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■オープニング本文 ●塩爺 その日、朱藩の海から男は漁から戻ると、真っ先に家路に着いた。今日は大漁だったので、早く家族に自慢したかったのだ。これら釣った魚に塩を塗って焼き、腹からがぶりとむしゃぶりつきたくてたまらなかった。 そんな道すがら、ふと妙に鼻をくすぐる匂いがした。 塩だ。強烈な塩の香りだ。たまらず男の口が涎でいっぱいになる。 「珍しか。今どき塩釜かえ?」 塩釜とは、文字通り塩を煮る釜のことである。汲んできた海水をその釜の中で何日も煮、塩を取り出すのだ。 男がまだ子供の時分には、この辺りで営む者もいたが、最近はめっきり見なくなっていた。その頃の記憶が、途端によみがえってくる。 最近の市場で売っている既製品とは違い、職人が手ずからこさえ、海をそのまま閉じこめたような塩の味は、今も鮮烈に覚えていた。 そんな記憶に誘われるように、いつしか男の足は塩の香りを追っていた。これほどの香りがする塩で魚を焼いたら、一体どんな味になるのだろうか。 ぜひ家に持ち帰って家族みんなで食べてみたい。魚と交換なら、幾らか分けてもらえるかもしれない。 やがて林の奥に見えてきたのは、やはり大きな釜であった。 「こんばんは。そりゃあ、塩釜ですかい?」 釜を混ぜているのは、痩躯の老人だった。大きな黒釜に長い木べらを突っ込み、細った腕が似合わぬ力強さでそれをかき回している。 「そうじゃよう」 声をかけられた老人は、汗みずくの顔を拭いながら答えた。 「この頃はとんと見かけなくなっちまいました」 「ほんにねえ。」 「よかったら、少し分けてくださいませんか?」 「ええよう。味見していくかね」 そう言って老人はへらで塩を掬うと、まだ湯気の上がっているそれを男に差し出した。 すかさず出した男の手の中に、熱々の塩が落ちる。 「ほんじゃ、少しだけ」 手のそれをひとつまみして、口に運ぶ。さわさわととろける塩が、口いっぱいに広がってゆく。その柔らかな舌触りに反して、舌に針が突き刺さるほど辛い。既製の塩では表せない、塩そのものの味である。 ひりりと刺激する塩気を、唾液と一緒に飲み下すと、それが体中に染み渡るような気がした。 「うまかあ! こんな塩は初めてじゃ」 「そうかい。そりゃあ嬉かよ。まだあるけん。そん魚でも焼いて食うかい?」 「ああ、わざわざすんません。ではーー」 釜を茹でていた火を貸してもらい、魚を手早く捌いて木の串に刺す。それにたっぷり塩をこすりつけて、炭の近くに突き刺した。 滴る油がじゅうじゅうと音を立てて弾ける。そのたびに滲む塩の香りが、魚のうま味と相まって鼻を叩く。 もう、堪らない。今すぐにむしゃぶりついてしまいたい。鰭も頭も肉も骨も、一緒くたにして噛みつぶしてしまいたい。 焼けた頃合いを見計らって、男は熱く焼けた串ごと魚を取り上げた。掌が火傷するのもお構いなしに魚を頬張る。 気がつけば、男は次の魚に塩を塗り付けていた。 早すぎる。というよりは覚えていないのだ。塩の味が強烈すぎて、記憶が飛んでしまっているのだ。 あっという間に取ってきた魚が無くなる。家族にあげる分も平らげてなお、男の食欲は満たされていない。 付けるものがなくなってしまうと、今度は塩を手で掻き取って口に頬張る、というよりは投げ込んでいく。そうでもしなければ、間に合わないのだ。自分の食欲に、手や口が追いつかない。 食べているのは塩だけだ。もう魚は食べきってしまった。それでも男には、足りなかった。 無論、男に塩だけを食べるような癖があるわけではない。こんなことは自分でも初めての経験である。それをおかしい、怖いと思いながらも、やめることが出来ないのだ。 限界は、突然にやってきた。喉の奥からばりっと割れるような音が聞こえた。それはおよそ人間の体が起こすとは思えないほど、固く乾いた音だった。 直後、男は派手に喀血した。割れた肉を埋め合わせるように、赤い液体が漏れ出てくる。 その漏出こそ、埋め合わせが利かないというのにーー。 もはや自分の体も支えることが叶わず、その場にどうと倒れこむ。喉が割れて息が途絶え、四肢にも力がこもらない。萎んだ目で自分の体を鑑みれば、まるで老人のように細った肉が服の隙間から覗いている。 男は直感的に、何が起こったのかを理解していた。まさか老いてのではない。乾いてしまったのだ。塩を食べ過ぎて、体の水があっという間に逃げていってしまったのだ。 かさかさと、枯れ葉を揉み砕くような音がする。それが自分の体が揉み砕かれている音だと分かったのは、足の方に視線を寄越した時だった。 老人が、男の足を食んでいる。それはそれは旨そうに、さきほどの自分が塩を食んでいたのと同じように、無心になって貪っている。 男は残された力の限りを振り絞り、叫び上げた。しかしそれは何とも軽く乾いて、樹間の葉擦れにかき消されてしまうような音にしかならなかった。 |
