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■開拓者活動絵巻
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■オープニング本文 ● 二階の窓まで這わせた蔓薔薇が、ほろり、と崩れて花弁を散らす。白い花が音もなく降り注ぎ、頬を滑って胸を転がり、寝椅子や膝の上にいくつもいくつも彩った。 夏の日差し。湿気と緑の気配と土のにおいと花の香りをふんだんに含んで冷たい朝の風。葉に漉された日の光。閉じたまぶたの赤い光。 汗ばむほどの陽気なのに、痩せた指先は冷たくこごっている。 人形のように微動だにせず、綴は今日も庭にいた。 ● 石鏡は染否、その郊外はまばらに屋敷の立ち並ぶ高級住宅地である。綴の薔薇屋敷。春から秋まで、無数の薔薇が咲き誇る広大な庭。屋敷は小ぢんまりとしているが、女性の一人暮らしとしては広すぎると言えよう。ここ二年ばかりは、梅雨の前に薔薇の花びらの砂糖漬け作りを開催していた――。 しかし、今年はそれがなかった。 染否で起きた大規模なアヤカシの発生。そのほとんどは白骨に瘴気がとりついた狂骨で、他に屍人、屍鬼の発生も確認された。事件は収束したものの、その爪跡は深い。 (それでも染否のみんなは日常に戻った。綴さんのほかは) 屋敷内の掃除をしていた少女、佐羽。二階から白薔薇の天蓋の中に座る綴を見下ろして眉根を寄せる。 染否は日常へ回帰した。表面上はもう何事もなかったかのように。いつもどおりに、傷も痛みも呻きももはや慣れたことだと諦めきったように――手負いの獣がねぐらで丸まるような日常へ。 (綴さんは、いつもの綴さんに戻ってはくれなかった) ただ静かに、目を閉じてずっと庭にいる。佐羽はその理由を知らない。聞かせてもらえない。問うても綴は困ったように笑うばかりで、佐羽にはどうすることもできない。 (あたしにできることは、なんだろう) 帯に差し込んだ小さな鍵を撫でた。 ● 事件からいくらも経たぬころ、佐羽は河野忌矢に呼び出された。染否自警団の的場。男たちが弓を引いている。新人たちに怒号を浴びせかけていた忌矢は、佐羽に気づくと呼び出して悪い、と前置いて話を切り出した。 「お前に頼みがある」 内容は、綴と同居し生活の面倒を見てほしい、というものだった。このときになって、佐羽ははじめて綴の両親が「起き上がった」人々の中にいたことを知る。 ――また、あたしは何も知らなかった。 その言葉を飲み込んで耳を傾ける。綴に付き添って「繋ぎとめてくれた」開拓者も仕事があろうから、四六時中そばにはいられない。金一封出す。今手伝っている屋台の仕事も必要なら孤児院から代理を送る。今町にいて、体が空いていて、そして綴のことをそれなりに知っているのは佐羽だけだから佐羽に頼みたい。 「あの……忌矢さんは、そばにいてあげないんですか」 彼は険のあるまなざしをふと和らげる。一瞬過ぎった寂しげな色。 「俺の一番は、綴じゃねぇから」 その言葉に、ひどく傷ついたことを覚えている。一番ではない。そう、佐羽にとっても一番は綴ではない。大切ではあるけれど、他のなにを差し置いても選ぶべき人ではない。大切で、大好きで、幸せになってくれるのならほんとうに嬉しいけれど――。 一番では、ない。 「だから俺が満足するために、俺が安心するために、俺の納得のために綴を救おうとすることは、俺には、できない。綴に干渉したあとの責任を、俺は取れねぇから。だから綴が今沈黙するならそれを認める他はねぇし、綴が落ち込んでいるなら立ち直らせることはできねぇ。悲しむことを、悲しみ続けることを、心折れた人間が失意の底で沈黙することを、染否自警団の俺が阻むわけにはいかない。俺の勝手や俺の都合を、綴に要求することはできない」 反論したかった。いくつもの言葉が浮かんだ。でもできなかった。 「お前は去名だ。染否の理に縛られちゃいねぇ。だから頼む。 綴を、頼む」 渡されたのは、薔薇屋敷の合鍵だった。 ● (褒められた、わけじゃない) そのことは肝に銘じなければならない。「染否の理に縛られていない」ことも、「去名である」ことも、決して褒め言葉ではない。同時に否定されたわけでもない。ただ区別されただけだ。染否ではない、と区別されたのだ。それは誇ることでも驕ることでもなく、卑下することでもない。ただ違うということを認識しなければいけないし、違うと認めてくれたということでもある。 掃除道具を片付けて、手を洗ってキッチンに立つ。オーブンからはいいにおいが漂っていて、ちょうどよくパンが焼けていた。昨日のコンソメスープにトマトを入れて火にかけていたスープも、おいしそうなミネストローネに変身している。それから冷やしておいた淡雪かん。上には砂糖に覆われた、薔薇の花びらをちょんと乗っける。自然と顔がほころんだ。 (うん、おいしそう。今日は綴さん、食べてくれるかな……) すっかり食の細くなってしまった綴のために、ちょっと作ってみた薔薇の花びらの砂糖漬け。 ――けれどその日も、綴はスープを三口と、花びらの端をひとかじりして食事を終える。 ありがとう、おいしいわ、ごめんなさい……。 感謝と謝罪と気遣いが、綴にも佐羽にも重くのしかかっていた。 ● とはいえそのくらいでへこんで萎縮してなにもかも飲み込むような人間であったら、佐羽はもうとっくに染否の町を出て行っていたことだろう。染否に来てからこっち、この手の挫折感や絶望感はだいぶ経験してきた。踏まれれば踏まれるほど頑丈になりつつある佐羽である。 「というわけで! ちょっと時期はずれで、花びらも一番柔らかくて香り高い季節は過ぎちゃったんですけど、まぁそれでも普通にそこそこいいのができるんで! 薔薇の花びらの砂糖漬け作り、しませんか!」 「大丈夫なんですかソレ」 風信術の宝珠から、間髪入れず突込みが返ってきた。しかしめげる佐羽ではない。 「よほど騒がしくしたりしなければ、たぶん! むしろないだ虫干とかで孤児院の子達大勢来てくれたんですけど、そのときは綴さんも自分から動こうとしたり、なんやかんやと世話焼きたがったり、つられてちょっとは食べてくれたので……! 新しい風ください!」 二人きりの閉鎖された空間にいてはどうにかなるものもどうにもならない。 「なるほど。開拓者への説明はどうします? 綴様の状態、書き添えますか?」 「なくていいと思います。腫れ物じゃないですし。あ、でも仲いい人とかにはひとことお願いします。あたしより仲いい人もいるし」 「染否は情報の取り扱いには厳密だったはずですが」 「この件はあたしに一任されていて、去名流で行動する許可を河野忌矢さんから得ています。綴さんの気質からしても、染否流じゃ悪化こそすれ改善しそうにないんですもん。いろんな人が来て賑やかになれば、元気になるかもですし」 それが正しい保障なんてない。それでも。 任されたのは佐羽だから、佐羽は方針を決める責任がある。 間違えても、傷つけても傷ついても。停滞ではなく変化を、求めた。 |
■参加者一覧 / 音羽 翡翠(ia0227) / 御神楽・月(ia0627) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 平野 拾(ia3527) / 平野 譲治(ia5226) / 御凪 祥(ia5285) / 尾花 紫乃(ia9951) / ユリア・ソル(ia9996) / フェンリエッタ(ib0018) / 明王院 未楡(ib0349) / マルカ・アルフォレスタ(ib4596) / カチェ・ロール(ib6605) / 楠木(ib9224) / 鬼嗚姫(ib9920) / カルミア・アーク(ic0178) / 紅 竜姫(ic0261) / 蛍火 仄(ic0601) / 御神楽・十貴(ic0897) / 白隼(ic0990) |
