白の中
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: イベント
危険 :相棒
難易度: 易しい
参加人数: 22人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/02/12 09:36



■オープニング本文

 雪が降る。
 白くなる。
 白いものも白くないものもみな飲み込んで埋め尽くす。

 雪が降る。
 白の中でただひとり。


 いきなり冬の初めに大雪が来て、今年はもう奥の廃村へは行けないだろうと言ったのに。
 止めるのもきかないで、彼は雪かきを片手に笠に蓑を着て、雪靴にかんじきにスカリまでつけて出て行った。雪国の人ではないのに。大雪の中を生きるのに慣れていない人間にとって、あんな細い道を歩くのがどれだけ危ないか、わかっているはずなのに。
(七尽)
 あの有能な、出世頭のあの子は、今も。
 今もずっと、彼の心をとらえているのだろうか。黄泉路に下った今もなお。
 あれからもう、二年も経つのに。
 ひらひらと、雪が降る。
 降り積もる。
 あの人の歩いた足跡を、あっというまに覆い隠してしまう。
 細い一本道のこちら側でじっと待つ、自分の気持ちなんて知りもしないで。
(雪なんか)
 大嫌いだ。


 最後の一歩で渡りきり、九夜はほっと息をついた。
 縄に捕まり続け、真っ赤になってかじかんだ指先は痛くて痛くてたまらない。先に暖をとらないといけないだろう。
 この一本道は崖の壁面にできた道で、ただでさえ危ないのにこの季節は段違いの危険度を誇る。いつかは雪のさなか渡るのを断念したが、今年はどうしても、どうしても来たかった。
 懐に入れた髪紐を、服の上から確認する。
(七尽さん)
 ――無理です、無理に決まってるでしょう? 柵がついたからって、私たちだってこんな雪の中あの道は通りたくないのに! お願いです、やめてください。死者のために命をかけることなんか……!
 その髪紐を入れる小さな巾着袋を作った少女は、そう言って止めてくれたけれど。
 だから一層、ここへ来るしかなかったと言ったら、彼女は怒るだろうか。
 去年見た一瞬の幻が忘れられない。
 死者に会えるはずのないことはわかっている。わかっていてなお、どうしても、どうしても探してしまうのだ。
 雪に埋もれた村の中を、きし、きしと雪を踏んで歩く。
 たとえば、そう。
 七尽に好意を示し、添い遂げて欲しいと望むことに抵抗はなかった。彼女には兄も弟もいて、実家や父母の面倒を見る男手に困っていなかった。
 結局、想いを告げる前に死んでしまったけれど。
 でも。
 でも十瀬は違う。一人娘で、だから両親の墓とその家を捨てて、嫁いでくれなんて。
 どうしてそんなことが言えるだろうか。
 町暮らしで力仕事を負わない自分では、農村、しかもこんな貧しい寒村の暮らしなど……心が耐えられても体がついていくまい。
 願わくばどうか、いい人を見つけて欲しいと。
 そう望むだけに、とどめるべきなのだ。それが現実的で最良の判断であろう。
(七尽さん。言い訳にされてください。
 ここに、十瀬さんに会いに来る言い訳と。
 十瀬さんとの距離を取る、言い訳に)
 人の住まない家、しかももともと破壊の限りを尽くされたこの村では、暖をとれる場所などほぼ存在しなかった。
 茅葺の屋根は穴が開き、柱は傾き、壁は崩れて中は雪にまみれている。それでも去年はどうにか一晩を過ごせる場所があったというけれど……一年でこんなにも変わってしまった。
 外がこれでは墓地に蝋燭を灯すことも無理だろう。せめて折鶴を備えるくらいか。
(見通し、甘かったなぁ……)
 それでも布団があればどうにかなるか、と思ったが、今度はそれもなかった。
 がらんどうで家具も食器類ももはやみななくなっている。きっと、ここに住んでいた者たちの縁者である、あちらの村の者たちが。売り払うなり自分たちで使うなりしたのだろう。きっとこの残った家の残骸も、いつかは薪として運び出されるはずだ。
 それを責めるわけにはゆくまい。この厳しい土地で、死者に遠慮して一年もそのままにしていた気遣いのほうが賞賛に値する。
 それならこれを薪にして暖をとろうか、と一瞬魔がさした。
 けれどこれは九夜の財産ではない。これを遺産として受け継いだ人々のものだ。
 命をとるか誇りをとるか。すこし迷って。
(十瀬さんなら、死ぬくらいなら薪でもなんでも使ってください、とでも言いそうだ)
 だから、やめようと思えた。
 他人の財産に手を出して生きるくらいなら。
 凍死でもして物笑いの種になるほうがましだ。
 それがたとえ、ぬくぬくと町で過ごしてきた、飢えも寒さも知らない者の虚勢だとしても。


