死者の追想
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/05/30 23:10



■オープニング本文

●奥都城
 誰もが無言だった。骨と腐肉を埋めなおし、新たな遺体のための穴を掘る。自警団の多くは包帯を巻いたまま、手伝いの町民らに指示を出していた。
「これも身元不明者です」
「そっちの大穴に入れちまえ」
 どれが誰の骨かなんて、ほとんどはわからなかった。そんな遺骨はまとめて埋める。そもそも、どれが『一人分』なのかすら。――だから、それはもはやごみ処理と大差ない作業だった。稲城の死体が判別できたのは数少ない幸運でしかない。
 壊れた墓標。新しい榊。土にふった誰かの涙。黙々と作業をする人々。どこかで聞こえる押し殺した、声。
(この程度で済んだ)
 この程度。そう、この程度だ。
「あ、あの……イミ君。差し入れです」
 不安げに揺れる声。振り向くと、ミルクティ色の髪をひっつめて黒いドレスをまとい、黒い帽子に黒いヴェールの女がいた。差し出された籠を受け取る。甘いパンの香りが、いやに場違いだった。
「その……、トビ君は……」
「連絡はしたろ。俺を庇ってやられた」
「……っ。……、大丈夫、ですか?」
 本当はもっと違うことが言いたいのだろう。忌矢はそれをよくわかっていた。もっと突っ込んだ質問がしたくて、でも言葉が直裁になってしまうから――結局無難な言葉に落ち着いて。けれどそれでは思っていることをちっとも表現できなくて、やきもきしている。その迷いももどかしさもよくわかったから、忌矢はいつものように笑った。
「大丈夫だ」
「イミ君……」
 向こうから、おい、と呼ばれた。それに返事を返して彼女に背を向ける。ふと思い直してもう一度振り返り、帽子の上からぼすんと頭を軽く叩いた。
「きゃっ」
「ンな顔してんじゃねぇよ。お前、親父さんとお袋さんの埋め直しもあるだろ」
「……大丈夫ですよ。見つかっただけ、幸運ですから」
「夜になっちまうが、俺も深喜も翠牙も行く。今夜埋めるぞ」
「フー君とスイ君ですか……来て……くれるでしょうか」
「行くって言ってたが」
 黒いヴェールの向こうで、赤い唇が少しだけ笑った。泣きそうな顔だった。
「でも……だって、あのときからずっと……私、避けられてますよ、ね……?」
「どんな顔していいのか、わかんねぇんだろ。俺ほど図太くねぇかんな」

 呼ばれた先に向かう途中、甘いパンの香りの中で長く息を吐き出した。いろいろな感情を乗せて。口にも顔にも態度にも出せないいろいろな、いろいろな感情を乗せて。

●染否
 染否らしく余計な問題は起きなかったものの、自警団も町民も忙しく、慌しかった。
 遺体や遺骨の回収、遺骨の「骨あわせ」、身元確認。壊れた奥都城の修繕。身元の確認できたものは元通り埋め、確認不可であれば大穴へ放る。よくわからない「部品」も大穴行きだ。収まるべき骨のない墓穴の所有者への連絡や、自警団の犠牲者への慰問。破損した家屋の修理……、今後類似の事件が起こった場合の対策。
 しかたがない、と物分り良く諦める町人たち。その染否らしい物分りのよさで作業は円滑に進む。傷ついた心を抱えていたとしても、不用意に他人へ打ち明けるような人間はあまりいない。無論、誰かに当り散らす人間もまた稀だ。それは円滑な処理へ繋がったが、健全といえるかどうかはまた別だろう。
 奥都城から大量の狂骨といくらかの屍人が出で、そのなかに混じっていた五体の屍鬼を除いて討伐されてから数日。町は日常へと戻りつつあった。

●往診
「では、また明日来ます。ゆっくり休んでください」
 包帯と薬をしまい、深喜は患者に微笑んだ。
「すまないな、河野先生。……忌矢もあんたも、寝てないだろう」
 単の襟を直しながら、男は言う。自警団のひとり。重傷者の、ひとり。
「倒れない程度には休ませて頂いています。薬師が倒れては元も子もありませんから」
「わかってるさ。無茶して倒れるほど、河野はかわいげのある奴らじゃない」
 お大事に。そう言い残してその家を出る。奥方が礼儀正しく見送ってくれた。
(……あの足ではもう、走れないだろうな)
 言わなくても、彼も薄々察しているだろう。自警団であれば、だからといって自殺するような人間はいないだろうが――。
(できることは限られている)
 すべてに手を伸ばすほど、深喜は無謀でも無責任でもない。そんな人間が薬師として染否の人間から信用されるわけがない。人の不調を知ることは人の弱みを知ることにも似ている。薬を選び、渡すということは相手の身体に変化を起こすということだ。そんな中で寄せてくれた患者の信頼を、体調管理ひとつで失うわけにはいかななかった。
 だから。そうしていつも理性で自我を律してきたから、澪のことだって諦めていた。理性的に。むしろ鈴音の手で死ねるのなら本望だろう、とすら思った。
 生きて彼女が戻ったと聞いたとき、どうしていいかわからなかった。そして綴のことも。
(どうしていいかわからない。今も)
 二十余年この町で生きてきた深喜のしがらみは少なくない。普段は土の下で行儀よく眠っている人々が突如目覚めて起きてくるのは、普段行儀よく心の底に押し込めているあれこれが、ぐちゃぐちゃに好き勝手に出てくることに似ていた。
(教会には行きたくないけれど……行かなければ)
 それができるだけの余力を残して仕事を調整している自分の『かわいげのなさ』が、今は少し恨めしかった。

