死者の探索
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/06/24 21:39



■オープニング本文

●願望
 風信術による通信を終えて、河野忌矢は自分の後頭部に手を回した。赤い赤い髪を掴み込むように手を握る。目の前には術が切れて沈黙した風信術の宝珠が鎮座していた。
 ここには誰もいない。通話中に余計な雑音が入らぬよう、無闇に近づく者はない。
「頼むから――……」
 願いは言葉にならず、ただ沈黙の中に消えていった。

●依頼
 ギルドは年中無休、二十四時間体制で稼動している。しかしギルド勤務の人間まで年中無休なわけがない。休日を挟んで出勤してきた受付嬢は、染否からの依頼張り出しておきましたよ、の一言で状況を確認する羽目になった。
 別段染否係というわけではないものの、去名地方の流和佐羽だの、染否のあれこれだの、匂霞のどうのこうのだのを頻繁に受け持っていたせいで、いつのまにかあの地域の担当者、みたいな扱いになってしまっている。去名はともかく染否はいろいろと複雑なのであまり歓迎できた事態ではないのだが、もう今更どうにもならない。諦めて受け入れるばかりである。
「『屍鬼』の探索・殲滅……、何ですか、これ。注釈多いですね」
「そうなんですよー。怪しいところはなかったし、連絡者が河野忌矢って名乗ってましたからそのまま依頼にしたんですけど」
 話しながら文字を追った。潜伏予想箇所、南の森。敵数、五体。遺骨の状態は問わず。森徘徊中に動物等を殺し、手駒を増やしているおそれあり。確実に討伐してほしい。そこまではいい。問題はその次である。
「失敗条件、敵が徠重に入った場合、及び徠重の手勢に半数以上の討伐を許した場合、開拓者が徠重に入った場合……? くるえ? 聞き覚えがあるような……」
「染否の南にそんな町があるんだって言ってました。南の森の奥に。あのへん、染否ばっかり有名ですから全然知らなかったんですけど、なんでも領主が住んでる町らしいです。で、あんまり仲よくないから徠重は気をつけろ、って仰ってましたね。手柄、横取りされるかもって。で、そうなっても徠重とは喧嘩しないで、でも上手く隙ついて敵を討伐できるような器用な人員がほしい、って」
「徠重……染否、徠重……なんっか、引っかかりますね」
「あたし最初、狂気の『狂え』かと思っちゃいました。狂えってひどくないですか、って言ったら、『徠(く)る者たちが重なる、で徠重だ』って」
「……それです」
 思い出した。
 石鏡の流刑地。今は忘れられた牢獄。染否の繁栄の陰で衰えていった無力なる貴族、徠主の治める地。
 かつて高貴な囚人が徠重に流されたという、難攻不落の城塞都市にして監獄。その機能を半ば失っているが、一般開放されていない区画が現存するとも聞く。
 森と崖と水濠で囲われているが、今は浮浪者と犯罪者の巣食う町でしかない。染否が半ば自治都市と化しているのもそのせいだろう。染否は徠主の干渉を嫌うだろうし、徠主も染否をどうにかする力がないのだ。
 とはいえ、染否の失態――染否の死者がアヤカシ化し、それが徠重へ損害を与えたとすれば、染否はなんらかの譲歩を迫られるだろう。アヤカシは人災ではないが、その後の対応は人災になりうる。染否自警団はもっと開拓者と綿密に連携を求めることができたのに、それをしなかった。染否はもっと頻繁に土地を浄化する財力があった。奥都城を隔離する工事を事前にしていてもよかった。こじつけに近いが、染否の落ち度は確かに、ある。財政難に陥っている没落貴族が領主の徠重が、目の前に転がってきた染否介入の口実を欲するだろうことは想像にかたくなかった。

