【祝福】銀狼の森
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 8人
サポート: 1人
リプレイ完成日時: 2012/07/03 04:00



■オープニング本文

 ある冬の日のことだった。
 森に誰も立ち入らせずに追い返してしまうヌシ様に、困り果てた私たち。
 泣きつくとギルドが調査してくれて、森を荒らすアヤカシがいたのだと聞いた。
 やってきた開拓者たちがヌシ様と一緒に退治して、また私たちは今までどおりにヌシ様と暮らす。
 でも、なんだか最近……。

 ヌシ様、増えた?

●異変
 田舎の小さな、小さな村。
 森に抱かれるようにして、ちんまりそこにある村。
 せっせと草むしりしていた青年が気づいたのが、やっぱり最初だった。
「ん?」
 木々の隙間から見える、銀色の体毛。ヌシ様だ、とすぐにわかった。しかしだ。
 なんだか、もう一回りだけ小柄で同じ色したもう一頭が、横にいる……ように見える。
「え、あれ? あれ、ヌシ様? だよ、な?」
 はたり、と大きいほうが尻尾を振って、小さいほうを連れて森の奥へと姿を消した。

 そして別の日。蕗をせっせと摘んでいた子供が、向こうの獣道を歩く銀色の姿に気づいた。
「あ、ヌシさまー」
 やぶをかきわけ踏み越えて、てけてけついていく。銀色の大きなケモノはちらりと子供を振り返り、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら歩みを緩める。
 そうして子供がついていった先は、崖下ののっぱらでのんびりくつろぐもう一頭。
 子供を案内してきたほうはそっともう一頭に近づくと、ぺろり、とまぶたの上を舐めて隣に座る。
「あれ、ヌシさま結婚したのー?」
 はたり、尻尾が返事をしたかのように見えた。

●祝宴
 どうやら、ヌシ様はお嫁様だかお婿様だかをもらったらしい。
 しょっちゅう村人に目撃される二頭連れの様子は、あっというまにちまっこい村の中を駆け巡った。
 村の年寄り連中が頭を突き並べる。
「お祝いじゃ」
「宴会じゃ」
「貢物の準備じゃ!」
 わーわーと準備が始まったり。
「ヌシ様がご結婚……、あたしたちも結婚の報告をヌシ様にしたけれど、きっとヌシ様もあたしたちに報告しに来てくださったのね!」
「わたし今度結婚なの。ヌシ様に祝福してもらえないかしら……」
「ああ、それはいい案ね! ヌシ様を煩わせないように気をつけて、宴会のときにちょこっとお願いしてごらんなさい」
 きゃーきゃーとガールズトークが咲き乱れたり。
「おれ、おれ、おれ……。今度あの子に告白するんだ。ヌシ様に祝福もらえないかな」
「ふざけんなあの子は俺んだ!」
「いや俺の」
「てめーら人の妹をとろうなんていい度胸じゃねえか!」
 げしげしげしと乱闘が沸き起こったり。
「ぼくおとなになったらみっちゃんとけっこんするんだー」
「だからあたしたち、ヌシさまにごほうこくに行くのー」
 やたら微笑ましいマセたちびっこいのがいたりした。