●教会
 裏の墓地に篝火がともされる中で、澪はひとつひとつ、骨をあわせていた。これは多分この人の腕の骨。これは……誰のだろう。そんな「余り」はたくさんある。
 結局、鈴音の骨はわからなかった。たぶんこれではないか、という候補が二つあるが、どちらかかはわからない。
(鈴音。……鈴音……、どこ……?)
 いないのはわかっている。どんなに遺骨を探しても、どんなに記憶を辿っても、この世界にはもう鈴音はどこにもいない。
 じゃあ自分は何を探してこんなことをしているのだろうか。整理、するつもりなのだろうか。鈴音のことを? 鈴音の、ことを……過去にしてしまうつもりだろうか……。
 不思議なことだ、と思った。心があわ立たない。さかまくような嘆きは今はしんと凪いでいて、奇妙に静かだった。けれどそれは嵐の前の静けさにも似ている。
(私、何を考えているんだろう……)
 たったひとりで無数の骨と向き合いながら、壊れた骨の只中で、壊れそうな心ばかり抱えて一体。
 何を考えているのだろう。今までなら鈴音のことばかり考えて、その悲しさに浸っていればよかったのに。奇妙に凪いだこの心は今どこに向かっているのだろう。
(鈴音。声が、聞きたい。
 そうしたらきっと)
 きっと。


■参加者一覧
/ 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 鈴木 透子(ia5664) / 和奏(ia8807) / 明王院 未楡(ib0349) / 明王院 千覚(ib0351) / 国乃木 めい(ib0352) / 門・銀姫(ib0465) / マルカ・アルフォレスタ(ib4596) / 匂坂 尚哉(ib5766) / カチェ・ロール(ib6605) / 玖雀(ib6816) / ゼス=R=御凪(ib8732) / 楠木(ib9224) / 落花(ib9561) / ディラン・フォーガス(ib9718) / 弥十花緑(ib9750) / ジョハル(ib9784) / 春霞(ib9845) / 鬼嗚姫(ib9920) / 名月院 蛍雪(ib9932) / カルマ=B=ノア(ic0001) / 麗空(ic0129) / 月城 煌(ic0173) / トラヴィス(ic0800


■リプレイ本文

●紅い追想
 マルカ・アルフォレスタ(ib4596)はめずらしく気を落とした様子でやってくると、暫しの沈黙の後口を開いた。
「綴様の…ご両親は、どんな方でいらっしゃいましたか」
「えっ?」
「あれだけの見事な薔薇をお育てになったお母様は、きっとご自身も見事な方だったのではと…」
 思い出させるのは辛いかもしれない。そんな気遣いの滲む問いだった。それはマルカ自身、いまだ両親の死をなんの屈託もなく思い返すことはできない。やわらかな少女の心にあの血溜まりは、あの凄惨さは爪痕を残した。深く。
 けれどマルカの気遣いとは裏腹に、綴は少し困ったような笑みを浮かべた。
「…覚えていないんです。あんまり…。ある事件に、巻き込まれて死んだそうですけど…。
 七つにはなっていたのに…」
 そのときまた来客を知らせるノックが響いた。
「ごめんください。お話、聞いて…、お手伝いにって思いまして」
 ぺこりと頭を下げたのは礼野 真夢紀(ia1144)。空気が切り替わる。
「もうそんな時間ですね。スープの大鍋と、パンを運ぶのを手伝っていただけますか?」
「わたくし、お鍋をお持ちしますわ」
「じゃ、まゆと綴さんでパンの籠手分けします」
 準備をして、彼女たちは家を出た。

 燃えるような赤に染めたサーコートと赤い狐のファー。とろけるような甘い赤に染まった夕暮れの中、楠木(ib9224)はその光に溶け込むようにして佇んでいた。
 赤い光。色とりどりの薔薇の中、ひときわ目を惹く紅い薔薇。わかっている。ここは「彼」の家じゃない。
 光で花弁が朱に透ける。大気がふわりと柔らかく染まって、薔薇の輪郭線を曖昧に溶かしている。
 紅い薔薇が咲いている。
 ――花弁が散る。紅く散る。「彼」は苦しむ。花は散る――
 わかっているのに心は勝手に期待していた。紅い薔薇があまりに綺麗で、記憶の底の「彼」の苦痛を、忘れさせてくれそうで。
(それでも薔薇に触れられないのは)
 なにもかもが紅く染まって溶けるような光の中で輪郭線を失って境界線を無くして記憶の底のその苦痛さえ拭い去ってくれそうなのにそれでも。
(大切なのに私自身が壊してしまいそうで)
 怖いから。

 ぎぃ、ばたん。屋敷から出てきた三人。喪服の女性と目が合って、ぎこちなく手伝いを申し出る。
「なら…、そうだわ。花束を作ろうと思っていたの。それを」
 肩が強張る。綴はしばし沈黙し、
「作って行きたいから…、これを持っていただけますか?」
「…はい。もちろん」
 差し出されたバスケットを受け取る。甘いパンの香り。薔薇の香り。
(大切なものほど綺麗に想っていたいのに、胸を締め付けられるなんて)
 束ねられていく薔薇の花。
(…せつないな)
 そんなふうに当たり前に、触ることなんて。

 教会裏ではまばらに人々が作業をしていた。忌矢のほうが気づいて近づいてくる。マルカは手をそろえて頭を下げた。
「申し訳御座いませんでした」
 アヤカシを逃がした。多くの命を守れなかった。
 大切な誰かを、
 ――鮮血の海――
 失う辛さはわかっているのに。
 たとえそれが自惚れだとしても、謝らずにはいられない。無言で通すなどできない。
 忌矢は頷く。言葉はなかった。ただマルカの謝罪を受け入れた。その内心の葛藤ごと全部。
(せめてわたくしに出来る事をしなくては)
 少女は唇を引き結んで顔をあげた。

●生者の追想
 日の暮れるころ、奥都城へ向かった国乃木 めい(ib0352)と明王院 千覚(ib0351)だがそこには誰もいなかった。どうやらここはもう一日の作業を終えて誰もが帰ったあとだったらしい。
「少し遅かったみたいですね…」
 一度未楡と合流すべきかもしれない。