●説明
「この依頼は先だって染否で発生した事件に端を発しています。奥都城、……つまり墓地ですね。染否という町の奥都城で屍人、狂骨、屍鬼が発生。居合わせた開拓者六名がこれを迎撃、染否を守ったそうです。但し屍鬼五体は南の森へ逃走。また、染否防衛のため戦線を展開していた自警団から死者十八名。重傷者三十五名の犠牲を出しています。この逃走した五体の討伐が当依頼になります。
 染否の南に街道が延びていますが、その街道が繋いでいるのはたったひとつ。徠重という町です。有名とは言い難いですが……、一応、石鏡の流刑地です」
 そんなものが石鏡にあったのか、と驚く面々は多かった。石鏡の印象とは似つかない。
「今はただの治安の悪い一地方ですけれどね。この徠重には領主の居城があります。現領主は徠主永治。支配地域は徠重、去名、染否。しかし染否と徠重は折り合いが悪いようです。徠重としては、繁栄している染否や穀物庫である去名の支配は強化したいのでしょうね。利害不一致、というわけです。
 政治的なあれこれや染否、徠重それぞれの言い分も推測できますが、それは置いておきます。問題は皆様が徠重の手勢とかち合った場合ですね。
 皆様には警察権がありますから、アヤカシとの交戦中であれば徠重側は邪魔立てできないでしょう。ただ、既に徠重の手勢が敵と交戦中であれば、協力を求められない限り積極的な手出しは控えてください。何かの間違いで徠重側に皆様が損害を与えてしまった場合、染否が不利な立場に立たされるおそれもあるからです。徠重からの共闘要請も原則断ってください。また、敵が徠重に入ってしまえば依頼失敗です。追いかけて町の中に入らないよう、染否から要請があります。これらを踏まえた上で、できるだけ徠重より戦果を上げること。……まったくもって厄介な依頼です。的確で具体的な策がなければ、敵を発見することもままならないかもしれません」
 お願いできますか。受付嬢はそうたずねた。

●徠重
 染否の南には、「南の森」と俗称される森林地帯が広がっている。その東側の染否に近いところには蓮の池とそれを見下ろすように建つ旅館が一軒ぽつんと建っているきりで、あとはずっと南へと細い街道が伸びているだけだ。
 じめついた湿気の多い森は薄暗くひんやりとしており、道を外れなくても柔らかくぬかるむ腐葉土と木の根や下草やあちこち絡んだ蔓が動きを阻害する。木々の枝葉と起伏に富んだ地形は見通しの悪さに繋がるだろう。
 そんな南の街道を半日ほど歩くと、唐突に深い谷とそこにかかるつり橋に出くわす。軋むつり橋を渡り、さらに進み、川に架かった橋を渡り、行き着くところは広大な水濠に囲まれた城塞都市。池か湖に壁に囲まれた町が浮かんでいる、と言ってもいい。
 たったひとつの長い石橋が中へと続く道で、観音開きの古い城門が奥で待ち構えている。昼間は開かれたままだが、門の両脇には門衛が常に立っていた。町は奥に行くにつれ土地が高く盛り上がっているようで、一番高いところには小ぶりの城がそびえている。町の中も壁と水路で徹底的に区切られ、さらに城と水濠の向こうには傾斜のきつい崖が壁のようにそそり立つ。その偏執的なまでに内と外を区切る土地は染否以外のどことも繋がっておらず、森の中でひっそりと佇んでいた。


■参加者一覧
水鏡 絵梨乃(ia0191
20歳・女・泰
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
杉野 九寿重(ib3226
16歳・女・志
玖雀(ib6816
29歳・男・シ
ゼス=R=御凪(ib8732
23歳・女・砲
ディラン・フォーガス(ib9718
52歳・男・魔
弥十花緑(ib9750
18歳・男・武
鬼嗚姫(ib9920
18歳・女・サ