■リプレイ本文 ● 使い終わったすり鉢を洗いながら、音羽 翡翠(ia0227)はふと思い付いた。 「姫、流和さんにもお声かけしてはどうですか?」 鬱金に胡椒、唐辛子、香菜に馬芹に胡廬巴…。粉末化した香辛料を天秤で量る礼野 真夢紀(ia1144)が顔をあげる。 「流和さんですか?」 「今開拓者修行されて都にいらっしゃるのでしょう? もう田植えの一番忙しい時期は過ぎていると思いますし」 しかし流和は依頼にでも出ているのか、いなかった。 ● 朝の早いうちに、柚乃(ia0638)は奥都城へ足を運んだ。 (自警団の皆さんはお元気でしょうか) 関係というほどの関係はない。ただ一度葬儀に行き会って、それで…、そう、ただ気になって。 今も忘れない。 並ぶ死者、死に死が折り重なるような濃密な死の気配、抑えた声、深く下げられた頭――。 蓮が蕾をつけている池の向こうに奥都城が見えてきた。ふと池の隣にある物見櫓を見上げれば、軽く振られる手。気付いて立ち止まった柚乃の前へ、ひとりの青年が降りて来た。 「やはり、あのときの。ここでは青い御髪はすこしめずらしいものですから」 抑えたような控えめな微笑と丁寧なお辞儀。 「本日はどのようなご用件でしょうか」 「精霊の聖歌を紡ぎたくて…」 ささやかでも、できることを、したくて。 ● 庭で雑用に奔走している佐羽に、明王院 未楡(ib0349)は小さく手をあげて微笑んだ。気づいてぱたぱた駆け寄ってくる佐羽。 「お久しぶりです、佐羽ちゃん」 「来てくれてありがとうございます!」 「佐羽ちゃんの意図は伝わりました。 そうですね…綴さんの人柄を思えば、頼られて放っておいたり出来る方ではありませんし…。 誰かの為に動く事で、心が和らぐかも知れませんしね」 やさしい同意をもらって、佐羽はほっとしたように笑った。 髪をまとめて服装を変え、のっけから変装する陽月(ia0627)。 (依頼は実に一年半ぶりですわね…) その久しぶりな依頼に変装。依頼には必要ないが、陽月には必要だった。 原因は親たちの結託による婚姻である。陽月も受け入れようと努力してはいるのだが、思わず逃げ出した程度には衝撃的だった。 相手がだいぶ年上なのは、まあいい。わりとごつい御仁であることも、特に文句をつける気はない。 しかしである。 それで女装は、厳しい。 とはいえ今は楽しもう。陽月は薔薇を摘むため籠を持った。 それは、嬉しくて楽しくてたまらなく幸せなひとときだった。 「薔薇の砂糖漬け…!」 普段から感情を抑え込むほうではないが、ことのほか弾んだ声は拾(ia3527)がどれだけ、どれだけ喜んでいるのかわかりすぎるほどにわかりすぎてしまう。人によってはその素直さに怖じ気付くかもしれないが、平野 譲治(ia5226)は当たり前のように拾の使う薔薇を探した。 「おっ! こっちの薔薇も良さ気なりよっ! 元気に育ってるのが良いと思うのだっ! 弱ってそうなのも折に入れると良いかもなりねっ!」 そのとき不意に一輪の薔薇が目に入った。真紅。迷わず手を伸ばす。 「これも…つっ!」 鋭い痛みに手を引く。指先にぷっくりと血が浮き上がっていた。 「大丈夫ですかっ?」 「ん…」 心配げな拾に指をくわえて頷く。 (…契約、違えてからはどう言おうか、すごく悩んだのだ。 でも、色々な人のおかげで今、この身は在るのだ。 …踏み出さなければ、なりね) 血のように紅い薔薇にもう一度手を伸ばす。ぱちん、と手折って。 「…んと、これ。一番に咲き誇る薔薇、なり」 薔薇なんて他にいくらでも咲いていたけど、譲治の選んだそれだけが綺麗で特別で、そして大切だと言わんばかりに大事に大事に受け取る拾。 「…ごめん、だったなりね」 「大事に、使わせてもらいますっ」 大事に、大事に、大事に。 ●薔薇色 華やかな髪に縁取られたカルミア・アーク(ic0178)の横顔が、懐かしさに彩られる。細めた目の見つめる先には幾重にも花弁を重ねた花。 「薔薇を見るのも久しぶりだな…」 「わあ、すっごーい! 薔薇がすっごい綺麗ねぇ…」 煉瓦の小路をしなやかに歩く、修羅の女ひとり。黒すぎるほど黒い髪が色鮮やかな中でくっきりと輪郭をとっていた。紅 竜姫(ic0261)。