 匂坂 尚哉(ib5766)が深喜を捕まえたのは、空が藤色に甘く染まるころだった。教会への道をともに歩く。
「あのさ、訊きたかったことあるんだけど。
 死んでいった奴の事、話す事も弔いの内って思うんだ」
 深喜が足をとめた。尚哉も立ち止まって振り返る。染否の流儀は、尚哉にはよくわからない。拒否されればそれまでだ。
「だから、これから澪にもアヤカシでも会いたかったって奴の事、訊こうって。にーちゃんも抱えてるもんあるなら俺で良ければ話してくれな?」
「そうですね…」
 深喜は歩き出す。尚哉も隣に並ぶ。
「私は、この仕事がけっこう好きです。職人たちの信用を得るのはほんとうに大変で、さんざんいろいろ言われましたけどね」
 なぜか彼は自分のことを話した。
「だから私は、この町の気難しい職人に受け入れられて、それで安心していたのだと思います。
 どこかで、稲城さんが私を信じて治療を受け続けてくれると…思っていました。治らなくても、見込みがなくても…。奇跡が、起こらなくても」
 聞いてくださってありがとうございます。教会の門前で深喜は微笑む。
 どこからか琵琶の音が響いていた。

 ほそい指が撥で弦を弾く。門・銀姫(ib0465)の手の中から、落ち着いた琵琶の音が不思議な余韻を残してかがり火の光と深い闇の奇妙な共存の中に消えて行った。
 すぅっと息を吸い、ひそやかに歌を紡ぎゆく。
 心の旋律。精霊語による愛の詩。
 素朴に、率直に、単純に――それでいて熱く激しく。
(人が死ぬのは悲しいもので〜♪
 それがアヤカシの所為ならば嘆きは一層激しくなるものだね〜♪)
 ゆるやかに撥は弦を弾く。琵琶特有の余韻が静かにとけていく。
(だからとて時間は経ていくのでどんなに悲しくても前に進まないといけないのさ〜♪
 そうして涙で心を洗えばきっと未来は開けて行くのだし〜♪)
 泣いて泣いて泣き尽くして慟哭を示し尽くせば。
(心に希望を灯せば本当に求めるものが得られる様になるんだね〜♪
 だからこそ障害を突破する為に今まだ力を貯めて休まる時なのさ〜♪)
 打ちひしがれて打ちのめされているときに顔をあげるのは難しい。心から傷ついて苦しんでいるときに未来を見据えるほどの強さのある人間など稀だ。
(死を悼んで心中に刻んで思い出を慈しみ幾つか又無事に振り返る季節が訪れる様に〜♪
 只管に何れ来る決戦の日々で勝ちうる瞬間を得られる為に祈っておくんだね〜♪)
 じゃらん、と独特な琵琶の音が反響する。静かに、けれど確かに。
 愛の詩は嘆きの中へ染み渡る。

 麗空(ic0129)は教会裏の墓地でちょこまかと動いていた。
「ホネをあつめるの〜?
 んっと、これとこれがいっしょ〜?」
 同じような、違うような…、答えなどどこにもない作業だった。それでも麗空は嫌な顔ひとつせずにただ単純に骨を繋ぎ合わせていく。そのうちに麗空は、ひとりきりで黙々と骨を合わせている澪を見つけた。ととと、と近寄りしゃがみこんで澪の目を覗き込む。
「…どうしたの〜? ないてるの〜? いたいの〜?」
「…泣いてない」
「…なみだはね、ひとりぼっちじゃとまらないんだよ? とまらないとね、ココがいたくなるんだよ?」
 指差したのは澪の胸だった。
「痛いのはいけないの?」
「いたいとつらいよ〜」
 そうだね、と澪は頷いた。
 痛いのは、つらいね。

 骨合わせをしている途中、澪に気づいて春霞(ib9845)はそっと近寄った。隣で春霞もまた骨をあわせる。
「…誰か、いましたか…? …この中に」
 骨を拾う音。繋ぎ合わせて確かめる気配。顔を見ずにぽつり、呟く。
「酷いって思うんです。思うけど…羨ましいなって…思っちゃうんです…」
 羨ましかった。骨でも死体でもよかった。それがたとえ彼らでなくても、ただ瘴気が入り込んだだけのしろものでも、それでも動いている姿に会えるのは。いなくなった人と、もう一度会えるのは…。
 崖の上へと自分を押し上げる、腕。
 母のやわらかな腕。しっかりと支えた父の腕。迷いない兄の押し上げる力。
 ――逃げろ。
 ――生きろ。
 一緒にいたかった。いられなかった。ただ渡された三色の根付を握り締めて駆け出して、
 振り返った目に焼きつく、すべてを呑み込んだ水。
 それが最期、だった。
「…生き残っちゃい、ました…。私も…きっと、貴女も…」
 戸惑い、取り残され、ひとり置き去りにされた。居場所も行き場所もないままただ命だけが助かってしまった。生き残ってしまった。生きながらえてしまった。存在し続けてしまった。今も。
「なら…意味を、見付けないと…探さないと…」
 今なお迷い、戸惑い、取り残されたまま、手探りで触れるものすべてを確認しながら生きている。
 なにかを見つけるために。

 沈黙を深めた澪を見つけて、尚哉は片手を上げた。隣にしゃがみ込んで話しかける。
「お前の友達、鈴音っていうんだっけ?
 どんな奴だった?」
「…、特別な子。私だけじゃない。哲史も、みんな…なのに」
 死んだら終わり。
「信じられますか? ずっと鈴音が中心だったのに。私まで、忘れちゃったら…誰が鈴音を証明してくれる…?」
「上手く言えねぇけどさ」
 感情の問題は理屈では片付かない。それでも尚哉は言葉を続けた。
「澪が生きてる限り鈴音の事覚えてて、たまに思い出話をしてやればさ。
 澪の中で鈴音も生き続けるんじゃねぇかなって」
「それはもう、鈴音じゃない」
 明確な拒否の言葉にも似ていたが、うんうん、と尚哉は続きを待った。
「鈴音に生きていてほしかった」
「そうだな。生きていて、くれりゃよかったのにな」

