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■オープニング本文 ● 田んぼの畦道に穴が開いているのには、いくつか理由がある。 ひとつ。ねずみ。 ふたつ。蛇。 みっつ。もぐら。 ねずみであることが多いが、畦の表面にうねうねと走っているトンネル状の穴はたいていもぐらだ。畦にぽこぽこと穴が開いているのはねずみである。まっすぐ穴を掘っているのは、蛇の冬眠跡だ。 そんなふうに、田んぼの畦道はたいていあちこち穴だらけで――ねずみ防止のために彼岸花を植えている土地もあるが――穴そのものは、別段珍しいことでもなければ特別なことでもない。 しかしだ。 「……こったな穴は見たことねぇ」 少女は呆然とつぶやいた。 空は薄曇がどこまでも広がっていて、ほんのりとあたりの彩度が落ちている。春の花曇だ。あちこち草木は芽吹いていて、甘い草や花の香り、土のにおいが馴染み深い。 田畑もどこもおかしなところはない――ひとところを除いては。 ● 「田んぼに穴?」 流和は奇妙そうな顔をした。田んぼに穴があいていることが奇妙なのではなく、そんな当たり前のことがどうしてギルドで話題に出るのだろう、という疑問だった。流和の出身をよく知っている受付嬢は、言葉にしなかった疑問を正確に汲み取って頷く。 「ええ。普通の穴じゃなくて。その……だいぶ大きかったらしいんです。穴の直径がちょうど、ここからこのくらいで」 受付嬢はカウンターの端からある一点までを指し示した。それは流和の背丈ほどの直径だということである。 「……ずいぶん大きなもぐら……ねずみ?」 「穴の走り方からして、もぐらだと。こんな感じの大きな穴が、トンネル状になってぐねぐねと」 「ああ……うん。目に見える。 でももぐらの掘った穴をねずみが使ってるかも」 「そういう可能性もあるんですか……。共存するんですね」 「いや、もぐらは肉食だし……けっこう凶暴だから。もぐら同士でも喧嘩するし。だから共存って言うより、使ってない穴をねずみが勝手に使ってることはけっこうあるんだ。 被害は? 農作物ならねずみだろうし、そうでないならもぐらだと思うけど」 「畦や田畑に塚や土の盛り上がりがあるほかは、特に。もぐらでしょうか」 「だと思う。少なくとも草食じゃないね。正直、その大きさのもぐら……もしくはねずみが、普通の食生活をするのかどうかは知らないけど。 でも厄介だよ。もぐらって用心深いから、あちこちに道を張り巡らして、すごく広い範囲を動き回るもん。何かあったときの避難場所は作るし、餌場はいっぱい持つし、トンネルは使ってないのも多いし、あちこちに一休みする休憩所は持ってるし、本管っていう……一番大事な、巣から続く道があるらしいんだけど……。それはちょっと深いところにあるし。そういう性質がそいつにもあるなら、まず見つけることが大変だと思う。そんなに大きいと、直接穴に入って探さなきゃいけないかもね。……あたしは武器の都合上、相性悪いなぁ。狭いし」 そのとき、ひとりの職員が受付嬢になにか耳打ちをした。さっと受付嬢の顔が青ざめ、きゅっと唇が引き結ばれる。二人は何事か小声で話し合い――受付嬢は流和を振り向いた。 「流和様。先ほどの情報、訂正いたします。 人的被害が出ました。村人三名、および村で飼育していた牛五頭が穴に落ち、戻りません。おそらく――死亡したものと思われます」 外はよく晴れているのに、うららかな午後の日だというのに、流和の耳の奥では激しい雨の音が木霊していた。 |
■参加者一覧
礼野 真夢紀(ia1144)
10歳・女・巫
明王院 未楡(ib0349)
34歳・女・サ
晴雨萌楽(ib1999)
