|
■オープニング本文 ぱっくりと割れた傷口に、女はため息を落とした。 荒れ果てた手。節くれて、ところどころおそろしく硬い皮膚。その人差し指の関節から、赤い血がぽたりぽたりと落ちてくる。 「……鉄の肌がほしいわ……」 あかぎれた手はどうも限界を迎えたようで、せめて傷口が塞がるまで休まなければいけないのだろう。研いでいた刀に血が付着する前に、手を拭って薬をすり込み、包帯を巻き付ける。多少の傷や痛みは別段構いはしないけれど、まさか刀身に血をつけるわけにはいかない。刀にとって血や水分は大敵だ。使用者が敵をぶった切るときはどんどん血でも体液でも吸わせればいいだろうが、研師が納品するものにつけていいものではない。 借りていた宿の裏で用具を片付け、桶に汲んだ水を棄てる。そこでようやく、茹だるような暑さに気づいた。くらりと眩暈がするのはきっと、水も食事も睡眠も摂取していなかったせいだろう。いったい今は研船にあがって何日目の昼なのだろうか。 「……鉄の身体がほしい」 たわごとを口の中で呟きながら宿へ戻る。水をもらって数杯呷り、満足して部屋に帰ろうとしたときだった。 「あの、すみません。研師が来てるって、聞いたんですけど……」 「なに」 「ひ」 訪れた少年が半歩下がったのはきっと、自分がふだんから無表情気味だからだろう――匂霞はそう思った。決して、そう、おそらくは濃い隈ができているからとか、ふらふらしていて幽鬼じみているとか、顔色がおそろしく悪いとか、脳みそをかき混ぜられたかのように視界がぐちゃぐちゃするから目が据わっているとか、そんなことはきっと、ない。 「あ、あ、あの……。研師、さん……?」 「そう。用があるなら、きっぱりすっぱり一言でお願い」 眠いのだ。しばらくがっつり集中していたから、とてつもなく。だからいつも以上に険のある言い方になっているだけで、もうすぐ終わるはずだったのに研ぎを中断しなければいけなかったことへの八つ当たりだなんてことは、決して。 「あの、これの持ち主をどう探したらいいのか……。道端で拾ったんですけど」 差し出された何かを無言で受け取る。くらくらする頭を片手で押さえながら手の中のものを観察した。ちょうどよい重さにしっとりとした肌触りの、鍛えのいい鉄。鬱陶しい湿気と気温、それから眠気が一気に吹き飛んだ。 「いい鍔ね。桐の図の透かし、耳打ち返し。簡素な図柄で素朴だけれど、趣味は上等。責金はないけどかしめ跡あり。刀傷も入っている。鍔で相手の刀を受けたのでしょうね、たぶん。櫃穴はどちらも銅で埋めてある。刀傷は銅にはついていないから、あとから埋めた、と。刀を使い込んでいる人物。少なくとも一度、拵えか刀そのものを取り替えているはずよ。もっとも、使い込んだものを誰かから誰かに譲られたのならまるっきり持ち主の情報なんてわからないけど」 はい、と少年の手に鍔を返す。 「え、ええっ?」 「眠いの。じゃあ」 すたすたと――気分の上では背を向けすたすたと歩く。なかなか景色が進まないから、実際はそんなに早く歩けているわけではないのだろうが。 「あの、他にはっ!? もっとこう、どんな刀なのかとか――」 「少なくとも」 くらくらする。眠い。とてつもなく、眠い。 「刀から鍔を外して持ち歩く必要のあった人物、でしょう、ね……」 ぷつり、と意識は途絶えた。 どさりと倒れた女に少年が硬直していると、奥から宿の女将がやってきた。 「あれま、また倒れちゃったのかい」 「ま、また?」 「飲まず食わずで……今日で三日くらいだもんねぇ。あーあ、熱中症まで併発してるんじゃないかい?」 「熱中症!?」 「軽度だろうけどね。とにかく冷やしてやんないと。どれ」 たらいに水を汲んで、遠慮なく頭からざっぱんとかける女将。客相手になんてぞんざいな。少年はおののいた。 「なんだい、その目は。この人は常連なんだよ。夏場はどうも自分の限界を読み間違えるらしくてね。こっちも慣れたさ」 「……いつもなんですね」 「もともと食が細い上に偏食で……。夏ばてもあるんじゃないかい。