 すすり泣くような澪の泣き声に、いつのまにか離れたところにいた麗空はふらりと立ち上がった。膝に抱えていた骨がからん、と乾いた音を立てて落ちる。
「…ババは…おぼえてなさいって…」
 脳裏に響く呼び声。麗空を呼ぶ声。呼んでいる、呼んでいる、麗空を呼んでいる…。
 小さな両手が耳を塞いだ。きつく塞いだ。呼んでいる、声が聞こえる、呼ばれている。
「ん〜、うるさ〜い」
 責める声、怒声、助けを懇願する声、断末魔の叫び。
 膝をつく。うずくまる。両耳を塞いでも頭の中で響く声。
「…ババ…うるさいの、やだ〜…」
 じっと耐える。耳を塞ぐ。声が聞こえる。
 それが遠くなって聞こえなくなるまで、ただ耐えた。

 気づけば月が傾いている。
「…おなか、すいた〜…」
 そろりと手を外し、麗空はぼんやり呟いた。

 今、自分達にできることを。明王院 未楡(ib0349)は染否を訪れていた。
 再埋葬。
 葬ったあとにもう一度葬る行為。綴がどれほど辛い思いをしているか。想像するだけで胸が痛かった。
 今、できること。
 この腕とこの鼓動とこのぬくもりで分かち合うこと。

 教会裏は煌々と照らされていた。静かな静かな、再埋葬。綴が立っていた。真夢紀が、マルカがそばにいた。見知らぬ赤いサーコートの女性がいた。赤毛二人と白髪一人。
「未楡さん…」
 そっと綴に寄り添う未楡。棺には並べた骨と、その上にかけられたドレスとタキシード。棺の隙間を薔薇で埋め、聖歌をなぞるように歌う。静かに響いていた琵琶の音があわせるようにメロディを追った。祈りと故人を偲ぶ言葉が交わされ、マルカと忌矢が棺を穴へおろす。
 被せた土。据え直した墓石。捧げた花とこぼれた嗚咽。
 腕の中で綴がくずおれる。胸元に抱き寄せ支えた。
 一人ではない。
 一人では、ない。

●夜警
 カチェ・ロール(ib6605)は薄暗い夜道を、数人の男たちと歩いていた。弓と刀で武装した彼らは染否自警団の夜警組みである。
「屍鬼を逃がしてしまいましたし。アヤカシが、また戻って来ないとも、限りませんから」
 その言葉と共にカチェは夜警に飛び入りした。
「カチェでは、屍鬼には敵いません。けど、もし出たら、出来るだけ時間を稼ぎましょう」
 直接剣を交えていないため明確なことは言えないが、カチェは確実にこなせることと不確定事項の線引きを引ける程度には現実的で、そして無責任ではなかった。
「いざというとき、君は少しでも動けたほうがいいだろうから」
 そう言って提灯は渡されなかった。シャムシールだけしっかり抱えてついて歩く。夜の道をただ繰り返し行き来して。

 殲滅できなかった責任、というわけではない。ただ、屍鬼が近くを徘徊しているとわかりきっている状況で放っておけなかった。
「できるだけですけど、留まってお手伝いします。休むのに詰所かどこかの隅をお借りしたいですが……」
 そう言ったカチェを、一晩共に歩き回った自警団は忌矢のところに連れてきた。
「野郎ばっかだし……宿とってやるからそっち行け」
「ほんの隅っこでいいです」
「染否自警団はちと、な。あんま出入りすると目ぇつけられる」
「どこにですか?」
「徠重。
 いいからゆっくり布団で休め。数日いてくれんなら特に」
 そう言って町内の宿へ案内された。雨戸を閉めて薄暗くした一室で布団に潜り込む。
 睡魔はすぐに襲ってきた。

●闇夜の追想
 空は透き通るほどに美しかった。真夜中の、空の色。藍をなお突き詰めてどこまでも濃くしたような深い色。無数の星々が見えた。星座を見失うほど数多の小さな光の屑。
 月の明るさにすこしも負けない、まばゆいほどの星空。
 月城 煌(ic0173)は誰だかわからぬ誰かを埋めた。土を掘り、骨を並べて土を被せる。この手で。
 あのとき、
 あのときもそんなふうに。
(誰かが死ぬってのは、残されたもんにとっちゃ寂しいもんだな。
 記憶は消せずに、いつまでも残っちまう。残酷なもんだ)
 誰よりも一番、煌がわかっていた。わかっている、はずだった。冷たくなった身体も開かない目も青ざめた唇も間近に見て、葬ったのは自分だった。
 わかっている、はずなのだ。
(は…っ、笑えねぇ。…俺はまだ、アイツを愛してんだな。
 忘れられるわけ、ねぇんだよ…)

 見上げた空は広かった。向こうの山稜からこちらの際まで圧倒的に透明な空が覆っていた。星々が、屑みたいに小さな星までみな見て取れた。月が大地を青白く染めていた。
 あまりにもあまりにも、あまりにも広かった。
(俺はこんなにちっぽけだ)
「……なぁ、――。おまえ、今、幸せか…?」
 届かない想いだと、わかっている。わかりすぎるほどわかっている。
(でも、今日くらい、…吐かせてくれよ)
 今だけ、今日だけ、この闇の中でだけ、もうすこしだけ。

●生者の棺
 うつろな眼孔が玖雀(ib6816)を向いていた。月が青白く頭蓋骨を浮かび上がらせている。
 誰に気遣うわけでもない時間。孤独は物寂しい安らぎを連れてくる。一人でいられる安堵と、一人でいなければいけない失意。
(骨は冷たく無機質で何も語らない)
 ひとつひとつ、埋めていく。骨は青白く闇の中に輪郭線を持って存在しているが、夢も見ず希望も抱かず、必死に生きることも平静を装うことももはやない。失意の中で顔を上げる苦悩も。