■リプレイ本文


 耳には、ただ風が奏でる森の歌だけが響いていた。ブナの若葉が初夏の歌を柔らかく歌っている。
 指笛と共に舞い上がった朱を見送り、玖雀(ib6816)は森へ目を向けた。
 鬱蒼と生い茂った木々。これでは梓珀を中で着陸させるわけにはゆかないだろう。街道であれば無理やり着陸できないこともないだろうが…、街道だけを歩くわけでないし、枝葉で身体に傷をつけさせるのも忍びない。西の森なら離着陸場所に事欠かないのだが、ここでは諦めたほうがよいだろう。周囲の警戒だけであればそう遠くへやる必要もないはずだ。
「これならなんとか大丈夫、だね」
 水鏡 絵梨乃(ia0191)は上級種となった迅鷹・花月に呼びかける。あまり伸び伸びとは飛べないにせよ、花月であれば森の中を飛び回れるだろう。
「屍鬼を探してもらえるかな」
 絵梨乃の求めに応じて、花月はその翼を広げて飛び立った。桜色の淡い翼が狭い木立の中を窮屈そうに切っていく。一応帰還時のために高速飛行は持たせたが、どこまで指示に従ってくれるかは定かでなかった。知能が一定以下の相棒に、複雑な命令や複数の命令は与えられない。それは絵梨乃だけではなく、他の開拓者たちのことも悩ませた問題だ。可能な命令はツーフレーズ。「敵を・探す」――そばにいれば命令の更新をしてやれるが、そうでない以上あとは彼らの本能が何を選択するか、にかかってくる。花月の場合アレは食えなかった、と言わんばかりに文句たらたら頭をつつきに来るかもしれないが、一度戦闘になってしまえば自衛のために戦うだろう。とはいえ最悪空に逃げればどうにかはなるだろうが。
 一方鬼嗚姫(ib9920)はしゃがみ込み、どこの先端もみな白い黒猫と目線をあわせ、自分とは反対側を監視しているよう頼んでいた。
「…乱…余所見をしちゃ、駄目よ…?」
「姫の頼みだ。仕方がない」
 玖雀は木の幹などになにか痕跡が残っていないか視線を走らせていた。まだ浅い場所だからか、とくに傷は見あたらない。耳にはただ、森だけが歌を聴かせていた。


 海にも似た森と透き通る青空の狭間を、切るようにディラン・フォーガス(ib9718)は飛んでいた。駿龍のショーンは瞬く間に森を越え、深い大地の裂け目を越え、そして川のあたりからぐるりと旋回する。その向こうにひとつの町が見えていた。
 水濠と城壁に囲まれた町。周囲には田畑などもなく、ただ森と切り立つ崖に囲われた牢獄。本丸と思しきところからは小さな城が町を見下ろしている。あれが徠重、だろう。町ひとつが城壁と水濠で囲われているのが、異様に物々しい。
(相容れない存在…はアヤカシだけではなく徠重、か。
 人間っていうのは、まあ厄介なもんだ。
 だからこそ、愛おしくもある)
 もっと近づけば町の様子も見えるかもしれないが、無闇に近寄るつもりはなかった。目的は吊橋奥の偵察であって、徠重ではない。
(…深いな)
 森の木々は枝葉をのばし、手入れされていない森がそうであるように山藤の蔓がはびこり、上空から地上はほとんど観測できなかった。
 
 その羽音に、御凪 祥(ia5285)は顔をあげた。逆光の中から声が降ってくる。
「すまん、遅れた」
「いや。まだなにも異変はない」
 狭い隙間にどうにか着地したディランは、収穫はなかった、と伝えながらムスタシュィルを吊り橋にいくつか設置していった。それを意識の端で確認しながら、祥は神経を集中させる。
 ぱっと広げた感覚に、いくつかの存在が引っかかった。すぐそこにいるディランと、ショーン。そして気ままに空を飛んでいる春暁。森の中にぽつ、ぽつ、と点在する何か。
 一瞬のうちにそのすべてを把握して意識を目の前の事象に切り替えた。ディランはどうにかショーンを隠そうと四苦八苦している。とはいえ深い森だから、時間さえあればある程度どうにかはなるだろう。あとで隠蔽工作を手伝ったほうがいいかもしれないが…。再び神経を集中させ、感覚を広げる。あの気配は離れていっていた。数からして、親子連れの小動物かなにかだったのだろうか。


 探索において、もっとも精力的で効率的だったのは吊り橋付近から染否側へ向けて探索していた壱班だっただろう。枝の折れた春芙蓉の痛んだ葉をそっとのけ、その枝に絡みついていたわずかの獣毛を拾い弥十花緑(ib9750)は立ち上がった。
「ありました。それにここら…、若干荒れとります。何か争ったんでしょう」
 その言葉を受けて、ゼス=M=ヘロージオ(ib8732)はヴァイフへ目を向けた。スナイパーコートを裏返したゼスと異なり白と無花果めいた毛並みは初夏の森では目立っていたが、草を鼻先でかきわけながらふんふんとにおいを追っている。ややあってくるりと一周、その場で回った。
「血の匂い…、なのか? ならば、やはり」
「少なくとも、怪我するような抗争があった、いうことですね」
 二人は同時に杉野 九寿重(ib3226)を振り向いた。彼らの死角を埋めるように周囲を警戒していた少女は、心眼を使うと視線をよこさないまま首を振る。視線を周囲に配ったまま、その警戒をとかない。
「このあたりにはなにもいません」
「そうか…、ヴァイフ、においは追えるか?」
 無花果色の背中がさっと動き、先を示す。それは今、三人が来た道だった。