 前回の調査を担当した調査役は、気になって村に顔を出した。
 するとまあ、上へ下への大騒ぎ。騒動の経緯をたずねると、説明ついでに嫁はいないのか婚約者はいないのかそうだ宴に混ざるとよいと歓迎されまくり、むなしい独り身の調査役はどうにか抜け出せないかと大慌て。仕事があるのである、仕事が。が、どうにもならない。忘れてた。この村、とことんヌシ様らぶなのである。大好きなのである。ヌシ様を中心に世界が回ってる連中なのである。仕事なんてぽーいって感じに決まってる。ヌシ様に貢ぐために働いて、ヌシ様と過ごすために仕事を投げ出すのだきっと。
「わ、わかりましたわかりました! 自分は無理ですが、開拓者に頼んでみますんで!」
 半ば勢いでそう言うと、ぃやっほーいと湧き上がる歓声。
 忘れてた。
 そのヌシ様を助けたのが開拓者なんだった。いや、忘れていなかったけど。単にびっくりしたのだ、こんなに盛り上がるから。でも、あんだけ大好きなヌシ様を助けてくれた開拓者にとことん山盛りの好意が寄せられるのもまあ、当然のことかもしれない。こりゃどうにか、頭下げてでも開拓者に頼まないとヤバいかも。だって俺、本当に、本当に仕事が抜けられないし。むやみに抜けたりしたら、受付嬢とか上司とかにぎろりと睨まれるのだ、きっと。仕事なんてぽーい、なんてだーれも言ってくれやしないのだ、絶対。


■参加者一覧
柄土 仁一郎(ia0058
21歳・男・志
音羽 翡翠(ia0227
10歳・女・巫
柄土 神威(ia0633
24歳・女・泰
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
からす(ia6525
13歳・女・弓
リーディア(ia9818
21歳・女・巫
ウルシュテッド(ib5445
27歳・男・シ
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰


■リプレイ本文

●神楽の都
 音羽 翡翠(ia0227)が己の駿龍、黒疾風に話をしていると。
 はぐ、と襟をくわえて小柄な翡翠の身体をひょいと背に乗せ、到着したのは神楽の都。
 しきりに翼でどこかを指し示している。うーん、と翡翠はそっちを見た。あっちって、開拓者ギルドのある方向? そういえば直前まで話していたのは。
「……黒疾風も、祝福欲しいの?」
 激しく頷く黒疾風。
「はいはい、取り敢えず登録行ってくるから」
 相棒をその場に残しギルドを訪れた翡翠は、依頼の張り出された掲示板の前でよろり、とよろめく女性を見た。細い身体は、けれど鍛錬によるのだろう。重心が安定していて動作に無駄もなく、ちょっとやそっとでよろめくようには見えないのに。
「ヌ、ヌシ殿が御結婚、だと……!?」
 その女性――皇 りょう(ia1673)は呻いた。
「ハハハハハ! とうとう犬畜生にまで先を行かれたか!」
 足元で笑い声を上げたのは、猫又の真名。軽やかにからかいの言葉を続けた。
「これは実に愉か――待て待て、本気の殺気を放ちながら抜刀するな」
「ヌシ殿は畜生などではありませぬ。無礼が過ぎましょう」
 きらり、煌く太刀が真名の鼻先に突きつけられる。
「どう考えても、今の怒りの矛先はそこじゃなかったじゃろう……」
「何か仰いましたか?」
 ずい、と髪一筋の隙間だけ開けて迫った切っ先に、逆らうつもりは真名にはなかった。
「いや、何も。――しかし、ここまで信心深い人間共も今時珍しいな。悪くない里じゃ」
「失礼ながら、ここの方々のあれは、信心とは違うような気もしますが……」
「大事なのは、自分達とは違う存在を敬い、受け入れる心じゃよ。こういう人間ばかりなら、世の中ももう少しマシになるじゃろうに」
(珍しくまともな話だ……)
 りょうは銀色の瞳に真名を映す。
「……少々、羨ましくもある」
 小さな声は、頭の位置がずいぶんと違うこともあって彼女の耳を素通りした。
「? 何か仰いましたか? よく聞き取れませんで」
「いや、何も」
 しれっと応じるときにはもう、真名はすっかりいつも通りだ。
「それよりもあれじゃ。祝いの席に手土産も持たずに行くつもりか、お主は?」
「そこは勿論、ヌシ殿の好みそうな肉や果物の他、きちんとお祝いの言葉を――」
「えぇい、相変わらず堅苦しい娘よな。この無礼講の空気に乙女の柔肌を一肌脱いで、舞の一つや二つ見せるくらいの気概はないのかえ!? 何なら儂が脱ぐのを手伝ってやるぞ、ぽぽぽぽ〜ん、とな!」
 がり、と爪が襟にかけられる。
「や、やめて下さい! 舞うのは構いませんから、無理やり脱がすのは!!」
 話はまとまった、とばかりに真名は自分の分を考える。
「あ、儂からは揃いの髪飾りでも贈らせて貰うかの」
 ……でもそれ、財布はたぶんりょうだ。
 賑やかな一人と一匹と入れ違いに、リーディア(ia9818)はからくりのアクアマリンと連れ立って来ていた。まだまだいろいろなことが新鮮で興味津々なアクアマリンは、邪魔にならない程度に色々聞いてみたいようだ。
「祝宴は、きっと賑やかで笑いに包まれている事でしょう。皆様の笑顔を拝見し、自然な笑い方を学びたいと思います」
 沢山笑えるようになろう。そんな『命令』を受けた彼女は、極めて勤勉に表情筋の勉強というわけだ。
 そしてまた、同じくあっちこっちに興味を示すのは緋那岐(ib5664)のからくり、菊浬も同じ。お気に入りの仙女みたいな巫女服で、緋那岐にくっついてやってきたのだ。
「……ヌシ……さま……?」
 ちょいちょいと緋那岐の服の裾を引く。これ。この依頼。
「なんだ、菊浬。お前もついてきたいのか?
 んー……教育にもなるし、ま、いっか」
 たまにはこんなのも。

