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■オープニング本文 ●霧の原 県《あがた》は生まれた頃より体格に恵まれ、武天にて剣術を修めていた。その上達のほどは凄まじく、弱い十五に差し掛かったころ師範が言うに、我が元では汝のさらなる上達は望めん。その道の蘊奥《うんおう》を極めんとするなら、諸国放浪し、仰ぐべき師を求めよとのことだった。 県はさらなる研鑽のため、一路その足で朱藩へと向かうことにした。 途中に立ち寄った村の宿で、彼は朱藩に通じる道を亭主に尋ねた。 すると亭主は如何にも訳を知ったる顔つきになり、少々大げさな口調で語り始めた。 この先にある野原を抜ければ朱藩は近いが、人の立ち入ると、たちまちに霧が立ちこめ、四方も定かならぬ様相となる。さらに進まんとすれば、霧より出る何者かに襲われ食われ、その骨さえ残らないと言う。 未だその野原を通り抜けて、帰ってきた者がいないため、そのような噂が立っており、近々に村長が開拓者を雇って調査を依頼するのだと言う。 県は開拓者と聞いて、その顔つきを鋭くした。正に天儀の開拓を旨とする者たちだと言うことは、彼も知りうるところだが、剣の道を邁進せんとする彼にとってはむしろ軽蔑の対象だった。 真に剣を極むるとすれば、ひたすらに研鑽を積むほかに道はない。それこそ県の考える剣士たるものである。それを開拓だの、このような土地の調査だのに日々を追われるのならば、無頼の輩と変わりない。 開拓者、何するものぞ。すぐに自分がその野原の怪異を退治して見せようと、県は亭主に向かって嘯いた。 次の日、亭主から野原へ向かう道を聞いた県は、まだ月が白く浮かんでいるうちに出発した。その足取りは実に揚々とし、今にも駆け出さんばかりである。 なのですぐに野原の入り口へとたどり着き、県は恐れることなく立ち入った。 膝より低い草が、見渡す限りに茂る。未だ夜明け間近の時、草間は妙に黒々として、何か良からぬものが潜んでいるようにも見える。 野原の中を進んでしばらく経つと、県は履き物が水に濡れているのに気がついた。上げてみると、なるほど湿った泥がへばりついている。どうやらここは野原と言うより、湿原と称すべき場所らしい。 県がそんなことに思い至ると、俄かに彼の周りを霧が囲み始めた。草間からじわりと白い煙が漏れ出し、積み重なってその量感を膨らませていく。 大方、湿原の水分がこのように幻想的な形で霧を生じさせているのだろう。ならば夜明けと共に、この霧は晴れるはずである。県は正に当を得た気分になり、泥にも構わず軽い足取りで湿原を進む。 そして間を置かず、辺りは純白に覆われてしまった。もはや自分の十歩先ほどしか確認することが出来ない。こうなれば下手に進むより、夜明けを待つべきだと県は思い直し、その場で休むことにした。 草の上にどっかと腰を下ろし、握り飯を取り出したところで、県は妙な音を耳にした。 ぐじゅり、ぐじゅりと、泥をこねる音がする。それが実は、自分が湿原を進む音に酷似していると気がついたとき、目の前の霧にぬうっと黒い影が浮かび上がった。 「だ、誰ぞ!?」 誰何してみたものの、影からは何の応答もない。ただ泥を踏む音が、何かが近づくのを分からせる。 果たして霧の間から躍り出たのは、自分と寸分違わぬ似姿であった。 既に刀に手をかけていた県は、恐怖のうちにも頼みとする得物を抜き払った。似姿もまたそれに倣ったのか、こちらはゆっくりと見せつけるように抜刀した。 「いやああッ!」 この超自然の怪異を前に、なお胆力の衰えぬところは流石、剣の道を極めんとする者の気概である。上段からの猶予なき一撃を、似姿は刀を寝かせてがっしと受け取る。 そのまま二人は、しばしの間固まった。受けさえ押し潰さんとする県の力と、それを押し返す似姿の力が、絶妙なまでに拮抗しているのだ。 