普段は顔色ひとつ変えないんだけどねぇ。それこそ暑かろうと寒かろうとなんにも感じてございません、みたいな顔してるのにさ。 愛想のないこの人の、唯一のかわいげがコレなんだろうねぇ」 「かわいげ……」 かわいげってどんな意味だっけ。うっかり少年は悩んだ。宿の主人が倒れた研師を担いでいって、宿の娘が濡れた床をささっと拭いて片付け、飲み水を奥へと運ぶ。ものすごく手馴れていた。慣れと経験、という言葉が具現化されたかのようである。 「なんか用かい? あの人なら夜になるまで起きないと思うよ」 「いえ……。聞きたいことは聞けたので」 手の中の鍔に視線を落とす。 落し物、ということは奉公所にでも届ければいいのだろう、たぶん。しっとりとした鉄の肌触りと、簡素な桐の花と葉の図。平べったい鍔の端に透かし彫りにひとつ咲いているだけなのに、なんとも趣があって小気味よい。いい鍔ね。平坦な研師の声が蘇る。いい鍔だ。ひどい顔をしていたとはいえ、研師が自分と同じ感想を持っていたことが純粋に嬉しい。いったいどんな人が持ち主なのだろうか。 |
■参加者一覧
九竜・鋼介(ia2192)
25歳・男・サ
フェルル=グライフ(ia4572)
19歳・女・騎
長谷部 円秀 (ib4529)
24歳・男・泰
マルカ・アルフォレスタ(ib4596)
15歳・女・騎
唐州馬 シノ(ib7735)
37歳・女・志
鍔樹(ib9058)
19歳・男・志
リーフ(ib9712)
16歳・女・砂
御火月(ib9753)
16歳・男・武 |
■リプレイ本文 ● (ん…太刀に、何か違和感がある。合戦で酷使した所為?) リーフ(ib9712)は、腰に佩いた太刀に触れた。使い込まれた…というより、あんまり頓着していないせいであちこちガタが来ている太刀だった。 太刀を佩いているのに特に意味はない。たまたま最初に手にした武器が太刀だというだけだ。とはいえ、さすがに戦うための武器がなくなるのは困る。目釘を抜けばするりと茎が現れ、ぴったり刀身に合わせられた鍔もはばきも切羽も抜けた。 さて。 分解するのだけは簡単なわけだが、少女は手の中で拵えも刀身も持て余していた。無表情気味な少女の尻尾はうなだれて、如実に心情を物語っている。困った。 なんだか鍔がガタついているし、刃毀れはもちろんだし、ちょっと…いや、かなり無茶をさせた。どうしたものかと途方に暮れていると、耳に飛び込む噂話。研師が来ているという。 「…食費を削っても、研ぎに出すべき、かな?」 多少、値は張っても。 ● 噂を聞いてきたフェルル=グライフ(ia4572)は、驚愕した。 「…倒れてますっ!?」 宿の主人が匂霞を担いでいく。その背中を見送って、マルカ・アルフォレスタ(ib4596)はひとつため息をついた。槍はもうしばらく手元には戻ってこなさそうである。 「倒れたら逆に研げる刀が少なくなるでしょうに」 長谷部 円秀(ib4529)の言い分ももっともだが、フェルルはうっかり一途さに共感する。同類だ。 そろそろできるころでは、と思ってやってきた面々もいる。御火月(ib9753)と九竜・鋼介(ia2192)。そしてリーフは研ぎの依頼に。 「受け取りはもう少し後の方が良いようですね…」 御火月は状況を聞くなり、予定の繰り下げを視野に入れた。 「あの、すみません」 これ違いますか? ひとりの少年が近づいてきて尋ねる。六人そろって返事はノー。そうですか…、肩を落とす少年に断って、マルカは鍔を見せてもらった。 「天儀の鍔の鍔としての良し悪しは解りかねますが、芸術的な観点からなかなか見事な彫りですわね」 図柄は家紋かもしれない。そう推測を伝えて鍔を少年に返した。 「少々お待ちください」 部屋に戻るマルカを見送り、やっぱり奉公所かな、と呟く少年。 「鍔の持ち主を探してるんです?」 フェルルがたずねる。 「はい」 「じゃあ一緒に♪」 「え、いいんですか?」 御火月も少し考える。 「ふむ。もうしばらくここにおりますので、その間で良ければお手伝いしましょう。 