烈風鼬
マスター名:碇星
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/03/31 23:24



■オープニング本文

●春風
 天儀南部の朱藩はすでに春の兆しが見え始め、風の荒む日が多くなっていた。冬から春への移り変わりに、風が抗っているかのようだ。
 そんな天気が続くなか、樵の達雄はひたすら木を切り倒し、森から運び出していた。
 これまで相当数切り倒し、原っぱのように開けた森の一部にも、強烈な風が容赦なく吹き荒れる。森の木々はみしみしと音を立てながら揺られ、中程を大きくせり出している。
 かあんと高い音を立てて、分厚い斧が幹に食い込む。片方に切り込みを入れられた幹は、自重と風で一人でに倒れた。
「ふう、こんなもんかねえ」
 今し方作られた切り株に腰を下ろし、干し飯を頬張っていた。木材運びなどで鍛えられた屈強な体を縮こませ、手の中の干し飯が風に攫われないよう守り通している。
 今日は特に風が強い。方向さえ間違わなければ、僅かな切り込みで木が倒れてくれるため助かっている。
 これならば今日は早く帰れそうだと達雄が思っていると。一匹の鼬がひょっこりと切り株の脇から顔を覗かせてきた。黒々とした瞳孔が、じいっと彼のことを見つめている。
 森の獣は、あまりこのように開けた、しかも人のいる場所には姿を現さないものだ。もしかすれば腹を空かせて、干し飯の匂いに釣られてきたのかもしれない。
「ほれ、食うけ?」
 達雄が干し飯を一掴み投げてやるが、鼬はひょいと身を翻して切り株の裏に隠れてしまった。かと思えばくるりと回り込み、反対側からまた達雄のことを見つめている。干し飯にはいっさい目もくれない。
 人の匂いがついているために、警戒しているのだろうか。達雄はしかたないとばかりに肩を竦め、仕事を再開した。
 斧を持ち上げようと右手を上げたが、するりと手応えを失くなり、思わず達雄はつんのめった。
 何だろうかと振り向いて、達雄は斧を握っている自分の右手を見つけた。安心したのも束の間、どこか腑に落ちないものを覚えた彼だったが、そのすぐ後に強烈な立ち眩みが襲ってきて、為す術も無く彼は地面にくずおれた。
 そしてようやく達雄は、自分の右腕が切除していることを確信した。
「ああ、おお、おあ」
 あまりの出来事に頭がついてゆかず、意味のこもらぬ呻きぐらいしか出てこない。いっそ身を捩るほどの激痛があればまだ現実味を伴って理解できたのだろうが、如何せん切り口が鋭利過ぎるのか、全く痛みを感じない。
 あるはずのものがなくて、見えてはいけないものが見えていることに対して、頭がひたすら違和感を訴えてくるばかりだ。
 耳の奥から、潮の引くような音がする。血潮が自分の体から、引き上げてしまっているのだろう。
 左手を使って不器用ながらも立ち上がった達雄は、そこでまたも奇妙なものを目にした。
 風が渦を巻いている。木の葉や枯れ草を舞い上げて、その姿が目に見えるようだ。
 ざうざうと草が鳴り、枝まで攫われて飛んでいく。右の半身をべっとりと血に濡らしたまま、達雄は己の体の奇態な様を忘れ、風の回るを眺めていた。
 正確を期せば、風の元となっているであろうものだった。
 先程の鼬が、切り株の上で後肢でしっかと腰を起こし、背を反り立たせている。どうやらその切り株を中心にして、風は渦を巻いているらしい。
 いや、中心はむしろ、切り株に立つ鼬か。鼬は相も変わらず丸くて黒い眼を達雄に向けている。
 風に混じって殊更甲高い擦過音は、鼬の小さな口から発せられている。
 とさりと、重く草が鳴る。胡乱なままに音の方を眺めれば、それは自身の左腕であった。またも痛みはない。風鳴りと共に耳を聾する血潮の引きが、さらに高まっただけである。
 顔面は既に断ち切られた腕と同じだけの薄白さを帯びているものの、達雄はまだ背を立てて鼬を眺めている。
「ヂイイイイイイ!!」
 鼬の嘶きが一際辺りに響いてから、達雄は風を見た。白々と空気を擦り、引き裂きながら進む横一線の細い風。なるほどこれだけ鋭ければ、人の肉など物の数ではないだろう。
 達雄の確信は正しく、彼の首は切断の音すら立てず、するりと肩に跳ね、草むらに埋もれていった。
 風は荒々しさを増し、未だ吹き出す血さえも巻き上げ、赤く色づきながら樹間を渡る。その只中で、鼬はもはや骸と化した樵の体をちびちびと、しかし身を捩りながら貪り始めた。