18歳・女・ジ
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
能山丘業雲(ic0183)
37歳・男・武
金時(ic0461)
20歳・男・泰
ハティーア(ic0590)
14歳・男・ジ
ウルリケ(ic0599)
19歳・女・ジ |
■リプレイ本文 ● 挨拶して、村への道すがら。ハティーア(ic0590)は流和に尋ねた。 「流和さん、詳しいのかな? 普通のもぐらと同じとは限らないけど、参考にできるかなって」 「村じゃ仕掛けを入れて捕まえるけど…そういうの、長期戦だからなぁ」 だな、と同意したのは玖雀(ib6816)だった。 「命は勿論だが…」 「ですね」 可能な限り彼らの生活を守りたい、言葉にしなかった玖雀の思いを読み取って礼野 真夢紀(ia1144)が頷いた。牛まで失っているのに、これ以上彼らの生活を圧迫すべきではない。春にこれは厳しいだろう。 「流和さんは、同じくらいの年だけど、開拓者としては先輩だね…。 どうぞよろしく」 「あたしも駆け出しだけど、よろしく」 どことなくぴりぴりしていた流和の雰囲気がすこし、和らいだ。明王院 未楡(ib0349)が一振りの剣を差し出す。 「解放者の名を持つ剣です。村の方々の恐怖と悲しみを払拭するのに、良い験担ぎになります。 その剣も、まだ愛用の品…と言う程には手に馴染んでいないのでしょう? 雑な扱いになっても構いませんから、良かったら使って下さい」 「ちょっと長いね」 「地下に降りるのは、できるだけ避けるつもりですし…どうでしょう」 「…そっか。降りないんだ。じゃあ、借りようかな」 真夢紀もロングボウを差し出したが、流和は宝の持ち腐れになるから、と遠慮した。ノーコンゆえに。 それから未楡の提案に従い、三班に分かれた。村に着くとそれぞれ準備にとりかかる。 金時(ic0461)と、その手伝いを買って出た能山丘業雲(ic0183)はまず棒を集めにかかる。けれど使わない木材は薪になるのだろう。あまり多くはない。枝を切り出すにしても到底足りるものではなかった。豊かな森がある土地でもないし、長々と準備に時間をかけてもいられない。 「考えて刺さなければいけませんね」 「面倒なことを考えるのは得意じゃねぇんだがな。まあいい、横穴の多いところを重点的に刺すのは決めていたんだ」 ● 「牛が気付いたら消えてたって事は、生き物の振動とか生命反応とか把握できるんじゃないのかな?」 真夢紀はぽつりと言う。今回の作戦を一言で言うのなら、囮、これに尽きる。三班がそれぞれにうろうろして、敵がかかるのを待つというものだ。業雲は盛り上がった土の上にぼすりと手にした枝を刺した。一見、若木の苗が生えているようにも見えなくもない。 (いない…のかなぁ) 一瞬真夢紀の身体が光り、ぱっと散るようにして消えた。範囲内に瘴気は感じない。ただ――何か妙な感覚だけが残っている。 (なんだろ。何か、見落としてる気がするんだけど) 首をひねりながら、同じくどれくらいの間隔で刺すべきか悩みつつ歩き回る業雲のあとを小走りに追いかけた。大股でずんずん歩く業雲、一行の中でもっとも上背がある。一方の真夢紀、これまた一行の中でもっとも小柄で、流和より頭ひとつ分は小さかった。それぞれまったく別の仕事に没頭しながらも、そうして共に歩いているのはある種ほほえましい光景である。ウルリケ(ic0599)はひとり離れて、付近のもぐら塚を観察していた。 「これは古い…のでしょうね」 天気がよいので土の表面も乾きやすく、微妙に見分けにくいが――少し崩したときの乾き具合を見れば、いくらかは判断材料になる。