愛する花は椿だという彼女は、けれど今はただ純粋に薔薇を見ては楽しんでいた。 「あら、これなんかカルミアそっくり。ほら見て」 濃くて透き通ったピンク色の薔薇。その花に、その言葉に、カルミアはひとりの男を思い出した。 薔薇の似合う、ひとだった。 かつて仕え、想いを交わし、共にあったひとが愛した花。華々しく、高貴。人の上に立つに相応しい彼によく似合う。膝を折り、彼に仕える自分には相応しくないはずなのに。 それなのに。 「昔の恋人がな、薔薇は俺に似合うと言ったんだ」 懐かしくあたたかく、幸せで、そして。 くすりと笑うカルミアの手の中で銀の懐中時計がきらめく。薔薇の意匠が凝らされたそれ。 手を離した。 別の道を歩き出した。 互いの幸せを願った。 それを、後悔してはいない。 彼からのメッセージと名前だけは沈黙の中へ閉ざし、笑って話す。 「…とても素敵な人ね、その人」 ほっこりと表情を緩める竜姫は、もう一度ピンクの薔薇に目を落とした。鮮やかで艶めいて凛とした、花。 「薔薇…私もカルミアに似合うと思うわ」 「そうか?」 「そうよ」 当たり前だと言わんばかりな肯定。 「折角だし酒の肴に恋バナでもしようか」 「恋バナ…。しても、いいけど…。私の話は、面白くないわよ?」 振られた話ばかりだ。竜姫はいつだって、いい友達どまりで。 「いつもそう。 友達になって、好きになって。そして『女としては見れない』って振られるの。 だから私はもう、一目惚れしか信じないって決めたの」 そしてもしも友達が好きになったら。 捨てる。 邪魔にしか、迷惑にしか、ならないのだから。 カルミアは微笑した。 「じゃあ、竜姫の恋バナは其の時まで取っておくよ」 「…そうね。一目惚れなんてあったら、そのときにね」 それ以外は認めない、と言い切った。 ● 御凪 祥(ia5285)は、端のほうを歩いていた。 (誘われてきたが…) 誘った張本人は、あの華やかな中に行ってしまった。このきらきらしい中に祥をひとり残して。 正直身の置き場がない。辿り着いたのは裏庭の野薔薇の茂みだった。表よりは落ち着いた場所。井戸の上に張られた屋根は広くて東屋のようになっており、ここならいくらか落ち着けるだろう。 (酒を持って来て正解だったな) 杯を取り出す。朱盃「金銀日月」。酒を注ぐ。艶めく朱漆の杯、その水面に浮かぶ金銀の日月。透き通った酒がとろりとまろやかに揺れる。 同じ甘い香りでも、花とは違う酒の香。呷れば冴え冴えと辛い喉越し。 アヤカシにより命を落とした彼の遺した、杯。 浮かんで見えても杯の底に沈んでいる日月のように、物思いの底へ沈んだ。 薔薇酒作りのテーブルで、鬼嗚姫(ib9920)は丁寧に薔薇から花弁を外す。 「ゆっくり…丁寧に…想いを、込めて…」 「誰かにあげるのですか?」 綴の問いに目を薔薇から離さないで小さく頷く。 「兄様と…それから…きおね、渡したい人がいるの…」 丁寧に丁寧に、作った。 ● 翡翠は黙々と花びらを解体して洗いつつ、綴に目をやった。 (心配、ですわよね…) 翡翠が両親を亡くしたのも小さい頃だった。 いたはずの、当たり前の、絶対的な基盤を失った翡翠の受け皿になってくれたのが、真夢紀の家だった。神職を預かる彼女の家系は孤児も預かる。真夢紀やその二人の姉や、朋友たち。穏やかで、忙しくて、賑やかで。悲しみは柔らかくとけてゆき、いつしかあまり意識することもなくなってゆき…。 (優しい方だから、なおさら失った方を思う気持ちは強いのでしょうか) 受付嬢へ渡すぶんに取り掛かりながら、ぼんやりと考えた。 カチェ・ロール(ib6605)は摘んできた薔薇をひとつひとつ丁寧にほぐしていった。 「薔薇の砂糖漬け、作るのは大変ですけど、美味しいですよね」 「こんにちわ、カチェちゃん。どうですか?」 「綴さん」 様子を見に来た綴に手元の作業経過を見せる。最初の何枚かはもう砂糖をまぶして乾燥していた。 「初めてじゃないですし、前より上手になったと思います」 砂糖がまんべんなくまぶさり、きれいに花びらの形を作っている。 