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■オープニング本文 雨の降る夜だった。 夕方振り出した雨は、真夜中も弱まる気配は見せずに雨音を村中に響き渡らせている。 囲炉裏を挟んで、義和の祖父は背筋を伸ばして座っていた。 老けたな。 皺の深い顔。昔はもっと分厚かったはずの胸板。薄くなって禿げ上がった頭。 義和が両親と祖母を失ってから、十二、三年といったところだろうか。それが長かったのか短かったのかはわからない。当時よちよち歩きだった妹が成人するくらいの期間で、当時まだ壮健だった祖父がこんなにも老いぼれるほどの時間で、そして。 そしてあのとき行かないでと家族に泣きすがるしかなかった自分が、祖父のすべてを継ぐほどの。 「じーちゃーん!!」 しんみりと浸っていた義和の気分を、明け透けな声が遠くからぶち壊した。三江はこのところ寝苦しかった日々が続いたために、ぐっすりと眠り込んでいるのだろう。騒々しい声に義和はぎくりとしたが、寝室からはかたりとも音は立たなかった。笠と蓑にくるまっているのに、ずぶ濡れの妹が玄関の敷居を跨ぐ。 「やっぱ日詰さんがわけわからないで困ってた! あの顔で田んぼの水溢れさせて右往左往するんだから、なんか愛嬌あるよね」 濡れた手で雨具を解こうとして、上手くいかずに手間取っている。まったく、こういう細かいことはいつになっても苦手らしい。義和は手伝ってやった。 「うちのも全部見回ってきただろうな」 「うん。ちょっと西の水路がつかえてて、ごみの撤去も手伝ってきた。せっかく三江さんが蓑着せてくれたのにずぶ濡れ。なんかぶっとい木が流れてきてさ、みーんなつっかえてたの。水路の中に入っちゃった」 「転んで泥だらけになって水路で水浴びしたんじゃないだろうな?」 「うわ、ひっど。最近あんまり転ばなくなったんだよ。修行のおかげかな」 流和がそうして水路に降りたりできるようになってからは、雨の日の田の見回りで命を落とすものがいなくなった。 こういう恩恵に、村が慣れてしまわないように気をつけなければいけないだろう。 「じゃああたし――」 着替えてくるね。言葉の前に甲高い笛の音が響いた。 「行ってくる!」 薙刀を引っつかみ、雨の中に飛び出す。また笛の音がした。今度は別の方角。そしてまたもう一度。もう二度、もう三度。 飛び起きた師匠が無言ですっ飛んでいく。祖父と視線が交錯した。 「……行ってくる。あとを頼むぞ、義和」 なにか言おうとして口を開いて、結局なにも言えなかった。 祖父は提灯を持って出て行く。明かりが闇の中に飲み込まれていった。 現れたのは山吹色をした蛭のような細長いアヤカシだった。発生現場にばらつきがあったため、流和と師匠が手分けをしても手が足りない。現場が混乱してあちこちで笛の音が上がり、発見・討伐に手間取ったのだ。 結果として、呼子笛で呼び出される前に死んだ者もあわせると五名が命を落とし、十二名が重軽傷を負うこととなる。 「……じーちゃん」 血を吸い取られて、祖父はぐっと目方が減った。村の若い衆を庇って死んだらしい。 それから義和は詳細な状況や被害の確認をし、被害者の見舞いに行っている。流和は祖父だったものを家に運ぶと三江に任せ、師匠と手分けして村の隅々まで神経質に探索した。 夜が明けて雨がすっかり晴れてもなお終わらない過剰な索敵行為に、今度ばかりは師匠は何も言わなかった。 執拗に川端を歩き回る。雨に濡れた枝葉を揺らすと水滴が落ちてきたが、既にずぶ濡れの流和にとってはどうでもいいことだ。木を蹴って雫と共に何匹かの虫が落ちてきた。