つんつん、とそこらの枝で塚を突き崩し、うーんと考えながら結論に至るウルリケも――根っこのほうは決してほほえましいだけの人物ではないが、楚々とした雰囲気も相俟ってなにか妙にほほえましい雰囲気をかもし出していた。その横をえっちらおっちらと村人たちが鶏だのを抱えて移動するのだからなおさらである。 「あ…すみません、少々お話よろしいでしょうか」 未楡たちは主に危険箇所を避難する住民に付き添って護衛をしたのちに、ちまちまとあっちこっちへ避難する住民の付き添いをしていた。未楡はついでに手帳に地図を書き起こす。ハティーアは流和や未楡とやや離れ、気配や足音を殺しながら歩く。猫じみた足さばきは少女めいた容貌と相俟って、まろやかでしなやかな雰囲気を強めていた。また、彼も時々未楡と意見交換をしつつ、自分用に見取り図を書き出す。 (本管は、餌場を囲むように…円形なのかな) だが、餌場らしき場所はあっちこっちに無造作にあってなんとも言えない。地下の様相は地上からでは予想がつけにくく、わかりづらかった。それでも巣穴を探す手がかりにはなる。 玖雀、金時、モユラ(ib1999)の三人は頭をつき合わせて話し合っていた。 「降りてみたけど、ちょっと甘く見てたカモ。暗くてあんまり人魂を離せないよ」 モユラが言うのは、人魂での先行偵察である。せいぜい三寸ちょっとの大きさにしかできないが、カエルの形に呼び出して穴の先に行かせた――まではいい。問題は、光源がなければ地下は暗闇だということである。目視にこだわる必要はないが、人魂の大きさが大きさなので曲がりくねっていると道の分岐や進行方向もよくわからない。松明を持って入ったとして光の届く距離は限られるし、光源からあまり離れられないのでは問題だ。 「だよな…。それにモユラだけ降ろしても、連絡がな。呼ばれても、どこの地面に穴空ければいいのかもわかんねぇし」 地面の下と上では、当然音もほとんど届かない。超越聴覚で研ぎ澄ませてはいるが、正確にモユラのいる場所を避けて穴をあけ、援護するのは不可能だ。力いっぱい踏み抜けばすぐ穴に降りられるだろうが、その真下にモユラのいない保障はないのである。下から穴を穿つにしても地表の土が盛り上がっていない部分もままあるため、同じ理由で却下だった。 金時はひとり、手にした棒を眺める。じゅうぶんな数は集められなかった。しかし。 「…刺すのではなくて、引き抜いて小さな縦穴をあけたらどうでしょう。そうしたら人魂だけ降ろせますし、音も光もいくらか…」 「「それだ!」」 満場一致で解決した。 ● 焦燥を込めて足早に歩き回る流和を追いかける足を、ふと止めた。 ――ずいぶん歩き回ったのに、まったく敵が姿を現す兆候はない。ハティーアもスキルを使い続けるのをやめ、かなうかぎり気配を殺してそろり、ひらりと歩いている。練力の節約だろう。 別班からの連絡もなかった。空はただ青く、地面はぼこぼことあちこちが盛り上がっているだけ。こうなったら…しかたがない。 未楡は刀を抜き放つ。褐色の刀身は光を受けてまるで燃えるように煌いた。その刃を手の甲に滑らせる。すぅっと白い皮膚に一筋の赤が浮かんだ。 「未楡さん!? ど、どうしたの!?」 流和が驚き、ハティーアは静かにことの成り行きを見守る。 「ちょっと血のにおいをさせて歩きましょう。引かれてくるかもしれませんから」 これで効果がなければ…、降りるしか、ないだろう。穴に。 「おい、結構歩いてるが、なかなか見つからんか」 「そうですね…なんか、おかしいです」 情報は集まった。土地の把握もあらかたした。しかしまったく敵の気配がしない。ハティーアが言ったように、相手はケモノなのか。それとも高い抵抗力を持っていて、真夢紀の術から逃れているのか。