●祝宴の備
 開拓者が訪れると、ひとまず歓声の荒らしに出迎えられた。まだ人見知りをする菊浬などは、緋那岐の後ろにさっと隠れてしまう。
「このような席に招待された事に感謝するよ」
 からす(ia6525)はそんなハイテンションにも気後れせず、角樽入り祝酒を村人に渡した。朱塗りの特徴ある樽からは、ほのかに天儀酒の香りがただよう。
 ウルシュテッド(ib5445)は焼き菓子を、翡翠はヴァリエーション豊富なお酒シリーズとおつまみに、ワッフルセット。それからどうにかヌシ様に、と、氷霊結と生姜でがっちがっちに固めた生肉だ。表面を村人が食べてくれれば、中身はヌシ様でも食べられるはず。
 柄土 仁一郎(ia0058)はお酒。都のお酒だ。
(味よりも珍しさでウケればいいんだが)
「おお、なんだかかえってお気を使わせたようですみませぬ」
「ヌシ様、開拓者様からふわっふわのせんべいを頂きました! お召し上がりください!」
 いや、それ、ワッフル。
「こちらは甘い匂いのせんべいですじゃ!」
 それは焼き菓子。
「牛肉ですこちらの小さい方がお持ちくださいましたっ!」
 確かに翡翠は小さいけれども……関係あるのか?
「大らかというか、善良なんだろうな。しかし、良いことだ」
 とりあえずまずヌシに貢ぐ村人の衆をながめて、仁一郎は所感をこぼした。
「村人達はヌシ様が大好きで、ヌシ様も、村人達を大事に思ってて……。
 そういう関係……いいですよねぇ。大好きなのです♪」
 うっとりするリーディア。見てるだけで胸いっぱい、幸せだ。もとよりふんわりしたところのある彼女が、もっとふんわりしている。
「……にしても。
 ヌシ様と村人の事はフェンから聞いていたが……熱烈だねえ」
 ウルシュテッドは感心した。
「だがいいものだな。
 これ程に誰かを好きになれる、その幸せを全力で喜べるというのはさ。
 彼らみたいに他人事を喜べる人にこそ、次の幸せが巡って来るだろうから」
 ぽふ、とフェンリエッタの頭を撫でる。この姪が、いつか。
 いつか人の為ではなくて、自分の為に笑えたらいい。そう、願って。