道場にて修行に明け暮れていた頃、県の上段を受けきった者はその周辺に皆無であった。皆悉くに、彼の力を受けて刀を取り落とし、すぐに決着の形へと持っていくことが出来た。 その得意とする上段からの打ち降ろしが、微動だにしない。ぎちぎちと刃金が噛み合い、霧中にあっても白々とした火花を放つ。 このままでは埒が開かない。県は思い切って刀を引き、切先を寝かせた薙ぎへと移行する。 素早い転換に追いつけず、似姿は受けの姿勢のままつんのめる。程良く屈んだ首が、正に薙ぎの軌道と重なる。 機を得たりと県は唸り、自分と同じ姿の敵めがけて横合いから刀を叩きつけた。 白霧に、赤い血風が混ざる。薄桃の色に染まったのも一瞬のこと、すぐに霧は元の無表情な白さを取り戻す。 そうして後に膝を突いたのは、県の方だった。 当人さえ何事か分からぬ中、ふと見れば、彼の右膝から下が消失していた。どう考えようとそれは、似姿による斬撃によって生じたに違いない。 県が横薙ぎを放った一瞬。似姿は横からのそれに対して、体を捻ってさらに下を潜っていた。そして仰け反りながら、右の刀を振り上げ、県の右膝を斬り飛ばしてみせた。 驚くべき柔軟性と、精妙な太刀の運用を以って為せる業であった。 もはや県の右膝は、どこへ転がってしまったのか分かる由もない。霧は相も変わらず濛々と、彼を包んで逃がさない。 自分と同じ姿から放たれた、自分を超越する技巧に、県は恍惚とするでもなく、ただただ恐れひれ伏すばかりだった。 蘊奥を極めんとする気概は、右膝と一緒に切り離され、どこかへ逃げてしまったらしい。 似姿は、やはり見せつけるようにゆったりと、刀を上段に構える。県の得意な構えである。そこから繰り出される一撃は、彼にとって馴染み深い。 霧に霞んだ視界でも、県はしっかと、似姿の笑う顔を見ることが出来た。 自分は果たして、このように笑えるのだろうか。県にはとんと自信がなかった。 最後に、自分の得意とする上段からの切り降ろしを頭頂に受け、県は呻きすら上げる間もなく裁断されてしまった。 ●野原へ 「武天にある野原で、妙な噂があるようです。調べてはもらえませんか?」 受付の青年は、事務的で平坦な口調で依頼を読み上げる。 「人が立ち入れば、戻ることは無いという野原だそうです。その近くの村長が、是非にも調べて欲しいとのことで、依頼されてきました」 このような、ある意味眉に唾をつけたくなる依頼は、開拓者ギルドでは珍しくない。故にその対応も、実に平素と変わらぬものだった。 しかし、と前置きし、青年は続ける。 「名のある武芸者や、腕に覚えのある無頼者も、その野原に立ち入り、帰ってくることはなかったそうです。万に一つのこと、用心するに越したことは無いかもしれませんよ」 月夜に提灯かもしれませんがね。などと余計に付け加えて、青年は開拓者を送り出した。 |
■参加者一覧
風雅 哲心(ia0135)
22歳・男・魔
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
巴 渓(ia1334)
25歳・女・泰
倉城 紬(ia5229)
20歳・女・巫
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
フラウ・ノート(ib0009)
18歳・女・魔
オラース・カノーヴァ(ib0141)
29歳・男・魔
鉄龍(ib3794)
27歳・男・騎 |
