世界が光に満ちるとき
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/08/19 11:54



■オープニング本文

 太陽が落ちたのに明るい時間を、マジックアワー、あるいはゴールデンアワーと呼ぶらしいですよ。
 赤い髪の青年はそんなことを言った。

●きっかけ
 その日、真樹、湯花、鋼天の三人組はバイトをしていた。
「あっつーい……」
 石鏡の南部にある町、染否。
 北から見ればこの土地は、当然気温の上がりはたいへん躍動的。今日も今日とて太陽はアグレッシブに輝きまくり、地べたにいる人間にこれでもかとその存在感を誇示していた。
 本当に南の暑い地方とか、あるいはアル=カマルの灼熱地獄とは比べるべくもないが、比較しようがしまいが人間たいていはこれだけ暑いとしんどいものである。
 三人の中でもっとも根性とは縁遠い、赤毛の少年はダレていた。手には卵の殻を持ち、地道にその内側に張り付いている薄い膜を剥がしている。実験に使うらしい。怪しげだ。
 狭い部屋中に桶を並べ、氷霊結で製造した氷を突っ込んで涼をとっているが、それでも暑い。ついでに細かい作業でいらつく。
「いやぁ、巫女の方はこういうときに便利ですよね」
 にこにこと笑うのは部屋の主。薬草とかその類が山ほど乾燥中だったりなんだりかんだりする部屋で、楽しげにがりごり薬研で何かを潰している青年だ。少年よりも濃い、赤く波打つ髪をうなじで束ねている。険のある目つきをしているが、眉が細くて柔らかく下がっているため表情も相俟って穏やかに見えた。
「ほんと。でも練力という名の限界があるから、どこかで終わりが来るのよね。これ」
 ぱさぱさした茶色いおかっぱ頭の少女が、ため息混じりに言う。細かいことの苦手な彼女は水汲みだの床拭きだのといった雑用担当で、今も水を汲んだ桶を運んできたところだった。
「ま、ラッキーだよな! こうしてりゃーちったー涼しいし。いっちゃん暑い時間帯だけでも乗り切れればさ!」
 むしろお前は暑さなんて苦に思っちゃいないだろう、と突っ込みたくなるほど活き活きと、黒いつんつん頭が笑う。採取してきた薬草を洗って干す作業をしているが、意外にも器用にこなしていた。
 年少者は開拓者。年長の青年は一般人。
 なんのことはない、少し前、依頼で知り合っただけの関係である。たまたま暑さうんざりして依頼も受けずにいた少年少女を格安で屋内作業に誘うくらいにはちゃっかり者の依頼主だったというだけで。
「雨でも降らないかしら。ちょっとあまよみしてよ」
「えー。練力もったいないよ! 有限の資材なんだよ!?」
 少女の言葉に赤毛少年が反論する。つんつん頭がにやりと意地悪く笑った。
「そりゃいーや! ほらやってこいよ。終わりが見えれば楽になるじゃん!」
「やだよ! 終わりがなかったらどうするのさ! 三日後までずーっと晴天、とか、そんなの残酷だ」
「いーからいーから!」
 ぐいぐい強引に押し出され、結局あまよみさせられた少年が見たのは。