●アヤカシの跡
 朱藩で起きた一人の樵の惨殺は、すぐさま神楽の都にある開拓者ギルドへと伝わった。
 首と両腕を断たれた無残な死体は、さらに獣か何かに貪られた有様で、最初に見つけた樵は顔面を蒼白にして村に報告してきたという。
 受付の青年はその報告を中程まで読み進めた時点で、事態はアヤカシによるものだと推察していた。
 森の獣が人を襲うことは確かに少なくない。しかし樵もそれはよくよく心得ている。獣除けの備えは怠らないであろうし、そもそも危険な獣のいるところまで立ち入らないだろう。
 何よりも、敢えて首と両腕を断つという猟奇性は、間違っても獣が持ち得るものではない。よしんば異常な性情を備えた人物か、瘴気より出ずる悪辣の存在――アヤカシくらいのものである。
 被害にあった樵には不謹慎かもしれないが、まだ一人で済んでいるうちに止められれば、それに越したことはない。
 なるべく早くに集まってほしいものだと願いながら、青年は依頼書を壁に張り出した。


■参加者一覧
水津(ia2177
17歳・女・ジ
鞍馬 雪斗(ia5470
21歳・男・巫
和奏(ia8807
17歳・男・志
浄巌(ib4173
29歳・男・吟
長谷部 円秀 (ib4529
24歳・男・泰
ジナイーダ・クルトィフ(ib5753
22歳・女・魔
ルゥミ・ケイユカイネン(ib5905
10歳・女・砲
椿鬼 蜜鈴(ib6311
21歳・女・魔


■リプレイ本文

●風荒ぶ森
 吹き荒ぶ風が森を叩く。幾つも重なって響く葉擦れの音は、まるで不平をがなり立てているかのようだ。
 これからの道行きの不穏さを表しているように思えて、水津(ia2177)は心騒ぐのを禁じえなかった。
「久しぶりの実戦です‥少しの間現役を離れていたブランク‥どこまでかつての力を発揮できるでしょうか‥」
 長らく実戦よりは慣れていた分、技の冴えや咄嗟の判断に遅れが出てくることは否めないだろう。それがどの程度影響してくるか、不安は拭えない。
 しかし今さら退くわけにはいかない。覚悟を決めて、水津は手に持つ魔杖『ドラコアーテム』を握り締めた。
「目撃者の話によれば、開けた原っぱだろうですね」
 村にて目撃者より話を聞いていた和奏(ia8807)は、きょろきょろと辺りを見渡している。
 依頼書や目撃者の話に寄れば、アヤカシの被害者は樵が切り開いた原っぱにいたと言う。当てと言えばそれくらいしかない以上、今はその原っぱを目指すほか無い。
 浄巌(ib4173)もまた開けた場所を探しながら、依頼書をちらと眺めている。
「いやはや 恐ろしきものよの アヤカシは」
 深編笠の下でくつくつと笑いながら、浄巌は言う。
 今回のアヤカシの被害は、ただ一人ながらも凄惨を極めるものであった。両手に首を切断した上で、柔い内臓を根こそぎ食い破られるというものだった。
 椿鬼 蜜鈴(ib6311)は浄巌の持つ依頼書を覗き見て、すっと目を細める。
「愛らしい姿とは裏腹に、何とも残酷な事をしよるものよ‥」
 依頼書や目撃者の話を思い出した椿鬼は、不快そうに眉根をひそめ、苦々しい口調で言う。
 その凄惨なる事件を起こしたアヤカシは、姿かたちこそ可愛らしい鼬のそれだと言われている。だが、その本性は間違いなくアヤカシのものだ。それは被害者の様相を知れば瞭然だろう。
 ルゥミ・ケイユカイネン(ib5905)もその小さな顔をしかめ、頬を膨らませながら言った。
「罪もない人を切り刻むなんて酷い奴だね! 亡くなった樵さんの為にも、絶対仕留めてみせるよ!」
 ルゥミは意気込んで早速『遠雷』の銃身に弾を詰め込む。水晶を用いた照準眼鏡を覗き込み、調子を確かめる。
 この照準に捉えるや、すぐさま撃ち抜く所存だろう。
 雪斗(ia5470)もルゥミの真っ直ぐな怒りに同意し、深く頷いた。
「これ以上放置しておくわけにもいかないだろうね。」
 雪斗の心に早速湧き上がってくるのは、哀悼の意。アヤカシの犠牲になった村人のことを思うと、まさに胸を締め付けられそうだ。
 しかし本当に哀悼を捧げるのは、アヤカシを倒した後である。その討伐を以って捧げげてこそ、被害者も幾ばくか報われるというものだ。
「春を迎えて、これから森へ出掛ける人も増えて来るわね。次の被害者を出さない為、一肌、脱ぎましょ」
 ジナイーダ・クルトィフ(ib5753)は落ち着きを払った口ぶりで言うと、手に持った樫木の杖をくるりと振り回した。
 森の近くの村にとって、ここは木の実を取ったり獣を取ったりと、常日頃から多用する場である。獣が活発に動き始める春となれば、なおのこと森に入る機会は増えてくるだろう。
 そんな折にアヤカシが出たとなれば、村の生活が直接に困窮してしまう。
 そんななかで長谷部 円秀(ib4529)は一人、腰の刀を愛おしそうに撫でながら、口の端をきゅうっと釣り上げていた。
「私の刀と鼬の風‥どちらが早く鋭いか比べ合いといきますか」
 まるで長谷部自身が獣のように、薄く擦れた声を吐く。風を伴うアヤカシならば、それ相応の速力を有するのだろう。
 果たしてその鼬アヤカシの速さが如何なるものか、彼は思案を巡らせていた。