 自分という存在がこの世で未だ息をしていることが、泣きたくなるほど悲しい。

 役目は終えた。終わってしまった。そのはずだった。けれど墓穴で眠ることは許されなかった。
(染否がどこか落ち着くのは少なからず似ているからだ)
 干渉されるのを嫌い本心をひた隠す。
 どこか諦めていてどこか悲しい。
 あるいは墓場のようでもあった。棺の中に閉じこもり、もう生きてはいない死者の町。生きながら死んでいることが許される。
(我が君の命令が無ければ、俺はここに住んだかもしれねぇ)
 彼女に代わる生きる望みなど、あるわけもないけれど。
 棺の中へは入れない。今はまだ、絶対に。

 作業に区切りをつけた。
 屍鬼は今も彷徨っている。そこにいる。
 やりきれない思いに蓋をした。飲み込むことも消化することもできないまま、けれど今は封じておく。
 そうしなくては動けなくなる。一瞬の躊躇いが命取り。
(俺はそれを嫌というほど知っている)
 痛いほどに。

●死者の葬列
 当て所なく流れていた。行くべき場所など決めぬまま。
 朝靄も晴れきらぬ町でトラヴィス(ic0800)の前を、喪装の一団が幾多の棺を担いで通り過ぎていく。それから、同業者と思しき武装した幾人かの男女…。
 事情など知る由もなかったし、知ろうとも思わない。ただトラヴィスは、過ぎ行く一団が姿を消すとその方向へ足を進めた。

 押し殺したような低く短い言葉が交わされている。わずかな言葉の端々から大凡の事情は察せられた。
 死、それ自体はいい。いつになるにせよ、生きている限り不可避で平等だ。
(覚悟はとうの昔に済ませた。未練もない。
 そこで全てが終わるなら、何も残らぬのであれば、いっそ清々するというのに。
 死してまで、異形に縛られる事も、他人を縛る事も――御免だ)
 からみついたしがらみの鎖が命の終結と共にぷつりと途切れてしまえばいい。

●葬場祭
 稲城は最後の依頼を託し、顔も見ぬまま死んでいった。
 鳶武は一度、道案内で世話になったきり。
 ディラン・フォーガス(ib9718)は奥都城側の池のほとりに注連縄を張りながらを敷きながら思う。
(人が死ぬのは定め。
 死に理由などはなく。
 若者にも、善人にも、誰にでも必ず訪れる、逃れようのないもの)
 逃れようなく、当たり前に。
(いつ来るか分からない死の影に怯え続けることもできず、人は死に目を背けながら生きている。
 常に別れの覚悟を抱えていることなど難しい)
「私に出来うる限りで、お役に立てればと思って…」
 そう言って手伝いを買って出た柚乃(ia0638)は忌み竹を立ててまわり、ゼス=M=ヘロージオ(ib8732)は鯨幕を張っていく。祭壇を運び真榊を立て…そんな準備のあと、棺が並べられた。
(葬式は遺された者のためという。
 慌ただしくすることで一時悲しみから解き放たれ、形にすることで区切りをつける)
 場が整い、参列者が入場しはじめた。

 喧騒、紅、土煙の記憶。全てを飲み込み、ゼスはそこに立っていた。棺の前に。
 額の銃痕は乾いて、鳶武はいかにも生真面目そうな顔で眠っている。ゼスが引き金を引いた人。彼が一番綺麗だった。他の遺体は無残に全身に矢傷が残っている。でもそれは心をすこしも軽くしなかった。
(来世ではどうか幸せに…)
 一人一人の顔を見、目を伏せ、祈る。
 あのとき割り切ったすべてに。

 弥十花緑(ib9750)はただ黙って参列していた。始まる葬場祭。斎主が奏上する祝詞。見知った顔、見知らぬ顔、鳶色の髪の死者。鞘師の墓。
 無事を願った澪や深喜に向き合う度胸がないのだろうと。役だからと甘え、稲城や彼らの死を受容できると、思っていたけれど。
(一言交わしたかどうかの人間の死に動じているのが事実)
 …力不足と、傲慢と甘えと、喪った人の重みと、誰かの痛み。すべてを噛み締める。気後れも息苦しさも丁寧に覆い隠す。
 生き残った分、やらねばならないことがある。
(…生かされたのだから)
 何組かの遺族もいたが、身内のない幾つもの死者は忌矢が引き受けていた。葬場祭はまとめて進められ、そっけないほど簡単に終わってしまった。せいぜい祝詞の奏上がひとりひとり行われたことと、玉串奉奠に時間が掛かったくらいのもので…。むしろ早く終わらせてしまいたいと言いたげなせっかちさ。
 しかし何が言えるだろうか。語るべき言葉を持たないまま、ディランは墓穴まで棺を担ぐ。
 涙する者はいない。嘆く者もいない。
 棺をおろし目を伏せて祈りを捧げる。死者への祈りは沈黙によって綴られる。

 何人かは指を組んで祈りを捧げていた。この地に信仰が根付いている――。
 ジルベリア発祥の、ジルベリアでは許されぬ信仰。それが異国に息づき、異国の者によって祈りが紡がれてゆく。
(ここは…どこだったか)
 巫女の行う葬儀を自警団が代行し、天儀神教会の信者が祈り、そしてトラヴィスがここにいる。
 ちぐはぐな光景。整合性のない夢のように現実感を欠いている。
(――祈ろう。
 死者も生者も、何者にも囚われぬように)

 言葉はなかった。誰にも、どこにも、ひとつも。
 言葉はなかった。どんな言葉も嘘になったし、どんな言葉も真理になりえた。そしてすべてを正しく説明する言葉はなかったし、あったとしても誰に伝えることもないだろう。
 出せない言葉の代わりにそっと土に膝を立てて、花緑は墓碑に頭を垂れた。

