16歳・女・シ


■リプレイ本文

●港の漁師
 今日の朱藩の海は、緩やかに潮騒が響き、儀の端まで見渡せるほど澄み切っている。
 霧が立ちこめる気配など微塵も無い。
「さてさて、何がありましたやら。……ただの事故、というわけではないんでしょうかねえ」
 アリシア・ヴェーラー(ib0809)は、晴れ渡る水平線に目を遣りながら、ほんのりと呟いた。
「船の一つもない海ってのも、何だか味気ないわね」
 アリシアと連れ立って歩いていた鴇ノ宮 風葉(ia0799)が、素直に感想を述べる。
 彼女の言うとおり、穏やかな波を切って進む船の姿は、一つも見受けられない。
 今は霧が出ていなくとも、船を出せばそれは現れる。濛々と海面から立ち込めて、あっと言う間に包み込んで、欠片も残さず飲み込んでしまう。
 謎の海難事故が続いた朱藩の港では、そのようなことがまことしやかに囁かれていた。
 漁にも出られず、かといって家にも居られず、港には手持ち無沙汰の漁師たちが屯(たむろ)していた。噂を真に受け、慄いているというよりは、漁を取り仕切る網元が、船出の許しを出さないのだ。
 海に出てこその漁師が、海に出られない。その胸中は、忸怩たるものだろう。日に焼けた浅黒の顔を顰めて、皆一様に水平線を睨みつけていた。
「みんな安心して、僕達が必ず原因を解決して、また安心して漁に出られるようにするから!」
 葬式然とした集まりに、天河 ふしぎ(ia1037)の快活な声が響いた。
 こんなに青い海と空があるのだから、むしろ天河の振る舞いこそ相応しいのだろう。
「ああ。がんばっちくりい、開拓者さん方。また漁さ出られるんを待っとるきに」
「それでは、事故の状況など、知っていることがあればお伺いしたいのですが」
 月影 照(ib3253)は手帳を片手に、歯切れ良く漁師達に尋ねてゆく。
「おう、そういや梶雄《かじお》の奴が見たって言うとったなあ」
 呼ばれ、若い男の漁師がのっそりと近寄ってきた。
「俺の友人で、邦次という漁師が居たんですが、そいつが事故に遭うのを、ちらと見まして……」
 少し顔を青くしながら、梶雄は懸命のその時のことを思い出していた。
「海ん中から真っ白い泡が出たと思うたら、あっという間に邦次の船を包み込んでしまって。それで俺は、大声で港に戻るように叫んだんじゃが、まるで聞こえておらんかった。自分から、霧ん中さ漕いで行っちまった」
 何度も漁師仲間に請われて話したのだろう。その語り口は淡々としていて、聞きやすいものだった。
「それ、お前が拾った言っとたろう、梶雄」
 話を聞いていた漁師が、梶雄に何やら持ってきてくれた。
「あ、ああ。そうじゃ。霧が晴れてから、俺は邦次の居た辺りに船で向かったんじゃ」
 そしてこれが浮いていた。梶雄はそう話して、手渡された櫂を開拓者たちに見せた。
 それは中ほどから斜めにばっくりと断ち割れ、何か強い力が加えられた様を物語っていた。
「まるで、何かに食われたみたいでしょう?」
「いえ、それは、何とも……」
 鹿角 結(ib3119)は、突然話を振られ、歯切れ悪く答える。
 太く丈夫な櫂を一噛みで破断させる。この海でそんなことが出来るのは、恐らくは尋常ならざるアヤカシだけだろう。
 これはアヤカシが食べたなどと、梶雄を前にして、鹿角は言うのを憚ってしまった。
「邦次の奴が消えるとき、ちらりと何か、貝のようなものが、見えた気がするんですなあ」
「そいつが、邦次とやらを飲み込んだのか」
 アッシュ・クライン(ib0456)の問いかけに、梶雄は力なく頷いた。
 犬神・彼方(ia0218)が、ほうと何か得心したような声を上げた。
「でけぇ貝のアヤカシか……。アヤカシじゃぁなけりゃ、食いでがありそぉだが……、アヤカシみたぁいに食えないもんはぁ、とっとと倒しちまうに限るってぇな」
 そうですなあ、と梶雄は犬神に力なく同意した。
「俺らあ漁師やけん、体は丈夫だ。だどもこんな、船さ丸ごと食らっちまう化け物は、さすがに採れんなあ」
 そう言って梶雄は、深々を開拓者達に頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いしたします」
 羅喉丸(ia0347)は思わず梶雄の手を取り、ぐっと堅く握り締めた。
「ご安心ください。必ず、また漁が出来るようになりますから」
 負った怪我など感じさせない、逞しい力を受けて、梶雄はもう一度深く礼をした。