 一本道の下に広がる谷底には、その廃村を囲む山からしか入れない。
 鮮やかな色の端切れを目印の木に結びながら、谷へ下っていく。谷底は想像以上に雪が深くて、九夜の胸あたりまで積もっていた。
 雪かきを持ってきて、ほんとうによかった。
 雪を除き、道を踏み固め、歩き回る。
 幻なんてどこにもなかった。


■参加者一覧
/ 奈々月纏(ia0456) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 和奏(ia8807) / リエット・ネーヴ(ia8814) / フェンリエッタ(ib0018) / 晴雨萌楽(ib1999) / リア・コーンウォール(ib2667) / ウルグ・シュバルツ(ib5700) / 蓮 蒼馬(ib5707) / 丈 平次郎(ib5866) / ヴァレリー・クルーゼ(ib6023) / カチェ・ロール(ib6605) / 玖雀(ib6816) / 御凪 縁(ib7863) / 霧咲 ネム(ib7870) / ゼス=R=御凪(ib8732) / 弥十花緑(ib9750) / 祖父江 葛籠(ib9769) / カルマ=A=ノア(ib9961) / カルマ=B=ノア(ic0001) / 結咲(ic0181) / 紫ノ眼 恋(ic0281


■リプレイ本文


 降りしきる雪と一面の雪景色。ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)はしかし、怯みもしなかった。
「ジルベリア出身の私にとって雪と風など恐るるに足らん!! 行くぞ平次郎!」
 ずんずんと雪を踏みつけて行ってしまう。
「…ああ。そうだな」
 何かやらかすのだろうな…、と危ぶみながらその背中を追いかける丈 平次郎(ib5866)。
 懐かしの村はすぐ、そこだ。

 十瀬から話を聞き、モユラ(ib1999)は準備をはじめた。
(どうして、なんて言わない。
 悩んで苦しんで、頭ン中ぐるぐるしちゃうコト。
 あたいにもあったから、サ)
 去年は悩んでいた。身の置き場のないような戸惑いの中で。
(でも、あたいはもう、大丈夫だから。
 だから、助けるよ。
 あたい達が、何度でも、九夜さんを、ね)
 あの村へ行こう。もう一度。

 外套を着込み、マフラーを巻きつけ、その下も服を重ねて風の入る隙間をなくし――最後に奈々月纏(ia0456)は刻んだ唐辛子を、履物の中にぱらぱらと入れる。
「なにやってるの纏ねー?」
 雪が入ってこないように靴の隙間を布で埋めながら、リエット・ネーヴ(ia8814)が首をかしげた。
「あったかいんよー。入れたろか?」
「ほんとー?」
 半信半疑、脱いだ靴の中に入れてもらう。その拍子に詰めた首もとの布がくずれ、はらりと胸まで垂れ下がった。リア・コーンウォール(ib2667)がリエットをまっすぐ立たせると、丁寧になおしてやる。
「ほら、幾ら元気溌剌だからといっても、油断すると風邪ひくだろう…」
「う! 大丈夫じょ!! 纏ねーも居るし〜♪」
 リエットはぴょんと纏に飛びついた。纏も胸をドンと叩いて請け負う。
「なあ!? えっと…ウチに任せてほしー…なぁ! 眼鏡ずらしたらあかんよー!?」
「ずらさないよー?」
 にぎやかなリエットの様子をしっかり確認して、寒くないようこまごまと取り計らってやる。完全に保護者が板についているリアは、半ば母親と化していた。
「よし。あんまりはしゃぎすぎると崩れるから。ほどほどにするんだぞ」
「大丈夫大丈夫ー!」
 最後に小さな足へかんじきを履かせてやり、リアは二人を送り出した。