アヤカシでないのなら、これもまたどうでもいい。 「……何やってんだ、お前」 呆れた声。振り向くと兄がいた。手に、半端に育ってまだ本格的な収穫には向かない大根や、泥のついたじゃがいもやら卵やら魚の干物やらを抱えている。 「朝ごはん?」 「そ。……残念ながら俺は若造なんでな。気遣うつもりが気遣われてこの荷物」 「そか。犠牲者が出たことには?」 義和はゆっくりと家路につくつもりらしい。隣に並んで歩きながら、答えを待つ。 「……あんま、よくはねぇな。じーさんが死んだおかげで、誰もお前が手ぇ抜いたとか思ってないけどさ」 「やっぱ、そっか……。じーちゃん、そのために」 鳥のさえずり。真夏のきらめく朝日。足元の雑草を踏むたびに水滴が跳ね散る。 空は透き通って、雨上がりの空気は気持ちよくて。 「どうするの? これから」 「いろいろ。葬式して、避難訓練だのなんだのやって、櫓組んで」 「お兄ちゃんは、村長になるんだね」 「ああ」 「他の人は、やっぱ無理なんだ」 義和は頷くにとどめた。実際、東の地主は有能でも土地が分断されていて互いに目が届きにくく、東はほとんど自治区のようなもの。南と北西の地主は今まで祖父に唯々諾々と従ってきたことなかれ主義。おまけに村政など誰も大して関わってない。 「上手くいきそう?」 「さっそく挫けそうだ」 卵を流和の手の中に移して、義和は荷物を少しだけ押し付けた。腕一杯の義和と、卵四つと薙刀だけ持った流和。あたしが受け持つのはこのくらいなんだな、となんとなしに思った。 「……そだね。若すぎるもんね、ちょっと」 「お前はギルドに話くらいしとけよ。一応」 「……言わなきゃだめかなぁ」 「延ばしたらどんどん言いづらくなる。事実だけは伝えておけ」 「合わせる顔ないんだよ。どう言えばいいの?」 真っ暗でも歩けるくらいに馴染んだ道なのに、迷子になっている気分だった。きれいな空ものどかな景色も、なにもかもが遠い。 ――ここはどこだろう。あたしは、どこにいるんだろう。 きっと。 きっと村のみんなも同じなのだ。今までもアヤカシは出ていたのに、人的被害が出ていなかった。野獣に食い殺されることなら平気で受け入れられるのに、犯人がアヤカシだというだけで上手く犠牲を飲み込めない。 死ぬことを織り込んで生活することも、日常の中で誰かがひとり、ふたりと死んでいくことも、慣れたことなのに。 「俺は村にかかりっきりになるからな。ギルド側はお前に任せる」 「あー……。うん」 断る理由も押し付ける度胸もなくて、消極的に引き受けた。 それは依頼ではなかった。 ギルド宛に届いた手紙は訃報で、書類仕事に慣れていないのか、文字はぎこちない。 簡素にことの経緯と結果が記され、文の最後はこう結ばれていた。 『葬儀は複数の犠牲者が多く 悲しみ深きゆえ村内のみで執り行いました 御通知が遅れました事 深くお詫び申し上げます ここに生前賜りましたご厚誼に深謝いたしますとともに 謹んでご通知申し上げます この程度の被害で抑えられたのは開拓者様たちの力添えがあってのことです その尽力と心づくしに感謝します 精力的な協力をもらったのに力及ばずこのような報せとなり 申し訳ありません 関わってくださった皆様がお気に病まれることなきよう よろしくお伝えくださいませ』 |
■参加者一覧
秋霜夜(ia0979)
14歳・女・泰
礼野 真夢紀(ia1144)
10歳・女・巫
リンカ・ティニーブルー(ib0345)
25歳・女・弓
明王院 未楡(ib0349)
34歳・女・サ
マルカ・アルフォレスタ(ib4596)
15歳・女・騎
カチェ・ロール(ib6605)
11歳・女・砂