■リプレイ本文 ●原での探し物 盆とした原を、山肌から下る風が吹き抜けてゆく。流れに沿ってさわさわと、通り道を草が開く。 草いきれを掻き分けて、風が堂々と渡る。葉擦れの音が聞こえるたびに、その活発に走り回る姿が見えてくるかのようだ。 この原こそが、立ち入った者の悉くを喰らう魔の領域であるなどと、忘れてしまうほどの清景である。 そんな原のど真ん中を、真昼間から、八人が連なって歩く。 四人ずつに分けられた二つの連なりは、それぞれの腰を縄で縛り合っている。それはどこか懐かしげで、子供の遊戯を思わせもする。 だからとって、彼らがこの危険な場所で、そのような遊びに興じるような年でもない、はずである。 「ははっ。こいつは童心に帰れるなあ」 一番年長のオラース・カノーヴァ(ib0141)が、剛毅に笑いながら言った。 筋骨隆々とした偉丈夫が、これまた腰の縄を持って他の連中と馬車の真似事をするのだが、その闊達な笑顔を見ていると、何だか活気を分けてもらえるような気さえしてくる。 「あははっ! それ行けえ!」 倉城 紬(ia5229)も、一緒になって野原を走り回る。しかし最後尾にいる彼女は、殆どオラースたちの馬力に振り回される形なので、時たま体がぽーんと宙に浮いてしまっている。 傍から見れば何とも危なっかしいのだが、本人は至って気にした様子はなく、むしろ器用に飛び回るのが気に入った様子だった。 「俺の田舎でも、似たような遊びがありましたよ」 羅喉丸(ia0347)も皆に負けじと、腿を駆使して縄を引く。今や多くの国と交流が開けた天儀と言えど、田舎とあっては玩具の類も満足に手に入らない。 故にこうして体を使う、生のままの遊びが自然と身につく。そうして自然の中で育まれた体こそ、羅喉丸の資本と言える。 そんな中、一緒に縄を引いていた鉄龍(ib3794)が、はたと立ち止まってしまった。 「どうされました? 鉄龍殿」 まさか童同然の遊びに付き合わせたのが、気に入らなかったのか? 真面目に捜索しないのが、いい加減癪に障ったのだろうか? 恐る恐る三人が鉄龍の顔を覗き込むが、生来からして感情の起伏が乏しい彼のこと、容易にその心の内を読むことは出来なかった。 果たして三人が緊張のあまりに喉を鳴らすと、鉄龍はくふりと笑ってこう言った。 「……こういうのも、悪くない」 その後は猪突猛進。原の土をまるごと踏みしだくようにして、手当たり次第に草いきれに分け入っていた。 ●目当てのものは 「全くしょうがないねえ、あっちの連中は」 一くさり笑い終えた後、巴 渓(ia1334)は腰を屈めて、手で草を掻き分ける作業に戻っていった。 こちらも同じ四人組だが、その様相は向こうとは正反対である。片や馬車の真似事で、こちらは正に野良仕事のそれである。 しかしいちいち腰を縄で括るようなことはしない。それはあくまで霧が濃くなってきてからの用心である。 今はまだ日も高い真昼間。あえてその霧が確実に出ないと言える時間を見計らっての作業である。 「いやいや。中々どうして、堂に入っていますよ」 剽げているのか真剣なのか、見当のつかない調子で竜哉(ia8037)が応じる。彼もまた巴と同じ姿勢で、原の草を分け入って、必死に何か落ちていないか探していた。 それはまさか野菜でも掘ろうというのではなく、この地で亡くなった者の遺骸なり遺品なりを探しているのである。 その成りを見て、奇怪な現象の一端でも読み取れればというのと、広大な原にぽつねんと打ち捨てられるよりは、何とか見つけて供養をしてあげたい、という理由がある。 「にしても、中々見つかんないよお〜」 フラウ・ノート(ib0009)も不平を垂らしながら、やはり捜索に精を出す。 野原というよりは湿原の泥を手で弄り、何か無いかと延々と探す。腰は屈めて顔は土の近く。背にはじりりと太陽が照りつけ、いちいち草を手で分けては目を凝らす。 気候は過ごしやすくても、日を避ける場所も無いのでは、熱が体に溜まるばかりである。ジルベリアの寒村出身のフラウに、この照りはほとほと堪える。 たまに風が吹き抜けるときは背を正し、全身で風を受けて冷やすだけのことが、何とも清涼な贅沢に思える。 「ぼやかない、ぼやかない」 風雅 哲心(ia0135)も着付けた陣羽織をたくし上げ、野良着同然の様相でこちらも捜索している。 せめて欠片でも持って帰ってやりたいと思うが、フラウのようにぼやくのも無理はないことである。 