 帰り道に吹雪に遭遇して、礼野 真夢紀(ia1144)は少しでも場所を知っている村を訪れた。自分ひとりならなんとでもなるが、小雪を連れているので無理はしたくない。
 村長が一人暮らしの娘を紹介してくれるというのでそれを待つ間、村内の騒がしさに耳を傾ける。ご同業が何人か一本道に向かっていった。
「どうかしたんですか?」
 今しがた二人を送り出してきたリアにたずねると、ああ、と教えてくれた。
「一般人があの下の谷に行ったっていうからさ」
「…あの廃村に!?」
 まゆも行きます。そう言いかけて口を噤む。真夢紀は背丈がないし、小雪もいる。何人も行くなら無理することはない。
 かわりに手早く荷を解いてまとめなおした。きょろきょろと見回して、慣れた風にかんじきをつけているウルグ・シュバルツ(ib5700)に託す。
「足しにして下さい」
「ん、ああ。寝袋と毛布か…そうだな、借りていく」
 それから十瀬に会って、囲炉裏を借りた。
 持っていた食材で、そば粉の水団を作った。これなら帰ってきたときに、暖めなおせばすぐ出せる。囲炉裏に鍋をかけ、リアと食材を切ったり煮込んだりしながら帰りを待った。


 一花は家の中でわらじを編んでいた。遊びに来たカチェ・ロール(ib6605)は、雪をほろいながら小さくぼやく。
「うぅ、すごい吹雪です。日を改めた方が良かったかもしれないです」
「峠越えるとがらっと天気変わるっていうけどほんと?」
「びっくりするくらい違いました。向こうはこんなに積もってないです」
 囲炉裏の隣に滑り込んで喋る。
「なにか手伝いますか?」
「なんかできるー?」
「ええと…雪かきとか、力仕事とか」
「雪かきかー…いいかげん飽きるんだよね」
 そう言いながらも蓑を着る一花。カチェも温まった手をしっかり毛皮の手袋に包んだ。
「吹雪は寒くて痛くて、砂嵐とは真逆です」
「げっ。砂は勘弁。どうしていいかわかんない」
「冷たくないですよ」
 喋りながら雪を掬う。動いているとぐるぐるとした悩みの中から、すこしだけ何か見えた気がした。
(カチェに出来る事は多くないかもしれません。それでも、出来る限りを精一杯頑張るのがカチェのやり方でした)
 わらじは編めない。でも雪かきなら手伝える。
 友達と一緒なら、楽しい。
「カチェも前に進まないと駄目ですね」


 ざくざく、雪の中を歩く。深く艶めいた赤毛を雪が白く凍らせてゆくのも構わずに、白い吐息と煙をあわせて吐き出しながら。
 ざくざく、雪に埋もれる村に寄った。

 カルマ=A=ノア(ib9961)ことアリストラはひとつの民家に身を寄せた。火鉢を借りて暖を取る。つ、と指先で障子を押しやれば、雪景色。
 なにもかもが白い。
 ふとジルベリアの故郷を思い出した。生家、両親、そして『彼女』。
 誰よりもなによりも心を占める、ひと。
(今だに、俺の中に残る)
 どかりと斜め向かいに腰を下ろす音。カルマ=B=ノア(ic0001)ことバーリグが人懐っこく笑う。
「あ! 彼女の事、思い出してます?
 美人でしたよね」
 ゆらゆらと紙煙草から紫煙をくゆらせて、アリストラは外を眺めたままひとこと言い捨てた。
「…俺の許しなく、てめぇが勝手に思い出してんじゃねぇよ」
「…って、コワイなあもう!
 いいじゃないすか、思い出すぐらい…」
 ふとバーリグから真剣な気配。
「ね。アリスさん。聞いていいっすか?」
 とっくの昔に死んでて、もう声も聞けない婚約者。
 アリスさんは今でも彼女を愛してるんですか?
 一度も心揺らいだ事なく、本当に?
 愛してるって、言えますか」
 あの唇が紡ぐ音、指輪の光る細い指、笑いかた、喋りかた、癖、仕草、甘くみずみずしい髪の香り。
(死んだ? 生きてる? 関係あるか)
 指先に、まなうらに、耳奥に残るすべてが、ある。
(俺はアイツと出会い、触れ、愛した。
 それだけが真実―…それだけが、現実だ)
 指が服の上から、胸元を辿ってひとつの指輪を探り当てた。反対の手で手袋の下の指輪を触れる。
「…地獄でも、天国でも…そこにアイツがいるのなら…」
 バーリグにはその仕草だけでよかった。それだけでわかる。
(揺るがぬ真実の愛)
 言葉は偽る。
 心は移ろう。
 真実の愛は脆い。
 何度失望したか、覚えてない。
 だからこそバーリグは思うのだ。
(アンタの愛こそは消えないでほしい)
 この深い雪のように。消えるどころか悲しみは降り続けて凍てついて、彼を深く深く覆っていればいい。
(雪の溶ける春は、アンタにはいらない)
 長い指が通い慣れた家路を辿るように指輪を辿る、そんな、彼のままで。