「どうですか?」 「ええ、上手ですよ、カチェちゃん。綺麗にできましたね」 小さな花びらをとって綴に差し出す。一瞬躊躇い、綴は一枚取り上げて口に運んだ。 「まだちょっと生乾きですね。よく乾燥したらお持ち帰り用にラッピングしてくださいね」 こくりと頷くカチェ。味見を称して何度か食べさせ、どうにか三枚、小さいのを食べさせた。 去年は薔薇酒と香水を作っていたユリア・ヴァル(ia9996)。手を抜くわけではないが、今年のこれは。 「…飽きるわね」 思わずこぼした。作るより、作ってもらうほうが好きである。隠さない本音に綴がくすくすと笑みをこぼした。 「実はつい最近結婚したの」 「まぁ…おめでとうございます」 「新居を探しているのだけど、庭に植える良い薔薇がないかと思って。 良ければ、一株分けて貰えないかしら? いつか、もしもいつか叶うなら…私たちの子供たちも眺められるように」 たとえばユリアがいなくなったあとも。 「花は散るけれど、それは終わりじゃないのよ。 また新しい命として生きる準備をしているの。 命は繋がるもの。 受け継いだものを次の代に繋ぐのも、今を生きる人の大事な役目よね」 花は散り、実を結んで種となる。花弁は土へと還りゆく。 次の年も花は咲く。 「ええ。ぜひ…お好きなものをお持ちください。株が足らなければ、挿し木で増やせますから」 まぶしそうに微笑んで、綴は頷いた。 「コツは渡す人の事を考えながら作る事、なのだっ!」 薔薇に卵白を塗りながら、譲治は拾にやり方を教えていた。むむむ、と真剣に真似する拾。 砂糖をまぶし、乾かすところでひと段落。ほうっと一息ついて譲治を振り返る。 「上手くできたら、じょーじにあげますっ。 大切な友達が、無事に戻ってきてくれたお祝いです! …なんて」 えへへ、と照れ笑い。 「ありがとうなりっ! おいらも出来たら上手でも下手でも拾にあげるのだっ!」 その言葉通りに、完成した花びらをそれぞれ包んで交換する。 「…でも、本当に嬉しかったですよ! この世界から消えるかも知れないって言ったじょーじがちゃんと戻ってきてくれて」 また、いなくなると思っていた。失うと怖れた。怖くて怖くてたまらなかった。でも。 もらった紅い薔薇を譲治へあげる。そして。 『コツ』のとおりに、きっと拾のことを考えて作っただろう砂糖漬けを受け取った。 ● 高い背、大柄で筋肉の発達した体、厳つい顔立ち。そこまではいい。そこまでは。 「俺は十貴。よろしく頼む」 逃げた許婚を探しているという十貴(ic0897)は、巫女服をまとっていた。 「…」 さすがの綴も沈黙した。しかし根性で言葉を搾り出す。 「ええと…その、ここへは婚約者様をお探しに?」 「ああ。結納の時に逃げられ、捜しておる。ここへもその件で通りかかったのだが」 見事な薔薇と酒の匂いにつられたのだ、と。 「捜している最中ではあるが、俺もよいだろうか。これであれば…陽月が喜んでくれるかも知れぬし」 「まぁ…」 意外に細やかな心遣いに感動した。逃げられた時点で綴なら寝込む。なのに許婚を捜してあまつさえ気遣うなんて。気遣いができて懐まで広いとは、何気に優良物件ではなかろうか。 格好さえまともなら。 籠を渡して作り方を説明し、薔薇の採取へ送り出した。十貴は生真面目にひとつひとつ薔薇を見て選んでいる。 「なんてもったいない…」 綴は心から呟いた。 たぷん、と瓶の中でゆれる花弁。 「なんと鮮やかな赤なのでしょう。よい香り」 陽月はできた薔薇酒をうっとりと眺めた。これならそう、きっと…。 「ふふ、お詫びの品には丁度よいのかも…」 「お詫び、ですか?」 隣で薔薇酒を生産していた真夢紀が鸚鵡返しに問い返す。 「その。見合い相手が女装したおっさn…殿方と申しますか。 一族のご事情と後で伺ったのですが、衝撃で私実家から逃げ出してしまい。 失礼をどうすべきか悩んでいる所で…」 そうですかと相槌を打つ真夢紀の視界にごつすぎる巫女が映った。 「あの方みたいな?」 「はっ! まだ会うわけにいかないのです!」 