●きれいなもの
「それはマジックアワーでしょうね」
 赤毛の青年は、赤毛の少年が見たものの名前をそう教えた。
「……まじっく」
「あわー?」
 少年少女が首をかしげる。三人そろって同じ方向に同じ角度に傾けるのは、そばにいすぎて互いの癖が移りでもしたせいなのだろうか。何はともあれほほえましい。
「太陽が落ちたのに明るい時間を、マジックアワー、あるいはゴールデンアワーと呼ぶらしいですよ。古い友人がそんなことを言っていました」
「へぇ……」
 赤毛の少年が見たのは三日間の晴天だったが、その中でも今日の夕方は神秘的な光景が見られた。普通夕方と言えば、空が茜に染まり、雲が金色に輝いたり薄紫色に棚引いたりして太陽が沈んだあともしばらく薄明るいものだが、その「太陽が沈んでなお残った光で薄明るい」状態をそう呼ぶのだという。光源が既に存在しないため、ものの影がほとんどなくなる時間帯。天儀ふうに言うのなら、黄昏時や逢魔時と言えるだろう。
 時間帯的にほんの十数分間のことだが、とびきり特別な光景が見られる日もある。
「世界が光に満ちるんですよ。空気がどこもかしこも金色に色づいて」
「いつものことじゃね? 夕方って赤とか金とかに染まるじゃん」
「そうじゃないんですよ」
 青年は笑いながら言う。
「家の壁とか地面とか、そういうものではなくて。不思議とどこもかしこもふわふわ明るいんですよ。
 普通だったら日陰になるような薄暗い場所まで、みんな染まってしまうんです。光があふれている。そんなわずかな時間が、時にあるんですよ」
「へー! そりゃ面白そうだ」
 食いついたのはやはり黒髪の少年。
「どいつもこいつも暑くてしんどいだろ? 朋友とか連れてさ、そういうの見て涼もうぜ!」
「……どこで?」
 少女が冷ややかに突っ込んだ。

●さがしもの
「よし、探すぞ!」
 笠をかぶって腕をまくった幼馴染は、こうなっては止まらないし止められない。引きずられてついてきてしまったおかっぱ少女、湯花はため息をついた。
 絶対に外なんか出ない! と言い張った鋼天がとてつもなくうらやましい。あたしもあれくらい我侭に生きてみたい。きっと気楽だ。
「探すって、どこをよ」
「龍が一緒に涼めそうな場所。メーワクかける奴を、この町の人間は遠慮なくつまみ出すからな! 気をつけろよ湯花!」
「あんたでしょあんた!」
「おっ、あそこに誰かいる。なぁなぁ、涼しくて広いトコ知らねー?」
「それが人に物をたずねる態度!?」
 ぎゃあぎゃあと、何か賑やかな連中があなたに声をかけてきた、かもしれない。


■参加者一覧
/ 礼野 真夢紀(ia1144) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / 玄間 北斗(ib0342) / 无(ib1198) / マルカ・アルフォレスタ(ib4596) / 十 砂魚(ib5408) / カチェ・ロール(ib6605) / キャメル(ib9028) / 弥十花緑(ib9750


■リプレイ本文


 通い慣れた道を行く。帽子のブリムを少し上げて道を確認し、マルカ・アルフォレスタ(ib4596)は人々の間を縫うように歩いた。
「あっち行ってみよーぜっ!」
「ちょ、ちょっとー!」
 黒いつんつん頭が友人らしき少女を振り回している。微笑ましい。人で賑わう町中を抜け、閑静な住宅地も抜けて郊外へ。まばらに家の建つここはいわゆる高級住宅地というもので、ある程度以上の屋敷ばかりが立ち並ぶ。目的地はこの中のひとつ。ほとんどが天儀風の屋敷だというのに、ひとつだけ華やかに薔薇の生い茂る家だ。
 薔薇のアーチをくぐりぬけ、レンガの小路を辿る。玄関をノックする前に、ふと遠くの暗がりが目に入った。屋根のひさしまでをのぼり、理想的な日陰を作る蔓薔薇。その下に甘いミルクティ色の髪を見つける。一人分のティーセット。
 ブーツの踵を鳴らして近づく。顔を上げた綴が、金色に煌く髪を見とめて笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい、マルカちゃん。今日はどうしたのですか?」
「近くまで参りましたので、お茶をご一緒できましたら」
 みたらし団子をちょっと持ち上げて、挨拶を送るマルカ。そばに浮かぶ鬼火玉。
「戒焔ですわ。ご一緒してもよろしいでしょうか」
「まあ……、見るのははじめてなの。こんにちわ、戒焔さん。あなたも来てくれて嬉しいわ。
 熱くはないの?」
「大丈夫ですわ。触っても暖かいくらいですのよ」
 じゃあテーブルクロスが燃えたりもしないのね、と笑いながら、綴は戒焔のぶんの椅子を引いた。天儀の人には不評なんだけど、と言いつつ綴がティーカップに注いだのは、緑茶をブレンドしたローズティー。すっきりした緑茶とかぐわしい薔薇の香りのブレンドだが、緑茶の渋さに慣れた人間にとっては敬遠しがちだろう。井戸水で冷たく冷やされていて、歩いて火照った身体にひんやりと心地よかった。ほっと一息つく。
「故郷に比べ天儀の夏は暑いですわね」
「本当。マルカちゃんはばてていませんか?」
 お団子を頂きながら喋る。おいしい、綴の顔がほころんだ。マルカはにっこりして、ふと戒焔が所在なさげにしているのに気づく。
「そういえば、この子は笛で踊るのが好きなんですのよ」
 真鍮のフルートを取り出すと、戒焔が気づいてふわりと浮き上がる。唇を唄口につけ、息を吹き込んだ。
 奏でる旋律にあわせ、嬉しげに跳ね回る戒焔。指をおどらせながら目を細め、そんな相棒を見守る。
「かわいい……!」
 綴は目をきらきらさせて喜んだ。