 動くものといえば降りしきる雪の薄片が空から地面に積もる過程の落下だけだった。
 誰もいない。――誰も。
(…ボクは、放って行かれた? また、独りぼっち?)
 母は結咲(ic0181)を「売った」。
 いらない子。
 必要のない子。
 いなくても、ぜんぜん、構わない子、…なんだ。
 動くものといえば降りしきる雪の薄片だけで。
 空から地面に積もる無数のそれは紗にも似て。
 音も視界も遮るそれはあっというまに結咲を一人に仕立て上げる。
「 」
 ほそい声が大気をかすかに震わせるのに、降りしきる雪はやんわりとそれを飲み込む。
 冷たくて冷たくて痛みさえ伴う足をどうにか動かして探しても、移動した痕跡も飲み込まれる。
 寒くて、体が、動かない。


 折紙で形作った花を慰霊碑へ供え、一礼した。
 常ならば造作も見目良く纏める弥十花緑(ib9750)は、粗雑に雪を踏みつけてその場を辞す。――雪が覆い隠してくれる中で。
 足をとめて空を仰いだ。重く薄明るい空からは、白い薄片が降りしきる。

 纏まらない思考の渦。終わらない思考の終着点はまるで見えない。眉を顰めて額を抑えた。肺いっぱいに吸い込む冷気。意図的に体温を下げ、覚ましていく。
(上澄みをさらおうと意味がない。
 …死を見詰めながら、何を惜しむのか。
 既に己の泥土に構う暇はなし)
 ならば、
 続けようとした思考が途切れた。ほそく遠く頼りない、
(――声)
 小さく舌打ちをして乱雑に練力をまとめ上げた。
 ――あの子供も独りだった。
 深雪を感じさせぬ足取りで探し回る。ろくに防寒具も纏わず、縮こまるちいさな少女がいた。

 そばに誰かが来たことはわかった。けれど、霞んだ視界ではその判別までできなかった。
「…だ、れ?」
 ――あのひとだろうか。あの温かい、ひとが。
(助けに、来てくれた?)
 肩に手が触れた。その方向を頼りに腕を伸ばす。
 ひんやりとつめたい布の感触。ぎゅっと抱きしめると、徐々に体温が伝わってくる。
(温かい。…けど、違うね。きみは、誰?)
 迷うように空気が揺れて、それから背中をぽんぽんと撫でる感触。ふわりと上着で居心地よく包みこまれる。
「独りは、やだ、…」
 ちいさく名を呼んだ。あの温かいひとの名前。
「大丈夫です」
 風から庇ってくれるひとの腕に安らいで、ぬくもりの中で目を閉じる。
 覚えているのはゆらゆらと、ゆりかごのような心地よさ。


 ざくざくと進む玖雀(ib6816)の背中はいつもとすこし違って見えた。時折ふらっと立ち止まったりどこかに行きそうになるネム(ib7870)が、うっかり本気ではぐれかけたくらいに――いつもと違う。
「くじゃく〜、まだ着かないの〜?」
「もうじきだ、たぶんな」
 雪がだんだんと深くなり、噂の谷底なのだと気づくころには、ネムはほとんど頭につけた兎の耳しか見えなくなった。
「…ここだ」
 思い起こすのはただひとり。
(我が君)
 時間は残酷だ。日々積み重なる記憶は古い記憶を過去へと押しやってしまう。
 毎日毎日、顔を合わせていたのに。
 ――記憶の輪郭線がぼやけていく。
 耳慣れた声の下した最後の命令。
 ――その声さえ霞んでしまいそうで。