作ったものを引っ掴むと、陽月は迷わず薔薇の生垣を飛び越えあっというまにいなくなる。びっくりした綴がいつもの雰囲気に近いので真夢紀的には構わないが、陽月的には大問題だったらしい。気にせず佐羽を呼んで、カレー粉や梅シロップを渡した。 「カレーって暑い時でも結構食べられますし、シロップなら佐羽さんも一緒に飲めるでしょ」 「そっかー、さすが真夢紀ちゃん。…って言いたいとこだけど! あたし成人! お酒解禁!」 「…あれ? いつのまに」 「去年の秋だよー。えっへへー、だから今年は! 堂々と! 飲めます! とはいえ梅シロップもおいしく頂くね! わーい、綴さんに見せてくる!」 「その前にお肉、保冷庫に入れておきません? ついでに冷たい物作ります。暑くて食べられないかもですから」 「ほんと!? やった、真夢紀ちゃんのご飯〜!」 「スープくらいですよ。鶏ガラで出汁とって玉ねぎとジャガイモとカボチャと、玉蜀黍くらいしか。それに牛乳入れて塩胡椒だけですし」 「じゅうぶんすごい! さあ行こう、台所はこっちだ真夢紀ちゃん!」 「知ってますけど」 突っ込んで、笑いながら中へと向かった。 片づけに入る皆の隅っこで、泉宮 紫乃(ia9951)はロイヤルアイシングを作っていた。接着剤がわりに砂糖漬けを薔薇の花として再構成するためである。 花心になる小さな花弁を数枚あわせて乾かし、次の花びらをまた接ぐ。徐々に大輪の白薔薇が紫乃の手の中で咲いていった。少しでも元の薔薇のように。 最後の一枚を繋ぎ終えた瞬間、紫乃はがくりとその場に座り込んだ。つかれた。そしてどうにか終わった作業にほっとした。全身全霊で注ぎ込んだ集中力はもうあとすこしも残ってはいない。根を詰めすぎる性格ゆえに出来栄えは綺麗だったが、本人は半ば燃え尽きていた。 「あら、ずいぶん綺麗に作ったのね?」 触っても平気かしら? その声になんとなく頷くと、しなやかな腕が横から伸びてそうっと白薔薇をとりあげる。はっとして顔をあげると、器用ねぇ、と微笑むユリア。 「あ、あのっ…。ご結婚、おめでとうございます」 ぱちりと瞬くエメラルドのまなざし。ユリアは品よく華やかな白薔薇のように微笑んだ。 ユリアの言葉でやる気を回復させ、紫乃は他の二つをそれぞれそっと箱に詰めた。ピンクのミニ薔薇で作った砂糖漬けには桃色のリボンをかける。そのリボンの色の名前を持つ人へ。もうひとつは色とりどりの花弁で作った砂糖漬けだ。最後にハート型の花びらを一枚乗せて蓋をする。これは料理上手な恋人に。 (…喜んでくれるでしょうか) 二人も、受け取ってくれたらきっと。 ● 三本目を空にしたところで、向こうから黒髪の少女が近づいて来た。彼女は目の前に立つとじっと祥を観察する。 得意かと聞かれれば、不得意だと答えただろう。好きか嫌いかと問われれば、嫌ではない。ただこの薔薇園と同じで、馴染みがないだけだ。 「御凪様…薔薇は、お好き…?」 「…好きでも嫌いでもないが」 いつだって鬼嗚姫は直裁的だ。疑問を感じればなんのてらいもなく片っ端から質問攻め。それは胸の裡に片付けたすべてを暴いてしまいかねない。馴染みのないやり方だ。だから困惑する。 「…綺麗なものは…嬉しくなるから…。兄様は、嬉しいことは…分けてあげなさいって…」 「華やかなものであれば牡丹や芍薬の方が馴染みがある」 慣れていない、馴染みがない、今までそういうものに触れてはこなかった、でも。 「…御凪様…嬉しく、ないかしら…?」 じっと祥の表情を伺っていた鬼嗚姫は、その袖を小さく引いて表へ誘う。戸惑いの残る足取りで引かれていく。 「あんたはこういう華やかな花は好きなのか?」 「きお、困らせてる…喜んでほしい、のだけれど…」 こちらのことは片っ端から聞きたがるくせに、当の本人は質問をはぐらかした。否、はぐらかしたつもりはないのだろう。ただ鬼嗚姫の関心事がそこにないだけだ。 「…でもね、きおは…御凪様に、喜んでほしいの…」 困っている、でも。 嫌では、ない。 ● あいかわらずカチェには染否はよくわからない。