 職人と商人の町、染否。
 根っこのところはどうあれ、商人たちの多い区画では多種多様なものがあれこれと売られていて活気もある。
 日向を歩きながら、和奏(ia8807)は人妖の少女、光華と見ていた。あれが可愛い、これはもうちょっと華やだったらいいのに。光華は身を飾るものに妥協はなく、あれこれと物色している。
「ね! これどう? 似合うと思わない?」
 鮮やかな反物を肩にかけて覗いていた鏡から和奏を振り返る。華やかな光華の髪にはその鮮やかな赤い反物がよく映えた。しかしそんな美的感覚ではなく、単に流されやすく人の強いたレールの上を外れない和奏はそうですね、相槌を打つばかり。それよりお日様のほうがいい。
「じゃあこれは? すごく可愛いの」
「はい。可愛いですよ、光華姫」
 姫呼ばわりこそするものの、和奏的には「お姫様」ではなく「小さい」意だったりするわけだが、多種多様な装身具に衣類。神楽の都ほどの品揃えはないが、町の傾向上質がいいものが多いのだ。光華にとっても楽しくて気分が上向く。
 たいていの男性というものはこうした女の買い物に辟易とするものだが、和奏は日向にいられればそれで満足。開拓者になるまで、長いこと家から出してもらえなかった。この暑いさなかでも日向を選んで歩いている。太陽の光をめいいっぱい身に浴びてご機嫌だった。
 人形のように端正な顔立ちと繊細な姿からは、まるで想像もつかないほど、ちょっと……かなり、鈍い。暑さで体調崩すとか、夏ばてなんていう繊細な問題とはまるっきり無縁の和奏である。
 二人してそれぞれに楽しみながら、ウインドウ・ショッピングを続けた。

 一方、屋台の立ち並ぶ通りはいいにおいが立ち込めていた。昼も遅いのに人通りは多く、昼食を買い揃えているらしき人々が行き交っている。使いっ走りらしき子供や職人だろう男達がやや多いだろうか。その中を三人と一匹(?)連れが歩いていた。先導するのは玄間 北斗(ib0342)、涼しげな甚平をまとい、なぜか獣耳カチューシャをつけ、妙ににのほほ〜んとした青年である。てこてこ忍犬の黒曜がついて歩き、とことこ礼野 真夢紀(ia1144)が同行し、さらに真っ白なふわふわの髪をなびかせたからくり、しらさぎがあとに続いていた。
 もくもく口の中の串焼きを噛み、飲み込む北斗。
「もっといろいろ買ってもいいのに、それだけで本当にいいのだぁ〜?」
「しらさぎの勉強のためですし。ごちそうさまです」
 真夢紀としらさぎの手には、それぞれひとつずつ串焼きが握られていた。
「じゃあ、どこか涼しく過ごせる場所でゆっくり食べるのだ」
 真夢紀は黒曜としらさぎを見た。
「忍犬さんいるし……」
 記憶をかすめるあの空き家。修繕したっけ。縁側はひっぺがしちゃったけど。