使いこまれたものを譲り受けた可能性がある、というのは他人事と思えませんし」 「鍔も持ち主の所に戻りたいでしょうし」 今使っていないとしても、自分の使い込んだ刀の一部。 なくしてしまうと言うのは物悲しい、と円秀も買って出た。 「ありがとうございます…!」 「あ、じゃあその前に」 疲労はまだいいとして、指先が…。女将に治療を申し出る。そこへマルカが戻ってきて、彼女も聖符水の提供を申し出た。 「勝手はできないよ。旅人にとっちゃ、安心して休める場所が宿なんだからね。でも傷が治るんなら喜ぶと思うから、目がさめたらかけあってごらん」 女将に頷いて、マルカは持ってきた清流の帽子と大福を少年に渡す。 「ちゃんとしておかないとあの方みたいに倒れますよ」 少しほほ笑むマルカに、少年はもごもごと照れたように礼をのべる。 「あの方は少々存じ上げておりますが、御自分の体より刃物を大切になさる方ですから。仕事に誇りと情熱をかけるのはよいですが、もっとお体を労わって欲しいですわね」 ほほ笑みを苦笑に変えて、彼らを送り出した。 ● 鋼介はぶらぶらするついでに、鍔の持ち主探しで暇を潰すことにした。 「鍔自体が良い物だったし、落とした本人も探してるだろうからな」 少年達とは別行動で町を歩く。 「うえーい、あっちーなやっぱ」 鍔樹(ib9058)はぎらつく太陽の下で、避難場所を求めて彷徨っていた。 「あ、の…!」 「…ん? どーした坊主。探し物かァ?」 着物に帽子という格好の少年が、事情を話した。落し物しませんでしたか、と。 「生憎、俺ァ得物が長物だからよ。この鍔は俺のじゃねーな」 ひょいと摘み上げてしげしげと眺める。 「こりゃあ桐の図か。 桐って確か、菊と同じか、その次くらいに格式が高いって聞いたことあるなァ」 「へぇ…。そういえば、家紋じゃないかって」 「ありうるかもな。 得物として使っちゃいないが、鍔って結構好きだぜ。 こういう細工とか、職人のこだわりが込められてるモンだろうしよ」 ほい、と返す。 「それに、自分の名前の一部だしな」 「桐? 鍔?」 「おう、鍔樹ってんだ、俺の名前。刀の「鍔」に、樹木の「樹」な。 親が最初に花の「椿」って考えてたの、野郎が生まれたから「鍔樹」にしたらしいんだわ」 「こ、こじつけ」 今はその親もいないわけだが、鍔樹は少年の驚愕に明るく笑った。 「そ。じゃ、それ見つかるといいな」 違いました…、と戻ってきた少年。フェルルが慰めつつ推測する。 「うーん、実際に使っている方は勿論ですが、鍔を集めるのが好きな方とか」 「鍔を外す必要があるのは考えれば手入れの時でしょうが、そのまま外に出歩くとも思えませんし。使い込まれたというなら刀身自体は破損して、鍔だけでも新しい刀に付け替えようと持ち歩いていた、とか?」 苦しい予想だと前置きしつつ、刀剣類を扱う店舗を探す御火月。円秀は、拵えと鍔があっていない刀の持ち主を探した。 「変えているのであれば、使い込んだ刀と真新しい鍔はアンバランスです」 「はい。見つけたら聞いてみます」 「こっちは…いなかった」 手分けしていたリーフが成果なしを伝える。フェルルはその合間に鍔を見せたり話したりして会話を繋げた。成果が出なくても、大勢でわいわいやるだけで楽しい。 「あ、あの人にも聞いてみますね」 走っていって鍔を差出し、首を振って否定される。肩を落とす少年に、ひとりの草臥れた女が声をかけた。 「で、ボウズ。 さっきから何を走り回って…ほう、鍔?」 唐州馬 シノ(ib7735)。一見して、武器は持っていないように見える。 「私ゃ『見ての通り』丸腰だから関係ねえが…。 まぁ、件の研屋に開拓者が押しかけてんだ、総当たりすりゃそのうち持主が見つかるだろ」 多少、語調を柔らかくした。 「ま、がんばるんだね」 「はい!」 親身ではないが励ましに頷いて、また開拓者達のところに戻る。 (帰るまでに見つかればよいのですが。 あの人の代わりになる為動き出した以上、いつまでもは無理ですから) これは今いっときだけの手助けだ。