ジェイク・L・ミラー(ib9822)
20歳・男・武 |
■リプレイ本文 ● 湿った腐葉土の隙間から緑色の雑草が、ひょこひょこ顔を覗かせている。明るいとも、暗いともつかない場所。 きらきらしているのに、奇妙に薄暗い。 日が差して暑いはずなのに肌寒く、でも上着を羽織ればきっと蒸し暑い。 木々が歌う。 風が奏でる。 光がおどる。 二人と一匹は、曖昧できれいな道を進み続けた。 「……ここだよ」 流和が立ち止まったのは、行き止まりの少しだけ広い場所だった。 道の左右に墓石が並んでいる。秋霜夜(ia0979)は一番新しい墓石の前に水や酒など、そして礼野 真夢紀(ia1144)から預かったものも供えて手を合わせた。暫しの黙祷。それから流和を振り返る。髪と一緒に、漆黒の髪紐が揺れた。 「流和さん。今は自分で抑えられないほど心が波立ってると思います。 だから……ここで全部吐き出しませんか?」 霜夜は淀みなく続ける。端的に、的確に、明白に。 「肝心な時に傍に居ない開拓者。 自分を残し先に逝ったお爺さん。 頼るだけで自分の足で立たない人たち。 そして、なりたい自分に手が届かない流和さん」 流和は一瞬ぎくりと身体を強張らせたが、大きな反応はそれだけ。 そして言葉を結んだ。 「矛盾し混乱する想いを、涙と一緒に吐き出し心と頭を空っぽにしましょう」 さやさや。 木々が歌う。葉を揺らす風が音を奏でる。 その音律にあわせて光と影が、周囲を包むようにおどる。 木漏れ日は流和のつま先をかすめて、きらりと霜夜の肩を抜けて。 「あたし、先に村に戻りますね。 お相手は、この子に任せます。 だから遠慮無しで、スッキリしましょうよ」 少し待ったが、返事はなかった。霞にその場を預け、霜夜は道を戻る。 ――戻ったと見せかけて、途中でくるりと方向を変えた。 (真夢紀さんからご飯預かってますし) あそこなら藪の中に身を隠して見守ることができるだろう。 藪の中を腰をかがめて、そうっと近づく。木々が歌う。一人と一匹だけが佇む。 「……泣きたいのかな、あたし」 ぽつり、小さな呟き。 「……わからない」 何かが少し、足りなかった。 少しだけ。 ● 屯所の前で待っていると、赤毛の男が帰ってきた。 「お前……たしか」 「綴さんに伺って、待たせてもらいました」 また綴かよ。忌矢は呻く。真夢紀は事情を説明し、協力を仰いだ。 「元自警団である程度ノウハウを知っているけど今仕事がない、もしくは自警団の人で一年程度、二週間一日位の割合で村に行って対アヤカシの避難訓練をしても良い、という方はいらっしゃいますでしょうか? 持ち回りでもかまいません、一日当たりの日当がお弁当代と交通費込みで二千文程度で」 「ばっ……!」 むぐ、と口が塞がれる。忌矢は周囲に視線を走らせ、真夢紀が暴れたり喚いたりせず落ち着いているのを確認し、ゆっくりと手を離した。 そして怒鳴る。 「そのおっそろしい値段設定は踏みとどまれ! ウチの隊員根こそぎいなくなるだろうが!?」 「問題ありました?」 「大アリだ! あの村だろ? 夏なら馬もいらないで、仕事こなしてもなんとか日帰り可能だろうが! 泊りがけって手もある。適正価格にしろ。適正価格に。そんなに金使いたいならモノ買って金を回せ。そのほうが健全だ。金は多すぎても少なすぎてもろくなことねーんだよ!」 そうですか、と頷く。真夢紀が怒鳴り返してこないので、忌矢はこほんと小さく咳払いして話を戻した。 「しっかし人選がな……。どんなの欲しいんだ?」 「義和さんは村長修行で村人に厳しい事を言えないでしょうから、代わりに苦言を提唱できる方がいいと思います」 「あー……。ちょい上と相談する。