 というわけで、ところ変わって「あの空き家」。
「相変わらずがらくたばっかりですね。使えそうなタライは……」
 穴ぼこだった。そういえばここの備品、もとの用途に使えないものしかない。
「まゆちゃん、これはどうなのだぁ〜?」
「狸さん。……うーん、大丈夫だと思います」
 ひとつだけ残ってる箪笥の引き出し。口の欠けまくった素焼きの壷。どちらも水を溜めるには不向きだが、氷を入れておくぶんには構わないだろう。食べるわけでもないのだ。北斗がせっせと水をくみ入れ、真夢紀がキンと氷霊結で氷を作成。風の通り道に置いとけば、冷たい風が楽しめた。


 街道の木陰には、一頭の炎龍と休む小柄な少女がいた。十 砂魚(ib5408)。ちょっとしたお遣いの帰り道である。
「なぁなぁ、そこのねーちゃん!」
「あのー、すみません。お聞きしたいことが」
 砂魚が振り向くと、声をかけてきた二人組みは少し奇妙な顔をした。どっかで会ったっけ? ちょっと違うような気がする。アイコンタクトで交し合う二人に、砂魚が問う。
「どちら様ですの?」
「通りすがりでっす!」
「バカ! 湯花と、こっちが真樹です」
「私は砂魚と言いますの」
 なぜかほのぼの自己紹介して、湯花が仕切りなおす。
「ちょっとお時間いいですか? このへんで、広くて龍とか出入りができて、涼しいところないか聞きたいんですけど……」
「ふわーっとキラキラするなんかが見れるらしいぜ!」
 いまいち要領を得ないが、今日の天気の話のようだった。もちろん土地の人間ではない砂魚が知るはずもない。
「そんな珍しい現象が起こるんですの? それなら、今日はここで一泊する事にしますの」
「おー、そんなら涼しい旅館あるぜ! 連れてってやるよ!」
 特に急いで帰る予定もないし、寄り道のひとつくらいはいいだろう。そうこぼすと、真樹はにかりと笑った。
「その宿は、龍も一緒で大丈夫ですの?」
「大丈夫なんじゃね? ちょーっと行くまでの道が狭くて砂魚さんの龍は歩きにくいだろうし、森ン中だから飛べないけどな!」
 だから俺ら的にはアウトだけど、避暑にはいいぜ。砂魚はすぐに別れるつもりだったのだが、朗らかな少年はこっちこっち、ともはや先導し始めている。
「いいとこですよ。よかったら紹介します。……あ、おせっかいでないといいんですけど」
「では、お願いしますの」
 連れ立って歩き出すと、途中で買い物帰りのからす(ia6525)と出会った。妙に泰然とした少女は道すがら、朋友の宿泊設備もあるよ、と教えてくれる。
「よかったなー! 砂魚さん」
 よくなかったらマズかった。
「はいですの」
「二人とも、戻る前に冷茶でも如何? もちろん、君も。お茶請けもあるよ」
「よっしゃ!」
「すみません、お相伴に預かります」
「構わないよ。趣味のようなものだ。今回は沙門に付き合っているだけだしね」
「こちらの猫又さんですの?」
「そうだ」
 虎柄で赤い目をした沙門は笑った。とはいえ、いつも笑って見えるのだが。
「この町もなかなか住みやすいで、て知り合いが言うてたでな」
「知り合い?」
「猫や。涼しい場所は猫が知ってるで」
「事実」
 からすが相棒の言葉を肯定する。
「彼等について行くと風の通り道や水を打った日陰に辿り着く。
 暇になったら探してみるといい」
 そんなことを喋りながら、からすの部屋にお邪魔した。