 ――あいたい。

 結ばれなくとも良かった。
 見つめるだけで幸せだった。

 赦されるなら

 共に

 逝きたかった

(我が君。もう、俺に会いに来る気も無いのですのか)
 ひらり、白が翻る。
 はらり、雪が肩にとまる。
 見上げる空には白だけで、見渡す景色は雪ばかり。
 瞬く間に足跡さえ消してなにも、見せない。

 毎日くしけずった、あの髪のひと筋さえ。

 雪は呑み込む。
 体温を奪い、その上に積もり積もって人間をも。
 白く白く、なお白く。

 ――そのなかでひとつだけ、白い塊が動いた。
「ありゃ〜? くじゃく〜、ネム〜、埋まっちゃう〜」
 じたばたと雪だるまの白い腕を振り回すものの、玖雀は反応を返さない。もぞもぞと雪を蹴散らし、雪景色に同化しかかっている背中へどん、と突撃した。
「く〜じゃ〜く〜っ! 凍死しちゃったの〜?」
「あ…悪ぃ、少しぼーっとしてたか」
 冷えて軋む手を動かし、雪だるまの頭を撫でて雪を払い落とす。笑いかけようとして表情を動かしたはずなのに、まるで、表情筋まで凍てついて動きが鈍くなったみたいで。
 ――失敗、した。
 じとりと雪兎みたいに赤い目が睨めあげてくる。むすぅ、とふてくされた顔で。
「べっつに〜、ネム〜、な〜んも聞かないし〜。そんな事より〜、雪遊びしたいし〜」
 沈黙の許容。それに安堵して谷を一瞥する。あいかわらず雪ばかりで。
 背を向けて帰路につく。

 ――今を一緒に、楽しもう…?
 ネムは玖雀の背中を追いかけた。


 吐き出す息さえ白かった。
 世界は白くて、それは綺麗だったから。
 ゼス=M=ヘロージオ(ib8732)は目深に被ったフードの下から見渡す。あたり一面白いのに、自分だけ。
 吐息は白い。
 世界も白くて。
 汚れたものがあるとすれば、それは。

 黒いフードを被ったゼスのうしろを御凪 縁(ib7863)はついて歩く。彼女は何を思って、ここに来たのだろうか。
(やっぱ…幻でも家族に会いてぇのか)
 黒い背中は白の中で揺れている。見つからない幻を探して、探して…。
(俺は見たくねぇな、幻と分かってる家族の姿なんて)
 幻、など。
 虫の知らせのようで。
 たとえば生きて再び見えることができなくても、生きてその生を全うしてほしい。
(幻なんざ見たかねぇ)
 どこか遠いところで、二度と会えないところで、それでも生きてくれるなら。
 恋人の黒い背中は白い谷を一周し、そして何も見つけられずに山道を戻っていく。無言で歩く細い背中が、途中で小さく震えた。
「待ってくれ」
 細くゆれた声。雪に足をとられながら、もどかしげに踏み出す。雪に霞んだ向こうで、透き通った人影が振り向き、

 消えた。

 伸ばされた細い腕が凍りつく。
 景色はただ、白い。

(わかっていた)
 わかっていたのだ、とゼスは切ないほどに乱れた心に言い聞かせた。
 届かない。交わらない。行き着く先もきっと、違う。
 違うのだ。
 最初から、ずっと、いつまでも。
 生まれたときも死んだあともきっと。
 彼らのところへ続く道が、確かにあったのに。
 ――自ら捨てた。

 力なくおろされた腕。縁は黒く頼りない背中から視線を外した。
(しっかし、天儀でもこんなに積もる所有るんだな)
 踏み出すごとに足が飲み込まれる。足跡ひとつない。もし、こんなところに――、
 ぴんと閃いて、華奢な背中に視線を戻した。
 怒られるだろうが、構わない。
 彼女の前にいるのが幻の家族じゃない。
 ここにいるのは、
(俺なんだからな)