「ヌシ様、お久し振り。あの時の怪我はもう大丈夫?
 素敵なお相手を見つけられたのね、おめでとう♪」
 はぎゅもふっ、と抱きついた。あのときそっくりにごわごわで、懐かしい手触り。
 はたり、尻尾が振られた。
 アクアマリンを連れたリーディアも、ヌシに挨拶をしようとそちらを目指す。動いた瞬間ささっと人ごみが割れて進路が開けたことに少し戸惑いながらも、森を背に佇む二頭を目にするときれいに思考の外に吹っ飛ぶ。
「あ、あの方がヌシ様でしょうか? カッコいいのです……っ」
 つんつん、アクアマリンが突っ込むかのように袖を引っ張った。
「はっ! つい見とれてしまいました。
 この度は、宴にお招きくださいまして、ありがとうございます」
 ぺこん、とアクアマリンと一緒にお辞儀をすると、やっぱりはたり、と尻尾が挨拶を返す。
「ヌシ様、ご結婚おめでとうございます♪
 ふふっ、お二方とも、ステキな銀色で……ふかふかで……」
 毛並みの手入れをしたい。きちんと洗ってブラシで整えれば、ふっかふかのもっふもふになるはずだ。言い出したい。やらせてほしい。
 そんな自分をどうにかこうにか叱咤して、リーディアは銀色の毛並みから視線を引っぺがした。
「そ、それから仁一郎さんと神威さんもおめでとうですよ!」
 仁一郎と巫 神威(ia0633)が、そろって祝辞へ感謝を述べた。リーディアはお祝いに、とお酒を差し出す。
「お二組共、ぜひどうぞっ」
「あ、その……ええと、私は」
「ありがとう。あとで頂こう」
 口ごもった神威の横から、仁一郎がさりげなくフォローして受け取った。彼のお嫁様はとてもお酒に弱くて、匂いだけで酔っては人にくっついて爆睡してしまう人なのだ。雰囲気で察したリーディアは、目で謝って謝罪の言葉を飲み込んだ。角の立たないように立ち回った仁一郎の配慮を無為にすることもない。

 一方、ヌシにも挨拶を済ませたからすは自席をささっと茶席に作り変えた。
 からすにとってはいつものことで、拘りと言えなくもない。気分を害さなければいいが、と思ったが、ぱぱっと手馴れたように作り変えたからすに送られたのは拍手だった。……見世物ではないのだけど、まあ、いいか。無害だし。
 芸ではないけれど、ついでにからすは峨嶺を呼んだ。
「やぁやぁ皆、飲んでるぅ?」
 ジライヤの破戒僧、彼女は軽快な語り口で村人に話しかける。おー、だの、今からー、だの、ノリのいいアクションが返ってきた。
「初めまして森の主、村を守りし英傑よ。ワシは蛙姿の朋友。大騒ぎ好きな女の破戒僧也。このような席に呼ばれたのを物狂いの神に感謝しよう。祝福代わりに握手を頂けるかな?」
「その言い回しはどこで?」
「屋敷の本さ、お嬢。符の中は暇でねぇ」
 半分「お手」じみた挨拶を交わしつつ、峨嶺は答えた。

 森ではフェンリエッタと菊浬が、緋那岐の見守る中花冠を編んでいた。
「喜んでもらえたら……いいな……」
 できあがった花輪を掲げて、ぽつり、菊浬がこぼす。シロツメクサとクローバーをベースにして、菊浬の拳くらいしかない小さな緑色の紫陽花をアクセントにした花輪。さっき真っ白い鉄線を見かけたから、次のはそれを使おう。喜んでもらえたら、いい。

 ウルシュテッドの足元では、忍犬のちびが今にも駆け出しそうにそわそわ。
「お前は迷子にならないようにな」
 首輪にリードを結わえ付けて、まだちょっと落ち着きのない子犬のちびの迷子防止。フェンリエッタが森に行っている間、ちびにも食べられそうなのを……と見繕おうとすると。
「これはいかがでしょう!」
「忍犬様も食べられますぞ!」
「こっちもあるわよ!」
 どどどどどんっ、と、ごちそうが並ぶ。
 くりくりの目が、食べていい? 食べていい? とばかりにウルシュテッドを見上げてきた。