天儀の多湿な気候に加え、さらに湿地帯のように湿った泥が敷かれた原の上に、新鮮な肉など放置しようものならたちどころに腐り果てる。そして徐々に泥の中へと沈み、その骨さえ形を残さず分解されてしまうことだろう。 元からそのように、遺骸遺品の類を見つけにくい条件が揃っているのだから、それはもはや人為の及ぶところではない。 運を天に任せ、ひたすら泥を掻くだけである。 そのひたむきさが功を奏したのか、風雅の手にこれはと思える感触があった。 芋でも手繰るようにして引き上げた途端、喉の辺りにごろりとした石を詰められたように、強烈な泥臭さと腐臭を纏ってそれは現れた。 じくじくと到る所が爛れ、ドスの利いた黒ずみを見せる。その中にあってちらりと白く光るのは、果たして――。 「ふむ、こりゃ足だな。こっちかな? それともこっちかな?」 特に気負った様子も無く、風雅はその掘り出し物を自分の足と比べてみた。 この期に及んで辛気臭くなっても仕方が無い。どうせこの後、寺へ赴いたら幾らでも抹香臭くなるのだから、漸う見つけた本日この場は、なるたけ平素に接してやりたい。 「おーい。足見つけたぞー。右足だぜー」 近くで作業していた三人に呼びかけると、口々にほうだのへえだの上げながら近寄ってきた。 「まさか本当に出るとはねえ。それもこんな大物だ」 「巴さん。魚か何かじゃないんですから」 竜哉が軽口を叩くと、これまら巴は豪快に笑って、 「どっちも生モノ。扱いは変わりゃしないさ」 などと言って、風雅から受け取った右の足をじっくりとっくり眺め始めた。 「腐っててよく分からんが、刃物臭いな」 その意見に、刀を佩いた竜哉と風雅の二人は大きく頷いた。彼らもまた同意見であるらしい。 「ええ。下から上へ、斜めに切り上げてますね。アヤカシの爪や牙では、間違ってもこうななりません。本来、足を切るというのは余り行儀の良い剣ではないが、これはまた……」 竜哉が感嘆の息を漏らすのを、風雅が継いだ。 「むしろこれだけ腐っても、切り口が見えてやがる。しかもだ。骨の複雑な膝を、ここまで真っ当に断ち割るたあ、只モンじゃあねえよ」 興奮気味に話す風雅は、いつのまにか伝法な口調へと変わっていた。その荒っぽさは怒りではなく、まるで趣味や考えの通じる知遇を得たような、男らしい弾みを持っている。 二人とも刀を扱う開拓者であることからか、その切り口の見事さには、色々と感じ入るものがあるようで、今度はその得物の講釈へと移っていた。 「こいつあ槍だ。遠間からの牽制に、足を削いだんだ」 「牽制なら、ここまで深く刃を入れませんよ。それに刀身が小さすぎます。硬い膝を割るんだったら、斧か鉈でなくては」 「でもよう。そんな肉厚の斧か鉈じゃあ、こんな切り口にはならんぜ」 「ですよね。それに、敢えて足を削ぐのも解せない」 男二人が喧々諤々と話を交わすなか、やることのないフラウは、とりあえず呼子笛を取り出した。 「男の人って、単純ね。すぐ熱くなっちゃって」 一拍置いてから肺一杯に息を満たすと、それを思い切り笛をに叩きつけた。 「何なに!? 何が見つかったの!?」 すると向こうで走り回っていた四人馬車が、その勢いのままにこちらへ向かってきた。 急停止で飛び上がった勢いのまま、倉城はころりと身を丸め、これまた上手く草の上に着地した。 「足だよ足。仏さんの足さね」 「ほう。そいつはめでたい」 鉄龍はそう応じて、巴の持っていた足を受け取った。そして黒ずんだ切り口を見るなり、その口端が見る間に吊り上ってゆく。 「ぞっとするな。これほどの使い手が、この原っぱに現れて、それを相手にするというのかよ」 果たして本人は気づいているのだろうか。その台詞と裏腹に、声音が若干に上擦っていることに。 「へえ。俺にも見せてください」 足の切り口を見て、やはり羅喉丸も感じ入った声を上げた。 「刃物は門外漢ですが、これが相当な代物というのは、俺でも察しがつきます。