 最初に衝撃。
 暗鬱なほど白い空が視界に映る。腰に回された腕にゼスが気づいたのはそのときだった。
「突然何をする、…離してくれ」
 くるりと身体を反転させられた。手袋に包まれた長い指がフードの隙間から滑り込み、ぐいと引き寄せられる。
 ――熱。
 塞がれた唇から伝わる、命の証。
 雪の積もりゆく微かな音が聞こえた。
 唇の熱、絡む視線、捕まえてくれる腕、
 ――金色のまなざし。
(縁とであれば)
 この腕の中であれば、このまま白く白く埋もれることさえ。
 悪くない。


 雪が見てみたい。
 何処までもを覆う只管な白色を。
(…そう思って来てみたが、完全に舐めてたな)
 つい遠い目をした。紫ノ眼 恋(ic0281)は雪の少ない地方の人間で、だからわくわく気分で踏み込んだわけだが。
(うん、これはちょっと積もりすぎだ)
 抜けられるだろうか、この山。ちょっと不安になっていたものの、その横顔からはなんの感情も読み取ることはできなかっただろう。みごとな無表情を貫いて歩き続ける。
 どうにかたどり着いた人里らしきところも、生活の気配がしなかった。雪に埋もれて全貌は窺い知れぬが、廃村であるということは察しつく。
 間近に見た被害。それをもたらすアヤカシの脅威を再認識して廃村を歩き回ると、ややあって人の気配が近づいてきた。細い崖の一本道を、除雪しながら来る一団。
「すまない。こんな雪の日に、こんなところで…何か、あるのか」
「人探しですよ」
 微笑むフェンリエッタ(ib0018)に事情を聞いて同行を申し出る。モユラが詳しく説明してくれた。
「探したいのは九夜さん。谷底行くけど大丈夫?」
「問題ない」
 言葉少なに頷く恋。探索組みは谷へ降りる。モユラが光る蝶を連れ歩き声の限りに九夜を呼んだ。纏は心眼「集」で気配を探り、埋もれてしまうリエットはあまり動かず超越聴覚に集中する。
(もう二年近く前になるか、この地に来たのは)
 歩けないほどの雪をかきわけて、蓮 蒼馬(ib5707)は古い記憶に浸る。あのときは――溶け始めた雪だった。


「七尽君の面影を探しに行ったか」
 探索組みを見送り、ヴァレリーはつぶやく。死者を探して、行ってしまった。肩に雪かきを担ぎ、友人に声をかける。
「手伝え平次郎。雪洞なら天幕より暖かい。一晩程なら過ごせるだろう」
「ああ…わかった」
 無理をさせて腰を痛められても困るしな…、なんて友人が思っているなど露知らず、ヴァレリーは地均しにとりかかった。

 積雪量が足らないため雪を積み、掘り広げてあらかたの形を作る。
「それじゃ、私は戻りますね」
 折鶴をひとつ持ってフェンリエッタが墓のほうへ向かう。その背中を見送って、二人して残った雪洞の天井を黙々と均した。
 捜索隊はまだ戻らない。
「お前は命を顧みず会いたい者は居るか? それが幻でも」
 さりさり、雪の削れる音の中でヴァレリーは問いかけた。しばしの沈黙。
 さりさり、さりさり。
 天井から薄片がこそげ落とされる。ぽっかり空いた入り口の向こうは白ばかり。その入り口さえ閉ざしてしまいそうな勢いで降り積もりながら。
 記憶の中で誰かが振り向いた。少女らしき面差しの、――誰か。
「…いるのだと、思う。それが誰かは分からんが…」
 答えになっていないな。面覆いの下で笑う。
 ――この男は、いつか記憶が戻ったら。
 私の前から消えるのではないだろうか――
 その不安を飲み込んで、かわりに励ましの言葉を口にする。
「いつか会えればいいな」
「…お前は…いるのか? …やはり…」
 続く言葉は飲み込まれた。視線だけよこして問うヴァレリーに、なんでもない、と首を振る。
 ――奥方か?
 その問いを口に出していいのか――悪いのか。
 判断がつけられないまま、喉の奥に押し込めた。
 さりさり、天井を削る。
「こんなものだろう。よし、次は溝を…うっ」
 姿勢を変えようとして腰をおさえたヴァレリーに、ため息をひとつ。
「お前はもう動くな」
 排水溝や壁の棚は全部、平次郎が掘った。