●鼬狩り
 森に入った開拓者達は、早速態勢を整えた。
 長谷部と雪斗と和奏の三人を前に置き、残りの五人が少し離れて屯する。
 陣の中心にいる水津は、瘴策結界を維持し続けている。当然、全員その範囲から出ることはない。
 さらにルゥミも照準眼鏡を覗き込み、特に上方――木の上を念入りに索敵する。
 既にこの森はアヤカシの縄張り。都合よく先手は取れないまでも、敵の仕掛けを食らわぬようにするくらいの配慮は必要だろう。
 森の奥へと進むに連れて、葉擦れがその響を高めていく。もはや地鳴りに等しい轟音が、開拓者達を包み込んでいる。
「何とも荒々しいのう」
 椿鬼の燻らせていた煙管の紫煙が、吹き散らされてしまう。樹間を渡る風が勢いを増し、開拓者たちの頬を過ぎる。
 突然、水津が血相を変えて叫び上げた。
「皆さん、避けて!」
 何故などと問うまでもなく、皆はその場から一気に飛び退っていた。
 幾ばくも間を置かず、一陣の暴風が森を薙いだ。腐葉土を裏返し、枝を軒並み断ち割り、太い幹を揺るがして、得体の知れぬものが開拓者たちを過ぎていった。
 豪快に地面が抉れている様を見て、皆一様に顔を曇らせた。水津の瘴策結界がなければ、先程の暴風によって他の木々や土のように薙ぎ払われていたことだろう。
 既に開拓者達の後方には、先程の破壊を生み出した風の主が居座っていた。
 鳴き声をあげる代わりに風を巻き、甲高い擦過音を奏でているそれは、形こそ単なる鼬にしか見えない。
 しかし風を従え、意のままに操る様を見れば、それがアヤカシであると自ずと知れる。
 先手は取られたものの、全員が無傷である。早速、長谷部と雪斗と和奏の三人は踵を返して、鼬アヤカシへと殺到した。
「ギシャアア!」
 咆哮と共に放たれる不可視の刃を、和奏と長谷部の刀が両断して散らす。その間に雪斗がするりと身を忍ばせ、鼬アヤカシに肉薄した。
「せぇい!」
 瞬脚の勢いのまま、堅い脚絆を振り下ろす。
 そのまま鼬アヤカシを押し潰すかと思われた蹴りは、その手前にて制止してしまった。
 無論、雪斗が手を抜いていないことは、その歯を食いしばる様で知れるだろう。鼬アヤカシの生み出す濃密な風が、雪斗の脚を押し返しているのだ。
 このままでは埒が開かないと見て取った雪斗は、後宙して飛び退る。
「ヂイイ!」
 小さく歯を鳴らし、またも鼬アヤカシが鋭い疾風を吐き出す。
 吐き出される風の刃を細めた目で見分けながら、和奏と雪斗と長谷部は刀で切り払っていく。
 こちらの攻撃も通りにくいが、あちらの攻撃も防げぬ程度ではない。
 にらみ合いが続くかと思われたが、その拮抗は比較的容易に崩れ去った。
 突然、鼬アヤカシの体が赤い飛沫を上げた。
「どんどんいくよ! 当たれ!」
 遠方からのルゥミの射撃が、その体を掠めたらしい。流れるような動作で銃口に弾を込め、さらに撃ち出す。その度に弾丸が鼬アヤカシの体を掠め、肉を抉っていく。
 風の障壁を破りはするものの、軌道は逸れてしまうようで、なかなか直撃とはいかない。しかし確実に手傷を負わせる役目は果たしている。
 程なくバチバチと、空気を弾く音がする。一つはかぎろう炎が空気を熱して弾く音。もう一つは、束ねられた稲妻が空気を爆裂させる音。
 それら二つを左右の手に宿した椿鬼は、ふわりと掌を鼬アヤカシに差し向けた。
「そう簡単に逃しはせぬよ」
 森の奥へと退こうとした鼬アヤカシの追い抜いて、目の前に雷撃と炎が展開する。その余波を受けて、鼬アヤカシが立ち止まった。