なるほどこいつは、ぞっとしませんね」 男衆が斬り方はこうだ得物はああだと白熱しているなか、気性から言ってそのような話の好きそうなオラースは、大の字になって草っぱらに寝そべっていた。 「オラースさん、どうしたんですか?」 「はしゃぎ過ぎですよ。倉城さんが煽るから、はりきちゃって」 羅喉丸に言われて、竜哉がほうほうと頷く中、僅かでも反論すべく、のっそりとオラースは起き上がる。 「こ、子供、あやすにゃあ、これっくらいがいい塩梅ってもんだろ。なあ、お嬢」 見事までに息の上がった状態で、いっぱいいっぱいの様子ながらに弁明する。 体躯に恵まれてはいるが、腕っ節が身上ではない魔術師が、本職の秦拳士や騎士に混ざって見境無くはしゃげば、当然そうなる。 「う、うん。ありがとね。オラースおじさん」 久し振りに我を忘れて遊んで、存分に体を動かした倉城は、元気ながらも行儀良く、きちんと頭を下げて礼を言った。 而して、屈託無く放たれたその言葉が、ごーんとオラースの頭に圧し掛かる。 「おじさんてねえ。俺はまだ、二十の半ばだぜ。おじさんってのは、まだ早いって、もんだあ」 「息も切れ切れで何言ってんのよ。ほら、これ飲んで一息ついたら? おじさん」 そう言って水を差し出したのは、同じ魔術師であるフラウだった。 「おう、聖符水かい。こいつはありがたいねえ、嬢ちゃん」 受け取った水をぐいと飲み干し、豪快にたはあと息を巻いて唸る。運動した後で、その味も格別なのだろう。 「子供遊びも、楽じゃないよな。こんなのを毎日、日が落ちるまでやってたんだから、昔の俺には頭が下がるよ」 結局、遺骸の一つが見つかったので、皆はここらで休憩を入れることにした。 ●夜半に来る その後は目立った成果も無く、仕方ないので今日は原っぱで野宿をすることになった。 噂の霧もまだ現れていない。何かあるとすれば、朝霧が出るであろう夜半から、朝方にかけての時間である。 原の真ん中で焚き火を起こし、それを皆で囲みながら、のんびりと霧の出現を待つ。 「それでは、今度は私の舞をご覧下さいまし」 月が天頂をすっかり越えた頃、倉城が徐に立ち上がり、輪の中心に体を据えた。 静かな立ち姿を、皆がしんと口を噤んで見守る中、倉城は力強く、一歩目を踏み出した。 複雑に反射する松明の光を受けて、倉城の姿が闇の中に浮かび上がる。元より巫女である彼女は、戦闘の際に出来ることが限られている。故にこそ、自分と違って前線に立つ人々へ、この神楽舞『護』を贈ることが、せめてもの心遣いだった。 音の無かった舞は、いつの間にか拍手の調子に包まれていた。皆が踊りに合わせて、ぽんぽんと打ち鳴らす。 その調子の良さに、倉城こそが感動した。 天に月、地に人。神楽を披露するのに、これ以上の贅沢があるだろうか。それも澄み切った拍手のおまけつきである。 そしてまた静かに立ち、舞の了を知らせるように頭を下げると、皆からの歓声がわっと上がった。 皆も倉城の舞から活力を与えられ、げんきになってくれたようである。それが、巫女として何よりの返礼であった。 倉城の神楽舞が終るのを見計らったように、するすると草の表面を這うものがあった。 「霧、ね。隠れているのは何なのやら」 ようやく拝むことの出来た霧を受けて、各々が得物を取って立ち上がり、松明を背にして固まる。 その中心にいる倉城は、すぐさま瘴策結界を展開した。 霧はすぐさま立ち昇り、ゆるゆると彼らを包んでいく。そしてもはや、月光をも届かぬ厚みにさえ成長していた。 松明の光が、ほの明るく霧に映される。そこにくっきりと、自分の影も浮かび上がる。まるでもう一人、自分が目の前にいるかのような、気色の悪い影法師である。 「右の方、来ました。アヤカシです」 倉城の言葉に、彼女の右方に立っていた者たちが緊張する。特にオラースは、何か言い知れぬ不安のような、それでいて馴染み深いような雰囲気を、霧の向こうに感じていた。 この大気の流れ、魔力の流れ、精霊の流れ。