■参加者一覧
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
天野 瑞玻(ia5356)
17歳・女・砲
新咲 香澄(ia6036)
17歳・女・陰
村雨 紫狼(ia9073)
27歳・男・サ
茜ヶ原 ほとり(ia9204)
19歳・女・弓
鳳珠(ib3369)
14歳・女・巫
ベルナデット東條(ib5223)
16歳・女・志
獣兵衛(ib5607)
15歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●釜を探して 朱藩南部に面した海岸にある、小さな漁村は、今日も穏やかな潮風に晒されている。砂浜を渡り、家屋を通り過ぎた風が、常緑樹の森を絶え間なく揺すっている。 「塩釜の塩かぁ‥美味しそうだね。食べてみたいなぁ。‥‥いや、食べたら死んじゃうけども。くそう何故アヤカシなんだ。‥‥まぁ、嘆いても仕方ない。仕事が終わったら塩焼きでも食べに行こうかなー」 葉擦れの響く森の中を歩きながら、九法 慧介(ia2194)はのほほんと語っていた。その柔和は雰囲気が、一人語りにも優しげな気配を与えている。 「塩釜‥塗ると美容にいいのかな‥」 九法の台詞に影響されてか、茜ヶ原 ほとり(ia9204)はぽそりと呟いた。 「危ないからやめなよ。そんなの付けなくたって、おねぇは大丈夫なんだから」 そう言いながら、新咲 香澄(ia6036)は茜ヶ原の頬を遠慮なしにくりくり突ついた。そこにベルナデット東條(ib5223)も加わって、何とも賑やかな様相となる。 茜ヶ原、新咲、東條の三人は、義姉妹の契りを結んだ仲であり、こうして三人での依頼参加は初めてとなる。その嬉しさにかまけているように見えて、三人の気合の乗りは十全だった。 「いったいどのような年寄りなんじゃろうな?」 ぷかぷかと紫煙をくゆらせながら、獣兵衛(ib5607)もまたのんびりと言う。 件のアヤカシは、老人の姿をしているとの報告を彼らは受けていた。それは森の中で塩釜を煮て現れるということから、開拓者達はこうして森の中を巡回していた。 「魅了を使う可能性がありますので、位置が判明次第、私は神楽舞で支援します」 神妙な顔をして、鳳珠(ib3369)は言った。ギルドに来た報告を読む限り、どうやらこのアヤカシは魅了の術を発揮していると思われた。 その術に掛かれば、人の意識など容易く操られてしまう。 「人を油断させて魅了するなんていうのは、ちょっと許しがたいわね。まあ、倒しに行って魅了されたなんてちょっとかっこ悪いわけで、油断しないできちっと倒してしまいましょ」 鳳珠の肩を叩きながら、天野 瑞玻(ia5356)は同意する。愛用のマスケット銃のクルスマスを担ぎ、基部に取り付けられた緑色の宝珠を優しく撫でる。 「いやー今回のメンバーも可愛い子ぞろいだよなー!! これでむっさい親父ばっかだと俺が死ぬ、依頼やるまえに憤死すんな! あーこれで夏の海だったら!女の子は水着でドン!!なのによーちくしょーめ〜。演歌じゃねーンだから冬の海なんて誰が来るかってーの!!」 一人だけ異様なテンションの村雨 紫狼(ia9073)の叫びが、森の中にこだまする。 八者八様の一行は、朱藩の森を練り歩いていく。 ●塩の煙 「おい、あれ何だ?」 村雨が何かを見つけたらしく、指差した先を皆が見つめる。 村雨が示した場所では、木々の隙間からもくもくと白い蒸気が上がっている。炊事の類と思われる様子である。 「皆、鼻を塞げ!」 途端、獣兵衛は他の者達に向かって叫んだ。その剣幕に、皆は持っていた手拭などで口を塞いだ。 そしてすぐに、強烈な臭気が辺りを満たす。