 石碑に折鶴を備えて手を合わせ、フェンリエッタは村へ戻った。一軒一軒戸を叩き、声をかけてまわる。
「雪下ろしなど、手の足りないところはありますか?」
「あ、お菓子のねーちゃん!」
 親の後ろから子供が顔を出す。あんときはごちそうさま、とにかりと笑う子供に顔をほころばせた。
「今日はないの。ごめんなさいね?」
「こんなときにたかんねーよ。雪下ろし手伝ってくれんの? うちはいーからさ、こっち来てよ。ここのおっちゃん腰痛めちゃってさ、子供もちっちゃいし」
「この天気だときっとまだまだ降るわ。
 その前に少しでも片付けておきましょ。
 大丈夫、ジルベリアではいつもの事だから」
「へぇ! もっと降る?」
「場所によるわね」
 いつかのお菓子が効いているのか、子供は懐っこくフェンリエッタを案内してまわった。
「終わったら集めた雪で雪だるまを作ろうかしら。
 沢山作れそうよ♪
 雪は天からの贈り物だもの、楽しまなくちゃね」
 とりあえず一棟を終わらせて山にした雪を見下ろしながら、フェンリエッタは小さく微笑んだ。
「今は雪が全てを浄化してくれているみたいね」


 邪魔な氷の塊を、火炎獣で水蒸気へと換えた。
(もう、あの冬とは違う)
 モユラは二年前のその日を振り返る。誰か、と叫んで…誰もいなかった。
(『今度は』助けて、一緒に帰るんだ)
 どれくらい探しただろうか。
 モユラの声が谷底に木霊する中、リエットがひとつの物音を聞きつけた。
「あっち! 九夜にーちゃんじゃないかな?」
 リエットの先導で近づけば、纏の心眼にも反応が出た。念のため刀の柄に手をかける。ウルグと蒼馬が手早く道を作り、恋はもどかしげに進むモユラの松明を預かって火をつけた。
「九夜さん!」
 ひとりの青年が、雪に埋もれて座り込んでいる。
「九夜さん、ちょっと――ああもう、ごめん!」
 ばちん、と強めに頬を叩く。がくりと首がゆれ、どざりと笠に積もった雪が落ちた。寝ていたのだ――雪の中で。
「…モユラ、さん?」
 恋が松明を渡すと、モユラはそれで九夜の手を温めはじめた。痛みに顔をしかめているのは凍傷の初期段階に入っていたからだろう。
(しかし雪とは恐ろしいな)
 でも、きれいだと恋は思った。