 それでもなお退こうとする鼬アヤカシを襲ったのは、雨のように降り注ぐ光の矢だった。
「逃がしはしないと言ったでしょう? 鼬さん」
 ジナイーダが樫木の杖を振るうたび、その軌跡に沿ってずらりと眩い矢が並べ立てられる。程なく一人でに飛び出す光の矢が、鼬アヤカシ自体どころか、その周囲まで埋め尽くす。
 逃げ道を塞がれるどころか、一方的な弄り殺しの形に、鼬アヤカシは小さな顔をぐうっとしかめ、威嚇の度合いを高める。
「ギイイイッッ!」
 ざあっと、横薙ぎに烈風が通り過ぎた。しかし一同の誰にも怪我は見当たらない。
 不発と思い直した彼らの目の前に、前触れなく巨木が落ちてきた。
 どうっという轟音に、皆が動きを止める。土と落ち葉を巻き上がるなか、一体何が起きたのか数瞬ほど理解が及ばずにいた。
 見れば巨木の端は、鋭利な破断面を覗かせていた。どうやら先の烈風は、この倒木を狙ったものらしい。
 地鳴りは未だ続く。仰ぎ見れば、周囲の木々は根こそぎ断ち切られているらしく、開拓者達に向かって倒れこもうとしている。
「闇は闇へと還るが定め 汝が墓標は何処にありや」
 浄厳が口訣を紡ぎ、懐に忍ばせておいたの斬撃符を抜き払う。それを今まさに自分たちを押し潰そうとしている倒木に向かって投げ放った。
 すかさず顕現した式が威を示し、丸々とした幹を細切れにしていく。
 さらに和奏が落ちてくる幹を足場にし、軽妙な運足にて切迫した倒木を断ち割り、あるいは外へと弾き出す。
 致命的なものは回避したが、それでも全て防ぐには至らず、皆幾らかの倒木を被っていた。
「精霊さん、皆さんを癒して下さい」
 水津の体が光を宿し、精霊を活性化する。すぐにでも周囲が水津のものと同じ光に包まれ、皆を万全な態勢へと癒す。
 その間に、鼬アヤカシが風を集束させていく。
 鼬アヤカシの前面がぐにゃりと歪み、まるで内圧を高めつつある風を誇示するかのようだ。
「ギイイ――」
 いざ放たれるかと思われた大気の塊が、前触れ無くその場に霧散した。入れ替わるように響くのは、甲高い鞘鳴りの音。
 いつの間に回りこんだのか、鼬アヤカシのすぐ後ろで、長谷部が刀を鞘に収めていた。
「悪いですが‥私の方が速く、鋭かったようですね」
 風の撃ち始め、僅かに障壁が緩まる一瞬を見逃さず長谷部が放った一刀は、小さな鼬アヤカシの体を縦に両断した。
 その小さな体はすぐさま瘴気へと変換され、自分が生み出した嵐に攫われてしまう。
「せめて安らかに‥その道行きに光あらんことを」
 微かに立ち昇っていく瘴気を仰ぎ見て、雪斗が神妙な面持ちで呟いた。


●風が止んで
 鼬アヤカシを倒してから数日、八人はまだ森を練り歩いていた。
 先ごろ倒した鼬アヤカシだけとは限らない。巡回を兼ねて、森の中を見回っていたのだ。
「あ! 鼬だ!」
 ルゥミが指差した先には、小さな鼬が木の陰から頭を出してこちらを見つめていた。
「ほら、おいで、鼬さん」
 ジナイーダが木の実を手にして屈み、ゆらゆらと鼬の前で揺らしてみせた。鼬はおっかなびっくりしつつも、やはり木の実が気になるらしく、ひょこひょこと頭を出したりひっこめたりしている。
 こちらに来そうにないと見て取ったジナイーダは、鼬の目の前まで木の実を投げてあげた。
 鼬はすぐさま木の実に食らいつき、くるりと身を翻して森の奥へと駆け出してしまった。皆でその様子を見届けると、椿鬼がぷかりと紫煙を一吹きした。
「さて、帰って酒でも飲もうかの♪」
 椿鬼が軽い調子で言うと、皆もそれに同意する。
 もう風は、すっかり止んでいた。