 いくらも行かないうちにヴァイフは歩みをとめた。においが薄くなったのか、それとも一方向だけでなく多方向に分かれたのか定かではなかったが、迷うようにうろうろしたあと完全に足をとめてしまったのだ。さながら次の手がかりが必要だ、とでも言うように。
 花緑は再び周囲を慎重に探し始めた。そのまとう紗の陰に隠れて花緑の死角を補っていた灯心が、つんと引っ張る。
「そこだ。あそこになにかある」
 少女のなりをした人妖は、きっぱりとそう言った。花緑にはなにも見えない。暗視を使う彼女だからこそ気づけたのだろうか。このあたりは春芙蓉の群生地らしく、向こうまで淡い紫色の花が開いている。湿った空気と木の葉に漉されて淡く彩度の落ちたやわらかな光の中で続いている。
 灯心に指示されるまま、薄暗くほの明るく、緑と薄紫の海へと踏み込んだ。もっと先だ、もっと向こう。声だけが花緑を導く。
「そこだ」
 春芙蓉をかきわけた中に、黒々とした矢が一本地面に突き刺さっていた。
「これは」
 鏃から羽までみな異様に黒い。嫌というほど、見覚えがあった。


 腐葉土のしめったにおい、初夏なのに肌寒ささえ感じる空気。濃密な緑の気配。種類と繁りかたごとに差異ある木々の歌。
 梓珀の羽ばたきを遠くに聞きながら、玖雀は注意深く物音を拾っていた。先頭は絵梨乃がずんずん歩いては時折立ち止まって、注意深く視線を走らせている鬼嗚姫を待っている。
 ふと向こうの幹に見慣れた鉄片を見つけた。一言断り藪の中を進む。
「…手裏剣、か」
 平型ではなく棒手裏剣だ。普通の鋼材のように見える。
「何か…あった…?」
「徠重のがいるかもしれねぇ。このあたりもうちっと探して方角割り出す」
「手伝う、わ…?」
 やがて彼らは熊や猪の足跡と思しきものを見つけた。


 花緑が足跡を見つけ、灯心が刃物による傷を見つけ、前の痕跡とどちらが新しいのか迷うところを補うようにヴァイフがにおいを辿り、獣道さえ外れたところをさんざん行き来して――そして、たどり着いたのはあの吊橋だった。向こう側にいたディランと祥も何事かと出てくるが、たどり着いてしまった花緑たちも明確な答えは持っていない。けれど。
「向こうも探さなければならない、か」
 ゼスが呟く。異論はなかった。九寿重は空域を警戒させていた鷲獅鳥の白虎を呼び出す。本来なら別の相棒を連れてくる予定だったのだが…間違えてしまったものはしかたがない。活用できたのでよしとしよう。
「吊橋の術をすべて発動させるわけにはいきません。飛び越えましょう」
 往復してゼスや花緑を各相棒と共に運び、対岸へいた待機組み二人に事情を説明する。
「上空からはまるで見えなかったな。ここから次の橋までも多少距離があった。気をつけてくれ」
「必要ならこちらに追い込んでくれれば対応する」
 ディランが情報を追加し、祥は短く伝える。それに頷いて、三人はまたここから探索を開始した。


 さわ、となにかざわめくような気配をディランは感じた。木の葉の陰から祥に目をやる。彼は静かに否定した。
「射程圏内に反応はない」
 けれど互いに武器を構える。息を詰めて神経を研ぎすまして肌で森を風を湿気を空気を感じて。
 ――銃声。近づいてくる。魔導書を開いた。隣で赤い槍の柄がぴたりと構えられる。
「一時方向楓の木の下」
 ふわりと手の中の魔導書が一瞬光り、
 場にいる精霊たちが祝福していく。輝きが指先にともる。葉擦れの音が大きく強く近づいて揺れる下草から、
「来る!」
 祥の声と飛び上がる塊。指先からまっすぐに光は矢となってその眉間に吸い込まれて行った。それが地に伏すのを確認せず次の力を集めて放つ。祥がぴんと気を張り詰めさせた。
「ショーン!」
 わっと押し寄せる獣たちの前に立ちふさがるようショーンは草木を押しのけ飛び出した。爪で先頭の狼を切り裂き尻尾で牽制する。けれど数が多い、瞬く間に防御に適さない駿龍の身体に傷がついていった。長くは前線に出していられない。屍鬼はどこだろうか。周囲に気を配りながら再び光を集めた。