 除雪して場所を広げたころには九夜の意識もはっきりしてきた。
「…此処にいたか。
 一人で向かったと聞いて心配したぞ」
 ウルグの言葉に、九夜は淡く微笑んだ。やった、と手を取り合う纏とリエット。
「ほな、報告に戻るなー」
「みんなも早く戻んないと帰れなくなるよっ」
 九夜が丁寧に頭を下げる。手を振りながら二人は戻っていった。かわりに修行で雪山踏破していた祖父江 葛籠(ib9769)が、なんの騒ぎかと降りてくる。
「そこまでして来たかったのなら、声を掛けてくれれば良いものを…。
 何かあってからでは、遅いのだから」
 迷惑だなんて思わなくていい。追求もしない。
(…それが、九夜の為になるのなら)
 ウルグは動こうとしない九夜につきあって待ちの姿勢を保つ。彼に聞き取られぬよう、口の中で呟いた。
「村の者達に、これ以上悲しみを背負わせるのは…。
 …俺も、知った者がいなくなるのは見たくはない。
 残された者の気も知らずにそう思うのは、我侭だろうか…」
 凄惨な事件だった。
 生存者ゼロでの解決。その後に続く犠牲者のアヤカシ化。あんなことがあったのだから、もうこれ以上、と…思うのだ。
 蒼馬は九夜に酒を渡し、疑問を口にする。
「一人で来るとは無茶な奴だ。それ程までに七尽とやらの墓に参りたかったのか?」
 九夜は酒を舐めながら言葉を探すように沈黙する。恋が何かを掘り起こしていた。
「よし、これくらいの石があれば竈になるかな」
「松明、薪にする?」
「うん、助かる」
 恋はモユラの差し出した松明を刀で断ち切ると、石の隙間に置く。それをなんとなく眺めながら、蒼馬も酒に口をつける。
「実は――」
 ややあって、ぽつぽつと九夜は話し始めた。口を挟まず酒が喉を焼く感覚を味わいながら、回ってきた甘酒を遠慮する。九夜は喜んで受け取っていた。いつになく口が軽いのは酒のせいか。
 すべて聞き終わってから、蒼馬は息を吐く。
「成る程な。俺がああしろこうしろ言える事ではないが、どちらを選んでもお前はいつか後悔するんじゃないか? 同じ後悔するなら自分の心に素直になるべきだと、俺は思うがな」
 黒いまなざしが微笑む。愛している人に何も言えなかった、情けない男の言葉だがな、と。
 それでも、いや、だからこそ。
 素直になるべきだと。
 そう――思ったのだ。
 蒼馬のその言葉はためらいがちな九夜の微笑を引き出すと共に、もうひとつ大切なものを引き出していた。なぜ九夜がこんなことをしたのだろう、と耳を傾けていた葛籠の、踏み出すべききっかけと情報を。
 葛籠は蒼馬のように、一連の案件に関わったことはなかった。無論事情など知る由もない。そんな自分が口を挟んでいいかも分からない。判断するだけの材料が葛籠にはないのだ。
(けど…)
 けれど、と葛籠は思った。それでも。
(明日は約束されてないから。
 ほんとの気持ち、伝えられる時に伝えないと、きっと後悔する)
 蒼馬が言えなかった言葉。九夜も言えないでいる言葉。
 これからも言わないままなんて、そんなの。
「彼女の幸せは、あなたが決めるんじゃなくて、彼女が決めるんだよ。
 それは、自分への言い訳だよ。
 見栄を張りたいだけ。
 カッコつけたいだけ。
 失敗したくないだけ。
 …怖いだけ」
 まっすぐ煌く緑色の目は、けれど正論を叩きつけて相手を屈服させるような無慈悲さをひとかけらも含んでいなかった。
 雪に埋もれえぬ熱を持って、きらきらと松明の光を乱反射させて九夜を見上げる。
「でも、やる前から諦めたら後悔する。
 一人でここに辿りつけたんだから、あなたは自分で思ってるより、困難を克服する力があるんだよ」
 すべてを押し込めようとしていた青年は、そのまっすぐさに、その思いやりに、気おされたように口を噤む。唐突に突きつけられた事実を飲み込みやすいように体裁を整えたのは、モユラだった。
「九夜さん。
 相手に求めるコトは、きっと、そんなに悪い事じゃないよ」
 きらきらとかがやく蝶が舞う。光があわく照らす中で、赤毛の少女は微笑んだ。
「また…何度でも、この村に来ましょ。
 貴方の想う人と一緒に」
「それは…でも」
「…雪が溶けたら、ね?」
 かつてその約束は、決して楽しい約束ではなかった。
 でも。
「雪が…とけたら…、そう、ですね」
 雪が溶けたら、またここに来よう。
 あのとき飲み込めない現実を飲み込むために繰り返したように。
 今度は踏み出せない現実に踏み出すために。
『雪が溶けたら』
 祈りのように繰り返した。


 廃村に戻るころには日が暮れて、あたりはへんに白く明るい闇に包まれていた。ありがたくヴァレリーたちの掘った雪洞に身を寄せ、それぞれに横になる。しんと静かで、外の音はひとつも聞こえなかった。
 静寂を破らないかのような静かで落ち着いた声で、ヴァレリーはひとつ提案する。
「気候が良くなったら碑の近くに小さな庵でも作ってみてはどうかね。
 君の様に此処で死者を偲びたい者も居るだろう。
 必要なら私達も手伝おう」
「そうですね…、村の方がもしよければ」
 ひそひそと交わされる言葉が、静かに雪壁へ吸い込まれていった。