その値段を言ってくるってことは村の連中とは話してねぇな? 本決まりになったら来い」 確約はもらえなかったが、脈あり、だろう。 ● 村は、ぱっと見いつもと変わらなかった。 もう既に子供達は元気よく害虫駆除にいそしんでいるし、畑仕事もとっくに再開されている。 ただ開拓者達の姿を見つけて、戸惑ったように控えめな会釈が田畑の中から送られることだけが、明らかにいつもと違った。 そんな村を通り、義和たちに会う。口々に交わされる悔やみの言葉のあとに、リンカ・ティニーブルー(ib0345)も続けた。 「特に、責任ある立場として率先して現場へ赴き、避難の指示や誘導を行い、最後には村の未来を担う若人を庇って亡くなった村長に尊敬の意を持って、お悔やみを申し上げます」 私的な感情を抑え、ともすれば儀礼的になりがちな言葉には責任感がこもる。 「避難訓練の際に協力した一人として、亡き村長の尊い犠牲を無駄にしたくありません。 襲撃後、逃亡したアヤカシが周囲に居るのであれば、討伐し、その報を亡き村長の菩提への供物とするつもりでおります」 凛と端正な顔を上げて告げる。堂に入った立ち居振る舞い。村人を代表して答えたのは、そぐわぬ素朴な青年、義和。 「ありがとうございます。そうしていただけると、村の者も安心するでしょう」 義和の前を辞してから、リンカは仲間に振り返る。 「残敵掃討は任せて。村の方々や流和、今後に向けた対応に専念して貰って良いよ」 「少しはお手伝いいたしますわ」 夕方まで暇ですから。マルカ・アルフォレスタ(ib4596)が申し出る。 「俺も手伝おうか」 聞き覚えのない声がした。彼女達が振り向くと、佇む黒ずくめの人影。ジェイク・L・ミラー(ib9822)だ。背に負う翼は獣人の証だろう。なぜか不機嫌そうな顔をしている。 「誰だ? 村には獣人はいなかったと思うが」 「むしろ、武装した方がおりませんわね」 流和が村で持っているのは鎌とか鍬だ。師匠は武器を見せて歩かない。 「ただの通りすがりだ」 供養位は。そう思って声をかけたのだ。 「そう。武僧……かな。目視での索敵を頼んでも?」 「ああ。地図よこしな」 受け取った地図に目を走らせる。目視確認の担当場所を分け、一通りリンカが鏡弦を使って最終確認することで話をつけた。 (どうせ人間の寿命なんて遅かれ早かれ尽きる訳だし嘆いてたって始まらないんじゃねぇか? ま、分からない事もないがな) ジェイクはそう考えた。 「ま、通りすがりの俺に出来ることは少ねぇな」 できる範囲で適当に。 ● (襲撃時の状況を聞く限りじゃこの程度の被害で済んだのは、流和ちゃんやお師匠様の初動対応の良さや避難訓練を継続して来た成果と言えると思うのだけど) リンカは畦道を歩きながら思った。被害は、軽微。それでも。 銀色の睫毛がそっと伏せられる。 (この平和な村で、平和である事が当たり前であった人達にしてみれば受け入れ難いのだろうね) 湿っぽい場所特有の、ひんやりと冷たい空気。リンカは黒色の弓に張られた、細く強い弦を弾いた。 甲高く澄んだ音。その音の響きに耳をそばだてる。澄み渡ったその一瞬の音の中ににごりはない。何もいない――アヤカシは、何も。 けれど気を緩めず、日陰や橋の下などもつぶさに確認して歩いた。 人々の通い路。草の道。そうしてたどり着いたのは「現場」のひとつだった。 血痕はない。ただ草が踏み荒らされ、畦の一部が抉れ、田の中に誰かが落ちたような痕跡が残っていた。弓を持ち、矢を番えずに弦を引く。 それは鏡弦によく似た動きだった。矢を番えないという一点で、とても。 練力を集めずに、引き絞った弦を解き放つ。 