●藍
 埋葬が済み、解散が告げられる。ゼスは赤毛の喪主を引き止めた。
「…鳶武のことだ。
 もしも…俺が止めを刺して逝かせた事などで…。
 俺に何か罵りたい事があれば聞こうと思う」
 生真面目すぎるほど真面目に。ひとつの言い訳も自己弁護もせずに、傷つく覚悟だけ決めて。
「今は戦場ではない。
 ならば休息である今…人間らしい卑しい部分を曝け出す時だ。
 …いや。
 責められる事で…俺が楽になりたいのかもしれない…」
 大義名分の下の感情をも、認めた上で。
「染否で人を庇うのはご法度だ。禁忌と言ってもいいほどに。だが」
 忌矢は言う。
「あいつが何かする前にお前が始末つけてくれて、正直、喜んでる」
 感情の吐露はなくいっそ完璧な外面で、しかし痛切な本心を。
(そうだ)
 それに思い至って、ゼスは藍の勾玉を忌矢に差し出した。
「いつか必ず返してくれ。
 必ず」
「おいおい、いつかっていつだよ」
 できれば老いて死んでほしい、と思った。難しいならば…せめて笑って死んで欲しい、と。
(それが俺の…勝手な願いだ)
 生真面目な青い目。藍色の勾玉。しゃあねぇなぁ、と忌矢は笑った。
「人から物は受け取らねぇ主義なんだが。
 預かっといてやる。お前こそちゃんと受け取りに来いよ」
 銃を握る細い指から離れた藍が、無骨な手の中に落ちた。

●葬
 花緑は南の森へ目をやった。深く、暗く、鬱蒼となにもかもを呑み込むような森。
(いつだって、仇はいない)
 あの奥へ消えたあれらは決して仇ではない。仮に仇と言えるものがあるとすれば、それは、
 ――己自身で。
 誰かの死を戦う理由にはしない。誰かの嘆きも、痛みも、決して。そうして誰かを盾に自分が戦う理由など掲げはしない。
 ただ、
 ただ敵がいて、自分がいるという、それだけのことだ。
 ただ自分で自分に課した責任を、義務を果たすだけ。
 今までそうだったように、今回も同じ。ただ斃すべき敵であるだけ。
「…始末はつけんと」
 ぽつりと呟いた言葉は風がかき消して行った。
 錫杖と共に決意だけ、強く、握り締めて。
 もう一度葬る。ここにいる彼らも、あそこにいる彼らも。

●生者のための癒し
 昼ごろ、真夢紀はなりゆきで同行しためいや千覚と共に綴を尋ねて質問した。
「怪我人多数出たって聞いたんです。まゆ巫女ですから、治すお手伝いは出来ると思うんですけど怪我人さん知らないから…綴さんなら怪我人さん知っているか、若しくは怪我人さん知っている人知らないかなって」
 時間が経過しすぎていて、もう死者に干渉できない。でも。
「命があれば、ある程度治す事は出来ますから」
 腫れぼったい目で綴は頷く。ただ、と言い置いた。
「断られるかもしれません。それでも…いいですか?」
 こくりと真夢紀は頷いた。染否の奇妙な厳しさなんて、よく知っている。

 呼ばれてきたのは赤毛の兄弟だった。深喜が自己紹介し、そして「薬師としては」と答える。
「お断りさせていただきたく。…すみません。情報の漏洩などに繋がりますので、綴からのお話でも私からは…」
「亡くなった人多いなら、怪我人さんは早く復帰出来た方が良いんじゃないかなって思ったんですけど…どうでしょ」
 真夢紀の言葉に忌矢は難しい顔をして黙り込んだが、ややあって「失礼な要求をするが」と前置いた。
「自警団としては、条件付で歓迎する。
 希望者のみ、患部を見ない、布越しでも皮膚に接触しない、私的な会話をしない、の四点だ。…差し伸べてくれた手に対して、非常識な要求をする非礼を侘びる。
 了承してもらえるなら、非常に有難い」
 それは思ってもみなかった答えだったが、三人の巫女はそれぞれの考え方でひとまず受け入れた。
「あの」
 持ってきた薬を差し出す千覚に忌矢は首を振る。
「気持ちだけもらっとく。全員深喜が治療して、定期的な診察も受けている。いつか本当に必要としている奴らに使ってくれ。予算も物資もあるうちがもらっていいモンじゃねぇ。巫女三人もいるだけでとんでもない贅沢だ。
 ちなみに、重患は紹介しない。治癒術の効くような傷じゃねぇし」
 話を総合して、めいは大凡のことを察した。
「怖いのね。自分を晒すのが…」
 千覚が祖母を見つめた。めいは小さく頷く。
「時々…そういう人もいるのですよ」
 かつて癒し巫女として旅していたころ。救命活動にきわめて情熱的なめいは、難しい患者も診てきた。巫女をしていれば決して珍しい経験ではない。普段は旅館経営に力を入れている千覚も、すべての人に同じもてなしが通用しないとよく知っていた。言葉少なにわかりました、と応える。
「そちらの好意と寛容に依存する。すまない」
「医師として、そして娘や孫の交流ある人達の苦難の時に手を差し伸べずしてなんとするのでしょう…。どうかお気にされないでくださいな」
 やんわりと言うめい。
「頼む。普段はともかく、今回はな…」
 結果的に真夢紀の患者について質問する、という行動は円滑な治療のための不可欠行動だった。何気に重大なことを成した少女はしかし無頓着で、「じゃあどこで治療しましょ?」と次の段階に移っている。結局忌矢の案内で各作業場所を回ることになった。

 真夢紀は閃癒を駆使してどんどん治療していく。はい次、とてきぱき進めるので治療される側もある種の気楽さがあるようだった。めいも治療をしていく。千覚はそんな中、忌矢から説明された面々のそばで、作業を邪魔せぬよう静かに鈴を鳴らし、歌った。鎮魂の祈りを歌に乗せて。
 千覚には祖母のような経験はない。今回は真夢紀ほど的確に動けたわけでもない。でも。
(せめて傷の手当のお手伝いだけでも…)
 傷を庇うような動きがなくなり、滑らかに作業をする人。ぼそりと振り向きもせずに小さく述べられる感謝の言葉。それだけでかまわなかった。
 母は今も薔薇園にいるだろう。一度だけ連れて行ってもらったことがある。今も綴についているだろう。それが母の選んだ今の役割だ。
「次行くぞ!」
「今参ります」
 千覚は今、ここで治療を続けることを選んだ。
 地味で、誉めそやされることがなくても、自分のことを考える暇もなくても。それでもひたすら治療を続けた。

