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■オープニング本文 雪が溶けた。 桜が咲いた。 世界が色づいた。 寒村の春は遅い。 もう桜などあらかた散った町からやってきた青年は、その景色に長い息をついた。 桜、梅、桃、李、椿もこぶしも。本来なら少しずつ咲いていくはずの花々は、短い春に詰め込まれるようにしていっせいに花開いていた。風は甘く柔らかい湿気を含んで、ざわり、と木々を揺らす。 木々に咲く花は上から花を降らし、一面に咲くオオイヌノフグリの青や蒲公英の黄色が柔らかく地面を彩っている。 冬の間に息をひそめていたすべてが、耐えかねたように村にあふれていた。子供たちがきゃいきゃいと騒ぎながら提灯をつけて回っている。 「あ、九夜にーちゃんだー」 体重を感じさせない身軽な動き。事実身軽なのだろう。まだ骨も筋肉も成長途中で、裕福でないここでは太ることなどできない。そんな子供は、いったいその身体のどこにそれだけのエネルギーがあるのか不思議なほどによく動き回る。身体の大きい大人のほうが動けそうなものだが、不思議と子供の活力にはかなわなかった。 「おはようみんな」 「十瀬ならあっちの村だよ。提灯飾りに行ってら」 「そっか。じゃあ行ってみるよ」 燃えるような黄色い連翹の生垣を通り過ぎ、沈丁花の甘ったるい香りを感じて。 (あの事件から、二度目の春だ) ひらひらと降りしきる花の中。村はずれにある崖の中腹の一本道。砂利は敷かれたままで、隙間に土が入り込んで雑草が顔を覗かせている。そればかりでなく、危険極まりない崖の谷側には杭が等間隔に打ち立てられ、縄が渡されていた。今まで一歩踏み外せば真っ逆さま、しかもすれ違うだけの幅もない道だったことを考えるとずいぶん安全性も増したものだ。この杭は冬頃とある開拓者がぽつりと零したものの結果なのだろう。 崖下からは桜が舞い上がり、空へ吸い込まれるようで。 ひらり。踊る花弁は陽光を透かし、空色に染まる。ほんの一瞬の光景。 不意に蘇った、いなくなった人の笑顔。笑い声、ほんのわずかだけ首を傾ける仕草。 手の中に握り込んだ髪紐が、まだその人の黒い髪を束ねていた日々。 瞳を閉じても、はっきりとした顔はもう思い出せなかった。 ぐるりと広場に提灯を飾り、十瀬は満足げに頷いた。山間のこの村は朽ちてなお美しい。墓場と化したこの広場には、周囲を取り囲む山々から桜が枝を伸ばしていた。空は青い。どこまでも。花は広場に降り注ぐ。以前はむき出しの土が多かったが、普段人の入らぬこの場所は地面が柔らかくて。すばらしく精力的な雑草たちは、地面をまるごと緑色に彩っていた。何度か草刈でもしないと、盛夏のころには出入りが困難になりそうである。 さくさくと足音が聞こえて、十瀬は振り向いた。九夜がにこりと微笑む。 「もう終わっちゃいましたか」 「あとは夜桜を楽しむ方のために、携帯用の提灯を準備しておしまいです。 なんだか不思議ですね。あっというまに一年が過ぎて。あんなに憂鬱だった冬も、終わってしまえば、あっけなくて」 かつて。 かつて、この村は滅びた。 その犠牲者がアヤカシと化し、十瀬の住む麓の村をも襲った。 雪の季節だった。 「そうですね。……どんなに苦しくても辛くても、時間は止まってくれませんから。生きている以上は」 ふわり、甘く甘くとろけるように柔らかな、湿気を含んだ春の風。 九夜が手の中に何かを握り込んでいるのに気づいた。あの遺品だ、と気づいた。 「そんなふうにしていると、すぐに擦り切れてしまいますよ」 「……いけない。癖になってますね」 「巾着袋でも作ってさしあげましょうか。冬の間に何枚か反物を織ったんです。端切れがあって……。あ、その、そんなものしか、ないのですが」 九夜が拳を差し出し、十瀬の手に髪紐を乗せる。 その信頼に、十瀬は照れたように微笑んだ。 |