敵所在地を認識できないという事実だけが転がっていて、理由はとんとわからない。 「もう少し歩いてみましょう。ほら、あのあたりはまだ回っていませんし」 ウルリケが促す。そう、もう少し歩いてからでも判断を下すのは遅くないはずだ。見落としがあったら事であるし。ただこうまで手ごたえがないと――、 (やっぱり降りないと、だめかも) そのときは業雲に縄を持ってもらおう。ぼきぼきと指を鳴らす背中を追いかけてそう思った。 「いねぇなー」 「いないネー」 「いないですね…」 効果時間の長い超越聴覚はともかく、人魂は持って三十秒そこそこ。あとに待つ戦闘を考えれば、練力はある程度残すべきだ。 「モユラさんの人魂は少しやめて、刺した棒を見回りに行きませんか? なにかあるかもしれませんし…」 「だな。うちの班の攻撃の要でもあるし」 「罠の設置もモユラさんですしね。いいですか?」 「あー、ウン。なんかゴメン」 「いいって、一番働かせてるし。むしろ悪いな、負担かけて」 「棒を見に行きたかったので、ちょうどいい口実でした。すみません」 「そゆコト? なら遠慮なく〜」 気遣ったり軽く流したり。うまく距離をとりながら、三人は来た道を戻る。しばらくすると、一部だけ棒の倒れている場所が見つかった。 ● 三つの班が一堂に会したのは、昼過ぎてからだった。真夢紀の作った筍お握りをそれぞれ頬張りながら書いた地図を広げ、情報交換をする。 「巣穴の可能性はこことこことここと…」 「瘴索結界は全然ダメでした。中に降りてみましたけど、浅いところで歩き回っただけじゃ釣れません。 それでわかったんですけど、瘴索結界って地下の瘴気はわからないんですね。地上の、よくそのへんに漂ってる瘴気も中からじゃ全然感じなくて」 「血のにおいをさせて中に座って待ってみましたが、こちらもだめでした…。でもまゆちゃん、大丈夫ですか?」 「練力使い切る前に気づいてよかったです」 「もうちょっと前に切り上げたらよかったですよね。すみません、先を回ろうと勧めて。 村の方が仰るには、牛が落ちたのはいつだかわからないと。人的被害が出て、報せに行く際…あの土の盛り上がりがあって、牛はいなくなっていた、ということでした」 「穴ん中にゃ誰もいなかったぞ。ただ…骨だけ、な。こっちの棒は倒れちゃいなかった」 「そっかァ…、こっちは倒れてたよ。ネ」 「このあたりです。三本だけ倒れていて、中を見たら前も後ろも少し深い通路に繋がっているところで途切れていました」 「漠然と下のほうで音がしたんだが、遠すぎるのか地下だからか距離感がわからなくてな。明り持って降りてもらったんだが、そん時にはもう音もしなかった」 あれこれ話し合い、見取り図に書き込み、絞る。ハティーアがぐるりとある場所を囲った。 「このあたりを、集中的に探したらどうかな」 真夢紀が小さく手をあげる。 「あの、やっぱり向こうはこっちのこと察知できると思うんです。牛も亡くなった村の方も、落ちてすぐ犠牲になったみたいですし…」 「…同じ場所を行ったり来たりしてみようか? そういえば、二人の犠牲者も人通りの多い畦で…だったね」 「牛もいつも牛舎にいる時間でしたね」 「決まりだな」 ● ハティーアが記した場所を三分割し、そこを手分けしてうろつくことにした。 「やってることは変わらんなぁ」 「しかたないです。じゃ、お願いしますね」 「お気をつけて」 業雲に縄の先を渡し、ウルリケに見送られて穴に下りる。そうしてしばらく経ったころ。 「地鳴りみたいな…なにかが聞こえる。気をつけろ!」 玖雀が周囲の班にも警告を送った。刹那。 ものすごい勢いで、穴の奥から迫り来る気配。 「かかりました、ここです!」 ウルリケが周囲の班に呼ぶ声。 