澄んだ弦音が高く高く響く鳴弦の儀。 弔いを込めて、空に消えていく余韻を送った。 墓場で花と線香を上げ、手を合わせてから。 カチェ・ロール(ib6605)は挨拶に行った。義和に声をかけ、それから三江を捕まえる。村長の嫁。彼女はカチェよりも六つか七つ、年上にしか見えない。きっと色々大変なのだろう。そう思いながらも、お願い事をする。 「流和さんもお兄さんも、背負い込むタイプだと思うので、これからも一番近くで支えてあげて欲しいです」 真摯な願いに、三江は顔をほころばせた。 「もちろんです」 「カチェにお手伝いできる事があったら、言って下さい」 「ありがとう。そのときはお願いしますね」 それから、父親が亡くなった家で黙々と草むしりをする。見つけた青虫やカタツムリも駆除だ。延々と同じことを繰り返していると、小さな人影が近づいてきた。ずい、と仏頂面で竹筒を差し出す。水だ。 「かーちゃんが持ってけって」 「ありがとうございます」 「ばててねーか」 「困った時はお互い様です。それに、カチェは暑いのは平気ですから」 「……こんなに丁寧にしなくても、いい」 子供は畑を見回して、ぶっきらぼうにそれだけ言うと自分の仕事に戻っていった。 その水を飲みながら少しだけ休む。流和が川端のほうから戻ってくるのが見えた。少しだけ迷って駆け出す。 「流和さん!」 近づくと気まずげに流和は視線をそらし、カチェを見ようとしなかった。 「……来てくれたんだ」 「はい。あの、」 悔やみを述べると、ありがとう、と儀礼的な返事が返る。落ち込んでいるのだろうか。 「カチェだって何でも出来るわけじゃ有りません。だから勉強して、色々やってみて、一生懸命頑張るんです」 「……そだね」 言葉少なに相槌めいた肯定。薄い表情。 言葉が心まで、届かない。届いて、くれない。 ● 心は流和のほうに向かっていた。 それでも仲間を信じて任せた明王院 未楡(ib0349)は、村の地主会議の場に立つ。北西、南、東、そして村長家の義和。 「まず、現状把握が必要です」 滔々と語るのは、状況に反し被害が奇跡的に少ないこと。開拓者が間に合っていたとしても被害が出ただろうこと。 訓練後の意識が高い地域、避難指示等を的確に行う人がいた場所ほど混乱・被害が少ない様子。 そして。 「流和ちゃんや亡き村長の恩恵に慣れていませんか?」 義和が表情を鋭くした。未楡は続ける。 「自衛とは、その名の通り「自らを護る」事です」 流和一人に出来る事は限られている。村長も代替わりしたばかりで、各地の代表も指示を待てば良い状況ではない……。 そこまで言ったときだった。義和が口を挟む。 「確かにその通りです。未楡さんの言っていることに間違いはない。ただ、東以外は無理でしょう。 村人の避難誘導だけでも、判断ひとつで人の命を左右するのですから。現状、各自勝手に逃げたほうがまだマシです」 「能力のない人間に任せられんだろう。責任は村長に行く。東ですら、何かあれば結局同じだ」 東の地主が言う。義和が肩をすくめ、残る二家が苦笑した。 「最後に責任を取るのが私の仕事ですから」 「でも、やはり負担が大きすぎるのでは? 実際、上手くいってはおりません」 「自主性は育てるべきですが、その言い訳にこちらの負担を宣伝するのはよくないでしょう。それに自主性をと言っても、やり方も知らないで自立しようと間違った方向に努力されて挙句に村が分裂するとか、ありえそうで怖すぎです。明確な計画と方針が打ち出せない今、奨励できません。個々人の非常時への対応能力の向上のほうが現実的だと考えます」 それは未楡への返答であると同時に他の地主への牽制でもあった。 