■参加者一覧
礼野 真夢紀(ia1144)
10歳・女・巫
慄罹(ia3634)
31歳・男・志
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
晴雨萌楽(ib1999)
18歳・女・ジ
ウルグ・シュバルツ(ib5700)
29歳・男・砲
カチェ・ロール(ib6605)
11歳・女・砂 |
■リプレイ本文 ●都 受付で事情を聞き、慄罹(ia3634)は苦笑を浮かべた。 「そんな事があったのか……。 ……これも運命なのかな」 過去。大事な人を亡くすことを知った。 今。自分のエゴで周りの人を傷つけたと……あとから、知った。 後悔の味はただ、苦い。 礼野 真夢紀(ia1144)は、先ほど受諾してきた依頼に思考をめぐらせた。 「冬にも接待で行ったけど……お花見、かぁ……。 去年の雪の時も、以前の事件で滅んだ廃村に行かれた方いたみたいだし……開拓者が行く事で人が安心出来るなら小雪、ちょっと退屈かもしれないけど、一緒にお仕事行く?」 「いく〜」 舌っ足らずな返事に頷いて、真夢紀は準備にとりかかる。 研いだ草刈我まで親指の爪を軽く撫でるように確かめて、それからお弁当の準備。梅干、摩り下ろしたわさびを準備。腐敗防止に料理に入れるのだ。きゃらぶき、タケノコとじゃがいもの煮物。タケノコご飯に葉わさびの漬物を混ぜたご飯。アジのフライなど、季節にあったお弁当をどんどん作っていく。次は甘味だ。おはぎに桜餅、柏餅。ぱたり、小雪の尻尾が揺れた。 ●朝 まだ朝露も乾ききらない早い時間。ウルグ・シュバルツ(ib5700)は通い慣れた道を歩いた。人気のない廃村。去年よりも野性味を帯びた植物たち。家屋を覆う蔦はいよいよ勢力を増し、木漏れ日を見上げれば、桜が。 (折角咲いたものを見ずにおくのは……少し、気が咎める) 今年も咲いた。住人が失われて村が朽ちて、それでも、花は。 そばの山から花吹雪が注がれて、墓石も石碑も、花弁が幾重にも覆っていた。歩くたびに足元で動く空気が、靴裏に張り付いた花弁が、ひらひらとわずかに舞ってまた地面に落ち着く。まっすぐ石碑の前まで来てじっと黙祷を捧げた。伸びたウルグの影が、日が高くなるにつれてわずかずつ短くなる。 ゆっくりと目を開いたとき、影はだいぶ短くなっていた。 長い黙祷を終えてから、目に付く余計な雑草を簡単に処理する。きりがないので、大まかに景観を考えてバランスよく処理していった。 あらかた片付けたあと、石碑の前にそっと桜ひと枝を供える。 「……今は、必要ないだろうが」 散らず、枯れない桜の枝。 「……未だに、思い悩むこともあるが」 息を吐く。あの吹雪の日。あの雪のとけはじめたころ。覚えている。よく……覚えている。 (俺自身、この村と……この花景色に救われていると言っても、過言ではなさそうだ。 感謝しなければな) ひらり、花が舞う。 故郷の島は温暖で、順番に花が咲き、今はもう桜桃なら真っ赤な実のなるころ。 「多種多様の花が一度に見られてるっていうのは、春が遅いとこならではなのでしょうね……」 真夢紀はひとりごちる。一本道の縄の点検をして、問題のないことを確認。廃村に踏み込んだ。 まず桜の枝が供えられた石碑に折り紙で作った箱を並べ、そこに用意してきた甘味を乗せていく。お酒も供えて、手を合わせた。 石碑の周囲は誰かが草むしりを済ませていたらしい。草刈鎌を取り出して、石碑ではなく墓地に重点を置いて刈ることにした。 「彼岸に来れる所じゃないですし……場所を貸してもらう場合の礼儀でしょう」 ざくざくと小気味よい切れ味を感じながら、せっせと雑草を駆除。