●船出の時
 揚々と風を切り、波に乗り、漁船が久方ぶりに朱藩の海へ出た。開拓者を乗せ、小さな船を曳航しながら、当て所もなく沖合いを右往左往する。
 網元の計らいで特別に船を出すことが出来た開拓者たちは、数人の漁師を伴って、早速調査に赴いた。
 海難事故の犯人がアヤカシだという予想を聞かされた漁師たちだったが、それほど目に見えての動揺はなかった。何故なら既に開拓者によって、アヤカシを退治するための罠が仕掛けられていた。
 漁船に曳航する小船には、アヤカシが好むであろう魚を満載し、藁で編んだ即席の人形が乗せられていた。これによってアヤカシを誘き寄せ、まんまと海面から顔を出したところを八人で一網打尽にしようという寸法だ。
 開拓者の方々がこれほど骨を折ってくださっている。それが安心に繋がり、彼らは滞りなく航海を続けていた。

 漁船の後方にいた鴇ノ宮とアリシアは、熱心な様子で小船を見つめていた。
 小船が引かれる度、くらりくらりと体を揺すって、漁船から眺めていると、まるで――。
「こっちにおいで、って誘われてるみたい」
「そうでございますねえ」
 鴇ノ宮の呟きにアリシアが相槌を返しながら、霧が出るのを今か今かと待ち構えていた。
 ぐったりと体を船に凭れているが、その分だけ神経は研ぎ澄ましている。瘴索結界を常に張り巡らせながら、片時もその範囲から気を逸らさずにいる。
 月影はといえば、一抱えもありそうな樽を叩いたりしていた。
「それ、何に使うの?」
 天河が尋ねると、月影は「アヤカシが出てからの、お楽しみ」とだけ答え、にこにこしながら樽の感触を確かめているようだった。

 後方でアヤカシの気配を探っていた鴇ノ宮が、やおら立ち上がった。
「……そろそろ、来る」
 小さな声だったが、船内にいる人間全てを緊張させるには、十分な言葉だった。
 開拓者たちは各々の得物を携え、これからの事態に身構える。
 時を置かず、船が白い靄に包まれる。梶雄という漁師の言っていた通り、それはどうも海面のほうから、徐々に立ち昇ってきたようだ。
「霧が出てきたな。さて、どこから来る……?」
 アッシュは背に佩いた大剣を構え、霧の彼方を睨みつける。もう特別な感覚を用いなくとも、アヤカシが来ているということが伝わってくる雰囲気だ。