「そうですか……。では、もうひとつの提案です。警戒活動や避難誘導、避難時の時間稼ぎを目的に自警団を設立し、村の運営とは別に各地域に責任者を置き、師匠に自警団の指導も希ってはどうでしょう」 「検討の余地はあります。ただ、どの程度の労力を割いてどういった責任を負わせ、どんな規模でどのくらいの効果を見込むのか、予算の割り当てはどうするのか……など、改めて会議する必要があるでしょう」 義和は明確な回答を避けた。為政者めいた言い回しである。確かに即決できるものでもないが、それでは遅いのではないか。時間の波に被害の記憶が削り取られていくだろう。 「皆様が受け止めて下さらず、被害を減らす術を見出して行って下さらなかったなら、亡くなった方々の尊い犠牲が無駄になってしまいます」 明日への取組みをもって亡き村長への手向けとする。それが、未楡の鎮魂の祈り。 義和は答えなかったが、小さくほほ笑んだ。 戻ってきた真夢紀が、義和だけに染否でのことを話す。日当分にと金銭を包んだ。 「鬼ごっこの時私が南担当でしたから。少しでも役に立てれば」 義和は膝を折って目線を合わせる。ぽんぽんと黒髪を撫でた。 「気持ちだけもらうな。君のせいじゃ、ないんだ。無理だろうが……気に病まなくていいことなんだよ」 でも呼子笛は有り難いかな。あれは性能がいいから。 ありがとう。そう言った。 ● 敵影なし。そんな結果の見回りは的確で、開拓者達の様々な心配りは多くの村人に安心感を与えた。元の能天気さには程遠いが、目に見えて雰囲気が和らぐ。とはいえ。 「なんつーか……辛気くせぇな、こう言うのは苦手なんだが」 ジェイクがぼやく。流和がちょっと笑った。 「……そだね。あたしも……苦手かも」 どうしていいのか、わかんないよねと。 くつくつと火にかけたかぼちゃが煮込まれていく。慎重に、手順を何度も見直しながらマルカは味を調えていった。心配げに流和が見守る中、甘くやさしい香りが漂う。 「わたくしの最初の料理は酷い物でした」 お茶を入れれば兄が寝込み、たいていえらいものが出来上がり。 「それでも、諦めずに続けました。誰かに認めてもらいたかったからではありません。わたくし自身がきっとできる様になる、と決意したからですわ」 完成したかぼちゃの煮物を流和に差し出す。流和は箸の先で、ほんのカケラを抉っておそるおそる口に運んだ。飲み込んだりしないで舌で確認し、それからようやくひとつ食べる。 「……あたし、マルカさんは絶対に無理だと思ってた。料理」 「始めから上手くできる人なんてきっとそんなにおりませんわ。それでも、自分がやると決めた事なら何があっても諦めてはいけませんわね。諦めなければ、いつかはできる、この料理のように」 ぱくり。自分でも味見をする。 ちょっと、濃い。 「……亀さんほどの歩みでも」 「……ぷっ」 マルカが亀の背中に乗って、手綱をとって必死に正しい道を歩かせようと四苦八苦。そんな想像をした。 「あたしも亀さんの操縦、がんばるよ」 「……操縦、ですの?」 「ああ、うん。なんでもない。大丈夫。 心配かけたよね。ごめん」 子供らしい明け透けさはなりをひそめて、少し大人びた顔で。 マルカに似た、でもどこかが明確に違う表情(かお)で。 「ありがと」 少しだけ笑う。そんな笑い方を、真似た。 ● 流和が感情を吐露することはなかった。心の底に感情を沈めて、ひとりでゆっくりと消化していくつもりだろう。 その変化を成長と呼ぶのか、間違いだと言うのかはわからない。人間の性格が常にそうであるように、短所もあれば長所もある。 ただ、少なくとも流和は変わった。今までとは少しだけ、別の方向に。 |