小雪は蝶を追いかけて転がっている。 「確か泊った人がここのお布団借りたって話を聞いたような……。 良い天気ですし、お布団お日様に干しておきましょうか」 どの家の寝具を使ったのかはわからないが、そもそも無事な家屋がほとんどない。比較的まともな家の押入れから小さい体で布団を引っ張り出し、縁側に干した。薄っすらと汗ばんだ額を手の甲で拭い、 (姉様達ほど上手には舞えませんが) 楽はない。観客のかわりに並ぶ墓石の前で、奉納舞と剣舞を少しずつ、舞った。 ●昼 吹雪の中、今は廃村となったあの村に消えていく赤い髪を、その後姿を。九夜はよく、覚えている。 少し大人びた。 服装が変わった。 赤い髪はあのときよりも、伸びた。 「お久しぶりです! 二人とも、お元気そうで何よりで」 少しだけ目を見開いた九夜は、モユラ(ib1999)にほほ笑んだ。 「お久しぶりです。モユラさんも、ご健勝のようで」 「またお越しいただいて……嬉しいです」 十瀬もちくちくと手を動かしながら応じる。 (二人の方は……うん) にっこり、モユラは顔に笑みを浮かべた。 (仲睦まじげで良き哉良き哉っ) 屈託ない赤毛の少女のうしろから、青い髪の青年が顔を出す。ウルグだ。挨拶を交わすなり、用意された折り紙に目を落として彼は言う。 「……鶴は、二つ折らせて貰いたい。 一つは、持ち帰りたいと思う。……自然に落ちた花の花弁なら、一緒に貰っていっても構わないだろうか」 「もちろんです。あなたが無体なことをするはずがありませんから」 間髪入れずに九夜が頷く。手放しの信頼だった。 それから鶴を折って一本道へ。崖下に投げ込んで、そこで別れた。九夜と十瀬、モユラは広場へ行くという。 「……一度、崖下の方にも降りてみるか。 気分を変えるのにも、良い景色が見られそうだ」 ウルグは、崖下へと回った。 草刈も済まされてこざっぱりとしていた広場。ぱたぱたと真夢紀が働いて回るので、つられて花見客も一通り草刈をこなしてから真夢紀に弁当をもらって花見に突入していた。 しかし、墓石の側は真っ先に草刈の終わった場所で人は少ない。その中で慄罹は気配を感じて顔を上げる。モユラたちと視線が合った。 挨拶を交わし、名を名乗りあう。九夜の名前にふと、慄罹は口を開いた。 「おまえさんは今でも……」 問いかけは途切れた。 「や、なんでもない……」 曖昧に誤魔化して別れた。再び眼前の墓石に黙祷を捧げる。 (俺に人を思う権利があるのかわからねぇけど、今はこれしかできねぇから。 脅えて死んだにしろ、戦って死んだにしろ無念だったよな、きっと) ひとりまた、墓地を巡る。 「今年はちょっと遅くなってしまいましたけど、桜はまだ咲いてるでしょうか」 幾度も足を運んだ村。カチェ・ロール(ib6605)は迷わず目的地に着いた。あの家の、日焼けした縁側。 「一花ちゃん」 「カチェ!」 ぱっと同い年くらいの、女の子が振り返る。顔にいっぱいの笑顔を浮かべてカチェを出迎えた。去年教わった折鶴。カチェは慣れた手つきで、つ、と折り目をつけながら作っていく。 「一花ちゃんに教わった通りに、たくさん折って、いっぱい練習したんです」 「おお! ほんとだー。よっし、負けないよー!」 角と角をあわせて、きっちり折り目をつけて。小さな手で二人して器用に折りながら、たくさんお喋りをした。 カチェの故郷、砂漠のこと。灼熱の砂と太陽、オアシスの美しさ。 冬には心配されていたから、どんな依頼を受けたのかも話して聞かせた。色鮮やかな卵アヤカシと戦ったこと、遺跡を探索したこと。辛かったことはさりげなく省いて。 「何その卵ー! ホンモノの卵ならでっかい卵焼きができるよ!」 「最近は、遺跡に行ってからくりさんを探してるんです」 「噂のからくり! どんなのだった?」 