真夢紀の咥えた呼子笛が立てる甲高い音。 ぐいと腹にかかる縄の力、浮遊感、青い空、 「真夢紀ちゃん!」 流和の声。 そのときのことをなんと言うべきだろうか。空に放り出された真夢紀を見もせずに業雲は穴近くへ踏み込み手にした焙烙玉を思い切り投げ、そんな業雲を見もせずに、流和は業雲がいた場所へ駆け込んだ。どちらかが一瞬でも躊躇ったりしたら真夢紀は地面に打ち付けられていたし、どちらも同じように受け止めようとしたら二人は衝突していた。――そうして流和が走り出す直前にその背中を違わぬタイミングで未楡が押していた。三者の言葉も視線もないその奇妙で絶妙な行動。 「――生きては返さん」 よく通る声。火薬のにおい。ウルリケの鞭が複雑にしなって穴底の何かを打ち据える。気づけば真夢紀は流和の手で地面におろされていた。一拍遅れて到達したハティーアが、舞に似た優美な勢いそのままに真っ赤な鞭で絡め取る。一瞬の拮抗。 炎を吹き散らすように鞭がほどかれる。けれどその一瞬でウルリケには充分だった。穴の奥へ戻ろうとするその額に、力いっぱいの一撃を加える。 おそれるように惑うように、もぐらは頭をこちらに向けたまま、方向転換もせず猛烈な勢いで後進を始める。それは前進と変わらぬ勢いであっというまに見えなくなった。 「追います!」 真夢紀が穴の中へ飛び込んだ。 ● 一番離れていたところにいた三人には、二つの班の動きがよく見えた。 耳には確かな音が聞こえる。穴を増やしてくれたおかげで繊細に情報が拾える。未楡が盾を構える動き。真夢紀の足音。もぐらの進む音。未楡が突進してきたもぐらを押さえ込んだこと。それを玖雀は手短に伝えた。 「大技、いくよっ」 「攻撃準備します」 モユラが足をとめる。瘴気を集め構成しなおし術の準備に入る気配。発動を「合わせてくれる」つもりだ。金時が抜刀する小気味よい音。本来動作を見せる必要はない影縫を、玖雀は腕を伸ばし攻撃目標地点を示すように発動させた。黒い鋼糸が地面の一点に吸い込まれる。 「取っておきさ…陰陽奥義、受けてみな!」 まばゆく白い狐が形をとり、玖雀の指し示した地面ごと中身を抉る。飛び散る瘴気の破片と土塊。逃げようと足掻くもぐらを業雲とウルリケが打ちのめす。炎のような鞭が絡みついて。 「…」 静かに、するりと金時の刀が横から首筋を撫で斬った。 ● 「…」 潰えた命を、金時は見下ろしていた。希望は手の中に残らなかった。二人分の骨。 流和が覗き込む前に、玖雀は手を翳して視線を遮る。 「…悪いが村人達に報告に行ってくれねぇか? もう大丈夫だ、って」 流和はすこし黙っていた。玖雀を見上げて、こくりと頷く。 「わかった」 離れていく気配。 血まみれの服の切れ端。散らかる不完全な骨。遺体というのもおこがましい、残骸としかいえないもの。 「…箱、か、布か…筵か。そのへん、ないか」 「探してくるよ。このまんまじゃ…あんまりだもんね」 モユラの足音を背中で聞く。骨を拾い、並べ、足らない部分を探し。 (あの時もこうだった) 遺体は残った。けれどそれがなんの慰めになっただろう。 彼女の血にまみれた両手で、血の気の失せた白い頬に土を被せて。 ――あの人に土を被せなければいけなかった。 特別を望んだわけじゃなかった。ただ共にと、それだけさえも指の間からこぼれ落ちていく。 (今更、俺に何を掴めと?) 幸せになることが、彼女なしで――どうしてできるだろう。 あの人は土の下で。生きる意味も価値も目的もすべて共に葬ってしまった。ただ彼女の願いが空っぽの身体の中に命を残したに過ぎない。 「持ってきたよ。じゃ、あたいは穴ン中、見てくるからサ……、あと、よろしくね」 すべてが終わって、残ったのは骨ばかり。 |