御火月は受け取ったものを、次の人々へつないでいかなければいけない。 (これからは、あの人の代わりに私が務めを果たさなければなりません) ひとときだけ伸べた手は、何かを掴めるだろうか。 ● 刀「虎徹」と小剣「狼」は、きちんと手入れされていたが酷使されてもいるのがよくわかった。違和感がある、と鋼介が言うのも無理はない。幾多の戦いを経てあちこち磨耗し、消耗や狂いが生じている。 刀身には戦いの記録が詰まっている。「狼」の語る記録のほとんどは、鋼介がいつもどのあたりで攻撃を受けているのか、どう敵の攻撃を受けているのか、という内容だった。表面に薄くついた引っかき傷。受け流したときにわずかに削れた表面。鍔迫り合いで欠けた刃。「虎徹」は雄弁に攻撃の記録を教えてくれた。どんな角度で、どこを使って敵を切り裂くのか。 (あなたは鋭く。あなたはしなやかに。それなら、これだわ) 選んだいくつもの砥石を水に沈める。次は「グラーシーザ」だ。白銀の穂は剣のように長く、年代物のようだった。刃毀れの激しさが長い戦いを物語る。 ――亡き父の形見ですわ。兄が受け継ぎましたがわたくしに譲ってくれました。 持ち主の記憶を手繰ろうとして、少し戸惑った。…大剣や長巻ではなかったか? この槍に会うのははじめてだ。だが持ち主には何度も会っている気がする。そう…赤い目の少女。 砥石に水を吸わせてから、下地研ぎに移る。 片鎌槍「鈴家焔校」、鍔樹が持ち込んだそれは、刃がずいぶん痛んでいた。灼熱地帯で骸骨アヤカシ相手に大立ち回りを演じた結果らしい。 (…何斬ってるんだか。 こんな使い方じゃ、下手に薄くできないわね。硬い物にも通用しやすくしないと) いい槍だ。もう少し鍔樹に合った刃にすべきだろう。しかし鍛えが本当によくて、研いでいて小気味よかった。 武器的に見て「鈴家焔校」と同じくらい攻撃力のあるのは、円秀の刀「長曽禰虎徹」だ。いわゆる本物である。随分と無理をさせているそうだが、巨大な砂虫を斬ったり、天狗と争ったりして研ぎにも出さずにこの程度。さすが。 新身を仕上げた研師の技の跡まで見える。前の研師の技はすべて消さなければいけないのが惜しくなる腕前だ。刀工の意図をよく汲んでいる。円秀は今の時点で問題なく使いこなしているし、この研ぎを模倣するのが一番いいだろう。 下地研ぎを終えて長槍「蜻蛉切」を手に取る。大振りの穂先で、切っ先がおそろしく鋭いと評判の槍。穂に残る瑕は、もうすっかり見えなくなった。 ――最後まであの人が使っていた武器ですから。 (新しい主人のために、古い主人の記録はもらってゆくわ) 新たな主人の命取りとならずに命を貫き通すため、彼に合わせて研ぎなおす。頑強な少年ではなかった。この「蜻蛉切」と同じ、鋭い切れ味による攻撃力が似合うだろう。薄く鋭く研いだ刀身。 目がさめた。 ● 円秀が気づいたのは、奉公所に着く直前のことだった。 小太刀だけを差した青年が地面を睨みながら奉公所に向かっている。小太刀の鍔は、そっくり同じ桐の透かし。 「いました」 「ええっ!?」 慌てて追いかける。やはり鍔は彼のものだった。分解して元に戻す手間を惜しみ、研師へ預ける途中で失くした。 「よかった…! これは父から譲られたものだったので。本当に助かりました」 次は横着しないでくれるとよいのだが、何はともあれ一件落着。 少年と別れて、開拓者達は宿へと戻る。匂霞が起きてきた。 「悪いけど。朝まで待ってくれない」 倒れたもんな…、事情を知る面々は頷いた。 「…え゛。ちょ、研師のねーさん倒れたのか?」 (うわー、無茶ぶりしちまったかな) 鎌槍は使うのもそれなりに難しいが、研ぐのもとても難しい。まさか研いでいて幸せだったなんて、そんな研師の内心なんぞ知らない鍔樹は冷や汗をかいた。 (でも自分の命預けるモンだし、妥協はしたくねーわな) 「値段はあんま気にしないんで、きっちりよろしく頼ンます!」 頭を下げる鍔樹に、匂霞は頷いた。 「わかったわ。ふんだくるからよろしく」 「え゛」 冗談なんだか本気なんだか。問う前にぱたぱたとフェルルが駆け寄って治療を申し出る。 