最後に頭を作って翼を広げて、鶴が完成した。 遊びながら一本道へ向かう。その途中で、バスケットを抱えてお菓子を配る女性を見かけた。フェンリエッタ(ib0018)である。 「わぁ……、あれ、ジルベリアのお菓子だよね! カチェ、もらいに行こう」 一花たちが駆けていくと、こんにちわ、と品よい挨拶がかけられた。バスケットの中身が村人向けに配られていることを察したカチェだが、一花はカチェももらえるものと思っている。下手に遠慮したら、それはそれで騒ぎになりそうだ。 「あの……カチェももらっていいでしょうか」 「もちろん。お友達と仲良くね」 フェンリエッタも察してほほ笑み、桜風味のクッキーをそれぞれに手渡した。花の風味の、けれど花とは少し違う甘い香り。手渡されたお菓子に、子供たちの目はきらきらと輝いた。 「おねえちゃんごちそうさまー!」 小さな手がいくつもフェンリエッタに振られて、それぞれ大事にクッキーを抱えて腰を落ち着ける場所を探しに行く。フェンリエッタも小さく手を振り返した。 冬の妖精探し。その後が気になって再訪したが、どうやら平和らしい。笑顔で挨拶を交わし、村人たちや期待を膨らませてやってくる子供たちに苺ジャムを混ぜ込んだマフィンや、先ほどのクッキーと同じものを配る。 亡き人と、今を生きる人々の、心の安寧を祈って。 外の人間の訪問で、心に新しい風を届けられたら……そう、思いながら。 (ジルベリアの春も遅い。 長く厳しい冬が去るとこんなふうに沢山の花が一斉に咲き綻ぶの。 ようやく訪れた春を喜び合うみたいに) まなうらに浮かぶ故郷の景色。 (やっぱり今が見頃よね) 待ちきれないといわんばかりに我先にと競うように咲く花々。 (冬は、凍えながら真っ白な闇の中に、ずっと閉じ込められているような気持ちがする だから春が来ると……全てが輝いて見えるの。 切なくなるくらいに) すっかり空になったバスケット。それのかわりにリュートを抱えて歩き出した。 所々立ち止まり、リュートをかき鳴らして歌う。広場の石碑に折鶴を供えて、廃村を一周して。 それから、崖下に訪れた。途中で上に戻るウルグとすれ違い、互いに小さく目礼を交わした。 風が空へ向かって。空へ還るように昇っていく。花を連れて青の世界へ。 友人から譲られた髪飾り。 (友達の大切な想いも一緒に受け取ったの。 だから命の限り心を言葉や歌にして……伝え続けたい) 指先で撫でるといつもの感触、繰り返されたおまじないとご挨拶。 「今日も一緒に歌いましょうね」 ほほ笑みを浮かべて息を、吸う。薄緑色の燐光が舞った。 畑の土手でクッキーを食べて、花を見て。それから、一本道に来た。 吹き上げてくる桜の花。 「天儀に来てから色々なところに行って、色々な物を見ましたけど、やっぱりすごく綺麗です」 「おっ、もしかして天儀一?」 「そうかもしれません」 本気とも冗談ともつかないことで笑いあって、折鶴を投げ込む。ぶわりと空に舞い上がり、ゆっくりと谷底に降りていく。 不意に、吹き上げる風に乗ってかすかに楽の音が聞こえた。 「あれ?」 「この声……さっきの」 顔を見合わせて、じっと耳を澄ます。リュートの音に乗って、甘いお菓子の香りまでかいだ気がした。 白に閉ざされたこの世界に ひとつ ふたつ 綻ぶ花を数えるように 麓から駆けあがる清い風を迎えて 今年も春が来たよ 小鳥が歌い告げる 顔を上げて ほら 空が輝いた 遠く離れても 想いは共にと 祈り織り上げて 鶴が繋ぐ灯火 心は風となり翼を運ぼう 廻る季節の中で いつも傍にいるから 想い 面影 胸に抱き 忘れぬように ●夕 鬼ごっこにかくれんぼに、夕方までめいっぱい遊んだカチェは夕焼けの中で約束を交わす。また一緒に遊ぼう、と。 