布地を重ねてもなお鼻腔を叩くそれは、嗅ぎ違えようがないほど鮮やかな塩の匂いだった。 猫の獣人として、普通の人間よりも嗅覚に長けた獣兵衛が気がつかなければ、恐らくこの鮮烈な匂いに魅了されていたことだろう。 すぐに、茜ヶ先が走る。アヤカシの正体を確かめられるのは自分である。自分が先頭に立ち、戦端を開かなければならない。 塩釜を似る老人が、そこにはいた。最早確かめる意味などないのかもしれないが、既に茜ヶ原は弦を爪弾いていた。 澄んだ音が響き、ようやく老人が開拓者達の存在に気がつく。それと同時に、茜ヶ原は叫んだ。鏡弦の手応えは、目の前の存在が明らかにアヤカシであることを指し示していた。 「アヤカシです! 加減は要りません!」 茜ヶ原の短い言葉だけで、皆には十分に伝わった。 鳳珠が神楽舞『護』を踊り、精霊の加護を全員に付与していく。 「一番槍、いただきますわ」 弾薬を装填し終えたマスケット銃を、天野は肩膝を立て、全身でがっしりと保持する。狙うのは、アヤカシの頭部ただ一つ。 走る前衛の隙間を抜いて、迅速の銃撃が人の形をしたアヤカシの頭を果物のように弾き飛ばした。 「女の子にばっか仕事させてちゃあー、爽やか好青年の俺がすたるな!」 威勢良く飛び出した村雨は、殲刀『朱天』を両手に掲げ、一足前に出る。そこへ迫るのは、もはや頭の失せた老人の右腕だった。 老人が繰り出す右腕を掻い潜り、村雨の二刀が翻る。それは脇の辺りするりと入り込み、腕を根本から斬り飛ばした。 彼の後ろに続いていた九法は、既に刀を振りかぶっている。その顔に、森の中を練り歩いていた頃の柔和な雰囲気は、全く窺えない。 「染まれ、紅蓮紅葉!」 赤く輝く刀身が、一直線に放たれる。それは予め決められたかのように、アヤカシの胸郭を貫通し、勢い余って後方の木の幹まで押し遣った。 「一穿、紅椿‥‥」 捻り返される刀身が、アヤカシの体をさらに引き裂いた。その赤い中身が尾を引いて、椿のように広がった。 九法に貫かれたアヤカシは、その姿を塩と瘴気に変えて、さらさらと音を立てて流れてしまった。 「さあて、始末は済んだね」 九法は刀を鞘に収め、塩が流れていく様子を満足そうに眺めていた。 ――それ故に、反応が遅れた。 九法の居た場所に、老人が煮立たせていた釜が激突していた。寸でのところで回避が間に合ったが、その場から大きく飛び退く形となる。 「ガヒャアアアア」 唸りを上げて塩を纏った釜が起き上がり、人のような、獣のような姿を取り始めた。 「しぶとい奴じゃのう」 獣兵衛の姿が木葉を伴って掻き消えると、次の瞬間、アヤカシの背後に回ってシノビ筒を構えていた。 銃身から放たれた弾が、アヤカシの釜の部分を打ち貫く。 「ガギャアアア!」 穿たれた穴からひびが入り、釜がぐわんぐわんと撓んで絶叫らしき音を立てる。 それを断ち切ったのは、茜ヶ原の一矢であった。獣兵衛によって穿たれた穴と寸分違わず、 練力の限りを尽くした強射『繊月』が、その狙いを外れるわけがない。そう確信していたのは、茜ヶ原本人だけではなかった。 「さぁ行くよ、主砲発射っ!」 新咲が快活に腕を振り下ろすと、既に召喚してあった火炎獣が、膨れ上がった口から勢いよく炎を吐き出した。 塩の体ごと猛火に飲み込まれ、アヤカシの体が形を保てずにとろけ始める。 「オゴゴオオオ、ゴオオオオ!」 まさに煮立つ釜のような音を立てて、アヤカシが新咲へと迫る。ずくずくに崩れた体ながら、まだ戦意の衰えることはないらしい。 しかし新咲は、その場から微動だにしなかった。 別段、恐れ慄いたわけではない。単に信頼してのことだ。アヤカシの攻撃は、自分には届かないと、確信してのことだ。 「任せたよ、ベルッチ!」 新咲の背後から、人影がアヤカシへと飛び掛った。 「三姉妹が三女、ベルナデット‥推して参る!」 義姉二人が創出した絶好の機。ここをおいて他にない。 しゃりんと軽やかな鞘鳴りを上げて、東條の刀が閃刃の綾目を紡ぎ出す。ひびから侵入した刃は、堅い釜など無きが如しに散々に切り刻んだ。 「その塩の様に、微塵となりて朽ち果てよ‥!」 東條の言葉を受けてか、もはや釜さえも塩と瘴気に変わり、樹間を掻き分けて入り込んだ潮風に浚われてしまった。 残された塩の全てが風に流されるのを見届けて、開拓者達は朱藩の森を後にした。 |