馴染みが、深すぎる。 「アークブラスト!」 やおらオラースは杖を振りかぶり、その先に凝らせた白光を打ち放った。 皆が何事かと思ったのも一瞬のこと、それに応じるように、霧の向こうから同じような眩い光が返され、共に相ぶつかって大きく爆ぜ割れる。 衝撃波で霧が晴れたところを見てみると、その先には、光を放った主の姿がある。 「俺……!?」 凝と目を見開き、一番に驚いているのは、他ならぬオラースであった。魔力の高まりに合わせて術を叩き込んで見たところ、自分と寸分違わぬ術を、自分と全く同じ姿が打ち返してきたのだから。 口のように開いていた空漠を霧が埋め、オラースの姿はまた隠されてしまう。 すぐにでも追いかけたい衝動に駆られるが、ここで戦線を乱せば、事は自分の身に留まらない。 踏み出しかけた足をぐっと地に降ろし、オラースは倉城の指示を待った。 否。それを待たずとも、既に彼らの耳には泥を跳ねて何かが駆ける音が届いている。 ぐわりと自分の前の霧が揺らいだのを見て、鉄龍が眼前に剣をかざす。 ほぼ間を置かず、その剣に同じようなものが叩きつけられた。赤で満たされた刀身に、黒い筋が走るそれは、鉄龍の得物と相違無い。 「自分の姿をしたアヤカシと戦うのはこれで二度目か……変な感じだな」 鍔競りするほどの近間で、鉄龍は自分とこれまた相違無い様相を目の当たりにしていた。 すぐさま隣にいた巴と羅喉丸の秦拳士二人が、霧の中から立ち現れたほうの鉄龍に殺到する。 顔に蹴り、腹に拳。剣は競っている最中で、離せない。 その絶好の機に、むしろ微笑んだのは、鉄龍の似姿だった。 似姿はするりと身を引きながら、蹴りを放つ巴のほうへと傾いた。 「何ッ!?」 既に蹴りの態勢だった巴は、似姿に寄り掛かられ、もんどり打ってその場に倒れる。 一方、引き込まれた鉄龍は、腹への一撃を見舞おうとしていた羅喉丸とぶつかり、折り重なって倒れ伏せる。 瞬時に三人の攻めを外した似姿は、巴の首を押さえ、片手に剣を振り被った。 「巴、動くなよ」 底冷えのように重い声が聞こえ、巴は咄嗟に上げていた腕を畳み込んだ。 そして腕のすれすれを、銀閃が薙いだ。 巴が組み敷かれたと見るや、すぐさま放たれた横薙ぎの『秋水』は、風雅の手によるものである。 「くそ」 文句を吐き捨てて納刀すると、既に似姿は見えない。仲間の窮地を即座に救った風雅の判断もさることながら、振り下ろす動作の途中で、横薙ぎを防ぐ形に剣を置き、その衝撃に逆らわずに吹き飛んで、霧の中へと逃げてみせた似姿の技量の程も、尋常とは言い難かった。 「幻覚ではなさそうで、何より」 茶化す風に言う竜哉だが、事ここに至ってにやける余裕はない。 呪術幻術の類に見られる、揺らぎや不確かな雰囲気が、あの似姿からは受け取れなかった。あれは真に姿を似せ、その技量を以って襲い掛かるのだと見て間違いない。 「ここは一度退きましょう。深追いは禁物だ」 「ああ、そう思うがね。逃がしてくれるかな、奴さんは」 巴は起き上がると、体の調子を確かめながら竜哉に答えた。 この霧では、こちらは殆ど盲目に近い状態での移動を余儀なくされる。どちらが得策かは、非常に微妙なところだろう。 「退かないほうがいい。松明はともかく、焚き火は動かせねえんだぜ」 風雅が油断なく、柄に手を添えながら言う。松明に加えて、この焚き火があるからこそ、僅かに霧が晴れ、今の視界を保っていられるのだろう。 「要は、もっと明るくすればいいってこと?」 皆の話を聞いていたフラウが、きょとんと尋ねる。 「まあ、そういうことだが……。出来るのかい? 嬢ちゃん」 へへんと鼻を擦りながら胸を張ると、フラウは手に持っていた杖をくるくると振り回し、 「あたりきしゃりきの、こんこんちきよ! 燃えちゃえファイヤーボール!」 へんてこな掛け声と共に、杖の先から真っ赤な塊を吐き出して、それをオラースに向かって投げつけた。 「え?」 