 眼前を過ぎった熊の脳天を穂先で貫いた。藪の中からの、完全な奇襲。あえなく骸に戻るそれから槍を引き抜きさらに踏み込む。まだこちらに気づいていない狼の横腹を掻っ捌いた。ちょうどショーンがそこで飛び出し前方を塞いだのも相俟って、周囲の殺気が一斉に向けられる。真っ先に飛び掛ってきたハクビシンを石突側で後方へ投げ飛ばすよう受け流し、急降下した梟を半身を引いてかわす。唐突に横合いから突進した鹿の首筋に柄をぶつけて進路を逸らし、ぶつけた勢いそのままに鹿の通り過ぎた場所へ踏み込んだ。たった今いた場所に降り立った狼。
 めまぐるしく入り乱れる中で視線を走らせる。首を逸らした。耳元で歯を思い切りかみ合わせる音。腐臭と獣のにおい。肘で突き飛ばす。屍鬼はいない。
 銃声。方向転換し角を前に出した鹿が再び突進してくる。重心を低く落として槍を構えた。迷いはない。獣も人も、それがアヤカシならば。
 切っ先を揺らす。下から突き上げるように突っ込んできた鹿の喉を貫いた。迷わない、迷えない、迷いたくない。
 銃声が近づく。
 神経を研ぎ澄ます。襲い掛かる有象無象を繋げてかわしていく。螺旋を描いて意識が収束していく。すべての迷いも後悔も置き去りに。
 ぴり、と空気が張り詰めた。ハクビシンの首を飛ばす。
 ぴりぴりと小さな静電気。
 銃声。
(さぁ、出てくるがいい)
 光と雷電を槍に宿す。木立の中にちらつく骨の白。
 その場から離れようとする背中に、迷わず迸る雷の刃を飛ばした。


 景色から骨の色だけ選んで探していた花緑が敵影を発見し、一度は追い詰めたものの瘴気の罠で手足を拘束され屍鬼たちを取り逃がした一行は、ゼスの銃撃で敵を威嚇誘導しながら追跡していた。度重なる罠で徐々に距離をあけられ引き離されていた追跡は、しかし激しい雷鳴と稲光で転調した。
「吊橋付近と推測、こちらは私が!」
「弓持ちはこちらで追います、扇、確実に畳んでください」
「すぐ追いつく」
 九寿重が雷に切り裂かれた屍鬼を狙う。花緑は吊橋付近から逸れて行くもう一体、弓持ちを追って行った。精霊力をまとわせた野太刀が桜色の燐光を振りまく。きら、きらきらきら、きら。風にそよぐ枝垂桜のごとく薄暗い森の中にきらめく。
 振り向いた屍鬼が逃れようと動く直前、その足下から蔦が生えて絡めとった。屍鬼は扇を開いて自身の傷を一瞬で癒すと、その身に瘴気をまとう。ヴァイフが地を蹴りその足に噛み付いた。わずかに瘴気が揺らぐ。
「下がれヴァイフ!」
 銃声。雷の刃。踏み込んだ九寿重は刀身にさらに精霊力を注ぎ込み。
「――はっ!」
 桜が散る。きらめく燐光。輝きが瘴気を切り裂き骨を砕く手ごたえを伝えた。

 からからと骨の崩れる音。報われるのだろうか、彼は。
(だができる事ならば…)
 火薬を詰めて弾を込める。帽子の切れ込みを銃口と重ね見て、花緑の追う弓持ちに照準をあわせた。