 羅喉丸も、その拳を握り締める。怪我をしてきたとはいえ、否、だからこそ、皆の足を引っ張るような振る舞いをするわけにはいかない。
「できることはあるはずだ。諦めるな、考えろ」
 そう自分に言い聞かせ、アヤカシの到来に備える。
「来る! 小船に食いつくわ!」
 鴇ノ宮が大声で小船を指差し、皆が船の後方へ殺到する。
 その直後、小船が乗っていた波が、やおら堆く競りあがり、ばっくりと二つに断ち割れた。
 その光景に、皆が目を奪われた。
 鯨のように身を翻し、小船を咥え込む、それは巨大な二枚貝だった。
「ウオオオッッ!!」
 犬神が上げた咆哮で我に返った皆は、空かさず貝に狙いを定めた。
 鴇ノ宮が掌から白い稲妻を放ち、アリシアが投擲した槍と、羅喉丸の拳から打ち出された赤い光とが共に殻を打つ。
 さらに、鹿角の燃える矢が精妙に殻の隙間を潜り、中身に深く突き刺さる。
 貝はもんどりうって小船の破片を撒き散らし、巨体を海面に打ち付けた。
「やったんですか!?」
 月影が身を乗り出して貝の沈んだ場所を見るが、小船を繋いでた縄がだらりと垂れているだけだった。
 月影がさらに覗き込もうとしたとき、がくりと船体が沈み込んだ。
 見れば、小船を繋いでいた縄がぴんと張り詰め、今にも船を砕かんばかりに船体に食い込んでいる。
 引きずり込まれている。あの貝が、小船の縄を咥え込んでいる。
「この化け物め、逃がしゃせんぞ!」
 その縄に、無謀にも漁師の一人が飛びついた。
 せっかく見つけた仲間の仇を、このままむざむざと逃してはならないと思っているのだろう。日に焼けた逞しい体に縄を巻きつけ、懸命に踏ん張っている。
 しかし悲しいかな。所詮はアヤカシと人である。単なる力比べで、どちらに分があるかは明白だ。
 どうすればいいのか。皆が僅かに逡巡するなか、天河が飛び出した。
 縄を握る漁師の目の前を、銀の斜幕が通り過ぎた。途端、弾かれるように後ろへ押され、ごろごろと船上を転がってしまった。
「な、何をするかあ!、縄を、縄を切るとは!?」
 今しがた漁師が握っていた縄を断ち切った刀を仕舞い、天河はゆっくりと向き直った。
「あのままだとおじさん、海に引き込まれてたよ」
 そんなの、駄目だよ。天河は悲しそうに続けた。
「あの貝の化け物は、ワシらの仲間の仇だぞ。そんな簡単に、逃がしてたまるものか!」
 語気を荒げて掴みかかろうとする漁師の肩に、犬神の手がぽんと優しく乗せられる。
「あんな大声を浴びせたんだ。小船を食い終わったら、すぐに来るさ。なんせアヤカシはぁ、人間がだあい好きだからねえ」
 犬神はそう言って、口の端を釣り上げる。笑うというには、あまりに獰猛な表情だった。


●晴れる海
 犬神の言葉通り、貝は間もなく漁船のを狙ってやってきた。今度は下からではない。殻の上を海面から出し、船のように航行してやって来る。
 あの巨体が、あの速さで激突してくれば、漁船と言えどもひとたまりもない。
 そうなる前に、片を付ける。開拓者たちの思いは一つだった。
「……紅蓮紅葉」
 鹿角が静かに口ずさみ、弓矢が炎のような赤いゆらめきを身に付ける。厳かに矢を番え、海から出ている殻の、先程の攻撃で傷ついたのであろうヒビへ狙うを付ける。
 揺れる船体を物ともせず、放たれた矢は真っ直ぐに、貝の殻に突き立った。
「アークブラスト!」
「紅砲!」
 その矢を目印に、鴇ノ宮が魔術を、羅喉丸が拳を放ち、さらに寸分と間を置かず、アリシアの槍までもが殻に突き刺さる。
「ギグギャアアアアア!」
 貝の様な体の、一体どこから雄叫びを上げているのか。まるで口のように開いた二枚の殻から、身も弥立(よだ)つ音が鳴り響く。
「そいつを、待ってたんだぁよ」
 絶妙の機に、犬神は符を海に放つ。開放された式が貝の体に纏わりつき、動くことはおろか、殻を閉じることさえ妨げる。
「ありがと、犬神さん!」
 駆け抜け様、月影は犬神に声を掛け、そのまま船体から貝に向かって飛び上がった。あの重そうな、樽を抱えて。
「『投げられない相手』であれば、『相手に向けて投げれ』ば良い……ってワケですよ!」
 月影は正に飯綱落としの要領で、鈍重な樽を貝の柔な中身に叩きつけた。
 一息つく間もなく、月影はその場から飛び退く。彼女に続く第二波が既に迫っていた。
 黒き闘気を纏った大剣と、桜吹雪を靡かせる刀が、競い合うように振り下ろされる。
「桜姫招来……焔・桜・剣、桜舞烈風斬!」
 威勢良く貝の肉を真っ二つに割った天河に対して、アッシュは静かに、貝柱を破断させた。
 殻の保持を失った貝は、仰け反るように殻を海面に打ちつけた。それはまるで、力尽きた巨人が倒れこむような凄まじい音響を上げた。
 立ち昇った波飛沫がぱちぱちと音を立て、船に纏わりついていた霧を流し去ってゆく。
 霧も貝も、雨のような音と共に消えてなくなり、朱藩の海はきらきらと日差しを照り返していた。