 カチェ・ロール(ib6605)は落ち込んでいた。友達がつらいときに、力になれない。――それはいつもひたむきな少女にとって、安易に飲み込めることではなかった。
「やっぱり、カチェはまだまだ半人前です……」
 砂色の駿龍、フィーと一緒に木陰でごろごろ。暑いのが苦手なフィーもだらだら。故郷の砂漠によく似た相棒の鱗も、今のカチェを慰めるには足りない。
 きらきらと木漏れ日がその鱗を弾く。故郷の砂はもっと苛烈な陽光を受けて、熱く輝く。もっと。
 ――とはいえ、こんな色のフィーは暑いのが苦手だったりするのだが。
 相棒はのっそりと大きな身体を起こし、傷心の主をほっぽってのしのし木陰を出た。まだ暑いのに、どうしたんだろう――。カチェが目を向けた先には、たぬき小屋。あ。
 夕方とはいえ日暮れにはしばし時間がある。夜行性のたぬきが動き出すのは、もうしばしの時間が必要だろう。
 じー、と小屋から尻尾だけ出ているたぬきを見つめるフィー。
「フィーさん、ポン母さんたちは食べちゃ駄目ですよ」
 ひとり木陰に残るカチェ。のそのそ、少し移動して木陰に移るフィー。ぴくり。気配を感じたのか、もふもふ尻尾が動く。じー、とフィーの視線は離れない。
 たぬきーずが顔を出した。
 フィーと視線が交錯する。
 くんくんくん。フィーが鼻を近づけてにおいを嗅ぐ。
 ぺろり。
 フィーの舌がたぬきーずを舐めた。フィーはこうして相手のことを覚える、わけだが。
 こて。こてこてこて。
 たぬきーずは気絶した。


 夕暮れ時。どこまでも続くかのような街道を、町から町へとゆったり歩く。多くの商売人が移動する時間帯をわずかに過ぎているため、人の通りはまばらである。濃い緑の大地に刻まれた道は傷跡のように色が薄く、赤く太陽の光を反射していた。そんな暑い大地を嫌ったわけではないが、弥十花緑(ib9750)は道をそれて森の緩やかな斜面に足を踏み入れる。一頭の走竜がそんな主の行動に足をとめた。艶のある羽毛をした、追儺である。ゆったりと余裕のある歩みにあわせて、鞍の四隅に括られた吊り行灯風の飾りが揺れた。
 花緑は目をつけた草を、ぷつりと摘み取った。薬草。群生しているし、少し摘んでいっても構わないだろう。少し残して摘み取ると、その緩い斜面をおりた。追儺がゆっくり隣をついて歩く。走れば早かろうに、荷を負い主の隣を歩くときは走竜らしい気性の荒さを見せはしない。
「次は何があるやろうな、追儺」
 優しい風はひんやりと涼しいが、ヴェールに濾されてなお、太陽はどこまでも苛烈に熱を注ぐ。
「この暑さやと扇子や傘なんか……手に入れば御の字や。
 ……まぁ、街中はあんまり回れんかもしれんけど。
 走龍で小柄言うても、大きい体やし。我慢な?」
 青緑色の体毛に覆われた頭部の中で、鮮やかな紅を差したような目元。その華やかさの中で、瞳がぱちりと瞬いた。
「あー、食った食った! うまかったな!」
「真樹……あんたちょっとは遠慮しなさいよ、恥ずかしい!」
 町に近づくと、賑やかにはしゃぐ年若い声。
「だってうまかったし。怒ってなかったじゃん、からすさん」
「礼儀の問題よ、礼儀の! だいたいあんたがそんなんだから、見なさい、もう日が暮れるじゃないの!!」
「あっはー。まあ、しょーがねーよな!」
「笑うなあああああ!!」
 ぎゃーぎゃーと騒がしい。この暑いのに元気やなぁ、と花緑はほのぼの他人事チックにながめた。自分だったらこのきつい西日の中で、絶対あんなにはしゃげない。少女のほうが絶叫したあと、顔をおおった。
「もう。もう。もう! あたしの苦労と努力はなんだったの?」
 少し悩んでから、花緑は当たり障りなく声をかけてみることにした。
「何してはるんです?」
 少女が涙の滲んだ目で振り返る。にっかー、と少年が笑った。
「なーにーちゃん! あのさー、涼しくて広くて龍とかと涼める場所知らねー? もーちょっとでまじっくなんたらが始まっちまうんだよ」
「さあ……、ああ、でもこの街道の森の中は、開けた場所もあるみたいでやしたよ。ちょっと踏み込んだだけで、向こうまで明るくなってはりましたから」
「おっ、マジ? あんがとなにーちゃん! ほら行くぜ湯花! 鋼天引っ張り出さねーと!」
「ちょ、引っ張んないでよ! そ、その! ありがとうございましたっ!」
 まるで台風みたいに来たと思ったらいなくなった。
「元気やなぁ……」
 今泣いた烏がもう笑う。賑やかな姿を見送った。