 足跡と剣戟の音を辿り、足に絡みつく下草を踏みつけ踏み散らし蹴散らし引きちぎって走る。丘陵を越えて開けた視界に広がる無数の、
 獣。
 一人のシノビがその獣たちを蹴散らしながらただ奥で戦況を見守っている二体の屍鬼へ手裏剣を打つ。あの棒手裏剣だった。
「きおが…相手になるわ…!」
 鬼嗚姫が踏み込む。敵の真っ只中へ、まるで密集した屍など意にも介さずに。群がる獣を薙ぎ払い、射程範囲にとらえた屍鬼の一方へ向けて咆哮を上げる。うつろな眼孔が鬼嗚姫を向いた。
 その距離を、屍鬼は一息に駆け抜けると鬼嗚姫へ刀を振りかぶる。本来なら隼人で先手をとれた。それだけの距離を相手は走った。けれど肩口からばっさりとやられる。
「…女子に、怪我をさせるものじゃないさ」
 乱菊が鎌鼬を起こし、痛みを無視して大鎌を振り下ろす。
「貴方も、誰かの器なのね…ふふ、兄様…姉様と、おんなじ…」
 頬にかかった血が滴る。刀が受け止め受け流すのを、乱暴に弾いて胴を斬った。浅い手ごたえ。
「ボクと同じだ。気をつけて」
 絵梨乃が忠告する。絵梨乃と同じ――動きが、速い。回避力も高いが、鬼嗚姫が二撃入れる時間があれば相手は三撃入れられる。
 屍鬼の薙いだ刀をかいくぐる。狭くて思うように動けない。返す刀が頭上から振り下ろされた。
 鈍い音。
 玖雀の一本化させた自在棍が鬼嗚姫の頭上で刀を受け止める。迷わず彼の足元を転がり、立ち上がりざまに玖雀の背へ突進しようとした猪を切り捨てた。乱菊も襲い掛かる獣たちを睨みすえて風を起こす。空いた場所へ踏み込みくるりと噛み合った刃を支点に鎬から棟へと伝って外へ弾く玖雀。たたらを踏んだ無防備な上半身。棍を引いて突きの姿勢をとり、
「退いて玖雀さん!」
 絵梨乃の鋭い声に反射的に飛び退る。前髪の幾筋かがはらりと散った。平型手裏剣。あの無理な体勢から打った、らしい。退くと同時に七節棍へ戻し脇から強引に割り込んだ狸を弾く。回転で左側を牽制すると、左後方で応戦していた鬼嗚姫が息をつく気配。いつのまにか完全に囲まれていた三人と一匹は背中合わせに陣を組むしかない。
 屍鬼の腕が動く。七節棍で弾いたそれは針だった。身を翻した屍鬼。すぐ横を駆け抜けようとした鬼嗚姫がつんのめる。地面から伸びた瘴気がその手足を拘束していた。足止めの罠。
 襲い掛かろうとした狼を乱菊が抑えるが数が多い。たかる獣たちを打ち据えた。
「きおは…平気…!」
 信じて玖雀は走り出す。獣の大半は鬼嗚姫に集まっていた。すぐ横を絵梨乃が駆け抜ける。絵梨乃が何かを避けるそぶりをし、一瞬足元が乱れた。目に見えて動きが鈍くなる。麻痺針。それでも絵梨乃は屍鬼の動きについていける程度には動けた。麻痺針を打つのに足を止めた屍鬼を回り込んで挟み撃ちする。
 走りながら、身体を『調整』した。それから。
 防御を捨てることになる。絵梨乃のように屍鬼のように、手数はない。けれど。
 ――立ち止まる必要も、ない。
 走る勢いを殺さずすべて乗せて一本化した自在棍を腰だめに構えて、ぶつかるように、突きを打ち込んだ。