ただ、無理して元気になることはないにせよ今の綴の食生活では体を壊す。 「ご飯はちゃんと食べないと、体に悪いです」 「そうですね、そろそろお茶にしましょうか」 にっこりと未楡がティーセットを運んできた。せめて蜂蜜たっぷりのお茶を、と。茉莉花の鞠を茶器に入れ、そっと湯を注いだ。ふわりと心をほぐす香りとゆっくり開いていく茉莉花。綴は目元を和ませた。 「まあ…」 花が開くように、綴の凝り固まった感情も開けばいい。ゆっくりでも、いつか。 「慌てなくてもいいです。 ただ、食事だけは少しずつでもとって下さいね」 やんわり微笑む未楡に、ご心配をおかけしまして、と照れたようにはにかんだ。 あちこちで交わされる会話を拾い、話を総合し、蛍火 仄(ic0601)はあらかたの事情を把握していた。今まで係わり合いはなかったが、ささやかでも力になりたい。 (お母様の薔薇園…) 手入れの行き届いていない庭には花が散っている。きっといつもなら、散る前に花がらを摘んでいるのだろう。この広い庭をくまなく回って。 できることは、きっとある。 「思えば毎年訪れている気も…」 特別何をするわけでもないが、紅茶を飲んで砂糖漬けを一枚舌に乗せる。口の中でとける香り。 「柚乃は…薔薇の花が似合わないです…」 そう言いながらも次に唇からこぼれたのは、音律を伴った精霊語。愛を囁く歌を紡ぐ。 ● 作るものを作り終えると、フェンリエッタ(ib0018)はフルートを取りだした。庭の片隅に陣取って唄口から息を吹き込む。ゆっくりと、誰のためでもなく自分のために。 心の中に貯めていた澱を洗い流すように。 指が自由にキイを操る。緊張も情熱もなく、ただ伸びやかに。音が空へと解放されていく。 (砂糖漬けは、今月と来月、親友ふたりの誕生日に贈ろう。 薔薇酒は…贈れないまま、熟成期間を過ぎちゃうかな) いつなら会えるだろう――? フェンリエッタは開拓者。片恋の彼は依頼人。依頼なしに会える相手ではないし、その依頼があっても。 (私も仕事が第一) 最初からわかっていたことだった。そんな恋だと、わかっていた。 曲が終わる。唄口から唇を離す。曲は終わってもこの恋は。 ――フェンリエッタは、愛することをやめない。やめたり、しない。 (それでも…) それでも。 覚悟と理解とがあっても。 「さびしい」 (あーぁ、とうとう言葉にしちゃった) 頬を涙がすべり落ちて。 困ったような自嘲するような、笑みが複雑に顔を彩る。 (綺麗ね…薔薇は凛として) 自分はそうではない。でも。 だからといって俯いて諦めるなんて。 「負けない。絶対に」 できない。 (もっと…強くならなくちゃ) ● ほろり、崩れた花弁が降り注ぐ。白髪を撫ぜ、濃い色の肌を鮮やかにすべり、その足元へ散った。 「…予想以上ね」 吐息に乗せるように、白隼(ic0990)はこぼした。花盛りを過ぎてこれならば、盛りのころはどれほど魅力的なのだろう。ひんやりとほのかに冷たい花弁がまた肌をすべっていく。 「素敵だわ」 「ありがとうございます」 素直な賛辞に綴も笑む。 「これ程の薔薇園を維持するとなったら、どれほど大変なのかしら…? もし良かったら、手入れのお手伝いをさせては貰えないかしら? 勿論、お邪魔でなかったら…だけど」 「まあ。嬉しいわ、どうにも体力が落ちてしまって…行き届かなくてお恥ずかしいのだけれど」 渡されたのは大きな籠だった。花がら摘みを頼まれる。 「摘んでしまうの? これを?」 「もう咲ききってあとは散るだけですから」 仄が気づいて近づいてきた。 「わたくしもお手伝い出来る事があるようでしたらさせて頂けませんか?」 「じゃあ、散ってしまった花びらを集めて頂いても? ごめんなさいね、こんなことをお願いして」 単純ではあるが、面積を考えると重労働である。 「この素敵な薔薇園に再び招いて欲しいのですよ…」 仄は淡く微笑んだ。高いところの花を摘んだ白隼も振り返る。 「これ程素敵な場所ですもの。 