●生者からの祝福
 明るい昼の日差しの中を、数珠を片手に薔薇の花束を抱えた青年がひとり歩いていた。和奏(ia8807)である。人形めいた横顔にはなんの色も浮かんでおらず、ただ道順を確認するために視線を時折周囲に向けるだけ。
(お弔いはして差し上げないと…。
 お亡くなりになられたのに、道に迷われてはお気の毒です)
 戦いの痕跡が残る道。血や火薬のにおいはとうに飛んでいて遺体も遺骨も残ってはいないが、建物の壁面や地面には刃物の跡などが残っていた。森へ出る少し前に巡回の自警団に誰何されるものの、和奏がまるで森の中へ入ることなど考えてもいなかったせいで簡易な謝罪と参拝への謝礼を述べられるにとどまる。民家がなくなり視界が開け、緩衝地帯の草地の向こうに薄暗い森が姿を現した。一度、もうすこし東の旅館に泊まったことがある。
 今は中へ入ることもなく、森の際に花束を置いた。「薔薇の祝福」。祝福と名のつくものを捧げたかった。
「これしかご用意できなかったのですけど」
 何不自由なく育った人間特有の、すれたところのない、ただ礼儀正しいお参りだった。含むところもなく、かといって心底嘆くわけでもない礼儀正しい墓参り。墓はなくとも、この向こうにはまだ瘴気にとらわれた遺骨が活動している。今も。
 薔薇の香りが緑のにおいのなかにまじりあっていく。丁寧に参拝し、和奏は静かに数珠をおろした。

●翡翠の追想
 きらめく五月の太陽の下で、ジョハル(ib9784)はよし、と息をついた。
「これとこれが同じ…かな」
 頭蓋骨と背骨、肋骨、大腿骨…いくつも足りない部分はあるが、あらかたこれで「一人」らしくはなっただろう。奥都城のあちこちで似たような作業が繰り返されている。できるだけ、時間の許す限り――なるべく一人の人として葬りたいと、願っている。

 美しい翡翠の瞳と煌く心の、ひと。
 大切な人。
 彼女を失ったことが、ある。
(目の前で穢され傷つけられる彼女を救えなかった)
 毒さえ知らない彼女を地獄に突き落としておきながら、ジョハルは今、ここにいる。
 生きている。
(何故俺は生きている)
 半身を失った。視界を半分失った。故郷も名前も捨てざるを得なかった。
(それが何だ)
 彼女を死なせた事に比べれば痛みもない。彼女の味わった苦痛に比べればいかほどのことでもない。
(俺の命なんてどうでもよかった。
 何故、君は今も迎えに来てくれないの)
 共にゆけるのなら、それが死の果てでも構いはしないのに――。

 土を盛り上げ、砂の騎士の礼を捧げる。
「どうか安らかに。もう二度と悪夢に苛まれぬ事を祈る」
(そういえば彼女の遺体を見ていない。
 死んだと聞かされただけで)
 ふと、そのことに思い当たった。しかしすぐに首を振る。
「…まさか、ね」
 そんなはず、ない。

●壊れゆくもの
 鍬ですくった土を山にしていたときその男と目が合って、周りに誰もいないのをいいことに落花(ib9561)は思い切り顔をしかめた。カルマ=B=ノア(ic0001)ことバーリグ。落花の本性を知っている男である。
「あれま。意外な子がいる。
 あ! ちなみにおいちゃんがここにいるのはねー」
「お前の事なんか聞いてねぇし」
 即答。むしろ台詞を遮った。ショボンとしたバーリグは、しかしすぐさま持ち直す。なにせこの男、基本的に反省しない。この程度の厳しい対応程度でどうにかなるようなヤワな神経はしていなかった。振り回される人々にとってはもうちょっとヤワくなってもらえると嬉しいのかもしれないが、もちろん期待に応える予定は今のところ存在しない。
「でもさ、どんな心境の変化なワケ?
 こういうお仕事キライだったじゃん」
 沈黙が落ちた。風が吹く。土のにおいを連れている。死のにおいをはらんでいる。
「…確認したかっただけ。
 死んだら、どうなるかって」
 目に焼きつけた骨。人だったころの面影なんてわずかもない。こうなるのだ、死んだら。死んだらこうなって。
(醜い)
 誰が誰かもわからなくなって。
(虚しい)
 化物になって二度殺されて災厄を振りまいて自分の意思なんてどこにもなくて。
(嗚呼。
 死ぬなんてちっとも楽じゃない)
「…絶対に死んでやるもんか」
 呟きは独り言めいていた。目の前のバーリグの存在が遠くなる。心が現実から離れていく。
(絶対に私は無駄になんかしない)
 彼の命を――。
 落花を救った、落花を助けた、落花のための犠牲となった彼の屍の上で落花は生きている。だから。
(たとえ『あいつ』がどれだけ私を)

 ゲラゲラゲラゲラ

 笑い声が聞こえる。笑ってる、笑っている。ずっと。
 手にした鍬の柄が地面に転がる。
 耳を塞ぐ、笑い声が、耳を塞ぐ、聞こえている、聞こえている、消えないでいる。
 黒い影が取り囲む。
(嫌だ来るな来ないで)
 吐き気、が。

 独り言めいた言葉のあと、落花が急に震えだしたことにバーリグは気づいた。転がる鍬、耳を塞ぐ手。慌てて抱きとめる。ひとりの自警団が向こうから視線だけで問いかけてきた。ただの眩暈だ、唇だけ動かして答える。
(…症状が前よりひどくなってる。こりゃヤバいかもな)
 そう思いながら自分の顔が笑っていることに気づいた。幼馴染の愛で生かされ、精神を病んだ少女――。
 彼を想いながら生き地獄を進むのか、怨霊の幻覚に取り殺されるのか。
 彼女が苦しむその姿は「愛」の形の一つ。
(彼女には、俺が求める答えがある)
「ねぇ落花ちゃん。俺に見せてよ。
 この世界に愛があるって事をさ」
 その一生をかけて証明してほしい。
 くたりと力なく意識を手放した少女の耳には届いていなくても。