「何かあったら、呼んで下さい。カチェは直ぐに飛んできますから」 「うん。……なんか、さ。ちょっと安心した。カチェ、楽しいこといっぱいあったんだね。でも、無理しないでね。また、また遊ぼうね」 一花と約束を繰り返して、帰路に着く。見えなくなるまでいくつもの手が振られた。 とろりととろけるような夕日が、西の山稜に沈んでいく。どこまでも透き通った金色の光を投げかけて、花びらを透かせて。 (この景色が、忘れらんなくってねぇ) 廃村を囲む山の中は、薄暗くて。その薄闇を貫く木漏れ日。夜光虫を連れて、ぷらぷらと歩くたびごとに揺れる、モユラの深い赤色。 髪が伸びた。服装を変えた。 通ってきたあの一本道。 (端っこの縄は一年前にはなかったなァ) 何もなくて、危険だった雪道。軽くお参りしてきた廃村。 (あの村も、もう、少しずつ土に帰り始めてた。 それに、あの二人は一年前より……うん) 変わっている。なにもかもがゆっくりと、しかし、確実に。 (もう、あれから一年なんだ。 この村も、九夜さんもすっかり変わったけど……) 一呼吸置いて、そして、自分のことを振り返る。 (じゃあ、あたいはどれだけ、変わったんだろ。 色んな人やモノをみて、がむしゃらに勉強して。 そりゃちょっとだけ、ナリは大人っぽくなったと思うけど、あたいは……) 強くは、なっただろう。あの雪の日よりもずっと。 でも。 そうじゃ、ないのだ。 そうじゃ……ない。 「どう、変わったのかな……父上様」 腰までたっぷりとある赤毛が揺れた。唇から言葉が零れ落ちる。もう、一人前だな。――父の言葉が耳の奥で蘇った。久々に顔を合わせたとたんに、そう、言われた。 モユラの中で何かが変わったのか。それとも単に時を経ただけなのか……。言葉の裏を推し量れないまま。 (頭ン中、ぐるぐるする……) 慣れない、馴染みのない感覚。 ひら、ひらり。 降りしきる桜の中を、花弁のように薄く儚い蝶が舞う。 ほろ、はらり。 花降る世界で桜を見つめた。 日が沈み、暮れ残った薄明かりの中で惑いながら、昼とも夜ともつかない曖昧な世界でひとり。 ――夜光虫が消えるまで。 ●夜 太陽はすっかりとその身を沈め、空は深い深い夜色をしている。灯りのもとに集う人々を避けてひとり、慄罹は手ごろな草むらに腰をおろした。喧騒や人の灯した明かりは遠く、幾多の花弁を散らす桜も遠い。 杯に満ちる水面に、月が頼りなく揺れていた。自棄が入って、ぐい、と一息に呷る。喉を焼く極辛の酒。 「……何やってたんだろうな、俺は」 おろした後ろ髪がさらり、夜風に揺れる。少し辛そうな、申し訳なさそうな憂いが月明かりに浮かぶ。 (やっぱり俺は一人じゃなきゃ駄目だったんだ。 今までが順調で幸せ過ぎて……) それはいい思い出だ。そう思っている。ただ、ただこれからは。 (後はあの人の仇を取って……咎を背負って生きていく) 誰かの為になんて柄じゃなかった。結局自分の為だ。そう思う。 (相棒達と店とかは……難しい、よな……) 苦笑が滲む。とぷとぷ、手酌で酒を注いでまた呷った。普段はちびちびと飲むけれど、今は多分酔うこともできない、そんな予感を抱きながら。 (ってまたこんな事言ってたら怒らせるな。悲劇演じるなって) いい思い出が、たくさん、できた。幸せだった。過去形だ。 怒ってくれる誰かもいる。こみ上げた何かがほほを伝った。それを隠すかのように、酒を頭から被る。 夜風が冷たい。ひら、ほろ、ほろり。 薄ぼんやりと夜闇に浮かぶ桜は、ほんのり紫色を帯びて。 「桜が綺麗だと皆は言うが、俺は怖いぜ……。 綺麗過ぎて近づけない……全てを飲み込んでしまいそうだ……」 ぽた、ぽたり。 顎から、髪の毛先から。雫が滴る。 ひら、はらり。 桜はただ、花を散らしていた。 |