 気絶はいつまでも続くわけではない。目覚めたたぬきーずは一目散に逃げ去った。はたり、フィーの尻尾が揺れる。
「……なんだか、小さいのがいました」
 去年見たときにも子だぬきはいたが、動物の子供が一年も同じ体格のわけがない。たいていの動物は一年あれば親と同じ大きさにはなるし、そうでなくてももう少し大きくなるものだ。気になってあとを追いかけてみる。ややあって、茂みの向こうにいくつもの影が確認できた。……あれ?
「ポン太かポン吉と……もしかして、ポン母さんじゃなくてミミ? 結婚して、子供、ですか?」
 複数の親子連れが合流し、警戒するかのような声で鳴いている。たぬきであれば、大人になるのに十ヶ月あれば事足りるのだ。つまり、そういうことだろう。目の前にいるのは三世帯だから、残り二世帯がどこにいるのかまではわからないけども。
 ちょっと距離をとって姿を隠し、そわそわと落ち着きなくあたりを行き来する「親だぬき」たちを見守る。いい気分転換ができた。
 そこへ、たぬきたちの鳴き声に誘われて北斗が出てくる。そ〜っと近寄るが、子だぬきがいるのを見てそれ以上の接近を諦めた。

「いい色になってきたねぇ」
 无(ib1198)は夜色の鱗を持つ駿龍、風天に声をかけた。空では太陽が西の彼方に沈みかけている。熟れすぎて落ちる果実のような赤い洛陽。中天は薄紫色に色をかえ、東の彼方からは濃い闇の気配が忍び寄ってくる。
 もやもやしていた気分を晴らそうと風天を駆っていたけれど、心が晴れるにはまだ少し、足りない。
 熱い空気に疲れた身体を休め、木陰から空を眺める。用意していた水を飲んで一息ついた。隣で同じく翼を休めていた風天と、ふと目が合う。
 ――飛び足りない。もっと。
 身体を、心を、どこまでも早く遠く自由自在に。
「もう一翔けだね」
 離陸体勢に入った夜色の背中に、もう一度。


 日が落ちた。
 けれど、光は残った。
 世界は金色に染まりきり、ふわふわとどこもかしこも明るくて、影がほとんどない。
「……陽が落ちるのが遅いということでしょうか……きっと冬場はすぐに暗くなってしまうのかな?」
 日が落ちたのに光ばかりの町。光華の金髪は光をあつめてなお一層煌き、和奏の姿もわずかに霞む。こう光ばかりの世界になれば選ぶ必要もなくどこも明るかった。
「……や、逢魔時」
 通りの大きいところを選んで歩きながら、花緑は呟いた。
「この壮麗さ、魔やと思えんけども……それが思う壺やろか」
 鬼払いの名を持つ追儺が、ゆらゆら、飾りを揺らして寄り添う。
「――ああ、頼りにしてる」
 くすくす笑い声を人ごみのさざめきに紛らせながら、ぽふぽふ追儺の頭を撫でた。