●花嫁たち
 それにしても、祝言とは機会がいい。ぽろっとこぼした仁一郎に、なにがなにが、と村人たちが頭を突き並べて聞き返す。
「……いや、俺達もちょうど、結婚するところでな」
 隣の神威に微笑みかける。照れたような笑みが返ってきた。
 一瞬の沈黙。
「ご結婚!」
「おお、おめでとうございます……! 一番上等の杯を持てぃ!」
「ええと……おかまいなく?」
「神威は酒に弱いので」
「むむむ。では誓盃の儀が……よし、アレを持てぃ!」
 どさくさ紛れで構わなかったのに、なんだかえらいことになった。でももう止められる気がしない。とりあえずその場をおさめることは諦めて、神威は今日祝言を挙げるという少女の手伝いに行った。
「御結婚おめでとうございます、末永く御幸せになってください」
 心からの言葉を述べる。じん、と瞳をうるませて、白粉をはたいていた少女がありがとう、と返した。そのまま神威は紅を用意して、準備を手伝いはじめる。慌てたのは少女たちだ。
「あなたのほうが飾らなきゃだめじゃない! 誰か白無垢持ってない?」
「あるけど、けっこう古いよ」
 神威はきゃーきゃー大騒ぎする女達にあっけにとられて、そしてまたくすくすと笑みをこぼす。ここに虫食いがあるからだめだとか、わたしのは先祖代々のありがた〜いシミ付きだから貸せないとか、村中の箪笥という箪笥をひっくり返しかねない大騒ぎだ。楽しすぎる。
「構いませんよ、ほんとに」
「うー、うー、うー!」
 角隠しをつけて化粧もばっちりキメた顔で唸る少女。帯を直してあげながら、神威の笑みはどうしても消えない。
 すっかり支度も終わってから、宴会場に行く。
 今日、夫になる人が待っていた。
「折角だし、ヌシ様の祝福も受けようか」
「あ、待って。お寿司」
 わさびを抜いた、狼でも食べられそうなお寿司を選んできたのだ。二人して並んでヌシのところに行くと、ちょこんと並んで座るヌシが出迎えた。
「海鮮物ですが、気に入ってもらえますかね?」
 神威がお寿司を差し出すと、はたり、尻尾が振られる。
「私達も夫婦なるんです。祝福を授けていただけませんか?」
 ゆっくりと大きな顔が近づけられた。吐息で神威の黒髪がふわりと広がる。額に湿った感触。
 ぺろりとおでこを舐められて、少しくすぐったい。神威の横で仁一郎もヌシの祝福を受けた。その瞬間、ざわりと空気が沸き立つ。
 森の奥から、風が吹きぬけてきた。濃い緑のにおい。腐葉土の優しい香り。ひんやりと湿った土の気配。そしてほんのすこしだけ、どこか甘い花のような。
 黒々としたヌシの目が仁一郎を見ている。礼を込めて銀の毛並みを撫でた。
「これからに幸あれ、ってな。ヌシ様も幸せにな」
「ヌシ様のお墨付きももらえて、無事に夫婦なれるわね」
 はたり、応えるように尻尾が揺れた。