ごうと風を切って進むそれが、自分の顔の真横を過ぎて、ようやくオラースは自分の髪の毛が若干焦げていることに気がついた。 「あ、あの、嬢ちゃん。めちゃくちゃ熱かったんだけど……」 「へーきへーき。当たらなければどうということはないから。それー」 のんびしとした掛け声と裏腹に、フラウの放つ火球が、皆の間を狙い済ましたように掠めてすっ飛んでいく。 「フラウちゃん、落ち着いて!?」 「大丈夫だよ紬ちゃん。ちゃんと狙ってるから」 「人か? 人を狙っているのか嬢ちゃん!?」 フラウのすれすれな投球技術によって乱れに乱れた戦線は、彼女が満足したことでようやく落ち着いた。 「ま、ざっとこんなもんね」 杖から昇る煙を吹き消すと、そこには正に焼け野原というべき惨状が広がっていた。 「また豪勢に焼いたもんですねえ」 羅喉丸が呆れ気味に漏らすと、その変わり果てた一帯を眇めた。 確かに火球の爆発で霧が晴れ、草が燃えて明るくなっている。先ほどよりも随分見晴らしがいい。 「さて、当のアヤカシは……」 などと言って姿を探してみると、何やら向こうに蹲っているものが見える。 「ほう。あれがアヤカシかい? 随分ちんまりしちまって……」 ボキボキと指を鳴らし、大股で巴が近づいてゆく。 「野郎共!? 囲んでフクロだ。遅れるんじゃないよ!」 「お、おー!?」 飛び出していく巴に続いて、前衛陣がアヤカシに向かって走る。何やら危機を感じたのか、蹲っていたそれはやおら立ち上がって姿を見せた。 それは、しゅうしゅうと白い煙を体から吐き、鏡のようにてらてらとした滑りを纏った、人型の泥であった。 「なあるほど。水と霧で姿を変えていたってわけか。分かっちまえば、何のこたあねえよ!」 視界も確保し、正体も喝破して、あとにやるべきはただ一つ。 「こいつで決めてやる。雷撃纏いし豪竜の牙、その身に刻め!」 風雅は高く飛び上がり、さらに上段に構えた刀に雷鳴を纏わせる。 「奥義、雷光豪竜斬ッ!」 殺傷力過剰のそれを真上から見舞われ、アヤカシは衝撃に逆らわず転がり逃げる。 ちいっと風雅は奥歯を噛み締める。人間でも無いくせに、妙に見切りが良い。 だがそれも、いつまで続くか。 「俺が行きます!」 瞬脚で先んじた羅喉丸が、するりとアヤカシの懐に潜り込む。 「一瞬あれば、十分――」 払うように伸び来る泥の手を掻い潜り、背を泥の腹に押し当てる。 「砕け、玄亀鉄山靠!」 途端、アヤカシだけがその場から後方へ弾き飛ばされた。さすがに密着状態ではいなすことも出来ず、無様に泥を飛び散らせて這い回る。 「次は俺だよ!」 片手に満載させたクナイを放ち、竜哉が一足でアヤカシに突きを入れる。 アヤカシはすかさず手に剣を現出させ、竜哉と共に剣戟を演じる。例え泥になろうとも、その技量の程に曇りは無く、竜哉は今ひとつ踏み込めない。 「おっと!?」 草に足を取られ、不安定な態勢となった竜哉に、アヤカシが前に出た。 竜哉はあろうことか、態勢が崩れるのもお構い無しに、ぐっと小さく身を屈めた。 その背後から、ぬるりと長い手が伸びる。 がっしとアヤカシの頭部を捕獲したそれは、巴のものだった。 「こういうのは三倍返しって、相場が決まってんのさ!」 巴の掌に光が宿ったと見るや、たちまり閃光が瞬いてアヤカシの頭部を跡形も無く吹き飛ばした。自身の気を集中させ、対象にぶつける妙技『気功波』である。 それでもまだアヤカシは、倒れる様子を見せなかった。その様子を、鉄龍がせせら笑う。 「頭も駄目なら、ここしかなかろうよ」 ずぐりと、鉄龍の左手がアヤカシの胸の中に沈みこんだ。 「爆ぜちまいな」 こちらも体表を光らせた瞬間、ずるずると光が泥の中に侵入し、内圧に負けたようにアヤカシはその内部を撒き散らしながら四散した。 アヤカシの散り様に合わせてか、霧もまたその鳴りを潜め始め、もはや白く光を失った月と、漸う輪郭の一部を見せ始めた黎明が、戦闘を終えた開拓者達を包み込んでいた。 |