「いくら」 料金の話に首を横に振るフェルル。 「きっと匂霞さんが刀を愛する気持ちと一緒です」 「…人間相手に、変な人ね」 傷はぴったりと塞がっていた。 そんなフェルルの依頼品は長巻だった。特別銘はなく、三尺近い刀身を持っている。 「よくある類のものね」 大きな戦の度に多く出回る数打物、フェルルはそう聞いていた。 「けど、私にとって大切な品です」 「最近は使っていないの」 「はい。今は振るう機会もめっきり減りましたが、ずっと私の道を支えてくれた守り刀であり、めげそうな時に見れば、開拓者になる時に抱いた信条を思い出して力が湧いてくる刀です。 まぁ…最初は薙刀と違うし女の子が振るうにはちょっと、と思う時もありました。 初めにいきなり渡されて振ってみろ、なんて無茶苦茶言われたんですよ」 フェルルの声に笑いが含まれる。大きくて、重さと長さで叩き切る豪快な長巻だ。 「下地研ぎで済ませるわ。むしろ研師より鞘師を探すべきね。白鞘を作ってもらいなさい」 それからリーフの太刀を受け取った。 「なにこれ」 「…え、と」 「ちょっと来なさい」 額に青筋浮かべた研師から、耳にたこができるほどの説教と手入れを習う羽目になった。 研師が裏庭に向かう。シノは心眼を使って念入りに人気のないことを確認してから近づいた。 「あんたがこの宿に泊まってるつう、研ぎ屋かい」 振り返る研師のまなざしに、シノの姿が映り込んだ。ナイフも匕首も慎重に隠した、杖しか持たない丸腰の女。とはいえ厚司織だのといった装備は、見る者が見ればそれなりの品だとわかってしまうだろうが…、匂霞はいっさい関心を払わなかった。 「そうだけど。なにか用」 「中々のロクデナシみたいだな。それでいい、アンタみたいな手合いを探してた」 シノはすい、とその正面に立ちふさがり、手にした仕込杖を抜き放った。 「この刃、どう見るね」 「仕込杖「春畝」…。いい子ね。あなたによく馴染んでいる」 不自然に使い込んだそれを、匂霞はそう評した。 「研いでみる気はあるかい」 「それが依頼なら」 割符の片方が差し出された。それを受け取るかわりに、シノは仕込杖を預ける。契約成立、だ。 (この女は私の刀の事は兎も角、私自身の事はすぐに忘れるだろう) 視線は刀身をなぞっている。ひとつひとつの瑕からシノの戦い方まで読み取りそうな勢いだ。ただ、シノ自身をどれだけ記憶しているかは怪しい。 監察して、気づいた。色の薄い目は焦点を結ばないのだ。――シノの上では。 (それが一番肝心だ…安穏で居る為にゃ「知られる」事が一番拙い訳だからな) ひっそりと静かに。記憶に足跡を残さず、立ち去れるように。 ● 鋼介はひと振りの刀とひと振りの剣を受け取った。 「…所で、本物の虎徹を見たことあるかい?」 「仕事柄、本物を預かることもあるわ」 「俺の虎徹は残念ながら贋作と言われている物だ。とは言え、贋作でもなかなかの刀なんだが…何時かは本物の虎徹を手に入れてみたいものだがねぇ…」 そんな話をして、次に鍔樹へ槍を返す。 「全力で使っても前ほど傷まないはずよ。刃肉を厚めにしといたから。切れ味は腕力でどうにでもしなさい、あなたは。どうせどうにかできるんでしょう」 「サーセンっした…」 謝るしか思いつかない。 「ありがとうございます」 円秀は刀を受け取ると、すらりと鞘走らせて姿を確認する。少しも姿が崩れていない。 「大きくいじったところはないわ。いい子ね」 「これまでも私の道を切り開いてくれた刀です。 これからも鬼も仏も切り裂く相棒でいて欲しいですね」 主の手の中に戻った「長曽禰虎徹」は、薄暗い宿の廊下で明るい刀身を煌かせていた。 マルカはグラーシーザを受け取って、変わらぬ感触を確かめた。この槍を振るうと父がまだ傍にいるように感じる。今も。 「ひどい刃毀れだったわ」 「それだけ多くのアヤカシ、時には人を斬ったという事ですわね。人を斬る事が自慢にはなりませんが」 匂霞は肩をすくめる。 「この子なら、次は翠牙に頼むといいわ」 それだけ言った。 |