 仕事帰りに立ち寄った庭は、みごとな花を咲かせていた。普段なら濃く影のできる薔薇の生垣も、どこもかしこも柔らかく光の中。桃色の華やかな髪を揺らして、キャメル(ib9028)はその光景を分かち合おうと振り向いた。
「お花綺麗ねー。お空素敵なのー。みてみてー!」
 そんな無邪気な少女に、人妖のぷーちゃんこと暁月夜は半ば諦めに似た抗議を返す。
「ですから「ぷーちゃん」はやめてくださいと」
 白磁の肌にキャメルによく似た桃色の髪は、毛先に行くに連れ徐々に色を濃くして紅蓮に変わっている。そんな彼女には、たしかに「ぷーちゃん」は似合わないといえようが……寝息でそんな音を立てるからと、キャメルの中では既に固まってしまっているようだ。暁月夜としては不本意である。
 しかしそんな抗議の言葉も、キャメルの示す空を見上げて続きが出なくなる。西の彼方は茜色で、そのまわりを金色の光が取り囲んでいる。なめらかな炎のように。真っ赤に燃え落ちた太陽はもう見えないのに、暮れ残った光が赤く赤く西の空へ、まだ。
 ほろり。暁月夜の琥珀に艶めく瞳から、ひと粒の涙が零れ落ちる。ぽろり。ぽろぽろ。
「……なんと美しい空でしょう。暁色に燃える空。まるで」
 過去が胸に迫る。
「う? ぷーちゃん?
 えーと、えーと」
 キャメルはおろおろと慰めの言葉を探して、とりあえず撫でた。
「……ご主人さまぁ」
 心細げな呼び声。本当の主を呼ぶ声。すんすんと涙が止まらないままで。
「……いつか会えるよ。ね? キャメルも探すし。ね?」
 薔薇を手折ってもいいかな。ちょっと迷ってから暁月夜に合う小さな薔薇を探し、手折った。小さな棘を避けそびれて指先にちくりと痛みを感じる。今だけは無視をして、棘を折り暁月夜の髪に差した。
「ぷーちゃん、美味しいもの食べに行こ。
 甘いもの食べたら、扇屋さんでお買い物しようね」
 痛いのも、悲しいのも後回しして。
 今は「ぷーちゃん」が泣かなくてもいいように。

「綺麗ですねぇ……何っていうんでしょ?」
 部屋の中まで金色に染まっている。真夢紀のひとりごとに、しらさぎが首を傾けた。たぬきーずとは接触できなかったものの、子育て中のたぬきーずにほのぼのした北斗ものんびりと隣で寛ぐ。
「こう言うのんびりした一時を楽しむ余裕があるって言うのはとっても幸せな事なのだぁ〜」
 急ぐでなく、心沈むでもなくて。心穏やかになれる時間は、とても。

 空き家のそばでは、カチェがもとの木陰のそばに戻っていた。
「うわぁ、すごいです。こんなの始めて見ました!」
 カチェの心は、枯れていない。
 落ち込んでいても、つらくても。それでもきれいなものに感動し、喜ぶことができる。
 ――それが、できる。

 金色に満ち満ちた世界を、光あふれる中を、泳ぐように翔ける夜色の鱗まとう龍。
 伸びやかに滑空し、ひるがえり、身体をうねらせ、一回転。
「やっぱ楽しいねぇ」
 无は飛ぶ。夜色の鱗にまるで、一体化するように。心行くまで風を感じて風の中。
 ぐん、と風天が加速した。その先に三頭の龍が離陸するところ。
「事故らないようにしてくれよ」
 まだ無事故だけれど、曲芸飛行を好む相棒に声をかけた。

 ぱちん。……ぱちん。
 将棋盤を挟んで、互いに音を響かせる。
 からすの手が、ぱちん、と駒を置いた。
「……!! まっ」
「待ったは無しだ」
「あー投了やー」
 だらり、と沙門は伸びる。転がったその視界に、まばゆいほどの空模様。気づけば部屋の中まで金色に揺らめいて満ち満ちて。
「黄金の黄昏やなー」
「境界が曖昧になり、魔が蔓延る時間だ」
 一口、お茶を含む。たぶん今はどこかの空を駆けている彼ら。
 涼む場所がどうのこうのと言いながら、きっと結局、空にいるだろうあの子達へ。
(魔に魅入られぬよう気をつけてお帰り)