出来る事なら一番の盛りの頃に伺って、育てて来た人達の想いに応えて咲き誇る薔薇達に負けない程素敵な舞を踊って見たいって思うの」 舞は、祈りや感謝の念を示す術でもある。 「この薔薇園が、誰かが残してくれたものだとしたら…。 きっと残される人への愛情が込められてるんじゃないかしら」 綴の目が揺れた。 「そうだったと…信じても、いいのかしら」 仄が首肯する。 「お母様が…育てて、譲ってくださったのですよね?」 大事に薔薇を育てた人が、娘を薔薇以上に愛さなかったはずが、ない。 ● 紅い薔薇の垣根の前に、赤い女性が佇んでいた。楠木(ib9224)。 「ねぇ、想い出なんか要らないから、さみしさを取り除いてよ」 花は応えない。 「…嘘だよ。想い出まで、奪わないで」 寂しくても痛くても、抱え続けるから。 マルカ・アルフォレスタ(ib4596)は思い詰めた顔をあげて屋敷の戸を叩いた。佐羽が顔を出す。 「お疲れ様ですわ」 「あ、マルカさん」 綴さん部屋ですよ、と示される。茜色の廊下。 再埋葬後、会ってはいなかった。知らなかった、なにも。 (いえ、知らなかったではすまされない。 わたくしは、あの方を…) 夕日が金髪を紅く照らしていた。 ドアを開くと西日が差し込んだ。 落陽。 窓辺で綴が椅子にもたれている。 楠木の髪が陽に透けて金色の輪郭をまとっている。なめらかに揺れる栗色の髪は甘く優しく夕日にとける。 「泣いても、強くなくってもいいんです」 近づき膝をついて視線をあわせる。鎧が音を立てた。血のにおい。包帯を巻いた身体。 「さみしい時は、はんぶんこすれば楽になるんですよ。 だから…私とはんぶんこ、しましょう?」 細い腕が、やんわりと綴を抱きしめた。淡い薔薇の香り。 「私には魔法みたいな言葉も心が躍るような贈り物も出来ないけど…。 貴女が私を拒まない限り、傍に居るよ」 さみしいよ。 そばにいてよ。 ここにいるよ。 ここに、ここに、ここに、 ここにいるんだよ。 寂しさと切なさが共鳴して反響して交じり合う。 血と薔薇のにおい、差し込む光、陽に透けて輝く髪、光と影と闇の気配、交じり合う交じり合う交じり合う、すべて。 悲しいのは誰だろう、 寂しいのは誰。 やるせないのは悔しいのはもどかしいのは、 慰めて、ほしいのは。 まるで自分のようだった。寂しさと切なさが共鳴する。まるで鏡のようだった。 「…さみしいのは、どっちだろうね」 すっと閉じた眦から、光る雫がひとつぶこぼれた。 ● マルカは楠木と入れ違いに部屋へ入った。 輝くような紅い時間は過ぎ去って、闇と光が混ざった薄暮。 「お邪魔でなければ、少しお側にいさせて頂けますか?」 頷く綴。黙ってフルートを取り出し、高く澄んだ音が静かに優しく音楽を紡ぐ。 頬を一筋の雫が伝った。ひとつ伝い、その道をふたつみっつとまた伝う。細い顎から床へと落ちる。 二年。 あの薔薇園で出会って、二年。 懐かしい薔薇の庭、懐かしい食事、何度もこうして笛を吹いて語り合って。過去を明したこと、繰り返した失敗作のお菓子、なんとかこぎつけた成功作、記憶の海。 なのに。 曲が終わる。睫毛が震えて濡れた瞳が綴を見る。 「わたくしは綴様を本当の姉のように思っております。 それなのに姉に辛い思いをさせた。何の力にもなれなかった。自分が情けなくて」 沈黙が落ちる。世界が静まる。闇が足音もなく部屋を染めていく。 「姉…。そう。わたしにも…。 私にも…いたの。姉のような人が」 マルカが自分を姉だと言うのなら、言わなければいけないことがある。 綴は目をあげた。話さなければいけないの、と。 「マルカちゃん、仇を探していましたね」 「…はい」 「私は仇を、姉と、慕ったの。 姉が大切なの。仇でも裏切られても見殺しにされても、両親よりよほど。私は…ひどい娘だわ…」 流れた涙は自己嫌悪だった。 「わたくしに…できることはございますか?」 その手を血に染めてでも仇を討つ覚悟を固めた少女は闇の底で問いかける。 そばにいて、と震える声が求めた。 「見捨てないで。今までどおり、いつもどおり…今日みたいな日常を、二度となくしたくないの…」 |