「いた! あああ、祝福はもうもらっちゃったの? でもまあ、間に合うわよね!」
 白無垢をたくし上げて走ってきたあの少女は、ふわりと神威の頭に何かを被せた。それは白い白い、紗織りのヴェール。
 汗だくで、少女はいい仕事した! と言わんばかりに晴れやかに額をぬぐう。白粉がちょっと崩れた。
「これ……?」
 少女が説明する前に、フェンリエッタと菊浬、そして緋那岐がやってきた。
「あの……これを、どうぞ」
 からくりの童女が差し出したのは、森の花が編みこまれた花冠。緋那岐とフェンリエッタが、童女の持ちきれないものや自分で編んだのをまだまだ抱えていた。
「これからの毎日を一緒に歩いていける、そんなお相手と出会えた事は奇跡だと思うの。
 どうぞ末永くお幸せに」
 フェンリエッタの祝福に、神威も笑顔を鮮やかに弾けさせる。
「きれい……ありがとう。被せてもらえる?」
 菊浬が少しだけぎこちない手つきで、花嫁の頭に花冠を載せた。
「おめでとう」
 さっきからすからもらってきたお茶を神威に、仁一郎に酌をしてウルシュテッドは作ってきた二枚の栞を、神威と仁一郎にそれぞれ渡す。それは薄い木製の栞で、二枚並べてはじめてひとつの形になる栞だった。四葉のクローバーで、日付と名前が掘り込んである。
「うちでは門出を祝う時に幸せを願って白詰草の冠や四葉のクローバーを贈るんだ。
 それに栞も。日々ページをめくり同じ所に栞を挟む。夫婦が末永く共に在るようにとね。
 新たな一歩を踏み出す君達に乾杯」
 新郎新婦は、声を揃えて丁寧に礼を述べた。
 神威はヴェールの端に目を留める。大急ぎで縫ったのだろう、少し縫い目が粗い。
(村の人達って本当明るくて楽しい方ばかりなのね。
 だからヌシ様達も心を許してくれてるのかも)
 あれだけきれいにしてあげたのに遠慮なく駆けずり回ってくれた、あの子みたいに。
(こうしてると、何だか故郷の皆にお祝いされてる気分になってくるわ。
 一生忘れられない、素敵な日に仁一郎の妻になれて幸せ)
 幸せに浸っていると、先ほど大騒ぎしていた村人が、茶器と三種の杯という妙な組み合わせの盆を持ってきた。さっき言っていた、「アレ」がこれなのだろう。
「奥方様はお酒は飲まれないとのことでしたので……」
 杯に注がれたのは、とてもいい香りのするお茶だった。誓盃の儀のお酒のかわりなのだろう。
 二人はきれいな朱塗りの杯で、お茶を干す。すっきりとさわやかなのに、不思議に甘いお茶。
 誓盃の儀は成され、新たな夫婦がここに生まれた。

●祝福
 おでこぺろりはどうだろう。
 自分で受けるには抵抗がある。考え込んで、ふと視界の端に菊浬が映っているのに気づいた。
「折角だし、祝福を貰ったらどうだ?」
 ささっと、菊浬をヌシ様の前へ促す緋那岐。
「初めまして……こんにちは」
 頭をかがめて菊浬のおでこをぺろりと舐めるヌシ。びっくりして菊浬は固まった。かちん。
「……大丈夫か?」
 ぺたりとおでこを押さえ、こくり、緋那岐に頷いた。ちょっと心配げなヌシに小さな手を振って暇する。嫌じゃなかった。
 ちょっと、びっくりしたけども。
 ウルシュテッドも、ちびを連れてきた。
「狼は俺達一族にとっても大切な家族同然でね。
 ヌシ様の祝言に同席できたのもご縁かな。
 ほら、ちび。お前もヌシ様にご挨拶だ」
 幼さゆえの柔らかい背中を押しやる。
「良ければちびにもヌシ様の幸せのお裾分けを貰えないかな。
 ちびがヌシ様のように立派になれるようにね」
 ちょん、と小さな小さなおでこに祝福。ちびもやっぱり、びっくりしていた。
 ひとりとことことヌシ様と伴侶様の所へ寄っていくのは、黒疾風。
(……祝福ってよりは、慰めて欲しいのかも)
 ひとしきり目を潤ませたり手振り身振りで何やら訴える。
(……以外に芸達者よねぇ、黒疾風)
 主はのんびりお茶を啜って見守っていた。
 ヌシがたし、と慰めるように黒疾風の前足を叩く。
(……人間で言うと肩叩かれたり頭撫でられてるみたいな感じなのかしら)
 ずず、ともう一口、お茶を啜った。