●生者たちの生
 遺骨へ土を被せようとした名月院 蛍雪(ib9932)を、鬼嗚姫(ib9920)は静かに拒否した。
 土に触れたら、手が汚れてしまう。代わりにやると言う彼女に、しかしさすがに蛍雪も任せきりにはできない。とはいえ少女は頑として譲らなかった。
「なら、そこの鍬を使うよ」
「でも…飛び散ってしまう、かも、しれないわ…?」
「飛び散らないように、静かにやるよ。稀生華も丁寧にやるだろう?」
 鬼嗚姫の長く黒い髪が肩を覆っていることに、ふと気づいた。
「稀生華」
 名前を呼んで自分の髪紐を解く。
「髪…? これ…?」
「おいで」
 手招きして妹の髪を結ってやる。そうっと大事に手櫛でとかし、丁寧に後れ毛を拾ってくるりと束ねた。角の間の前髪もきちんと指の腹で整えてやってから、いいよ、と手を離した。
 それから率先して、でも丁寧に土をかけていく鬼嗚姫。蛍雪も土を運びながら、そんな鬼嗚姫の心を透かし見る。
(これは…抜け殻だけど…とても、大切な…想いの器だから…残された人の、想い…)
 丁寧に、大事に、ひとつひとつきちんと土を被せて盛り上げて整えていく妹。
(私には、眠る者への感慨はない)
 彼らは、何かの為に自分の為に、どこかで確かに生きていたのだろう。
 証がなくとも。形がなくとも。その事実は揺るがない。
(なら。それで良い)
 故に。心に掛かるのは、彼女のこれから。これから彼女は、生きていく。これからも生きていく。きっと、蛍雪のために。蛍雪のためだけに。
 人の寿命はおよそ五十から、長くて百程度。しかし修羅はおよそ百年のときを生きるという…。
 ぽんぽんと表面を叩いて形を整えている鬼嗚姫。手を休めて空を見上げた。視界の端に黒髪が揺れている。
(あの子は私より、命が長い)
 おそらくは、そう。何事もなければ、順当にいけば、年齢差も相俟って、きっと。
「稀生華。私は、お前が」

 ――お前が私を忘れないことを、望まない。

 鬼嗚姫は顔をあげた。
「兄様…お疲れかしら…?」
 それなら休憩だと、手ごろな休み場所を探し始める。手を洗って土を落としながら、考えた。
(…きおは、兄様と…ずっと一緒にいられるかしら…)
 ずっと、そばに置いてくれるだろうか。ずっとずっと、いさせて、くれるだろうか。
(骨になっても…土に還っても…)
 墓穴の底まで。存在が分解されいつか骨さえ消えゆくほどの彼方の果てまでずっと。
 この腕は兄のもの。この足も兄のもの。この身体もこの存在も兄のため。傷も汚れも全部全部全部。
(きおは…兄様の為に…戦って…汚れて…壊れたいの…。
 大好きな、兄様の為に…きおの、全部を懸けて…)
 それが彼女の存在理由。

 手を洗って、待たせていた兄のところへ戻る。
「ねぇ…兄様…? きおは…もっと、強くなるから…。だから…傍に、置いて、ね…?」
 それが彼女の生存条件。

●儚きもの
 事情は知らずとも状況は捨て置けない。鈴木 透子(ia5664)は埋葬に一区切りをつけると、大穴の前へ立った。
 信仰には色々ある。その前提の上で、透子は自らが師に学んだ弔いを選ぶ。
(未練を残したご遺体が瘴気を呼びアヤカシに変じ、悪事をしていずれ人に討たれては哀れだから…というのが理由だそうですが、はっきりと迷信と分かっています)
 ただ。
 弔いとはそういうものなのだと、学んだのだ。その言葉の裏に含まれる意図を受け取って、透子は静かに祈る。
 目立つのは趣味でない。でもそういった己の好悪を越えたところで仕事をこなす気質でもあった。地面に手をついて真言を唱え、瘴気を集める。
 それは透子の中で練力に変わり、そうして集めた練力を今度は手の中で小さな光へ変えて空に放った。
 ふわり、明るい空に儚く漂う夜光虫。陽の光に照らされて、風に吹かれてそよいでいく。次々に空へと飛ばし、消えるも流されるもなるにまかせて。
 既に瘴気が入りアヤカシとしてまた滅されたものだけれど。
「今度はせめて綺麗なものに…」
 そうして幾多の光を空へと送る。儚くかがやく小さなものが流れゆく。
 綺麗に。

●穢れを祓う者
(嘆き、悲しみ、苦しみ…墓場は負の力を呼び寄せる)
 今はジプシーとして励んでいる柚乃だが、決して、決して巫女をやめたつもりはない。ごっそりと持っていかれる練力は確かに負担だが…。巫女の技も、吟遊詩人の技も使えるのだ。
(ヒトの想い、死者の眠りが…アヤカシに利用されないよう…)
 穢れを、祓う。

 呼吸を整えて、ゆっくりと練力を引き出した。これを歌いだしたら――奏ではじめたら、柚乃は無防備になる。でも、すこしもかまわなかった。心はひどく静かだった。そんなことよりもっとずっと大切なことが目の前にあった。
(どうか安らかに…その眠りが妨げられん事を…)
 優しく語りかけるように紡ぎ始める。すぐに意識は飛んでいく。
 最初の願いを乗せて、歌は響き続けた。

 およそ三時間にわたる演奏を終えると、心地よい疲労感と共に意識が戻る。喉が渇いていた。世界を知覚する。土のにおい。緑の気配。ころころと池に流れ込む水のかわいらしいせせらぎ。そして、先ほどまではなかった気配。
 目を向けると自警団らしき青年がひとり離れて立っていた。
「僭越ですが、この町は部外者も多いので。お一人がよろしければ離れておりますから、できればお声をおかけください」
 そう言って彼は一礼した。柚乃の心尽くしに、深く。