 およそ見切った。
 獣たちの攻撃をかわし、あるいは蹴り飛ばしながら玖雀や鬼嗚姫と戦う屍鬼を観察していた絵梨乃はそう判断した。背後から襲い掛かる狼の顎を肘で下から突き上げ浮いた身体を蹴り飛ばす。空では花月の鋭い鳴き声。大きな羽音。――鴉たちと戦う花月と梓珀の気配。
 痺れの抜けない身体で、酔ったように力を入れず不規則に、けれどひとつひとつ屍鬼と獣たちの攻撃を避ける。そして。
 追走の勢いをひとつも緩めずひと筋の影のようになって突っ込んだ玖雀の攻撃を受けてよろめいた屍鬼の頭部を、踵で思い切り蹴り上げた。
 咄嗟に庇った右の腕の骨が肘から飛ぶ。投げ出された刀を左手で掴みそのままふりおろす屍鬼。屍鬼の懐に入るように体を捻り振り下ろした左腕の下をかいくぐり、振り上げた踵をその背に叩き込んだ。
 刀を振り下ろす勢いも加わりまともに体制を崩した屍鬼は受身を取って地面を転がる。空の喧騒がやんだ。
「花月!」
 きらめく光が空から絵梨乃の神布に同化する。さかまく風と迸るきらめき。玖雀が低く七節棍を払った。受身を繰り返して避ける屍鬼。何かが向こうから飛来して屍鬼はそれを掴み取って飲み込んだ。塞がるいくつかの傷。もうひとつ飛んできたものを今度は七節棍で弾き飛ばす。
 飛び起き、走り出す屍鬼。その背を追って狙いをつける。咆哮が響いた。鬼嗚姫。
 振り向く骸骨、無理矢理足をとめたせいでできた隙、さかまく風とほとばしる光を宿した拳を、
 走り出す屍鬼の懐に叩き込んだ。


 黒い矢が頬をかすめた。敵の移動速度は速いが、花緑は下草に足をとられることがない。五分五分、だろうか。
 ――敵は探索能力持ちです。おそらく効果範囲は私の心眼より広範囲。また、あの罠は設置型でしょう。設置に十秒程度の時間を要し、その間は移動を行えません。効果範囲はムスタシュィルのおよそ二倍。拘束有効時間は二十秒程度。設置後はどこがそうなのかわかりませんから、いつどこで設置したのかを見ることが重要です。
 九寿重は敵の行動をそう読んだ。移動中に聞かされたそれは、今花緑の単独追跡を支えている。敵が立ち止まった。きっかり十秒。その場所を迂回して追走を続ける。銃声。すぐ横をかすめる銃弾とよろめく屍鬼。
 一気に距離を詰めた。荒童子が屍鬼の右寛骨を砕く。続けて右の大腿骨も砕いて足を止めさせた。体勢が崩れて逃亡も弓を引くこともできず、それは鋭く手裏剣を打った。至近距離からの攻撃はまともに太腿を切り裂く。屍鬼は真っ黒い丸薬を取り出しふたつ飲み込んだ。大腿骨だけが修復されてゆく。灯心が風の精霊を操り花緑の傷を癒す。片方だけの寛骨で身体を支え離脱を試みる屍鬼、
 銃声。火薬のにおい。弾はなく屍鬼が転倒する。荒童子で追い詰める。手裏剣。風と麻痺針と毒と解毒、それから。
「そろそろ片付くころか」
 光の矢が屍鬼の肋骨を貫いた。木立の向こうにディランの気配。使った回復薬は三つだけでその後は使用しない。首筋を伝って胸元へ滑りゆく血を拳でぬぐう。そう、そろそろ片付くころ、だ。
 錫杖を掲げる。集めた精霊力が幻となって薄暗い中きらきらときらめきながら。
 屍鬼が手をあげる。恐怖も感慨もなくうつろな眼孔が花緑を見定め手には手裏剣が、
 幻はまるで抱きとめるようにして、屍鬼を飲み込んだ。

 足下に残ったのは、ぼろぼろの遺骨だけ。弓矢も手裏剣もどこにもない。骨を見る限り、女性だった。背の高い、姿勢のよい、ひと。
 懐から数珠を取り出しそばの枝へかけて膝をつく。
「…迎えに、きました」
 その頭蓋骨を取り上げて持ち帰る。第二頸骨、指骨、…できるだけ。そう、間違えてはいけない。できるだけ、だ。限界まで、ではない。先々を見据えて動かなければいけない。
 こまかい骨をいくつか、灯心が回収してくれる。かさばらない程度に切り上げ残った遺骨へ風呂敷をかけた。


 花緑が回収できた、そして開拓者が倒せた屍鬼はその三体にとどまった。鬼嗚姫たちの遭遇した薙刀持ちは徠重の者と思しきシノビ諸共いつのまにか姿を消しており、手裏剣持ちについては見ることもなく日が暮れる。弓持ちと刀持ちは手裏剣を使っていた。手裏剣だけを使っていた者もたしかにいたはずだが――どうなっていたのかは、今はもう知るすべもなく。
 回収された骨を渡され、忌矢は沈黙ののちに深く頭を下げた。