●宴、たけなわ
 りょうが普段は見せぬ娘らしさでひとつ舞えば、緋那岐がひとつ舞をさす。なめらかにフェンリエッタが祝福の歌を奏で歌い、滅多に人前では弾かぬというウルシュテッドがそれに合わせた。
 音楽は嗜むのだ。それを披露しないだけで。
 今日は、特別。
 てんでばらばらな村人達の踊りが加わって、はたり、はたりと銀色の尻尾があわせて揺れる。
 育ち盛りゆえ、もくもくとごちそうを詰め込む緋那岐。その食いっぷりが楽しいらしくて、きゃいきゃいと村娘達が給仕してくれる。無限の胃袋を持つりょうも、次々皿を空けてはきゃーきゃーと楽しそうな騒ぎを引き起こしていた。
 からすはヌシの活躍を伝え聞きながら、食べきれないぶんを峨嶺が持ってぎゃーすかやってる若い衆のところへ行った。
「コラ。お前らの守り手の前で見苦しい姿みせてんじゃねぇ」
 峨嶺が若者ズを正座させて説教する。破戒僧とはいえ僧侶だ。しかし奴ら、反省どころか胸を張る。
「問題ない! いつものことだから」
「ヌシ様の結婚をお祝いしてるのですから、やり過ぎはダメですよ?」
 リーディアがやんわりたしなめた。
「やり過ぎなくても、乱闘はダメでは……?」
 アクアマリンが突っ込むのだが、若い衆にとっちゃあリーディアの台詞が一番納得できたらしい。それもそうだ、といくつもの頭がいっせいに頷いた。
 やれやれと峨嶺は肩をすくめる。
「さて、良い感じに酒が抜けたところで男らしく飲み比べで勝負とはどうだい?」
「乗った!」
「あっはっは! いい飲みっぷりだねぇ!」
 ザルの峨嶺に潰された若い衆の手当てに、リーディアが奔走するまであとすこし。

 にぎやかな様子を眺めつつ、仁一郎は杯に残っていた酒を飲み干す。
「しかし、こんな形で式を挙げることになるとはな」
 少し苦笑いする。
「都に帰ってから、改めて式をしないといかんな。友人連中とか、俺の家族とか……その辺呼ばないといかんだろうし」
 祝福してくれる人がいるのだから、きちんとそちらもやらないと。計画を立てている仁一郎は、ふと相槌がないことに気がついた。もしかしてうっかり酔っ払ったりしてないよな。気を遣って、風上に席を置いてもらっていたのに。
 横を見ると、お嫁様は真っ赤になってわたわたしていた。たぶんさっきの「奥方様」を引きずっているのだろう。仁一郎は思わず笑った。
「今のうちに慣れておけ。これからまだまだ、飽きるほど呼ばれるぞ」
「あ、え、待って、思っていた以上に舞い上がってる、こんなに、照れるなんて……っ」
 今までだって呼ばれていたのだ、普段から知り合いには、けっこう。
 でも、なんだってこんなに照れるんだろう。たぶん人生で一番照れている。嬉しくてたまらないのだ。混乱して、わけがわからないけれど、でも。
 ――でも、これだけは伝えたい。
「ありがとう、仁一郎……そしてこれからもよろしくね? 私の旦那様」
「一生幸せにしてやる。覚悟しておけよ、神威」
 彼女が生きている間、彼女の心臓が鼓動を刻む間、彼女のすべてが失われるまで。
 ずっと。

(ご結婚された方も、これからの方も、どうかその幸せを感じ続けられるよう……)
 リーディアの祈りが静かに。
 風の中に、こだました。